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第一章 少女と男

「まだあの子は捕らえられないのかしら?」
 つかつかと薄暗い廊下にヒールの音を響かせ、妙齢の女が長い黒髪を掻き上げながら不機嫌そうな声を漏らした。紫紺のスーツにタイトスカート。首からアメジストが埋め込まれたネックレスを下げ、髪を流す細い指には銀色のリングがはまっていた。
 そんな女の後を数人の白衣を着た男が続く。
「申し訳ありません。優秀な者を向かわせてはいるのですが、向こうにはあの男がついているもので……。あの、“魔弾”が……」
 白衣の男が憂鬱そうに言った。その報告を聞いて、女は真っ赤なルージュで潤う唇を歪めて眉間に一層濃い皺を作った。
「まったく、忌々しい男だわ」
 女は爪を噛みながら愚痴をこぼすが、すぐに気持ちを落ち着かせて手に持った資料の束に視線を落とした。
「あの子の事はあなた達に任せるわ。それより、残りの天使ちゃん達はどうなってるのかしら?」
「はい。現在までに“無垢なる獅子”を含めて十の適合者が選出されています。そして、残り二つの内一つは……」
 男はそこで話を切った。そのまま一行は無言で白い壁に囲まれた廊下を進み、先頭を歩く女が廊下の突き当たりにある重そうな金属製の扉をゆっくりと開くと、そこには巨大な水槽のようなものがあった。
「ここまで復元できました。これで十二天使の内、十一の復元に成功したと言えます」
 先ほどの男が自慢げに言ってのけた。女はニマリと笑みを浮かべ、ゆっくりとその水槽のような容器に近寄っていく。
 半径一メートルくらいで高さが二メートル強ある円柱型の容器の中には、全裸の少女が瞳を閉じたまま透明の液体に浸かっていた。口元には酸素を供給するマスクが取り付けられており、全身の至る所にコードのようなものが巻き付いていた。年の頃は十歳前後。瑠璃色の髪がゆらゆらと液体内で揺れている。
「素晴らしいわ。これでまたあの人の夢に一歩近づいたわけね」
 女は透明な容器に手をついて、中で漂う少女の胸元を見つめた。少女の胸元には、不気味に輝くエメラルドのような宝石が埋め込まれている。
「この子はアリエスね。……美しいわ」
「はい。これで残るはバルゴだけですね。そしてレオの捕獲し、洗練していけば……」
 男の一人が満足そうに少女を見つめる。
「ええ、もう少しよ。もう少しであの人の夢が現実となるのよ!」

* * *

 かつて世界には魔法が満ちあふれていたと言う。それを利用して栄華を極めたのが今に言う古代文明であり、空に浮く城や水中の都など、今では考えられないような建造物が世界を埋め尽くしていたらしい。
 そもそも魔法とは神が人間に与えた特別な力のことで、人間はそれを行使することで幸福を得ていた。だがいつしか人間はそんな魔法を授けてくれた神に対する感謝の念を失い、自分らを上から見下す神に対して不快感を抱くようになっていった。
 そして人間は“神狩り”と呼ばれる、神に対する最大の冒涜行為、つまり神を殺すという大罪を犯した。その後古代文明は急速に衰退していき、人間は魔法力を失っていったと多くの書物に記されている。
 さらに神の居なくなった世界を“黒い影”と呼ばれる邪気が覆い、世界各地に多種多様の魔物が生まれた。魔物は人を襲い、魔法の力を失った人の多くが魔物によって命を落としていった。
 しかし魔法は完全に失われたわけではなかった。人間は自身だけでは魔法を使うことは出来なくなったが、ジェムと呼ばれる宝石を用いることで体内の魔法力を活性化させて具現化することができる。
 ジェムは、かつて古代文明が栄えた頃に様々な職人によって魔法力を結晶化したものであると言われ、キラキラと輝く宝石のようなもの。籠められている魔力の属性に応じて、炎を生み出したり、人の傷を癒したりする事ができる。
 人はジェムを様々な武器に埋め込み、その力を利用して魔物と交戦した。
 そんな人と魔物の争いの歴史はすでに千年近くの時を刻んでいる。今でも世界には魔物が溢れ、人々は一方でそれに怯え、一方で勇敢に戦いを挑んでいる。

「――っと、まあ、そんな感じだ。だから世界は魔物で溢れかえってるってわけ」
「…………」
 荒れ果てた荒野を進む二つの影。長身の男と小柄な少女。
 男は紺色の生地で出来た長袖服の上に茶色い皮のマントを羽織り、丈夫そうな革のブーツを履いて、目元を丸いレンズのサングラスで覆っている。
 一方少女は胸元に緋色のリボンがある黒地のトップ。スカートは足首まで覆う黒いフレアスカートで、裾には白いフリルが付いていた。レースの入った白い襟は砂や塵で汚れており、スカートも所々ほつれている。
 二人とも大きな荷物を引き下げ、照りつける太陽の下、見渡す限りの荒野を突き進んでいた。
「はい。本日の歴史の授業はこれまで。何か質問は?」
「…………」
 長身の男シェドが、脳天気そうな笑顔を浮かべて自分の隣を無言のまま歩いている少女アリアの顔を腰を落としながらのぞき込む。アリアはほとんど表情を変化させず、シェドの顔をジッと睨むように見つめ返した。
「よーし、質問はないみたいだな。明日はジェムの簡単な説明をしてやろう」
「……いい。シェドの話、つまらないから」
「駄目だぞアリア、お前くらいの年だったら本来学校で勉強してるんだから」
 シェドがアリアの桃色の髪をぐしゃぐしゃと手荒く撫でながら白い歯を見せる。アリアはそんなシェドの手を鬱陶しそうに払い、怒ったように口を尖らせる。
「何だその目は。俺が折角勉強の手伝いをしてやってるのに」
「……いらない」
「そう言うなって。もしアリアの両親が見つかってアリアが普通の女の子として生活するようになったら、学校にも行くことになるだろ? そんな時、全然基礎が出来て無かったら大恥かくぜ? だから心優しい俺が簡単な国語、算数、理科、社会を教えてやってるんだ。ありがたく思え」
「…………」
 物言いたげな蒼い瞳でシェドを見つめるアリア。しかし結局何も言い返さず、プイッと顔を背けると、その小さな歩幅でぴょこぴょこと歩を刻んでいった。
 自分の体に見合わないほど大きな荷物を引きずって進むアリアの背中をしばし見つめた後、シェドは誰が見ているわけでもないのに肩を竦めるポーズを取り、そして大きな歩幅ですぐにアリアの隣まで歩いていくと、その後は歩幅を狭めてアリアの歩くペースに合わせた。
