現代思想「教育特集」2002年4月

現場は教育改革を欲望しない

岡崎 勝

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    はじめに

     いままで「教育改革」と称する「学校制度や教育内容に関わる政策改編」が、歴史的にも何度かあった。そのたびに、私は学校現場の教員として、その「騒ぎ」に関わりつつ、いつか沈静化し、日常に溶解するのを眺めながら、忙しさの中で毎日をやり過ごしてきた。圧倒的多数の義務教育学校教員は、私のような態度をとる者が多かったように思う。
     私たち教員は、その騒ぎの中でも、毎日、淡々と子どもたちの相手をし、「おつきあい」してきた。ある意味で、軟弱でもあり、また、したたかでもあった。子どもたちも、どんなに「低学力」と非難されようと、圧倒的多数が、学級崩壊だろうがなんだろうが、とりあえず、「教室空間」を維持し、クラスメイトだけでなく、「メル友」「援交仲間」「塾仲間」などと、「友達」をつくり、休み時間になれば元気におしゃべりしてきている。
     今次の教育改革はある種の「公共事業的」なものなのだが、いままでの「改革」同様、「悲惨なエネルギー浪費」を私たちに強いることになるだろう。そして、判然としないにもかかわらず、生き続けている「教育の思想」の頑迷さと、それを空洞化し無化する、したたかな「現場の原理」を確認することになるだろう。

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  1. 「過剰な教育愛」;その場しのぎの少人数指導

     1980年代に顕在化した管理主義教育は「西の愛知、東の千葉」というフレーズで、愛知や千葉などの都市化されていない地域の「遅れた民主主義」と「保守的な地域性」の証として批判された。愛知の場合、管理主義教育が始まったその発端は、大学闘争の影響で混乱した高等学校を「正常化」させるためのモデル校(新設高校)づくりであった。しかし、そこに深化され、現象の基底に沁み出ていたのは、制度化されたメンタリティとしての「教育愛」であった。(1)
     いくつかの体罰事件や「微細な校則」問題を、多くのメディアは、高見から、一種の「嘲笑」をもって、取材し、記事にしていた。たとえば、当時、中学校の修学旅行の際に、子どもたちが持参するお小遣いのお札(千円札)の番号を、教員に報告させているということが話題になった。そのときは、反管理教育の市民運動団体でも、さすがにあきれて声もでなかった。しかし、そうする学校側の理由を知るや、いくつかの興味深い反応があった。
     その理由とは、次のようであった。「子どもたちが、修学旅行先で、金銭的なトラブル、たとえば、決められた以外の余分のお金を持ってきたとき、あるいは、盗難などだが、そのときに、紙幣の番号が記録され、特定されていれば、問題は解決する」と。
     反管理主義教育の立場を取る市民の反応は、「ばかばかしい、一体そんな人権侵害がゆるされるのか?子どもを信用していない証拠だ」という怒りの声であった。しかし、地域の多くの住民は、「いや、それは、ちょっと行き過ぎだが、先生たちは、子どもたちのトラブルを回避するためにはその方がいいと思ったに違いない、わからないでもないな」と同情的な意見もあった。そして、憶測にすぎないが、多くの保護者たちは、一種の微弱ではあるが、共感さえして「まあそんなもんかな」と思っている節があった。
     振り返ってみれば、私も、「持ち物には名前を!名無しのごんべぇさんは誰かな?」などと、教室で子どもにむかってよく言う。こうした「記名指導」は週の生活指導の目当てさえにもなる。つまり、紙幣番号を報告せよという感覚とそれほど大きく違うものではない。
     このような指導は、善悪などの価値判断を別とすれば、あくまで「子どもたちのため」という教育愛に基づいた、具体的な教育的行為なのである。
     スカートの丈の長さをはかって、長すぎる生徒を呼びだして「短い方が中学生らしい」と、理屈というよりは「慣習的嗜好」を押しつける指導なども、容認される場合が多かった。したがって、こうした、強烈な管理主義教育を望む親たちもかなり多くいたということは確かである。少なくとも、反対する親よりは多かった。むろん、それを「人権感覚に目覚めぬ親たち」と非難するのはかまわない。しかし多くの親は教員の管理的指導を「子どもたちの健全育成」のためであり、教育愛の行為であると「理解」していたのだ。
     人権論からの批判は可視的な暴力には有効だが、不可視的な教育愛には無力なのだ。管理主義教育を支えている親たちの心性に、教育愛への信仰を見逃すことはできない。
     もともと、ほとんどの教育的行為は教育愛に依存してこそ存立する。管理主義教育は、戦後日本の教育史の中で、フーコーの「監獄の誕生」が提起した問題として、もっとも良い事例だった。むろん、パノプティコン的な校舎利用と生徒への体罰や管理というディシプリンもあった。学校と監獄のアナロジーの基底は、悪しき人間を良き人間に変革するという点と、それを近代の愛によって為し得ると断じた点である。
     体罰さえ「教育愛」なのだった。
     管理主義教育が管理教育へ、管理が教育へ……とシフトしていくときに、教員が「教育愛にもとづいて何かをなさねばならない」という強迫観念にますます囚われていったのは必然的である。教育愛は、過剰になるほど暴力性が高まる。しかし、私たちは、それを良きことなのだと考える。それは、日本における「近代の慈愛」という、おそろしく西欧的なるモノでもあった。
