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第一章 白き街スノーレン

 アルトレア大陸の北東部、自然豊かな土地の片隅に佇む人工の施設。トルメキア王国で最も巨大な魔練器製造会社の私有地として国の許可を得て建築された白い壁の建物から、けたたましいサイレンの音が木霊していた。
「相手は四人だ! 絶対に逃がすなっ!」
 施設の敷地内で甲冑で身を包んだ男が声高に叫ぶ。その男以外にも、剣や銃で武装した十数人の男たちが険しい顔つきで周囲を警戒している。
 燦々と輝く太陽が男たちを照らし、男たちの頭上には雲一つない青一色の空が広がっていた。
 突如、一人の男の体が黒い影に覆われた。男がハッと頭を持ち上げて頭上を確認すると、そこには軽やかに天を駆ける一つの影があった。
「いたぞっ! 侵入者だ――ぐあっ!」
 サイレンと共に男の悲痛な叫びが広がる。悲鳴がした所へ続々と警戒していた男たちが駆け寄ってきた。
「貴様っ! ニーヴルに進入して無事に帰られると思っていないだろうなっ!」
「……申し訳ありませんが、通らせてもらいます。命が惜しい方は道を開けて下さい」
 武装した男たちの視線の先には、細身で背の高い、金髪の青年が立っていた。白い法衣を黒いマントで覆い、右手には淡い緑色に輝く剣が握られている。
「ぬかせっ!」
 一人の男がジェムが埋め込まれている杖を青年へかざし、杖の先から紅蓮の炎が舞い上がる。男のかけ声の後、轟音と共に炎が青年のもとへ迫っていく。
「無駄です」
 紫電一閃。青年が剣を振り抜くと、炎は跡形もなく消し飛び、その先から青年がジェム使いの男めがけて迫っていた。
 青年は一太刀にてジェム使いの男の喉を裂き、二の太刀でその両脇に立っていた男たちの胴を真っ二つに斬り裂いた。
 朱色の鮮血が青い空へ舞い上がり、青年の剣先からポタポタと大地へこぼれ落ちる。
「……な、つ、強いっ!」
「もう一度だけ言います。道を開けて退きなさい」
 凛とした態度で残る男たちに話しかける青年。男たちは肩を震わせながら一歩、また一歩と後退していく。
 青年が剣を鞘に収め、歩を刻もうとした時、
「……気の毒だが、この施設に踏み入った以上、生きて返すわけにはいかない」
「――っ!」
 青年の目の前に突如光の矢が現れた。青年はとっさに剣を抜き、体を仰け反らせながら光の矢を剣の腹で受け止める。
「く……、幹部クラスのエインフェリアがいたのですかっ!」
 青年が今までの落ち着いた表情を一転させ、険しい表情で道の先に立つ赤い髪の男を睨んだ。
 ピシッとしたスーツで身を包み、右目を眼帯で隠している赤髪の男は、左手に銀色に輝くガントレットを装備していた。そこには深緑に染まるジェムが埋まっており、ガントレット全体を濃いグリーンが包んでいる。
「……カ、カルネ様、申し訳ありません」
「この男以外にも侵入者がいるはずだ。お前たちはそいつらを探し出せ」
「はっ!」
 カルネと呼ばれた男の指示に従い、武装した男たちが続々とその場を離れていく。金髪の青年はカルネを睨んだまま、米神にうっすらと汗を滲ませていた。
「お前たちの目的は何だ。ボスの名前は? どうやってここを知った?」
「……教えるものですか」
「そうか。ならお前の仲間を捕まえて吐かせるまでだ」
 カルネが左手を青年へかざすとガントレットに光の弦が現れた。そしてカルネが弓を引く構えを取り、光の矢が右手より生じて弦を引く。
「――っ!?」
 ふいにカルネの頭上より巨大な斧が襲いかかり、カルネは後方に飛んでその攻撃をかわした。カルネが左目を細めて確認すると、視線の先にある建物の二階から三人の男たちがカルネと青年の合間に飛び降りてくる。
「……おいおい、A級以上のエインフェリアは全員出払ってるんじゃなかったのか?」
「俺に言われてもね……。いるんだから仕方ないじゃないか」
「そうそう。……それにしても、こいつ、相当強そうだよ」
 現れた三人の男がカルネを視界の端に映しながら顔を見合わせる。
「み、みなさん。……申し訳ありません、僕が軽率な行動を取ったせいで……」
 金髪の青年が男たちに頭を下げると、一番がたいのいい男が口を大きく開いて笑い、何やら書類の束を青年へ投げつける。
「お前はこれを持って先に逃げろ。何が何でもそれをボスの所へ届けてくれ」
「……ぼ、僕も戦います!」
「バーカ。近場のエインフェリアが戻ってきたらそれこそ逃げれなくなるだろうが。お前は下っ端なんだからさっさと行け」
「で、でも……」
「大丈夫。私たちもすぐに後を追うから。さあ、早く!」
「……わかりました」
 青年はカルネに背を向けて走り出す。カルネがその後を追おうと駆け出すと、その先を三人の男が遮った。
 武装した男たちを剣でなぎ払いながら、青年は受け取った書類を大事に抱えて走り続ける。施設を抜け、青年の姿は雄大な大自然の中へ消えていった。

* * *

「……ん……」
 シェドの腕を枕代わりにしていたアリアは、閉じていた瞳を開いて体を起こす。半開きの目をピンク色のミトンに包まれた右手で擦り、何度か瞬きを繰り返した後、隣で手綱を握るシェドの顔を見上げた。
「起きたか? ……ちょうどいいタイミングだぜ。ほら、うっすらと街の光が見えてきただろ? あれがスノーレンだ」
