『第一回東北神業』
(1)

この記録は私がその行程を決め、
ドライバーとして一人でハンドルを握った東北神業の記録です。

しかし「かむなから」公式神業報告書としては、この私の記録中で登場する「島さん」が
「かむなから」のリーダーとして「地吹雪 東北」という表題の一冊をすでに書きあげております。

が残念ながら、公式記録の公表はまだ時至らずとして、お許しがでておりません。
それにもかかわらず神様は、先駆けとしてこの私に「サザンクロス交響曲」を先へ先へと書き進めよと言います。
この矛盾するご下命をどう解釈すればいいのか迷っておりましたが、
リーダーの島さんからも「もっとじゃんじゃん書け」と指令が出ました。
ならばドライバーである私の「旅の想い出」として、個人的な「旅行記」として
書けば良いだけの話と、割り切ることにしました。

そこでこの『第一回東北神業』をお届けしようと思います。

多くの現場神業をこなしてきました。
これを振り返ってみますと、「封鎖」とか「落ちていた」「待っていた」神々を救出してきた「神びらき」シリーズ
「彼ら」と相い対峙し、正面から激しい「戦さ」を繰り広げることになる
、「最後の戦い」シリーズに分かれることに気がつきます。
「彼ら」は「ひとつ」ではありませんでした。
次々と新たな「彼ら」が現れますが、「これじゃあ神とて負けるわ」というため息が出るような強力な敵の数です。
この「最後の戦い」シリーズは「第一回東北神業」から始まったとして位置付けられる「重要な」現場神業です。

さあ皆さんも、私たちと一緒に東北に出発しましょう。。

ところどころに「解説」をつけてありますが、これは2001年の段階での「解釈」です。
その後、かんなからの現場神業はどんどん根元神霊時間2000億年をさかのぼり、
それまでの神様の世界への解釈「神霊史観」をまるでオセロゲームのようにひっくり返し、
悪の評価しかなかった存在の価値観を一変させていきます。
特に東北神業で出てくる「彼ら」は究極の悪の権化として位置づけられていますが、
2007年の段階では私の中で、まったく違った評価となっています。
したがってこの解説も「いいかげん」なところが多々ありますが、
これもその当時の記録として貴重ではないかと考え、そのまま載せておきました。

「津軽は地吹雪の中」

<始めに>

この旅行記は、平成9年1月20日から26日までの7日間の東北一周の旅行記です。
登場する人物は、私を除いてすべて仮名です。

(1月20日)
朝の7時、私は4WDにスタッドレスタイヤという
雪対策の完全装備を施した愛車「エスクード」をスタートさせた。
愛知県の自宅を出るときは、この冬一番の寒さで、空には雲ひとつない、
まさに西高東低の気圧配置そのままの、冬の抜けるような青空がまぶしかった。

今回の東北神業のメンバーは、
島さん(55才)、みいちゃん(32才)、そして私(49才)という、たった3人です。

今までのかんながら現場神業の例から言うと、こんなに長い旅行をこんなに少ない人数でこなしたことはありません。
はたして神様の要望に応えることは出来るのだろうかという不安がよぎりますが、
この時期に1週間も休みをとることができる人が他にはいませんから、ええい、ままよと出発してしまうことにしました。

私の家を出る時は、ドライバーである私一人きりです。
島さんとみいちゃんは、昨日まで甲府で神業をしていまして、今朝は静岡で合流するように要請しておいたのですが、
私のえらい勘違いにより、のっけから大迷惑を掛けてしまいました。

甲府から身延線で降りてくれば、静岡駅前のビジネスホテルに泊まってもらうのが一番便利なのですが、
なにを思い込んだのか、新幹線の新富士駅待ち合わせと言ってしまったのです。
島さんも「おい、そりゃあ不便だぞ」と言ってくれればいいものですが、
神様から今回の東北神業は戸田さんの思ったとおりの行程をとりなさいと言われているもんだから、あえて抗議しそびれたそうです。