「しっかし、テセアラの街を出てからもう一ヶ月くらいか? いい加減携帯食にも飽きたし、荒野を歩きっぱなしだから体中埃っぽくて気持ち悪い」
 サングラスの橋を押し上げ、黒い瞳を細めて何処までも続いているような荒野を視界に捉えてシェドが気怠そうに言う。
「私は携帯食、嫌いじゃない」
「そっかあ? こんな粉っぽい飯、俺は好かんね。ちゃんとした店で暖かい飯にありつきたいぜ。それにここ二週間は煙草も吸ってないからな、何か落ち着かねぇ」
「煙草は体によくない」
「まあな。でも俺は一日数本しか吸わねぇし、吸い殻をその辺に捨てたりしない優良スモーカーだぜ?」
「ポイ捨てしないの、当たり前」
「はいはい」
 シェドがボサボサの茶髪を乱暴に掻きながら空に向けてため息をつく。
 自分ら以外に人っ子一人見当たらない荒野を歩き続けるシェドとアリア。二人の頬や服には砂が張り付き、アリアの艶やかな朱い靴も砂で白くなっていた。


「……あ」
 太陽が丁度空の中央に昇った時、急にアリアが立ち止まり、その小さな口から驚きの声が零れた。
「どうした?」
「あれ、見て」
「んー…? お、街だ!」
 シェドがサングラスを外して目を細める。するとまだ距離はあるが確かに人工物であろう建築物が幾重にも重なって並んでいた。
「……多分、あれがトラキアの街」
「やっと見えたか。しっかし、この地図通りだとテセアラからあまり距離は無いように見えるんだが、実際は結構遠かったな」
「その地図いい加減」
「だな」
 シェドは手に持った地図を肩掛け鞄に押し込み、再びサングラスをかけた。街が見えて多少は元気になったのか、先ほどより若干歩くペースを上げて、二人は遠くに見える街を目指して歩き出す。


 世界には大きい大陸が二つある。その片方、アルトレア大陸の東部にあるトルメキア王国は、大陸のほぼ全土を支配する巨大な国家だ。東部にある他の弱小国をすべてその支配下に置き、強大な軍事力で今や別大陸にまで勢力を伸ばそうとしている。
 しかしアルトレアの南西部は土地が痩せている上、古代遺跡がない地域なのでジェムが採れるわけでもない。よってあまり見返りがないせいか、比較的トルメキアの力が行き届いていない地域が多かった。
 シェドとアリアが訪れた街トラキアも、そんなトルメキアの支配が行き届いていない大陸南西部にある小さな街の一つだ。
 周囲を荒野に囲まれており、近代的な都市には歩いてだとひと月近くかかってしまうような辺鄙な場所に位置するトラキアは、独自の文化を育んできた特殊な街だと言える。
 赤煉瓦の建物が無造作に立ち並び、都心部では時代遅れの機械や道具が大いに見られる上、行き交う人も他ではあまり見かけない変わった衣類を身につけている人が多い。
 そんなトラキアの街で、シェドとアリアが真っ先に向かったのはレストランだった。街の東口から入ってすぐの所にあった、アンミラ亭という地元料理が食べられる店に二人は颯爽と駆け込んだ。と言うより、シェドが突っ走るのをアリアが渋々ついて行ったというのが正しい。
「いらっしゃいませー」
 二人が中に入ると、店の中には何やら美味しそうな匂いが充満していた。若いウエイトレスの黄色い声が響き、二人は適当に窓の近くの席へ歩み寄った。
「おお、良い匂い。……くぅー、久々にうまいもん食えそうだ」
「まだお腹空いてない」
 久しぶりのまともな食事へ期待を膨らませているシェドに対し、アリアは不満そうに文句を口にした。しかしシェドはそんなアリアの言葉を無視し、丸椅子に腰を下ろすとすぐに、暇そうにしていた若いウエイトレスを呼びつけた。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「おおっ! 君、可愛いね!」
「え? あ、あの……」
 ウエイトレスは十代半ばくらいの少女で、サラサラとした金髪が印象的だった。シェドはサングラスを外して胸ポケットに収めると、マジマジと食い入るように少女を見つめた。見つめられた少女は恥ずかしそうに俯いて頬を赤く染め、持っていたお盆で顔の下半分を隠す。
「なあ、今付き合ってる男とか――」
「……シェド、迷惑」
 厭らしい目つきで少女を眺めるシェドをアリアが戒める。シェドがちらっと見ると、アリアは冷めた眼差しでシェドを睨んでいた。無言の重圧がシェドを襲い、シェドは決まり悪そうに後頭部を掻きむしる。
「あー……。はい、えっと、じゃあお薦めメニューを適当に出してくれないか?」
「は、はあ。かしこまりました。……そちらのお嬢さんは?」
「シェドと同じでいい」
「はあ……。では少々お待ち下さい」
 困惑した表情のまま、ウエイトレスの少女はぱたぱたと足音をたてて厨房へ消えていく。そんな少女の後ろ姿をシェドは見えなくなるまでずっと追いかけていた。
 待っている間にシェドはグルッと店内を見渡した。煉瓦造りの建物が多いトラキアだが、この店は木でできているようで、木造の建物の中には所狭しとテーブルや椅子が並んでいる。しかし客はシェドとアリアだけで、それ以外には猫の一匹も見当たらない。
 壁には立派な口ひげを生やした男の写真が飾ってある。その傍らには五、六歳くらいと思われる金髪の愛らしい少女が映っており、どことなく先ほどのウエイトレスと目元が似ていた。男と少女の周りには沢山の人が集まっており、色褪せた写真だというのに当時の穏やかな空気が漂ってくるような観がある。
 天井には大きな扇風機があり、カラカラと木が軋むような音を立てながら店内の空気が淀まないよう勤めているようだった。時折店の外から人の声が響く以外は、扇風機の音だけが静かに店内を包んでいる。
「穏やかな街だな」
「うん」
 今度は窓の外へ視線を移すシェド。道を行き交う人々は皆笑顔でとても楽しそうにシェドの瞳に映る。丁度レストランの窓からは道端の露店を眺めることができ、強い日差しを薄い皮の屋根で遮っている露店では、装飾類から食品など様々な物が売られていた。
「……そうだ、飯喰ったら宿を探そう。一ヶ月も風呂入ってないからな」
「お風呂、キライ」
「こら。女の子が風呂嫌がっちゃ駄目だぞ」
「…………」
 アリアが口を尖らせてむくれた所に、先ほどのウエイトレスが料理を運んで来る。魚がメインの料理で、美味しそうな匂いがシェドの鼻孔をくすぐった。