 寒さのせいか、シェドの体はカタカタと震えていた。気付けば、アリアの首にはシェドがしていたマフラーが巻かれている。
「…………」
 アリアが目を細めながら粉雪の舞う道の向こうを見つめると、暖かい光に満ちた大きな街が真っ白な世界に浮かび上がっていた。あれがスノーレンの町の光だろう。
「街に着いたらすぐに宿を探して、冷えた体を温めるために風呂へ入ろう」
「うん」
 数ヶ月前まで風呂を毛嫌いしていたアリアだが、今では風呂に入るぞと言われれば大人しくウンと頷くようになった。それは偏に、以前立ち寄った街で知り合った少女のお陰だ。
「着いたの?」
 ふいに、二人の後方にある荷台の口が開いて中からセシリーが顔を現した。変にあちこち跳ねあがっている蒼い髪の上には、雪のように白い毛で覆われたヒューイが乗っている。
「ヒューイ、こっちおいで」
「キュッキュルー」
 アリアは手を伸ばしてセシリーの頭に乗っているヒューイを抱き寄せ、自分の腕の中へ移動させた。ふわふわとした毛が温かくて気持ちいい。
「もう着いたも同然だ。ほら、見えるだろ?」
「ん……。ああ、あの光がそうなの? ……やっと着いたわね」
「セシリーはスノーレンに行ったことある?」
 荷台から顔を出しているセシリーにアリアがヒューイを抱きかかえたまま尋ねると、セシリーは首を左右に振りながら「ないわ」と簡素に答えた。
 セシリーが荷台の中へ引き返す。アリアがそれを追って荷台をのぞき込むと、セシリーは自分の所持品が入っている鞄から手鏡を取り出し、反対の手に櫛を握って丁寧に自身の髪をとかしだした。その手慣れた仕草をアリアは黙って見つめる。
 セシリーが長くて艶やかな髪を首の後辺りでまとめ、毛皮のコートを羽織った。そして荷台から出てきて、
「はーい、アリアはここ」
「あ……」
 二人しか乗れない馬車の乗車席にセシリーが無理矢理割り込み、アリアの両脇に手を通してその小さな体をヒョイッと持ち上げると、自身の膝の上へ半ば強引に座らせた。
「子供扱いイヤ」
「いいじゃない。私から見たらまだまだ子供なんだし」
 アリアは眉間にしわを寄せながら口を尖らせる。しかし結局はセシリーになされるがまま、まるで母親の膝に乗る娘のような構図となってしまった。本気でイヤなわけではなかったが、子供扱いされるのは好きじゃない。
「あら? ……アリア、あなたちょっと重くなったんじゃない?」
 セシリーが両手をアリアの腹の辺りで組み、軽く抱き寄せながらつぶやく。アリアは無言で反抗し、自分の腕の中で眠るヒューイの頭を優しく撫でていた。
「そりゃあ、お肌の曲がり角を過ぎたお前と違って、アリアは成長期ど真ん中だからな」
「言ってくれるじゃないの。でもね、二十歳過ぎなきゃ身に付かない色気ってものもあるのよ? わかってるのかしら?」
「さあて、どうだろうな」
 シェドとセシリーが頭の上で言葉を交わし合う中、アリアはヒューイを撫でながら徐々に近寄ってくるスノーレンの光を見つめていた。
 ふとアリアは、自分らの乗る馬車が響かせる蹄の音に混じって別の音が聞こえることに気が付いた。その音も馬の蹄音のようでアリア達の馬車より若干早いテンポを刻んでいる。
「どうした?」
 ふと顔を持ち上げてシェドを見つめると、シェドが小首を傾げて見つめ返してくる。
「馬の足音がする。……向こうの道から」
 アリアは片手を持ち上げて右斜め前を指さした。大きな道同士が合流して一本になる手前、アリア達とは別のルートでスノーレンに向かう馬が、ぼんやり白い霞のかかった視界の先に映る。
 馬の上には小柄な人間の姿も確認できた。しかし視界が悪く、どんな格好をしているのか、男か女かさえもわからない。
「寒さの厳しいこの時期にスノーレンを訪れるなんて、商人でもないかぎり不自然ね」
 セシリーが目を細めながら鋭い視線を馬に乗る人物に投げつける。シェドも警戒するようにサングラス越しに睨みつけながら、霞の向こうから徐々に浮かび上がってくる人物を見つめていた。
「……あれ? シェド?」
「え……?」
 先に口を開いたのは馬に乗っている人物だった。いきなり名前を言い当てられたシェドが、ハスキーがかった少女らしい声を聞いて、表情を警戒色からあからさまな不快色に染める。アリアもその声には聞き覚えがあった。
 道が合流し、馬に乗っている人物はアリア達の馬車の速度に合わせて平行するように進み始めた。近距離になってようやく相手の顔がハッキリと確認できる。黒髪のショートに緑色の瞳をした十代半ばと思われる少女は、真冬にも関わらず向日葵のような輝かしい笑みを浮かべていた。見間違うはずがない。ミレーヌだ。
「なんだ、ミレーヌじゃない。警戒して損したわ」
 セシリーがミレーヌの顔を一瞥して視線を逸らす。そんなセシリーの淡泊な反応に対してミレーヌが口を尖らせるが、すぐさま視線をシェドに切り替え、大口開けて笑いながら白い息を宙に飛ばす。
「何だ、その顔は。何か良いことでもあったのか?」
「別にー。私用でスノーレンに来てみたらシェドとばったり逢えたんだもん。もうこれは運命としか言いようがないじゃん」
「……俺にとっては一種の呪いかもな……。じゃあ別に魔波計使って追いかけて来たわけじゃないんだな?」
