がっこうと街の事情 (1)(2006.1.20)

親の非常識について

 さて、謹賀新年。ことしもアスクをどうぞよろしく。新シリーズ「がっこうと街の事情」がはじまります。で、編集部の名誉(笑い)のために言っておきますが、この連載は、勝手に岡崎がはじめたものです。もともとは、十年以上前に、執筆予定者の都合によって、白くなるの防ぐために、穴埋め原稿としてはじめた私の原稿が、読者の強い要望によって(ウソです)、連載になってしまったのです。
 ですから、読者の非難があれば、即やめてしまえるので、どうぞお声をお聞かせ下さい。
 さて、今回から、がっこうとそこにかかわる街の人びとをネタに、楽しく書いていきたいと思います。どうか、よろしく。

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 先日、ある男性三〇歳代中学校教員から、困った親について、どうしたらよかんべか?との相談があった。私は、聞くだけでなんにも良い知恵が浮かばないが、それでもいいというので、しばしつき合った。
 その親は、母親は若干精神的に病んでいるように受け止められる。たとえば、連絡帳は緑色のマジックで殴り書き、担任の書いた内容や質問には答えず、自分の正しさを、支離滅裂に書きつのり、最後は担任の攻撃に終始しているような中身である。担任も、最初は一体全体、何がなんだか分からなかったが、とにかく会話が通じないことだけ分かる。同じクラスの親たちとも、まったくコミュニケーションが取れてないと思われる。クラス内では、子どもが、非常に気が短く自己中なので、他の生徒とトラブルが絶えない。
 父親は、大企業の高学歴エリート課長。ただし、子どものことでは心配しているようだが、だからといって保護者としての責任はあまり果たそうとしない。しかも、母親がパニくるといけないということだけを、まず第一に考えているようだ。だから、学校の担任が子どもの学校での問題についても、母親の味方になって抗弁する。もちろん、内容が問題ではない。母親に反対して、家に帰れば、大きな嵐がやってくるからだ。それを気にしている。
 こういう時には、本当に学校としては打つ手がない。たとえ子どもがやんちゃでも、それはなんとかなる、仕事だし。それに、親がそれを理解していれば、協動して子育てができる。悪さをすれば、相手の親に、とりあえずあやまることができるならまずいい。
 ところが、親が病んでいると、学校の提案が、「余計なお世話」と思われ、ほとんど裏目に出る。
 たとえば、母親にだれか友達か信頼できる隣人でもいれば、相談や病院へ行ってみたらどうかと、勧めることもできよう。だが、そういう親に限って、友達がいないのだ。
 学校の教員が、親のカウンセリングや、精神的支えになることは無理だ。子どもを学校に預かって、無事に帰すことだけで精一杯である。結局は、管理職!なんとかせい!ということになる。
 学校に物申すような保護者は、ある程度自立して主張のできる、あるいは意志の強い親が、多いと思っていたが、最近は、そうでもないようだ。未成熟で精神的に疲れた親が、出口なしの病的なストレスを、学校にぶつけてくるようになっている場合もある。

(2006.1.20)


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