【3日目】          黒部渓谷トロッコ電車
■黒部渓谷トロッコ電車: シーズン中のご乗車のアドバイス
10月中旬〜11月初旬くらいが 紅葉の時期です。
連休・休日は 混みあいます。  黒部渓谷トロッコ電車は 2週間前から予約開始です。
希望の時間帯に ご乗車されたい方は 事前に 予約を 入れておく方が 絶対 良いです。


 
※黒部渓谷トロッコ電車予約・・・пF 0765−62−1101

駐車場は 宇奈月駅周辺(徒歩3分くらいのところ)にも 宇奈月駅前にも あります。

各自で 申し込む事も 可能ですが 旅行社に 申し込んでおく事も 出来ます。

当日券は 朝6時50分から 駅の窓口にて 販売されています。

  ●黒部渓谷鉄道オフィシャルサイト  ← (クリックすると ご覧いただけます。)
フィール宇奈月の 朝食は バイキング形式と なっております。
私達は 10月8日に 宿泊したのですが 朝食に 富山県コシヒカリの新米が 出ていました。
何よりも その新米と 白味噌のお味噌汁 梅干が とても  美味しかったです。
ドリンクは  麦茶に オレンジジュース コーヒーで 飾られていました。
和食 洋食と ご飯に パンで 飾られていました。とても 美味しく いただきました。

私達は 足早に朝食済ませたらレジアスを ホテルに そのまま駐車させて戴き
黒部渓谷トロッコ電車へと 足を 向けました。

かなりの 混雑です。  
ですが まだ 紅葉満喫時期に 達していない為(10月9日現在) これからが
更に 混みあうと いう事です。  これ以上 込み合ったら 凄いと 思います。
シーズン中は 事前予約を お薦めします。(乗車2週間前から予約開始)


私達は 11時06分発  欅平行き 宇奈月ー鐘釣までの区間を 乗車しました。

宇奈月ー鐘釣まで 約60分     宇奈月ー欅平まで 約1時間20分です。
私は 旅行社勤務時 国内業務で 黒部渓谷に 来ていますが・・・・
欅平まで行くより 鐘釣で 下車する方が 自分的には お薦めだと感じていました。
【足湯】
      【鐘釣温泉旅館】
修理か なんか されてたのかな?
■鐘釣周辺情報・・・

   鐘釣駅下車し 階段を 下っていくと(約15〜20分程) 河原に おりれます。
   河原には 温泉が 湧き出ていて 露天風呂が 楽しめます。 又 対岸の黒部万年雪も 楽しめます。

     ○ 鐘釣美山荘      пF0765−62−1248
     ○ 鐘釣温泉旅館    пF0765−62−1103   ※鐘釣温泉旅館のサイト←クリックすると
                                                          ご覧戴けます。
   鐘釣駅から 徒歩5分くらいで 足湯が あります。
   その足湯の横に 鐘釣温泉旅館が あるわけです。
乗車時間の11時06分になるまで
コシヒカリソフトクリームを 味わっていました。
ソフトクリームの中に お米の粒粒が 入っていて
面白い食感のソフトクリーム。
寺ままは 普段 あまり 食べないのですが
ちょっくら ソフトクリームを 私も 買っちゃいました。
寺ぱぱが 塩ソフトクリームに すれば 良かったと
後悔し 帰りに 又 塩ソフトクリームを 買って
食べていました。
よく 食べる 寺ぱぱです。
直も 喜んで 食べてばかり いました。
皆さん ダイエットは????
いよいよ 欅平行き11時06分発
乗車案内が 出され トロッコに
乗り込みました。2号車の一番前を
ゲットしました。
黒部渓谷トロッコ電車 発車〜!
直は マイカメラで 撮影スタンバイOK