「うん。スノーレンって、昔から魔練器技師にとっては聖地みたいな所だからね。お父さんの昔なじみに特殊な加工器具を借りに来たのよ。まあ、あたしも魔練器技師の端くれだからさ、ついでに色々勉強していこうと思ってね」
「あなたがそんな勉強熱心だとは知らなかったわ」
 シェドとミレーヌの会話中にセシリーが鼻を鳴らしながら二人に聞こえるようつぶやく。ミレーヌは頬を膨らませてセシリーの横顔を睨みながら、「むむむ」と唸り声をもらした。どういうわけか、アリアにはセシリーとミレーヌはあまり仲がよくないように思えた。
「あ、あたしだって、お父さんのお手伝いをして早くアリアちゃんの聖石を取り除いてあげたいんだもん。でも今のあたしじゃ、お父さんの研究の邪魔にしかならないから……」
「ミレーヌ……」
 先ほどまでの眩しい笑みが消え、しぼんだ花のように頭を垂れるミレーヌ。アリアの隣でシェドが、ミレーヌの悲しげな横顔を前にどんな言葉をかけていいかわからないよう天を仰いで息を吐いた。
「ミレーヌ、ありがとう」
 重たい空気が漂う中、アリアはセシリーの膝上からミレーヌに顔を向けて精一杯の笑顔で言った。ミレーヌもアリアに笑みで応じてくれる。
「今度、ミレーヌのお父さんにもお礼を言いたい」
「そうだな……、ミレーヌからじゃなく直接親父さんから研究の進行具合を聞いておいた方がいいかもしれない。スノーレンで特に有益な情報を得られなかったら、一度親父さんの所へ行ってみるか」
「うん」
 シェドの提案を受けてアリアは再度精一杯の笑顔を浮かべる。それがどこまで笑顔っぽいかは自分自身良くわからないが、アリアの笑顔を見つめてシェドは微かに頬を緩めて頷いてくれた。
 そんな話をしている間に、一行の目の前に大きなスノーレンの南門が現れ、アリア達は白き街スノーレンへと足を踏み入れた。


 スノーレンの街は一面真っ白な雪に覆われており、何処までが道なのか確認できない。道行く人々は皆どことなく暗い雰囲気を漂わせ、目一杯の厚着をして足跡を残しながら雪道を歩いている。街の至る所に街灯があり、すべてジェムの魔力で光を灯していた。
 街の近くに古代都市の遺跡が多いため、トルメキア王国の支配も厳しい。軍服を身にまとい、ライフルを背負いながら町中を歩く軍人の姿も多く見られ、住民達はそれに怯えるようひっそりとした生活を送っているようだ。
「……やっぱり軍の人間が多いな」
「あんた達大丈夫なの? あたしはいいけど、あんた達は顔を知られてるんだし」
「大丈夫でしょ。私が知る限り、組織の人間は直接ここに関わっていないし、駐留しているのは国王軍の中でも下っ端のはずよ」
 街にたどり着いたアリア達は、南門をくぐってすぐ目に付いた宿に入り、チェックインを済まして暖炉のある二階の一室へと案内された。
 壁には鹿の剥製があり、床は真っ赤な絨毯が覆っている。窓は真っ白に曇っており、時折がたがたと音をもらしていた。
 アリアはシェド達の会話には加わらず、荷物を下ろして部屋の中を見渡した後、ヒューイを頭の上に乗せたまま曇っている窓に近寄って行き、ミトンで窓をキュッキュッと拭いて窓の外を見つめた。
「……?」
 ふとアリアの視界に小さな少女の姿が映った。栗色の厚いコートを着て長靴を履いている少女は、雪が降り続ける外で荷車の近くにうずくまっていた。年はアリアと同じくらいだろうか。
 アリアが目を凝らしてよく確認すると、荷車の下には数匹の子猫の姿があり、近くに親猫の姿はない。どうやら親とはぐれてしまったようだ。
 茶と赤の中間色をした髪をツインテールにしているアリアと同じくらいの少女が、底の浅い皿にミルクを注ぎ、それをそっと荷車の下へ差し出した。しかし子猫たちは体が冷え切っているせいか、互いの体を寄せ合ったまま置かれたミルクへ近寄ろうとしない。
「あう、どうしよう……。ちゃんと食べないと死んじゃうよ」
 窓の外から少女の小さな声がアリアの耳に響いてくる。少女は動こうとしない子猫たちをしばらく見つめた後、今度は警戒するようにキョロキョロと周囲を見渡した。そして誰も居ないことを確認したのか、ポケットから枯れ草の束を取り出すと、それを子猫の脇にそっと置いた。少女の不可解な行動にアリアは小首を傾げる。だが次の瞬間――
「……あ……」
 アリアの視線の先で、少女は別のポケットから取り出した朱色の小さな宝石を握りながらその手を枯れ草のもとへ近づけていく。そして少女の小さな手が淡いレッドに輝いたかと思うと、次の瞬間、小さな炎が少女の手からこぼれ落ちて枯れ草を朱色に染め上げた。
「フレアジェム……? あの子、ジェムが使えるの?」
 口を小さく開いたままアリアは少女を見つめる。ふいに、視線を感じたように少女がハッと顔を持ち上げ、宿屋の二階から顔を覗かせるアリアを見上げてきた。少女はアリアが自分を見つめたまま固まっている様子に驚いたのか、立ち上がってその場を逃げるように去っていった。
「あ……」
「どうした、アリア? 何か面白いものでもあったか?」
「え……。……ううん、何でもない」
 シェドの呼びかけに応じて後方を振り向いたアリアは、少女のことを話そうかと一瞬躊躇した後、シェドに首を左右へ振って見せ、再び窓の外へ視線を戻した。何となく黙っていた方がいいような気がした。
 窓の外に少女の姿はなかったが、パチパチと燃える枯れ草の脇で子猫たちが美味しそうにミルクを飲んでいる姿がアリアの瞳にハッキリと映った。
