上の句クリックすると下の句が見れます
もう一度クリックすると下の句が隠れます
読みの分らない時はここをクリック
わが衣手は 露にぬれつつ
天智天皇
(てんちてんのう)
秋の田の、かった稲穂(いなほ)の番をする仮小屋の、屋根をふいてある苫(とま)の目があらいので、わたしのそでは夜露にぬれてかわくひまもないことである。
衣ほすてふ 天の香具山
持統天皇
(じとうてんのう)
春がすぎて夏が来てしまったらしい。夏が来ると白い着物をほすという天の香具山(かぐやま)に、白い着物がほしてあることよ。
ながながし夜を ひとりかも寝む
柿本人麻呂
(かきのもとのひとまろ)
山鳥のたれさがった尾のように長い長い夜を、ひとりさびしくねることかなあ。
富士の高嶺に 雪は降りつつ
山部赤人
(やまべのあかひと)
田子(たご)の浦(うら)に出てながめてみると、富士山の高い峰(みね)に白い雪がしきりにふっているよ。
声聞くときぞ 秋は悲しき
猿丸大夫
(さるまるだゆう)
奥深い山で、ちりしいたもみじをふみわけて鳴いているしかの、その声を聞くと、秋はしみじみとわびしく感じられるなあ。
白きを見れば 夜ぞふけにける
中納言家持
(ちゅうなごんやかもち)
七夕(たなばた)の夜にかささぎが羽を広げてかけわたした天の川の橋に見立てられる、宮中(きゅうちゅう)の御橋(みはし)におりている露の真っ白いのを見ると、だいぶ夜もふけてしまったのだなあ。
三笠の山に 出でし月かも
阿倍仲麻呂
(あべのなかまろ)
大空はるか遠くをながめると、月がのぼっているが、あれは故郷(こきょう)日本の三笠(みかさ)山に出ていた月なのだろうかなあ。
世をうぢ山と 人のいふなり
喜撰法師
(きせんほうし)
わたしのそまつな家は、しかのすむ、京都の南東の宇治(うじ)山にあって、このように、心のどかに住んでいる。それなのに世の人は、わたしが世間を住みづらく思って宇治(憂(う)し)山に入ったのだといっているそうだ。
わが身世にふる ながめせしまに
小野小町
(おののこまち)
桜の花の色はすっかりあせてしまったことよ。長雨がふっていた間に。わたしの美しかった姿かたちもおとろえてしまった。むなしく世をすごし、もの思いにふけっていた間に。
知るも知らぬも 逢坂の関
蝉丸
(せみまる)
これがまあ、東国へ行く人も京都に帰る人も、知っている人も知らない人も、たとえここで別れてもまた会うという名の逢坂(おうさか)の関所(せきしょ)なのだなあ。
人には告げよ 海人の釣舟
参議篁
(さんぎたかむら)
(流罪(るざい)になったわたしは)大海原(うなばら)の島々をめざしてこぎだしていったと、京都の人に伝えておくれ。漁夫(ぎょふ)のつり舟(に乗っている人)よ。
をとめの姿 しばしとどめむ
僧正遍昭
(そうじょうへんじょう)
空の風よ、雲の中の天女の通う道をふきとざしておくれ。この美しい天女のような舞姫(まいひめ)の姿を、もうしばらくとどめてながめていたいから。
恋ぞつもりて 淵となりぬる
陽成院
(ようぜいいん)
筑波(つくば)山の峰(みね)から流れ落ちる男女(みなの)川が、わずかな水がつもって深いふちとなっていくように、わたしの恋も、ひそやかな思いであったものがつもりつもって、このように深い思いになってしまったよ。
乱れそめにし われならなくに
河原左大臣
(かわらのさだいじん)
陸奥(むつ)の国のしのぶもじずりの乱れもようのように、いったいだれのせいでわたしの心は乱れはじめてしまったのだろうか。それはわたしのせいではない。みんなあなたのせいなのだよ。
わが衣手に 雪は降りつつ
光孝天皇
(こうこうてんのう)
あなたにあげるために、春の野に出て若葉をつむわたしのそでに、しきりに雪がふりかかってくる。
まつとし聞かば 今帰り来む
中納言行平
(ちゅうなごんゆきひら)
ここでお別れして因幡(いなば)の国に行くが、あの因幡の山の峰に生えている松の名のように、あなたがわたしを待っていると聞いたなら、すぐに帰ってこよう。
からくれなゐに 水くくるとは
在原業平朝臣