この直の 横顔 誰が 見ても
きっと 可愛いよね。@0@


まず 最初に 赤い橋が
 左側に 見えてきます。
10月9日現在 まだ 紅葉とまで いってませんでした。
ですが やっと 旅行中 晴天に 恵まれ
とっても 気持ち良かったです。
晴天の下 黒部渓谷を どんどんと トロッコは
ガッタンゴットンと 走って行きます。
昔 ダムを 作る為に 木材を 
運んでいたトロッコです。
昭和38年から お客様も この 美しい 
黒部渓谷で トロッコに 乗せてあげよう!
ということで お客様が 乗る トロッコが
開始したそうです。
改札口を 一番前で 並んでたので 
駅員さんと お話が 出来て 駅員さんが
いろんな 黒部渓谷の お話を してくださいました。
ありがとう。駅員さん。
凄い勢いと 水の量で 放水されていました。
森林の中 青い空と オレンジのアーチの
コントラストが とても 綺麗に 見えました。
お城のような 建物・・・。
実は 新柳河原発電所といって
幾度となく洪水にみまわれた
「暴れ川・黒部川」の治水の為に
宇奈月ダムが造られ その後
平成5年に新柳河原発電所が
設置されたそうです。
トロッコ電車は 狭くて深い谷
水色の後曳橋を 渡ります。
対向トロッコ電車と行き交います。
互いの乗車客が 手を振り合って
旅を 楽しんでいました。
本当に晴天です。青空いっぱい。
森林は まだ紅葉では なかったけれど
とても気持ちの良い緑色で
思いっきり 息を吸いたくなるほどでした。
旅の前日まで ある事が有り
寺ままは 体調が悪かったですが
真っ青な 青空の下・・・・・ 
この黒部渓谷の大自然の空気を吸っていたら
とても気持ち良かったです。
寺ぱぱも直も そうだったんじゃないかな。
ダム湖の水・・・。
絵の具で 色づけたような
綺麗な 薄緑色でした。
宇奈月から60分くらいで 鐘釣駅に到着します。
帰りの トロッコ電車を 予約入れる為(発車する駅では 購入出来ない為)
寺ままは 得意の RUNで 猛烈勢いで親切な改札口にいた駅員さんに 
教えて貰ったとおり受付まで走り(一番に受付に着いた@0@
帰りのトロッコ電車の予約を希望時間で入れられました。


鐘釣では 40分くらいしか 取れません
でしたが(当日券 混雑の為希望時間が
取れなかった為)足湯の方に 足を向けて
散策してみました。
青空から 木々の葉の間を
零れ落ちてくる太陽の光が とても気持ち
良かったな。

ほらね、直も マッチョマンの真似して
大ハシャギ。@0@  
とても とても 気持ち良さそうに
楽しそうでした。

「直ちゃん〜。マッチョマンに なっているの?


ママが ターミネーターのサラ・コナーだから?
        @0@
画像の直の右横に 咲いている花
ユリが ご覧いただけますか?

ポツンと 岩肌の間に 咲いていたのです。
とても 可憐に 可愛く 咲いていたので
寺ままは 思わず 撮影に 夢中に
なりました。
ほらね、 綺麗な花でしょう。ねっ。
寺ままは お花が
大好きです。

小さい花も 大きな花も・・・。

野に咲く花も 好きです。
青空に浮き上がるように そびえ立つ
緑いっぱいの木。

あまりにも 綺麗なので シャッターを
押してばかりでした。
本当に お茶目な直。
    又 マッチョマンに なっているの?
               鐘釣駅にて。
あら〜、 又 お茶目な直 
       マッチョマンに なっているの?
            帰りは 時間の関係上 リラックス車に。
何だか 520円 追加料金かかりましたよ。
※運賃表・客車案内 ← (クリックすると ご覧戴けます)
真っ直ぐに 青空に向かって そびえる
   木々の間を

  光輝いて 零れ落ちてくる太陽の光が 
     とても とても 気持ち
           良かったな。

その光から・・・
エネルギーを いっぱい いっぱい
  寺ままは もらいました。

     光さん、  ありがとう。
秋・・・
私が 生まれた季節・・・。
お母さん 私を 生んでくれて
ありがとう。
なかなか 照れくさくって
お母さんの近くに いる時に
言えなかったね。

いつか・・・
息子達も 今の私の想いと 同じ想いに
なるときが くるんだろうな・・・。
何気ない風景なのですが・・・
心を 引き寄せられるような想いが
しました。