「お待たせいたしました」
「おお、うまそう。君、これは何て料理?」
「えっと、サバの味噌煮と言ってこの辺りではとても有名な家庭料理なんですけど?」
「ああ、店内に広がってるのは味噌のにおいか」
 シェドは一緒に出てきた穀類を少し食べて、汁物もちょっとすすってから、メインのサバに箸をのばした。茶色く染まったサバの身をつまんで口へ運ぶと、シェドの顔が思わずほころぶ。
「うめぇっ!」
「あ、ありがとうございます」
 ウエイトレスの少女は、シェドが美味しそうに食べる様子を見届けてからその場を離れようと踵を返した。
「あ、ちょっと待ってくれ」
「はい?」
 去ろうとする少女をシェドが呼び止める。アリアは無言のままぎこちない箸操作で食事を進めており、時折つまんだサバの身がアリアの箸を離れてテーブル上に転げ落ちると、少しだけムッとした表情を浮かべて手でそれを拾って口へ運んでいた。
「この辺りに安い宿はあるかい? 一ヶ月も歩きっぱなしだったから、風呂が無いところは勘弁して欲しいが」
「宿……。もしかして旅のお方なんですか?」
「ああ、テセアラの方面から来た」
「そうでしたか。……またどうしてこんな辺鄙な所へ?」
 ウエイトレスの少女は、他に客がいないので暇なのか単に旅行者が珍しいだけか、思いついた疑問をシェドに投げかける。それに対しシェドは料理を口に運びながら、
「この子は両親を捜して世界中を回ってるんだ。俺はそれに便乗しているだけ」
 と、簡素に答えた。アリアは相変わらず無言のまま食べ続け、少女と会話を交わすシェドを見ようとしない。
「え? あ……、そ、そうなんですか」
 少女は困惑した様子でシェドとアリアを交互に見つめる。
「ああ。詳しいことは言えないが、この子は幼い頃に両親から引き離されたんだ。それで今何処にいるかわからない、名前も知らない両親を捜している」
「……ご馳走様」
「うお、もう食べ終わったのか? ちゃんとよく噛んで食べただろうな?」
「うん」
 シェドがアリアの身の上を語った時、アリアが箸を置いた。そしてシェドの問いに答えつつコップに注がれた水を二口ほど飲んで、口元を服の袖で拭った。上着の白地部分に味噌の茶色っぽい染みができてしまったが、アリアは全く気にしている様子はない。
「はあ……」
 呆然と相づち返す少女。シェドは呆けている少女を余所に残りの料理を一気に平らげると、自身のコップの水を飲み干し、残っていたアリアのコップも空にした。
「……それで宿の場所は何処?」
「それでしたら今晩ここに泊まりませんか? ここ、昔は宿も兼ねていたのですよ」
 食べ終わって立ち上がったシェドの耳に、背後から中年女性の声が届いた。シェドが振り向くと、厨房の入り口辺りにエプロンを身につけた少し小太りの女性が笑顔で立っていた。少し輝き褪せたブロンドヘアに、棒のように細い茶色の瞳。
「あ、お母さん」
 ウエイトレスの少女が声の主を確認して声をもらす。
「盗み聞きするような形で耳に入れてしまいましたけど、その子のご両親をお捜しになっているのですって?」
「はい、まあ」
「でしたらどうぞ、うちの空いている部屋を使って下さい。宿泊費も入りません。お風呂もご自由に使って下さって結構ですよ」
「え? よろしいのですか?」
 女性の提案に、シェドが声を弾ませながら聞き返す。女性はニッコリと微笑みながら、
「ええ。ただ、食事をここで食べて頂いて売り上げに貢献してくれれば、ですけどね」
 と楽しそうに言った。シェドは大きく首肯し、「ありがとうございます」と礼を言う。
「あ、申し遅れました。私はシェド=ガンブレイブ。こっちはアリア=フィルガント。よろしくお願いします」
「……お願いします」
 シェドがにこやかに挨拶をすると、アリアも無表情のままペコリと頭を下げた。
「はい。私はジール=グレイ、そっちは娘のフィオナです」
「よ、よろしくお願いします」
 二人に続き、女性が娘を含めて自己紹介をした。フィオナと呼ばれた少女にシェドが食事代を渡すと、二人はフィオナに連れられて店の奥へと案内されていった。


「この部屋を自由に使って下さい。何かありましたら私に言って下さいね」
 フィオナにそう言われてシェドとアリアの二人が通された部屋は、掃除こそちゃんと行われているものの、長いこと使われた形跡のないこぢんまりとした部屋だった。
 床にはい草で出来た畳が敷き詰められており、部屋を二つの区間に分ける障子の紙も所々穴が開いている。年代物のタンスは木製で、取っ手のいくつかが壊れていた。
「ありがとう。早速だが、できるだけ早く風呂に入りたいんだ。フィオナは店の仕事があるだろうから、場所さえ教えてくれれば俺が何とかする。だから風呂の場所と薪の場所を教えてくれないか?」
「ええ、それならもう少し待って頂けますか? お母さんが店に準備中の看板を下げて、お風呂の用意してくれているはずですから」
「いいのか? そんなにまでしてもらって」
「はい。見てわかったと思いますけど、その、あまり繁盛してなくて暇ですから」
 フィオナがにこやかな笑顔を浮かべながら肩を竦めてみせた。シェドは白い歯を見せて応える。
「十五分もすれば入れると思います」
「ありがとう。……よし、じゃあその前に……」
 シェドが皮のマントを脱いで部屋にあった座椅子の背もたれにかけた。その後、部屋の片隅でジッとしているアリアのもとに近づいていき、
「ほらアリア、その砂まみれの服を脱いで、替えの下着を用意しとけ」
 と言いながらアリアの上着の袖を引っ張った。
「えっ?」
 そんなシェドの行動を見てフィオナが小さな驚きの声をもらす。フィオナが目を丸くして見つめる前で、アリアはシェドの言うとおりに無言のまま今着ている服をごそごそと脱ぎ始めた。
「あっ、ちょ、ちょっとシェドさん?」
「ん?」
「アリアちゃんは女の子なんですよ? なのに、こ、こんな所で服を脱がせるなんて」
 フィオナがあたふたしている中、アリアは黙々と上着から自分の腕を抜いて脱ぎ捨て、腰回りの紐を緩めた。スカートがするりとアリアの胴をすり抜け、はさっと床についた。
「きゃっ!」
「……はい」
 騒ぐフィオナを後目に、アリアは脱いだ衣類をシェドに手渡す。そして白いランニングシャツと白いパンツ姿のまま自分の荷物が置いてある所へ歩いていき、平然としながら替えの下着をあさり始める。
