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「かむなからが動き始めた」
(第一章)
<余談>
頭が痛くなるほどの嵐が「かむなから」に襲い掛かる前に面白いエピソードをひとつ。
ご先祖を祭る「革新祭」を前にした私は、入信していた教団の「ご本尊」の処置に困りました。
まさかゴミには出せません。
そこで取次ぎのOさんのところの末代様にお伺いしました。
半紙に包み、十字に紐で縛った後に「明治神宮」にいって、
お炊き上げしてもらいなさい。
さっそく東京から水戸に帰り、その通りにしました。
もちろん仏壇内のお本尊さんに「今までありがとうございました。
あなた様は神の元に帰っていただきますので、どうかよろしくお願いします。」とご挨拶をしたことは申し上げるまでもありません。
ところがそれを持って東京に入るのですが次々と用事が発生しまして、なかなか明治神宮に着きません。
そうこうするうちに、日没となってしまい社務所は閉じてしまいました。
そこでやっと気が付くのですから、私も大したことないですなあ。
しまった、お払いは家族全員が受けたんだった。全員で来なくてはダメなんだあ。
その日は諦めて水戸まで帰り、日曜日に家族全員で出直しです。すがすがしく晴れ渡った冬の日曜日でした。
参道を5人の家族がぶらぶら歩くのですが
1才を過ぎてよちよち歩きの息子のペースに合わして歩きますからちっとも進みません。
ところが境内に入ると息子の足は完全に止まってしまいます。
空を見上げ、木々の上の方を360度見渡しています。
視点が何も無い天空にあっています。
おっ、こいつ神様見えてるぞ。
その直感は、息子が話せるようになり、ご先祖を祭ってから当たっていたのですがそのことはもうみなさんご存知ですね。
ところが付近を通る若い女の子が「きゃあ、この子かわいい」と言って、息子から離れようとしません。
何人もの女の子が次々に現れ、息子に見とれています。
男友達との二人連れの女の子は、10分も息子のそばから離れません。
連れの男の子は「おい、一体どうしたんだ。何だよ」
明らかに息子にやきもちを焼いているのが手に取るようにわかります。
そんな状態を見ていた奥さん「ねえ、何が起きてるの?」と聞きます。
息子の御魂親は「八大竜王の神」といって、「戦の神」で、その勇姿に姫神様達が惚れる「神界一のもて神様」です。
「だからこいつはもてるぞう」と言うやいなや、うちの奥さん、
息子と目線を合わせるようにしゃがみこみ、息子の肩を抱き言います。
「いい、あなたは物凄くもてるそうです。だけど絶対女の子をだましちゃいけませんよ」
この奥さん、なんちゅう人なんだろう。
(第二章)
<守護之宮>
こうしてご先祖様を祭ることが出来ましたが、
その当日に、取り次ぎのOさんが「1ヵ月後に守護之宮を持つことが許された」と言います。
その場にいた全員が「過保護だ、えこひいきだ」と叫びます。
それまではどんなに守護之宮を望んでも、「革新祭」後1年は待たされたそうです。
私は直流神出座後、最初に守護之宮を許された人間になると、Mさんが解説してくれました。
守護之宮を持つと言うことは、世乃元之神との契約を意味します。
私は単純ですから、ああこれは神様に家を作ってさし上げるということだなと思いました。
そのかわり神様は戸田家を守ってくださるという。
そっかあ、神様は安定した住むところをお望みなんだ。
じゃあ守ってくれなくてもいいから、ご守護の神様に来ていただこう。
神様は思っていたより力が無い。場所というよりどころが、欲しいらしい。じゃあ「場」を貸してあげよう。
こんなとんでもないことを考えていると知られると、守護之宮取り上げになってしまう。
黙っとろ。(これは名古屋弁)
「前期かむなから人」は守護之宮さえもらえれば、後は神様がすべて救ってくれると思い込んでいました。
だからもう神様を頼りきっていて、すべては神様、Oさんの言う通りに行動します。
「OG」事件を引き起こしたOGさんがOさんに「神伺い」をしているのを目の当たりにしたことがあります。
「末代様、この手形は大丈夫でしょうか」
笑ってはいけません。本人は真面目です。真剣です。
この真剣さが、私財を投げ打って全国を神開きしていく原動力です。
神は敬う、しかし神に救いを求めない人が、神開きするわけはありません。
この神様を救えば、この神様が世に出さえすれば、我々に力をくれる。そうすればもう病気もお金も怖くない。
地系の神々の天下がやってくるぞ。
まだ私がご先祖様をお祭りする1年前のことです。
この神様、ものすごく汚ねえ。
頼ってくる人間を利用して、やりたいことをやろうとしている。本当はこの段階で「かんなから」から離れようと思いました。