ふりそそぐ 太陽の光が・・・
いっぱい いっぱいのエネルギーを
寺ままに くれている様な
気持ちに なりました。

一生燃焼!
ありがとう。太陽の光さん。
     その時・・・・・・

           直は???
コシヒカリ笹だんご
おいしいよ〜

まいう〜(^0^)
いよいよ  トロッコ電車は 宇奈月駅に 到着しました。

本当は 前日に 行く予定でしたが・・・土砂降りの大雨の為 この日に なった為
鐘釣で あまり お時間が とれませんでしたが 晴天に恵まれ
良い想い出・記憶が 直の心の中の アルバムにも 残せたと想います。

  パパもママも 揃っていたね。
         大ちゃんも 揃う 予定でしたが。
北海道の旅は 直が まだ 小さかった為 記憶が 薄いようです。
なので・・・  色々とあり なかなか 家族揃って という事が 出来なかったので
今回の旅を 考えました。「家族」が テーマでした。
直の記憶に残る年齢の間に 家族揃っての旅行の 想い出・記憶を 直に 作ってあげたいな。
【宇奈月駅にて】
黒部渓谷・ 宇奈月にも 来たね。
ラスト日 天気に恵まれて 青い 青い お空に 恵まれて
いっぱい いっぱいの 美味しい 空気も 吸えて
パパも ママも いて   良かったね。
大ちゃん   きっと   クシャミ しているよ。
ところで。。。
大ちゃんの おみやげって 買ったっけ〜〜?
☆☆☆★★★★★★★★★★★★★★★☆☆☆
立山連峰 家族の記憶を ありがとう。

      また 逢おう。

今回の旅は 家族を もう一度 振り返る・・・・・・
 「家族揃おう。」 「家族」 が 旅の目的でした。

 
又 次男には 「家族の旅」 というのを 彼が 成長した 記憶ある年齢の時に 
  持たせてあげたい。という 強い 親の想いからでした。

息子達の 成長と 共に 色んな 道のりを 寺田ファミリーは 歩いてきました。

 次男が 生まれて 家族4人と なり 
  寺田ファミリーの旅を  北海道を 中心に 
            寺田ファミリーの子育てに 足と なってくれた
                      時には 宿と なってくれた 
     家族の夢 いっぱいで ローンで購入した(平成10年 2月の事)レジアス・・・・。

 息子 長男が 生まれて 15年と半年・・・
 その道のりの中で 次男も 生まれ・・・・

 このホームページでの 寺田ファミリ〜は いつも 家族一緒に 揃っている・・・・・・
そういう イメージだったと 思います。

ですが・・・・・

 主人に 親が いなかった事・・・・・
お互いが  里から離れた遠方で 生活を スタートし 
始めての経験の親としての道のりを 歩き・・・
一家の主である 又 息子達の父親である 父さんが 
(他のご家庭も そうかもしれませんが・・・・)
仕事人間  仕事多忙で・・・・・・
      
      会社の為に 生きているのか ・・・・
              家族の為に 生きているのか・・・・・

生活を 築き上げていくには 仕方が なかったかもしれません。

ですが・・・・  持病を もっている私にとって  
里から(実家) 遠く 離れた 遠方のところで
 父親業と母さん業を こなしてく事は・・・・
とても 体に無理を いっぱいしてきた部分が ありました。

持病の悪化で 手術・入院を することさえも ままならず それが 大イベントのように・・・
いつも 息子達を どうするか・・・で 夫婦で 考えてきた道のりでした。
高額になりますが・・・個室を とって 息子と 一緒に入院したり・・・・。 
思い起こせば 自分の病気も 薬で 抑えて 我慢して 我慢して  
必死に がむしゃらに 子育てをしてきたと 思います。 

ですが 平成16年の12月に とうとう 
ガンというものにまで 進展してしまい 私は 完全に倒れてしまいました。
長男が 思春期に 入り始めた頃です。

退院後 やはり 生活して行く為には 父さんは 仕事 仕事 仕事・・・・・
毎日 息子達と 顔を 会わす事も 会話する事も 出来ず
休日も 臨時出勤・・・・ 家庭に居ても  デスクに向かう日々でした。

