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第二章 魔弾のシェド

 シェドとアリアがトラキアを訪れて三日目。外は生憎の雨模様で、昨日一昨日とアンミラ亭の窓から臨めた賑やかな露店も今日は見られない。
 朝食を食べ終えたシェドは居候させて貰っている部屋へと引き返し、昨日の買い出しで買った物が詰まっている大きな袋を漁っていた。
 アリアはシェドに言われるがまま、昨日まで着ていたドレスを脱いでシェドに渡したため、今はフィオナが昔着ていたという子供用の着物で身を覆っていた。そしてシェドと一緒に部屋へは引き返さず、店に残って窓際の席に座りながら雨に濡れるトラキアの街並みを眺めていた。そんなアリアの様子を時折確認しながら、フィオナは客の居ない寂しい店内を箒で掃いていた。厨房からはジールが食材を切る音が響いてくる。
「雨だね」
 店内を満遍なく掃き、今度はテーブルの拭き掃除を始めたフィオナがアリアの居るテーブルを拭きながらつぶやいた。
「……雨はキライ。服が濡れると気持ち悪いから」
「そうだね」
 フィオナが手を止めてアリアと一緒に窓の外を眺める。昨日の晩から降り始めた雨が、今もなおしとしとと降り続いており、道のあちこちに小さな水たまりを作っていた。
「シェドさんは朝食食べてからずっと、部屋に引きこもってアリアちゃんの服を繕ってるのよね?」
「そう」
「……シェドさんが近くにいてくれないと寂しい?」
 笑顔で自分の顔をのぞき込むフィオナをアリアは表情を変えずに見つめ返す。しかしうまく自分の言いたいことを言葉にできない様子で、口を半開きにしたまま黙りこんでいた。
「外はこんな天気でシェドさんは部屋に籠もっちゃってるからさ、もし暇してるんだったら店のお掃除を手伝ってくれない?」
「掃除?」
「そう。あんまりお客さん来ないとは言え、一応お店ですもの。いつも綺麗にしておかなくっちゃ」
 そう言いながら先ほど拭いたアリアの居るテーブルを雑巾で再度拭いてみせるフィオナ。アリアはフィオナが掃除する様を黙って見つめていた。
「ね? 毎日やるのは面倒だけど、たまにやると掃除も結構気持ちいいわよ」
「……うん、やる」
 アリアの答えを聞いて満足げに微笑んだフィオナは、「ちょっと待ってて」とアリアを店内に残して店の奥へと引っ込んで行った。そしてしばらくした後に、フィオナは子供用の白い割烹着と新しい雑巾を持ってきてアリアに雑巾を手渡し割烹着を着せてあげた。
「よし、準備万端」
「……フィオナと同じ格好」
「これは服が汚れないようにするために着用するものなのよ。……さて、じゃあアリアちゃんには店内のテーブルの上を拭いて貰いましょうか」
「わかった」
 フィオナは先ほどまで使っていたバケツの水を交換してきてバケツをアリアに手渡した。その後、お手本として雑巾の絞り方と机の拭き方を見せ、アリアにテーブル掃除を任せて自分は壁にある写真を拭き始める。
「…………」
 小柄なアリアには少し高いテーブルを、アリアはつま先立ちしながら一生懸命水拭きしていた。手慣れた手つきでサッササッサと拭いていたフィオナと違い、おぼつかない手つきで一テーブルごと丁寧に拭き進める。
 時折そんなアリアを振り返ってみては笑顔を浮かべるフィオナ。変に肩やあちこちに力を入れて掃除をしているアリアは、次第に呼吸のテンポが上がっていった。
「……ふう」
「どう? 掃除するのも結構大変でしょ」
「うん。……でも、キライじゃない」
 微かに頬を緩ませながらアリアがフィオナの顔を見て言った。アリアの言葉を受けて、フィオナは目を細めて口の両端を持ち上げる。
 その後も店のあちらこちらを二人一緒に掃除し、全部が終わった時には二人の割烹着は所々黒っぽく汚れていた。二人とも額にうっすらと汗を滲ませ、息も上がっていた。
「おしまーい。アリアちゃん、お疲れ様」
「……フィオナも頑張った。お店、綺麗になった」
 フィオナはアリアの後ろに回って割烹着の紐を解き、自分の割烹着と二人の雑巾、バケツを持って店の奥へ片づけにいった。アリアは自分とフィオナの手によって綺麗になった店内をぐるりと見渡す。
 フィオナが奥から戻ってきた時、店のドアが開いて三人の若い女性が姿を現した。
「いらっしゃいませー…って、あっ! クラウディアにミンミ、サナリーじゃない」
 三人の女性客を確認したフィオナは声を弾ませながら三人に駆け寄った。アリアは先ほどまでと面持ちが違うフィオナを不思議に思い、きょとんとしながら三人の少女と楽しげに会話をするフィオナを見つめていた。
「やっほーフィオナ。今日は上級学校が休校で、外も生憎の天気だから邪魔しに来たわ」
「学校休みなんだ。……なのに女三人揃ってかつての級友の店に来るなんて、ホント色気ないわねぇ」
「フィオナに言われたくないわねぇ。進学せずに家業手伝ってるんじゃ出会いがちっともないでしょうに」
 そんな話をしながら三人の少女は勝手知った様子で店の角にあるテーブルへ移動すると、椅子に腰掛けてハンカチで濡れた肩などを拭きながらフィオナに飲み物を注文する。
 フィオナは厨房へ行ってグラスにジュースを注ぎ、お盆に五つのグラスを乗せて三人のもとへ運んでいった。そして店の中央で佇んだままのアリアを呼び寄せ、自分共々三人のいるテーブルの椅子に腰掛けた。
「あ、可愛い女の子〜。なになに、親戚の子?」
「ううん、違うの。この子はウチに居候している子で、名前はアリアちゃん」
 グラスを両手で抱えジュースをストローで吸い上げつつ、アリアは自分が紹介されたので三人の見知らぬ少女達にぺこりと頭を下げた。
「居候? え、この子一人で?」
「ううん、一人ってわけじゃなくて――」
「おーい、フィオナ」
