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第三章 古代都市ラーミアの遺跡

「じゃあ先輩方は……」
 独り言をつぶやくように、愕然をした面持ちでそうもらす金髪の青年。燃えるような赤い瞳は見開かれ、口元を結ぶことすら忘れている様子だった。
 青年の前には、顎髭を生やす長い前髪を左右に分けた大男が、軍服のようなキチッとした衣類で身を包んでいる。
 大男は椅子に深々と腰掛け、机の上で両手を組みながら金髪の青年を見つめ、
「奴らに捕まって、自白させられる前に自害したそうだ」
 と、静かに事実を伝えた。青年はグッと拳を握りしめながら奥歯を噛みしめた。
「だが、彼らが命がけで入手してくれた資料はとても貴重だ。奴らの計画を阻止するために役だってくれるだろう」
「…………」
 感情無く淡々と話す大男に対し、青年は瞳を閉じて顔をうつむけた。
「奴らが天使と呼ぶ存在。それが十二人揃ったとき、世界は終焉を迎えると……。そして、奴らはその内の十一をすでに見つけ出している」
「はい……。ですが、その一つである獅子は一年前に組織を逃げだし、まだ捕らえられてないと聞きました」
「獅子……。ここにある、コードネーム“無垢なる獅子”か……。それはこちらにとって好機ととるべきだな。何としても奴らより先に獅子を見つけ出して消すことができれば、奴らの計画を阻止することができる」
 大男が机の上にある書類を掴み、その握力で書類がクシャッとゆがんだ。その表情には焦りや苛立ちはなく、ただ決意だけがそこにあった。
「シルヴァランス=グレイン。君に新しい任務を与える」
「はい」
「古代都市ラーミアの遺跡。君にはそこへ赴いてもらいたい」
「ラーミア……。スノーレンの西にある巨大な古代遺跡ですね。でも、どうしてですか?」
「六年前にその遺跡から聖石、アクエリアスが見つかっている。ラーミア以外でも、聖石が見つかっている遺跡へは同志を派遣して調査させているのだ」
「わかりました。すぐに出立の準備をします」
「スノーレンの隣街、アスワットまではすでにトランスポーターで移動可能だ。準備ができ次第、そちらに向かってくれ。話は通してある」
「はい」
 シルヴァランスと呼ばれた金髪の青年は、大男に一礼して部屋を後にした。

* * *

「……おい、そこの若い奴。さっきからちっとも作業が進んでないじゃないか。もっとキビキビ仕事しろっ!」
「はい。すいません」
 木製の銃床に黒鉄の銃身でできたライフルを背負い、毛皮のフード付きハーフコートを軍服の上に纏った男が吐き捨てるように注意すると、注意を受けたシェドは頭を下げながら謝り、手袋を着けた両手でつるはしを強く握りしめて周囲に甲高い音を響かせながら壁を叩き始めた。
 スノーレンの西にある古代都市の遺跡。切り立った崖にグルリと囲まれた場所に、倒壊した石造りの建物や神殿の跡を思わせる巨大な大理石の柱など、古代都市の名残とも言える建造物のなれの果てが連なっていた。
 崖を背に一番大きな建物の跡があり、そこから徐々に小さな建物が棚状に並んでいる。スノーレンからの道を辿るとちょうど遺跡の入り口に当たる一番低い場所にたどり着くため、そこに仮設テントや小屋が建ち並び、スノーレンの街から強制的に連れてこられた者や軍の人間はそこで寝食を行っていた。
「次サボったら、ただじゃおかないからなっ!」
 男が唾を吐き飛ばしながら去っていった後、それを見届けたシェドはフードを取り、サングラス越しに去っていく男の背中を睨め付けた。
「――ったく、鬱陶しい連中だぜ」
 そう言いながらサングラスの橋を人差し指で持ち上げるシェド。つるはしを背中に担ぎ、周囲を警戒しながら人気のない遺跡を少しずつ移動していく。
「しっかし、こうもだだっ広い遺跡だとは思わなかったぜ。これじゃあ何処に天使に関係する建物があるかわからねぇな」
 周囲にゴロゴロとそびえる倒壊した建物を見渡して、シェドは肩を落としながら大きく息を吐いた。
「軍の人間はわんさか居るわ、死ぬほど寒いわ、最悪だ。……その上、ジェムが沢山取れるって話な割には全然見当たらないじゃねーか」
 ぶつぶつ文句を吐き、シェドはジェムがありそうな所をつるはしで掘り返しながら適当に遺跡内を散策し続けた。しかし天使や聖石に関する建物も、小粒のジェムさえも見つからず、次第にシェドの顔から精気が抜けていく。
「帰るかなぁ……。どうせ天使に関係するようなものは全部組織の人間が消し去ってるだろうし」
 シェドは目の前に現れた大きな石の壁を憂鬱な気分で見上げ、ため息を漏らしてからクルリと踵を返し、来た道を戻り始めた。
 その時だった。
『待て……』
 シェドの背中から透き通るような女性の声が響いた。空耳ではなくハッキリと響いた背後からの声にシェドは一瞬表情を強ばらせた後、右手をコートの内に潜らせた。軍の人間を警戒して周囲に気を配っていたにも関わらずシェドは声の正体に気づけなかった。
『私はそなたと敵対する者ではない』
 銃を取り出そうとするシェドを制して声の主がそう告げる。シェドは右手をコートの内に沈めたまま、焦りや緊張をおくびにも出さずゆっくりと振り返った。
 立っていたのは少女だった。誰もいなかった石の壁の前で、雪のように白い白銀の髪を大きな灰色のリボンで束ねている少女は、琥珀色の瞳でシェドを見つめていた。
「……お前は誰だ」
『私はそなた達ヒトがドラゴンと称する存在』
 白い吐息を漏らしながら少女がそう告げた。見た目よりずっと大人びた口調と、白を基調としたドレスに純白の靴。割れた硝子のように鋭い眼光が、どことなくアリアを彷彿とさせる。だがそれ以上に、今し方少女が口にした言葉がシェドの頭に引っかかった。
「ドラゴン……だと? ハッ、冗談もほどほどにしろよ」
『冗談などではないのだが……。それより、私はそなたに忠告すべき事がある』
「忠告? ……子供に説教されるほど、落ちぶれてるつもりはないんだがな」
 シェドは鼻を鳴らして睨むような笑みを少女に向けた。少女はウンともせず、淡々と言葉を紡ぐ。少し脅すつもりで視線を鋭くしたシェドだったが、少女にまったく気後れした様子はない。
『そなたの周囲に、そなた達ヒトが天使と称する者の存在が見える。……これは忠告だ、すぐにその者を殺せ』
「――っ!?」
 アリアより五センチほど背の高い少女が零した言葉にシェドは驚きを露わにした。思わず内に沈めていた右手をコートから抜き出し、握った銃の銃口を少女へ向ける。
『天使は私達ドラゴンにとっても、そしてヒトにとっても危険な存在』
「どういう……意味だ」
『私はラグナロク終結後に創られた存在。だから詳しいことは把握していない。……だが、創られた理由は自覚している』
「……わかるように話せ」
 シェドは語尾を強くしながら、相手を威圧するくらい覇気を込めて言葉を発する。相手の正体はわからないが、見た目通りの少女ではないようだった。
『天使は世界を滅ぼす存在。そして、私はそれを阻止する存在』
「なっ……!?」
『本来私達は、ヒト同士の争いに関与することはできない。だが、天使に関わる事項に於いては特例が適用される』
 そう告げた時、少女の体は空気にとけ込むよう輪郭を失っていった。
「ま、待てっ! 天使が世界を滅ぼすってどういう意味だっ!」
 白銀の世界にシェドの声が轟く。しかしシェドの先にはひびの入った石の壁が無機質に立っているだけで、誰も何もシェドの言葉に応じることはなかった。
 “天使は世界を滅ぼす存在”
 少女のその言葉は何度も何度もシェドの頭の中にこだまし、シェドはただただ呆然と石の壁を見上げるしかできなかった。
「何なんだ、一体……」
 シェドは唇を噛みしめて拳を強く握った。


 切り立った崖の下に映る真っ白な遺跡を見つめながら、アリア達はスノーレンから遺跡に続く道を外れてグルリと遺跡の裏に回っていた。
 崖の下には雪に埋もれた多くの建物跡があり、所々に人工のライトやたいまつの炎も見える。
「あの辺りが作業現場らしいわね」
 アリアの隣で茶褐色のオーバーコートのポケットに両手をつっこみながらセシリーがつぶやき、アリアはそっと目を細めながら光を見つめた。
「さて、この辺りから下りましょうか。あの大きな神殿なんか、大粒のジェムがありそうじゃない?」
「……ジェムを取りに来たわけじゃない」