「戸田君、なんで新富士合流なんだい? おかげで富士市からタクシー使っちまったぞ」

荷物を後ろの荷台に放り込んで、助手席に座るなり、島さんが言います。
みいちゃんのお母さんの見送りを受け、みいちゃんは後部座席に座ります。
そこでやっと私は、東名高速静岡インターを降りて、
静岡駅前で二人を拾ったほうが、私も楽だったことに気が付くのですが、後の祭り。
ここでみいちゃんのお母さんは、新幹線のこだまに乗ってお別れです。

ぶつぶつ文句を言っていた島さんですが、
車が東名高速に戻って、左手に雲ひとつない青空にそびえる霊峰富士を確認すると、
なにかとんでもないものを見たようなどんぐり眼で
「今日の富士山はすげえぞ」唸るように島さんが言います。

うーん、神様は新富士という富士山の真南を、今回の神業の出発点としたかったのかなあ?
それとも富士に集結されていた神々を、エスクードにお乗せしたのか?
てな具合に、自分のミスを例によって神様に擦り付けてしまう私は、
すげえ、すげえと感心している島さんを無視するように、みいちゃんに話しかけます。

「ねえ、みいちゃん、今回の泊まりは全部温泉だよ」
「ヤッホー! で、泊まるところは決めてあるの?」
「あるわけないでしょ、東北なんか温泉だらけだよ。どこにでもあるさ」

現場神業には二つのケースがあります。
ひとつはあらかじめ予定場所がわかっている場合。このときは3泊4日でも事前に宿を予約出来ます。
もうひとつは「あちらさま対応」として妨害を防ぐ意味で神様は予定を発表しません。
ただし「あちらさま」「彼ら」というのは一方的な「悪」ではありません。
根元というはじめのひとつの神様が描いているドラマの中の「悪の役者」ですから
「罪を憎んで人を憎まず」くらいの気持ちで、軽く捉えておいてください。

攻撃を防ぐ意味でも秘密裏に神業が行われますから、人間にはどこへ行くのかまったくわかりません。
まさに行き当たりばったりです。
しかし一度として宿が見つからなかったことはありません。
神様の実行部隊、この方々を「眷族神」さまとお呼びしますが、先回りして手を打っておいてくださいます。

飛騨の高山に行ったときなどは、行楽シーズンでどこも満室です。
ところが神社で出会った人に相談したところ「ちょっと待ってね」と言って電話を掛けてくれます。

「突然団体さんがキャンセルで、10名様OKだそうです。凄いですよ、奇跡ですよ」

行ってみて理由がわかりました。
皇太子様が学生のころ、サークルでいつも利用していたと言う超有名民宿だったのです。
予約でさえ取れないという宿をご眷族神さまは押さえておいてくれたのです。

今回の東北神業は事前に指定された箇所は、たった三つ。
それを1週間で廻れと言うのですから、まさにミステリーツアーです。
さてさてどんな「彼ら」が待っていることやら。

10時38分に新富士駅を出発した車は、東名高速をひた走ります。
しかし7日間の運転手は私一人なのですから、疲れてしまわないように休憩は心がけます。

11時、愛鷹パーキングでコーヒーを、
12時、海老名サービスエリアでたぬきうどんなどを召し上がりながら(笑)、
どこまで行っても雲ひとつない高速道路をエンジョイしていました。

14時22分、首都高から浦和を経て、いよいよ東北自動車道です。
直ぐに蓮田SAがありますから、食事休憩。
16時01分、黒磯パーキングエリアで最後の休憩をとります。

16時55分、二本松インターチェンジで降りることにしました。
明日はこの辺で祭事ありと告を受けている場所の近辺には温泉が見当たりません。
なにせ、どこに行けばいいのかの頼りは、一冊のロードマップと一冊の東北旅行ガイドブックしかありません。
ではその手前にある温泉はと探してみると、この二本松インターチェンジの近くにある、
岳温泉見がつかりました。ただそれだけの理由で、ここで降りたのですから、まあいい加減なもんですわ。

