『第一回東北神業』(2)
「ねずみもち古墳祭事」を終えた私達は、一目散に仙台市に住む小場さん宅に向いました。
何回も仕事で仙台市は訪れていますが、市内が大雪に埋もれているのは初めてです。
今回の寒波が、どれほどのものかを本当に思い知らされるのは、津軽に入ってからですが、
真っ暗な空からしんしんと降り続く雪の中を、車は仙台市を目指します。
頑張れ、エスクード!
その小場さんは、「かむなから」が正式に発足した時、最初に駆けつけた人です。
(かむなからの歴史)
「かむなから」と表記しますが、普段は「かんながら」と言っています。
「根元新曲」を神様から書きなさいといわれた田村喜照さんが、設立した組織でありますが
規約も会費も無い集団ですから、とても組織とは言えません。
最初の頃は「宗教法人」でもありませんでしたから、宗教団体でもありません。
田村喜照さんは、政治家のNさんのアドバイザーやや
会社経営者のコンサルタントのような仕事をしていました。
実家は山梨県大月の資産家で、何不自由の無い生活を送っていました。
ところが50才を過ぎた頃、実家の裏庭に荒れ果てた、小さな祠に気が付きます。
一体こんなみすぼらしい祠に、本当に神様が祀られているのだろうかと思ったことが、
田村さんの運のつきでした。
霊能力者を呼び寄せ、ここに祀られていた神様と話をしました。
私の名前は、ゆらりひこ。正式名は、末代日乃王天之大神と言います。
世乃元之神の戦に負けて、ここに封鎖されていました。
助けてくれてありがとうございます」
それまでの50年間、神仏のことを考えてみたことさえなかった田村さんは、
この時の救済された神様の言葉を聞いて
『神とは何か?』の研究の乗り出してしまいます。
新日本研究所という会社を立ち上げ、神と名のつく書物を読み漁ったそうです。
行動力と財の豊かな田村さんは、「ひつき神示」をまとめ、新日本研究所から出版したり
世乃元之神がかかって「おふでさき」を書いた「出口なお」、
まれに見る霊能力のある「出口王任三郎」の指導の下、発展した「大本教」と深くかかわるようになります。
その結果、わずかばかりに救済された「封鎖されていた神」の指導により、
世に落ちていた神々を祀る「神宮」を建設することになります。
もちろん誰の助けも借りずに、私財をなげうっての事業ですから、
経営的なこともあって「宗教法人」にしてしまいまいました。
今はなんの資格も無い集団「かむなから」ですが、初発は宗教法人「平安清明教」だったのです。
しかし宗教を望まない「かむなからの神」は、結局この宗教法人を「ないもの」にしてしまいました。
これが「かむなからの神」なのです。
人を救う、救済宗教ではなかったのです。
日本人が何気なく拝んでいた「やおよろずの神」、それは龍体をもった「龍体神」であり、
その龍体神同士が地系と天系とに分かれて、神界戦争をしていた。
その情報を新日本研究所の出版物で知り、戦争に億戦億敗していた地系の神様の、悲惨な姿に涙した小場さんは、
これこそ真(まこと)の神だと、仙台から出向いて、東京の喜照さんを訪ねたのです。
かくして小場さんは「かむなから」第一号となりました。
だから小場さんは、私の大先輩になります。
<小場さんが地系の神様に涙した訳)
人間には必ず「ご先祖」ルーツがあります。
縄文時代より前、神と人は交流がおりました。
その間を取り次いだのが「神祭の姫」だったことは、「ねずみもち古墳催事」でもう知っていますね。
神界戦争が勃発した時、神々は天系地系共、人間に協力を仰いだのです。
その時にご先祖様は、どちらかの神と契約をしました。
そして神々の代理として、人間もその覇権を争ったのです。
しかし億戦億敗した地系の神と契約したご先祖は、人間界でも「億戦億敗」していたのです。
その記録は、女性の細胞内のミトコンドリアのDNAに受け継がれ、今に到っています。
その記憶は男の細胞にも引き継がれますから子孫としての人間も、なんの根拠も理由もなく、
自分が地系なのか、天系なのかを感じ取ってしまいます。
小場さんのご先祖さんは、明らかに負けた地系神と契約していたのです。
