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第四章 信じるモノと戦う意味

「アルフレッド=ランカーです。以後、よろしくお願います」
 そう名乗った栗色の髪をしてえんじ色の瞳をした青年。軍服で身を包んだ二人の男は、アルフレッドと名乗った青年を怪訝そうに見つめた後、年上らしき男は「ふん」と鼻を鳴らした。
「こちらの動きを探るために放たれたニーヴルの飼い犬か……」
「さて、何のことでしょうか、レイナス将軍?」
 ふてぶてしく微笑むアルフレッド。髭を生やすレイナスと呼ばれた男は、機嫌悪そうに椅子に腰掛け、机の上にある書類へ目を落とした。
「では今日はこれで失礼します」
 含みのある笑みを残して部屋を出て行くアルフレッド。その背中をジッと見つめたまま、別の男がレイナスへ体を向けて口を開いた。
「将軍、あのような輩を国王様の側に置くなど、私は納得できません!」
「……私もだよ、スルト。だが、これは王が認めた事だ。いや、我々の知らぬ所で認めさせられた事なのかもしれん」
 スルトと呼ばれた、赤い髪に蒼い瞳の三十代半ばくらいの軍人は、舌打ちをして拳を強く握りしめる。レイナスはそんなスルトを目で戒め、スルトが納得いかない様子で瞳を閉じた。
「あまり気を張るな。たまには家に戻ってミハルさんとの時間を作ったらどうだ?」
 レイナスの言葉にスルトは無言のまま首を振った。
「最近、夫婦仲は冷める一方です。帰っても、話すことなんてありません」
「そうか。……あれから、もう七年くらい経つな」
「はい」
 沈痛な面持ちで歯を食いしばるスルト。レイナスも大きく息を吐き、窓の外へ視線を移した。窓から臨むトルメキアの城下町は多くの人で賑わい、とても活気に満ちている。
「何て名前だったかな……。君の、行方不明になった娘の名前は……」
 ふとレイナスが視線を外へ向けたまま尋ねる。スルトはしばらく押し黙った後、
「レイチェルです」
 絞り出すように小さく答えた。


 トルメキア城内を我が物顔で歩くアルフレッド。城の警備兵が怪訝な顔つきで見つめようがお構いなしに、口笛を吹きながら両腕を頭の後ろに回した。
「……アルフレッド」
「はい? ……ああ、レミネーラ様」
 アルフレッドを待っていたように壁にもたれていたレミネーラは、長い黒髪をさっと掻き上げてアルフレッドの横に並び、そのまま城の廊下を進む。
「……どうだった?」
「そうですね、あのレイナスとか言う寡黙な将軍さんは厄介かもしれません」
「あの髭面男。……確か以前の会談の時、国王の脇でジッとこちらを睨んでいたわね」
 腕を組んだまま廊下にヒール音を響かせ、レミネーラは小さく息を吐いた。
「……レミネーラ様、しかめっ面してたらしわが増えますよ」
「う、気にしていることを……」
「目障りだったらさ、消しちゃっといた方がいいんじゃないですか?」
「それは駄目よ。今はまだ、国王の機嫌を損ねるような真似をしては……」
 レミネーラが頷けばすぐにでも駆け出しそうなアルフレッドに、レミネーラは気怠げな笑みを見せた。
「おい……」
 二人が連れ立って歩いていると、ふいに柱の影から低い男の声がした。レミネーラが振り向くと、額に傷跡のある大柄の男が煙草を吹かしていた。
「あら、ミゲル」
「……貴様の部下からちっともシェドの居場所が伝わって来ないから直接聞きに来た」
「ああ。それはまだレオの居場所が特定できてないからよ」
「チッ! 久々に楽しめそうな仕事かと思えば、獲物が現れるのをじっと待つだけか」
 白髪交じりのオールバックをボリボリと掻きながら舌打ちをするミゲル。肩を竦めて微笑むレミネーラの隣で、
「シェド……。懐かしい名前ですね。そう言えば、レオと一緒に愛の逃避行を続けてるんでしたっけ?」
 アルフレッドがケラケラ笑いながら言った。
「アイツは強い。本気のアイツと一度戦ったことがあるが、その時は引き分けに終わったからな。……俺はもう一度アイツと戦いたい」
 拳をグッと握りしめ、不敵な笑みを浮かべながらミゲルはレミネーラを見つめた。レミネーラも笑顔で応じ、
「全力で探させているわ。居場所が特定でき次第すぐに伝えるから、準備は怠らないで」
「……ふん」
 鼻を鳴らして去っていくミゲルをレミネーラとアルフレッドは静かに見つめた。

* * *