     何もしない教員こそが、もっとも忌み嫌われ、閉鎖的な学校社会から排除される。学級崩壊で教員が自信を喪失するのは、教室が混乱するからではない。教室が混乱するのは、よくあることだ。「子どもたちへの愛が届かない」と実感するからだ。そして、「愛の教育的行為が何もなしえない」からだ。
     管理主義教育を担っていた教員は、早朝から深夜まで学校に吸着しながら、子どもたちを管理していた。その管理は、可視的なものを中心としており、確固としてあったのは、「これが、子どもたちのためなのだ」という強い教育愛と自信だった。
     このような問題が、今次の教育改革にも巧みに織り込まれている。つまり、教育改革推進論者がいうところの「きめ細かい指導」である。じっさいに、「少人数学級」といいつつ、予算逼迫している今、担任をする教員が増員できずに、特定の教科に限った「少人数授業・少人数指導」をしようというのが、多くの自治体のやり方である。
     習熟度別(つまり、能力別・成績順?)クラスを作り、文科省や教育委員会は「子どもたちのすすみ具合に合わせた指導ができるようにします」と称して「きめ細かな」指導をすすめるのを教育改革の一つのウリにしている。きめ細かな指導というのは、いわゆる教育サービスの質を上げようと言うことであろう。だが、実際に少人数指導はほんとうに効果があるのだろうか?
     すでに、教員たちの中で、こんなことがささやかれている。子どもたちを学級に分類することが頻繁に行われるのだろうか。きめ細かにすることが求められるなら、何度も到達度をはかる調査をしなければならないだろうし、それをどのような根拠で分類するのか?また、クラスが移動すると、低学年の子どもたちは時間がかかるし、気分も落ち着かないのではないか?友達との関係も難しくなるのではないか。教員は子どもたちの名前をきちんと覚えられるだろうか。心理的な特徴のある子どもたちへのつき合い方がうまくいくだろうか?また、何かトラブルが起きたときに、親とうまくつき合い、ケアがきちんとできるのだろうか?
     名古屋市の場合、いままで、教員にあった、わずかな空き時間(授業をもたない時間)がなくなり、他の学年やクラスを応援することが義務づけられていく。教員の稼働率が100%以上になるわけである。ただでさえ仕事が多いのに、今度、この多忙の極みをどうしていくのだろうか?教育委員会などは「工夫してください」と言うばかりで、具体的な案は提示できていない。しかも、授業を複数で担当して「きめこまかな指導」をしようというティームティーチング方式も、その授業の打ち合わせをいつ、どこでやるのか?それすら時間がない。時間外勤務手当の制度もなく、いたずらに「滅私奉公」的な仕事がつづくことは明白だ。そうなってくると、おそらく、教員の疲れはいっそう増加し、気力は充実せず、病気休職者は増えていくだろう。
     こうしたときに「どうして教員は断固闘わないのだ!」と言う声がどこからか聞こえる。闘わないまでも、「教員がのびのびしていないのに、教えられている子どもがのびのびするはずがない」というのは、原理的には正しい。しかし、それよりも、教員という存在は、「子どものためになること」の積み重ねにしか、仕事の意義を見いだせない(社会的に認知されない)でいる現状がある。しかも、それが「本当に子どものためなのか?」という反問すらも微妙にずらしていくのである。そもそも「子どものため」などという教育の言説は、個人的幻想と錯誤の産物でしかない。しかし、「そういってしまったら、おしまいです」といいながら、それでも、「善きこと」を過剰に積み重ねることで自己確認するのである。
     結果的には社会が求める「教育愛」の圧力による可視的な「教育愛」の再生産としての過剰な量の仕事が生まれる。しかも、現在は「市民の目」「世間の評価」という実態の見えない幽霊がおおきく学校を取り囲んでいる。人事考課という教職員の査定、問題教師排除のシステムも作られていく。ますます、労働条件の改善要求は自主規制し、教育愛をアピールしていくことが教員の至上命令となり、疲弊していくだろう。
     「子どもたちにとって本当によい教育改革なのでしょうか?」という視点からだけでは、根本的な批判にはなり得ない。「市民運動」対「行政当局」という対立図式での批判さえも吸収していく柔軟な面を教育改革言説は持ちうる。
     思い起こせば、愛知の管理主義教育が「終演」したのは、そこで過剰で過激な教育愛の再生産に疲れた教員たちが引っ込んだからである。決して「民主教育が勝利」したのではない。それが、証拠には「民主的教育」が、現在、学力批判派と共に、あらたな「『真の学力』低下は許さない」と補習授業を担おうとしている事実もある。「教育愛」は不死である。
     「批判というのは、物事が現状において良くない、と言うことのうちにあるのではない。そうではなく、受け入れられているさまざまなプラティックは、いかなる種類の明証性や慣習性に基づいているのか、そして、獲得され改めて反省されることのないような、いかなる思考様式に基づいているのか、ということを見極めることこそが批判というものです」(2)とフーコーが言うように、循環し生き続ける教育愛の権力の存在を無視した、教育改革批判はおのずと限界があると言って良いだろう。

