12月28日 キャラバンサライ・コンヤ観光


                 キャラバンサライの隊商宿(スルタン・ハーン)
中央アナトリアが貿易路として栄えた時代、カッパドキアにも隊商の宿泊所として、キャラバンサライが国の保護の元に建てられた。アナトリアには40を越える隊商宿があったそうだが、現在当時の面影を残すものは少なく、車窓より崩れたキャラバンサライを多数見た。


隊商のラクダを収容する入り口 隊商達の入り口 建物の中央にある礼拝堂
礼拝堂の天井部分 礼拝堂内部の飾り? 冬季宿泊所(左はハマム入り口)


                ビュユック・カラタイ神学校(カラタイ博物館
 1251年にセルジューク朝のジェラレッディン・カラタイ宰相によって造られた神学校。建物のドームは、ターキッシュ・トライアングルと呼ばれるトルコ独特の建築様式で造られている。現在、此処は陶磁器博物館として、街の城塞などからの出土品が並べられているが、シルクロードの影響か中国を思わせるタイルが数多く展示されている。



                   メヴラーナ博物館
 旋舞教団としても知られるイスラーム神秘主義の一派、メヴラーナ教団の創始者メヴラーナの霊廟である。入り口正面の部屋には、棺がずらりと並べられている。すべての棺に金刺繍の施されたカバーがかぶせられ、もっとも重厚で豪華な棺がメヴラーナの棺だそうだ。しかしさすがに棺を撮影をする気にはならなかった。1927年に博物館として公開された。



                       ハマム初体験
 コンヤのホテルでは、旋舞宗教の踊りがショー形式で見えるとのことだったが、田舎のハマムを体験しようと添乗員が禁止するにも係わらずツアー仲間と一緒にタクシーで街に出かけた。コンヤの街は明るかったが街をすこしはずれると明かりが無く、真っ暗闇となる。どこに連れて行かれるか不安になった頃、ボーと赤い電球がぶら下がった家の前で停車する。「ハマムか?」「そうだ」「待っていてくれるか?」「帰るとき呼んでくれ」とのやりとりの後、入り口の扉を開ける。番台のようなところに親父が座っており、中央のだるまストーブでひげもじゃの大男達が暖をとっている。親父に料金を聞いてから、着替え場所を聞くと、ドアに鍵のないような部屋で着替えよと云う。パスポートは宿に置いてきたが財布には、少々金が入っている。裸になってしまえば財布を入れて置くところがない。まさか頭に縛り付けるわけにもいかない。ままよと二人とも裸となり、汚いタオルで体を包んで部屋を出る。すると案内の大男がスリッパを用意して待っている。
 小便臭い暗いところを通りハマムに案内される。最初に髪の毛を案内とは別の大男が丁寧に洗ってくれる。次にまた別の男がコンクリートの台にタオルを敷いて「此処で寝なさい」と云っている。横になると暖かく気持ちがいい。体から汗が流れ出すと、軽く体をこすってくれる。気分が良くなったら「チップ」が欲しいといいだした。手元に金がない(裸だ)ので「後で」と答える。最後に体の汗を石鹸で洗ってくれて終了だ。また案内の大男が脱衣室まで案内し「チップ」と云う。
 仕方がないので着替え後、日本のたばこを番台の親父に渡し「皆で分けなさい」というと大男達が笑顔となる。 タクシーをその中の一人が外に出て呼んでくれ無事ホテルに帰還することとなった。


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