インターを降りると、道路には雪がうっすらと積もっているだけですが、
山の方へ進んでいくほどに路肩の雪はどんどん高くなり、空からも雪も舞い降りてきました。
おう、東北じゃ、東北じゃと、車を4WDに切りかえて、
かなり暗くなった道を楽しみます。

17時10分、岳温泉街に到着

もう真っ暗です。
どでかいビルの温泉ホテルが立ち並びます。
ひなびた温泉街を想像していたのですが、まったく当てが外れました。

かんながらの旅行は、貧乏と精進料理が基本です。
肉という動物性の食べ物は神様が嫌うようで、まったく口にしません。
旅館やホテルにそんな注文を出すこと自体が、このグルメの時代では無理難題ですから、
たいていは素泊まりが出来る宿を探します。
ですからほとんどがビジネスホテルしかありません。
みいちゃんが温泉と聞いて「ヤッホー」と叫んだのも無理はなかったのです。

温泉街を回ってみたのですが、そんな雰囲気のホテルは一軒もありません。
こりゃ困ったぞと思いましたが、もう一方では、
神様は絶対我々が泊まる宿を用意されているはずだという、確信もあります。

1泊2食付で、1万6千円、びた一文まかりませんというホテルに唖然とした私は、
「こりゃあ、あかんわ。ガソリンでも入れて、地元の人に聞きましょう」
と、車をUターンさせて、ガソリンスタンドを探しました。
温泉街は山のほうに上がるほど高級ホテルが並んでいまして、
下っていくと温泉街のはずれと言うか、温泉街の入り口にスタンドはありました。

給油中にトイレを借りながら、
店のお兄ちゃんに「素泊まりの出来る温泉宿ありませんかねえ」と聞いてみると、
お兄ちゃん、ちょっと頭をかしげていたが、どこかへ電話してくれる。
受話器を手に持ったまま、「おひとり1泊、3350円するそうですけど、高いですかねえ」

なにい、温泉宿で3350円?
泊まる、泊まる、お化けが出てもいいから泊まる!

何のことは無い、その宿はスタンドから5軒先にある、都会で言う「銭湯」のようなのれんを掲げた、浴場でした。
東北を知らない私にとっては、こういう湯治場もあったのです。
実際に店で料金を払ってみてわかったのですが、冬ですから暖房費代として(石油ストーブのこと)
1000円の追加があったのにしても、地元の人のために町が経営する施設があるのですね。

岳の湯  TEL 0243−24−2139 

本当に街の銭湯にそっくりな玄関を入ると、受付があります。
今晩素泊まりで泊まりたいのですが、いいでしょうか?
ああ、ガソリンスタンドさんの紹介の人ですね?そこの下駄箱の中に靴を入れて、お上がり下さい。
一人4350円支払うと、男湯、女湯の暖簾の前を通り過ぎて、奥へ奥へと、まるで迷路のような廊下を案内されます。
「ここが台所です、お湯などはお金を入れるとガスが出ますから、ご自由にお使いください。」

うーん、なるほど、これは地元の人が昔から使っていた湯治場なんだあ。
石油ストーブに火をつけて、コタツのスイッチを入れると、ああこれで何とか今晩は無事過ごせそうだと、ほっとします。
3軒隣のよろずやさんでおにぎりやパンなどの夕食を買い込み、当然のことながらビールも買い込み、ヨッシャーとばかり温泉にドボン。
どうやら旅の初日は何事もなく、終えられそうです。
しかしその夜、みいちゃんには、チキちゃんから通信が入りますが、それがわかるのは次の日のこと。
まずはここらでお休みなさい、ということになりました。

(1月21日)