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  2. 混乱する教室の自由:空転する総合的な学習

     学級崩壊が世間を騒がしたあと、それは沈静化したのでなく、学校の風景に溶け込んだといえる。むろん、異物として、座りの悪いモノとして。しかし、「そういうクラスもあるだろう」ということで、「おどろき」を若干もたれながら受け止められるようになった。「学級崩壊」マニュアルもある程度できあがってきた。それらは、きわめて単純な方法であり、その担任を「追放」して代替を配置するか、複数担任で子どもを管理するエネルギーを強化するかということである。教育評論家が言うように「子どもたちをもっと理解してあげよう」という話も、それは、学級の力学をコントロールするための、単なるきっかけにすぎない
     学級崩壊の原因追及については様々な論議がされている。子どもたちが「変わった」という意見も多かったし、親のしつけが不十分であるとか、学校そのものの権威がなくなったという意見もあった。しかし、明らかなのは、教員の「権力関係の形成能力」が低下したということだ。むろん、それを教員の責任に収斂させようということではない。(3)
     学級崩壊という派手な状況にならなくても、専科教員のときは落ち着いているが、担任が来ると荒れるとか、その逆もある。または、行事が近くなると学級がハイテンションになるなど、学校の現場にいて思うのは、ほんの些細なことで、学級の力関係が壊れ、再編成されるということだ。あるいは、同じ子どもに続けて指名したとき、または、子どもに間違いを指摘されて自分の不愉快さを悟られたとき、あるいは、「下の名まえで呼ばないで」と言われているのに思わず、姓と名を続けて呼んでしまったとき等々。非常に微細な子どもとのやりとりの中で、学級の安定感を失う原因を生むような出来事が起きる。
     児童中心主義的な教育思想では、子どもたちの自由を、最大限認めていくべきであるとされていた。そこには、子どもは絶対善であり、子どもは純真でやさしいという観念がある。しかし、それは「願い」ではあっても、子どもが大人と同様に社会的な産物であるかぎり、あくまで「そうあったらいいなあ」ということにすぎない。むろん、こういうと、すぐに「子どもを信用しないのか?」という反問が返ってくるが、そうではない。子どもであろうと、大人であろうと社会的な関係の中で育っている以上、さまざまな善意と悪意を持っている可能性があるはずだというのだ。それに、「信頼」をすでにそこにあるものとしてとらえるのはあまりに軽率ではないか?
     子どもが自由であるというときに、一般的には建設的な意見を述べ、可能性に満ちた発想をすると考えている、あるいは考えようとしている。しかし、現実はそれを裏切ることの方が多い。むろん、現場を知り尽くした教員は、自分の思うような「建設的」な意見が子どもの口から出てこなくてもいっこうにうろたえないし、その意見や思いつきを、受け入れるか、どのように却下するか、あるいは、棄却するかを即時に判断している。
     そもそも、一日の数時間の授業の中で、感動的な意見や、おもしろいという意見に出会うこと自体がまれである。
     むろん、そうは言うものの、子どもの意見を聞く側の受容能力も貧しいということがないとはいえない。子どもの話の中に「おもしろさ」を見つけるのも、こじつける(?)のも「指導力」と言えるからだ。
     こうした中で今回の教育改革は「総合的な学習」を導入してきている。これは、教科というような既成の枠組みでは対象とはされなかった領域でありながら社会的に有用性のある領域を、自主的な子どもたちの活動で学ばせようというもくろみで設定された。その領域は、例として「国際理解、環境、情報、福祉・健康その他」と学習指導要領ではあげている。したがって、「教科の枠をうち破り、各教科で学んだすべての知識や技能を総動員して問題や課題に取り組む」ことだとされている。
     むろん、こうしたことを何度、誰に、しつこく言われても、現場感覚で言うなら、「いい加減にしてくれ!」ということになる。なぜなら「教科の履修だけでも大変なのに、ワケの分からないものを入れるなよ」というのが、おおかたの教員の反応なのだ。
     むろん、一方で、今までやってきた「おもしろい授業」が公認されるのか?という考え方もある。私自身も、今まで、管理職からの苦情を聞かされながら、子どもたちを外へ連れ出したり、教科書の発展と称して環境教育や国際理解教育を試してきたりした。それらに、お墨付きが得られたわけである。しかし今や、お墨付きどころではない。年間100時間あまりを、総合的な学習の時間に「使いなさい」とおしつけられているのである。
     そして、あからさまに「何でもやっていいよ」といいつつ、でも「楽しいだけじゃいけない」と総括され、取り組む内容も狭められてきている。結局、公認された以上は、基準が明確になっていないといけないということなのだ。「色々と工夫しなさい」といいつつ、本当に「色々」だと困るという自己矛盾が起きている。「自由にやるのもいいけれど、何やっていいか、よく分からないから、ある程度決めてもらえるとありがたい」などと控えめにいいだしはじめる。学校によっては、最初から、「ウチの学校は、総合的な学習の時間は環境でやります」と、どこが多様化?といわれるような取り組み方をしているところもある。総合的な学習では、「自主的、主体的な自由な学習」がウリになっていた。それは、教育において自由は学習を活性化させるという原則に基づくモノであったからだ。しかし、もともと、「学校教育における自由」とはいったいなんだったのであろうか?
     まず、学校には、基本的に自由の幻想すらなかったと言った方がいいだろう。自由らしきものを行使したのは、まさに、校内暴力時代の子どもたちや、学級崩壊の当事者である子どもたち……であった。彼らは、学校制度から心理的には決して自由ではなかったが、当該の学校教育の秩序の枠組みを内部から相対化したり、価値破壊したりするようなエネルギーを持って存在していた。少なくとも、教える側の自由ではなかった事は確かだ。教育の世界では、自由と言う場合にそれは「わがままとは違う」という言い方がなされる事が多い。しかし、明確なのは、子どもたちにとっては「わがまま」も自由の範疇に「当然」入ると言うことである。なぜなら、わがままと自由を区別する水準は他律的な判断を待つ以外にないからだ。しかも、その判断は利害関係がむすびつく。結局は、恣意的な価値判断によって、さも普遍的な基準があるかのような受け止め方されている。学校や社会において自由とは、規範にそった形でしか認められないということになっている。拡張していく子どもたちの自由が、学校の中を混乱させながら、私たち教員や子ども自身を疲弊させていく。
     「総合的な学習の時間」は教室の中が「整然」とはなり得ない。全員が机に向かって同一方向を向いているわけでもない、教室に居さえしないこともある。個別に指導すると言っても、子どもたちは千差万別であり、非常にむつかしい。一見すると、非常にみんな「生き生き」(このことばは、教育専門用語。すべてを肯定的イメージとして伝える、オールマイティの用語)しているように見える。しかし、また同時に、日頃の基本的な読み書き計算、思考、批判などの力の差が、この自由な空間の中でいっそう目立った差を生み出す。子どもたちを見ていると、みんなそれぞれ「がんばっている」(このことばは、すべてを包括する評価の言葉であり、もっと言うなら、もう評価しない・できないという最後通告でもある)のだが、活動の差は歴然としている。ある子はインターネットでプリントアウトした情報をそのまま移しているだけだったり、ある子はグループで与えられている「色塗り作業」だけだったり、それらを黙々とやっているにすぎない場合もある。
     こうした中で、自由は反転する。教育の自由は常に肯定的に語られてきたが、ここにいたって、格差の生産と差異化という、どちらかというとネガティブなニュアンスで語られるようになる。
     むろん、総合的な学習の時間は、「艱難辛苦の勉強」よりはましだ!という率直な声もある。教科の枠組みでの学習、つまり、学習する内容から獲得する目標までが比較的明確な学習に対して違和感を持っている子どもたちや、そこでは、良い成績が得られない子どもたちも、好んで取り組むことができるからだ。しかし、教育における自由がこれほど、残酷に格差を明確化するとは、中央教育審議会や教育課程審議会で、総合的な学習を提案した研究者や政財界の人々は予想しただろうか?
     学級崩壊の中では、子どもが動き回る自由を制御し、反抗的活動や無駄口を統制することに、なんのためらいもなかった。しかし、総合的な学習の時間は、格差を公然と生む自由な学習をどのように制御し統制することが可能なのだろうか?
     インターネットを使おうとして、パソコンをたくさん導入した学校では、子ども向けのHPを使わせたというが、結局は、教科書や事典をうまく使うことのできる子の使用頻度が一番高いのである。そして、HPの漢字が読めない子どもたちは、パソコンに向かうことすら拒否し始めている。「ゲームならやるよ」という具合だ。
     自分の興味や関心を、学習に意欲に結びつけるという困難な課題を引き受けた総合的な学習を、すでに「死んだか?」というむきもあるが、そもそも、教育における自由について、思考を停止した教員や研究者にそれを語ることができるのだろうか?総合的な学習を批判し、葬り去ることで、新たな自由競争や、「不自由」を持ち込むことだけは避けねばならない。そのためには、「教室の自由」という課題をエポケー状態にすることは、いっそう自由の複雑な陥没に足を取られることになりはしないだろうか
     「この壁の中に永久に閉じ込めたのがあなたの御手ならば、わしは満足しよう。われらひとの子は、盲目という御慈悲が与えられぬ限りは、とどまることも去ることもできない。盲目とはわれらを導く御手。わしは自由意志という妄想を永久に放棄しよう。自由意志とはおのれ自信を食らう蛇にほかならないからだ」(4)というように、教室の自由はまさに、毒なのだ。