 友人達に説明しようとするフィオナの言葉を遮ったのはシェドだった。店と居候している部屋とをつなぐ従業員用ドアを開けて現れたシェドは、服を修繕する作業をするため動きやすい格好がいいのか、昨日まで着ていた紺色の長袖服ではなく白いランニング姿だった。
 突如現れた自分らより少し年上の男を見て、フィオナの友人三人は口をあんぐりと開けたまま固まっていた。それは男がフィオナが普段生活している部屋のドアから現れたこととその格好、そしてフィオナを呼び捨てで馴れ馴れしく呼んだからだった。
「あ、えっ? ……もしかしてフィオナのカレシ?」
「ち、ちがーう! 馬鹿なこと言わないで!」
 勘違いされたフィオナは怒ったように目をつり上げながらシェドを睨む。事情が飲み込めないシェドは、何でフィオナが怒っているかわからず口を開けたまま呆けていた。
「……何怒ってるかわかんねーけど、とりあえず謝っておく。それで、ちょっと小腹が空いたから何か食べ物を持ってきて欲しいんだ」
「はい? ……持ってきてって、ここで食べて行けばいいじゃない」
「こんなだらしない格好の男が店にいたら、店の品位を疑われるぜ?」
 だらしないという自覚がありながら堂々としているシェドにフィオナは若干の苛立ちを覚えたが、変に声を荒げても仕方ないと思って気持ちを抑え、
「わかったわ。じゃあだらしない格好の男はさっさと部屋に引き返しなさい」
 と冷たく言い放った。
 シェドは肩を竦めるポーズを取って引き返していき、三人の少女とアリアはそんな二人のやりとりを無言のまま見つめていた。
「……まったく」
 シェドが居なくなった後、フィオナがため息混じりにぼやく。
「で、結局あの人は誰なの?」
「あの人はアリアちゃんの……保護者、みたいなものかな。一緒に旅してて、今は二人揃ってウチの居候。ねっ?」
「うん」
 フィオナが笑顔でアリアに尋ねる。アリアはコクンと頷きながら答えた。
「た、旅してるの? こんな小さいのに凄いね」
「もう慣れた」
 ぶっきらぼうに答えるアリアに驚きの表情を隠せない三人の少女達。フィオナは作り笑顔でハハハと笑いながら、困ったような顔でアリアをそっと見つめた。
 しばらく少女達はアリアに色々な質問をぶつけた。アリアは答えたくない質問には無言で応じ、答えられる質問には簡素に答えた。
「あっ、シェドさんに何か食べ物持っていかないと」
「さっきの男の人? そう言えば食べ物持ってきてって言ってたね」
「うん。じゃあごめん、ちょっと外すね」
 その場にアリアを残し、フィオナは足音を立てながら厨房へと駆け込んでいった。そこではジールがすでに夕食の仕込みを始めていた。
「お母さん、シェドさんが何か部屋で食べられるものが欲しいって」
「あら、だったらそこにあるサンドイッチを持って行ってあげるといいわ。ホントは私のお昼用に作ったんだけど、味見ばかりしてたらお腹一杯になっちゃって」
「そんな事してるともっともっと太っちゃうよ、お母さん。……じゃあ私、これをシェドさんに運んでくるから、お客さんが来たら注文取ってね」
 乾燥しないように蓋がしてあるサンドイッチの皿を持ち上げ、フィオナは一旦店の中へ戻った。そこで自分の友人達と同じテーブルに着くアリアを一瞥し、シェドの居る部屋へ続く廊下のドアを開いた。


 部屋に入ったフィオナの目に飛び込んできたのは、アリアが一昨日身につけていた黒と白の生地で出来た上下だった。服はまるでブティックに並んでいるような可愛らしく綺麗な仕上がりで、所々ほつれていた昨日のそれとはまるで別物だった。
「うっわー。すごい、新品みたい」
 感嘆の声を漏らした後、フィオナがシェドの手元を覗うと、シェドは何やら別の服を作っているようだった。サイズ的にはフィオナ用ではなくアリア用だったので、フィオナは少しだけがっかりした様な顔つきでシェドの元に歩み寄った。
「シェドさーん、はい、お昼」
「お、サンキュー」
 目の前にサンドイッチの乗った皿を差し出されてようやくフィオナの存在に気づいたシェドは、針と糸を生地の上に投げ捨ててグッと大きく伸びをした。フィオナが皿を畳の上に置きその蓋を外すと、シェドは手を洗いにも行かずそのままサンドイッチを頬張り始める。
「今は何を作ってるんですか?」
「これは前に言ってたテセアラにある女学校の制服を思い出しながら作ってるんだ」
 一緒に持ってきた水筒をシェドに手渡しながら、フィオナはマジマジと作りかけの服を眺めた。上着はまだ縫い途中であったが、その隣にはすでに作り終えた紺色のプリーツスカートがあった。随分丈が短く、アリアの背丈であっても下着が見えてしまいそうなくらい短かった。
「ス、スカート短すぎじゃないですか?」
「ああ、俺もそう思う。でも実際テセアラの女の子達はパンツ見えるくらい短いスカート穿いてたんだよ。あれはよかった」
「……オヤジですね、シェドさん」
「健全な男と言ってくれ」
 サンドイッチを食べ終えて水筒のお茶を一気飲みすると、シェドは作業を再開した。フィオナはそんなシェドの作業を隣でしばらく黙って見つめ、おもむろに口を開いた。
「……一つ、聞いてもいいですか?」
「何だ?」
「シェドさんとアリアちゃんって、結局どういった関係なんですか? 家族という風には見えませんし、まさか恋人ってわけではないでしょう?」
「さすがに十歳の幼女は対象外だな。まあ、フィオナなら完全ストライクなんだが」
 笑い飛ばしながら作業を止めないシェド。軽くあしらわれてることにムッとしながらも、フィオナは先ほどの答えを尋ね続ける。
「私の事はいいんです。恋人でもないのなら、他人であるシェドさんがアリアちゃんと共に旅をする理由は何ですか? 慈善事業ですか?」
 フィオナは真っ直ぐにシェドを見つめていた。フィオナの真摯な瞳を横目でチラッと確認したシェドは、しばらく黙り込んだ後、作業と止めてフィオナの方へ振り向いた。
「……俺は、奪われた十年と取り戻すために世界中を旅している」