結局昨日は、東北というエリアに入り込むのに一日がかりのドライブとなってしまいましたが、
格安の湯治場を見つけ、ゆったりと温泉につかっての嬉しい一夜となりました。
朝7時に目を覚ますと、同室の島さんはもう起きていて、20円を投入するガスコンロでお湯を沸かして、お茶を飲んでいました。

二本松岳はくもり。

島さんが、昨夜のうちに「みいちゃん」のお腹の中の「チキちゃん」からの通信を見せてくれました。

「東北の地図の中の地名を見ていた。
わたしは一度に たくさんのことをおもいだした。
ここからあとは とてもみぢかにかんじられる。
そのときあったことが ありの行列のように 流れ出てきて 一つ一つを文字にできません。
ゆっくり拡大鏡でみていくとそのときのことが ひっぱりだされるでしょう。
 髪の毛1本に 1000字くらいの量で文字が出るのです。
東北は「私のにわ」
 草の色 一つ一つまで憶えています。
豊かで 広大で 土色(つちいろ)の時代」

さあ困った、このチキちゃんの言葉をどう解説したらいいのだろう。
実はこの時点では、私もチキちゃんなる女の子については良く知らなかったのです。
ただわかっていたことは、チキちゃんは神と人間とが正しく交流していた時代に、
神の言葉を伝える役目をおっていた女の子であったこと。
ところが、神と人間との交流を断絶させようと、宇宙のはてから侵入した「彼ら」に迫害を受け、
東北を逃げ、津軽海峡を渡り北海道まで逃げたところで哀れにも殺されてしまった、かわいそうな女の子であること。
そのチキちゃんの魂がみいちゃんのお腹の中に入ったこと。
そんなおおざっぱな知識でしかありませんでした。

ですから皆様もここはそんな程度で、このチキちゃんの言葉を心に留めておいてください。
私がそうであったように、皆様も東北神業と共に見えない世界の色々なことを理解していくでしょう。

この日から東北旅行は劇的なドラマを見せてくれます。

普段は朝に弱いみいちゃんですが、なんと彼女はしっかり朝風呂に入っており、
朝食はどっかの喫茶店でモーニングでもと出発することにします。

もう9時になっていたのですが、路面はバリバリに凍っています。
恐る恐る車を走らせながら喫茶店を探しますが、そう言えばここは東北の山の中。こんな時間に開いている喫茶店なんかありゃしない。
9時30分、結局二本松インターで東北自動車道に乗るしかなく、最初にあった福島松川パーキングで、山菜そばなどで朝食。

10時30分、福島飯坂ICで降りて、R13へ。
10時55分、米沢市街地に到着。

米沢藩、米沢牛などで大きな町のイメージがあったのですが、あまりに小さくて、ビルのない町並みに唖然とします。
街の中心部にある郵便局のキャッシュディスペンサーで3万円下ろし、二人から同額預かり計9万円にします。
これですべての支払いを私がやり、会計をまかされます。
かむなから神業が全部自己持ち出しです。

ればやるほど貧乏になっていくから、かむなからに近づくのはやめなさいと、私がいう理由がそろそろわかってきましたか。

みいちゃんの今朝の神様へのお伺いで、今日の最初の目標は、高畠町。
そこに「古墳があるから」と言われていたのが、
行ってみるとそれは「鼠持古墳(ねずみもちこふん)であることが判明。
周りは真っ白な雪に覆われた畑ばかりで、古墳の位置がわからない。
この辺に違いないと、酒屋さんに入って聞いてみる。
快く、判り辛い曲がり道を教えてくれるのは、東北の田舎のせいだろうか、とても嬉しい。
山の中に、いきなり「鼠持古墳」のちっちゃな表示看板。
教えてもらっていなければ絶対わからないようなところに、その古墳はあった。