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  3. 操作される身体と個性;ディシプリンとしての「自ら考え自ら学ぶ力の育成」

     近代・現代学校は、身体への教育をもっとも重視した。とりわけ、体育(体操)や集団の行動の中で、ディシプリンは不可欠のものだった。高度経済成長期には、産業だけでなく、子どもたちの身体にも産業的な成長が要求された。1970年代は学校教育の中で「体力づくり」が強調され、授業としての体育だけでなく、休み時間や放課後も「体力づくり」が奨励された。また、集団行動訓練も全国的に統一され、同じ行動様式で子どもたちは教育された。(5)
     例えば、全国の学校において「前へならえ」は、前方へ腕を伸ばし、その指先と前の人との間をこぶし一つ分くらい空けるという行動様式になっている。この「まえーならえっ!」の号令は、日本のどこから来た転校生にも理解可能な行動様式なのである。では、なぜ前へ習う必要があるのか?なぜ、前の人にふれない程度に空ける必要があるのか?現場にいる教員なら誰でも知っているのだが、「前や後ろの人に、いたずらでちょっかいを出し合って、列を乱さないで、沈黙を守るため」なのである。表向きには、列をまっすぐにするためということが言われているが実はそうではない。「正しい集団行動は、安全で能率的にかつ秩序正しく行動するのに必要なものであり、学校教育のみならず、日常生活を営む上からも役立つものである」(6)と集団行動の様式が集団で活動し、動く際の合理性を集大成したものだということにはなっているのだが、実はそれは二次的な教育的意味付けである。もっとも大きな意味は、静と動の両面において身体の行動様式を決めることで、集団をまるごと統制しコントロールをするためである。様式の適否はどちらでもよいのである。様式が「決まっている」ということが重要なのだ。学校でのディシプリンでは、身体は操作されるものであることが「理解」され、子どもの教育の中で習慣的な行動として定着することが重要なのである。
     一九八九年の学習指導要領で「個性重視」の教育が全面に出て、今次教育改革でも引き続き「個性を重視する」ことが大きな教育のねらいになっている。このことは、学校における集団行動のようなディシプリンをどう変容させていくのだろうか?「個性の重視」は画一的な管理を否定して、多様性のある教育を保障するかに見えるが、はたしてそうだろうか?
     愛知では中学校の丸刈り校則が比較的遅くまで残っていた。頭髪規制反対の市民運動の活発さに比べ、中学校の丸刈り頭髪規制維持へのこだわりは非常に強かった。しかし、問題は丸刈りを校則として残し、それを社会的に意味づけることのできる教員などいなかったという事実だ。せいぜい「中学校の男子生徒らしい」頭髪だという、幼稚な思いこみか、「服装の乱れは心の乱れ」と頭髪に結びつけた生活指導のこじつけくらいがあった程度である。この頭髪の規制は市民社会の論理とは相容れないものだった。したがって、論理的には、頭髪自由化の市民運動には対抗できるはずもなかった。
     しかし、学校側が、丸刈りに固執したのは、学校権威の幻想、いわゆる「メンツ」を守るためだけがその大きな理由だった。このことに象徴的にしめされるように、学校権威なる幻想を醒ますような個性の表出は、とりあえず学校と敵対する。(逆に、学校権威を支えるような個性の表出は教員に歓迎される。)
     丸刈り頭髪の強制は「まえへーならえ」と同じく、集団行動様式であり、身体の操作の一種である。集団行動は「はみ出す個性」を後退させ、個別性を記号化することによって成立する。
     ところが、丸刈り強制は、個別性が強い頭髪デザインを強制することであり、そこからはみ出そうとする子どもたちのエネルギーを統御しようとすることから起きる混乱の収拾リスクが、少しずつ大きくなってきたのだ。したがって、丸刈りにこだわるよりは、別の方法で権威復活やコントロールをする方が「経済的」だと、学校は判断したのである。決して、「自由主義的な教育」が勝利したのではない。
     問題なのは、ここからである。こうした、校則の自由化は、学校の制度的な規制緩和であり、今や、文科省すらも支持する内容である。校則をみんなで話し合い決めていくことが重要だというのである。そして、「自己責任をきちんと取れることが必要なことである」とまでいう。
     しかし、一方で、中学校の卒業式などでは、いまだに「異装」では入場させないという指導をしているところが少なくない。しかし、それは、「異装」そのものが問題になっているのではない。「異装」をめぐる教員と生徒の力の攻防であり、メンツの立てあいなのだ。卒業式に参加する「先輩の異装」を教員たちがどう対処しているかを見守っている「在校生のまなざし」を、教員たちが意識しているところに、「異装」との格闘の意義がある。卒業生よりも、あすからの学校を担う在校生を重視している教員の「苦労」がある。
     こうした身体の操作への教員の執着は、単に個体としての「子どもの個性」ではなく、どこまでも学校の「子ども集団」を意識したきわめて、社会的なものだという認識から来ている。保護者たちは、自分の子どもたちを個性的な存在と見ることができるが、個性的なるものが持つ社会性までは思いが至らない。性格に言うなら、子ども一人一人やその保護者が意識している個性は、他者の構成員との差異化ということである。子どもたちの暴発は、学校という中で、平準化された身体を「少し超えた」ところに自分をアピールすることができるかどうかという「目立ちたい、目立たせたい」という気分がその誘因になっている。
     ところが、教員の側は、すべてに無限定な個性を認めることに、安易に首肯できない。「なんでもあり」とはいかない。方向性がまちまちの個性的なエネルギーを放置していたら学校の生活は成立しない。きわめてアナキーな状態になる。教員は学校生活のあるところで、個性を押さえる力関係を作っていかざるをえない。校則が力を持ち得た時代は終わった。人権侵害の疑いがもたれるような生活指導はできなくなり、そして校則はより少なくなり、「自主的な判断」を子どもたちに求めていく。それは、近代民主主義の過程としては当然である。しかし、それは、校則の押しつけによる指導に比べればはるかに困難で、高度な思考や認識がいる。そして、訓練も必要である。単なる自由化は「自主的な判断」に結びつかない。
     教員は、さまざまな方策を練って、学校社会の枠におさまるように、個性をコントロールする。この段階になって、いままでとは違った、身体の操作の進化した技術が要求される。ハードな強制や、型枠を押しつけることはできなくなる。
     ここにおいて、従順なる身体でなく、「個性」(かっこつき)という幻想を持ったまま操作される身体をいかに作るかに腐心することになる。学校における個性は、学校を維持する個性でなくてはならない。
     さて、それでは、今次教育改革で目指されているような個性的な人間を育てるとは、実際的にどんな人間を育てることなのだろうか?
     教育改革でやろうとしている個性化の教育を進めようとする方針は、現在の政財界や文科省から出てきているのだが、それは「エリートを育てる」ということにウエイトが置かれていた。そもそも、この個性化も中教審や教育課程審議会では、「日本を担う指導者の養成は、平等化された教育からでは生まれない」という認識からだった。ちまたでいわれる「日本に数人のビルゲイツがいればいい」というそれである。
     つまり、大衆化されてしまった高等学校や大学では、「真のエリートは育たない」から、もっと、幼い時からのエリート教育が必要なのだ……と、しかし、「エリート教育」という言葉では誤解もされやすいので、「個性を重視した教育」と言い換えようと言うことだったのだろう。
     個性化教育といえども、学校をどうするかということで言えば、次の二つに分離せざるを得ない。産業化され都市化されつつある環境では、消費社会に生きる子どもたちの個性重視と、エリートを養成しようとするときの個性重視は複線的に分離する。個性の中身が全く違うのである。一つは競争社会を醒めた目で眺めながら、もともと個々人が持っているという個性、落ちこぼされたルサンチマンから顕在化した個性、学校の従来の価値観とは違うところでの個性という範疇。もう一つは、エリートへの道を自分の道と認識して、競争社会で勝利し、社会の指導的な立場に立とうとする意欲に支えられた個性である。
     以上のような複雑な個性をめぐる状況の中で、身体の操作は行き詰まる。個性が二重構造になっており、かつ多様性を有しているからだ。しかも、学校はすでに権威を持ち得ない。エリートの言う個性は、学校をはるかに超えることでこそ意味がある。学校ごときの中で、いくら優秀だとしても、それは、「ビルゲイツ」にはならない。おかしなことに、学校を超えたところでエリートは養成される事が多いのに、教育改革の個性は学校のそれをイメージしているのだ。
     結局、学校に残ったのは、規則や校則をシカトすることで発現する個性や、教員の世話を焼かせない程度の穏健な個性だったりする。学校の枠を意識しながら、「いかに君の個性はすばらしいか?」ということを反復し、幻想を持たせ、卒業までつなくことが今や、学校の一番の課題になる。個性が自由競争社会の中では、圧倒的少数の勝利する個性と、圧倒的多数の敗走する個性に分けられると言うことを学校の中では伏せながら、「まだなんとかなる」という幻想を再生産することが教員の役割になってはいないだろうか?エリートの個性に、身体のディシプリンは付加価値でしかない
     そして圧倒的多数の非エリートたちの個性を幻想化し、集団行動訓練などという身体の操作技術を習得する「学校的なる簡単な学習」こそを、一生懸命為すことがポスト教育改革として提起されるのかもしれない。「しかし、もっと根本的なレベルで、この『脱線』--我々の身体にある自然のリズムとそれをとりまくものとの間の協調関係の中に支えがなく、定まった本能的な標準がないということ--は、人間をそういうものとして規定する。つまり人間そのものが『脱線』しているのである」(7)なら、ことは容易ではない。