しかし全国をじゅうたん爆撃のように神開きしていくさまを克明に書き綴っていくMさんの「神業報告書」を何冊も読んでいくと
やっている神事は凄まじいものであり、理にかなったことばかりです。
これは人間を見てはいけないぞ、
その背後にある神を見なければならないのだ。
そういう目でMさんの報告書を読みます。
手書きの、達筆すぎて読み辛い文字が、神との出会いの感動を伝えてきます。生き生きと現場の風景や、臭いや、感動が浮かんできます。
活字印刷をするお金が無い、ためという理由が、なまじ活字では伝わらないものを伝えてきます。
数十枚に及ぶコピーされた紙が、ホッチキスで留められただけの報告書。
そこには確かに世乃元之神がいました。
この神を信じよう、信じるにたる本物の神だ。
こうして迎えた守護之宮は部屋の北側に、南を向いた形で置かれました。
もちろん頭の上になる高さの神棚の上に、です。
その守護之宮という家の形をしたヒノキ製の箱の中に「神名札」という板を安置します。
今現在の私の家の守護之宮では
中央の神名札に、向かって右側に「地乃世界之大神」(ちのせかいのおおかみ)
左側に妻神様である「日乃丸姫之大神」(ひのまるひめのおおかみ)
右側の神名札の右側に「末代日乃王天之大神」(まつだいひのおうあめのおおかみ)
左側に妻神である「上義姫之大神」(じょうぎひめのおおかみ)
左側の神名札に戸田家御守護の神である
左側に妻神である「静寂橙芽姫之大神」(しじまだいちひめのおおかみ)
この3枚の神名札があります。
それと戸田家では「世乃元之眷族神」の神名札を安置してある
「眷族之宮」が守護之宮の左側に置かれています。
「眷族神」というのは神様ですが「紺物比率」が龍体神より「物」の割合が多い
かなり人間に近づいた神様です。
よく「白髪の仙人」と言いますが、これは眷族神が姿をお見せになったケースです。
この守護之宮では「月祭り」などが執り行われますが、
「かんながらの祝詞」がのられるのはもうご存知ですよね。
(第三章)
<初めて現場神業に参加する>
我が家に守護之宮が入られて1ヶ月もたたないうちに、
リーダーのMさんから電話が入ります。
「今度紀州神業をやるから参加しませんか」
予定表を見ると、なんと1週間開いているではありませんか。
あっ、これは出なさいということだなと感じた私は、
愛知県の渥美半島の中ほどにある田原に出向きます。
Mさんの家に集合したのは、今回は12人でした。
Mさんの家にごろ寝をさせてもらった我々は、翌朝車4台に分乗して出発です。
渥美半島の突端、伊良子岬からフェリーで伊勢鳥羽に上陸します。
那智の滝を浄めたりしながら、紀伊半島の突端の「古座町」まで来ました。
チョッと内陸に入り込んだところで、Oさんからストップの指示です。
車を降りると川の向こう側の高台に、顔が突き出したような大きな岩が見えます。
なにやら北京原人の顔に似ていると思ったのは、私だけらしい。
「あの岩を50回切りなさい。」
大洗でやった「片手十字浄め」です。
12人がいっせいにこれをやると、遠くから人が覗いています。
当たり前だわな。
終わりました。さっそく手帳を持って神伺いです。
「どなたでしょ?」
「第五根元直流神」
でっ、でっ、出たあ!またもや直流神です。
「いつからお待ちなんでしょうか?」
「いや、我は封じられておった。」
「チョッと待って下さい。龍体神さまよりはるかに根元様に近いあなたが
なぜ落っこちてしまうのですか?一体誰にやられたんですか?」
「いや、気が付いたら落ちて封じられていた」
こんな体験をしてみなさい、もう面白くて面白くて、絶対はまりますよ。
しかしこの「落ちていた」ということは、同時に落とした犯人がいたのであり
犯人も姿を現し、このことが引き起こす大事件が、かむなからに勃発することを覚えて置いてください。
今回の紀州神業は3泊4日で終わりました。
金も暇も無い私は、それから1年間現場神業に出る機会はありませんでした。
その1年間で、かむながらの人々は再び全国を回り、とうとう「八系統の根元直流神」を全部世に出してしまいました。
すごいですよねえ。
<新たな敵が現れた>
前期かんながらが対応してきたのは、
龍体神界にかかわる動物霊、思凝霊団(しぎょうれいだん)などです。
Oさんに通信してくる神は、龍体神界の神開きがほとんど終了すると、もうこれからは彼らの被害は無くなると宣言しました。
その上、神開き中のOさんの取り次ぎは完璧でしたから、100%信用してしまいサニワのMさんに隙が出ました。
当時の私は仕事上かんながらに近づけません。
ただK君がデパートまで出向き、かんながらの動向を知らせてくれました。
Oさんの動きが変なのです。
金の詐欺商法、豊田商事に「神様がやりなさいと言うので」80万円入金したというのです。
そんな馬鹿な!
