(魂との巡り合い)
私は通信が始まった最初のころ、私に話しかけてくる存在を「神」だと思っていました。
なぜなら、途方も無いことを「我が内なる意思存在」は言うのです
今までの科学を木っ端微塵にしてしまうような話ばかりです。
宇宙の誕生以前に関わるようなことを知っている彼は、神様に違いない、としか考えられませんでした。
しかし我が内なる存在は、摩訶不思議なことを言います。
「君の今までの常識では、君に呼びかける見えない私は、神に違いないと思うだろう。
だが違うのです。
私はこの見えない世界では、魂(たましい)と呼ばれています。
正式には「みたま」日本人は漢字で書きたがるから「御魂」としておこうか。
私という魂は、今こうして君と巡りあいました。
私は君の、たましい、「みたま」です。」
冗談は休み休み言えと思いました。
私の魂と私は違うのか?
ますます私ってなんだ?とわからなくなります。
我が内なる魂は続けて言います。
「一生懸命考えたり、話したりするのは、自分だと思っているだろう?
自分に魂というものがあるなら、魂が話しているんだと。
だが違うのです。
そうしているのは君の脳です。
私ではありません。
君の脳が考え、質問する。
それについて答えるのは、私、たましいです。
世間で常識になっている神は、君の外に存在しています。
とは言っても、正直言うと君の睨んだ通り、実は私は神に分類されているようだ。
だが私は、外にはいない。
君の中に在る。
ゆえに私は魂(たましい)、「みたま」です。」
なんたること!
だが私の中に在ると言っても、神様に分類されるとなると,、そんな簡単に、「我が魂よ」などと言えたもんじゃない。
そこで「我が内なる魂との対話」というサブタイトルなのですが
実際は、恐れ多いので「我が内なる神様」と呼びかけるところからこの日記は始まります。
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