家族と いうものは 又 息子達にとって 父親というものは  
例え 30分でも いいから 家族揃う。
家族団らんを 通じて 父親と息子のコミュニケーションが 必要だと 感じます。

母親は 出産を こなしてきているだけに 本能的に強いです。
ですが・・・・   強さも 疲れに 変わってきます。

息子の成長と 共に “家族の心のすれ違い”が 起こり  
息子が 小さい頃のモノとは 色が 又違って 精神的にだけではなく  
息子の成長した大きな体と共に 母親は 心身的にも 
大きな ダメージを 受けて行きます。
私は 難しい年頃 思春期の息子・・・・
がむしゃらに がむしゃらに 父親業と母親業を こなし歩いてきました。
時には 声が 出なくなるほど 疲れきり・・・・

同じ立場の方なら ご理解いただけるかと 思いますが・・・・
突然 亡くした 別れには
自分の肉親を 亡くした後の 2年くらいは 相当 辛いモノが あります。

自分が 一番 辛かった事は・・・・ まだ 立ち直れていない母親を
遠く 遠方にあるあの家に ひとり 置いている事でした。

ですが・・・ 
自分も母親で ある以上  思うように 母のところには 顔を見せてあげれません。
   母が 病気の時さえも・・・  
       母が 父の事を 思い出し 泣いている時も・・・
            母が 私の 生まれ育って一緒にいた家族の事で 
                     悩んで 泣いている時さえも・・・・
私も 母親である以上  ここを 離れるわけには 行かず 思うように 
母の傍に いてあげれなかった事が・・・・・・ 
自分が 思春期の息子を抱えて母親として 悩んでいた事以上に 辛かったです。

そんな事も 自分の中だけに閉まって 必死に 息子達の母親を してきました。
時には 虚しさで どうしようもなくなる時も ありました。

ですが  自分で 自分を励まし 前をみて 歩いてきました。

息子の成長と共に 起こってくる 色んな 問題・・・・・
もう 「家族が崩壊」 というところまで いきました。

  私は 思います。



    家族の幸せ・・・・

      それは・・・・・・


    例え  6畳一間でも 良いから 家族が 寄り添える時間が ある 
   「団らん」が  ある家庭というのが   
            家族の笑いに 繋がる事だと 人生半分生きてきて感じます。

 例え  家族で囲める食卓とまで 行かなくとも   
1日 わずかな時間 30分でも良いから 家族が 揃う。
1日の出来事を 家族 それぞれが 話題に出せる 生活の余裕が 必要だと 思います。

 息子の思春期で 起こる 色んな問題 ・ 事から・・・・・
  寺ぱぱ 寺まま・・・・
           親としても  夫婦としても いろんな事が 見えてきました。


  同時に  私が 結婚するまでは 別居もしていた 私の両親・・・・。
あんなに 私の父親の事を・・・・・・・の母が  
父が 死んで あんなに号泣し  その後も 狂った様に 泣いてばかりいた母親の姿を観て
「夫婦の一生」  というものを 痛感し 学ばさせてもらいました。


   息子達の成長と共に・・・
           親としても 夫婦としても 学んで来た様に 感じます。



 そんな中で もう一度 「家族」 というモノを 振り返直す
そして 成長してきて 記憶ある年齢の間に 「家族揃っての旅の想い出・記憶」を
次男である直に 持たせてあげたかった 強い 強い親の想いから・・・・
この旅を 急遽 プランしました。

その旅に なかなか実施できなかった 私が 国内業務で感動した美しいところ・・・
自分が 母さんに なった時に いつか 自分の子に 見せてあげたいな。
と ずっと 思ってきたところ・・・・

       「立山黒部アルペンルート」 を 私は 選びプランしました。


 今の親としての自分の心境・・・・・
それは・・・   息子が 元気で健康で 笑ってくれている息子であれば・・・・
息子と親の間で 絆が 出来ていれば・・・・・
   もう それだけで充分・・・・。 という 気持ちに達するまで きました。
その気持ちに 達するまでは 息子と親である私達には 言葉では 語れない
家族の積み木崩し  が ありました。