「さて、体も冷えてる事だし、早いところ風呂に入るとするか」
 アリアが視線を中に戻すと、シェドが替えの服やタオルを手にすっくと立ち上がった。それに呼応するようミレーヌも立ち上がる。
「じゃあ、あたしはお父さんの知り合いの所へ行くわ。しばらく泊めてもらうよう、事前に連絡してあるから」
「あら、一秒でも長くシェドと一緒にいたいって言い出すかと思いきや、やけにサッパリしてるじゃない?」
「あたしはまだ十八だからね。二十四の年増さんと違って、まだまだいくらでもチャンスはありますから」
 セシリーを横目で見つめながら高笑いするミレーヌを、セシリーが少しだけ憮然とした表情を浮かべて見つめていた。チャンスって何だろうとアリアは首を傾げる。
「……そんなこと言っていられるのも今の内。アリアがあなたの年になる頃には、あなたは私くらいの年になるのよ」
「ふーん。それまでにシェドを落とすもん。……じゃーねー」
 大きく手を振りながら部屋を去っていくミレーヌ。ミレーヌが去った後、部屋にやっと静けさが訪れた。毎回毎回ミレーヌが居るときは賑やかで、アリアはその賑やかさは嫌いじゃなかった。
「……ったく、相変わらず元気なヤツだな」
「ねえ、シェド」
 シェドが厄介事が終わったように頭を掻きながら安堵の表情を浮かべているところへアリアは窓辺から歩み寄り、真上を向きながら身長差のあるシェドをその青い瞳で捕らえた。
「なんだ?」
「ミレーヌが言ってた、シェドを落とすってどういう意味? トラップか何か?」
 チャンスというのもよくわからなったが、それ以上にシェドを落とすという意味がアリアにはさっぱり理解できなかった。何でそんなことする必要があるのだろうか。
「……うーん。まあ、そんなようなものだ」
「何でミレーヌがシェドにトラップを仕掛けるの?」
「アリア、あなたもいつか誰かを罠にかける日が来るわよ。まあ、うまくかかるかどうかは本人次第だけど」
「……?」
 セシリーが含みのある笑みでアリアを見つめてくるので、アリアは小鳥のように首をかしげて、頭の上に疑問符を浮かべたまま眉をひそめていた。
「まあそのうちわかるわ。それより早くお風呂へ行きましょう。ねえ、シェドも一緒に女湯入る?」
「男の人と一緒にお風呂入っちゃ駄目だって、前に言われた」
「……だ、そうだ。早いところ二人で行ってこい」
「私は全然構わないんだけどね。まあいいわ、じゃあ行きましょうか」
 セシリーが着替えとタオルを片手に、髪の紐を解きながら部屋を出て行った。アリアもその後をひょこひょことついていく。


 部屋に残ったシェドは、窓辺に身を寄せて先ほどアリアが拭いた場所から上体をかがめて外の様子をうかがった。すっかり日が落ちた街へシンシンと降り続ける雪は街灯の光を反射させながら一層白く映り、まるでタンポポの綿のように空気中を漂っている。
「凄い雪だな……。──ん、なんだ……? 小火?」
 シェドの視界の先で木造の荷車が白い煙を上げていた。激しく燃え上がっているわけではなかったため、シェドが見ている間に火は雪で徐々に小さくなっていき、数分後に完全に消えてしまった。
「雪国じゃあ、暖房器具とかによる火事も多いんだろうな」
 そうつぶやき、シェドはカーテンをかけて窓に背を向けた。


 真っ直ぐに広がる青空の下、降り積もった雪は太陽の光を反射させて七色に輝き、人々は道や屋根に積もった雪を一生懸命どかそうとスコップを手に働いていた。
 街の人が除雪作業に追われる脇、シェドとアリアは宿にセシリーを残して朝焼けが眩しいスノーレンの街を歩いていた。凍てつく寒さが容赦なく肌に突き刺さってくる。
「うう……、寒いな。小粒のフレアジェムが残っていればカイロ代わりに使えるのに」
 コートのポケットに両手を隠し、深紅のマフラーを首に巻き付けながら、シェドは肩をがたがたと震わせて猫背のまま何度も「寒い」とつぶやいた。つぶやいたところで寒さが緩和するわけでもないが、そうしないではいられなかった。
「こんなに沢山の雪を見たの、初めて」
 シェドの隣で真っ赤なフード付きコートを羽織るアリアは、足下を見つめて、ザムッ、ザムッと鳴る自身の足音を楽しむように、あえて雪が多く残っている所を歩いていた。今まで旅してきた所でこれほどの豪雪地域はなかったから、顔を微かにほころばせながら。
「そう言えば、ヒューイはどうした?」
「連れてこようとしたけど、嫌がってセシリーの胸元に逃げ込んだ」
「はは、チロルは猫科の動物だから寒いのが苦手なんだよ」
 マフラー越しにシェドの白い息が空気中に流れて消えていく。その隣でアリアが白い息をハァッと吐きながら、道端で楽しそうに雪だるまを作る数人の子供達を見つめていた。シェドがアリアを直視していることにも気づかず、アリアは子供達と白い犬が雪の上を元気に走り回っている様子を見ていた。
 その時、シェドの視界にライフルを背負った男の姿が映った。どう見てもただの町人ではない。直感的にシェドは相手が軍人ではないかと感じた。
「……アリア」
「え?」
 楽しげに笑い合う子供達へ視線を釘付けにしているアリアに、シェドはそっと声を掛けた。スッとアリアの小さな手を握り、アリアを自分の体に引き寄せる。
 道の向こうからライフルを背負った軍服の男が二人のもとへゆっくりと近寄ってきた。シェドは作り笑いを整え、隣のアリアにおとなしくしてるよう目で伝える。
