11月28日の日記
(見えない神と見える物質)
〈私〉
昨晩、テレビで3時間の特集番組をやっていました。
人間は、進化の過程でチンパンジーに近く、脳の進化として大脳新皮質が大きくて、
結局この脳が人間を人間としているんじゃないかと言っていましたが…。
〈神〉
うん、私も君と一緒に見ていました。
心の中で、おいおい、それじゃあ、私はどうなってしまうんだと苦笑しながら、
ふうん、そういう風に肉体をとらえているんだなと、良く理解できたよ。
皮肉でもなんでもなく、科学という手法は素晴らしいものをつきとめている。
もし、昨晩のテレビを、神様を狂信的に信仰する人間が見たら、
何を低級な事を言っているんだ、だから今の人間はクズばかりなんだ、と嘲り笑ったでしょう。
でも神様を知っているという事は、そんなに偉いものではないのです。
それは「傲り」といいます。
本当に神様を「識る」という事は、単なる知るという事ではありません。
「あなたは神を知らない」と言って、嘲り笑う者は、
全く知らない人より、もっと始末に負えないかも知れません。
それは神様は偉くて、物質は単なる石ころとする、その偏見がその人を支配しているからです。
確かに水素を始めとする元素と、その塊である星や月などは、神様そのではありません。
「いや、そんな事はない、私は石にさえ命を感じ、石は生きていると思います」
と言う人の感性は、見事だと思います。
神として感じ取って頂ける事に、深く感謝します。
が、それは正確に言うと間違いなのです。やっぱり元素や石や月は単なる物質です。
そこには、「はたらき」という要素はありません。
いつかは君に「はたらき」と「働き」との違いを話さなくちゃあならい時が来るだろうけど、
今説明しているのは「はたらく」という方なのですが、ここでは難しすぎるので、論争をひかえます。
元素や石や月は単なる舞台の小道具であり、大道具なのです。
舞台衣装と考えてもらっても結構です。
しかし、その衣装を身にまとわなければ、役者は見えない神としての存在なんですから、
客席にいる人間であるあなたにとっては、結局何も演じられていないのと同じなのです。
実のところを言えば、確かに感性豊かなあなたが見ている月は、単なる月ではありません。
が、物理学者の見る月は単なる月です。
実はあなたの見る月というのは、月という岩のでっかいのに、
月之大神様が芯核として入られ、月として演じられている役者として見ているのです。
感性豊かなあなたには、「ああ今夜の月は美しい、心が洗われるようだ」と感激できる。
その心と眼があるのです。
なたが、岩の塊である月を、「ああ月は生きている」と感じるのは、
この芯核に入られた「月之大神様」そのものを感じているからなのです。
神様が単なる物質に降りて、振る舞うという事を成す時、人間はこう表現するのです。
「舞いを舞う」
本当は見えない神様だけを崇め、見える元素を始めとする物質を下に見る事ほど、神様を侮辱する事はないのです。
いいですか。始めは陰陽二元を超越する何かがあった。
しかし、そこには当然にして神も物質もなかった。
しかし、その始めのお方
(これでは言いにくいので、根元様と呼ばせて頂きますが、このお名前は私もひとから教えて貰ったものを使わせて頂きます)、
根元様が、なんらかの方法で陰陽二元という大不調和になってくれた。
この変化が長い長い時間の経過の後に、この宇宙という場を用意され、
なにもないとしか言いようのないものを、素粒子として形あるものに変化させ、
それの集合体として元素をつくり、の元素同志を巡り合わせて、分子としてゆるぎのない物質とし、
その物質を固めて固めて月や地球という大道具を作り、片方では炭素元素を組み入れて有機物とし、
それを変化させていって、とうとう生命体すら創ってしまわれた。
確かにこれらはすべて道具です。単なる道具です。
しかし、他の多くの神々様がこの道具を作って下さり、
肉体を完成させて下さったからこそ、神としての私は人間の中に入れたのだし、
岩や木の中にだって入れて、生きている木として振る舞う事が出来るのです。
この大切な大切なかけがえのない、でも単なる道具は、神様が作られたのです。
私より、ずっとずっとずっと昔の、神様が作られた、とても、とても大切な宝なのです。
この宝の重大性と貴重性に気付いているのは、宗教家よりもなんと科学者の方なのです。
しかし、物質だけを追い求めたので、神様を見失っただけなのです。
一番困った人間は、神様を知っているのに、
様が不可能を可能にして作り上げた「物質」を馬鹿にして軽んじ、目を向けようとしない意固地な人です。
この人に私は「神様を識っている」とは言わせません。
ただ、知っているだけなのです。
君の内なる神として私は、君に本当に本当にお願いしたいのです。
どうか、もう1度、神様の作られた宇宙と物質と、その物質を寄せ集めて生命体として完成させた、
その神々様のご努力を再認識するように、勉強し直して下さい。
神様とは何ぞやを、研究する人は多くいます。
しかし、明確に神様が物質を作られたんだという観点から、物質や宇宙を論じた人間はいない。
今の私も実は忘れていてよく識らないんだ。
科学的手法というのが、君が人間として考えてくれないとわからないんだ。
君が考えてください。
そうすれば、神として、親父とお袋はこうやったんだと思い出せる事もあると思う。
お願いです。何故と考えてください。
そうしたら、私も一緒に考える事が出来る。
思い出す事が出来る。
しかし、私もしつこいな。(笑)
もう1度だけ言っておきます。
親父とお袋の立場の神様はえらい。
だけど、両神揃って作りだされた物質も、えらいと言える「存在」です。
えらいとひらがなで書いてしまえば、えらいとえらい。何ら差はないんだ。
さぁ、神界サイドべったりの人には、どんな悪口を言われたっていいじゃないか。
どれだけ物質という道具はえらいのか。
そして、それを作り上げた神様はえらいのか、やってみようよ。
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