「奪われた十年?」
「フィオナには今付き合ってる男はいるのか?」
「なっ! 何でいきなりそんな話になるんですか!」
「いいから答えてくれよ」
 何処か物悲しげに微笑みかけるシェド。フィオナはしばし考え込んだ後、「いない」と顔を赤らめながら小声でつぶやいた。
「そうか。じゃあ仲の良い友達はいるか?」
「あ、うん。それなら沢山いるわ。……女の子ばかりだけど」
 フィオナは答えながら先ほど店にいた少女達のことをシェドに話した。シェドは静かにフィオナの話に耳を傾け、楽しげに友達のとの思い出話をするフィオナを見つめていた。
「えっと、それで、私の友達とシェドさんの話がどう関係するんですか?」
「……俺にはフィオナくらいの時、彼女も居なければ友達だっていなかった。それだけじゃない、思い出と呼べるものも何一つないんだ」
 シェドは天を仰ぎ、目を細めた。
「普通の人間が言う、青春時代ってヤツを俺は完全に奪われた。そして、そのせいで俺は自分の生きる意味が見えない」
「……生きる意味?」
「そう。……生きがいって言った方がわかりやすいか。フィオナにも何かあるだろ? 将来の夢とか、こんな人と結婚してこんな家庭を築きたいとか」
「えっ……。あ、うん、まあ……、なんとなくだけど」
「俺にはそれがまったく無いんだ。だから、俺は俺の生きがいを見つけたい」
 拳をグッと握りしめ、そしてゆっくり開き、手のひらをジッと見つめるシェド。フィオナは自分が抱いていたシェドのイメージと今目の前にいるシェドが全然違うことに戸惑い、黙ってシェドの話を聞いていた。
「アリアは両親を捜すために世界中を回ってるだろ? だからそれに便乗して世界を見て回れば、きっと何処かで生きがいにできそうなモノを見つけられると思ってさ」
「……生きがいを探すためにアリアちゃんと一緒に旅してるってことですか?」
「ああ」
 シェドは瞳を閉じる。フィオナは俯いて両手で着物の端をギュッと握った。
「じゃあ、もしシェドさんの生きがいってのが見つかったらどうするんですか? アリアちゃんの両親捜しをやめて、アリアちゃんを一人にするつもりですか?」
「……ああ」
 その答えでフィオナの表情は更に険しくなる。
「そんなの非道いです! アリアちゃんはまだあんなに小さいのに、それなのにっ!」
「アリアの両親が先に見つかれば、俺はその後一人で旅を続ける。逆に俺の生きがいが先に見つかればアリアはその後一人で旅を続ける。ただ、それだけのことだ」
「――っ!?」
 ハッキリと言い切るシェドに対し、フィオナはキュッと唇を噛みしめながらその横顔を睨みつけた。シェドはその後何も言わず、しばらくすると刺繍作業を再開した。
 黙ってその様子を睨みつけた後、フィオナは空になった皿と水筒を回収すると音もなく部屋を去っていった。
 フィオナが去った後、シェドは生地を縫う針先を止めて半開きのドアを悲しげな表情で見つめた。


 フィオナが店に戻ると、三人の友人とアリアは先ほどと同じ場所で話し続けていた。アリアの腕にはいつの間にかヒューイの姿があり、体をアリアの腕に潜らせて大人しく眠っていた。
「フィオナ、遅かったわね」
「あ、うん。……お茶の入った水筒をこぼしちゃったから拭いてたのよ」
 適当な嘘をつきながらアリアの隣に腰掛けるフィオナ。アリアは静かにヒューイの頭を撫でていた。フィオナはそんなアリアを、眉を顰めて物悲しげな表情で見つめる。
「ねえねえフィオナ。シェド、さん……とアリアちゃんって何で旅をしてるの?」
「え?」
 あまり触れられなくない話題をダイレクトに尋ねる友人に対し、フィオナは肩を強ばらせて振り向いた。友人達はみな興味津々に目を輝かせている。
「えっと……」
「私、お母さんとお父さんを捜してる。シェドはそれを手伝ってくれてる」
 困惑するフィオナの隣でアリアが顔を持ち上げずにヒューイを撫でながら答えた。
「ええっ! そ、そうなの? ……それは、えっと……」
 フィオナは思いもしなかった答えに困惑する友人とアリアを交互に見つめた。友人達はアリアに何と声をかけようか悩んでいる様子で、アリアは変わりなくヒューイと戯れている。
「大変だね、こんなに小さいのに」
「早くお母さんとお父さん見つかるといいね」
 在り来たりな励ましの言葉を投げかける少女達。アリアはそんな少女達を見ずに、「うん」と小さく答えた。
 しばらく沈黙が流れた後、少女の一人が最近のあった話を切りだして少女達はお喋りを再開した。フィオナもそれに加わりながら時折アリアの様子を窺う。アリアは会話に一切参加せず、静かにヒューイを撫で続けていた。
 軽食を食べ、少女達が店を去っていった頃にはすでに三時過ぎだった。その間に他の客は二、三人現れた程度で、その都度フィオナは少女達のテーブルとお客のテーブル、厨房を行き来していた。
 少女達がいなくなった今もアリアはヒューイと一緒に変わらず同じテーブルにいた。少し眠たそうに頭をコクンコクンと上下させながら、それでもヒューイを撫でる手を止めない。
「アリアちゃん、部屋に戻って横になったら?」
「……ん、大丈夫」
 フィオナの声でハッと頭を持ち上げるアリア。振り向くと、フィオナが自分を見つめて微笑んでいた。
「フィオナ、さっきのお客さん達誰?」
「え? ……ああ、あの人達はお客じゃなくて私の友達」
「……友達?」
 友達という言葉に首を傾げるアリアを見て、フィオナは先ほどのシェドの言葉を思い出した。
 “俺にはフィオナくらいの時、彼女も居なければ友達だっていなかった”
 それはシェドが言った言葉だが、フィオナにはアリアももしかしたら同じなのではないかと思ってしまった。先ほどいつもと違う雰囲気を漂わせていたシェドは、どことなくアリアと重なる部分があるからだった。