古墳の入り口に向かうと、北向きであった。
12時40分、ローソクに点火。
みいちゃんの「とりつぎ」が開始される。

『のりは最後にご一緒に』

「多分私が国を治めた最後の姫と思います。
 2300の民人(たみひと)
 神祭はもう形ばかりの頃であったと思います。」

ここまで話して、みいちゃんの顔が引きつった。
しゃがんでいた腰が抜けたようにストンと地面に落ちる。
目はうつろになり、急に入り口に背を向けると、這いつくばって逃げ出そうとする。
そのままでは雪の中に転げ込んでしまうので、あわてて抱きかかえてとめる。
恐怖で、彼女の体は小刻みに震えている。やんでいた雪が、また暗い空からボタン雪として降り注ぐ。

脇で観察していた島さんも、慌てた。
最後の方法、「大十字浄め」を古墳全体に施したとき、彼らの襲撃は消えた。

(ちきちゃん)

「赤くて牛の格好をしている。
  目も真っ赤。
  最後にここにいた人、皆食べられた。
  しゃべっていた姫が最後。

赤目牛、高い所から、遠い所からやってきた。
  8300年前、全部火の海、
  もう一度来た、またやった。
  そのときチキちゃん赤目牛を見た。

またそこが焼かれたの。
  赤いの!

歯がすごい!
  古墳の牛、外にいっぱい、いっぱい!
  そしてまた来る、焼くつもり
  5000年経つとまた来る。
  このヒトたち、赤目牛
  下は人間の形
  目は赤い
  ナスカの地上絵、それもだめにしたひとたち
  戦車みたいなので襲ってくる。

棒切れで最後の姫さん吊るして、ぶらぶらしている」


昼だと言うのに薄暗い、雪に埋もれた古墳の前にたった三人さすがの私も恐怖に固まってしまいました。
でもチキちゃんは勇気を振り絞って歌いだします。

「おうごんのみちはうそのみち

 あいつらは 4番の敵 4番目

 いつつめより大きくて

 みんなは逃げるだけ

 

源流さまもいなくなり

そのうちみんないなくなって

最後にいたのは

人祖様」

これを書き留めている島さんの手帳の上にボタン雪がしんしんと降り積もります。
私は傘を取り出し、島さんの上に傘をさします。
みいちゃんのフードの上にも、雪が静かに積もっていきます。

「大きなクロスを背負ってやってきた
   それがこの国の不幸の始り 
   おじさん、あれを燃やさないとね
   あいつらはずっと支配したまま
   黄金の道
   うその道
   海を渡って立っている

おじさん、どんなに神業やってもね
   人間がついていかないのは、そのせいだよ
   クロスは天に向かってそびえたつ
   はやくそれを見つけて、星屑に返して
   それが終わったら、おじさん、別のものだよ
   倭人をそのままさらった
   この国の人はそんなクロスを背負えない
   そのときから歴代の姫、ことごとく背負ってる
   今回は日本を取り戻す神業」

(末代様)

『我の胸の赤を知っているなあ
    その責任だ
    このクニを守りきれなかった
    いつまでも忘れない為
   次にゆこうか』


 『我が自分でつけた傷
   二度とあの出来事を忘れぬ為』

 『目印になるものが必ずあるから
   日ノ本になりすました
  日本にない日本があるから
  ゆかれよ』

メモを見ると、13時44分出発となっていますから、1時間ほど雪の中にいたことになります。
それにしても、えらいことになってきました。
かんながらとしての長い神業ではありますが正統なる、神様と人間をつなぐ役目の姫、女性が
彼らに抹殺されてしまったとかそれ以来の歴代の姫は、正常機能していないとか

現実の人間を巻き込んでのこのような生々しい展開は、まったくありませんでした。
神界戦争と言うのは、神々の争いごとだけではなくこのような宇宙の果てから侵略してきた「彼ら」との
人間を巻き込んでの戦いでもあったたとは、想像もしていませんでした。