(ありわらのなりひらあそん)
神代(かみよ)にだって聞いたことがない。竜田(たつた)川の水を真っ赤にくくり染めにするなんて。川一面にもみじが流れているようすは、まったくすばらしい。
夢の通ひ路 人めよくらむ
在原業平朝臣
(ありわらのなりひらあそん)
住(すみ)の江の岸に波のよる、その「よる」ということばではないが、夜の夢の中で恋人のもとに通う道でさえ、わたしはどうして人目をはばかるように行くのだろう。
逢はでこの世を 過ぐしてよとや
伊勢
(いせ)
難波潟(なにわがた)にはえているあしの節の間くらいの短い間でさえも、会うことなしにこの世をすごせとおっしゃるの。
みをつくしても 逢はむとぞ思ふ
元良親王
(もとよししんのう)
つらい思いに苦しんでいるいまは、あの難波(なにわ)にある、舟の水路を示すみおつくしということばのように、この身をつくしはててもお会いしようと思う。
有明の月を 待ち出でつるかな
素性法師
(そせいほうし)
すぐ来るとあなたが言ったばかりに、それを信じて九月の長い夜を待つうちに、とうとう待ちもしない有り明けの月が出てしまった。
むべ山風の 嵐といふらむ
文屋康秀
(ふんやのやすひで)
ふくとすぐに秋の草木(くさき)がしおれるので、なるほどそれで山風をあらし(荒らし)というのだろう。
わが身一つの 秋にはあらねど
大江千里
(おおえのちさと)
月を見ると、ただもうもの悲しくてならない。秋はわたし一人の所にきたわけではないのだが。
紅葉の錦 神のまにまに
菅家(かんげ)
(菅原道真)
今度の旅はあわただしく、幣(ぬさ)をささげることもできない。せめて、錦(にしき)のように美しいこの手向山(てむけやま)のもみじを、幣のかわりに神のみ心のままにお受けください。
人にしられで くるよしもがな
三条右大臣
(さんじょうのうだいじん)
逢坂(おうさか)山が「あう」という名を負っているなら、「さ寝(ね)」ということばにも通じるそのさねかずらをそっとたぐるように、他人に知られないであなたがうまく来る方法があればいいなあ。
今ひとたびの みゆき待たなむ
貞信公
(ていしんこう)
小倉(おぐら)山の峰(みね)の美しいもみじ葉よ、おまえにもし心があるなら、もういちどここに天皇がいらっしゃるまで、散らないで待っていてほしい。
いつ見きとてか 恋しかるらむ
中納言兼輔
(ちゅうなごんかねすけ)
みかの原をわきいでて流れるいづみ川の名のように、あの人をいつ見たというので、こんなに恋しいのだろうか
人目も草も かれぬと思へば
源宗行朝臣
(みなもとのむねゆきあそん)
山里は、冬にひとしおさびしく感じられることだ。人の訪れもたえ、草もかれてしまうと思うと。
置きまどはせる 白菊の花
凡河内躬恒
(おおしこうちのみつね)
あて推量(すいりょう)で折りとるなら折ろうか。初霜がおりたために、霜が菊かわかりにくくなってしまったこの白菊の花を。
あかつきばかり 憂きものはなし
壬生忠岑
(みぶのただみね)
(夜明けの月がそっけなく見えるように、あなたとの冷たく思えた別れのとき以来、夜明けほどつらくいやなものはない。
吉野の里に ふれる白雪
坂上是則
(さかのうえのこれのり)
夜がほのぼのと明けるころ、有り明け(明け方)の月の光かなと思うほど明るく、吉野の里一面にふっている白雪だなあ。
流れもあえぬ 紅葉なりけり
春道列樹
(はるみちのつらき)
山の中の川に風がかけた、水をせきとめるしがらみは、散りたまって流れることもできないでいるもみじだったのだなあ。
しづ心なく 花の散るらむ
紀友則
(きのとものり)
こんなに日の光がのどかな春の日なのに、桜の花はどうしてあんなにあわただしく散るのだろうか。
松も昔の 友ならなくに
藤原興風
(ふじわらのおきかぜ)
友人はみな年をとって死んでしまった。いまはだれを友としようか。あの高砂(たかさご)の老(お)い松(まつ)ぐらいか。あれはむかしからの友達じゃないんだがなあ。
花ぞ昔の 香ににほひける
紀貫之
(きのつらゆき)