「お前達、見かけない顔だな」
 軍服の男が何やら疑わしそうな目でシェドとアリアを交互に見つめる。アリアは普段通り感情薄く男を見つめ返し、シェドは、
「ええ。昨日スノーレンを訪れたばかりで。……すごい雪ですね」
 アリアの手を握ったままが爽やかに応じた。感情を偽るのも、シェドが組織で得たスキルの一つだ。
「旅の人間か、この街へ来た理由は何だ?」
「祖母がこの街に住んでいるんです。体調を崩したらしく、その見舞いに、と」
「……そうか」
 軍服の男が依然として訝しげな目でアリアを見つめたが、アリアが特に反応を示さないため、しばらくすると無言のまま二人の側を離れていった。男の背中を一瞥し、シェドはふぅと小さく息を吐く。
「組織の人?」
「いや、たぶん国王軍のヤツだな。組織の人間なら俺たちの顔を見てすぐに気づくさ」
 その後も街を歩いていると次々と軍服を身にまとう人間を目撃した。そのたびにシェドは、年の離れた兄妹を装って、アリアの手を握りながら爽やかな笑みを浮かべた。アリアもおとなしくしていたため、相手も執拗に尋問してきたりはしなかった。
「しかし、いくら古代都市の遺跡が多い地域とはいえ、少し軍人の数が多すぎるな」
「……スノーレンに、他に有名なものとかあるの?」
「いや、特になかったと思うが……」
 スノーレンは魔練器の製造と、古代都市で採れるジェム以外にこれといった特色はなかったはず。それだけにしては軍人の数が過剰に見える。
 シェドが思考を巡らせていたとき、突然周囲が騒がしくなり、街の人間が除雪をやめて同じ方向へ走り出した。
「何だ?」
 先ほどシェド達に近寄ってきた軍人も街の人間に混じって同じ方向へ走っていく。走っている街の人間たちは、どこか悲痛な面持ちをしていた。
「よくわからんが、取りあえず行ってみよう」
「うん」
 流れに任せてシェド達も走り出す。転ばないよう路面が凍っている場所を避けながら、大きな教会の前にある広場へと二人は移動した。
「おいっ! しらばくれたって無駄だせ、ちゃんとこの目でハッキリ見たんだからな!」
 シェド達が広場にたどり着くと、太い男の声が周囲に響いていた。街の人間達がぐるりと取り囲むように立ち並び、その視線の先には複数の軍人に取り押さえられている若い女性の姿があった。女は服装を見る限り、街の人間のようだ。
「いやっ! 放してぇっ!」
「騒ぐな! おい、さっさと連れて行け!」
「はっ!」
 必死に抵抗する女性。しかしその華奢な体で軍人の男に敵うはずもなく、街の人間が見つめる中、無理矢理連れて行かれてしまった。街の人間達は終始無言のまま、俯いていたり瞳を閉じていたりして女性の姿を真っ直ぐ見つめる者はいなかった。
 シェドは事の一部始終を黙って見つめていた。何がどうなっているかわからない以上迂闊な行動はとれないし、あまり国王軍の奴らとは関わり合いたくない。
「どうなってるんだ?」
「あの人、ジェムが使えるのよ」
「えっ?」
 シェドが眉を顰めながら連れて行かれる女性の後ろ姿を追っていると、後方から聞き覚えのある声が響いた。
 シェドが振り返ると、そこにはミレーヌが普段の元気な笑みを消して悲しげな表情を浮かべていた。その隣のアリアも、理由はわからなくとも自分の意志に反して無理矢理連れて行かれる女性の姿を目の当たりにしたせいか表情を曇らせていた。
「……ジェムが使えるって、医者だって、ヒールジェムくらい使えるだろ?」
「ううん。あの人が使えるのはフレアジェムよ」
「なっ!? あんな、普通の人が……?」
 ミレーヌの説明を聞き、シェドは思わず目を見開いて再度女性の後ろ姿を食い入るように見つめた。
「どうして? フレアジェムが使えると、凄いの?」
 アリアが、一人分からないといった表情でミレーヌのコートの裾を引っ張る。ミレーヌは腰を折ってしゃがみ込み、アリアと視線の高さを揃えて口を開いた。
「アリアちゃんは、シェドが色んなジェムを魔弾として使う所見てるから普通だと思ってるかもしれないけど、そもそもジェムが使える人間って相当少ないのよ」
「私もジェム使えない」
「うん。あたしだって使えないわ」
 軍人が立ち去ると街の人間達は急にざわざわと騒がしくなった。ざわめきが去ったとき、広場にはシェド達三人しか残っていなかった。
 シェドはまだミレーヌの言葉が信じきれなかったが、とりあえず困惑した様子のアリアに簡単な説明をしてやった方がいいと思い、視線をアリアに向けた。
「アリア、そう言えばまだジェムについて、ちゃんとした授業をしてなかったな」
 アリアがクイッと顔を持ち上げ、急かすようにシェドの目をしっかりと見つめた。聞く意志があるのだと判断し、シェドは口を開いた。
「前に、昔の人間は魔法が使えたって教えただろう。そして、昔の人間が魔法力を結晶化させたものがジェムだと。……覚えてるか?」
「うん、覚えてる」
 アリアはシェドの言葉にしっかりと首を縦に振った。いつも聞き流してるかと思いきや、アリアがちゃんと以前話した内容をしっかり記憶していることにシェドは思わず頬を緩める。
「よし。今の人間は魔力を失ったわけではなく、ただ自身の力だけでは具現化できないだけだ。だからジェムを使わないと魔法が使えない。もちろん、人間と違ってジェムに籠もっている魔力は時間が経っても回復することはなく、使えば使った分だけ減っていく」