 左に傾げていた首を右へ折り返すアリア。フィオナはそんなアリアをしばらく見つめた後、いつもの笑顔を繕って口を開く。
「友達っていうのは、仲のいい人のことよ。よく一緒に遊ぶ人とか、困った時助けてくれたり、悩み事を相談できる人のことかな」
「……じゃあ私とシェドは友達?」
「うーん。そうかもしれない。……アリアちゃんは私のこと好き?」
「……好きってよくわからない」
「じゃあ、嫌い?」
「キライじゃない」
「ありがとう。私はアリアちゃんのこと好きだよ。だから、私達は友達同士ね」
「友達……」
 ある程度友達の意味を理解し、微かに表情を変化させるアリアを見てフィオナは満足そうに目尻を下げた。
 いつしか降り続いていた雨は止んでおり、空には七色の虹がかかっていた。アリアとフィオナは窓際に立って虹を静かに眺めた。


 あまりに突然の事で、フィオナは困惑した表情でその様子を見つめていた。
 雨上がりでぬかるんだ道の先、店から数百メートルしか離れていない場所には本でしか見たことのない魔物の姿がある。
 人の大きさほどある巨大なサソリ、キングスコーピオンに、同じくらい大きい蛇、キングコブラ。滅多に街には現れない荒野に生息する魔物で、奇っ怪な鳴き声をもらしながら街の東門付近で保安隊と激しい戦闘を繰り広げている。
 ほんの十分前までは静かだったトラキアの朝景色が一瞬にしてパニックに変わる。人々は騒然と逃げまわり、悲鳴と銃声が木霊する。
「フィオナ、何やってるの早く逃げるのよ!」
 ジールの声にハッとしたフィオナはジールと共に店を飛び出して町の中心地区へ走り出す。少し走った所で後方を振り返り、桃色の髪をした小さな少女と茶髪の長身男を見つめた。
「アリアちゃんっ! シェドさんも早くっ!」
 シェドとアリアはフィオナを一瞥して魔物の群れと戦う保安隊達をジッと見つめた。至極落ち着いた様子で、逃げまどう街の人々と違って静かに佇んでいた。
「うわあああっ!」
 二人の目の前でキングスコーピオンの鋭いハサミに保安隊の男が引き裂かれる。幸い直撃は避けたようだが、裂かれた箇所から鮮血が吹き出し、ボタボタと大地にこぼれた。
 別の所ではキングコブラに巻き付かれた男が必死に抜け出そうと銃口をコブラの顔面に突きつけながら近距離で弾丸を撃ち込んでいた。
 まさに地獄絵図。魔物の奇声と保安隊の悲鳴、銃声と雄叫びが混じり合い、もはや何がどうなっているのか遠目にはよくわからない。
 そんな様子をアリアはジッと見つめていた。シェドが繕ったフレアスカートの裾をギュッと握りながら唇を噛みしめている。
 シェドはいつもと変わらぬ紺色の上下にサングラスをかけたまま、黙って保安隊の戦いぶりを眺めていた。背中には筒状の入れ物を背負い、時折アリアの顔色を窺っては目を細めていた。
 二人の目の前で一人の男がスコーピオンの毒針にやられた。男はその場で悶え苦しみ、ガクガクと痙攣しながら白目をむく。
「――っ!?」
 その様子を見たアリアは、バッとスカートの中に両手を突っ込み、何かを掴んだ。そしてそれを引き出そうとした瞬間、シェドがアリアを制して動きを遮る。アリアはシェドをキッと睨み、物言いたそうに口を半分だけ開いた。
「……助けたいか?」
 先に言葉を発したのはシェドだった。アリアは無言で首肯する。
「だが、騒ぎを起こせば組織の耳に入る可能性だってある。それに――」
「それに?」
 シェドは振り返ってフィオナを見つめた。自分たちから百メートルほど後方で、自分たちが来るのを心配そうな顔で待っているフィオナ。アリアも、シェドにならってフィオナの方へ振り返った。
「それに、またあの時みたいになるかもしれないぜ? ……あの男のように、みんなアリアを恐怖の眼差しで見つめるかもしれない。フィオナだって……」
「…………」
 アリアの脳裏に前に森で助けた男の顔が浮かぶ。まるで魔物を見るような目で歯をガチガチと鳴らしながら自分を見る男。アリアはそっと俯いて唇を噛みしめた。
「……でも、助けたい。人が死ぬの、イヤ」
 俯いたままのアリアが、親に言い訳するような力のない言葉を紡ぐ。
「そうか」
 シェドはそんなアリアの頭をポンと叩き、優しく撫でた。そしてフィオナに背を向け、魔物と保安隊が戦っている方へ向き直す。
「……じゃあ行くか、アリア」
「うん」
 アリアも前を向き直す。そして両手をスカートから引き出し、二丁の拳銃を胸の前で交差させた。
 シェドは筒状の鞄をドンと降ろし、口を開いた。中には何丁かの銃が収められており、その中からショットガンを取り出す。
「アリアちゃん! シェドさんっ!」
 後方でフィオナは自分に背を向ける二人に必死で呼びかけていた。しかし二人はフィオナの見ている前で魔物に向かって突進して行った。
 シェドはスコーピオンの群れを、アリアはコブラの群れをそれぞれ標的にし、二手に分かれてぬかるんだ道を駆け抜ける。泥が跳ねるが、二人はそれが自身の衣類を汚す前にその場を走り抜けていった。
「おいあんた達、邪魔だから怪我人率いてサッサと後退しなっ!」
 凄まじいスピードで颯爽と現れたシェドが、周囲一帯に響くくらい大きな声で言った。そしてショットガンのポンプをガシャンと引いて、銃口を一匹のスコーピオンに向ける。
『キキィィーッ!』
 スコーピオンがその巨大なハサミでシェドを襲おうとした瞬間、シェドは引き金を引いてスコーピオンの頭を粉々に吹っ飛ばした。スコーピオンの頭部片が辺りに散らばり、バシャバシャと音を立てながら水たまりの水を跳ね上げた。
「……柔いな」
 シェドがうっすらと微笑みながらつぶやく。そして保安隊の男達が唖然とした様子でシェドを見つめる中、シェドめがけて三匹のスコーピオンが襲いかかった。
「しかし、こう数が多いと弾の消費も多くなるな。……もったいない」
 愚痴りながらシェドは再びポンプを引いて次弾を装填する。そして巧みにスコーピオンの攻撃をかわしながら、一匹ずつ銃口を直接スコーピオンの頭部に押し当てて吹き飛ばしていく。