あなたのお心は、さあ、どうだか知らないが、むかしなじみのこの里の梅の花だけは、むかしとかわりなくよいかおりで美しくさいているよ。
雲のいづこに 月やどるらむ
清原深養父
(きよはらのふかやぶ)
夏の夜は短く、まだ宵のうちと思っているうちに明けてしまったが、西の山にかくれるひまもない月は、いったい雲のどの辺に宿っているのかなあ。
つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける
文屋朝康
(ふんやのあさやす)
草の葉についた白露に風がしきりにふく秋の野は、糸でつらぬきとおしてない玉が散りこぼれているように見えるよ。
人の命の 惜しくもあるかな
右近
(うこん)
あなたにわすれられるわが身のことは、なんとも思わない。けれどもわたしを忘れないと神にちかったあなたの命が、神罰(しんばつ)でちぢむのではないかと心配だ。
あまりてなどか 人の恋しき
参議等
(さんぎひとし)
ちがやの生えている小野の篠原のしのということばのように、しのんでもしのびきれないほど、どうしてこんなにあなたが恋しいのだろうか。
ものや思ふと 人の問ふまで
平兼盛
(たいらのかねもり)
じっとこらえていたけれど、とうとう顔色にあらわれてしまったなあ、わたしの恋(こい)は。何をもの思いしているのかと人がたずねるほどに。
人知れずこそ 思ひそめしか
壬生忠見
(みぶのただみ)
恋(こい)をしているというわたしのうわさは、早くもたってしまったなあ。人に知れぬようにと、ひそかに思いをよせたのに。
末の松山 波越さじとは
清原元輔
(きよはらのもとすけ)
約束(やくそく)したのだったね、おたがいに涙(なみだ)にぬれるそでをしぼりながら。末の松山を決して波がこえることがないように、二人の愛はかわらないのだと。
昔はものを 思はざりけり
権中納言敦忠
(ごんちゅうなごんあつただ)
会ってちぎりを結んだのちの、はげしく苦しい恋心(こいごころ)にくらべれば、その前は、もの思いをしなかったも同然だなあ。
人をも身をも 恨みざらまし
中納言朝忠
(ちゅうなごんあさただ)
お会いすることがまったくないのなら、かえって、あなたのこともわたし自身をもうらむことがないだろうに。なまじお会いするために、恋(こい)のつらさがうらめしく思われることだ。
身のいたづらに なりぬべきかな
謙徳公
(けんとくこう)
わたしが死んでも、気のどくだといってくれそうな人がいるとはとても思えないから、恋人(こいびと)にすてられたわたしは、このままむなしく死んでしまうことだろうなあ。
行くへも知らぬ 恋の道かな
曽禰好忠
(そねのよしただ)
由良(ゆら)の瀬戸(せと)をこぎわたる船頭が、かじをなくして行方(ゆくえ)も知れずただようように、この先どうなるかわからぬわたしの恋の道だなあ。
人こそ見えぬ 秋は来にけり
恵慶法師
(えぎょうほうし)
雑草(ざっそう)のむぐらが生い茂っているさびしいわたしの住まいに、おとずれる人は見えないが、秋だけはやってきたよ。
くだけてものを 思ふころかな
風がはげしいので、岩に打ち寄せる波が独りくだけて散るように、あの人は冷たくて、わたし独りだけが思いなやんで心をくだくこのごろだなあ。
昼は消えつつ ものをこそ思へ
源重之
(みなもとのしげゆき)
宮中(きゅうちゅう)の門を守る衛士(えじ)のたく火が、夜はもえて昼は消えているように、わたしの恋の炎(ほのお)も、夜になるともえあがり、昼は身も消えいらんばかりに思い悩んでいる。
長くもがなと 思ひけるかな
大中臣能宣朝臣
(おおなかとみのよしのぶあそん)
あなたに会うためにはおしくなかった命でさえも、あなたに会うことができたいまは、長くあってほしいと思うようになったよ。
さしも知らじな 燃ゆる思ひを
藤原実方朝臣
(ふじわらのさねかたあそん)
わたしの恋心(こいごころ)はこのようだということはできないのだから、あの伊吹(いぶき)山のさしもぐさのようにもえる思いを、あなたはご存じないだろうなあ。
なほうらめしき 朝ぼらけかな
藤原道信朝臣