だからこそ、封鎖され、見るも無残な姿に貶められていた地系の神に、涙したのです。
<前期かむなから人>
小場さんを始めとして、30人くらいの人が、封鎖されていた地系の神々救済のため駆けつけました。
この人たちは、わき目も振らず神開きにまい進しました。
聞くも涙、語るも涙のこの苦労は、すべて記録として残っていますから、
いずれ皆様も読むことが出来るでしょう。
九州から北海道まで、まるでじゅうたん爆撃のように地面に這いつくばって行われた神開きが、
ほぼ終わる頃、私は「かむなから」に参加しました。
この時期に新規参加した人が20名位いましたが、それまでの人とは違った役目があったようで、
かむなからの現場神業の内容がまったく変わると、
根元直流紳出現以前の人達の20名は、消えていきました。
茨城県水戸の大洗海岸で「根元直流神」が出られたのが、境目でした。
大洗海岸以前を「前期かむなかから人」、以降を「後期かむなから人」と呼んでいます。
初期の神開きに参集した人たちは、すべてご先祖様が地系神と契約した家系だったのですが、
根直神出座をきっかけとして、天系紳と契約をした家系の人も「かむなから」に参加したのですね。
つまり根元様が「天地和合命令」を出したとしても、
最初は地系神のみの救出しか出来なかったと言うことです。
「後期かんながら人」を得た「かむなから」は、本当の意味での和合、終戦処理に乗り出すことになります。
ところがどっこい、20年経った今でも、この終戦処理に追われているのですから、
本音を言えば、「えらいことに顔を突っ込んじゃったなあ」と言うところです。
その20年を順番に話していかなくちゃあならないことになっちゃった私は、
一体どうすりゃいいんだー! (笑)
皆様の励ましと応援で、まあ、なんとか頑張ってみるか。
(仙台から鳴子へ)
雪に埋もれた仙台市の小場さん宅の「守護之宮」と「家祖之宮」に、
ご挨拶を済ませた私達は、今夜の宿を予約した鳴子温泉に向います。
小場さんは、道がわからないだろうと高速道路のインター入り口まで自家用車で先導してくれました。
オレンジ色のライトに浮かぶインターの、あの雪が舞う光景は、今でも忘れられません。
ありがとう、小場さん。
私たちは雪が吹き込むのもかまわず、窓をいっぱいに開け放ち、見えなくなるまで手を振り続けました。
その小場さんは、昨年、平成15年8月15日、突然国替え(亡くなること)になってしまいました。
ずんぐりむっくりで、どんなに寒くても、あの雪の中でさえ素足にサンダルを押し通していた小場さん、
本当にご苦労様でした。
貴方がいなかったのなら、今の「かむなから」はありませんでした。安らかにお眠り下さい。
と書いていたら、
神様は「小場さんは神の世界に行っていて、あちらで凄い活躍中ですから、
そんなに悲しまなくても良い」と言っていますと、「とりつぎ」さんから連絡がありました。
人間は、あの世でもこの世でも、存在できそうですよ。
みなさん、少しは死ぬことの怖さが、減りましたか?
19:45 仙台南インターチェンジ入線 (雪)
20:30 古川インターチェンジで降りる
21:10 鳴子町着
昼間、車の中からの携帯で予約をしていた宿にたどり着くことが出来、
運転手の私としては、本当にほっとしたものです。
やれやれ、これでゆっくり寝られる。
ところがこの「国崎荘」が神様の手配の宿だったことがわかるのが、次の朝。
この宿は実は副業、本業は「鳴子のコケシ」製造直売の店だったのです。
着いたのが夜だったし、宿の駐車場が坂の上にあり、そのまま宿の玄関だった。
ところがこの宿の入り口は建物の2階だったのであり、1階は「こけしの店」という宿だったのです。
そのことがわかったので、こけしでも見ていくかと、入ってみました。
さっきお金を支払った時の女将さんが、今度は下の店で
笑って「いらっしゃい」と迎えてくれる。
みいちゃんが、神様ご指名の人形を一体、1000円で購入。
それと人形の原木「えんじゅ」を1本貰い受けました。
「えんじゅ」は漢字で書くと、「槐」。
木へんに鬼とは意味しんしんであるが、人間が「鳴子のこけし」の原料木に、この字を当てるとは不思議だ。
一体、人間って何だ?