「いいじゃない。ついでよ、つ・い・で」
 セシリーが頬を緩ませてフフッと笑う。その隣で寒そうに自分抱きかかえて震えるミレーヌが、
「お風呂に入りたいよぅ……。暖炉にすがりたいよぅ……」
 と泣き言をもらしていた。
 ミレーヌの泣き言など耳から耳へ流し、アリアは崖から飛び降り、小さな足場を中継しながら徐々に降下していった。くるっと振り返ると、アリアの後を追ってセシリーも軽やかに崖を下りてくる。
 ただミレーヌだけが崖の上でむくれたながら「寒いよぅ」と連呼し続け、アリア達を追って下りてくるまで幾分の時間を要した。
 三人が降り立った場所はすでに採掘が終わったのか、あちこちに穴の開いた壁や建物が転がっていった。地面も所々窪んでおり、おそらくジェムを探すために穴を掘ったものなのだろう。
「ミレーヌ、穴に落ちないよう気をつけなさいよ」
「ふーんだ。わかってますよーだぁぁぁ……っ!」
 言ってるそばから見事に穴へ落ちるミレーヌをアリアは淡々と見つめた。アリアとセシリーはミレーヌがはい上がってくるのを待って、何事もなかったかのように遺跡内の散策を開始する。
 軍の人間もスノーレンの街の人間もいない静かな場所で、雪の上に足跡を残しながら進む三人。
 アリアは倒壊した建物や遺跡を見つめながら無言で歩き、その後方でセシリーが、「ジェム無いかしら」とつぶやきながら足下を注意深く見つめながら進んでいた。ミレーヌが先ほどからブツブツと何か呟きながら機嫌悪そうに二人の少し後方を歩いていたが、ミレーヌが不機嫌になる理由がわからずアリアは触れないことにした。
「あら……」
 ふとセシリーが声を漏らして立ち止まった。アリアも足を止め、そっと目を細める。
「え、なになにどーしたの?」
 まるでジェムでも発見したような何気ないセシリーの言葉にミレーヌが後方からサッと駆け寄って尋ねるので、セシリーに代わってアリアは、
「……魔物」
 何の感動もなく答えた。
「ふーん。……えっ!?」
『ウガアアアッ!』
 突如三人の前方から凄まじい雄叫びが轟いた。怯んで反射的に目を閉じたミレーヌの隣で、アリアはキッと視線を鋭くして小雪の舞う向こうを見やる。そこには全身を白い毛で覆われた巨大なヒト型の魔物が二本足で立っていた。
 身長は二メートルくらいで顔は毛で覆われているためよく確認できない。大きな口だけは確認でき、そこから巨大な牙が顔を出していた。短い足に太い胴。そして長くて太い腕には巨大な木の棒が握られている。
「スノージャイアントね。実にこの地方らしい魔物だわ」
『ウウウウウ……』
「あらあら、やる気満々ね」
 セシリーが唸るスノージャイアントを前に優雅に微笑む脇、ミレーヌは石の壁の影に隠れて、
「ほ、ほら! さっさと倒しなさいよー!」
 わめいていた。
「…………」
 アリアはフードをとり、ピンク色のミトンを外して赤いコートのポケットへ収める。そしてボタンとボタンの合間からコートの中へ手を滑り込ませ、ゆっくりとハンドガンを引き抜いた。マガジンは確認してある。ただ気温が低いのでスライドの調子が心配だったが、服の中で暖めているので問題はない。
 セーフティを解除してアリアが銃を身構えようとした時、セシリーがアリアへ振り向いて、
「暖まりそうだし、私がやるわ。……これ、持ってて」
 そう言いながら手袋と毛糸の帽子を差し出した。
 トラキアを出て一緒に行動するようになって以来、アリアは何度かセシリーが戦うところを目の当たりにしている。アリアは銃をしまい、セシリーから荷物を受け取ってこの場を任せることにした。セシリーの実力は十分信頼できるから。
「……気をつけて」
「大丈夫よ。私だって元エインフェリアなんだから」
 アリアに笑顔でウインクした後、セシリーがすでに戦闘態勢に入っているスノージャイアントに向き直し、そして軽やかに大地を蹴って宙に舞った。
「はあああっ!」
『ウガアッ!』
 セシリーが宙で一回転し、空中よりスノージャイアント目掛けて踵を振り下ろした。踵はスノージャイアントの頭部にヒットし、その反動を利用してセシリーが華麗に後方宙返りをする。そして大地に降り立つと同時に今度は半身になりながら回し蹴りを叩き込む。
「はいっ!」
 セシリーの回し蹴りはスノージャイアントの脇腹にクリーンヒットした。続けてセシリーはスノージャイアントの腹に次々と正拳突きを打ち込んだ。アリアはセシリーの目にも止まらぬ乱撃をジッと目で追う。
「これで、お仕舞いっ!」
 バックステップで後方に二、三歩下がったセシリーが、勢いをつけて強烈な跳び蹴りを繰り出す。しかしセシリーの足がスノージャイアントに触れる直前、
『ウオオオッ!』
「え!? きゃああっ!」
 スノージャイアントがセシリーの足を右手でガシッと掴み、乱暴に左方へ投げ飛ばした。セシリーの体は雪の中にめり込み、ヒト型のくぼみが雪の上に現れた。思わずアリアが駆け出しそうになったところで雪の中からセシリーが顔を出す。
「ぷはーっ! やってくれたわね」
 雪の中から飛び出したセシリーが全身の雪を払いながらスノージャイアントを睨みつける。スノージャイアントはセシリーの攻撃では露程もダメージを負っていない様子で、ブンブンと木の棒を振って怒りを露わにしていた。アリアは自分も銃で加勢しようかと身構えたが、セシリーがこちらを見つめて微笑んだので緊張を緩めた。
「その筋肉だるまみたいな体には、私のような細くて軽るくて美しい女の攻撃は効かないようね」
「……美しいは関係ない」
「アリア、いちいちツッコミ入れなくてもよろしい」
「わかった」
 そんなやりとりの後、セシリーがそっと瞳を閉じた。するとセシリーの右の袖口が仄かに輝きだし、セシリーの体を淡いイエローの光が包み始めた。腕輪に埋め込んだジェムから魔力を引き出しているのだろう。アリアは何度かセシリーがサンダージェムを使って戦っている様子を見た覚えがある。
『グウウウウウ……』
「……ホントは魔力の残量が少ないからジェム使いたくないのだけど、どのみちアリアのハンドガンでもダメージ与えられなさそうだし、仕方ないわよね」
 セシリーが一呼吸置いてスノージャイアントに飛びかかった。しなやかに伸びた脚で強烈な蹴りを繰り出すと、スノージャイアントは持っていた木の棒でそれを受け止める。
「はああっ!」
『グアアアアッ!』
 木の棒を受け流して相手の体勢を崩した後、セシリーが右手をスノージャイアントにかざして咆えながら激しい雷撃を放った。閃光が走り、爆音が轟くと同時にスノージャイアントが呻き声を上げる。思わずアリアも眩さに一瞬目を閉じた。
 アリアが目を開くとスノージャイアントの表皮を覆う白い毛が雷撃の熱で焼き焦げて黒く変色しており、スノージャイアントがふらふらと後方へ後ずさっていた。
「……逃げるなら追わないわ。これ以上ジェムの魔力を消費したくないし」
 セシリーが攻撃する素振りを見せずに佇んでいると、スノージャイアントはしばらく唸った後、のそのそと後退していった。
 肩で息をつき、セシリーが髪の紐を解くと艶やかな蒼い髪がサッと両肩に広がった。セシリーは両手を首と髪の間に滑り込ませてサラッと掻き上げ、左右に首を軽く振ってから再び紐で髪をまとめ上げた。
「さあ、進みましょうか」
 振り返ったセシリーが微笑んだ時、シャリンという、割れた硝子を靴で踏んだような音が周囲に響いた。
 アリアが首を傾げて見つめる先、ハッとした様子のセシリーが慌てて上着の袖をまくると、右腕に巻き付いている腕輪に埋め込まれたジェムが無色透明の硝子のようになっていた。そして、まるで砂のようにサラサラと端から崩れていき、空気中にジェムは消えていった。
「ああーっ! さ、最後のジェムがっ!」
「……魔力が無くなったの?」
 セシリーが口を大きく開いたまま天を仰いでいる後方でアリアが尋ねると、ミレーヌがアリアの耳元で「魔力が無くなったジェムは消えて無くなっちゃうの」と説明してくれた。シェドは魔力が切れる前に店で売ってしまうため、アリアは実際にジェムの魔力が切れた瞬間を目撃したことがなかった。
「……くぅー、こうなったら意地でもここでサンダージェムを探すしかないわね!」
「ジェム探しが目的じゃない……」
「行くわよ、みんなっ!」
 アリアの言葉はセシリーの耳に届かず、セシリーがずんずん前へ進んでいった。アリアとミレーヌはお互いの顔をサッと見合わせた後、「置いていくわよ」と叫ぶセシリーの後を小走りで追っていった。


