きょういく大研究 12号(職場用)(2006.2.20)

来年度は、過労、精神疾患のない職場を!勤務条件改善を!

     年度末の「反省会」に参加するにあたり、反省記録に書けなかったこと、書かなかった内容を書く。反省は、次の行動でその結果が分かると子どもには指導しているので、私自身、心して反省会に望むつもりだ。

    要求:教員の数が不足しているので、校長は、市教委へ加配を要求し実現すべきだと考える。

  1. 校務については、その業務時間を保障しなくてはならない。その校務にかかる時間は、個人差はあるもののどの程度でできるのか?、業務時間をある程度考えて命じ依頼しなくてはならない。
  2. 手がかかる子どもへの対応は、教員の質と量の両方でカバーすべきだと思う。

    特に勤務条件に関しては、

  3. 休暇・研修が非常に取りにくい。それは、休めば、だれかに負担が行く、あるいは、手のかかる子供がいれば、よけいに気になる。もちろん、それでも休暇は取らざるを得ないことが多いし、取れるものだ。しかし、管理職は、「休暇が取りやすい職場環境を作る責任と義務」がある。改善を。
  4. 研修もしかり、である。
  5. 事務職員、業務士、給食調理員、教員等々職種間に違いがある。同一労働同一賃金の考え方ならびに法的問題として、教員の研修保障、勤務時間管理は他の職種と同一ではない。
    ★無賃残業、無賃持ち帰り仕事、休日労働など考え合わせて、教員は勤務時間を『適正に管理』すべき。朝の勤務は打ち合わせまでに職員室にいれば良い。帰りは、特に用がないときがあれば、日常の超勤から、早く帰っても構わないと考える。
    ★超勤メモを作製し、超過した時間を記録し、その超過分を他日に振り替える方法もある。タイムカードを導入して欲しいくらいだ。これ以上、バカにされてはならない。
    (勤務場所を離れての業務は法的に認められている)
     具体的な時間外勤務をどうすることもできない以上、右の方法で、多少なりともケアする必要があると考える。

  6. 教員評価制度の評価については、評価者が被評価者に恣意的、独善的に評価を為さぬような具体的手だてが必要である。この施策は、形式的になることは必至である。校長や教育委員会主事らの評価を現場教員にもさせる手だても必要だ。

    ****ちょっとブレイク******

    私自身は、教員評価制度は、まったく必要ないと思う。百害あって一利無し。世間の会社での成果主義・業績主義を見よ!労働者のリストラのためだけに役立っている。
     どんな労働者でも、お互いが職場で助け合う、補いあいならがら仕事をするべきだ。たとえ、能力がないと揶揄されても、(自分もいつラベルを貼られるかドキドキ。すでに……)どんな状況でも、労働者同士で労働者を切り捨てあう手助けをするのは、許せない。相互批判をしながら、仕事を続けるべきだ。

     次に、保護者、配慮が必要な子ども達について。

  1. 基本原則として「義務教育学校では、どんな子も、基本的人権を守り、学習権を保障する責任が『学校』にある。」これを、少しでも踏み誤れば、社会的に批判されてもやむを得ない。通常学級か、障害児学級か、養護学校か、子どもにとって何が良いことかは絶対に、他者が決められないと思う。教員はもちろん、親でさえも無理だと思っている。
  2. 保護者へは、「学校は、集団での教育によって成長を促す所だ」ということを理解してもらう以外無い。つまり、個人的なケアと集団的なケアはバランス感覚なのだと。事例をあげて、具体的に親に説明する。→教員が意識してやるべき。
     保護者の義務と責任の範囲、学校の保護監督責任とその限界を知らせる(考え合う)必要がある。
     公共性は、個人一人一人が幸せになるために必要。みんなが加害者にならないための工夫を教室で考える。そのために、どうやって迷惑をかけ合うかを学習するのではないか
  3. 「一人個人のためにみんなが『迷惑』をかける」からといって、その『迷惑』な個人を排除することは、義務教育学校では禁止されている。感情的には色々ある。
     しかし、では、どうすればいいのか?
     具体的に考える、よりましにはどうするか考え実行する。指導主事や管理主事、PTAに呼びかけ、話し合う場を設ける。責任を分け合う。今の現実をどうするか? 「一人で悩まない」とはどういうことか?

     匿名では、役に立たないことがある。保護者の気持ちを理解したり、対応策を考える研修が私達には必要だろう。
    (2006.2.20)


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