(1月22日)
8:20 出発
私は本当に温泉が好きで、今朝も早く起きて宿の風呂に入った。
泊まり客は私達以外はいないみたいで、風呂にも誰もいない。
大きな声で「吉幾三」の「津軽平野」などをを歌っていると、おじいさんが入ってきた。
慌てて止めたが、このおじいさん、上手いですねえとおだてる。
少し話していると、このおじいさんはこの宿の主人だとわかる。
「ところでこの辺に有名な神社、ありますかねえ」
「ああ、あるよ、こけしの神様を祀ってある神社だ。でも山の上にあるから
この雪じゃあ、車じゃ無理だな。何に乗ってきました?」
「4WDのオフロード車ですけど」
ああ、なら行けるよ。ぜひお参りしていって下さい」
大体現場神業なんてのは、こんな調子で決めていくのです。
天は人をして語らしむ。
後で振り返っていくと、結局神様の言う通りとなっていることばっかりで
こんなことを繰り返しているうちに、
神様はおられる
神様には勝てん
という胸中になっている自分に気が付くのです。
鳴子スキー場方面に車を進めると、道路標識に『只今の気温 −7℃』
直ぐに左折方向、鳴子神社の看板が出ている。
朝早いということ、こんなに雪が積もっているということで誰も歩いた形跡もないし、車輪の後も無い。
おー、バージンローだと、わけのわからない喚声を上げて車は登る。
<鳴子皇大神宮祭事>
頂上はすっぽりと雪に覆われていました。こじんまりとしたお社も頭に雪の帽子。
うあー、素敵な神社ねえ、とみいさん。
ところが雪を知らない彼女、歩き出して悲鳴を上げる。
境内に一歩足を踏み出したとたん、キャー!
ものの見事に膝上まで雪に沈んで、ばったり前のめりに雪に突っ込む。
あれほど、そんな靴じゃあ、東北では歩けませんよと言うのに無視していた島さんも、うあー、こりゃたまらん。
そりゃあそうだろう、雪に埋もれた田畑の凄さなんて知らないもんね。
仕方が無いので、完全装備の私がラッセルして道を作ってあげる。
何とかして境内を進み、拝殿の前に到着出来た。
8:55 祭り開始
〈皇大明神社〉こけし、槐、東向き、先達:戸田
『お日様を背中にして脳天に浄め』9:06了
『もともとは木に閉じ込めるのが始まりだった。
でも、それを切る、削る事によって2度と出られなくなる。
木そのものの封鎖から出る事は容易いが、削るとロックがかかる。
あの菊の花は錠前、封印シールの役割。』
供えたコケシに封鎖されたヒト(女)
*チキちゃんよりずっと前のことをしゃべった。
『コケシに使われる木は代々コケシになるために生まれる。
だから、原木のタテカエも大切。
よって原木を供えてタテカエした事に意味が大きい。』9:12了
(解説)
人形やぬいぐるみ、コケシ等に「霊」が入り込むことは良く知られています。
人形の髪がどんどん伸びてくるのも、さほど珍しいことではありません。涙を流す、これも本当です。
しかしこの現象をありがたいことだとか、忌み嫌うなど、大騒ぎをしてはなりません。
へえ、そんなこともあるんだと、淡々と見ていてください。
本当の神様はそんなことをしません。
しているのは「霊」です。過剰な関心を持つのは、止めておきましょう。
「霊現象」に異常な興味を持つのは、危険です。
9:15 出発 鬼首へ向う。
雪の東北はスニーカーなんかでは歩けないことを思い知った二人は
、靴屋さんを見つけると「止まって、止まって」と叫びます。
結局道路工事やこ高速道路などで見かけた「業務用」を選び購入です。
10:00 鬼首着
鬼首に行くと言うが、そこがどんなところかまったく知りません。
実際についてみると、いわゆる高原で、夏であれば広大な牧場なんだろうなあという、だだっぴろいエリアでした。見渡す限り平たい雪の原で、遠くに高い山が見える、
夏だったら人や車でごったがえしている観光地なんだろうなあと、気が付きました。