「あいつは一体何だったんだ……?」
 シェドは周囲を注意深く覗いながら遺跡の中を歩き続けた。スノーレンの街の男達がスコップやつるはしを持ってあちこちを掘り返し、遠くではダイナマイトやジェムで動く魔動ドリルを使って石の壁を粉砕している者もいる。
 そんなスノーレンの男達を監視する軍の人間も数が多く、シェドは先ほど遭遇した自らをドラゴンと称した少女を探しつつも軍の人間に対する警戒を緩めなかった。
 天使が世界を滅ぼす存在だとか言っていた少女にその真意を問いただす必要がある。シェドは普段の飄々とした笑みを消し、ラーミアの遺跡を練り歩いていた。
 その時、ふとシェドの耳に男の悲鳴が響いた。
「……なんだ?」
 物陰に身を潜めて声のした方角を注意深く見つめると、作業をしている一人の男が三体の魔物、スノージャイアントに囲まれており、男は雪の上に尻餅をついてガクガクと体を震わせていた。
「魔物か……。しかし、ここで騒ぎを起こすのはまずいな……」
 軍の人間を意識してシェドが男を助けることを躊躇すると、不意にシェドの脳裏にアリアの悲しげな顔が浮かんだ。シェドが助けたいかと聞けば、アリアなら間違いなく助けたいと答える場面だろう。
「……ったく、厄介な性格だな俺も」
 フッと鼻を鳴らし、シェドが上着のコートを一枚脱ぎ捨てる。コートの下には普段着である紺色の上下を着込んでおり、マフラーの両端を肩の後ろに追いやったシェドは、持っていた小さなケースから白銀の銃を取り出して右手に握った。
 いつからこんな偽善者になったのかと自嘲しながら、シェドが飛び出そうとした瞬間、
『ウガアアアッ!』
「――っ!?」
 シェドの視線の先で、男を取り囲む三体のスノージャイアントのうち一体が真っ黒な体液をまき散らしながら真っ二つに引き裂かれた。あまりに一瞬の出来事で、襲われそうだった男も唖然と崩れるスノージャイアントを見つめていた。
 残ったスノージャイアント二体が倒れている男に背を向けて後方を向く。シェドも習ってその先を見つめると、そこには純白の衣に赤いマフラーを巻き、黒いマントを翻す金髪の男が立っていた。その手には新緑に輝く細身の剣が握られており、瞳は燃えるような紅だった。
 シェドはとっさに体を引っ込め、岩陰に隠れて様子を伺う。
「不浄なる怪物共、この僕が相手だっ!」
 凛とした顔立ちで長身痩躯の青年が声高に叫ぶ。青年は両手で剣を握りながらスノージャイアントに接近し、目にも止まらぬ早さでその巨体を一突きした。
『ウウウウ』
 剣がスノージャイアントの体を突き抜け、刀身が背筋より突き出した。黒い体液がしたたりおち、スノージャイアントが呻き声をもらす。
『グガアアッ!』
「何っ!?」
 スノージャイアントが自身の体を貫通している青年の剣を両手で掴み、剣に貫かれたまま体を回転させ始めた。剣を手放さない青年の体は宙に舞い、凄まじい遠心力が青年の身にかかる。
「何て力だっ! でもっ!」
 振り回されながら青年は左手を剣の柄から外してスノージャイアントへかざした。すると人差し指にはめ込まれている指輪が眩く光り、青年の身がライトグリーンに染まる。
「ジェムか……?」
 あの光にはシェドも見覚えがある。ほぼ間違いなく、あれはウインドジェムの光だ。
「はあああっ!」
『――ギャアアッ!』
 青年の指輪に埋め込まれたジェムが輝いた瞬間、スノージャイアントの巨大な両腕が本体と切り離されてどす黒い体液が雪にとけ込んでいった。青年の身はスノージャイアントの両腕を剣に付けたまま後方へ数メートル吹き飛び、雪原に倒れ込んだ。
「なかなかの使い手だ」
 ジッと身を潜めるシェドは倒れ込んだ青年の左手をジッと凝視する。そこにはエメラルドのような大粒のジェムが埋め込まれた指輪がはめられていた。あれがウインドジェムだろう。かなりの大粒のようだ。
「今のは真空の刃みたいなものか……」
 シェドが見つめる中、青年が雪の中から体を起こし、剣を一振りしてスノージャイアントの両腕を振り払うと、雪の上を瞬く間に駆け抜けてスノージャイアントに再度攻撃を仕掛けた。
 剣先が雪の上を滑り、青年がスノージャイアントの懐に潜り込んで剣を振り上げる。閃光が迸り、スノージャイアントの身は一瞬にして股下から真っ二つに裂かれた。
「強いな。まさか、組織の人間か? ……いや、組織の人間が一般人を助けるとは考えにくい」
 シェドがそう呟いた時、
「うわああああっ!」
 男の悲鳴がシェドの耳に届いた。シェドが振り向くと、残りのスノージャイアントが青年ではなく先ほどから腰を抜かして雪の上に座り込んでいる男に襲いかかろうとしていた。
「しまっ――!?」
「ちいっ!」
 青年が愕然とした表情で振り向くが、あの位置からでは間に合わないだろう。シェドは舌打ちして物陰から飛び出し、白銀の銃を身構えた。
 ジェムに意識を注ぎ、微かに銃口が輝くのを確認してシェドが引き金を引くと、銃口から青白い輝きを帯びた銃弾がスノージャイアントに向けて飛び出した。
「ひいいいっ!」
『グオオオオオッ!』
 腰を抜かしている男がもう駄目だと言わんばかりに両腕で頭を覆い隠した時、木の棒を振り下ろそうとしていたスノージャイアントの奇っ怪な悲鳴が響き、スノージャイアントは青白い氷壁に閉じこめられて動きを封じられた。
「な……っ!?」
 急いでスノージャイアントの元へ駆け寄っていた青年が驚きの声を漏らす。だがすぐに冷静を取り戻した青年が、シェドを一瞥してからスノージャイアント目掛けて剣を振り下ろすと、シャリシャリと音を立てながらスノージャイアントの体は氷片となって周囲に散っていった。
「……うあ、あ、ありがとうございます」
「――あ、いえ。お怪我がなくて何よりです」
 男が半分泣きべそをかきながら青年に感謝の意を告げる。青年は男にニッコリと笑みを浮かべた後、そっと視線をずらして銃弾の撃ち手、シェドを見つめた。本当なら関わり合いになりたくはなかったが、仕方ないとシェドは小さく息を吐いた。
 しばし無言のまま見つめた後、青年が剣を腰の鞘に収めながらゆっくりとシェドのもとへ歩み寄ってくる。
「ありがとうございます」
「いや、余計なお節介だったかもしれないな……」
 警戒色の残る笑みを浮かべながら青年がシェドに頭を下げた。シェドも培った事務的な笑顔を顔に貼り付ける。
「そんな事はありません。僕一人では、あの方をお救いできなかった」
「……ちょっとした不注意だろ」
「それでも、危うく死なせてしまう所でした。感謝します」
「それはあんたじゃなくて、あの男が言うべき言葉だと思うが……。まあ、どういたしましてと言っておこう」
 頭を下げながら礼を言う青年にシェドは頭を掻きながらそう返す。最初は組織の人間かと疑ったが、このように至極まじめそうな人間があの組織にいるはずがない。ただの正義の味方というわけではなさそうだが、組織との関係は薄そうだった。
「僕はシルヴァランス=グレイン。あなたは?」
「……ガンブレイブだ」
 シェドはファミリーネームだけ名乗り、シルヴァランスと名乗った青年が差し出した手を握った。警戒はし過ぎるに越したことはない。
「あなたはスノーレンの街の人ではないのですか? ここ、ラーミアの遺跡ではスノーレンの街の人たちがトルメキア軍に無理矢理働かされていると聞きましたが」
「ああ。……通りすがりのジェム泥棒ってところだ」
「泥棒とは聞き捨てなりませんね」
 シェドの顔が半分笑っているためシルヴァランスも冗談と受け取ったのか、鞘から剣を抜いて構えるポーズだけ取って微笑んだ。
「では僕は失礼します。ちょっと、色々調べたいことがありますので……」
「ほう……、こんな極寒の遺跡で一体何を調べているんだ?」
 シェドはあくまで友好的な態度で尋ねた。確かに大きな古代遺跡ではあるが、ジェムが多く採掘されるという情報以外では聖石が見つかったという話しかない。だが組織の人間でなさそうな青年が、天使について調べているとは思えない。
「……信じる信じないはあなたに任せますけど」
 シェドの思考に反し、シルヴァランスが真面目な顔つきで一言、
「天使です」
 と答えた。
「なっ……!」
 シェドは驚きを隠せず、シルヴァランスもその空気を読みとってか、立ち去ろうとしていた体をシェドへ向け直した。
 静かに小雪が舞う古代都市ラーミアの遺跡で、二人は互いを見つめ合ったまま微動だにしなかった。


