平成11年11月24日
(神との巡り合い)
昭和59年12月8日、
この宇宙には必ず神様がいらっしゃると確信した私は、畳に手をついて北に向かい
「神様、私はあなたを信じます」と声に出して言葉にしました。
その瞬間に波動がやってきて、からだは震え出し、声に出して泣きました。
30分後には小さな水たまりとなって、畳の上に涙が残りました。
それ以来、私は神様に導かれながらの人生となりました。
もう1人ではありません。
宇宙にはやおよろずの神として、幾多の神様がいらっしゃいました。
そして何よりも嬉しかったのは、それらの神様は金も健康もくれませんでした。
神様は、金も健康も幸せも君の努力次第だ、すべての責任は君にある。
私達はただ存在し、君が生きているというその根本は担う事が出来るが、
その君というものを君がどう使うかは、君次第なのだよと言う。
事実金は降ってこなかったが、働くという事は出来ました。
それまでの私は、神や仏という宗教が大嫌いでした。
拝んだら、信じたら救われるという事には、なぜか嫌悪感が走ります。
『風がある、日がある、空がある。
山がある、大地がある、海がある。』
これらの私を取り巻くすべてが私を支えてくれている、という実感があります。
寒い、暑いの差はあるにしても、人間として生きていける環境はすべての人に平等です。
もし神がおられるなら、この平等性こそ神の本質の筈だという直感がありました。
本当の神様はえこひいきをしない。
信じるものだけを救いはしない。
それゆえ、私はこのやおよろずの神々様を信じました。
ところが、なんと神様は我が内にもいらっしゃいました。
その神様と私は毎日話をする。
でも話しかけねば答えてくれない。
話しかけるとは、私が何故と考える事です。
世の中はわからない事だらけです。
第一に私とは何だかがわからない。
しかし、では私とは何だかを考えても、我が内なる神は答えてくれませんでした。
何も教えてくれません。
その時それは私の中に、教えて貰うだけの知識がないからだと気付いた私は、
色々の宗教書や御神書や、古事記や科学書すらも、片っ端から読みあさりました。
内なる神から教えてもらえる準備に入りました。
すなわち、勉強したのです。
そうして漸くこの頃、内なる神と会話が出来るようになりました。
思い立ってから、15年かかりました。
我が内なる神の仰る事はあまりにも驚くべき事ばかりで、
これは聞き流してはならない、記録しておかねばならないぞと思ったのです。
でもこの事を理解して下さいと、公表しなければならないとまでは思いません。
よって、日記にするのです。
敢えて、読む人の立場、条件を全く考慮しないようにする為です。
無理に伝えようとする事は、とても出来ません。
私自身が良くわかっていないからです。
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