きょういく大研究(2002.12.9)

帰ってきた わし教員だわ!(月刊「家族」誌)

第11回 少人数指導:習熟度別クラスはイカンぞ!

 なんでもそうだけどよ、文科省や教育委員会のいうことは、まず「ほんときゃーな あ?」と疑ってかからないかん。いっくら、文科省が変わったと言ったって、そうは、 簡単に庶民の味方にはなってくれん。
 「少人数」と聞けば、なんでも良い方向に向いとると思ったら大間違いだわ。これ はよう、どえれりゃー秘密が隠され取るんだわ。
 まずよ、「少人数」がついても、あとに、「指導」とつくのは、TT(二人で学級 を指導する)のように、学級全体を少人数にするんではない。随時、必要に応じた時 と場所で少人数になるんだわ。できる子・でっきん子別(習熟度別ともいう)のクラ スも、少人数指導のうちに入る。
 こうした、少人数指導はそれなりに特徴はあるけどよ、いまおる人数のままで、教 員をもっと「こき使って」、空き時間なんかを無しにして、フル稼働させようという、 一日に二十人も接待するような、ホストやホステスなみになったちゅうことだ。これ なら、教員を増やさんでいいし、人件費も安くつく。結構、意地汚いやりかただ。
 わしも、今年は、一年生を四時間で帰した日には、その後に、五年生の授業へ出か けとるがね。ほんだで、みんな、学級の授業の準備や事務仕事をやる時間が少なくなっ て、持ち帰りや居残りのサービス残業やっとるわさ。
 こういうやり方は、効果も実際にたいしたことはない。特に、習熟度別クラスに分 けるのなんかは、教育的?には、意味がないがね。
 「でっきん子を集めて、時間かけて、しっかり教えるんです」というと、カッコえ えけど、実際は、「でっきん子」がたくさん集まってきたら、指導も大変で、ヒーヒー 言いながらやるわな。そんでも、「でっきん子」が頑張って、できるようになった頃 は、できる子ちゃんクラスの子は、そのまた次へどんちゃか進んでおる。
 こうなると、格差をつけるために、習熟度別クラスを作っとるようなもんだわな。 「できる奴はどんどん行け行け!「でっきん子はどんどん、おいつけなくなるぞお」 と確認しておるようなもんだわ。
 少人数指導は、少人数学級に比べると格段に効果が薄いし、かえって差別的に働く。 「でっきん子」をできる子が待っておってくれるならええよ!?違うでしょお。「でっ きん子」を放っておくのは、ちょっと世間体が悪いので、一応、「それなりの世話を するでね」という免罪符づくりになってまうといかん。
 できる子も「でっきん子」も一緒のクラスがええ。できる子が「でっきん子」の世 話をしたり、「でっきん子」が頑張るのを、見たり、ときには、「つきあっちゃおれ ん」と適当にサボったりしながら生活をおくるのがええんとちがうだろうか。
 いろんな個性や勉強の得意不得意の子が、一生懸命頑張ったり、ときには、手を抜 いたりしながら、学校生活をおくる方が、将来、社会へ出てからもええんじゃないか と思っとる。
 できる子が、友だちの「でっきん子」のやるのを、ちゃんと待ったげるのも、人生 勉強なんだし、すごく思いやりのあるいい子になるチャンスななんだわ、本当言うと。
 これは、障害を持った子を集めてクラスを作るよりは、普通学級で一緒に過ごす方 がその子にとっても、また、他の子にとってもええ面があるということと同じなんだ わ。
 結局よ、従来の教育のシステムは効率を追求すると、よう似た子を集めて授業やれ ば、エネルギーも小さくてええがや!っちゅうことだ。でもよ、それは、本当はまち がっとる。人間は、どこまでいっても「いろいろ」だわさ。
 子どもたちはいろんな子がおるもんで、生活がおもしれえ。みんな均質なクローン 子どもばっかりだとおもしろないがね。
 以前、均質的生徒集合の有名中学で授業やったことがあるけどよ、本当につまらん かった。質問が出んのだわ。みんな、優等生で、わかっとるでね。ところが、根本的 で、できる子ちゃんでは絶対に出んような質問がひょこっと出たりしてもその重要さ が分からんらしい。ほんだで、「変な質問するなあ」って笑っとる。
 結局、できる子ちゃんの似たような者が集まって、相談したって、現実生活のいろ いろな状況を考えていないからロクなことを考えん。
 たとえば、「桃太郎はどうしてモモから生まれたのか?」という質問をした子がおっ た。これには優等生は笑うがね。でもよ、モモから生まれるっちゅうことが、実は、 母親の子宮の象徴だったり、おばあさんという、子どもを生む可能性のない年齢の女 性に子宮を与えたという「寓話」であったり、ということになると、俄然、奥の深い 話になる。そうすれば、いわゆる学校成績とは関係ないが、文化の学習ができるわけ だ。
 同じような人間が集まって、価値観の揺らぎのない安全地帯でコセコセと学習する 限り、人間だれしもがもっている、おもしろさはちっとも芽を出さんわな。
 その証拠に、文科省や教委の「連中」の顔と言っとることをみりゃー分かるわな、 だれでもよ。
(2002.12.9)


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