「自発的・自主的・創造的」超過勤務の欺瞞と悪質さ

 「工夫で、時間外勤務をなくすことができる」という名古屋市教育委員会の交渉での発言は「すばらしい」(笑い)暴言である。
 で、そうなら、実際にうまい工夫をしている学校を教えてもらいたい。そういう暴言が真実になっているようなモデルを教えてほしいものだ。
 勤務時間を超えて仕事をしたときは、当然時間外勤務ないしは超過勤務である。ところが、教員は特別な教職調整額四%でそれを補完しているという大ウソを言う管理職なり教委関係者がいる。
 「たとえば、テストの採点であと五枚というところで、勤務時間が終了したら、あとの五枚の採点は、勤務か勤務でないか?」という問いに、「勤務であるが超過勤務を命じていないのでそういう意味での(つまり手当支給対象になる)勤務ではない……」という。「それは、自主的自発的勤務」という。
 殆どの教員が「超過勤務」をし、「持ち帰りサービス残業」をしている実態を知りながら、当局は「命令していないので超過勤務ではない」というのだ。
 最近高裁判決の出た、知多市の中学校教員の超過勤務裁判では「学年会」「進路指導関連業務」についても「原告の無秩序、計画性のなきに起因している」とか「テストなどは本来的職務なんだから、空き時間に行なうもんである」などという。
 この判決は、むちゃくちゃな内容であり、戦後最悪の判決ベストテンに入ると、ボクは思っている。
 最悪なのは「すなわち、原告が本件時間外勤務に従事したとして、具体的に主張している各事実は、原告の裁量に基づいて勤務時間内に処理し得る業務を勤務時間外に処理したり、同僚教員と協議して時間設定した会議に自発的に出席する等したものにすぎないのである。」などと、地裁判決で判じているのだ。
 ここまで来ると「馬鹿やろー」としか言いようがない。だって、現場を知っている者なら、絶対にこんなことは言わない。
 勤務時間内にやれるのに、ワザとやらないで、勤務時間外を選んでやっているのだ……ってか?
 裁判官というものが、如何にダメになってきているか!よく分かる例だ。ここまで、無能で勉強の足らない裁判官は珍しい。しかも、教員がどれだけ一生懸命やっているか、というより、「どうせさぼってばかりだろう」という気持ちがミエミエの判決だ。
 こうした判決を読むと、「じゃあ、お望み通りサボってやろうじゃないか!」と言いたくなる。
 結局この高裁判決で明確になったのは、必要な業務、やらざるを得ない業務でも、校長が「命令」していないのなら、それは、「自主的・自発的な仕事をしている」にすぎないということらしい。むろん「自発的、自主的な気分になれない」ときは、校長に職務命令をきちんと出してもらうか、やめて帰るかすればいいんだろうねえ。のこった仕事はだれかがやるんだろうということだ。そういう判決である。
 ボクたちは「良心」があるから、家へ仕事を持ち帰るし、職場に残ることもある。その良心を捨てろ!という判決である。校長は「私が命令していないから、残って仕事しているといっても、勝手にやっているんだ」ということらしい。こうした判決は確実に学校を悪くする。

(2002−02−3)


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