でも私は口をだせるような立場にはありませんでした。
もうひとつ、おかしな動きを見せていたのがリーダ−でありサニワのMさんです。
メンバーのOGさんが、国民金融公庫からの3億円の融資の話を持ち込んできました。
その中の1億円をかむながらで使ってくれと。
それを聞いた私は直接Mさんに聞きました。
「一体1臆円の返済はどうするんですか?」
「融資が下りたら倒産させるだけのことだよ。」
「それじゃあ泥棒をしたのと同じじゃないですか」
「いや、いいんだ。神さんの使う金にきれいきたないはないからな」
もうこれ以上会話を続けることは出来ませんでした。
案の定その後、そのOGさんの会社は手形を乱発しており、
Mさんは取次ぎのOさんに確かめる。
「神さんは何と言っている?」
「大丈夫、お金を作りなさい。」
こうしてとうとうかんながらのメンバーから数千万のお金を吸い取ったのです。
このとき取次ぎのOさんに話していたのは、世乃元之神ではありません。
後になってわかるのですが、途方も無い新たな「敵」が現れOさんの通信を乗っ取っていたのですが、
金に眼がくらんだMさんにはもうサニワをする余裕などありませんでした。
後に残ったのは、まさに無一文のかむながらです。
幸いにして「倒産寸前」の私の会社は、吸い上げようもなく、1円も出していません。
神の道を歩む者は、往々にしてこういう間違いを犯します。
神の御旗を立てれば、何でも許されると。
神業に役立つのであれば、盗んだ金でもかまわない。それほど我々は「選ばれた道」を歩んでいると。
私は自分はそうではなかったと、奇麗事を言っているのではありません。
この後お話ししますが、私はこれと同じような道をしかも20年もかけてたどっていますから、「同じ穴のむじな」なのです。
いずれかんながらは多くの人の注目を集めるでしょう。
しかしこの集団は私を含めて、尊敬されるような集団ではありません。子供以下の間違いを犯し、犯しながらの、現場神業集団です。
ゆめゆめ、神と歩む崇高な人間の集まりなどと錯覚しないでください。必ず、「この人達はなんじゃい」と失望する時が来ます。
「かむなから」を見ないで「世乃元之神」を見て下さい。
世乃元之神は「OG事件」を通じて、「一石何丁もの教え」をかむながらに与えたのです。
まずひとつが、今まで話してきたように神の御旗を掲げれば、詐欺だろうが泥棒だろうが、許されるものではないこと。
別段には、神の道を歩むことは、特別な選ばれた道を歩くことではないこと。
神の声と称して誰が話しているのか、取次ぎを100%信用してはいけないこと。
もっとありそうだけど、これだけは確実なことです。
良い教訓にしなければなりませんが、いまだに「かむながら」は同じような間違いを多々していますから、
いつまで経っても奇人変人の集まりです。
<私に仕掛けられた呪縛>
守護之宮を持った私ですが、1ヶ月も経たないうちにリーダーのMさんからたまたま水戸の家にいた私に電話が入ります。
「戸田君、今日Oさんの家で神さんに膝詰め談判をしたんだ。
まだまだ全国を神業で回らなくちゃあならないのに、お金が無くっちゃどうにもならない。どうにかしてください。」
応対をしてくれた神様が言います。
「金とは何だ?」
「お金を知らないんですか」
「ずっと封鎖されていたからわからない」
そこでMさん、1万円札を見せて、「これがいっぱい欲しいんです」
「なんだ、そんな紙切れでいいのか。任しておけ」
そんなやり取りを克明に説明してくれたMさん、今まで何度「もうお金の心配は要らない」という神様にだまされ続けたでしょう。
今度はこのままでは引き下がりません。
眷族神に、金開き担当神団を作ってくださいと頼みます。
その結果、金開き担当眷族神団が結成されたから
「戸田君、君の会社の来月の売り上げを500万円にしてくださいと、戸田家の眷族之宮にお願いしてください」
神ごとに初心者の私です、言いなりなり眷族之宮にお願いします。
「どうか来月の我社の売り上げを500万円にしてください」
