きょういく大研究(2002.3.15)

学校五日制の働き方と過ごし方

 週休二日制にボクは大賛成だが、学校五日制は大変だなと 思っている。この点には、ちょっと過激にも、学校は七日開放しておいてもいいのじゃないか?と思う面もある。
 学童保育所はとてもありがたい。自分の子どもを通わせた経験からいうと、学童保育所のおかげで、放課後の子どもは充実した。むろん、色々な学童があるので、一律に善し悪しは言えないが、いまだに、学童時代の仲間と会って、焼き肉などをやっている高校生の子どもを見ていると、うらやましくもあるし、学童保育所で、ほんとうによかったなあと思う。
 週休二日制と学校五日制は性質が違う。その端的な例が、四月からの労働強化である。どこの教育委員会も、「土曜日が休みになるのだから、土曜日に授業をやってた分を、平日にもやるんだよ!」と言っている。で、その授業は、少人数学級でなく、少人数授業で使うわけだ。
 土曜日が休みになるんだから、その土曜日の仕事がなくなると思っていたら、えらい間違いだった。いや、間違いじゃないはずなんで、教育委員会が間違っている。土曜日にやっていた仕事を平日に割り振って、平日を労働強化するというわけである。とんでもない話になっている。
 こんなことをやれば、確実に、仕事の質は低下し、教員は疲労困憊し、結局、子どもにもメリットはなくなる。
 わかりやすくいうと、一週間あたりの、教員一人当たりの 「持ち時間数」が学校五日制になっても、変化しないということだ。たとえば、ボクは学級三一時間のうち、二八時間授業をしている。残りの三時間は専科の人に音楽などを頼んでいる。その三時間には授業の準備から、成績の処理から、校務分掌の仕事、授業計画の検討、プリントの印刷など忙しい。
 ところが、二〇〇二年四月からの学校五日制になっても、その持ち時間数は変化しないということだ。普通なら、土曜日が休みになるので、二〜三時間減少して、五日間で受け持つ授業が二五時間くらいになるはずだ。
 しかし、教委は、減らさないで、土曜日の分を平日にやりなさいという。結局、空き時間がなくなり、六時間授業をぶっつづけでやることになり、労働密度が非常に濃いものになる。休憩や休息は取る時間がなくなる。(まあ今まででも、取れていないので問題はもっと大きいが)
 こうなると、まじめに働きたくても、究極の選択「適当にサボるか、まじめにやって過労死か」のファイナルアンサ−に限りなく近づく。別に、教員は天使でも神様でもない、生身の人間なんだから、当然のことに、疲れれば、そして、休む間もなければ、子どもに辛くあたらないまでも、サービスの低下は免れない。職場も最低の仕事しかしなくなるから、雰囲気は悪くなるだろう。そういう傾向は、公務員だろうが、聖職者もどきであろうが、子ども好きであろうが、まったぁーく、関係な い、絶対ない。
 ときどき、世間の人が、ご批判くださるが、私がいつも、その人たちにお願いするのは、「きびしい労働条件でもしっかり仕事をして、健康で、和気あいあいとしてる、そんな職場があるのなら紹介して欲しい!」と。
 はっきり、きっぱり言わせてもらえば、学校の教員は、おしなべて、これだけうっとおしい世間の中で、手のかかる子どもたちの世話をよくやっている方だと思う。
 子どもたちを預かるだけで精一杯のケチケチ予算の中で、「低学力をなんとかしろ」って言われてもなああああああ。

(2002−3−15)


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