(ふじわらのみちのぶあそん)
夜が明けて別れても、日がくれればまた会えるとはわかっているものの、やはりうらめしい夜明けだなあ。
いかに久しき ものとかは知る
右大将道綱母
(うだいしょうみちつなのはは)
あなたのおいでがなく、悲しんでため息をつきながら、独りで寝る夜の明けるまでの間は、どんなに長いものか、あなたはご存じないであろう。
今日を限りの 命ともがな
儀同三司母
(ぎどうさんしのはは)
忘れないよ、というあなたのお心も、遠い将来までかわらないことはむずかしいので、幸せな今日を限りに死んでしまいたい。
名こそ流れて なほ聞こへけれ
大納言公任
(だいなごんきんとう)
この大覚寺(だいかくじ)の滝の音は、たえてから長い年月がたったが、その名声だけは世に流れ伝わって、いまなおよく知られているなあ。
今ひとたびの 逢ふこともがな
和泉式部
(いずみしきぶ)
(わたしは)まもなく死ぬだろうが、死後のあの世の思い出に、もういちどぜひあなたにお会いしたいものだ。
雲がくれにし 夜半の月かな
紫式部
(むらさきしきぶ)
めぐりあって、見たのは月かどうかもはっきりしないうちに、雲にかくれてしまった夜中の月のように、やっとお会いしたのに、あなたはあっというまに帰ってしまわれた。ゆっくりお話したいと思っていたのに。
いでそよ人を 忘れやはする
大弐三位
(だいにのさんみ)
有馬山(ありまやま)のそばの猪名(いな)の笹原に風がふくと、そよと音を立てる。そうよ、わたしはどうしてあなたのことを忘れられようか。
かたぶくまでの 月を見しかな
赤染衛門
(あかぞめえもん)
あなたが来ないと知っていたら、ためらわずにねてしまったであろうに、とうとう夜がふけて、西の山にかたむくまでの月を見てしまったことだわ。
まだふみもみず 天の橋立
小式部内侍
(こしきぶのないし)
大江山(おおえやま)をこえ、生野を行く道がないので、その先にある天の橋立の地はまだふみ(踏み)もしないし、母からのふみ(文)も見ていない。
けふ九重に におひぬるかな
伊勢大輔
(いせのたいふ)
むかし奈良の都でさいていた八重桜(やえざくら)が、今日は九重(ここのえ)の宮中で美しくさいていることだわ。
世に逢坂の 関はゆるさじ
清少納言
(せいしょうなごん)
夜の明けないうちに、にわとりの鳴きまねをしてだまして関所の門を開こうとしても(中国の故事(こじ)にあった函谷館(かんこくかん)なら開きもしようが)、わたしの逢坂の関(お会いするための門)は決して開かないことよ。
人づてならで 言ふよしもがな
左京大夫道雅
(さきょうのだいぶみちまさ)
いまはただ、あなたへの思いをたってしまおうと、それだけを人づてでなく、じかにあなたにお話する方法があったらいいのだがなあ。
あらはれわたる 瀬々の網代木
権中納言定頼
(ごんちゅうなごんさだより)
夜がほのぼのと明けるころ、宇治川の川霧がとぎれとぎれに晴れていく、それにつれて見えてくる、あの瀬この瀬の魚とり用のくいのおもしろさよ。
恋にくちなむ 名こそ惜しけれ
相模
(さがみ)
人のつれなさをうらみ悲しむ涙(なみだ)にぬれて、くちてしまうそでさえあるのに、そのうえ、恋の浮(う)き名(な)でくちはてるかもしれないわたしの名がおしいことよ。
花より他に 知る人もなし
前大僧正行尊
(さきのだいそうじょうぎょうそん)
わたしがおまえをなつかしむと同じように、おまえもわたしをなつかしく思っておくれ、山桜よ。こんな山の奥(おく)では、花よりほかに知っている人もいないわたしなのだから。
かひなくたたむ 名こそ惜しけれ
周防内侍
(すおうのないし)
春の夜の夢ほどのわずかな間、腕(うで)まくらをさせてもらったくらいで、つまらない恋(こい)のうわさがたってしまっては、ほんとうに残念だ。
恋しかるべき 夜半の月かな
三条院
(さんじょういん)
心ならずもこのいやな世の中に生きながらえていたならば、そのときはきっと恋しく思い出されるにちがいない、この夜ふけの月の美しさよ。
竜田の川の 錦なりけり
能因法師