東北の郷土玩具「あかべこ」

これが何千年も前の、彼らの襲撃を今に伝える「はにわ」であったとは。
私たちが知らず知らずのうちに伝えようとする郷土の風習、
それらのものを単なる迷信として消し去ってしまうようなことは、絶対にやるべきではない。
腑抜けになってしまったような頭で、そんなことをぼんやり考えながら、古墳から逃げ去るように田舎の雪道を飛ばしたっけ。

「ねずみもち古墳」に行こうとして、国道から左折して入り込んだ県道に、
いかにもうまそうな「手打ちそばや」さんをしっかりチェックしておいた私は、戻る途中で駐車場に車を止め、
冷え切ってしまった二人に暖かい物を食べてもらおうと案内しました。
民芸レストラン「織匠」で、3人とも呆然として「とんでもないことになって来ちゃったなあ」と
そばやらコーヒーを飲んでいたことが、懐かしく思い出されます。
しかしこの鼠持古墳は、まだほんの序の口の神業でした。

遅い昼食を終えた私達は、雪の中を一路仙台を目指します。
仙台市に住む小場さんは、かむなからの中で最初に「世乃元之神」を奉戴、
つまり「お宮」を持つことを許された人です。
その小場さんの家に辿り着くことが今日の神業予定ですから、そこまでは何もありません。
助手席に座った島さんが、先ほどの祭りを記録したノートを取り出し、読み返し始めました。

「多分私が国を治めた最後の姫と思います。
 2300の民人(たみひと)
 神祭はもう形ばかりの頃であったと思います。」

ここを声に出して読みながら、語ります。

「どうやらこの姫さんは卑弥呼のような立場の人だったんだな。彼女は神と通信が出来たんだ。
その能力で、2300人ほどのひとを束ねて、部族の長の仕事をしていたんだな。
その頃は他の部族では、世乃元之神との通信は出来なくなっていて、
形ばかりのセレモニーしか出来なくなっていたんだ。
一体何年前ぐらいの姫だったんだろう?」
独り言のように島さんはつぶやきます。
「ここからが凄いなあ、こんなリアルな表現は長い神業の中でも初めてだ。いいかい、読んでみるよ」

(ちきちゃん)

「赤くて牛の格好をしている。
 目も真っ赤。
 最後にここにいた人、皆食べられた。
 しゃべっていた姫が最後。
 赤目牛、高い所から、遠い所からやってきた。
 8300年前、全部火の海、

 もう一度来た、またやった。
 そのときチキちゃん赤目牛を見た。
 またそこが焼かれたの。
  赤いの!
  歯がすごい!

古墳の牛、外にいっぱい、いっぱい!
  そしてまた来る、焼くつもり
  5000年経つとまた来る。
  このヒトたち、赤目牛
  下は人間の形
  目は赤い
  ナスカの地上絵、それもだめにしたひとたち
  戦車みたいなので襲ってくる。

棒切れで最後の姫さん吊るして、ぶらぶらしている」

声に出して読み終えると
「赤目牛、高い所から、遠い所からやってきた。
ここの意味はな、赤目牛は地球を取り囲むフェリオスフェアーの地球神界の防御線を突破して、
地球に侵入を果たした『彼ら』の戦闘精鋭部隊なんだ。
まだ神と人間が何とか対話出来ていた状態を叩き潰すべく、
最終兵器として彼らによって送り込まれたんだなあ。
こんな凄いことをやられたんじゃあ、ひとたまりもなかっただろうよ。
なるほどなあ、こんなことがあったんだ。

郷土玩具の「赤べこ」には、こんな悲話があったんだ、
東北というのは、えらい秘密が埋まっているところかもしれないぞ。」
「8300年前から5000年後、
そうか3300年前にチキちゃんはこの赤目牛の再襲来をを見ているんだ。
この時に神と通信できた姫が殺されてしまったんだ。
後は『彼ら』に操られるままの、まやかしの神祭の姫しか出てこなかったんだ。
うーん、すげーことを明かされてしまったなあ。」
島さんの解説は続きます。