「……ちょっとシェドさん」
 そんなアリアの様子を見たフィオナが怒ったような顔でシェドの元に駆け寄り、アリアの脱いだドレスの簡単な手入れをしているシェドの顔をキッと睨みつけた。
「何だ?」
「アリアちゃんにどんな教育をしてるんですか? 普通このくらいの年になれば、女の子なら恥じらって人前で脱ぐなんて事できませんよ」
「あー…、まあ、そういうもんかもな」
 シェドは何処か言いにくそうな顔をしながら曖昧に答えた。そんなシェドの態度に、フィオナは更に言葉尻を強めていく。
「そういうもんかじゃありませんよ。両親と離ればなれのアリアちゃんにとって、シェドさんこそが唯一の頼れる大人じゃありませんか」
「でもなあ、俺だってまだ二十一だぜ? 女の子の育て方なんてわかるわけねーだろ?」
 鞄から替えの下着を取り出したアリアは、シェドとフィオナが話し込む様子をちょこんと体育座りをしながら見つめている。その前でフィオナは腕をグッと組みながらシェドを睨んでいた。
「……そうですね。でもアリアちゃんの保護者として、もう少し自覚ある態度を取った方がいいと思います!」
「いや、別に保護者ってわけじゃあ……」
「シェドさんっ!」
「あ、ああ。……努力するよ」
 シェドはそう言いながら、やれやれとため息をついた後、自身の大きな鞄を引き寄せて口を開いた。フィオナが鞄の中をのぞき込むと、何に使うのかわからない工具やら、変な物が色々詰まっていた。
「……っと、――あった」
 ごそごそと何やら小さなポーチを鞄から取り出し、シェドはポーチの中からソーイングセットを取り出した。フィオナが目を点にして見守る中、シェドはアリアの服で裂けたり傷んだりしている部分の補修を始める。
 器用巧みに針を操作し、手慣れた手つきで補修作業を進めるシェド。使う糸も黒地の部分白地の部分でちゃんと使い分け、痕がわからないくらい丁寧な仕事でアリアの服を補修していった。
「……手慣れてますね」
 フィオナが羨ましそうにつぶやいた。
「女の子の服は買うと高いからな。それだったら生地だけ買って作った方が安上がりだろう? 傷んだら修繕すればいいんだし」
「えっ! そ、その服、シェドさんが作ったんですか?」
「ああ。他にもいくつかアリアのために服を作ってやったんだが、旅の途中で金に困った時にこれ以外は全部売っちまったんだ」
 笑いながら話すシェドの横で、フィオナはシェドが作ったというアリアの服をまじまじと見つめ、その出来映えに始終感嘆の吐息をもらしていた。
「よかったらフィオナにも何か作ってやろうか? ……そうだな、テセアラにあった女学校の制服とか可愛かったぜ?」
「ホントですか?」
 シェドの提案を受けてフィオナがころころとした笑みを浮かべる。それに対し、話に食いついてきたフィオナをシェドは厭らしい目つきで見つめ返した。
「ホントだって。ただし、サイズわかんなきゃ服は作れないから、俺に採寸させてくれればの話」
「……シェドさん」
 笑顔を一転させ、フィオナが頬を膨らませながらシェドを上目遣いに睨む。シェドは大口開けて笑いながらアリアの服を直す作業を再開した。
 しばらくシェドの補修作業を眺めていたフィオナは、ふと部屋の片隅でジッと体育座りをしているアリアを見つめた。アリアはシェドとフィオナを見ていたらしいが、フィオナと目が合うとプイッと顔を背けてしまった。
 フィオナがそんなアリアのもとへ歩み寄り、自分を見ようとしない小さな女の子にどんな言葉をかけようか悩んでいる時、開いていた部屋のドアから一匹の小さな動物が部屋の中に駆け込んできた。
「あら、ヒューイ」
 小動物を確認したフィオナがつぶやく。
 ヒューイと呼ばれた小動物は、広くペットとして愛される猫と似ているがいくつかの点で若干異なっていた。まず短い耳がピンと上を向いているわけでなく、ダラッと長い耳が左右に垂れており、尻尾も団子みたいに短かった。そして何より鳴き声が、
「キュッキュルー」
 という、猫とは似ても似つかないものだった。
「それ、チロルじゃねーか?」
 小動物を見てシェドがつぶやいた。フィオナはそっと小動物を抱きかかえ、それに頬ずりをしながら、「そうよ」と答える。
「チロル?」
 フィオナの隣でアリアが首を傾げて見せた。初めて自分を見た少女に、フィオナは満面の笑みで説明する。
「そう。この辺りで広くペットとして飼われてる動物のこと。この子はウチで飼っているチロルで、名前はヒューイよ」
 首に黄色い首輪をつけ、白いふさふさの毛に覆われたヒューイは、まるでフィオナの言葉に同意するかのように「キュー」と鳴いた。
「アリアちゃんも抱っこしてみる?」
「……え? ――あ……」
 フィオナは困惑するアリアの腕に、ヒューイを抱えさせた。初めて触れるチロルの感触に、アリアは目を見開いておどおどとしていた。そんなアリアに、
「ほらアリア、頭をそっと撫でてやれよ」
 シェドが優しげな言葉をなげかける。アリアは怯えるようにビクビクしながら、そっと左手を持ち上げてヒューイの頭に乗せると、スッスッと軽く頭を撫で始めた。
「キュッキュー」
 アリアが撫でてくれることへ呼応するようヒューイが鳴き声をもらす。そしてそのままアリアの腕の中へ深く潜ろうと体をねじり、アリアの腕の中にどっぷり浸かって動かなくなった。
「……あったかい」
「可愛いでしょー。親戚のおばさんから、まだ子チロルだったヒューイを貰ってきた時はもう可愛くって可愛くって、私一日中抱いてたのよ」
 アリアの腕で眠るヒューイを、フィオナがつんつんと人差し指でつっつく。
「アリアちゃん、ヒューイに気に入られたみたいね」
「気に入られた?」
「うん。ヒューイはアリアちゃんが好きみたい」
 その言葉にアリアが少しだけ目を細める。急にそんな表情をとったアリアを不思議に思い、フィオナが言葉をかけようとした時、
「シェドさーん、アリアちゃーん。お風呂、沸きましたよー」
 フィオナの母、ジールの声が三人の居る部屋へ届いた。
「よし。じゃあ風呂に入るぞ、アリア」
「…………」
 元気なシェドとは対照的に俯いてヒューイを撫でながらなかなか動こうとしないアリア。
「どうしたの、アリアちゃん?」
「……お風呂キライ」
 フィオナが優しく尋ねると、アリアはフィオナを横目で一瞥してから小さく答えた。