 崖の壁に直接横穴を掘ったと思われる神殿跡。ミレーヌ達は薄暗い神殿の中へ足を踏み入れ、持ってきたカンテラに火を灯して離れないよう固まって歩を刻む。
「あっ! そうだ、聞き忘れてた!」
 神殿内に入って数分、入り口の光が見えなくなった頃にミレーヌはふとあることを思い出して大声を上げた。前方を歩いていたセシリーが気怠げに「何?」と尋ね返す。
「この三ヶ月、あたしがいない間にシェドに変なことしてないでしょうね!」
 ミレーヌが前にシェド達と会ったのはトラキアを出て三ヶ月後、今から三ヶ月前のことだった。あのときも執拗にセシリーはシェドを誘惑しているようにミレーヌの目には見えた。もし自分が居ない間に何かあったのなら許すことは出来ない。
「はぁ? 何もしてないわよ。……まったく、あなたはそればかりね」
 セシリーがあからさまにうんざりした顔で答えた。二人の前を黙々と歩くアリアまで、ミレーヌを馬鹿にしたような目で一瞥をくれた。
「うー……。だって、気になるんだから仕方ないじゃない!」
「……心配しなくても、別に私はシェドのことをどうとか思ってるわけじゃないわ」
 あまりにあっさりそう言ったので、ミレーヌは初めセシリーが何を言っているのか理解できず、アホみたいに口を開いて呆然としていた。
「えっ? ……えっ!? そ、そうなの?」
「ええ」
「じゃ、じゃあ何であんたシェドと一緒に旅してるのよ」
「…………」
 ミレーヌがセシリーに尋ねると、二人の前を無言で歩くアリアの肩がピクッと微かに震えた。ミレーヌはアリアの態度を少し妙に感じたが、それ以上にセシリーの言葉が気になってアリアを注視しなかった。
「そうねぇ、何でかしら……」
 セシリーが人差し指を顎に当てて「うーん」と唸る。そして目を細めながら目の前のアリアの背を見つめ、
「アリアを守りたいのかもしれないわ」
 そう答えた。聞き耳を立てていたのか、アリアがそっと振り返り、目をパチパチさせながらセシリーの顔を見つめる。ミレーヌも予想外のセシリーの答えに唖然とするしかなかった。
「私がミレーヌくらいの時、年の離れたアリアくらいの妹が居たの」
「……居た?」
 伏し目がちに悲しげな笑みを浮かべて話すセシリーの言葉に、アリアが眉を顰めて反応する。
「ええ。もう、随分前に死んだわ」
「…………」
「両親を早くに無くした私達姉妹には身よりもなく、食料を買うお金すらなかった。そんな時、妹が病に倒れて寝たきりの状態になってしまったの」
 足取りを止めたアリアの脇をすり抜け、セシリーが前へ進みながら話を続ける。アリアとミレーヌはそんなセシリーの後を静かについて歩く。
「そんな時、妹を助ける話を持ちかけてきた連中、それがニーヴルだったわ」
「……じゃあセシリーは妹を助けるために組織へ入ったの?」
「ええ。組織の医療施設を自由に使わせてもらう代わり、私は傭兵として戦闘訓練を強要された」
 淡々とアリアの質問に答えるセシリーの表情は何処か儚げで、ミレーヌは口を挟めず黙っているしかできなかった。
「……どうして?」
「生まれつきサンダージェムを使える能力があったからね。……そうでもなければ、組織の奴らが妹を助けるなんて進み出るはずがないわ」
 袖をまくり、セシリーが自身の腕に巻き付く腕輪をそっと撫でた。ミレーヌの瞳に、先程の戦闘前までジェムが埋め込まれていたであろう小さな穴が映る。
「私は必死に訓練を積んだ。妹を守るためにはそうするしかなかった。……そして、私は初めて人を殺した。初めて与えられた任務で、政府の要人を私の雷撃で殺したわ」
「…………」
 アリアが瞳を閉じて口元をキュッと結ぶ。自分の記憶にも同じような経験があるせいだろう。きっと過去の鮮明な記憶が脳裏をよぎって心を痛めているに違いない。
 この三人の中でミレーヌだけが過酷な過去を持たない仲間はずれだった。それをよしと考えるか、寂しいと考えるか、たぶん答えはでない。
「血に汚れた私を迎えた妹は、ただただ無理して元気を装い、「お姉ちゃんおかえり」と言ったわ」
「……セシリー」
「私は任務に没頭したわ。組織から言い渡される任務を次から次へとこなし、休む間もなく戦い続けた、殺し続けたわ。私が組織に貢献すれば、きっと組織は妹を救ってくれる。そう、思っていたのよ。けど……」
 セシリーがグッと拳を握りしめながら瞼を強く閉じる。同性のミレーヌから見ても憎らしいほど整っている綺麗な顔を歪め、歯を食いしばりながら、
「妹は死んだわ。私が任務に赴いてる時に……。私は、妹に何もできなかった! 側に居てあげることも、亡骸を看取ることも!」
 自分を責めるように言葉を強めた。
「……私は目的を失った。妹を守るために戦っていたけど、それが無くなった」
 セシリーが自分自身を落ち着かせるように大きく深呼吸してから、再び静かな口調で話を始める。
「目的を持たないまま任務をこなすのは辛かったわ。自分の存在意義が見えず、ただただ言われたとおりに人を殺す日々が続いた。そんな時よ、シェドと出逢ったのは」
「シェド? セシリーは組織にいた頃からシェドを知っていたの?」
 アリアが驚いた様子で声を漏らす。ミレーヌは何となくそうではないかと思っていたので、別段驚いたりはしなかった。
「ええ。あなた達は知らないでしょうけど、組織にいた頃のシェドは今とは全くの別人よ。冷酷で、無口で無表情。体温を感じさせない、無機質な言動。組織の放つ銃弾として、女子供を問わず無差別にターゲットを殺し、任務を遂行してきたトップガンよ」
「え……?」
 アリアが目を丸くしながら驚きの表情を浮かべる。ミレーヌもそれには驚き、口を開いたまま瞬きを繰り返した。
「……考えられないでしょう? でも、本当にあの頃のシェドはすごかったわ。そして、私はそんなシェドに憧れた」
「憧れた? ……怖いとか思うのならわかるけど、どうして憧れたりしたのよ」
 ミレーヌは初めて口を挟んだ。シェドが昔、今とかけ離れた人間だったなんて想像できない。けれどもしそうだとして何故、セシリーはシェドに惹かれたのだろうかと疑問で仕方なかった。
「何も感じない無感情さ、そこに惹かれたのよ。……感情があるから苦しい。妹を失った悲しみや、人を殺す辛さ、苦しみ。でも、感情が無ければそんな風に感じないんじゃないかと、当時の私は思ったのよ」
 セシリーは自嘲的に笑いながら答える。ミレーヌは二の句が継げず、黙ってセシリーの背を見つめた。
「……だから私はシェドを追い、シェドみたいになりたいと願った」
「感情を忘れて、苦しみから逃れられると思った?」
 ミレーヌの質問に、セシリーは長い間をおいてから首を縦に振った。
「シェドのようになれば、きっと苦しいと感じなくなると思ったわ。でも……」
「シェドは、組織を去ったのね」
「そう。私は愕然としたわ。組織の命令に絶対服従の無感情な人間だと思っていたシェドが、組織を裏切って逃走したのだから」
 自嘲的に笑い続けるセシリーを見かねたのか、アリアがサッとセシリーの側に駆け寄ってその袖口をギュッと握りしめ、
「感情は大事。泣いたり怒ったり、喜んだり。時々苦しいけど、感情は捨てちゃ駄目」
 と、心配そうな顔つきで言った。
「そうね」
 セシリーは優しく微笑み、心配しないでと言うかのように反対の手でアリアの頭を毛糸の帽子の上からポンと軽く叩く。
「一年ぶりにトラキアで再会したシェドはまったくの別人だったわ。感情豊かで、他人を思いやる人間くささを持っていた。……正直、腹立たしかったわ。あれだけの人を殺してきた男が、何であんなにヘラヘラ笑っているんだって」
「でも、シェドだって好きで人を殺してきたわけじゃない」
「わかってるわ。今はちゃんとわかってる。……あの時の私は、自分の中にある苦しみや不満を全部シェドにぶつけていただけなのよ」
 セシリーが「これって逆恨みかしら?」とアリアに尋ねる。アリアは意味がわからないらしく、首を傾げて疑問符を頭の上に浮かべた。ミレーヌは今にも泣き出しそうなセシリーの表情を見つめたまま、言葉を掛けられずにジッと口をつぐんでいた。
「シェドは私に感情を思い出させてくれた。妹を失った悲しみを思い出させてくれた。だから今、私はシェドと一緒に居て、アリアと一緒に居るんだと思うわ」
「……どういうこと?」
「そうね、私はきっと、あなたに死んだ妹を重ねているのよ。……私は妹を守ることができなかった。でも、その代わりにあなたを守りたいと思ってるのかもしれない」
