がっこうと街の事情 (2)(2006.2.1)

学校の安全への貢献

 学校が、どの程度安全への配慮義務があるのか? 最近、無制限に学校へ期待されているような気がする。つまり、極端にいうと、誤解を恐れずに言うと、
「親や地域は、自分たちの地域=学区(広くは日本)の、安全レベルが落ちた、落としたことを、なんでもかんでも、学校に補完させようとしているのではないか?」と思える。学校もそれにきちんと反論できないようだ。 例えば、下校時の子どもの引率についてであるが、最近、学校は子どもの下校に責任を取るべきだと、「一斉下校」「自宅まで(あるいはその近辺まで)の引率」をしようと言い出したり、親にせがまれてやろうと言い出している。また、それが美談で語られていたりする。これなどは、ボクの考えでは、言語道断である。
 通学路を安全にしておけば、こんなことをやる必要はない。通学路を安全にするのはだれの仕事なのだ? 当然のこと、警察の仕事である。しかし、親や校長が、警察に依頼もしない。さらに、もっというなら、そんな危険な(ボクはそれほど危険なところはないと思う)場所なら、どうしてそんな危険になっちまったのか?
 犯罪者が増えたのか?(実際には断定なんぞできないだろうが)もっと、根本的にというか、当たり前に考えたらどうか? 社会が不安になったのは、みんな高度経済成長で、なりふり構わず、金儲けしたり、自己中に なったからでしょ? 短絡的(笑い)!
 つまり、単純に言えば、住みにくい世の中にしたのは、自分たち(もちろんボクも)にも責任があるのだ……などと言うと、
「すぐに、社会が悪い!と言って、自分の責任を棚に上げるやからが増えた!」……と言われそうだが、ホントなんだからしょうがない。でも、「社会が悪い」ってのは、真剣に考えれば、「自分も悪い」ってことになるのだから、けっこう謙虚な発言なのだ。
 大体、学校が治安維持の仕事をなんでやるのか? これがおかしいと思わないのがおかし。だって、ケーキ屋さんにうどんを注文するようなものだ。
 無国籍料理レストランだって、コンビニ だって、量販店だって、赤ちゃんは売っていないぞ! 学校は、子どもが学校に行っている間に、元気に遊ばせたり、機嫌を見て教え込んだり、ヤレヤレと言って、しつけをしたりする所のはずだ。
 子どものガードマンではない。親も、も し、そんなに心配なら、自分でお迎えに来るべきだし、それが大変なら、警察へ連絡し て、「帰り道を安全にして欲しい」というしかない。
 でも、ボクが警察官だったら「ハイ分かりました、でも人件費がまた増えますから、税金もまた増やしますがいいですか? あ、もちろん人件費を押さえることもできます。でもそうなると、別の事件があっても、すぐには行けませんのであしからず……」と言う。
 先日も、ほとんど毎日一斉下校をしている教員の友人と話していたが、「まあ、一斉下校すると、時間がかかるし、子どもを残しての勉強も生活指導もできず、すごい大変。もちろん今でも大変」という。つまり、親が要求先を間違えると、知らない間に「質の低 下」が必然的におきるのだ。これは、必然ですからね、分かって下さいよ。必然です!

(2006.2.1)


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