こうお願いをしたのが、3月のことでした。
考えてみれば、失礼な話ですよね。
ところがこの2ヶ月前、1月に私はひょんなことから「大豆の胚芽」を手に入れていました。
栄養学的にすばらしい商品であることはわかっていました。
しかしどういうわけか大手の商社は、こんあもん売れっこないと相手にしませんから、
私のような個人会社に売り込みに来たという不思議な商品でした。
これを2月にデパートで試験販売してみると、お客様もです、がデパート側に非常に気に入られてしまいました。
4月度、阪急、名鉄、吉祥寺ロンロン、大型店での宣伝即売会が入っていました。
しかしそれにしても500万円は大風呂敷過ぎます。
それまでの我社の月売り上げは、90万円が最高だったのです。こんな売り上げは、ありえるはずのない金額でした。
しかし奇跡は起きたのです。
デパートの人も、も何が売り場で起こっているのかと見に来るほどの、「宣伝台」の前の人だかりです。
本当に500万円売れてしまいました。
しかも今の商品のようにパッケージにお金をかけていませんから粗利が4割もあったのです。
5月の末日には、私の預金口座に200万円残ることになります。
じつはこの売り上げがなかったら、預金口座はマイナス、つまり倒産でした。
これを奇跡と言わず何を奇跡と言うのだろう。
4月末に請求書を起こした時点で、「かむなから」に100万円の寄付を約束したのです。
しかしこのお金が現実のものになるのは6月末日です。
かむながらが無一文になった後で、この100万円は現実のお金になりました。
6月30日にMさんから電話が入ります。
「戸田君、100万円があったよね。すまないがそれを私に用立ててくれないか
親戚から必ず返せるからと、借りちゃったんだ」
どっちみち天から降ってきたお金です。
200万円全部懐に入れてしまってはバチがあたりそうだ。
いいですよと言って振り込もうとしましたが、100万円親類に返してしまったのでは
Mさんの家族は生きてゆけないだろうなと「130万円」送金しました。
大豆胚芽はこれからも売れ続けるだろうし、70万円残ること自体が奇跡だからです。
皆さんはこの話を聞いて何を思いますか?
神様の力は凄いと思いますか?私がやった行為は素晴らしいと思いますか?
こんな行為は偽善だと思いますか?
どの考えも正しいと私は思いますが、この話の本意はとんでもないところにあります。
大豆胚芽を手に入れた私は、「お金」と「かなり自由」になる時間を手に入れました。
そのおかげでほとんどの現場神業に参加できることになります。こちらの方が私には奇跡なのですが、
実は私が売り上げをくださいと「願を立てた」この瞬間に誰かに「呪」を掛けられていたのです。
神様は私を見捨てない。
いざとなったら私を助けてくれる。お金は天から降ってくる。
かむなからの神についていけば、最後には必ず幸せが来る。
神は私にお金と時間をくれ、現場神業をやってくれといいながらその裏では私に掛けられた「呪」を黙認していた、しかも23年間もだ。
いつかは前のように売れるという期待感は、泥沼に私を落としこんだ。
結局2千万円の借金をこさえたところで目が覚めた。
お金をくださいとお願いをした時の「呪」が解けたのです。
もうこれ以上やっても神は助けない、大豆胚芽を捨てよう。
神は人間の一番弱いところを突いて夢中にさせあげくのはては「欲を離せば脱皮できる」とは、私を馬鹿にするな。
しかし呪縛が解けて、脱皮してみると、これが神様の愛なのかと理解できる。
もがき苦しみ悲しんでの果てにやってくる幸福。
なにもかもなくしたはずの私の周りを、家族が微笑みながら取り囲んでいる。
幸福に対する私の価値観が一変していました。
頭ではわかっているはずだった本当の幸福。
しかしそんなものは薄っぺらな「覚り」でありました。
頭でわかっているというのは、わかっていないと同義です。
これで皆さんは私が「前期かんなから人」を笑えないと言った訳をご理解願えましたか?