「あ……。う……」
 いきなり真顔でそのような事を言われたアリアが、顔を伏せて恥ずかしそうにセシリーの顔を見つめた。
「……あらあら、どうして私の思い出話になったのかしら?」
「あんたが勝手に話し始めたんでしょ」
 ミレーヌは気の利いた言葉が思いつかず、結局素っ気なく答えて視線を逸らした。自分には想像も及ばない過去を背負っているセシリーに掛ける言葉が、今のミレーヌには微塵も浮かばなかった。
「そうだったわね」
 そう言って話を切ったセシリーが「今晩のご飯は何かしらと」と別の話題を取り上げつつ、過去の話を有耶無耶に断ち切った。
「セシリー……」
 もはや別の事を話し続けるセシリーの袖をアリアは強く握ったまま歩を刻んでいた。セシリーも解こうとせず、そのまま寄り添うように神殿の奥へ進んでいく。ミレーヌはそんな二人の後を黙ってついて行った。
 それからしばらく一行の間を重い空気が包んでいた。セシリーが何とか会話の種をまこうとしているがアリアの反応は悪い。こういう時こそ、元気が取り柄の自分がどうにかしないといけないと、ミレーヌは気を張ってグッと拳を握った。
「……なーんだ。じゃあ別にセシリーはシェドのことが好きなわけじゃないのね」
 暗い空気を払拭する勢いでカラッと元気よくミレーヌは言った。セシリーがしばし間をおいてから、
「何度もそう言ってるでしょう。疑り深い女は嫌われるわよ」
 と、軽く答えた。気遣って明るい話題を振ってやったのにとミレーヌはぷっくり膨れて唸る。
「……セシリーは、シェドの事がキライなの?」
「え?」
「今、シェドのことが好きじゃないって言った」
 セシリーとミレーヌの話を聞いていたアリアが不思議そうに尋ね、白い息を吐きながら小鳥のように首を傾げた。セシリーはいつしか袖口を掴んでいたアリアの右手を自身の左手で握りかえしており、右手を頬に添えて思索にふける。
「そうねぇ。シェドのことは好きよ」
「ええっ!?」
 声を張り上げたのはミレーヌ。セシリーがあなたは黙ってなさいとでも言いたげな目で一瞥をくれたので、仕方なく開いていた口をムッとつぐんだ。
「でもそれは、お友達の好きって意味であって、それ以上の感情はないってこと」
「それ以上の感情って何?」
「そうねぇ……。アリアはシェドのこと好き?」
 質問に質問で応じたセシリーの問いにアリアは一瞬言葉を詰まらせて、
「……キライじゃない」
 と答えた。
「フフ、そう言うこと。“嫌いじゃない”は“好き”のこと。でも、同じ“好き”でも、色んな“好き”があるのよ」
「よくわからない」
 アリアが悲しげに顔を俯ける。ミレーヌは以前にもこうして沈んだ表情を浮かべるアリアを見たことがあった。自分にない感情の話をされて寂しいような、悲しいような気分に浸っているのだろう。
 そんなアリアをセシリーが母のような暖かい笑みで包み込む。
「大丈夫。今はわからなくても、絶対にいつかわかる感情だから」
「ホントに?」
「ええ。だって、アリアは女の子なんですもの。だから、“好き”以上の“好き”を知って苦しむことがあったら、私に相談しなさいよ」
「……“好き”なのに苦しいの?」
「“好き”だから苦しいのよ」
 含みのあるセシリーの笑みを不思議そうに見つめ返すアリア。セシリーはそれ以上何を言わず、微笑みを浮かべたままアリアの手を引いて神殿を奥へと進む。今のような話し方を聞いていると、自分とセシリーの間にはまだまだ女としてのレベル差があるなとミレーヌは悔しながら感じた。
 そのまま一行はしばらく道なりに神殿を進んだ。ヒビが入ったり、倒壊した柱がゴロゴロと建ち並び、カンテラ一つでは照らせないほど高い天井からはコウモリが羽ばたく音が聞こえる。足下を注意深く照らしながら進み続けると、あるところで大きな石の壁に阻まれてそれ以上奥へ進めなくなった。
「あら、行き止まりみたいね」
 セシリーがため息を吐いてアリアを見つめる。アリアはしばらくジッと石の壁を見つめた後、ハッと手に持つカンテラの火を見つめた。
「風が流れてる」
「え……?」
 アリアの言葉に反応し、セシリーがそっと石の壁に手を添えた。ズズズと石が擦れるような音が響き、目の前の大きな石が少し左へ動く。
「あら、この壁思ったより軽いわね」
 セシリーが今度は両手で壁を押す。すると壁は簡単にバタンと倒れ、その先に奥へ続く道が現れた。
「……まだ道が続いている」
「すっごーい。アリアちゃん、よく気づいたわね、風が流れてるなんて」
 ミレーヌが褒めるとアリアは少しだけ頬をゆるめた。初めて会った頃は褒めても何の反応も返さなかったアリアが、こうして少しずつ感情を取り戻していく様子はミレーヌにとってもとても嬉しいことだ。
 三人は躊躇うことなく奥へ進んでいく。しかしほんの数メートル進んだだけで、またも巨大な石の壁が三人を阻み、今度はセシリーが押そうが引こうがビクともしない。
「……今度こそ行き止まりみたいね」
「…………」
「仕方ないなぁー。じゃー帰ろーよー。寒いし暗いし、お腹空いたー」
 少し後方でミレーヌは二人の背中を見つめて泣き言をもらす。セシリーが大きくため息を吐いて、
「そうね。そろそろ帰路につかないと夕方までにスノーレンに戻れないわ」
 と、踵を返した。アリアも残念そうに小さく息を吐いてから回れ右をする。その時、ミレーヌは自分の目を疑いたくなるようなものを発見して、
「ああーっ!?」
 暗闇に轟くような大声を上げた。
「どうしたのよ」
「う、後ろっ! 後ろぉ……」
「何なのよ。……何も無いじゃない」
 一度後方を振り返ったセシリーが怪訝そうにミレーヌを見つめ返す。ミレーヌは大きく首を振りながら、
「上っ! 上をカンテラで照らしてっ!」
 指で石の壁を指しながら叫んだ。
 言われたセシリーが、やれやれといった具合にアリアからカンテラを受け取り、高くかざして壁を見つめた。
「――っ!?」
 そこには、古代に描かれたと思われる巨大な壁画が刻まれていた。
「これは……? かなり昔に描かれたものみたいだけど……」
 赤茶けた壁には所々亀裂が入っており、古代に使われた塗料もだいぶ褪せている。それでも見る者を圧倒するような力を帯びた壁画が、五メール四方程度に広がっていた。
 アリアとセシリーが壁画を見つめたまま後方へ下がり、その全体を見渡せる位置まで移動した。そこで三人はしばし息を飲んでその壁画見つめる。
「戦ってる……のかしら……?」
 壁画には戦争を彷彿とさせるところがあった。中央で分かれた両陣営は互いに向き合って描かれている。
 右陣には口から火を吹く翼を持った怪物が数体。その後方に武器を持った二足歩行生物の軍団。そして一番後ろに羊のような顔をして腕が四本ある巨人が描かれている。
 左陣には奇形の魔物らしき軍団と、鳥の顔をして翼をもった人型生物の群れ。そして一番後方に馬のような顔をして長い舌を伸ばす巨人が描かれていた。
「……あれは人間を描いているのよね、きっと」
 セシリーが武器を持っている二足歩行の生物を指して言うと、アリアとミレーヌは無言で頷いた。
「じゃあその後方にいる、羊の顔をした巨人は何? それに、人間の前で立つ火を吹く怪物は? ……人間達は何と戦っているの?」
「翼のある怪物はドラゴンじゃない? ほら、ドラゴンは神が創った生物で、人間を守るために創られたって言うじゃない」
 ミレーヌが答えると、セシリーが小さく「なるほど」と呟いた。
「……じゃあ一番後ろに居るのが神?」
「多分、そうじゃないかしら」
 呆然と壁画を見つめる三人。右陣の勢力にはさほど疑問なくミレーヌの意見に皆賛同したものの、左陣の勢力に関してはほとんど意見がでない。
「魔物の群れ……かしら。でも、魔物は“神狩り”の後に“黒い影”が世界を覆ったせいで生まれた生物だって言われているし……」
「鳥人間も、馬巨人も意味不明だわね」
 セシリーとミレーヌが頭を悩ます脇で、アリアが口を半開きにしたまま壁画の一点を見つめていた。ミレーヌがアリアの視線の先を伺うと、それは左陣の奇っ怪な軍団の後方、宙に浮いた鳥の頭を持つ人型の軍勢だった。それはまるで――
「天使……みたい……」
 ミレーヌが心の中でそう思った時、アリアの口からその言葉がこぼれ落ちた。
 その瞬間、突如神殿内を激震が襲った。
「な、何っ?」