 スノーレンの街角にある小さな宿の二階。ベッドでスヤスヤと寝息を立てるアリアを、シェドはセシリーと共に静かに見つめていた。
 パチパチという暖炉の音が周囲を包み、窓の外はすでに漆黒が覆っていた。暖炉の火だけでは役不足なのか、セシリーは体をさすりながら時折鼻をすすっていた。
「お前の傷は大丈夫なのか?」
「ええ。軽い打撲よ。……でも、体の傷以上に精神的なショックの方が大きいかも」
「は?」
「……私、ジェムが無かったとはいえ、何も出来なかったわ」
 両手で頬杖をつき、大きくため息を吐きながらセシリーが落ち込むように頭を垂れた。
「相手が相手だから仕方ないだろ。ドラゴン相手に、人間の力なんざ豆鉄砲みたいなもんだ」
 どうやらセシリーはドラゴン相手に手も足も出なかったことに落ち込んでいるらしく、しおらしく表情を曇らせていた。
 シェドは背もたれに倒れながら腕輪に埋め込んであるフレアジェムを外し、コロコロと机の上に転がした。だいぶ色あせてしまったため、もう殆ど役には立たないだろう。
 シェドは代わりのフレアジェムを腕輪にはめながら、先ほどからずっと考えていたことを口にした。
「……明日、俺はもう一度あの遺跡に行く。セシリーはアリアと一緒に街に残れ」
「え?」
「お前達が見たっていう壁画を俺も見ておきたいんだ。……セシリー、お前にこれを渡しておくから万が一の時は頼む」
 シェドは腕輪からサンダージェムを外し、テーブルの向かいに腰掛けるセシリーの方へ指ではね飛ばした。
「あっとっと。……これ、腕輪のサンダージェムじゃない。ちょ、ちょっと、これがないと魔剣を具現化できないでしょう?」
 新しいフレアジェムを埋め込んだとは言え、シェドの腕輪にはサンダージェムが欠けていた。七属性のジェムすべてと、銃に埋め込むジェム一つが揃っていないと魔法力を具現化して剣にすることはできない。“魔剣”とはその剣を“魔弾”に習ってセシリーがそう呼ぶようになったものだ。
「まあ、何とかなるだろ」
「……あのドラゴンとまた戦うことになるかもしれないのに?」
「大丈夫だって」
 心配そうなセシリーにシェドは笑みを見せる。実際、シェドはたとえあのドラゴンと再び対峙することになっても戦うことにはならないだろうという予感があった。
 しばらくセシリーがシェドを訝しげに見つめてくる。シェドはそんなセシリーから逃げるように視線を逸らし、真面目な表情へ変化させてアリアを見つめた。
「しかし、やはりハンドガンだけじゃ攻撃力不足だな。せめて何かしらジェムが使えれば、攻撃に厚みが出るんだが……」
「……アリアね。でも普通の女の子として生きていくのに、必要以上の力は……」
「確かに。だが、組織の追っ手や今日のようにドラゴンと戦闘することを考えたら、今の戦闘力では命を落としかねない」
 セシリーの言ってることも分かる。いつかアリアの両親が見つかったら、アリアはシェドとの旅をやめ、普通の女の子として生きることになるだろう。そうなったとき、必要以上の力を持っていては差別や仲間はずれの的にされかねない。セシリーはそのことを危惧しているのだろう。
「でも……。それでも私は……」
 唇を噛みしめるセシリーを見てシェドはそれ以上口を開かなかった。
 徐々に夜は更けていく。セシリーがアリアの隣のベッドに横たわり、シェドは二人の部屋を後にし、隣の部屋で床に伏した。


 次の日の朝。カーテンの合間から差し込む太陽の光で目を覚ましたアリアは、すっくと起きあがって洗面所へ赴き、顔を洗って簡単に髪を櫛で掬ってからシェドお手製の黒を基調としたワンピースドレスに着替え、シェドとセシリーの姿を探した。だがすでにアリアの居た部屋にある二つのベッドも隣の部屋のベッドも空だった。
 滞在中の部屋に二人の姿がないことを確認したアリアは、パタパタと階段を下り、一階にある宿の食堂へ移動した。そこでは頭の上にヒューイを乗せたセシリーがトーストにバターを塗っていた。
「セシリー、ヒューイ、おはよう」
「あら、おはよう」
「キュッキュルー」
 アリアはカウンターで厨房のおばさんに朝の挨拶をしながらクロワッサンとミルク、苺入りヨーグルトを注文し、それらを盆に乗せてセシリーの居るテーブルへ運んでいった。
 少し前に立ち寄った街で食べて以来お気に入りの苺。それを見るだけで、元気が沸くような気がした。
 ちょこんと椅子に腰掛けたアリアの頭の上に、セシリーの頭の上からヒューイが跳び渡ってくる。
