今回の、「休息制度廃止」批判は、シリーズになりそうだから、ちゃんと読む人、読める人は、保存して、しっかり読んでほしい。こんなおもしろい、わかり易い資料はないのだから。
ま、この「きょういく大研究」、長きに渡り書き続けてきたが、もうそろそろ勘弁してよ!の気持ちも少しはある。「勝手に書いているんでしょう……」と言われてしまえばそれまでだが、この資料を作ることは=職場の勤務条件の改善を、働く者の立場に立って主張することなんだぞっ!と言いたいわけだ。だから、勤務条件が良くなれば、こんな資料は作らなくて済むんだけれど……。
もちろん、他人のために書いているわけではないから、読んでもらえればラッキーだし、もちろん、読んでもらわなくても別にかまわない。ただ、多くの教委の諸君、管理職や校長には読んでもらわないと困る。無理矢理でも読ませたい。
それは、もう、何といったって、言いたいことはきちんというべきだし、「地方公務員法第五五条の第一一項」では、「勤務条件などに関する不満の表明および意見の申し出の自由を否定してはならない」と保障されているからだ。
そして、次から次へと改悪されていく法律や条例を、ツールとして無知に使う不適格文部官僚や教委コッパ役人、そして校長が全国津々浦々に棲息している限り、このバカまじめな「きょういく大研究」資料は、発行し続けなくてはならない。
また、そういう勤務条件の改善など「我関せず」「関係ねーもん」というバカ職員・ヒラ教員に、前から鋭く蹴りを入れるためにもこの資料は重要な意義があるんだぜ!と、自画自賛するのである。
まず、今回のテーマに突入する前の助走として、ボクの尊敬する法学研究者の松岡三郎さんが書いた文章の中で、共感し、すごく好きなところを引用する。
まず休息についての基礎知識。休息と休憩には法律的違いがある。
四五分の休憩は「自由に利用でき、職場で一斉に、勤務時間の途中」に校長が「与えなければならない(義務)」であり、我々ヒラ教員は、「利用する権利」がある(労働基準法三四条)。休憩は勤務時間ではないので、給与は与えられない。(学校労働者ネットワーク・高槻の休憩保障と休憩時間に労働させている実態を糾す裁判に注目したい!)
ただ現在、名古屋の場合、教員は一六時から休憩だ(とりあえず、勤務時間の最後には置いていないのだ。だってそうやると違法だからね。でもそれ以上に取れてない休憩を放置する方がもっと違法だよな)。もともと昼食休みの性格があるので、 こんな遅くに取っても休憩の意味はないが、「しょうがない」と、ボクらが「妥協と我慢」し ているのだ。条例規則でも「一一時から一四時くらいの間に取るべし」とあるが、場合に よっては、変更もありと書いている。それくらい、教員の休憩時間の設定は異常なのだ。
さて、本題の休息は休憩とは全く違う。
一)休息時間は、勤務時間内に置く。四時間ごとに一五分を置く。
二)子どもが何か言ってきた時に対応するのは「手待時間」と言い、休憩でも休息でもないのだ。
れっきとした実働勤務時間となる。休息時間は、職務専念義務免除であって、本来仕事が予 定されていない時間を言う。
*つまり、今までのボクラの休息と称されているものは、「手待時間」の勤務時間であり、本 来の休息ではなかったのだ。
この休息制度廃止をする行為には、校長ら管理者の責任が想起される。それを、いくつかあげる。そして、それをどう解決するのか? 教委、校長、傀儡教職員に問いたい。
この休息制度廃止に、ともなってまたぞろエラソーに、管理強化をしたがる、一団の人々が出没しそうだから……、彼らにぜひ問い質したいことも含めて列記する。
1.総務省通知のもとになっている人事院の休息廃止理由に、少なくとも本学校が該当するのか? 該当しないだろ。理由が当てはまらないのに、適用する矛盾をどう説明するのか?