「わからない! でも、急いでここを出た方が良さそうね!」
 パラパラと小石が天井より降ってくる。壁の亀裂がメキメキと音を立て、辛うじて立っていた柱が轟音と共に倒壊する。
 三人は全力で神殿を駆け抜けた。そして入り口から差し込む眩しい光が視界に移った時、
『ギャオオオオオオンッ!』
 圧倒的な威圧感を与える、けたたましい咆吼が神殿内まで届いた。思わずミレーヌは肩をビクッと震わせた。
「あれは……っ!?」
 神殿から出た三人の瞳に映ったのは、雪のように白くて美しい、白銀に輝く巨大な竜の姿だった。


「あなたは……、天使について何かご存じなんですか?」
 シルヴァランスと名乗った金髪の青年が、先ほどまでの爽やかな笑みを消して燃えるような深紅の瞳でシェドを睨みつける。天使という言葉に反応してしまったことを内心後悔しながら、シェドは焦りを隠して冷静を装う。
「お前こそ、何故天使について調べている?」
「先に質問したのは僕です。質問に答えて下さい」
 シルヴァランスが右手を剣の鍔に添え、語尾を強める。シェドは目を細めながら、ゆっくりと鞘から剣を抜くシルヴァランスを見つめた。
「……答える気はない」
「そうですか。じゃあ質問を変えます。あなたは……ニーヴルの人間ですか?」
「それは違うと言っておこう。そういうお前こそ、組織の人間じゃないのか?」
 鋭さを増すシルヴァランスの眼光。シェドも一歩も引かず、睨み合う時間が静かに続いた。
「ニーヴルの人間じゃない。しかし天使について知っている……。あなたは、一体……」
「その疑問、そっくりそのまま尋ね返すぜ」
「……いいでしょう。僕が所属するのは、世界を救うために戦う組織。まだ名前はありません」
「世界を救う……だ?」
 真剣な眼差しで身分を明かすシルヴァランスを、シェドは怪訝に見つめ返した。言うに事欠いて世界を救う組織だとは、甚だ信用できなかった。
「ええ。世界を滅ぼそうとする悪の組織ニーヴルを壊滅させ、彼らの計画を阻止することが僕らの目的です」
「なっ……。ニーヴルが世界を滅ぼそうとしている? そんな話、聞いたことない」
「これはトップシークレットですからね。僕たちも情報を盗み出すのに苦労しました」
 嘘を言っているようには見えない真っ直ぐなシルヴァランスの言葉に、シェドは思わず驚愕の表情を浮かべる。確かにかつて自分が所属していた組織はあくどいことを数多く行ってはいたが、それは世界を支配するという行為であって破壊するという意味はなかったはずだ。
「……ニーヴルを壊滅させることが目的なら、何故天使について調べている?」
「質問する前に、僕は名乗りましたのであなたも正体を明かして下さい」
「言ったろ。答える気はない、と」
「強情な人ですね」
 シルヴァランスは肩を竦めて首を左右に振った。シェドは「そういう性格でな」といいながら白い歯を見せる。
「僕たちが天使について調べている理由、それは……」
 剣を構え、ゆっくりとシェドに歩み寄りながらシルヴァランスは落ち着いた口調で語り始める。そして、
「天使が、世界を滅ぼす存在だからです」
 そう口にした瞬間、大地が大きく振動した。
「っ!?」
「何だっ!?」
 地響きが連続し、石造りの遺跡にヒビが入って周囲で作業していたスノーレンの男達やトルメキア軍の軍人達があたふたと怯え始める。
「な、なんだあれはっ!」
 一人の男がそう叫んだ。シェドとシルヴァランスがハッと振り返ると、
『ギャオオオオオンッ!』
 凄まじい咆吼が天を突く。二人の瞳に銀色の竜が映り、巨大な両翼を広げて見る者すべてを圧倒する。
「ドラゴン……? ――っ!? アリアッ!」
 シェドは血相を変えて大地を蹴る。凄まじい勢いでシルヴァランスの脇を駆け抜けるとドラゴンの方へ一目散に立ち向かった。トラキアでミレーヌが言っていた言葉、そして前々からシェドも薄々感づいていたこと。
 “天使は、ドラゴンを呼び寄せるかもしれない”
 戸惑った様子のシルヴァランスには一目もくれず、シェドは焦りを隠さず小雪の舞うラーミアを一気に駆け抜けた。アリアが無事でいることを必死に願いながら。


 走り去っていく長身の男の背中と遙か向こうに存在する巨大な銀色のドラゴンを見つめて、シルヴァランスはドラゴンのあまりの威圧感に息を飲んだ。伝説の生き物とされるドラゴンを見たのはこれが初めてだった。
「あれが、ドラゴン……。じゃあ、もしかして……」
 シルヴァランスはニーヴルという悪の組織から入手した資料に書かれていた事項を思い起こす。それは天使とドラゴンの関係。
「あそこに、居るのか……。倒すべき、天使が……」
 シルヴァランスはそう呟き、長身の男を追って駆けだした。


 両手にハンドガンを構え、アリアは雪原を駆けながら引き金を引き続けた。空薬莢が雪の中へ沈み、銃弾はドラゴン目掛けて次々に襲いかかる。
「駄目……。効いてない」
 表情を変えずにアリアはつぶやく。アリアの放った銃弾はすべてドラゴンの強固な皮膚に阻まれ、傷一つ付けることができない。以前トラキアで対峙したドラゴンもそうだが、ハンドガンの九ミリ弾ではまったく歯が立たない。
「アリア、ハンドガンの弾じゃドラゴンの皮膚は貫けないわ。他に武器はないの?」
「手榴弾が五個とサブマシンガン」
 アリアと平行して走るセシリー。しかしすでに両足両腕のジェムが尽きているためか、雷撃を纏った攻撃を繰り出すことができず攻撃しあぐねていた。
「対戦車ミサイルとかは?」
「……持ってない」
「なら、その手榴弾でなんとかするしかないわね。……アリア、サブマシンガンと手榴弾を二個ちょうだい」
 走りながらアリアはコートの下のスカートから武器を引き出し、セシリーに手渡す。
 アリアがチラッとうかがうと、ミレーヌが神殿の入り口で二人の様子を心配そうに見つめていた。ドラゴンはすでに狙いをアリアとセシリーに定めている様子なので、戦う術を持たないミレーヌだが前線に出てこなければ心配はないだろう。
『ガアッ!』
 ドラゴンが鋭い爪で大地をえぐる。アリアとセシリーはその攻撃をさけて両翼に展開し、ドラゴンを挟んだアリアの反対側からセシリーが高く跳躍した。
「喰らいなさい!」
 手榴弾のピンを抜かずに、セシリーがドラゴンの顔面目掛けて投げつける。サブマシンガンを左手に構え、手榴弾がドラゴンの顔に当たる直前、照準を合わせて引き金を引いた。
『グガアアアアッ!』
「クリーンヒット!」
 凄まじい爆発が起き、ドラゴンの顔面を黒煙が覆う。セシリーがパチンと指を鳴らし、華麗に大地へ降り立った。
「……っ! セシリー、油断しちゃ駄目!」
「えっ!?」
 アリアが直感的に危険を察知してセシリーに警戒を促した瞬間、黒煙の向こうから輝く波動が飛び出し、一直線にアリア目掛けて迫ってきた。
「くぅっ!」
 反射的に後方へ跳び、アリアは攻撃をかわす。波動の斜線上にあった雪化粧をした木々が一瞬にして凍り付き、枝が氷柱のように鋭く突き出していた。
「な、何? 今の……」
「わからない」
 アリアは目を細めてドラゴンを見つめる。黒煙が晴れた向こう、口から赤い血を滴らせながら、銀色のドラゴンは巨大な口を開いてアリア達へ凄まじい殺気を向けていた。
「また来る!」
 アリアがそう叫んだ瞬間、ドラゴンの口が眩く煌めいた。そして、
『ゴオオオオッ!』
「なっ! さっきの攻撃はドラゴンの息だったの?」
 ドラゴンの口からすべての物を凍り付かせるような凍てつく波動が迸る。波動は一直線にアリアを襲い、避けきれずに触れた衣類の一部が一瞬にして凍り付いて自身の重さで砕け落ちた。
「アリアッ!」
「大丈夫……」
 アリアは破損した衣類へ視線を落とし、そしてキッとドラゴンを睨んだ。今アリアの身を包んでいるのはシェドの手作りでこの世に唯一つのアリア専用。それを傷つけられて、アリアは何とも言えない怒りを覚えた。
『グウゥゥ……』
 ドラゴンが間合いを取ったままアリアへ殺気をぶつけて唸り続ける。アリアはマガジンを入れ替え、再度両手にハンドガンを構えると迷うことなくドラゴンへ一直線に駆け出した。
「……大きい相手は足下が死角だって、シェドが言ってた」
 そう呟きながらドラゴンの足下に潜り込むと、アリアは弾が尽きるまで銃の引き金を引き続けた。パラパラと空薬莢、そして銃弾が雪の上へこぼれ落ち、周囲に銃声が木霊する。
『グウッ!』
「くぅっ」