「……ヒューイは最近いつも食堂にいる」
「そうね。宿の人が餌もくれるみたいだし、何より暖房がずっとついてて暖かいからじゃない?」
 紅茶をすすりながら、セシリーがアリアの頭の上で耳をピョコピョコ動かすヒューイを見て頬を緩めた。そんなセシリーの手前、アリアは朝食に手を付けずに食堂内をグルッ見渡し、
「シェドは?」
 とセシリーに尋ねた。
「朝早くから出かけたわ。帰ってくるのも遅くなるって言ってたわ」
「出かけたの? ……何処に?」
「ちょっとね」
「……そう」
 曖昧にシェドの行く先を誤魔化すセシリー。少し寂しい気持ちに駆られ、アリアは表情を曇らせた。
 小さな口で千切ったクロワッサンをパクパクと食べ、時折両手でコップを抱えながらミルクを飲み、アリアは黙々と食を進める。
「セシリーは今日、どうするの?」
「特に何も考えてないけど、……そうね、アリアがいいって言うなら、一緒にアリアの両親捜しをしてもいいかしら?」
「……え?」
 予想外の答えに、アリアは思わず手を止めてセシリーの顔を見上げた。
「駄目かしら?」
 さきに朝食を食べ終えてハンカチで口元を軽く拭いながら微笑むセシリーに、アリアは返す言葉が見つからず、しばらく無言のままちびちびとヨーグルトを口へ運んだ。
「私は……、構わない」
「そう。じゃあ決まりね。ヒューイも一緒に行く?」
「キュー……」
 セシリーがヒューイを見つめてウインクするが、連れないヒューイは耳を垂らして顔を背けたまま否定的な鳴き声を漏らした。やはりここに居たいようだ。
「あらあら。寒い外に出るのは嫌みたいね」
 まるで努めて元気に振る舞っているように見えるセシリーに、アリアは申し訳ない気持ちを覚えた。もしかしたらセシリーはアリアに気を遣ってるのかもしれない。
「……セシリー」
「ん? どうしたの?」
 セシリーがヒューイから視線をアリアへ戻す。アリアは俯き加減に視線を下げ、
「私、昨日は何もできなかった。私のせいで、セシリーにも危険が及んだ」
 そう謝罪の言葉を述べた。
「…………」
「ごめんなさい」
「……馬鹿ね。何を言い出すかと思えば……」
 アリアが顔を上げると、そこには困ったように微笑むセシリーの顔があった。役立たずだったアリアを咎めるでも呆れるでもなく、何故か申し訳なさそうに微笑むセシリーにアリアは思わず言葉を失う。
「ほらアリア、いつもシェドに言われてるでしょ? 女の子は笑顔が大切だって」
「セシリー……」
「ほらほら。笑わないと、シェドみたいにくすぐるわよ?」
 両手の指をわらわらと動かしながら、セシリーがアリアに顔を近づける。アリアがしばらく曇った面持ちのままセシリーを見つめ返した後、少しだけ頬を赤らめて微笑んで見せると、それを見たセシリーも柔らかな笑顔で応じてくれた。
「よし。じゃあ、厚着して出かけましょうか」
「うん」
 二人は食堂を後にする。食堂を出る瞬間にヒューイがアリアの頭上から飛び降り、スススッと暖炉の方へ走り去っていった。
 やっぱり寒い外に出るのは嫌みたいだ。


 天からは太陽が燦々と照らし、その光を浴びた雪が眩しく反射光を跳ね返す雪原を、シェドはサクサクと音を立てながら進んでいた。
 古代都市ラーミアの遺跡。古代七大都市の一つと言われ、他の古代都市と比べて圧倒的にジェムの産出量が多い遺跡である。しかし歴史を物語る書籍などが発見されておらず、当時を語る物が何もない謎の多い古代都市でもあった。
 昨日のドラゴン襲撃が原因か、スノーレンから無理矢理連れてこられた男達やトルメキア軍は遺跡の入り口付近に固まって作業をしていた。そのため特に周囲を警戒することなくシェドは遺跡をズンズン進む。
 遺跡の一番奥に崖に横穴を開けたような神殿跡があり、シェドは迷うことなくその中へ入っていった。持ってきたカンテラに火を灯し、サングラスを胸ポケットに収めてシェドは人気のない神殿跡を奥へ奥へと進んでいった。
「……この奥か」
 入り口からかなり進んだところに大きな石の壁が横たわっており、その先に奥へ続く道が確認できた。シェドは「昨晩セシリーから聞いた話と一致するな」と漏らし、少し警戒心を強めてその先へ進んでいった。
「――っ!?」
 シェドはそこでアリア達が見たという壁画を目に映した。しかし見る者を圧倒するような力を持った壁画を見たことではなく、別のことでシェドは驚愕していた。