「それくらいなら知ってる。前にシェド、教えてくれた」
「じゃあ、どうして誰しも魔力を持っているにもかかわらず、ジェムを使える者と使えない者がいるかというと、……そうだな、銃を例にするとわかりやすいかもしれない」
 シェドはアリアにハンドガンを取り出すよう言って、左手をアリアの顔の前に差し出した。アリアはしばらく首を捻っていたが、言われるままにコートの下のスカートから一丁の黒い拳銃を取り出してシェドに渡した。
「俺たち人間が誰しも持っている魔力を銃弾とすると、ジェムは銃そのものと思えばいい。弾は銃が無ければ撃つことができないだろう?」
「うん」
「銃には様々な種類がある。だからまず、自分の弾に合った銃を探す必要がある。それが属性というもので、フレアジェムとかアイスジェムなど、自分に使えるジェムは本来一種類しかない」
 そう言った後、「俺は全部使えるけど、それは例外な」と、シェドは笑いながら言う。だからこそシェドが組織の中で上位のエインフェリアとして存在していたことは、今は関係ない。
「しかし、自分に合った銃が見つかったとしても、銃は初めバラバラのパーツになっているんだ。だから、それを組み立てなければ使うことはできない」
 シェドはアリアの銃からマガジンを抜き取り、簡単に取り外せる部品だけ外して見せた。
「俺たちなら、バラバラの銃を組み立てることなど造作もないことだ。だが、普通の人間にそれができると思うか?」
「……無理、だと思う」
「そう、普通は無理だ。それに銃によって複雑さも異なるだろ? ジェムも同じで、ヒールジェムは扱いが簡単だが、フレアジェムは自分の属性であっても使える人間は少ない」
 シェドはアリアに銃を返し、アリアはスカートの中にそれをしまい込んだ。そしてしばらくシェドの話を頭の中で整理しているらしく俯いた後、クイッと顔を持ち上げた。
「じゃあ、どうしてあの人はジェムを使えたの?」
 それについてはシェドも疑問に思っていることだった。シェドが思案顔で眉を顰めるていると、シェドがアリアにジェムの説明をしてる間ずっと広場のベンチに腰を下ろしていたミレーヌが立ち上がり、
「それについてはあたしが答えるわ」
 と、言いながらシェドとアリアの顔を交互に見つめた。
「んーとね、この街は古代都市が近いせいか、フレアジェムやアイスジェムと言った使える人間が少ないジェムを扱える人間が多く輩出されているの」
「……初耳だ」
「あたしも昨日知ったばかりよ。それで、国王軍がやけに多いと思ったら、街の人間がジェムを使っている所を目撃しては強制的に徴兵してトルメキア本国へ連れ帰っているらしいの」
「無理矢理連れて行かれるの?」
「そう」
 ミレーヌの話を聞いたアリアが沈痛な面持ちで誰も居ない道の先を見つめる。無理矢理両親と引き離されて組織へ連れて行かれた自分の立場と重ねているのか、いつまでもじっと悲しみの色を浮かべて佇んでいた。そんな表情を見ているとシェドも心苦しい思いに駆られる。
「ジェムが使える人だけじゃないんだ。この街は優秀な魔練器技師が多いってことでも有名でしょ? ……でもここ数年の間に、その多くが無理矢理トルメキアに連れて行かれたらしいのよ。別大陸へ侵攻するために、トルメキアはアルトレア中でそういう事をしているみたい」
「……多分、裏で関わっているのはニーヴルだな」
 軍が徴兵するのは一般男児ばかりで、別にジェムが使える使えないを問わないはずだ。ならばジェム使いを無差別に連行し、魔練器技師を次々と連れて行くような行為を行うのは間違いなくニーヴルの仕業だろう。
「うん。シェド達のいた組織が関わっている可能性は高いと思う」
「……こんな辺境の街まで……か」
 先ほどまであれほど騒がしかった広場はシンと静まりかえり、街の人間は何事もなかったかのように各々の生活へ戻っている。
 いつまでも広場で佇んでいても仕方ないと思い、シェドが宿のある方角へ向き直した時、
「……あっ……」
 三人の左後方から幼い少女の声で驚きの声が響いてきた。シェドが振り向くと、そこには母親と手をつないで雪道を歩くアリアと同い年くらいの少女が、シェドでもミレーヌでもなくアリアを見つめたまま目を剥いて固まっていた。
「!?」
 まったく見覚えのない親子にアリアが何故か肩を強ばらせていた。シェドは不思議に思ってもう一度親子を凝視するが、やはり初対面のようだ。
「知ってる子か?」
「……ううん。知らない」
 一瞬固まった後、アリアがシェドの顔を見ながらそう答える。どことなくよそよそしい感じで答えたアリアは、ザクザクと音を漏らしながら来た道を戻り始めた。
「どうしたんだ、あいつ……」
「さあ……」
 シェドとミレーヌは顔を見合わせて首を傾げた後、アリアの足跡を追って歩き始め、広場の端でミレーヌはシェド達と違う道へ分かれた。


「どうしたの?」
 広場で立ち止まったまま、去っていく桃色の髪の少女を見つめたまま固まっている娘に母親が尋ねる。
「うん。……その……、あのね……」
 少女は俯いたまま母親の手をぎゅっと握り返す。そしてその小さな口で本当のことを話した。
「……そう」
 母親が、去っていく長身の男と、娘と同じ年頃の少女の背中を見つめる。眉を顰め、微かに口を開いたまましばし無言で見つめ続けた。