 両サイドから襲われた時には蹴りなどの体術を交えてスコーピオンを翻弄し、まるで踊っているようなステップでシェドは次々とスコーピオンを撃破していった。
 一方、シェドがスコーピオンと戦っている場所とは離れた所で五匹のコブラに囲まれた男がいた。男は引きつった表情でガクガクと震えており、コブラたちはじりじりと男との距離をつめていく。
 そんな男の背後から音もなく現れたアリア。男の脇を通り抜け、コブラの群れにゆっくりと歩み寄っていく。瞳はキッと相手を睨んだまま瞬きをせず、表情からは何の感情も読み取ることができない。
「き、君! 危ないっ!」
 ふいに現れた小柄な少女を見て保安隊の男がその腕を掴んで制止させようとする。アリアは男の手をさっと振りほどき、男を一瞥してから、
「大丈夫」
 と男に背を向けて言った。そして両手に握った拳銃を構え、大地を蹴って一直線にコブラの群れに向かって行った。
 小幅ながらも桃色の短い髪がすべて後ろへ持って行かれるくらい凄まじい勢いで、アリアはコブラの群れに接近しつつ、銃のセーフティを解除する。
『ギャギャァッ!』
 アリアは先制とばかりに五匹のコブラすべてに一発ずつ銃弾を撃ち込んだ。コブラの奇声が響き、銃弾を撃ち込まれた箇所から緑色の体液が吹き出す。
 銃弾を受けても怯まなかった三匹がアリアの前方と左右から迫った。まず前方から迫っていたコブラが大きく口を開き、毒牙を覗かせる。アリアは毒牙が触れる瞬間に後方へ飛び、コブラが大地に食らいつく所へ次々と銃弾を撃ち込んだ。コブラは体液で大地を緑色に染め上げながら動かなくなる。
 そして大地に降り立ったアリアは、左右から迫っていた二匹にそれぞれ銃口を向け、襲いかかってきた瞬間にその脇をすり抜けながら銃口を顔面に押し当てて引き金を二度ずつ引くと、コブラはばたりと大地に倒れ伏せて動かなくなった。
『シャアァッ!』
「――っ!?」
 息つく間もなく、今度は三匹の死骸を越えて怯んでいた残りの二匹がアリアめがけて迫っていた。アリアはとっさに銃でコブラの毒牙を受けるが、凄まじい力にそのまま後方へ押し倒された。
「あ、危ないっ!」
 後方にいた保安隊の男が叫ぶ。一匹のコブラがその毒牙で食いつこうとするのをアリアが必死に防いでる中、もう一匹がその背後から迫っていた。
 アリアは空いている手の銃を目の前のコブラに押しつけて引き金を引くが、銃口から弾は射出されない。アリアはそれならばと言わんばかりに手を思いっきり引いて、勢いよく振り下ろしてコブラの目に弾切れの銃身をぶつけた。
『ギャギャアッ!』
 コブラが一瞬怯んだ隙にアリアは跳ね起きて二本足で立つ。そしてコブラ二匹に背を向けて走り始めた。
 アリアの後を追って二匹のコブラが続く。アリアの方が若干早く、徐々に距離は開いていった。しかしアリアの前方には大きな石造りの壁が迫っていた。
 走りながら空になったマガジンを捨て、壁の三メートルほど手前でアリアは前屈みになりながらしゃがみ込んだ。アリアが膝を曲げると、スカートのひだの隙間から替えのマガジンが現れる。アリアはマガジンを銃身の底部から音がするまで奥へ押し込むと、大地を蹴って宙に舞った。
 髪飾りの鈴の音を響かせながら宙で華麗に回転するアリア。そして丁度逆さになった時、アリアの碧眼に迫り来る二匹のコブラの姿が映った。アリアは無表情のまま、両手に握った銃の引き金を引いた。
『ギャギャギャギャッ!』
 宙に舞っている間、アリアは何度も何度も引き金を引いた。二匹のコブラは体液を周囲にまき散らしながら宙で踊り、アリアが大地に降り立つのと同時に死骸となって大地に崩れ落ちた。
 アリアは振り返ってコブラの死骸を見つめる。一瞬だけその場に立ち止まると、すぐに駆け出して他の群れと戦う保安隊のもとへ向かった。
「な、何なんだあの子は……」
 戦いを端から見つめていた保安隊の男は、自分の目が信じられないといった表情のまま、他の敵へ向かっていくアリアの小さな背中を見つめていた。


 シェドとアリアが次々と魔物を撃破していく様子を、いつしか保安隊の男達全員が息を飲んで見守っていた。もちろん、はるか後方ではフィオナを始めとするトラキアの街人達もその様子を見つめている。
「シェド」
「お、アリア。そっちは終わったみたいだな。――こっちも、こいつでっ!」
 そう言いながらシェドがショットガンのトリガを引く。鈍い音が響き、シェドの目の前にいたスコーピオンが肉片となって周囲に散らばっていった。
 肩で一息つくと、シェドは銃口を大地に向けてアリアの方へ振り返った。アリアはジッと周囲に散らばるスコーピオンやコブラの死骸を見渡しており、その後少し顔を持ち上げて自分たちを見つめる保安隊や街の人達の顔色をうかがった。
「…………」
 魔物の死骸が散らばるトラキアの東門周辺、その中央に立つシェドとアリアを、街の人間は黙って見つめていた。アリアは、あの時森で助けた男の顔が脳裏に浮かび、目を細めながら寂しげな表情を浮かべた。
「ア、アリアちゃん……。――ああっ!」
 そんなアリアのもとへ遠目から戦いを見つめていたフィオナが近づこうとした瞬間、フィオナの足が止まり、視線がアリアからその後方へと移った。そして、フィオナの表情が再び驚愕の色に包まれる。
 気配を感じ取ったシェドとアリアもガバッと後方を振り返った。二人の目に映ったのは、荒野の向こうからトラキアに迫る空を歩く大きな生物だった。
「……大きい」
 アリアがそれが何かわからないような顔でつぶやく。その隣でシェドは目をしっかり見開き、うっすらと額に汗を滲ませながらその影を見つめていた。
「マジかよ……、おい」
「シェド、あれ何?」
「……アルトドラゴン。最強の魔物であるドラゴン系では弱い方だが、曲がりなりにもドラゴンだ。他の魔物とじゃ比較にならねぇ」