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  4. 権力の共犯と責任の空洞化:崩壊する教育委員会・校長の「自主性」

     「今回の審議にあたっては、これらの行政改革、地方分権の観点を十分に考慮し、国の果たすべき役割を明確にした上で、例えば、これまで細部にわたって指導等を行っていた文部省の行政の在り方を見直すとともに、国や都道府県の市町村や学校に対する関与を必要最小限のものとするなど、各地域や学校における主体的かつ積極的な活動を促進する観点から地方教育行政制度の在り方について見直しを行い……」(「中央教育審議会答申:今後の地方教育行政の在り方について」一九九八年九月発表)
     「学校が教育委員会の指示・命令に基づいて行った行為については、指示・命令を発した教育委員会が責任を負うべきであるが、指導・助言については、これを受けてどのような決定を行うかは、校長の主体的判断にゆだねられているものであり、それに伴う責任は第一義的には校長が負うべきものである。」(同上)
     少なくとも、私の知る学校現場ではこの文言は不知的取り扱いになっている。地方教育行政に関する法が改正されたりもしたが、実際に「地方分権」が形成されつつあるとはとても思えない。多くの学校の校長は文科省の文書より、「教育委員会」の「電話での指導」を重視し、隣の学校とのバランスを一番に考えている。ちょっとでも「違う裁量」をしようものなら、すぐに「教育委員会からのお叱りを受ける」と、昔から多くの校長は話していた。
     「地方分権が一番遅れているのは、教育委員会や学校である」ということを多くの人は口にする。
     これはしかし、教育委員会の後進性や保守性ということで、捉えられるものではない。校長らの「主体性のなさ」のみに起因するものでもないだろう。「最近は、太っ腹の校長がいないなあ」と年輩の教員がつぶやくとき、その太っ腹の校長たちが、当時、しっかりした主体性を発揮していたといえるのだろうか?「うるさい、俺にまかせろ」と言った、単に、世間知らずのむちゃくちゃな裁量で、学校全体を引き回していただけではないか?最近は、「世間の目」が厳しいので、ある意味で慎重な管理運営が求められている。そういう意味では、「難しくなった校長のなり手が減っている」という噂もあながち嘘ではないだろう。
     現在のところ、教育委員会と学校管理職は、問題の責任をお互いが転嫁しあいながら延命していくすべを身につけたようだ。学校では「責任を取る」ということが何を意味するのかが明確になっていない。処分を受けることが責任を取ることなのか、あるいは、仕事を辞めることが責任を取ることなのか、最後まで問題に関わり続けることなのか?
     学校では、責任を取るということが、あたかも、「自らの地位や生活を貶める事」と同義になっているところが特徴的である。すなわち、あいての損害を補償し補填していくということ、あいてにお詫びすること、生じた問題が解決するまでそこで努力しつづけること。いずれも「責任をとった」ということでは了解が出ないようだ。つまり、日本的と言えるのかは別にして、「誠意」「謙譲」「自己否定」の「気分」が周囲に認知してもらえるか否かが、「責任」を果たした一番のポイントになる。
     少なくとも、問題を起こして「職を辞す」ことが、一番の責任の取り方のように見えるが、その当人が、その後もっと楽しそうな暮らしを送っていることが、関係者に分かったときに、「責任が取れていない」などと揶揄されることは十分に予想される。「責任を取る」とはきわめて曖昧な不確実なことがらなのである。
     学校において、もし、学級崩壊の原因が教員にある場合(現在「不適格教員」を摘出する制度が形成されつつあるが、その制度には批判されるべき問題が多くある。その点についてはここで細論する余裕はない)、責任の取り方についてはあいまいである。実際には、本人が退職する場合にも、「責任を取ってやめる」と言うよりは、「もう、疲れた、面倒くさい」というニュアンスが大きい。
     しかし、責任を取るといっても、そもそも自分だけの個人的な問題なのか、あるいは「責任が付帯する指示命令を受ける立場」だったのか否かをまず問題にすべきなのだ。たとえ上司の指示命令であろうと、それに順じ、従った以上、その責任を無視したり転嫁し、逃れらたりするモノではない。指示命令の妥当性をまず吟味する必要がある。上司から行政的な指示命令がおろされているときに、それが、「違法の疑い」「妥当性を欠く」「職務外」という時は、部下といえどもその指示命令は拒否できる。とりわけ学校運営上、あらゆる上司の命令には従うべきであるという「特別権力関係論」の成立する余地はない。この点が本来一番重要なことがらなのだ。従って、先の中教審答申も不十分な点が多くある。
     実際に各学校現場と教育委員会の関係、あるいは管理職と一般職員の集団との関係はどんな力学で動いているのだろうか。
     まず、教育委員会と各学校長との関係は、お互いが判断移譲(委譲ではない)状態になっている。