でも  父親も いろんな事に 頭を打ち 気付き・・・・・
私と一緒に 思春期の息子に 根気よく 向かい合ってくれました。

もちろん   今も 父親は 家族が 生活して行く為に 仕事 仕事の毎日です。
ですが・・・・・
 何か 今までとは 違うモノを 彼なりのやり方で 息子と向き合ってくれました。

父親が不在の分   母親である私は 父親業 母親業と・・・・。
時には 親になった事に 親になった無意味さを感じたり 自信喪失にさえも なりました。

 
 ですが  

     子を守れるのは 親の他に 誰が いるんだ!
                  私しか いない!  

と 気丈に 気丈に 思春期の息子との荒波を 歩いてきました。

 言葉では語れない 辛い毎日でした。

私は 病気(手術)から 回復してから ずっと どんな時も 走り続けています。
  
 マラソンは 自分に打ち勝たないと 走り続けない 厳しいモノです。
 ですが それに 打ち勝って 「持続という 根性」を 母さんの走りで 
 これからも  息子達に みせていけれたら・・・。



  この旅を する前日まで ある事が 息子との間に起こり・・・
根気よく 根気よく  親(私達)は 息子に 向き合い 語り合いました。

  少しづつですが・・・・

 「家庭崩壊」とまで いった 私達・・・・

 親と子の間に 「絆」が しっかりと 出来て来た様に 感じます。
 同時に 夫婦の間にも 見えてきたように 感じます。

息子が 健康で元気でいれば 家族の絆さえ 家族の大切さ 尊さを
息子が しっかりと 噛み締めてくれていたら・・・・
それだけでも もう充分・・・と 親である自分に 悟っています。

最近  そんな親の想いを 気付いて きているような息子の心の中を とても感じます。

まだまだ   これからが  本番かも しれませんが・・・・

                「家族の絆」の 大切さ。 
    それが あれば・・・・・・・ 色んな 人生 歩いてみろ。 色んな人を 見てみろ。
          どんな下をも ドンと構えて 私は 親として 向き合う!

   息子よ・・・          
       色んな 人生 歩いてみろ。見てみろ。 

母さんは  息子を 信じているよ。 

   母さんが 産んで  母さんの この手で 育てた息子を。

色んな 言葉では 語れない 暴れた 荒れた毎日 ここ数年だったが・・・・・

 息子と親の間に・・・・

          「家族・絆」という二文字 が 

    息子の脳裏に刻まれ 成長したように感じる 最近です。



   寺田ファミリ〜

  色んな道のりを 歩いてきました。 時には 立ち止まって もがいた時も ありました。
これからも  色んな道のりが 待っている事でしょう。

  ですが・・・・

   息子達よ・・・。


    「家族・絆」の意味の わかれる、 ある、 親子で いよう。

 たった 一言の 相手を 思いやる 言葉の大切さを わかれる人でいよう。
      かけあえる 親子でいよう。


  どんな時も  どんな時も

         母さんは お前を 信じているよ。  信じきってやるよ。

 幾度も 幾度も 根気欲 根気欲  息子と 引かず 諦めず 向かい合ってきた私達。

 どんな時も 必ず 息子は 向き合ってくる姿勢を 必ずの様に とってくれたね。

 これからは 自分が 愛した 大切な彼女(ひと)を  大切に 守っていくんだよ。


         寺田ファミリ〜の 子育ての歴史が ある レジアス

                    来年で ディーゼル車の為  廃車と なります。

                 家族の旅・冒険が いっぱい詰まった車 レジアス

エピローグ
      立山黒部アルペンルートの旅

           回送距離入れて


                      走行距離:900k.
FIN
父親とは 家族が 生活して行く為に 働きます。
母親とは 家庭を 守る為に 働きます。
ですが・・・ その中で 忘れては いけないもの。
   「心が 触れ合う 家族の絆。」
【ホームページ作成者: 寺まま】
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