「行きましょう」
「……うん」
 暗い表情のまま、母娘は足跡を残しながらスノーレンの街を進んでいった。


 来た道を戻りながら、シェドがまだ軍人を警戒してかアリアと手をつないで兄妹を演じ続けていた。手袋を挟んでシェドの体温がアリアの手に伝わってくる。
 広場を離れて以来、アリアはジッと顔を俯けたまま口をつぐんでいた。それは先ほど広場ですれ違った母娘のことを考えていたからだ。シェドも別段話しかけてこず、軍人とすれ違うたびに白い歯を見せて笑顔をばらまいていた。
 二人は特に目的地も定めずひたすらスノーレンの街を歩き続けていたが、アリアは両親の手がかりである魔練器時計を常に携帯しているため無駄に歩いているわけではなかった。もしこの街にアリアの両親が居れば、きっと時計が反応するはずだから。
「……なんだ?」
 ぐるっとスノーレンの南部を歩き回り、先ほどと同じ広場に戻ってきた時、宿とは違う方向から何やら賑やかな声が二人の耳に届いた。遠目に見ても大勢の人が集まっており、シェドがアリアの様子を一瞥してから、その手を引いて近寄っていった。
「やけに人が多いな」
 ずっと下を向いたままシェドに手を引かれるがまま道を進んでいたアリアも、そっと顔を持ち上げて賑やかな声が聞こえてくる先を見つめた。
「すいません」
「何だい?」
「ずいぶん賑やかですけど、お祭りか何かですか?」
「おや、旅の人かい? ここはフリーマーケットさ」
 シェドが目の前を通りかかった男に話しかけると、男が両手一杯の荷物を抱えながら愛想良く答えた。
「フリーマーケット?」
 アリアは聞き慣れない言葉に首を傾げる。荷物を抱える男がシェドからアリアに視線を切り替えて、大きな口を目一杯広げた。
「そうさ、お嬢ちゃん。家にある不要になった物を売る場所で、誰でも運営委員会に申請すれば店を広げられるのさ」
「へえ、商人じゃない人でも店をできるのか。面白そうだな」
 シェドが腕を組みながらつぶやき、あれこれと不要な物が無いか荷物を思い浮かべながらブツブツと考え込む。アリアはその様子を黙って見つめた。
「ああ。あんた達も旅の途中で手に入れた物の中にいらない物があるなら、ここで売っていくといい。向こうの建物で申請すれば、次の日には店を出せる」
「ありがとうございます。時間があるときに荷物の整理をしてみますよ」
 男は重そうな荷物を抱えたまま二人の元を去っていき、店が並ぶ場所から消えていった。
「折角だし、少し見ていくか?」
「うん」
 周囲に軍人の姿がないことを確認してから、二人は活気に満ちあふれる街の一角へ足を踏み入れた。
 先ほど女性が軍の人間に連れて行かれた広場より一回り大きい拓けた場所に、所狭しと店が広がっている。直接雪の上に広げるのではなく、簀の子の上にござを敷き、そこへ商品を陳列していた。
 扱っている商品も様々で、使わなくなった調理器具やら宝石やら中には小粒なジェムを売っている店もあったが、アリアが使う銃のマガジンなどを扱ってる店はなかった。
「あら、シェドとアリアじゃない?」
 ぶらぶらとアリアがシェドの手を握ったままフリーマーケットを歩き回っていると、ふいに側面から呼び止められた。アリアが顔を持ち上げるとそこにはセシリーが立っていた。セシリーは革の厚いコートを着て灰色の毛糸で編まれた帽子を被っており、コートの胸元からヒューイがひょっこり顔を出していた。
「ん? なんだ、ずっと宿屋にいるんじゃなかったのか?」
「宿の人にフリーマーケットの事を聞いてね」
「キュキュゥ……」
「そうそう、暖炉の火を消して換気のために窓を開けたら、ヒューイが私の胸に飛び込んできたのよ。だから一緒に連れて来たわ」
 ヒューイはぶるぶると体を震わせており、アリアの姿を確認すると弱々しい声をもらした。セシリーがにこにこしながら震えるヒューイの顎を優しくさすった。
「ヒューイ、こっちおいで」
 アリアが手を伸ばすと、ヒューイはピョンとセシリーの胸から飛び出し、すかさずアリアのコートの中へ身を潜り込ませた。そして首元から顔だけをのぞかせ、満足げに「キュー」と鳴いた。アリアは少しだけ頬を緩ませ、周囲の雪以上に白いヒューイのふさふさとした毛を優しく撫でた。
「セシリーは何か買った?」
「何も。あまりお金ないし、見るだけで我慢するわ」
 アリアが尋ねるとセシリーが肩をすくめて見せた。そして何かを思いついたように、ぽんと両手を胸の前で叩いた。
「そうだ。向こうに綺麗な装飾品を売っている店があったわよ。もしかしたら、あなたが気に入るようなものがあるかもしれないわ」
「……?」
「こっちよ」
 小首を傾げていると、セシリーが他の人にぶつからないよう気を付けながらアリアの手を引いていく。女性客が楽しげに商品を見つめる店がアリアの視界に映り、セシリーはそこで足を止めた。
 三十歳くらいの女性が開いているその店には煌びやかな装飾品が十数点並んでいた。ガラスをあしらった安物から本物の宝石を使った高級なものまであり、そのどれもが太陽の光を浴びて輝いていた。
「どう?」
「……きれい」
 店の前にしゃがみ込み、アリアはジッと商品を見つめる。口元を結ぶことすら忘れて、しばしアリアは装飾品に魅入られたまま目をパチパチさせていた。綺麗な石はジェムで見られているけれど、宝石はまた何処か違う輝きを帯びているように見えた。