     最近の「教員の一週間あたりの持ち時間数」の例を挙げてみる。
     今次教育改革は、子どもに手厚く教育を施すのがねらいで、文科省は「少人数学級」を打ち上げた。学級数を増やすとなると増員が必要になる。どこの地方公共団体も財政難であることは論を待たないが、その影響で教職員の人員削減はあり得ても、増員は不可能になっている。そこで、少人数「指導」に切り替えてきた。すなわち、学級数はそのままで、ある教科の授業にかぎり臨時に学級を増やし「少人数」の部分だけは実現しようというのである。ところが、その増えた学級の指導に誰がいくのか?結局、現有数の教員でまかなうためには、週に二、三時間ある「空き時間」に職員室で学級の事務や授業準備している教員を、応援に入れることを余儀なくするのである。
     学級や校務関係の事務や授業準備が空き時間にできない以上、いっそうの超過勤務と持ち帰り残業にゆだねることになる。この問題についての教育委員会の答弁は象徴的だった。私の「これは労働強化になるでしょう?いつ授業の準備や会議をすればいいのですか?」という問いに「学校現場の工夫しだいです。校長先生の工夫で」と応える。教育委員会は「工夫してやるのが学校の責任」というのである。ところが、どこの学校長も「これは工夫しても無理が出るから、やめておこう」とはいかない。「このことについては教育委員会に苦情を言ってもらわないと私たちだけではなんともならない」と多くの校長たちは言う。校長たちは、この持ち時間数増加で、当然労働強化になって、トラブルが増え、職場の教員たちの不満が充満してくることを知っている。おそらく、校長自身も「これはマズイ」と思っているのだろう。しかし、それを、中止し、教育委員会に「無理ですからやれません。教員を増員してくれるまではできません」とは決して言わないのである。校長は教育委員会に判断と責任を委譲し、教育委員会は校長に判断と責任を委譲する。移譲される判断と責任は、結果的に判断の停止と責任の空洞化をもたらす。権力の共犯とも言える。
     ここ五年間ほど、各地の教職員組合が文科省や教育委員会から「正常化」という名の「攻撃」を受けている。それは「教育委員会と組合の協定文書破棄」という共通したものになっている。
     愛知県の小中学校は日教組組織率95%以上である。私の職場は、日教組組合員以外は、私と非常勤講師、教頭と校長のみである。私は県内の友人と数十人で現場主義の組合を一四年前に結成し、日教組を脱退した。愛知は組合と教育委員会の間にもめごとは一切ない。組合の幹部人事と教頭・校長・教育委員会の人事は、暗黙の了解事項があるのか、パラレルになっており、組合幹部はいわゆる「出世」が例外なく早い。これは、教育委員会に組合が勢力を伸ばしているというのでは全くない。その逆である。教育委員会が組合を「きちんと統制下においている」と言った方がいい。組合の幹部は例外なく校長になっているし、しかも、「有力校長」になれる。つまり、組合対教育委員会という対抗図式は愛知では存在しない。(私の加入しているような、小さな組合は愛知にも、全国にもいくつかある。その組合は「対立」しているのだが……)
     したがって職場では、組合が校長に交渉をすることもないし、いわゆる「わきあいあい」である。逆に、組合執行部に「政治的な課題」を要求する組合員は、嫌がられ、時には校長から注意を受けることさえある。
     こうした愛知的な現象が全国的に広がってきているようだが、問題なのは職場での緊張関係が喪失されているということである。前述した判断と責任の移譲も、こうした緊張した職場関係がないというところに原因の一つがある。弛緩した人間関係が続くと、自分の存在感を喪失し、学校を取り巻く社会的圧力への危機意識も持たなくなる。そして、希望も持てなくなり、もっと問題なのは、やがて不信感が充満するのである。「相互に自立したコミュニケーション・メディアはただ単に『何とかうまくいくだろう』といった素朴な希望に依拠しているのではなく、他者との体験と行為の選択的活動を加工することが各メディアに特有の信頼のもとで行なわれることを前提にしている。」(8)学校の職場組織の関係はメディアとは異なるが、しかし、公教育という制度自体は、ある意味で「国民」へのプロパガンダ・メディアの役割を持っている。そこでは信頼されるべき他者の存在が希薄になり、その場で形成された惰性的な労働は教育の対象となる子どもたちへの働きかけに影響する。すなわち、そこには専門職性や高度な指導力などでは回復不可能な不信感が蔓延してくるのだ。
     共通した敵や目標をみつけ、それにむかって協力し、立ち向かおうということを、文科省や教育委員会など行政当局と、各学校の校長や職員の間に呼びかけたとしても、「他者との体験と行為の選択的活動を加工」自体がないのだから、そこに生起するのは、「対外排撃内部緊密」などではなく、「対外排撃内部不信」しかない。私たちは「不審船」を攻撃するまえに、私たちこそが「不審船乗務員」であることを思い知るべきだ。