 踏みつぶそうとする攻撃をかわし、引き裂こうとする爪を避け、薙ぎ払おうとする尾から逃げる。アリアは小柄な体を活かしてドラゴンの攻撃を避けながら攻撃を続けた。しかし何発銃弾を撃ち込もうともドラゴンの皮膚には小さな傷の一つも付かない。
『ガアアアアッ!』
「――っ!?」
 ふいに両翼を羽ばたかせてドラゴンの巨体が宙へ舞い上がる。アリアが目で追いかける先、ドラゴンは空中で口をガバッと開き、アリアに超低温の吐息を吐きかけた。
「くぅっ! ……あぅっ!」
 避けるために後方へ飛んだアリアの背中に遺跡の壁が当たった。とっさに逆サイドへ退路を切り替えようとするアリアのもとへドラゴンのブリザードブレスが容赦なく襲いかかる。
「っ!」
 斜線上からの脱出が間に合わないと判断したアリアは、とっさに手榴弾を上空に投げてハンドガンでそれを撃ち抜いた。
「あああっ!」
 爆音と共にアリアの悲鳴が響く。ドラゴンの息は手榴弾の爆発と相殺されてアリアの元へは届かなかったが、代わりに手榴弾の爆風がアリアを襲い、アリアは後方へ数メートル吹き飛ばされた。
「アリアッ!」
 雪原に倒れていたアリアを駆け寄ってきたセシリーがそっと身を起こす。アリアは辛うじて瞳を開き、心配そうな顔で自分を見つめるセシリーを見上げた。
「……セシリー、あ、危ない……逃げ……て……」
「あなたを置いて逃げられるわけないでしょう!」
 セシリーが声を張り上げるのをアリアは荒い息づかいで聞いていた。その向こうではドラゴンが大気を揺らすようなうなり声を漏らしている。
『グゥウウッ!』
「……ジェムのない私には何も出来ないの? これじゃあ、妹の時と同じじゃない!」
 アリアの双眸に、大きく開かれたドラゴンの口の奥で眩く迸る閃光が映った。セシリーがギュッとアリアの体を抱きしめ、ドラゴンに背を向けて瞳を閉じる。
『ガアアアッ!』
 ドラゴンの咆吼。後方より迫る圧倒的な冷気。アリアは自分が死ぬかもしれないという恐怖以上に、自分をかばおうと身を挺しているセシリーが傷つくことを恐れて止まなかった。もう誰も目の前で倒れてほしくない、それがアリアの願いだった。
「逃げ……て……。セシリー……」
 アリアの声にセシリーは反応しない。アリアは申し訳なさと恐怖が入り交じったような感情を覚え、ひっしとセシリーの体にしがみついた。
 その時だった。
「あ……」
 アリアの瞳に純白の世界を朱色に染め上げる紅の業火が映し出された。それはうねりを伴ってドラゴンの凍てつく息を相殺し、さらに炎は一層猛々しく燃え上がってドラゴンに襲いかかった。
『グガガガガッ!』
 紅蓮の火炎はドラゴンの左頬に直撃し、怯んだドラゴンが大地へズンと降り立ちて唸りながらアリア達の前に立つ男を見つめた。
 丸いレンズのサングラスをかけ、紺色の上下で身を包み、首に赤いマフラーを巻き付ける男。手には白銀に輝く拳銃を持つ茶色の短髪に黒い瞳の男が銃口をドラゴンに向けており、銃口からは白い煙が寒空に昇っていた。
「シェドッ!」
「……悪い、遅くなった」
 見間違うはずがない。アリアの瞳に映ったのは心の何処かで待っていた相手、シェドの柔和な笑みだった。


 シェドはドラゴンに背を向け、セシリーとその腕に抱かれたアリアを見つめた。アリアの火傷もさほど非道くなく、セシリーに置いては無傷だったのでシェドはホッと息を吐いた。
「……シェド」
「ん?」
「……ありがとう」
 ニッコリとまではいかないが、シェドの姿を見て安心したのか、アリアが安堵に包まれた表情を浮かべた。それを見てシェドの心にも暖かみが増す。
「気にするな。……セシリー、アリアを連れて後退しろ。アイツは俺が倒す」
「わかったわ」
 首肯してからセシリーがその場を離れていく。セシリーに背負われたまま後退していくアリアの姿を目で追いかけた後、シェドは視線をドラゴンへと移した。
「……今の攻撃、二人を狙ったにしては狙いが甘かったな。魔弾で相殺せずとも、二人には当たらなかったはず……。どうして……」
 そう漏らしながら、ドラゴンを見つめたままシェドはふと一刻ほど前に見知った少女の姿を思い浮かべた。そして、
「お前は、あの子なのか?」
 目を細めながら小さく呟いた。
 瞳を閉じ、シェドはその場にしばらく佇んでいた。ドラゴンはうなり声を漏らしながらも向こうから仕掛けてはこない。
 もしあのドラゴンがもしあの子だとして、シェドが今すべき事は何か。どうしてシェドは必死になってここまで来たのか。それはもう、理由を述べるまでもなかった。
 シェドは銃を握る手に力を込めて銃口をドラゴンに向けて構えた。
「はああっ!」
 銃口から真っ赤に輝く銃弾が飛び出す。銃弾は射出された数秒後に巨大な紅蓮の炎と化し、音速でドラゴンへ向かっていった。
『ゴオオッ!』
 ドラゴンが凍てつく息吹で応戦し、凄まじい衝撃が周囲に広がった。フリーズドラゴンとは少し種族が違う気もするが、どうやらこの地に相応しく冷気を操るドラゴンのようだ。
 シェドは雪原を走りながらフレアジェムによる魔弾を連発するが、それらはすべてドラゴンの冷気によって相殺されてしまう。
「チッ、だいぶジェムの魔力が低下してる! 予備は……」
 シェドはとっさに袖をまくり上げ、右腕に巻き付く腕輪から赤いフレアジェムを外す。しかし腕輪に埋め込んであったジェムの方が銃口に取り付けたジェムより褪せた赤だったので、シェドは舌打ちしてジェムを元に戻した。こんなことならミレーヌに貰った新しいジェムを用意しておけばよかったと後悔する。
「くっ!」
 容赦なく襲うドラゴンの息を魔弾で応じるが、引き金を一度引くごとに威力が低下していき、ついにドラゴンの冷気の押し負けるようになった。ジェムに籠もっている魔力も限界のようだ。
 シェドは銃口を下げたままドラゴンの周囲を逃げ回り、荒々しいドラゴンの攻撃をかわしながら反撃の策を練る。
「フレアジェムの威力が落ちてきたとなると、……くっ、どうする?」
『ガアアアッ!』
 ドラゴンの爪がシェドのマフラーを裂く。シェドは魔力を帯びていない銃弾を放つが、銃弾はドラゴンの強固な皮膚に阻まれてしまった。
「やはり魔弾じゃなきゃ無理か……。しかし、俺は全属性が使えるとは言え、フレアジェムとアイスジェム以外はあまり得意じゃねーんだよな、くそ……」
 ぶちぶちと独り言をつぶやき、シェドは大きく息を吐いた後、腕輪から茶色いアースジェムを外して銃口のフレアジェムをポケットに収めて付け替えた。
「喰らえっ!」
 シェドが引き金を引く。銃弾はドラゴンの直前で輝き、巨大な岩石の群れがドラゴン目掛けて迫っていった。
『グオオオオオッ!』
 ドラゴンが岩石の群れ目掛けて息を吐き付ける。しかし岩石は氷塊と化したものの速度は衰えず、一層質量を増した氷塊の群れがドラゴンの体に次々と衝突した。
「……狙い通りだ! ――なっ!?」
 勝利を確信したシェドのもとにドラゴンの息が襲いかかる。シェドはとっさに避けて後方へ跳び、ドラゴンの様子を窺った。
 ドラゴンの皮膚に確かにシェドの放った岩石はめり込んでいた。しかしそれを覆う氷はまるでドラゴンの皮膚と同化しているかのように皮膚に溶け込み、岩石だけが力なく雪原に落ちていった。まるで氷がクッションか何かのようだ。
「……氷で包めばどんな攻撃でも威力を軽減できるのか。くそっ!」
 シェドは吐き捨てるように叫び、くっと歯を食いしばった。歯がみするシェドの手前、ドラゴンが再度大きく息を吸い込み、輝く吐息を吹き出す。しかしそれはシェドの数メートル左の雪原へ吐きかけられた。
「なんだ、一体何処を狙って……――っ!」
 シェドが気づいた時には遅かった。ドラゴンの息により雪原の雪が空中へ舞い上がり、細かく分かれた雪の結晶が太陽の熱で溶ける。そこを超低温の息吹が通り抜け、溶けた雪は氷となって膨張し、他の分子と結合していった。
 ドラゴンがシェドを中心に息で円を描く。するとシェドの周囲に巨大な氷の壁が現れ、シェドは完全にその中へ閉じこめられてしまった。天井まですっぽりと氷に覆われた牢獄。この状態でドラゴンの巨体に踏みつぶされたりしたら、かなりやばい。
「くっ! させるかぁっ!」
 シェドは銃口を氷壁に添えて魔力を注ぐ。そして引き金を引くと、銃口から巨大な岩石が飛び出し、氷壁とぶつかって互いに粉々となって周囲に散った。破片がシェドの頬を襲い、頬を血が伝って雪原にとけ込んでいく。
「……小賢しい真似しやがって。……なにっ!?」