ここでお祭をしなさい、とのことなのですが、車を停めておける適当な場所が見つかりません。
積雪のため、道幅が極端に狭くなってしまっているからです。
そうこうしている内に、この高原内の道は結局一周している輪のような道であることに気が付き、
どこかで強引に駐車しなくてはならないことと決断します。
牧柵で囲まれた牧場の脇に、道路らしい雪道を発見。
入り口は針金で封鎖されていましたが、そこに車を停めておき、
歩いて100メートルほど中まで入り込みました。
大雪の後なので、膝まで雪に沈み込んでしまいますが、どれだけ見渡しても人一人見当たりません。
まだ朝日の感じが残る太陽が、さんさんと光を届けてくれますが、
空には雲ひとつ無く、放射冷却のため、頬や耳が痛いくらいの寒さです。
前方にそびえる山に向っての祭りとなり、ビニールシートを敷き、そこに座り込んで開始です。
目の前に牧柵がありますが、その先は見渡す限りの雪の平原です。
その先にある山から、厳かな、なにか圧倒されるような神気がやってきます。
これほどの神圧を感じる山は、今まで富士山を除いてはありませんでした。
さてどんな「とりつぎ」がみほさんの口から出てくるのか、
楽しみで待っていますが、一向に言葉が出てきません。
「あのね、なにかものすごくて、私の変換能力がついていけないの。
なにか今までとは次元が違う神界で、言われていることが良くわからない」
「チキちゃん 変換能力なし、来ている事は確か、良い悪いでいうと、良い事は確か」
『聖なる山』
「メッセージはすごい。ミッシング・・・が英語で聴こえる。空白の1億年の了」
10::28 了
こりゃいかん、全然太刀打ちできない相手らしい。
しかし私にとっての関心は、こんな凄過ぎるわけのわからない神様より、
目の前でどんどん凍っていくお供えの水です。
どう見ても単なる薄氷ではありません。
尻はどんどん冷えてくるし、耳は千切れそうに痛くなるし、
かと言って、目の前の山からどんどんやってくる神圧には感動しと、もうめちゃくちゃな状態です。
島さんも、この場ではもうこれ以上は無理だと判断し、祭りを了としたのです。
ともかくこの冷え切った体を何とかしなくては。
車に戻り、来た道を引き返すと、直ぐ近くに
「町営温泉 鬼首の湯」と書かれた2階建ての小さな建物があります。
ここで温泉に入るわけにはいきませんが、暖房はされているだろうと入ってみました。
小さなロビーには大きな石油ストーブがたかれ、
南側の壁は全面ガラスになっており、太陽の光がぽかぽかとあふれていました。
暖かい缶コーヒーを自動販売機で買い、それを飲んでやっと体の震えが止まります。
お姉さん、あそこに見える綺麗な山は何と言うの?」
島さんが訪ねます。
『かむろ岳』と言うんですよと店員さん。
於:鬼首の湯
MIE筆
「山全体かどーんっとくる。しかし私も、多分、チキちゃんもその内容の言語変換機能が足りなくて、
内容の質量とか重さだけが厚みを伴って届けられるのがわかるだけ。
というと、今、「ではー」ということで映像という方法で、少しずつ見せさせてくれ始めた。
ここでやってた儀式をかなりそのまま、曉のインディアンが再現している。
月のおどり、あさやけのいのり、たくさんのこと。
今はここまで。」10:55
「解説」
ここで鬼首高原の神業は終わり、この後平泉中尊寺に向うことになるのですが、
その道中の車内で、島さんから「ここは絶対に忘れてはならない場所になった。
絶対にもう一度来なくてはならんぞ。
戸田君、その時は君が『あさやけのまつり」をとりしきりなさい。』
と言われてしまうことになる、重要な神縁地となってしまいました。
一体何年後に突然神様は「あさやけのかむろ岳祭り」と言い出すのでしょうか。
むろんあの「かむろ岳」の神圧を体験した私は、
ぜひともあさやけの祭りには参加したいところですが、さてそれまで元気がもつのか、怪しいところです。