多忙という犯罪(「アスク機関誌2002年1月号」)

 ボクのHPに「公務員の甘えだ!」という書き込みがあり、それにボクはやんわりと皮肉を込めて反論したのだが、幾人かの人が反論を展開した。むろん、こういう「公務員の甘えだ!」という書き込みはじめ、品位のない(ボクが品位についていうこと自体が問題か?)書き込みは、HP管理人としては消去するのが手早いのだが、ちょっと考えた。つまり、これは、良いチャンス、つまり、学習効果があるということだ。多少不愉快でもきちんと反論しておくといいと思った。
 「公務員の甘え」などというのは、書いている本人の「甘え」の論理であって、殆ど生産的なものはない。サイテーのストレス解消なのだ。実際に困っている人間や被害にあっている人間は、いくらでも反論できる。それに、公務員一般なんてのは話がしにくいし、いろんな公務員がいる。『現代』一月号の「警察官の内部告発」を読んでいると、「公務員はヒドイ」と言いたくなるのもよく分かるが、警察官全部がそうだとは思えない。
 確かに、自分の労働条件が悪くなると、条件のいい人が、ねたましく思えるのは、しょうがない。しかし、ねたんでも、何も解決はしない。だから、少しでも、工夫し、考えるのが働く者、労働者の「生きる道」だと思う。
 労働法学の専門家の松岡三郎さんが、よく書いていたのは「年次休暇を取らないで多忙に加担するのは犯罪である」という話だ。
 カナダの大工さんの話である。仕事が終っても、カンナ屑を片付けないで帰ろうとするので「なぜ、カンナ屑をかたづけないのか?」と問うと、その大工さんは「あのカンナ屑を片付けることを仕事としている人が別にいます。もしわたくしがそのカンナ屑を片付けると、その人の仕事を奪うことになるでしょう。他人の仕事を奪うことは犯罪です」と答えたそうだ。
 日本では、真面目に一生懸命働くことが美徳とされているし、そうしないと「ウケ」も悪い。教員仲間でも、そんな風に思っているから、たとえ馬鹿なことをやっても、「あの人なりに一生懸命やっているのだから、許してあげよう」などということになるし、逆に良いことをしても「あの人は、なんか不まじめだから賛成できない」という人も多い。
 甲子園高校野球の「汗と涙の一筋」が評価されてしまう。さきの書き込みの中に会社員の人もいて、「残業やる人に限って仕事の『能力』が無い人ということも会社ではよくあった」などと書かれてしまった。
 この論理でいくと、学校の教員はほとんど持ち帰りなり居残りなりの「手当てもつかない残業をやっている」ので、「教員は能力がない集団」ということになり、笑える。
 残業分を、人を雇えば、雇用の促進になるだろうし、休暇をもっときちんと取れば、人をもっと雇うことができる。ましてや、教育効果が上がるのなら一石二鳥である。
 「研修でごたごたいうなら、年次休暇を取ればいいでしょう」というのも、みんなが年休を完全消化しないからであって、管理職に足下を見られているのだ。
 年次休暇を取らないで残す人は「教室が心配で……」という。ボクでも、そんな気持ちになるときが無いとは言わないが、それは、結局「自分の内から起きた」のでなく、やはり「世間の評価」を気にしているからだと、ボクは思うんだけど。●

(2002−1−3)


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