「こいつさ、風呂とか水浴びとか嫌いなんだよ。旅の途中で川で水浴びする時もさ、いつも嫌がるんだ。……ほら、長いこと風呂入ってなくて不潔なんだから早く行くぞ」
「キュッ!」
「……あ」
 シェドが渋るアリアの手を引っぱると、それに驚いたヒューイがアリアの腕から飛び出して部屋から去っていった。アリアはヒューイが出て行った扉をジッと見つめた後、シェドに引かれて部屋を出ようとする。しかし、二人の様子を見ていたフィオナがふと思いついた疑問を口に出して二人の足取りを遮った。
「……ねえ、もしかして一緒に入るつもり?」
「ん? ああ、そうだけど?」
「えっ、えええっ!」
 フィオナの問いに対し、シェドはさも当然のような顔をしてさらっと答えた。それを聞いたフィオナが顔を真っ赤にしてシェドの元へ駆け寄る。
「ちょ、ちょっとシェドさん! さっきも言いましたけど、アリアちゃんは女の子なんですよ!」
「……男には見えないな」
「た、旅してるって言ってましたけど、じゃあもしかして、今までずっと一緒にお風呂入っていたんですか?」
「ああ」
「――っ!!?」
 一瞬言葉を失ったフィオナは、一度アリアの様子を窺ってから、今まで以上に鋭い視線をシェドに向ける。
「もうっ! シェドさんは男、アリアちゃんは女。別々に入るのは当たり前の事です!」
「え……? ん、まあ……」
 両手を腰に置いて仁王立ちし、元々切れ長な目をさらにつり上げてシェドを睨むフィオナに対して、シェドはフィオナより頭一つ分以上大きいにも関わらず、フィオナの気迫に圧倒されてかどこか小さく見えた。
 一方アリアは、替えの下着を抱えたまま蚊帳の外で二人の悶着を眺めている。
「で、でも、こいつ一人で入らせると絶対シャンプーしないだろうし、もしかしたら湯船にも浸からず戻ってくるかもしれない」
「……じゃあ、アリアちゃんとは私が一緒に入ります。いいですね?」
「え、あ、ああ。……アリアがいいって言うなら」
 シェドはおろおろしながらアリアに振った。振られたアリアは、何の話かわかってない様子で表情を変えずに首を傾げてみせる。
「ね、アリアちゃん。私と一緒にお風呂入りましょ」
「……うん。わかった」
 シェドを横目で一瞥してから、アリアはフィオナの提案に同意した。そしてフィオナに片手を引かれ、ぱたぱたと部屋を後にする。
 フィオナとアリアが出て行った部屋で、シェドは「やれやれ」と頭を掻きながら大きくため息を吐いた。


 かつて宿を営んでいた頃は大浴場と呼ばれる大きな風呂もあったが、今では大浴場があった場所をレストランに変えてしまったため残っていない。フィオナに連れられてアリアがついた風呂は、普段フィオナとジールが使う家庭用のごくごく一般的な風呂だった。
「脱いだ下着はこっちの籠にいれてね」
「ん」
 二人入ると窮屈な脱衣所でフィオナが籠を指さしながら言うと、アリアは首肯して身につけていた下着を籠に収めた。
 その時、フィオナは見たことも無い光景を目にした。
 アリアの胸には、何か宝石のようにキラキラと輝く石が埋め込まれていた。石は貴金属で装飾されており、その外装ごとアリアの体に半分沈んだ形で輝いている。
「ア、アリアちゃん? それは……?」
「…………」
 フィオナが驚愕の表情を浮かべるの見て、アリアは俯きながら目を細め、胸の宝石を左手で覆い隠した。そんなアリアの微妙な雰囲気を感じ取り、フィオナは首を左右に軽く振って自分の頬を軽くパチンと叩いた。
「ごめんね、気にしてる事言ったみたいで」
「……いい」
「じゃあお詫びに、私がアリアちゃんの髪の毛をシャンプーしてあげよう」
 アリアが顔を持ち上げるとそこにはフィオナの屈託のない笑顔があった。それを見たアリアは口を少しだけ開き、何か言うわけではないがそのままボーッとフィオナの顔を見つめていた。
「さあ、早く入りましょ。……あ、そのリボン、濡れちゃまずいよね」
 フィオナは自分の衣類を籠に投げ捨て、固まったまま動かないアリアの髪にある鈴付きリボンをサッとほどいてやり、そのリボンを棚の所へ置くと、アリアの手を引いて浴室へと移動した。浴室へ入ってまず、フィオナは桶で湯船のお湯を掬い、それをアリアの頭から勢いよくかけてやった。
「ほうらっ!」
「……きゃぅ」
 フィオナがかけ湯をしてくれる中、アリアは目をギュッと瞑り、ずっと肩を強ばらせていた。小さな体をより縮めて、まるでお湯を怖がっているみたいに。
 自分の体にもお湯をかけ、フィオナは渋るアリアを推してざっぱんと湯船に飛び込んだ。
「ふー……、気持ちいいね」
「ブクブク……」
 湯船につかったアリアは顔も鼻がギリギリ出る程度に湯船へ沈め、口からぶくぶくと気泡を吐いていた。フィオナはその様子を見てくすくすと肩を震わす。
 二人は向かい合うように湯船につかっていたが、しばらくするとフィオナがそっとアリアの横へ移動してきて、アリアの髪に自分の手を添えた。
「あら、一ヶ月もかけて荒野を歩いてきたのに、すごく綺麗に切り揃ってるね」
「……シェドがこまめに切る」
「そうなの? 服作れたり、髪を綺麗にカットできたり、一体シェドさんって何者?」
「…………」
 自分の胸にある宝石のこと、そして自分自身やシェドのことに関して口を開こうとしないアリア。フィオナは何となく話せない理由があるのだろうと察し、それ以上強く追求したりしなかった。
 アリアを湯船から出し、丸い椅子に座らせてから、フィオナは小瓶に入ったシャンプー液をアリアの髪に垂らした。先ほどのかけ湯同様、瞳をギュッと閉じて肩を強ばらせているアリアに対し、フィオナは優しい手つきでシャンプーを泡立てていく。
「そんな肩に力入れなくても大丈夫よ」
 丁寧で優しいフィオナの手つきに、いつしかアリアの肩に入っていた力は抜けていた。その様子に気づき、フィオナはフッと笑みを浮かべる。
「どう? シャンプーって気持ちいいでしょ?」
「……うん」
 アリアが微かに頬を緩める。顰めていた眉も緩み、いつしかアリアの表情から恐怖や緊張が抜けていた。
「アリアちゃんがシャンプー嫌がってたのは、シェドさんのやり方が悪かったのよ」
「うん、きっとそう」
 フィオナの言葉にアリアは素直に同意する。
「……あと、男の人の前で服を脱いだり、男の人と一緒にお風呂入っちゃ駄目よ」
「どうして?」
「女の子っていうのはそういうものなの」
