2007年に大阪朝日新聞掲載の斎藤美奈子さん 佐伯啓思さんとの鼎談が3回にわたって掲載された、その最終回に書いた。

(『大阪朝日新聞』掲載)

お勧め本と鼎談を終えて

「心と戦争」

 高橋さんのこの本を「心のノート」への批判としても読める。しかし、この本は国家と動員と人間の問題を解き明かそうという本だった。そして、「健全」「教育愛」という言葉の空虚さとたくらみを明解にしている。

「義務教育を問いなおす」

 今の教育改革がどのような意味を持ち、現実にはどうなっていくかということが明確に論じられている。競争すれば何とかなるという思考停止の浅薄な考えが子どもたちをバラバラにし義務教育を破壊していると警告している。

「生きる思想」

 学校とは何か、教育とは何か。混乱のこの時代に、もう一度根本的なところから考えるためにイリイチの思想を読み直したい。「学校へ行かなければ学べないのか?」という彼の問いにどう答えればいいのか?考える価値はある。

鼎談を終えて

 私は、情況が複雑になったら、もう一度原則に立ち返れば良いと思っている。鼎談ではなかなか触れられなかったが、教員も子どもの親も「働く者」そして「生活者」としてどうつながっていけるか、それを話したかった。
 教員の忙しさは、働く者としての労働条件を劣悪にしているし、生活者としは精神的な貧しさを増大しているのではなか。自分の子どもとつきあったり、映画を見たり、新聞や本を読む時間もない生活が、職員室でのゆとりのない会話にあらわれている。
 また、現代は子どもへ過剰に投下される「教育エネルギー」によって、かえって、子どもの力を奪っている現実がある。子どもによかれと思いやることが、実は大いなる勘違いであったり、単なる親による、子どもの「私物化」でしかないということは、昨今の競争原理主義の学力論議でよく分かる。
 社会にゆとりがあり、大人が気持ちよく生活できていれば、「子どもは放っておいても育つ」のである。だからこそ、「子どもが苦しく貧しい社会」は、その社会全体が悪くなっていると言って良いだろう。子どもにこれほどお金をかけない「先進国」も珍しい。この国の教育政策は、大いに批判され、改善されるべきだ。
 私自身、教員である前に、生身の人間であり、二人の子の親であり、地域の住人なのである。教員という仕事を、子どもの声の抑揚を聴き、表情を伺いながら、「何が最善か?」と考えることを、毎日淡々とやっていくほかない。


(2007.6.3)


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