(のういんほうし)
強い風がふきちらす、三室(みむろ)の山のもみじの葉は、竜田川に流れて、錦(にしき)のように美しいなあ。
いづこも同じ 秋の夕暮れ
良選法師
(りょうぜんほうし)
あまりさびしいので、我が家を出て辺りをながめてみると、どこも同じようにさびしい秋の夕ぐれだなあ。
芦のまろやに 秋風ぞ吹く
大納言経信
(だいなごんつねのぶ)
夕方になると、門前の田の稲(いね)の葉ずれの音をさせて、このあしぶきの仮屋に秋風がふいてくる。
かけじや袖の ぬれもこそすれ
祐子内親王家紀伊
(ゆうしないしんのうけのきい)
うわさに名高い高師の浜の、風もないのに立つ波のような、あなたの浮気(うわき)なことばなど気にかけはしない。思いをかければ、波がかかってぬれるように、涙(なみだ)でそでがぬれるような結果になるから。
外山の霞 たたずもあらなむ
前権中納言匡房
(さきのごんちゅうなごんまさふさ)
遠くの高い山の桜が美しくさいた。人里近い低い山のかすみは、花が見えなくなるので、どうかたたないでほしい。
はげしかれとは 祈らぬものを
源俊頼朝臣
(みなもとのとしよりあそん)
つれない人の心がどうかわたしになびくようにと、初瀬観音においのりはしたが、初瀬の山おろしの風よ、おまえのようにつれなさがはげしくなれとはいのらなかったのになあ。
あはれ今年の 秋もいぬめり
藤原基俊
(ふじわらのもととし)
(わたしの子の光覚(こうかく)のことで)お約束してくださった、さしもぐさの歌の中の「頼みにしなさい」というめぐみの露のようなおことばを、命のようにたいせつにしてきたが、今年もお約束(維摩会(ゆいまえ)の講師(こうし)に選ばれること)がはたされぬままに、秋もむなしくすぎていくようだ。
雲居にまがふ 沖つ白波
法性寺入道前関白太政大臣
(ほつしょうじにゅうどうさきのかんぱくだいじょうだいじん)
大海に舟をこぎだしてながめると、雲と見まちがえるばかりの沖の白波だなあ。
われても末に あはむとぞ思ふ
崇徳院
(すとくいん)
川の瀬の流れが速いので、岩にせきとめられた急流が二方に分かれても、また先で一つに合わさるように、いま二人が別れても、きっと将来いっしょになろうと思う。
いく夜寝さめぬ 須磨の関守
源兼昌
(みなもとのかねまさ)
淡路島(あわじしま)へ飛びかよう千鳥のさびしげな鳴き声のために、いく夜目をさましたであろうか、この須磨(すま)の関守(せきもり)は。
もれ出づる月の 影のさやけさ
左京大夫顕輔
(さきょうのだいぶあきすけ)
秋風にふかれてたなびく雲の切れ間から、もれさしてくる月の光は、とてもすみきって明るいことだ。
乱れて今朝は ものをこそ思へ
待賢門院堀河
(たいけんもんいんほりかわ)
末長くかわらないあなたのお心をも知らずにお別れした今朝は、ねみだれているこの黒髪のように、心がみだれて思いなやむのである。
ただ有明の 月ぞ残れる
後徳大寺左大臣
(ごとくだいじさだいじん)
ほととぎすが鳴いた方をながめると、その姿は見えず、ただ明け方の月が残っているだけだ。
憂きにたへぬは 涙なりけり
道因法師
(どういんほうし)
つれない人をひどく思いなげいて悲しんでいても、よく死にもせず命はあるものなのに、つらさにたえられないのは、流れ落ちる涙なのだなあ。
山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる
皇太后宮大夫俊成
(こうたいごうぐうのだいぶしゅんぜい)
つらくいやなこの世の中からのがれる道はないのだなあ。思いつめてはいった山の奥にも、妻をしたうしかがさびしく鳴いているよ。
憂しとみし世ぞ 今は恋しき
藤原清輔朝臣
(ふじわらのきよすけあそん)
生きながらえていたならば、また、いまのころがなつかしくしのばれるのだろう。なぜなら、つらくいやだと思っていたむかしがいまでは恋しく思われるのだから。
閨のひまさへ つれなかりけり
俊恵法師
(しゅんえほうし)