 氷壁に開けた穴から出てきたシェドの頭上にドラゴンの姿はなかった。シェドが慌てて振り返ると、ドラゴンは巨大な両翼を羽ばたかせてシェドの遙か後方の空を泳いでいた。
「俺は眼中にない……? くそ、狙いはアリアかっ!」
 シェドは愕然とした表情で大地を駆ける。しかし向こうの方が圧倒的に早く、とても走って追いつけるスピードではなかった。
 シェドの視界にアリアとアリアを背負ったセシリーの姿が映る。
「アリアァ――ッ!」
 シェドは無我夢中に叫んだ。


 ドラゴンが後方から凍てついた冷気を必死で逃げるセシリーの前に吐き付け、セシリーの前に巨大な氷壁が現れた。シェドは何をやってるのよと歯がみしながら、セシリーは氷壁を迂回しようと進路を修正する。
 しかしドラゴンは立て続けに冷気を吐き続け、あっという間に氷の牢獄が完成してセシリーとアリアはその中央に取り残されてしまった。
「そんなっ! く、どうしたらっ!」
 セシリーはアリアを背負ったまま氷壁を蹴りつけるが、魔法の力を帯びていない蹴撃では強固な氷は打ち砕けない。たとえアンクレットのジェムが万全だとしても、容易に砕けるかどうかわからないほど氷の壁は厚い。
 ドラゴンが氷の牢獄の手前に降り立ち、唸りながら凄まじい殺気を二人にぶつける。数メートルの高さを誇る氷壁の向こうに佇むドラゴンの姿を見つめ、セシリーは歯を食いしばった。米神を冷や汗が流れ落ちていき、背筋を冷たい汗が伝う。
『ガアアアアッ!』
「きゃああっ!」
 ドラゴンの太い腕が氷壁ごと二人を薙ぎ払った。分厚い氷壁が粉々に砕け、同時にセシリー達も凄まじい衝撃を受ける。衝撃でセシリーの背からアリアは飛ばされ、セシリー自身は後方へ吹き飛ばされてしまった。
「……う、く……。ア、アリア……」
 セシリーは雪原の上に腹這いになりながら必死で手を伸ばした。そんなセシリーの数メートル先で、アリアがよろめきながら何とか体を持ち上げ、肩で息をしながら両手にハンドガンを身構えた。
「はあ……、はあ……。くぅっ!」
 アリアが力を振り絞って引き金を引く。しかしいくら撃とうとも、ハンドガンの銃弾ではドラゴンの皮膚に傷を付けることは出来なかった。
 セシリーは必死に戦おうとするアリアをただ見ているしかできない。どうやら足をやられたらしく、思うように体が動かない。
 圧倒的な無力感。セシリーは拳を握りしめて、悔しさのあまり唇を噛みしめた。
『グウウウゥ……』
 ドラゴンが唸りながら口を開く。アリアはその様子を生気のない表情で見つめていた。
 雪原にぽつんと立つアリアを、殺気溢れる双眸で捕らえながら全身を震わせるドラゴン。両翼を広げ、全身を青白いオーラが包み込み、大きく開いた口をアリアへ向けた。


「アリアァッ! くそ、そんな事させねぇぇっ!」
 シェドは走りながら腕輪から緑色のウインドジェムを取り外し、それを銃口のアースジェムと入れ替えた。そしてしゃがみ込み、大地に銃口を押しつける。
「はあああああっ!」
 トリガを引くと銃口から風の魔弾が撃ち出された。凄まじい爆風が生じ、その反動でシェドの体は音速よりも早く宙へ舞う。
「ぐううううっ!」
 凄まじい重力と空気抵抗を全身で受けながら、シェドは目にも止まらぬ早さでドラゴンへ迫った。空中で少し減速した隙に銃口のジェムを腕輪に戻し、少し色あせたフレアジェムをポケットから取りだして銃口付近の穴へ埋め込む。すべてのジェムに意識を注ぎながら、シェドは大きく咆えた。
「喰らえええええっ!」
 腕輪から七色の光が迸り、すべてのジェムから放たれた魔力がシェドの右腕の先につどって魔法の剣が具現化した。ウインドジェムで飛んだ勢いそのままに、シェドはフレアジェムの魔力を帯びて仄かに朱く炎属性を帯びた剣でドラゴンの左翼を斬り落とした。
『ギャオオオオオオオンッ』
「ぐおっ!」
 ドラゴンが悲痛な咆吼をあげながら体勢を崩して雪原に倒れ込む。同時にシェドも遺跡の壁に激突し、衝撃で顔を歪めた。
 ドラゴンの赤い血が遺跡や雪原に舞い落ち、周囲が燃え上がるような朱に染まった。シェドは鈍痛を感じながらもすぐさま体勢を立て直し、翼を失ってうまく体勢を立て直せない様子で唸りながら雪原に横たわるドラゴンを見つめた。
「はあ……、はあ……。間に合ったか……」
 左手で右肩を押さえながら、シェドが立ち上がって無事なアリアの姿を確認して大きく安堵の息を吐く。壁に激突した衝撃で割れたサングラスを外してポケットに収め、軽く捻った右足を引きづりながらシェドはアリアの元へ歩み寄った。
 アリアがクイッとシェドへ首をもたげ、シェドはアリアに笑みを見せる。
「よ、大丈夫か?」
「……うん。私は大丈夫」
 深手を負ったシェドを見つめ、アリアが申し訳なさそうな悲しげな顔で小さくつぶやいた。火傷と軽い打撲以外に特に目立った外傷もなく元気な様子のアリアを見て、シェドは再度安堵の吐息を漏らした。
「よし。おーい、セシリー。お前は大丈夫かー?」
「何とか大丈夫よ」
 シェドが雪原に横たわるセシリーに呼びかけると、か細い声が二人の耳に届いた。どうやら無事のようだ。
「だ、だだ大丈夫ーっ?」
 騒がしい叫びと共に何処からともなく駆け寄ってきたミレーヌが雪原に横たわるセシリーに肩を貸し、シェドとアリアのもとへ歩み寄ってきた。セシリーの傷も思ったより大したことはなく、ヒールジェムを使うまでもないだろうとシェドは安心する。
「全員無事だな」
「シェ、シェド……、ドラゴンまだ生きてるみたいだけど、とどめ刺さなくていいの?」
 ミレーヌがビクビクしながら後方で呻き声を漏らして横たわるドラゴンを見つめたので、シェドも習って視線を移す。この位置からでは背中の一部しか見えないが、必死に起きあがろうとしている空気が何となく伝わってきた。
「……大丈夫だろう。翼がなくては立ち上がることすらままならない。これ以上の戦闘は無意味だ」
「で、でも、こんなヤツ放っておいたらスノーレンの街の人に被害がでたりしない?」
「それはない。……行くぞ」
 ハッキリ否定したシェドを不思議に見つめる三人。シェドは、「子供扱いイヤ」と言って嫌がるアリアを無理矢理自身の背中に乗せると、雪の上をサクサクと進み始めた。
 シェドがあのドラゴンなら無害だと信じた理由。それはあのドラゴンがあの少女だと確信しているからだった。
「ま、待て! 貴様ら一体何者だ!」
「ああ? ……なんだ、トルメキア軍のヤツか……」
 ふいに遺跡を進むシェド達を遮った軍服の男達。今の今まで気づかなかったが、どうやらラーミアの遺跡でスノーレンの街人を強制的に働かせているトルメキア軍の奴らがシェド達を取り囲んでいた。シェドはうんざりしながらため息を漏らすと、
「セシリー、適当に頼む」
 そう言って「止まれ」と咆え続ける男の声を無視して歩き続けた。いくら傷を負っているとはいえ、セシリーがこの程度の輩共に遅れを取るはずはないし、ドラゴンとの戦闘で疲労したシェドはこれ以上は雑魚相手でも戦うのが億劫だった。
「はいはい。……みなさん、私達急いでますので……」
 セシリーの爽やかな美声に続き、男達の悲痛な叫びが周囲に響く。雪原に横たわって呻き声をあげる男達が「こいつら、何者だ……」とつぶやくのを耳にしながら、シェド達はラーミアを後にした。


 シェドとドラゴンの戦闘を離れた場所で見つめていたシルヴァランスは、遺跡の入り口付近に馬車を隠していたシェド達の背を見つめたまま静かに佇んでいた。
 スノーレンへの帰路へついた去っていく馬車を黙って見つめ、それが見えなくなった後、今度は遺跡を振り返って目を細める。
「ドラゴン……。聞いた通り、圧倒的な力だった。でも、それを退けたあの、ガンブレイブと名乗った人。それに……」
 瞳を閉じたシルヴァランスの脳裏に、桃色の髪をした少女の姿が思い浮かぶ。何処にでもいそうな見た目は普通の少女。だがシルヴァランスは、少女の外見に適合する標的をグループのリーダーより言い渡されていた。
「“魔弾”と一緒にいる十歳前後の少女……。桃色の髪をした、小柄で色白の子。じゃあ、あの子が……。あの子が世界を滅ぼすという……」
 シルヴァランスは一呼吸を置いて、
「天使……なのか……」
 そう呟き、静かに小雪の舞うラーミアの遺跡を見上げた。
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