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  5. 教育における自由裁量の限界:開かれた学校の不安

     情報公開が民主主義を活性化させたというのは正しい。一九七六年のロッキード事件の時に「国民の知る権利」という概念は揺るぎないものとなった。その後、様々な行政の改革が行われたが、数少ない実効性のあった改革の一つに「情報公開制度」がある。
     学校では、内申書から職員会の議事録まで、様々な文書、およびそれに類するモノが情報公開の対象になった。最近では、愛知県内の校長会が、会員である有力校長の「公費である旅費の二重取り」を黙認しており、その当該者の氏名公開が是か非かで裁判にもなった。
     学校では、いつ何時市民から情報の公開が請求されるか分からないというとことろから、文書の取り扱いについては慎重を期するようになった。情報公開制度がまだできあがったばかりの頃は、「職員会の議事録も表と裏の二つ作るか?」などという不埒な苦笑すべき議論がされていた職場もあると聞く。しかし、さまざまな文書が情報公開請求されるにしたがって、学校は公開できない文書は作成しないことになった。地域の学校よりは、教育委員会や本庁の事務室の中にこそ「公開に値する」文書があるような気がするが。
     情報公開制度においてはその効果の大きさと同時に、文書化されないプラティックな学校の活動の非公開を必然化する。ふかく埋め込まれた学校の教員の動きは、ますます複雑になり、熱をもたないマグマのようにどす黒く蓄積される。
     現在、「市民の目」という言葉が、管理職や教育委員会、文科省からよく聞かれるようになった。「市民の厳しい目で学校をみることが、強いては学校を活性化させる」ということのはずだった。ところが、逆にこのまなざしは「権力」にもなり、事なかれ的な自主規制を積み重ねることになってきている。
     一番、端的に言えるのが、子どもに対する叱責など指導への自信の喪失と問題を回避しようとする態度である。効果が疑われるような暴力的な指導はともかく、「厳しく叱ると親がうるさい」ということから、子どもを叱る場面でも、見て見ぬ振りを決め込む教員もいる。授業参観に、あまりにうるさいので、叱らない教員の代わりに、見に来た保護者が叱ったと言う話がある。これには、オチもあって、その教員が「どうもありがとうございます」と、その保護者に、お礼を言ったという話だ。
     確かに、叱り方は難しく、叱られた経験のない子どもたちが増えている実態の中で、保護者の顔色を予想しながらの「叱る技術」は高度化(?)している。小学校では叱った後に保護者から苦情がくることが珍しくない。
     地域の保護者や住人が、「先生を監視している」というのは言い過ぎであろうが、いままでの甘えに乗った惰性的な行動が、不況期の中で市民的な関心を呼び、「税金の無駄遣い」という批判の対象を受けるのは成り行きと言えば成り行きではある。しかし、同時に、果たしてその「市民の批判」が正鵠を射たものであるかが問題なのであって、匿名的市民が学校を追求するときに持ち出す「世間の常識」なるものも、相当に曖昧であったり、悪意がつきまとっていないと言い切ることもできないだろう
     「社会の人びとの気持ちや考えが--少なくとも、彼らの話題や行動が--一定方向にむかっているときにそれを合わない意見を述べたり行動することは、法的制裁は加えられなくても、大部分の人にとっては不快な村八分を意味する。(中略)あなたは、誰の目もまともに見る。目は節穴かもしれないが、少しのかげりもない。あなたは社会で尊敬されている。なぜだろう。あなたの態度が、社会の態度と同じだからである。しかし、社会の態度は尊敬に値するものなのか。それはここでは問題ではない。」(9)ここに述べられている「社会の態度」は、言い換えれば不況下における公務員=教員の身の処し方への「世間の目」なのである。社会の態度への異議申し立ては、孤立感をもたらす。しかも、「子どものためを思ってやっているのに」という錯誤もあるから、よけいにむなしさが募る。
     こうした「世間の目からの逃避」は、結局、職員内部にストレスを生み出し、 保護者との間や職員間に、疑心暗鬼を生む。
     保護者や地域の住民に「先生は(ラクで、職も安定していて、夏休みもあるし)いいわね」といわれるとき、教員は恐怖と後ろめたさを感じるのはなぜだろう。それは、自分を「特別な存在」と考えているからだ。「専門的な力量」を持ち、一般市民の子どもたちを教える階層的にも上質な存在であらねばならないと思いこんでいるフシがある。一方、マスコミが「教員の破廉恥行為」などと報道記事を出すたびに、それをおもしろがっている世間も、実は「先生は立派な人」と考え、是認し、受容しているのである。「先生がそんなことをするのか?」というのは、教員への期待の裏返しである。しかし、まったく同時に、その反面、いまや、「教員だからそういうことになるのだ」ということも思っているのだ。
     子どもが、「自分はよい子でありつつづけなくてはならない」という精神的抑圧を受けて病むように、教員も「良き教員でありつづけるべきである」という抑圧を社会的な規範のなかで受けている。教員がまずもって市井の民であり、ありもしない「前提としての尊敬や品格」を拒否したところから、保護者や地域住民と並ぶことが必要不可欠なことなのではないか。
     学校が開かれても、その実態を一般の市民が知ることは難しい。一方で自分自身が解体されるような気分を持つ教員もいるだろう。しかし、そこで明確な学校の課題(指導の困難さや仕事量の多さなど)を学校の外へ押し出すことによって、学校の公共性を市民の公共圏へと定着させることができるのではないかと思う。市民一般はすでに「善」ではありえない。市民の権力からの逃走は、ますます、教員を疲弊させていく。教員の仕事と生活の仕方、教員労働の質と倫理、それ自体を新しいものに作り替える必要がある。教育的な活動は労働なのである。その労働には「特徴」はあるが、「特殊性」はない。「専門性」も他の労働、職種と同じように、それなりにあるのは当然だ。また、教員が行う教育的行為は、一方で人間関係という権力関係の中で動いている、文化的再生産、象徴的な暴力であるということであり、また、公的、政治的には裁量の行使でもある。
     しかも、教育活動それ自体が、羈束(きそく)裁量(法律に規定されており、行政が変更できる余地のない裁量)的というよりは、自由裁量的な部分が大きい。したがって、自由裁量の限界・限定を問うような作業が不可欠となる。同様に、それは、行政法上の観点からいうなら、教員の活動は、完全な自由裁量的な行為ではない。そこには「公益」に服するという観点からの義務が生じてくる。ゆえに、一人一人の教員独自の思想や判断は検証されながら、教育的な活動が為されることに結果する。裁量の検証が教員の仕事には不可欠になる。したがって、保護者との問題を避けることは、検証をしないということであり、それを保障しない学校制度や管理職の指導は不充分なものであると言わざるを得ない。
     行政当局が、いたずらに教員を処分していくときに、そのほとんどが法理を無視した政治的な「自由裁量」に基づいており、裁量権の濫用の疑いがもたれている。「裁量限界の法理は、従って、行政権に裁量を与えるに当たり当然に認められなければならず、この法理の適用によってはじめて行政権の濫用が実質上阻止されるのである。現代の国家機能の拡大に伴って、裁量領域が増大する傾向にあるが、そこに生じる行政権の濫用の可能性から個人の権利自由を実質的に保護するために、裁量限界の法理の発展とその精密化が、一層要請されているといえるであろう」(10)というように、教育的行為が公共性を持つ以上、十分な裁量権の検証と羈束裁量の位置づけが必要なのである。

