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「男山八幡祭事」 平成10年9月21日、京都男山八幡神社における、 「かんながら現場神業祭事」にて 「無事この日を迎えることが出来ました。 大きな時代の変わり目を、あなた方は見たのですね。 風様の残されていったものを抱えて、 我々はこれから長い旅をまた始めることになります。 神々の責任において、 我らの体を通して吸収すべき全てのものを、癒し、和まし、奉る。 全てのものをヒカリの世界に届けました。 これに伴う、痛み、叫び、発狂、苦しみ、悶々、 想像を絶する苦行はこの閉ざされた門の中でしか、なしうることは出来なかった。 なぜなら外界と隔離した世界の中でしか行わないと、 先ず人間の世界はその痛みに耐えられなかったでしょう。 癒しは、本当の苦しみを知ったものだけが出来る行為。 神業の数ではありません。 さて次はあなた方の番です。神々の責任において、やるべきことはやった。 人間が生宮になれるかどうか、試練の時でもあります。 今の我々には、もう体はありません。破壊つくされボロボロになってしまった。 それでも神柱として立てたのは、男神がいらっしゃったから。 がんばってください。」 (途上姫之大神) <解説> 女であることの罪、それが何であるのかは具体的に神様はおっしゃいません。 しかし途上姫様始め28神の姫神様は、神篭りをして乗り越えてくださいました。 そして「次はあなた方、人間の番です」と言うのです。 一体何のことでしょうか? ひとみの部屋(24) 「欲と心」を読んでくだされば、貴女にも女の傲慢に気が付いてくれるでしょう。 好きになる貴女と、大切な人を好きになられて取られてしまった貴女。 貴女はその時どういう行動を取るのでしょうね。 この祭事場でとても面白いことが起こりました。 しんやおじさんが何を思ったのか、突然途上姫様に質問をしたのです。 「世界には一夫多妻という結婚制度があります。 人間は二人の人を同時に好きになっても許されるのではないでしょうか?」 「このタテカエに関しては、私の存じている範囲でよろしいでしょうか? 2つのことが同時に行われないと、成果しないと考えます。 ひとつは、生きとし生きる全てのものが所有する本能、 この地球上に生命を与えられたものが、ひとしく持つもの。 先ずそのことについてのタテカエ。 そしてもうひとつ、それは生宮のみに与えられた心。 最初のことにつきましては、皆様がすでに手をつけられた月読様との御神業。 欲心のタテカエ、これに委ねるしかないと考えます。 これはあなた方の思考の中では、どうすることも出来ないもの。 これは月読様のお考えに従うしかありません。 次に2番目の問題についてですが、 他人をあざむくことの罪ではなく、自分自身をあざむいたという点です。 自分に嘘をつき続ける限り、数限りないものを傷つけ、 なによりも自分を傷つける。 ひとつの関係性が正しくないと判断した自分の声を、 闇の彼方に葬ってしまうことが一番罪深いことだと、私は考えます。 歪みの無いまっすぐな道を、自分の声につけてあげることです。 おどろおどろは、まっすぐな道の先にはありません。」 <解説> しんやおじさんが決して「清廉潔白な男」でないということを知っておいてもらいたいので ひとみはあえてお話してしまいますね。 この時おじさんはたった一度だけですが間違いを起こしていました。 どういうわけか25才も若い女の子に好きになられ、とうとう最後にはブレーキを掛けられなかったのね。 おじさんも男、このままこの子と付き合えたら素敵だろうなあと欲が出ました。 そこで自分をあざむくために、人間は二人を同時に愛しても許されるのではないかと「一夫多妻」を持ち出したのです。 しかし神様のお答えは、良いとか悪いとかのレベルではありませんでした。 途上姫様のお言葉を聞いた瞬間に、おじさんは覚りました。 それ以来おじさんは、女の人を「好きになる」という心で見なくなりました。 体の関係が「ある」「ない」はまったく問題ではありません。 奥さん以外の人と「恋心を通じ合う」ということ、それ自体が「罪である」と、おじさんは決めたのね。 でもこのことはそれぞれの人が決めること。 おじさんは決めたの。ただそれだけ。 さて貴女はどうしますか? (生きるという欲について)末代様教示 「一体欲の無い生物など、この地球上に存在しているのか」 「欲の根源は(生きたい)というその一言に尽きるだろう。それが歪んだだけだ。」 「生命は生きて初めてヒカルもの。欲(本能)は、そのためにつくられたもの」 |
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