 シェドのただならぬ緊張を感じ取り、アリアが街へ近づく大きな鳥のような影をジッと見つめた。
 アルトドラゴンは全長八メートルくらいのトカゲに翼が生えたような形状をしており、頭部には二本の白い角があった。全身は硬そうな黄色い鱗に包まれており、力強そうな太い足に、鋭い爪を有した腕を持っていた。大きな口から覗く牙はとても鋭利で、眼光は見る者を凍り付かせるほど殺気に満ちあふれている。
「まずいな……。無事に倒せる保証はない」
「でも」
 及び腰のシェドの隣でアリアはグッと拳を握りしめる。
「あれ倒さないと、街の人が危険」
「……そうだな。あんなのに襲われたら、大勢の人間が死ぬだろう」
「人が死ぬの、イヤ」
 アリアは巨大なドラゴンを前にしても一向に退こうとしない。シェドはそんなアリアの頭部を上からチラッと見つめ、一瞬微笑んでから再び険しい顔つきでドラゴンを眺めた。
『グゥゥ……。グガアアアァッ!』
 全身の毛が逆立つような凄まじい咆吼をあげ、ドラゴンがその巨大な翼を大きく広げた。そして荒野からあっという間にトラキアの街へ迫り、東門をぶち壊しながら大地にズシンと降り立った。その衝撃で保安隊の男達がばたばたと体勢を崩して大地に倒れ込んだ。
「……どうやら俺たちに狙いを定めたようだ」
 ドラゴンは唸りながらシェドとアリアへ体をを向けていた。ドラゴンを見た保安隊が地面を這うように逃げていく中、二人は巨大なドラゴンと対峙したままジッと佇んでいた。
「知ってるか」
「……なに?」
「ドラゴンってのはな、神が創った神聖な生き物だったんだ。しかし“神狩り”が行われた後、“黒い影”の影響を受けて魔物化して人間を襲うようになった」
「…………」
「皮肉なものだ。本来人間を守るために創られたドラゴンが、こうして人間を襲うんだからな」
 シェドはそう言いながらショットガンを構え直した。アリアもマガジンを入れ替え、両手の拳銃をグッと握りしめている。
「動物や昆虫が魔物化したのとはワケが違う。いいか、決して油断するなよ」
「わかった」
「行くぞっ!」
 二人が大地を蹴る。左右の二手に分かれ、ドラゴンの両サイドからシェドとアリアはそれぞれの手に握られた銃のトリガを引いた。
 アリアの二丁拳銃から放たれた九ミリ弾はドラゴンの固い鱗に弾かれ、バラバラと大地にこぼれ落ちていった。そしてシェドのショットガンから放たれたバックショットの十二ミリ弾すら、鱗に小さな傷を作る程度で致命傷は与えられない。
「チッ! 駄目かっ!」
 シェドが弾を装填しながら愚痴る。アリアは巨大なドラゴンの腹の下に潜り込むと、上を向いて銃を連射した。しかしすべての弾は強固な鱗に阻まれ、パラパラと地面にこぼれ落ちていった。
『ガアアッ!』
「――くっ!」
 ドラゴンの鋭い爪がシェドに襲いかかり、間一髪の所でシェドがかわす。ドラゴンの爪は大地に大きな穴を開け、飛び散った破片がシェドの頬に小さな傷を作った。
 さらに後方から迫るアリアに対して、ドラゴンはその巨大な尾で襲いかかった。アリアはそれを難なくかわすが、アリアの攻撃はすべて弾かれてしまう。
「流石に固いなっ! なら、これでっ!」
 後方でアリアがドラゴンの気を惹きつけている間にシェドはドラゴンとの距離を一気につめ、ショットガンの銃口を直接ドラゴンに押し当てながら引き金を引いた。
『グウウウッ!』
「ぬおっ!」
 しかし致命傷を与えるどころか吹き飛んだのはシェドだった。銃口から弾と同時に発射される空気の固まりが、ドラゴンの皮膚に反射して凄まじい反発力を生む。それでシェドの足が大地を滑り、シェドの肩に痛みが走った。
 そんなシェドめがけてドラゴンは巨大な足を持ち上げ、シェドの頭上より踏み下ろした。
「ちぃっ!」
 左方へ転がりながらその攻撃をかわし、シェドは体勢を立て直してドラゴンと距離を開けた。
 アリアはマガジンを入れ替えては弾切れになるまでドラゴンの皮膚の一点、同じ鱗に集中して引き金を引き続けるが、一向にダメージを与えられる気配がない。
「固い」
 相変わらず表情を変化させずにアリアがつぶやく。そしてアリアは拳銃をスカートの中にしまい込み、変わりに深緑色をしたこぶし大の物体を取り出した。
「シェド、離れて」
 口で物体の端から出ていたピンを引き抜くと、アリアがシェドに辛うじて聞こえる程度の声を上げた。
 シェドがアリアを見つめるとアリアの片手には手榴弾が握られていた。そしてすでにアリアはドラゴンめがけて投げつけるモーションに入っていた。
「ア、アリア。そーいうのはもっと早く言えって!」
 そう言いながらシェドがバックステップでドラゴンから離れる。アリアは手榴弾をドラゴンの背中、両翼の合間辺りに投げつけ、自身も後方を向いてその場を離れた。
『ギャアアァッ!』
 爆音に続いてドラゴンの叫びが周囲に響く。爆発の衝撃で一瞬顔をしかめたアリアが様子を窺うと、ドラゴンの片翼一部が多少焦げ付いている程度で、致命傷にはほど遠かった。
「マジかよ。手榴弾も効かないのか?」
 シェドが歯を食いしばる。アリアはジッとしたまま動かない。
 突如ドラゴンが大きく翼を広げて空に舞い上がった。そして空中で身を翻し、凄まじい勢いで頭上よりアリア目掛けて襲いかかった。
 アリアは退かない。迫り来るドラゴンをキッと睨んだまま、スカートの中から新たな手榴弾を取りだし、ピンを抜く。
「アリアッ!」
「……ここなら」
 シェドが大きな声でアリアの名を叫ぶ中、アリアはドラゴンが大きな口を開けた瞬間を狙って手榴弾を投げ込む。そしてドラゴンの爪を間一髪で直撃を避け、ドレスの一部を引き裂かれながらも右方へ飛んだ。
『グガアアアアァァッ!』
 爆発に続いて悲鳴に近いドラゴンの奇声が木霊する。右方へ飛んだアリアは受け身をとりながらすぐに起きあがり、大地に墜ちたドラゴンの頭部から上る白い煙をうかがった。