 おうごんのみちはうそのみち
 あいつらは 4番の敵 4番目
 いつつめより大きくて

  みんなは逃げるだけ
  源流さまもいなくなり
  そのうちみんないなくなって
  最後にいたのは
 人祖様


「ここは特に凄いぞ。
あいつらは4番目の敵というのは、赤目牛の出所を表している。
根元様が初動、次動、三動、四動、五動と変化されたんだが、
赤目牛はこの四動から派遣されたということを言っているんだ、
五動より大きくて、というのも意味深長だなあ。
もっと凄いのは、源流様もいなくなり、
最後にいたのは人祖様というくだりだ。すげえなあ。」
「なにがすげえのか、わかりませんが」
「まあいい、おいおい判るだろうよ」


私にもわかりませんから、みなさんも判らないままにしておいてください(笑)。
しかしそうは言っても、このままではこの東北神業はさっぱり判らないままなので、
とても乱暴な、おおざっぱな解説を試みてみます。

<根元之大神>

最初に何かがあった、
唯一無二、絶対存在の方を根元様とお呼びします。
ところが始めに何かがあったということは、ないということがありませんから、
根元様にしても自分が何者であるかの確認方法がなかったということになります。

始めに幸せしかなかったとしましょう。
では幸せとは何かということになると、幸せには「幸せ」ということがわからないということになります。
そこで「不幸せ」というものを作ってみると、初めてそれを対象物として、
自分が「幸せ」であったことを確認出来ることになります。

唯一無二、絶対存在の根元様は、

『ある』という自己確認するために

『ない』を作らねばならなかったのです。

その為に根元さま、は意思発動わされて、自らを「歪んだ」と表現される変化を起こしました。
その歪みは、初動、次動、三動、四動、五動と変動されるたびに受け継がれていきました。
四番目というのは、この四動という領域をあらわします。
赤目牛さんはこの四動の領域で発生した『彼ら』の精鋭部隊のことだったのです。

ではなぜ『彼ら』は、地球神界を攻撃してきたのでしょうか?

「歪み」により発生した「ない」「暗闇」「虚」「不潔」「正統でない」などの「反対側」。
『始め』が「ある」ゆえに、「正当側」が対極にあるこれらのものを
「正統でない」として不当な評価をしたことは容易に想像できます。

根元様の夢は、「地球」というものを作りたい、
宇宙というものを作ってその中の存在としたい。

では不当に評価された『彼ら』の目的はひとつになります。

根元様の夢である「地球」を壊そう。

忘れてならないのは、この『彼ら』の策動に乗ってしまった「龍体神」様もおられた、ということです。
かむなからは、龍体神界の天系地系に別れての神界戦争の、戦後処理のために、その活動を始めました。
その当時は戦争を始めた原因が、人間創生に成功した地系神を優遇しすぎたということから、
天系神が反乱を始めたと発表になっていたのですが、ここに至り、龍体神を策動した『彼ら』が
裏で画策をしていたということがわかってきていたのです。

その『彼ら』の実働部隊が、いよいよ「かむなから」の目の前にその姿を現したのです。
龍体神の神界戦争は、『彼ら』により仕掛けられた争いだということが、わかってきた重要な現場神業、それが第一回東北神業です。

最後まで頑強に抵抗した龍体神も人間もいました。でも結局「赤目牛」の襲撃には耐えられなかった。
それが最後に残った「神祭の姫」、ねずみもち古墳にいた彼女だったのですね。
チキちゃんも、同じ運命を辿りました。
つまりそれ以降の神祭の姫は、世乃元之神との通信機能を失っているということになります。

この「ねずみもち古墳」の「とりつぎ」は、その後、「彼ら」対応のシリーズとして
南米「ボリビアのアンデス神業」、「シナイ山のイスラエル神業」、「第二回、第三回東北神業」へと

続いていくことになるのですが、まずは津軽への旅行を続けましょう。 

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