「…………」
 フィオナが桶でくみ取ったお湯をアリアの頭にかけてシャンプーの泡を洗い流すと、アリアはゆっくり瞳を開いて浴室にある少し曇った鏡を見つめた。そこには自分と、自分の背後に腰掛けるフィオナの姿がぼんやり映っており、そこにあるフィオナの柔らかな笑みがアリアの胸をほぅっと暖める。
「フィオナ」
 アリアが初めてフィオナの名前を呼んだ。呼ばれたフィオナは、呼び捨てであることなどウンともせず笑顔でアリアの顔をのぞき込む。
「なに?」
「フィオナの胸、おかしい。私やシェドと違う」
「えっ! あ、これは、女の子はいずれこうなるものなのよ。アリアちゃんだって、もう二、三年したら大きくなってくるから」
「どうして?」
「えっと、赤ちゃんを育てるため、かな……」
 無垢なアリアの質問に、フィオナは照れながら答える。アリアは鏡から視線を外し、振り向いてフィオナの現物をジッと見つめた。
「前にシェドが、胸の大きい女が好きって言ってた。でも、シェドは赤ちゃんじゃない」
「……そういうのはね、アリアちゃん。スケベって言う、だらしない男の人が言う事よ」
「シェドはスケベ?」
「そう」
 アリアが首を傾げながら尋ねると、フィオナは考えることなく即答した。
 そして二人はもう一度湯船に浸かって体を温め、浴場を後にした。替えの下着しか持ってなかったアリアは、フィオナから昔宿屋を営んでいた時に使われていた子供用の浴衣を受け取り、それを着てシェドの待つ部屋へと戻っていった。
 二人の後にシェドも風呂に入り、湯上がりにジールに頼んで酒を飲んだシェドは、まだ夕方前だというのにいびきをかきながら大の字になって寝ていた。
 一方アリアは、部屋の片隅でジッとしたまま微動だにしない。フィオナはジールの手伝いで夕食の仕込みに行ってしまったため、部屋にはシェドとアリアしかいなかった。
 アリアはそっと自分の胸の辺りに手をやった。柔らかい肌の感触を辿っていくと、途中でゴツッとした固い物にぶつかる。微かに熱いそれに触れ、アリアは静かに瞳を閉じる。
 そんなアリアの脳裏に、先ほどのフィオナの言葉がよぎった。
 “いつか、好きな男の人ができたら――”
 アリアはその言葉を何度も頭の中で繰り返した。表情に変化は無く、瞳を閉じたまま微動だにしない。そしてゆっくりその小さな口を開くと、
「好きって、よくわからない」
 そう、小さく小さくつぶやいた。


 次の日、トラキアの街上空には真っ青な空が広がっていた。漂う白い雲とのコントラストが美しく、荒野を通って街へ流れ込む風も心地よい。
 昨日トラキアの東部にあるアンミラ亭で一夜を過ごしたシェドとアリアは、そこの看板娘、フィオナと共に、トラキアの中心部にある栄地区へと足を運んでいた。
 行き交う人々で道が完全に埋め尽くされているほど栄は人で賑わっていた。
「うへー…、すげー人だな」
 あからさまにうんざりした顔でシェドがぼやく。アリアは別段感情無しに行き交う人々を見つめていた。
「それより、店の仕事はいいのか?」
「ええ。今日はお母さんの友人が店を手伝ってくれる日なんです」
 フィオナは絵柄の入った黄色いポロシャツに、下は茶色いチェック柄のプリーツスカート姿だった。この地方では腰に帯を巻く着物が一般的であるが、若い人は動きづらいということを理由に普段出かける時にはあまり着用しない。
 数年前に都会で流行ったような服装をしているフィオナをマジマジと見つめ、シェドが目尻を下げる。
「いやいや、こんな可愛い看板娘がいなくなったら売り上げに影響が出るんじゃないかと心配してるんだが」
「またぁ。シェドさんってホント口が達者ですね」
 適当に受け流すフィオナに、シェドは少々がっかりした様子で肩を竦める。
「じゃあ俺は色々必要な物の買い出しや不要な物の売却をするためマーケットへ行く。アリアはいつも通り親探しに行くとして、フィオナにもアリアの手伝いをして貰おうか」
 そう言いながらシェドがアリアを見つめる。アリアが昨日まで着ていた服はまだ修繕中なので、今日はフィオナのお古というオーバーオールを身につけていた。
「はい、もとよりそのつもりです」
「……俺と二人でデートする気はゼロかい?」
「ええ」
 シェドの提案をフィオナは笑顔のまま一蹴した。がっくりと肩を下げ、シェドはため息をつきながら頭を掻いた。
「……まあいい。じゃあアリア、十二時にまたここへ集合。いいな?」
「わかった」
「ちょ、ちょっと待って。アリアちゃん時計持ってるの? 私は持ってないよ」
「ある」
 アリアは腰に下げた小さな鞄へ手を突っ込むと、中から古びた懐中時計を取り出した。ちゃんと正確な時を刻む時計であったが、フィオナはふとよく見かける時計とは異なる点を見つけて首を傾げた。
「これ、ネジを巻く穴が見当たらないんだけど?」
「ん? ……ああ、それは魔練器の時計だからゼンマイなんて必要ない」
 シェドはひょいっとアリアの手に握られた時計を奪い取ると、その裏面の蓋をパカッと開けて中身をフィオナに見せた。中には光り輝く小さな宝石のような物があり、他の時計とは全く構造が異なっていた。
「魔練器ってことは、その宝石みたいな石がジェムですか?」
「そう。魔法力が結晶化されたもので、これから魔法の力を吸い上げながら動いている」
「へー。私、病院で使われているヒールジェム以外見たこと無いんです。綺麗ですね」
 シェドはしばらく時計の中に収まっているジェムをフィオナに見せてから、そっと蓋と閉じてアリアに返した。アリアはその時計を大事そうに鞄へしまう。
「その時計はアリアの両親に関する唯一の手がかりなんだ」
「えっ? そうなの?」
「…………」
 振り向いたフィオナに、アリアは無言で首肯して見せた。
「ま、詳しい話は抜きにして、アリアの両親ならその時計に気づくはずだ」
「……わかったわ。じゃあアリアちゃん、一緒に頑張って聞き込みしましょうね」
「うん」
 話をはぐらかしたシェドに少しだけ眉を動かして反応したフィオナだったが、すぐに笑顔を繕ってアリアの手を握ると、そのまま人混みの中へアリアを率いて消えていった。
「ホント、カンの良い子で助かるな」
 残されたシェドはそうつぶやき、二人とは違う方向へ歩み出した。