2.休息制度は公務能率をあげることを目的としている。ならばそれが、なくなると公務能率が低下することも想定内なのだろう。じゃあ、公務能率を維持するためにどうするのか。また、休息廃止によって起きる、教職員の労働強化による健康と福祉の阻害をどのように防ぐか、そのことへの対応策を聞きたい。あるいは、担保を提示していただきたい。
さもなくば、公務能率が落ちてもしょうがないということになる。公務能率、仕事量・質を落とさないためにがんばっちゃって、今以上に過労状態になったとき、責任は誰が取るのか?
3.いままで、教員らの休憩は、勤務の最後の方に置かれてい る。本来、条例通りなら、お昼に設けなければならないのを、あえて特例として最後に持ってきている。それが、許されたのは、休息制度がまがりなりにもタテマエとして存在しており、長時間連続労働ではないという当局の言い訳の理由となっていた。しかし、今回、休息制度がなくなれば、完全な休息なしの長時間連続労働である。原則は六時間労働につき四五分休憩。
これは、マズイでしょ。いっそ、休憩を途中で取れるように制度整備、施設整備をすればよいが、現実的には、休憩室もないし、子どもが学校にいる間は、休憩不可能である。では、どうするのか?対応策を提示していただきたい。
4.政府も人事院も「職員の時間外勤務の縮減」について「改めて努められるよう」と通知している。この問題を、休息制度とからめて、どのように「改めて努め」るのか? それを校長は提示しなければならない。
5.現在、形骸化している「休憩時間」も、今回の総務省通知では、「休憩時間は一時間を基本とするものであること」と述べている。この問題はどうするのか。休憩時間を伸ばすことが、現場では拘束時間が伸びることでしかないという恐れがある。
現実に、まともな休憩時間など誰も取っていない。とりわ け、教員は無賃超過勤務をしている。
休憩時間を割り振るだけが校長の仕事ではない。きちんと休憩時間を利用しているか?それを確認し、管理するのが校長管理者の責務である。
本来なら、休憩時間に仕事をすれば、労働者の命を縮めるということだから、校長は、休憩時間の仕事をやめるように指導するべきだ。当然、居残り残業は法律に則ってやるべきだ。また、総労働時間を見積もって仕事を教職員にさせるべきである。
つまり、こうした基本原則を、だらだらにされているのが、学校労働者とくに、教員である。
労働時間の厳正な管理を、どうも「遅刻早退管理」「届け等管理」「なまけ摘発運動」だと勘違いしている一団がいる。それは、悪徳雇用者・陰湿管理者・軍隊内務班長の思考回路だ。労働者なら、まず、人間として健康に、家庭生活とか人生の幸せをまず優先して、仕事をするなら、支障の出ない程度の時短は当たり前だ!ということにつきる。
人事院もそのために「超過勤務の縮減」を強調している。
少子化が一概に悪いとは思わないが、これだけ長時間労働の格差社会になってきたら、家庭で子どもを育てることがむつかしいのは当たり前だ。子どもを育てようとするなら、労働時間は、短い方が「子育て」には、いいに決まっている。
「労働時間の厳正な管理」を、なんのためにするのか? それは労働基準法第一条第一項に明確に書いてある。
「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。」
憲法のいう生存権の保障である。
けっして、「できるだけ安く働かせて、まあ、死なない程度に仕事させてやろう」ということで、厳正にしようとするのではない。
ボクは教員だから、すくなくとも子どもたちに教えるという仕事だから、とりあえずは、「正しい」と思われることを教えたい。そのために、労働基準法を守り、仕事も大事だが、できるだけ時短にして、豊かな、自由で、やりたいことのできる、そんな生活を子どもにも示したい。
「一生懸命やっているんです」と言ってクタクタになり、みんなの同情をかうより「いつも楽しそうでいいわね」と嫉妬される方がどんなにいいか(笑い)! 長々と休息制度廃止について書いたが、暗黙の強制労働、労働強化には、断固とし、てバーアロー!とケンカしたい。● 完