一晩中、つめたい恋人(こいびと)のことをあれこれ思いなやんですごすときは、なかなか夜が明けず、寝室(しんしつ)の板戸のすき間までが、明るい光を通さず、無情に思われることだなあ。
かこち顔なる わが涙かな
西行法師
(さいぎょうほうし)
なげけといって、月がわたしにもの思いをさせるのであろうか。いやそうではない。恋人(こいびと)のためにないているのに、いかにも月のせいにするようなわたしの涙だなあ。
霧立ちのぼる 秋の夕暮れ
寂蓮法師
(じゃくれんほうし)
通り雨の露がまだかわかない、松・すぎ・ひのきなどの真木(まき)の葉に、しらじらと霧がたちのぼっている、さびしい秋の夕ぐれだなあ。
みをつくしてや 恋ひわたるべき
皇嘉門院別当
(こうかもんいんのべつとう)
難波(なにわ)の入り江のあしの刈(か)り根の一節(ひとふし)のように短い、一夜のあなたとの旅の仮寝(かりね)のせいで、みおつくしということばのように身をつくして、一生あなたを恋しつづけなければならないのだろうか。
忍ぶることの よわりもぞする
式子内親王
(しきしないしんのう)
わたしの命よ、たえるならたえてしまっておくれ。このまま生きながらえれば、恋(こい)の思いをこらえしのぶ心が弱って、うわさがたってしまうといけないから。
ぬれにぞぬれし 色はかはらず
殷富門院大輔
(いんぶもんいんのたいふ)
恋(こい)の血の涙(なみだ)で色がかわってしまったわたしのそでを、つれない人にお見せしたいものだ。あの雄島(おじま)の漁夫のそでさえも、ひどくぬれても色はかわらないのに。
衣かたしき ひとりかも寝む
後京極摂政前太政大臣
(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん)
こおろぎが悲しそうに鳴いている、この霜のおりた夜の寒々としたむしろの上に、着物の片側を下にしいて、独りさびしくねるのかなあ。
人こそ知らね かわくまもなし
二条院讃岐
(にじょういんのさぬき)
わたしのそでは、引き潮(しお)のときにも見えることのない沖の石にかわくときもないように、あなたは知らないだろうが、悲しみの涙でかわくひまもないことであるよ。
あまの小舟の 綱手かなしも
鎌倉右大臣
(かまくらのうだいじん
この世の中は、いつまでもかわらないでほしい。いま、このなぎさをこいでいく漁夫の小舟にかけて、陸から引いていく綱のなんとおもしろいことよ。
ふるさと寒く 衣うつなり
参議雅経
(さんぎまさつね)
吉野山からふきおろす秋風に夜はふけて、古い都のあった吉野の里はひとしお寒くなり、衣をうつきぬたの音が寒々と聞こえてくる。
わがたつ杣に 墨染めの袖
前大僧正慈円
(さきのだいそうじょうじえん)
身のほどしらずのことであるが、わたしはこの世の民におおいかけるのである。この比叡山(ひえいざん)に住み始めてから、黒染の衣でもって(「黒染の衣でおおう」とは、人民の加護(かご)を仏にいのること)。
ふりゆくものは わが身なりけり
入道前太政大臣
(にゅうどうさきのだいじょうだいじん)
花をさそい散らすあらしのふく庭に、花が雪のように、ふりゆくのではなくて、年が古(ふ)りゆく(年をとる)のは、わが身であったなあ。
やくや藻塩の 身もこがれつつ
権中納言定家
(ごんちゅうなごんていか)
いくら待っても来ないあなたを待つわたしは、あの松帆(まつほ)の浦の夕なぎのころ、塩をとるために焼く海草のように、身もこがれる思いでいることだ。
みそぎそ夏の しるしなりける
従二位家隆
(じゅうにいいえたか)
風がならの葉をそよがせる、ならの小川の夕暮れは、秋のような感じだが、この川で身を清めるみそぎの行事をしているのだけが、夏のしるしだなあ。
世を思ふゆゑに もの思ふ身は
後鳥羽院
(ごとばいん)
世の中をつまらなく思うゆえに、あれこれ思いなやむわたしは、人をいとおしくも思い、またうらめしくも思うのである。
なほあまりある 昔なりけり
順徳院
(じゅんとくいん)
宮中のあれた古い軒(のき)ばに生えているしのぶぐさを見るにつけても、いくらしのんでもしのびきれないほどなつかしいのは、むかしのよい時代だなあ。