 人通りの多い表通りを外れ、シェドは細い道を通って路地裏へと回り込んだ。裏通りには表通りに店を構える建物の裏口があり、その中には窓口を置いてそこから顔を覗かせている男の姿があった。
 シェドはその男の元へゆっくりと歩み寄り、男が自分の存在に気づくとサングラスを外して白い歯を見せた。
「よう。物を売りたいんだが、見てくれるか?」
 そうシェドが切りだすと、男は窓を全部開いて身を乗り出してきた。
「見かけない顔だな、旅のもんか?」
「ああ」
 シェドは手に持っている大きな鞄を開き、中から拳骨くらいの小袋を取り出した。そしてその中身を窓口の所にある受け皿にぶちまけた。
 袋の口からはボロボロと煌びやかな宝石が転がりだし、様々な色に光り輝いていた。それを見た男が口をポカンと開けたまま固まる。
「小粒の物ばかりだが、一応全部本物のジェムだ。まあ、種類は様々で中には殆ど魔法力の残っていないのも混じっているがな」
「……こいつは驚いた」
 男は引き出しからレンズを取り出すと、ジェムを一つずつ食い入るように見つめていった。額にうっすらと汗を滲ませ、ごくりと生唾を飲み込む音が響いた。
「どうやらトラキアでは相当ジェムが珍しいようだな。他の街ではこんな小粒のジェム、誰も買い取っちゃくれねぇよ」
「ああ、この辺りには古代遺跡もないからな」
「そのお陰でトルメキア王国の支配も緩いってわけか」
「そうだな」
 しばらくの間、男はシェドの持ってきたジェムをレンズで覗き続けていた。そして十分ほど過ぎた後、男が「ふう」と大きく息を吐いてからシェドへ視線を切り替える。
 男は紙にインクで何やら書き記し、それをシェドに見えるよう掲げた。
「これでどうだ?」
「おっ! おっさん、なかなか太っ腹じゃねぇか」
「いや、これでもこちらとしては十分儲けられる。……じゃあ交渉成立だな」
 男が満足した様子でシェドの持ってきたジェムを奥へ運んでいき、その後紙に書き記した金額をシェドに手渡した。
 シェドはトラキアを含むこの地方の共通紙幣を受け取り、ニンマリと笑顔を浮かべながらその枚数を確認した。
「おっし! ありがとよ、おっさん」
「おう。こっちこそ感謝するよ。また何処かでジェムを手に入れたら、是非ウチに売りに来てくれ」
「ああ」
 ゴミ同然で何にも役に立たないと思っていた小粒のジェムが結構な額で売れたことに気をよくしたシェドは、鼻息混じりに裏道を歩き始めた。手に入れた札束を懐にしまうことなく、それで自分の頬を叩きながらその厚みを実感しては頬の筋肉を緩めていた。
 そんなシェドの様子を見ていた数人の男達が、シェドの後をゆっくりとつけはじめる。みな柄の悪そうな面持ちをしており、シェドが裏道を歩くたびにその人数は増し、いつしかその数は十にも達していた。
 そして五十メートル先に表通りが見えた所で、シェドはそんな柄の悪い男達に周囲をグルッと取り囲まれた。
「よう、兄ちゃん。結構な大金持ってるじゃねーか。よかったら幸少ない俺たちに少し分けてくれよ」
 鉄の棒を握った男が、ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべながらシェドに身を近づけてきた。シェドは依然頬を緩ませたまま鼻歌を歌っている。
「おいてめえ、聞いてんのか? ああ?」
 別の男が声を張り上げる。しかしシェドは態度を改めようとせず、そのまま表通りへ向かって立ちふさがる男達へ向かって歩き出した。
「こいつっ! 無視しやがって!」
 シェドの態度に業を煮やした男の一人が、手に持った金属製の棒を振り上げながらシェドに襲いかかった。
「……はあ。穏やか街とは言え、やはりこーいうのもいるわけね」
 うんざりした様子でつぶやくと、シェドは迫り来る男に向き直した。札束は自分の頬に当てたまま、反対の手を腰辺りに当てて迫り来る男をジッと見つめる。
 そして男の棒が振り下ろされた瞬間、華麗にそれをかわすと、目にも止まらぬ早さで腰に当てていた方の腕を持ち上げた。その手には黒光りするサブマシンガンが握られており、銃口が男の顔面へ向けられた。
「う、うわあああっ!」
 襲いかかった男が奇声を発しながらその場に尻餅をついた。周囲を囲う男達もザワザワと騒々しくなる。
「悪いな、あんた達に小遣いやれるほどには潤ってないんだ。これから買わなきゃならないもんが沢山あるんでね」
 シェドは相変わらずの笑顔を男達にばらまく。その時、シェドの背後に立っていた男が忍び足でシェドの後方から迫っていた。
 男は手に刃渡り二十センチくらいのナイフを握っており、刃先はシェドを向いていた。
 シェドは再び表通りへ向けて歩き始める。そしてシェドが道を遮っていた男達の脇を通り抜けようとした時、シェドの死角から男が一気に駆け出してシェドめがけてナイフを突き立てる。
「死ねっ! この野郎!」
 ナイフがシェドに突き刺さる直前、シェドの手に握られていたサブマシンガンの銃口が火を噴いた。パパパンという乾いた音が裏通りに響き、男の握っていたナイフの刃が銃弾を受けて変形していた。
「……あ、ああ……」
 愕然とした表情で自分の手にある歪んだナイフの刃先を見つめる男。そんな男を振り返り、シェドは笑顔を消して男を睨みつける。
「次はてめぇの体に撃ち込むぜ? 死にたくなかったらさっさと消えろ」
 シェドが脅しでサブマシンガンを構えると、男達は叫びながら逃げていった。それを見届けて、シェドは大きく息を吐いてから表通りへ体を向き直した。そして札束を懐にしまい、胸ポケットからサングラスと取り出す。
「無駄弾使っちまったな。……はあ、もったいない」
 そう愚痴りながら、シェドは表通りの人混みに消えていった。


 アリアは道の真ん中で静かに佇み、道行く人々を目で追いかけていた。両手で大事そうに魔練器の時計を握り、側を通る人にそれが見えるようにしている。
「……いつもこうやってご両親を捜しているの?」
「そう」
 先ほどから動かず無言のまま立っているだけのアリアにフィオナが困ったような顔で尋ねると、アリアは考える間もなく即答した。それを聞いたフィオナが一層困惑した表情を浮かべる。
「うーん、呼びかけたりしないと見つからないんじゃないかな?」
「大丈夫。これが教えてくれるから」
「え? 時計が、教えてくれる?」
 首を傾げながら尋ねるフィオナに、アリアは首肯して見せた。
「ど、どういう事?」
