2000年12月30日
クスコ市内観光

第3日 12月30日(土) mc 3時00分 朝   食 3時00分より  場所 1F レストラン
  荷物回収 3時30分 場所 部屋の 外 集合時間 4時20分 場所 ロビー


4時30分に小型バスでホテルを出発。空港では、ガイドさんの手続きが終わるまでバスで待機する。6時の飛行機の予定が30分遅れ、6時30分発のランベル航空LP001便に乗りクスコに向かう。飛行時間は、約1時間だ。
 それでも飲み物とハムとチーズを挟んだサンドイッチが出されたがホテルで済ませてきたので食べなかった。着後、ホテルのロビーでしばらく休んだ後市内観光の予定が、バケージが届かなかったのでバスの中で待機した。
 出発までの時間バスの周りには土産物を売る土地の人達で囲まれていた。小さな子供もおり、ガイドの許可を得て飛行機で出たサンドイッチをあげたら物も言わず胸に抱えて走り去った。しばらくすると他の子供を連れてきて私を指さしていたが、もう上げる物はなかった。
 11時迄待ってもバッケージが届かなかったため、あきらめて市内観光に出かけた。
 最初の見学地コリカンチャ(サントドミンゴ修道院)は、私達のホテル(リベルタドール)の隣であり、ホテルでトイレ休憩ををし、徒歩で出かけた。
 標高3300メートルの高地にインカの人々が作った精巧な石組みを中心に見学したが、その上に作られたスペイン風の建物が貧しく見えたほど、重々しく素晴らしい礎石部分だった。
 次に訪れたのは、山の上に作られた砦、サクサイワマンだった。巨石を組み合わせて3段の巨大な砦で、緑濃い芝生との組み合わせが、強者どもの夢の跡を感じさせた。あいにく雨が降り出し急いでバスに戻った。
 次の見学地ケンコーは「迷路」と呼ばれており足下も悪く、希望者のみ見学した。
 最後の見学地タンボマチャイは、3段の石壁より聖なる水が流れ出ていた。それらを見学後、アルマス広場に戻りレストランで昼食を食べた。バイキング方式でいろいろなペルー料理があったが、私の口にあったのはアルパカの肉の野菜煮込みと鱒の天ぷら風料理だった。
 2時より大聖堂の見学をしたホテルに戻った。
 現地ガイド紹介の、アルパカセーターの店まで、案内され5枚ほど購入したが、気に入ったデザインの品は少なかった。珍しく夕食まで時間があったので、ホテルの周りの店をひやかしたが、土地の人たちの店は、暗く商品も少なかった。しかし、3階建ての専門店では、値段も高かったが素晴らしいデザインのセーターがあり購入した。夕食は、ホテルのレストランでクスコの地ビール(クスケーニア)を飲んだ。バイキング方式の食事だった。


サント・ドミンゴ教会/コリカンチャ(Iglesia de Santo Domingo/Qorikancha)見学

剃刀の刃を通さない石組み
石には突起は何のためか?
窓は常に台形となっている

素晴らしい石組みの構造
スペイン人が作ったみすぼらしい石組み
  クスコ (Cusco)
 クスコは、1100年にマンコ・カパック(Manco Capac)によって築かれた小国であったが、1438年9代目の王パチャクティの時代に、インカ帝国として急激に勢力を伸ばした。コロンビア南部・チリ・アルゼンチンを統治する巨大帝国となったインカ帝国は、首都をクスコにおいた。
 1533年11月15日エクアドルから南下したスペイン人ピサロは、13代皇帝アタワルパを処刑し、クスコに進駐した。彼らはインカ帝国の金は延べ棒にして本国に送還し、財宝は欲しいまま略奪した。更に、太陽の神殿を破壊し、その土台にサント・ドミンゴ教会を建て、太陽の処女の館の跡はサンタ・カナリヤ修道院を建てた。1650年・1950年・1986年とクスコを襲った大地震は、後からスペイン人達が建てた建物に大きな被害をもたらしたが、インカの石組みはびくともしなかったそうである。
 クスコの中心であるアルマス広場(Plaza de Armas)は、観光客、地元の人々で昼夜を問わず賑わいを見せる。サント・ドミンゴ教会/コリカンチャ(Iglesia de Santo Domingo/Qorikancha)に、剃刀の刃一枚も通さないと言われるインカの石組みがある。
クスコ近郊の遺跡めぐりでは、要塞サクサイワマン(Sacsayhuaman) 、生贄の地ケンコー(Quenko)、聖なる泉タンボマチャイ(Tambo Machay)を見学
     本日の宿泊
ホテル名 リベルタドール
 : Hotel Libertador Cuzco
ADDRESS:Plazueleta Santo Domingo 459, CUZCO
LOCATION: City center near historic monuments


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