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    おわりに

     子どもはどこで教育されているのか?「さまざまな仕事が隣接し、触れあい、関係を持つこと。これらが全体として教育を形づくり、知らぬ間に全産業人口に浸透し、また、学校教育とは別個に、パリの児童にも影響をもたらしている。……児童にとって残念なことには、その両親は、自分の時間をすべて仕事に費やさねばならないために、この道徳教育にはほとんどかかわっていられない。」(11)という一八四七年のパリの状況である。この道徳教育というのは、現代のイメージとは随分違う。けんか、ぬすみ、泥酔ということを「しない」という、つつましい教育である。この「感じ」が共有できる時代が迫ってきている。
     不況下の中での教育改革は、すべてが大きく揺れ、文化資本の格差はますます増大する。すでに、私学や塾を通しての子どもへの投資も簡単ではなくなってきた。いい材料はなにもない時代であるが、金と文化の貧困がルサンチマンを生み、それをファシズムが吸収していくような時代にはしたくない。学校教育の役割は大きいと言われつつも、常に政治や経済に振り回されてきた。振り回されているその糸の中心をこちらへ引き戻す時が今やってきているようだ。(12)
     教育活動の可能性や、教員として、希望の見える仕事の仕方については、また別の機会に述べたいが、とりあえず学校五日制で教員は本当に週に二日も休めるのだろうか?という不安があることだけは蛇足ながら付け加えたい。現場という私は、はじめから失敗することが分かっているような教育改革を欲望しない。

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    岡崎原稿註(番号をクリックすると元に戻ります)
    (1) 岡崎・影山編『草の根教育運動のために』国土社一九八三年。
    (2) ミシェル・フーコー『思考集成8:政治、友愛』筑摩書房二〇〇一年、三九六頁。
    (3) 「権力関係」というと、すぐに悪しきものという見方をする人々がいるが、あらゆる場で権力関係は形成されていることを認識すべきだ。
    (4) ミヒャエル・エンデ『自由の牢獄』岩波書店一九九四年、一九四頁。
    (5) 岡崎勝『身体教育の親和と構造』れんが書房新社一九八七年
    (6) 島喜八編『教師のための集団行動』学研一九八五年、二頁、文部省編『体育における集団行動の手引(改訂版)』一九九三年
    (7) スラヴォイ・ジジェク『幻想の感染』青土社一九九九年、二〇四頁。
    (8) ニクラス・ルーマン『信頼:社会的な複雑性の縮減メカニズム』一九九〇年、一〇四頁。
    (9) M・マイヤー『彼らは自由だと思っていた:元ナチ党員十人の思想と行動』未来社一九八三年、六六頁。
    (10)田村悦一『自由裁量とその限界』有斐閣一九六七年、一七九頁。
    (11)河野健二編『資料;フランス初期社会主義、二月革命とその思想』平凡社一九七九年、一三頁。
    (12)岡崎勝編集『おそい、はやい、ひくい、たかい』一三号「教育改革特集」ジャパンマシニスト社、二〇〇一年一一月では、教育改革の問題点を多くの現場教員や保護者で明らかにしている。

    ・ 岡崎勝『学校が変わるのウソ、ホント』風媒社2001年
    ・ 岡崎勝「新学習指導要領と『自由幻想』による学校支配」『飛礫(つぶて)』つぶて書房、一九九九年二三号・二四号所収

    (名古屋市小学校教員)


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