「この時計、動力用以外にもう一つ特殊なジェムが入ってるって、シェド言ってた」
「特殊なジェム?」
「うん。私はよくわからない。けど、シェドはこれ持っていれば、私の親は私に気づくって言ってた」
 そう言ってアリアは時計をギュッと握り、瞳を閉じながらその小さな胸に強く押し当てた。フィオナはそんなアリアを見て一瞬悲しげな表情を作るが、すぐにそれを払って笑顔を繕った。
「そっか。じゃあ別にここに立っていなくても、近くにご両親が来れば向こうはアリアちゃんに気づくんだよね?」
「そう」
「よし。じゃあ一緒にお買い物して回りましょうよ。ただ立っているだけだと退屈でしょ?」
 アリアに手を伸ばすフィオナをアリアがキョトンとしながら見つめ返す。フィオナはそんなアリアの手を半ば強引に掴むと、多くの若い女性で賑わう店へとアリアを連れて行った。
「ここは女の子向けのアクセサリーを売っている店よ。そう言えば、アリアちゃんの髪を結っているその鈴付きリボン、可愛いね」
「これ、シェドが作った。私は五月蠅いからキライ」
「そんな。とっても似合ってて可愛いんだから外したらもったいないよ」
「可愛い……?」
 フィオナの言葉を小声で繰り返すアリア。少しだけ視線を下げてフィオナの足をジッと見つめながら、どんな表情をしたらいいのか困惑しているようだった。
 黙り込むアリアを前に、フィオナは店内をグルッと見渡した。ショーケースの手前で話し込んでいた女性の集団が去ったのを見て、フィオナはアリアの手を引いてその場所へ滑り込んだ。
「わあ、綺麗」
 ショーケースの中には光り輝く宝石が沢山並んでいた。指輪やネックレス、ピアスに髪飾りと、様々なアクセサリーに宝石が埋め込まれている。
「これ、ジェム?」
「ううん、違うよ。これは宝石っていう珍しい石。珍しいけどただの石だから、魔法力は籠もってないわ」
「…………」
 目を燦々と輝かせながらショーケースをのぞき込むフィオナ。アリアは相変わらず大して表情を変化させず、ただ黙って宝石を見つめていた。
「きゃあっ!」
 二人がショーケースの中を眺めていた時、ふいに背後から女性の悲鳴が響いた。二人が振り返ると、店の入り口に黒いマスクで顔を覆った覆面姿の男が三人、銃を構えながら女性客の一人を人質にとっていた。
「オラッ! ありったけの金と宝石をこのバッグに詰め込め! さっさとしろっ!」
「きゃああっ!」
 男の一人が声を張り上げながら、脅しとばかりに手に持っていたサブマシンガンを天井に向けて連射した。銃声を聞いた店内の女性客が悲鳴を上げ、店内が騒然とする。
「早くしろっ! 死にたいのかっ!」
 別の男がバッグを店員に押しつけながら大声を上げる。脅迫されている女性店員はガクガクと体を震わせて、男からバッグを受け取ることができずにただただ怯えていた。そんな女性店員の態度に男の怒りが募っていく。
「早くしろっつってんだよ! ぶっ殺すぞ!」
「ひ、ひぃぃっ!」
 ついに女性店員は頭を抱えたままその場にうずくまってしまった。男は舌打ちをしてからカウンターを飛び越え、力任せに金庫を壊して中から現金を奪い、さらにはショーケースの硝子を割って中にある宝石を無造作に自分の鞄へと追いやった。
「――っ!!? やべぇ、保安隊の奴らだ!」
 入り口で見張りをしていた男が声を張り上げる。その言葉を聞いた店内の男達が、急におろおろし始めた。
「動くな! 全員、手を挙げて投降しろ!」
 銃を持った街の保安隊が店に駆け込み、すぐさま入り口付近にいた男を取り押さえる。さらに女性を人質にしていた男も保安隊に囲まれ、諦めて女性を解放した。
「く、くっそぉ! この女がもたもたしたせいでっ!」
 残されたカウンター内の男が逆上し、頭を抱えたままうずくまっている女性店員に銃口を向けた。そして銃の引き金を握る指に力を込めていく。
 その様子を黙ったまま愕然と見つめていたフィオナ。その隣にアリアの姿はなかった。
「きゃあああっ!」
「死ねっ! ――うごっ!!?」
 男が引き金を引く瞬間、男の腕を小柄な少女が蹴り飛ばした。蹴られたショックで男が引き金を引き、店内に銃声が響いたが、銃弾は店の天井へと撃ち込まれていた。
「ア、アリアちゃん?」
 フィオナが呆然と見つめる中、アリアはカウンターの上に立ってもう一度男の銃めがけて短い足で蹴りつけた。そしてアリアの蹴りが男から銃を奪い、飛ばされた銃は壁に反射してフィオナの足下へと転がってくる。
「こ、このガキ!」
 銃を失った男は歯を食いしばりながら腰からナイフを抜き、アリアめがけて凄い形相で襲いかかった。アリアはカウンター上からバックステップで後方へ飛び、フィオナのすぐ脇に音もなく降り立った。
 その後、男は保安隊の隊員に取り押さえられ、あえなくご用となった。アリアは連れて行かれる男を睨みつけるようなキツイ眼差しで見つめていた。
 しばらく呆けていたフィオナが、思い出したようにアリアの顔をのぞき込む。
「ア、アリアちゃん! 危ないでしょ、もう!」
 アリアの先ほどの行動をフィオナが戒めた。アリアは自分が何か悪いことをしたのか疑問に感じているような表情でフィオナを見つめ返し、首を小鳥のように傾げて見せた。
「下手したらアリアちゃんがあいつらに撃たれてたかもしれないんだよ!」
「……大丈夫」
「大丈夫じゃないわよ、もう。……まったく、シェドさんったらアリアちゃんにどんな教育しているのかしら」
 平然としているアリアを前に、フィオナは瞳を閉じて大きく息を吐きながら首を左右に振った。アリアはそんなフィオナの挙動をジッと見つめている。
 ふとフィオナは周囲のアリアに対する視線を感じて顔を上げた。すると保安隊や、店にいた他の客達が目を点してアリアを見つめていた。
「危ないことしちゃ駄目だからね。……なんか注目されてるみたいだし、さっさと他の所へ行きましょうか」
「……うん」
 優しい顔でアリアを叱ったフィオナは、困ったような顔つきのアリアに手を差し伸べ、その小さな手をギュッと掴んだ。そしてその手を引いて、野次馬や保安隊の人々でごみごみしている店を後にした。
 アリアは自分の手を強く暖かく握るフィオナの手をジッと見つめ、少しだけ頬を赤くしながらフィオナの後について街を駆け抜けていった。
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