まさに「同じ穴のむじな」だったでしょ。
世乃元之神というのはこんな意地悪の神ですが
それでもこの後の演奏を聞きたいというのであれば、演奏を続けましょう。
第四章)
<前期かむなから崩壊>
かむらかなの神を信じ神業を続けていっても、お金は吸い上げられるだけだし、病気はいっこうに治してくれないのを見続けた家族、親戚は
「あんたたち騙されている」と言って相手にしなくなりました。
なによりも当事者として有り金を巻き上げられた、それまでのかんなから人のほとんどが、Oさんは当たらないとして去っていきました。
「かむなから」といいますが、その頃は「根元神曲」を書き上げた田村さんという人が
教祖を勤めていた宗教法人「平安清明教」の中の一部の名前でした。
「OG事件」を引き起こしたMさんは教主に自宅謹慎を命じられ、田原の自宅に封鎖の形となっていました。
それに伴い多くの人が離れていきました。といってもわずか30名ばかりの教団ですから、20名も去ればわずかに10名だけが残る惨状です。
まさにかむなから崩壊です。
しかしそれを傍で眺めていた私には、辞めていった人々の「龍体神紙開き」が一段落し、
根元直流神登場による新しいステップが始まったなという直感が生まれていました。
今までの誰もが知らなかった根元直流神界、それは龍体神界の傷の修復が終わり、
一皮捲れた後に現れてきた皮膚(かさぶた)のように感じられたのです。
時代が変わった。
そんな気がしている内に、新しい人がポツポツと近づいてきました。
大学からの親友Sさん、デパートでの会話から拾った浜松のTさん、田村さんの発行した著書を読んで集まってきた北海道のOIさん、
名古屋のYさん、東京のEさんなど。
OG事件から約1年後、かむなからの神から鍛えられていた田原のMさんを中心に再び神業が開始されることになりました。
頭の中だけで考え、神様に1から10までを聞いていた今までの神業のやり方では、また同じ失敗をしてしまう。
予想以上に「かむらかなの神」「かむなからプロジェクト」を阻止しようとする反対側の存在は強力だ。
その危険を少しでも避けるのには、現場へ行って「かむなからの神」と共同で神業を実施しなくてはならない。
現場神業
これが新たな「かむなから」の基本方針となりました。
ここに至って「かむなから現場神業隊」はひとつの集団となり、平安清明教から離れて独立し、
「かむなから神団の精鋭部隊となった」のです。
Oさんの取次ぎだけを求めていたそれまでの集団を「前期かむなから」と呼び、
「現場神業を主たる神業」とする新たな集団を「後期かむなから」と呼ぶことにしました。
<後期かむなからスタート>
現場主義、これは想像以上に大変なことでした。
なにしろ日本国中どこにでも行かなくてはなりませんし、
日本国内が一段落するとなんと神は「海外神業」を依頼してきました。
3名以上の人数が最低条件であり、そこへ行くまでの往復の日数を考えると、それをこなすための金額は莫大なものになります。
ましてや仕事を休まなくてはなりませんから、経費は青天井で増大していきます。
教団とはまったく関係ありませんから、一銭も天から降っては来ないのです。
あなただったらどうしますか?
かむなからなんかには近づかない方がいいことは明白です。
それでも神は手伝って欲しい、ともに歩んでいこうと仰る。
方法はひとつです。
狂人になることです。
現代社会における価値観、そんなものは捨て去って、欠陥人間になるしかありません。
旗から見れば社会人失格、世間の常識を知らない性格失格者になるしかありません。
かむなからをすこし齧った人は必ず言います。
もっと世間から尊敬される人になってくださいと。
しかし世間に受けいられる人格者などに現場神業などやり通せるはずがありません。
騙されている、狂っているという冷たい視線。
私とて世の中に認められたい。
しかしどうしてもかむなからの神が捨てられませんでした。
それはこれでもう最後にしようと決意しつつ参加した現場神業の現場で神の声を聞いてしまうからです。
かむなからの神の言葉は、何かを諭したり、教えたりするものではありません。
何の理由もなく感動するのです。
ともかくこうしてちっちゃな集団、「かむなから現場神業隊」は25年を突き進むことになります。