きょういく大研究(2003.1.14)

来年度割り振り変更改悪の問題点

  1.  今までにどんな問題があったのか?
    (1)今年度までにどんな問題があって、改悪するのか?
     「休息」時間を勤務時間の最初と最後に割り振る(位置づける)今までのやり方に対し、「違法ではない。適切に割り振っていた」と市教委は、昨年一二月一七日のASCUとの交渉で回答・断言した。
     じゃあ、どうして来年度、それを変えるのか?その理由、説明は絶対に必要だ。
    (2)いままでの割り振りにどんな問題があったか知らないが、もしあるとしたら、今度の割り振りは問題がないのか?条例を無視して「休憩を勤務時間の最後の方に割り振る」のは、大いに問題がある。こっちの問題は、いいのか?
     また、おそらく取れない「休息」も、午前中の途中に配置してある。これも、配置はいいにしても、実質取れない場合はどうするのか?
    (3)「市民の眼がきびしい」という。しかし、どうきびしいのか?その説明が絶対に必要だ。これは、ほとんど説明できていない。逆に、きちんと市民に説明する必要がある。今まで、説明できないような、勤務時間の割り振りをしていたのか?市民に説明すべきは「劣悪な長時間連続労働を教員はさせられてい る」ということだ。

  2.  今回の割り振りで更に出てくる問題

     今回のような改悪をする場合、いままであまり問題にしてこなかったことも、問題にせざるを得ない。なぜなら、それは、働くものとしての、生活権と生存権に関わってくるからだ。
     奴隷労働をせよというのなら兎も角、普通の勤労者としてあろうとするなら、また、子どもたちにきちんと教育をしたいと思うなら、きっちりすべきことは、きっちりすべきだ。
    (1)まず、いままで適当になっていた「勤務の開始と終了の場所」はどこであるか?
     勤務時間の開始は、出勤簿に押印した時点とするのか?そうならば、その時点までは、勤務時間に相当しないので、一切の仕事はしないがそれでいいのか?子どもたちの登校時間はどうするのか?職員打ち合わせや押印の時間をもって勤務開始とするなら(八時一五分にするならば)、それまでは、一切の仕事が発生しないように、管理者は責任をもって整備しなくてはならない。
    (2)休息がきちっと取れるような計画と条件整備をしなくてはならない。制度としての休息は、職務専念義務を免除する時間帯であるから、当然、その場所を保障しなくてはならない。

  3.  教特法二〇条二項研修通知の論理矛盾

     市教委が県教委の通知を受け、いわゆる教特法二〇条二項の「授業に支障がない」時に、勤務場所をはなれて研修ができる件について、来年度からは、・長期休業中しか認めない。・半日と一日単位しか認めないと言い出した。
     ボクたちの昨年の交渉でも、このことが問題になり、委員会の論理が破錠していることがよく分かった。
     ボクが、どうして一日とか半日とかという単位になるのか?と市教委に聞くとこんな回答をした。
    1. 愛知県からの通知を受けた。
    2. 単位は、一日・半日の方が研修の実が上がる。

    みんな大笑いして、追及した。こんなものは、論理でもなんでもない。「私ら教委は無能ですからすみません」というよりヒドイ。
     まず1.、いくら、県から受けたとはいえ、市として通知を出す以上は、きちんとその経緯や変更理由、法的理解ができなくてはならない。ところが、彼等はそれを聞いても「わからな い」としか答えない。2.も、その根拠は「わからない」という。ボクの組合の委員長が、「子どもたちに、一日や半日の勉強は効果が上がるが、三時間や、七時間は効果がないって言うのと同じことなんだぞ!」と言うと、「……」。
     これは、実際には、現場で研修を取らせないという方向になる。しかし、法的には、校長の裁量権である。だから、この問題1.2.については、校長が答える用意をしておかなくてはならない。

  4.  教職員が自律・自立しないと学校がダメになる

     市教委と半年に一度交渉をするが、そのほとんどは「回答できない」ということになっている。ボクはお互いが「切瑳琢 磨」できればいいと思い、自分たちの知らないことで、しっかりとした論理があれば、それを聞く耳は持っている。これは事実だ。ところが、かれら市教委は、そこが無知としかいいようがない。
     だが、その責任は私たち現場にいる教職員自身にも大いにあるのではないか?なぜならかれらが校長で現場にきても、みんなはかれらに対して批判や意見をほとんど言わない。うるさい教員の居る学校へは赴任しない。
     「そんなことどうでもいい」と言う友人がいたが、最近は、そういう人にボクの仕事を差し上げたい。でも、そういう人に限って、けっこうセコイんだな。……これ感想ですが。
     ボクらは、教師である前に、人間である。
    (2003.1.14)


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