 太陽の光を反射させて煌めく宝石はまるでジェムのように魔力を持っていて、アリアを魅了してやまなかった。


 二人に遅れて店の所へやってきたシェドが、今まで宝石などの俗物的なものにあまり興味を示さなかったアリアが真剣な瞳で商品を眺める様を見たせいか、頬を緩めながら手袋したままの手で後頭部を掻きむしっていた。
「どうしたのよ、ニヤニヤして」
「ん」
 そんなシェドの所へセシリーは歩み寄り、隣り合うように並んで商品をジッと見つめるアリアを眺めた。端から見れば、まるで娘を見守る父と母のように映るかもしれない。
「いや、半年前にお前が俺たちの旅に加わってくれたお陰で、ずいぶんアリアも女の子らしくなったと思ってな。俺と二人で旅してた頃なんか、服や髪型にすら興味なかったのに、最近は自分で髪もセットするようになったし、気に入らない服は着ないからな」
「……まるで父親みたいなセリフね」
「そうか?」
「ええ。成長する愛しい娘を見守る馬鹿父みたい」
「……何とでも言え」
 シェドがため息混じりつぶやく隣でセシリーはクスクスと肩を震わせながら笑った。ぶっきらぼうに言いながらもシェドはアリアのことを大切に思っている。そのことが今のシェドを見ていると手に取るようにわかり、セシリーは頬を緩ませずにはいられなかった。何だかんだ言ってシェドは面倒見のいい性格をしている。
「さて、と。……おーいアリア、そろそろ行くぞ」
 十分くらい経った時、中々戻ってこないアリアをシェドが呼びつける。しかしアリアはシェドを一瞬振り向いただけで、すぐにまた店に並ぶ商品へ視線を落とした。
「……あ?」
 シェドがのしのしとアリアの元へ歩み寄り、セシリーもそれに続いた。左後方に立ってアリアの視線の先にある一つの商品を見つめると、それは宝石を鏤めて薔薇を象った髪飾りだった。
 鮮やかな紅い花と爽やかな緑の葉を描き、裏には髪を挟むための金属が付いている。
「どうした、それが欲しいのか?」
「…………」
 シェドがアリアの横顔を見つめながら尋ねるが、アリアは無言のまま宝石へ視線を落としていた。セシリーは黙って二人のやりとりを見守る。
「アリア」
 再度シェドが話しかけと、少し間を置いてから、
「うん。……欲しい」
 アリアは申し訳なさそうに答えた。
 アリアが自分から何かをねだったりすることがほとんど無かったせいか、シェドが面食らったように口を開いたまま固まっていると、反応を返さないシェドにアリアがそっと伏し目がちに振り向いて困ったような顔をしていた。
 セシリーよりもずっと長い間行動を共にしているというのに、二人の不器用加減はとても歯がゆく、セシリーは笑いを堪えて黙っていた。
「……駄目?」
「あ……。いや、そうだな……。すいません、ちょっといいですか?」
 アリアは、まるでワガママを言った後に怒られることを恐れているような表情でシェドを見つめており、シェドが少し戸惑った後、女性客の応対をしていた店の主を呼んだ。
「これいくらですか?」
「はい、値段はそちらの紙に……。──あっ!?」
 店主である女性が値札を指しながらシェドの顔を見上げた瞬間、突然驚きの声をもらした。
「あ、ああ……」
 口元を手で覆いながら怯えるようにガタガタと体を震わせる女性。セシリーは女性の顔に覚えがなく、シェドの様子を伺うとどうやらシェドも同じようで、眉を顰めながら首を傾げていた。
 女性はシェドとアリアの顔を交互に見つめていた。シェドの脇に立つセシリーへは一度も振り向かず、二人を、特にアリアを見つめたまま表情を強ばらせていた。
「あの、どうかしましたか?」
「い、いえ。……その、き、今日はもう店じまいするので……」
 女性はシェドやアリア、他の客達に頭を下げ、そそくさと商品をしまい始めた。そしてアリアの見つめる薔薇の装飾品にも手を伸ばし、手早く箱に収めて鞄へとしまい込んでしまった。
「あ……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。それを売って欲しいんだが……」
「すいません。ま、また後日にお願いします」
 女性は一刻も早くその場から離れたい様子で乱暴に商品を鞄へ詰め込むと、足早にその場を去っていく。上着や商品の一部をその場に置き忘れたまま、女性は一度も振り返ることなく人混みに消えていった。
「一体何なんだ?」
 シェドが依然首を傾げたままつぶやく。アリアはしばらく女性の去っていた方向を見つめていた後、「あっ……」と小さくつぶやいた。
「どうした、何か心当たりがあるのか?」
「……ううん。何でも……ない」
 アリアが俯いて口をつぐむ。何やら隠し事をしている様子のアリアをしばし頭上から見つめた後、シェドはアリアの手を掴んで何も聞かずに歩き始めた。
 セシリーはそんな二人の後を静かに続いた。どうやら先ほどの女性とアリアは顔見知りらしいが、本人が隠したがっている以上、無理に追求する必要はないだろうと判断した。きっとシェドもそう考えただろう。
 先ほどまであんなに澄み切っていた空がいつのまには濃い灰色に染まっており、セシリー達が宿に戻ったときには白い妖精達が天より舞い降り始めていた。
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