「やったか?」
 いつの間にかアリアの隣に駆け寄ったシェドがそうつぶやきながらドラゴンを見つめた。ドラゴンはしばし煙の向こうで微動だにしなかったが、直ぐさま周囲にドラゴンの呻き声が響き始めた。
 ドラゴンは口から赤い血をポタポタと大地へ垂らしながら、シェドとアリアへ凄まじ殺気をぶつける。唾液と血が混じり合い、むき出しの牙が白からピンク色に変色していた。
「……ったく、厄介だな!」
「なら、もう一回」
 再度アリアが手榴弾を手に持つ。シェドはドラゴンの側部に回りながらショットガンを撃ち続け、ドラゴンの気を逸らさせる。
『グルルル……』
 ドラゴンがシェドを追って体を回転させる。そしてドラゴンの視界からアリアが外れた瞬間、アリアは大地を蹴ってドラゴンに迫っていった。ドラゴンの数メートル手前で手榴弾のピンを抜き、飛び上がってドラゴンの顔面に迫っていった。
『ガアアアッ!』
「――っ!?」
 突如、アリアの気配を感じ取ったのかドラゴンがアリアへ振り返る。すでにアリアは手榴弾を投げる体勢に入っていた。
 ドラゴンが唸りながら全身を震わせ始めた。微かに全身を赤い光が包み始め、ドラゴンがその巨大な口をアリアに向けてガバッと開いた。
「やばいっ! アリアッ! 退けぇっ!」
 シェドが叫ぶ。ドラゴンの口には真っ赤に燃え上がる炎が渦巻いており、次の瞬間、アリア目掛けて巨大な火の玉がドラゴンの口より放たれた。
「くっ!」
 とっさにアリアは手に持った手榴弾を投げつけ、両手を交差させながら顔面を覆った。
「きゃあっ!」
 手榴弾と火の玉がぶつかり、アリアとドラゴンの間で爆発が起こった。その衝撃を受け、アリアは悲鳴を上げながら吹き飛ばされた。
「アリアッ!」
「あうっ!」
 シェドが見つめる中、アリアは崩壊した建物の壁に激突して力なく大地に崩れ落ちた。さっとシェドが駆け寄り、アリアを抱き起こす。
「大丈夫か?」
「……うん。これくらい、平気」
 シェドの腕に手を置いてアリアが自身の力で体を持ち上げる。先ほどの爆発で服の一部が焼き焦げ、アリアも顔や手に軽い火傷を負っていた。
「無理するな。……ドラゴンは神が創った生き物だからな、他の魔物とは比べものにならない程威力のある魔法が使える。さっきのあれはフレアジェムと同じようなものだ」
「…………」
 二人が見つめる先でドラゴンが大きな雄叫びをあげる。そして大きく翼を広げ、再び全身を震わせながら赤い光を帯び始めた。
「また来る」
「あんなの連発されたら、この街があっという間に焼け野原だ」
「……シェド、私、そんなのイヤ」
 アリアが悲しげな顔でシェドを見つめる。そんなアリアの顔をしばし見つめた後、シェドは大きく息を吐いた。
「わかったよ。……人の命には代えられないしな、使うとするか」
「うん」
 そう言ってシェドは手にしていたショットガンを端へ放り捨てた。そしてアリアの頭にポンと手を乗せる。
「時間稼ぎ頼むぜ?」
「わかった」
 二、三度アリアの頭をくしゃくしゃっと撫でた後、シェドはドラゴンに背を向けて走り始めた。一方アリアは、口から炎を漏らしているドラゴンに真っ向から迫っていく。
『ガアアアッ!』
 ドラゴンが火の玉を吐く。アリアが避けると、それは辛うじて形を残していた建物を巻き込んで猛々しい炎を上げた。
 アリアは再び二丁拳銃を身構え、無駄だとわかった上でドラゴンの周囲を走り回りながら引き金を引き続けた。次から次へと空薬莢がアリアの銃より飛び出し、周囲にバラバラと散らばっていく。
 アリアとドラゴンが戦っている中、シェドはアンミラ亭のある場所まで後退していた。そして置きっぱなしにしてある筒状の鞄を開き、中から鍵の付いた黒くて縦長のケースを取り出し、上着のポケットから取り出した鍵でそれを開けた。
 中には大型銃が分離した状態で収められていた。シェドは銃身部と銃床部を接合し、更に銃身部の上にスコープを取り付ける。
 組上がった銃は全長一メートル以上ある狙撃銃で、シェドはさらに銃口部分にある銃口とは別の穴に光輝く大粒のジェムを埋め込んだ。
「……ま、仕方ないか」
 そう独り言をつぶやいてシェドはふと後方を振り返った。そこには依然フィオナの姿があり、心配と驚きが混じったような表情でシェド、アリアを見つめていた。保安隊の男達もほとんど逃げていったというのに、フィオナは両手を胸の前で組み、祈るようなポーズで立っていた。
「フィオナはホント、すごい子だな」
 フッと笑い、シェドはドラゴンへ向き直した。大地に膝を付き、狙撃銃を構えてスコープをのぞき込む。
 スコープの先ではアリアとドラゴンが激しくぶつかり合っており、アリアは顔や腕に小さな傷をいくつも負っていた。
 シェドが引き金に指を置く。そして静かに何かをつぶやくと、シェドの体を青白い光が仄かに包み始めた。
 銃口に取り付けられたジェムが眩く輝きだし、シェドを包む光も徐々に強くなっていく。
「……行けるな」
 シェドが小さく呟いた。そして引き金を握る手に力を込める。
「アリアッ! 退けっ!」
 シェドが叫んだ三秒後、シェドの持つ狙撃銃から一発の弾丸が放たれた。弾は青白く輝いており、一直線にドラゴンめがけて突き進んでいった。
「――っ!?」
 アリアが後退する。ドラゴンの側を離れる間際に手榴弾を投げつけ、ドラゴンはその爆発で一瞬だけ怯んだ。
 そこへシェドの放った弾丸が襲いかかる。弾丸はドラゴンの皮膚にぶつかると、周囲を真っ白に染め上げるほどに眩く輝いた。
『グギャアアアアッ!』
 ドラゴンの悲鳴と、シュウウウという水が蒸発するような音が響き、周囲を急激な冷気が包み込んだ。そして白い煙が辺りに立ちこめ、視界が極端に悪くなった。
 しばらくしてある程度視界が晴れてくる。アリアがドラゴンを見つめと、ドラゴンは禍々しい形相のまま冷たく固い氷の内に閉じこめられていた。
「…………」
 アリアが銃をしまい、シェドのもとへ駆け寄ってくる。そしてアリアがシェドの隣にたどり着いた時、シェドがジェムを取り替え、再び引き金に指を置いた。
「ま、後片づけもしとかないとな」
 今度はジェムが朱色に輝きだし、シェドの体を赤い光が包み始めた。そしてシェドが引き金を引くと、真っ赤に染まった弾丸が銃口から飛び出した。
 弾丸は氷付けのドラゴンに命中した瞬間凄まじい爆発を引き起こし、ドラゴンは粉々に砕け散った。シャリシャリと音を立てながら氷片とドラゴンの肉片が周囲に散り、氷片が太陽の光を七色に反射させていた。
「ふう、終わり。……結局ジェム使っちまったな」
「でも、必要だった」
「そうだな。まあ、まだ魔法力の残量はあるからよしとするけど、このサイズのジェムは買い換えると高いんだよな。またミレーヌが調達してきてくれるといいんだが」
 ため息混じり愚痴をこぼし、シェドが銃を解体してケースにしまい始める。アリアは黙ってその様子を見つめていた。
「アリアの服もボロボロだな。……せっかく直したのに」
「ごめんなさい。それと……」
「それと?」
「弾切れ。全弾使った」
 無表情のまま淡々と答えるアリアに対し、シェドはがっくりと肩を下げ、何度もため息をついていた。


 戦いは終わったと言え街には凄惨な傷跡が残された。だが幸いにも死者は無く、保安隊の数人が重傷、他多数が軽傷を負っただけで、人的被害は最小限に止まったといっていい。スコーピオンの毒にやられた人間も、街に住むヒールジェムを扱える医者によって一命を取り留めたとのことだ。
 逃げていた人や周囲から傍観していた街の人たちが、恐る恐る壊れた建物や魔物の死骸に近づく。そして街の人は魔物の死骸と同様に畏怖に染まった目でシェドとアリアを遠目に見つめていた。
「…………」
 アリアが少し表情を曇らせ、俯いて焼き焦げた自分のスカートを見つめた。シェドはため息混じりそんなアリアと街の人間を交互に見つめる。
「アリアちゃんっ!」
 街の人がなかなか近づこうとしない中、真っ先に二人の元へ駆け寄ってきたのはフィオナだった。ごろごろと転がる魔物の死骸を気味悪そうに避けながら、小走りで二人の元へたどり着くと、心配そうな顔で前屈みにアリアの顔をのぞき込んだ。
「大丈夫? 怪我は?」
 フィオナはそっと手を伸ばして軽い火傷を負っているアリアの頬に触れた。うっすらと瞳に涙を滲ませ、肩を仄かに震わせている。
「……大丈夫」
 そんなフィオナに対しアリアが小さく答える。その答えを聞いたフィオナは、「よかった」と言いながら瞳の端に溜まった涙を手の甲で拭い、瞳を閉じてギュッとアリアを抱き寄せた。
「フィオナ、どうして泣いてる?」
「アリアちゃんが無事で嬉しいからに決まってるでしょ」
「……嬉しい?」
 フィオナは一層強くアリアを抱きしめる。アリアはこんな時どういう顔をしたらいいのかわからない様子で、首を傾けながらシェドの顔を見つめた。シェドはただ微笑むだけでアリアに何も言わなかった。
「フィオナ……。私……」
 アリアが何かを言いかける。しかしそれ以上言葉は続かず、フィオナも聞き返したりはしなかった。
 いつしか三人を取り囲むように街の人が集まっていた。傷ついた保安隊の姿もあり、魔物の襲撃で家を失った人もいた。
「……さて、どうなることやら」
 シェドがまるで他人事のようにつぶやく。フィオナもアリアから身を離し、シェドを一瞥してから街の人たちへ視線を移した。
「グレイさん、そちらの方々はどちら?」
 街人の一人が恐る恐るフィオナに尋ねる。フィオナは背筋を伸ばし、アリアの前に自分の左手をかざしながら切れ長の瞳を更に細めた。
「この人達は旅の人で、今はうちの居候をしています」
 フィオナがはっきりと答える。しばし沈黙が周囲を包み、アリアは俯いたままフィオナの左手を両手でギュッと握り、シェドは面倒くさそうな顔で肩を竦めていた。
「あ、いたいた」
 ざわつく人々の合間を縫って一人の保安隊の男がアリアのもとへ駆け寄ってきた。その表情は穏やかで、アリアを見つめながら白い歯を見せた。
「ありがとう。さっきは助かったよ」
 男はアリアを見つめながらそう言った。先ほどコブラに囲まれていた所をアリアに助けられたと、男は周囲の人間に声高に教えた。
「それにそっちの兄ちゃんも、お陰で死者が出ずに済んだ。感謝するよ」
「……いや、こいつがどうしても助けたいって言うからな」
 シェドはアリアの頭に手を置き、ポンポンと何度もアリアの頭を軽く叩いた。アリアが鬱陶しそうにその手を振り払うと、シェドは自分を睨むアリアに微笑みかける。
「そうか。ありがとうお嬢ちゃん。君たちはこの街を守った英雄だ」
 今度はシェドに代わって保安隊の男がアリアの頭をポンポンと叩く。アリアはシェドの時と違って、大人しくされるがまま叩かれていた。
 結局、男の手を止めたのはフィオナだった。
 保安隊の男とアリアのやりとりを見ていた周囲の人たちが、徐々に険しかった表情を緩めていった。そして次第に三人との距離を縮め、みなの表情に笑みが浮かぶ。
「助かったよ、ありがとう」
「どうなることかと思ったけど、あんた達強いんだな」
「すっげー! 俺感動しちゃったよ!」
 いつしか二人を賞賛する声があちこちから上がり、アリアの周りには同世代の子供と中年の男達が、シェドの周りには若い女性が群がり出す。
 アリアはいつもと変わらず無表情であるが、若干困惑しているらしく瞬きの回数がいつもより多くなっていた。シェドは鼻の下を伸ばしながら、「格好よかったです」とか「お強いんですね」とか黄色い歓声をあげる少女達をでれっと見回していた。
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