「……お前は……」
 シェドの視線の先には、腰を地に下ろしたまま上半身を起こす少女の姿があった。
 カンテラの光でぼんやりと浮かび上がった少女の輪郭はとてもシャープで、琥珀色の瞳は研ぎ澄まされたナイフの様に鋭く輝いている。銀色の髪と衣がカンテラの光でうっすらとオレンジ色に染まり、不釣り合いな大きなリボンを付けた少女がシェドを静かに見つめていた。
 驚きながらもシェドは心の何処かでこうなることを予期していた。いや、望んでいたと言ってもいいかもしれない。
『とどめのを刺しに来たのか?』
 ふと、言葉を失っていたシェドに対して冷めた口調で少女が口を開いた。いや実際は口を開いていない。何故か言葉だけがシェドの脳裏に響いてきた。
 少女は立ち上がろうとせず、上半身だけ起こした状態のまま感情無くシェドを見つめている。シェドはそんな少女に確認するように尋ねた。
「……昨日のドラゴンは、やはりお前だったんだな」
『そうだ。……そなたに敗北を喫し、任務を全うすることが出来なかった』
 シェドの問いを少女はハッキリと肯定した。思わずシェドは奥歯を強く噛みしめ、拳をグッと握った。
「任務……。アリアを……、天使を殺すことか」
『そうだ』
 ハッキリ答えた少女を睨みつけた後、シェドは視線を少し上に向けた。そこにある巨大な壁画。あれが、目の前の少女がアリアを狙う理由を示しているのだろう。
「その壁画、人間の前に立つ怪物がお前達ドラゴンを模し、敵対する軍勢にいる鳥の顔をした翼をもつ生物が天使を模しているのか?」
『私はラグナロク後に創られた存在だから詳細は把握していない。だが、おそらくそうであろう』
「天使は人間にとって敵……か……」
『その通りだ。もしそなたがヒトのためを思うなら、同行している天使を殺せ』
 シェドは壁画を見つめたまま歯を食いしばり、壁画に描かれた天使へ鋭い視線を送る。
 あの壁画に描かれている天使は確かに人間にとって敵なのかもしれない。だが――、
「アリアは……、あいつはまだ幼くて、純粋で、無垢で、そして優しい心を持った子だ。それでも、あいつが聖石に適合して天使となったという理由だけで、お前はあいつが人間の敵だと言いたいのか」
『……天使は世界を滅ぼす。私はヒトを守る存在として、それを許すわけにはいかない』
「アリアは自分からそうなりたかった訳じゃない。……あの聖石さえ取り外すことができれば、あいつは何処にでもいる普通の女の子になれる」
 まるで自分自身に言い聞かせるようにシェドは少女に言い返した。そのためにミレーヌの父親に研究を依頼しているのだ。あの聖石さえなくなれば、アリアはもう普通の少女なのだから。
『……それは不可能だ。私の知る限り、聖石を取り除く方法はその人間を殺す以外に存在しない』
 シェドの希望を少女が打ち砕こうとする。だがシェドもそう簡単に引く気はなかった。いや、絶対に引く気はなかった。
「お前が知らないだけだろ? ……お前は自分で言ったじゃないか。自分は詳しいことを知らないと」
『……何故、そなたは天使のためにそこまでするのだ? そなたにとって、その天使はそれほどに大切な存在なのか?』
 少女が尋ねた質問にシェドは答えなかった。その代わり、
「昨日の傷は相当深手だったようだな。……だが、その傷が癒えたらまたアリアを殺しに来るのか?」
 と、逆に尋ね返した。
『それが……、私の創られた理由だ』
「創られた理由……か。ま、それも一つの“生きがい”って言えるのかもしれないな」
 シェドは独り言をつぶやく。相手はドラゴンで、アリアを殺そうとしている存在だ。だが何故か、シェドは少女が敵とは思えなかった。
 あの時、少女はシェドを殺そうとしなかった。セシリーを殺そうとしなかった。少女が敵ならば、今頃アリアはセシリーと共にあの世に行ってるはずだから。
『……生き……がい?』
「いや、忘れろ。こっちの話だ」
 シェドは軽く首を振ってゆっくりと少女に歩み寄った。そして「背中を見せろ」と言って、少女の白を基調としたワンピースドレスの両肩の紐を緩めた。
 するりと少女の体からドレスが落ち、白い背筋が姿を見せる。背中には大きく裂けた傷があり、まだそこからは赤い血がにじみ出していた。シェドはそれを見つめて目を細め、これが昨日の傷だろうと推測する。
『……な、何をする気だ?』
 まるで人間の女のように慌てる少女に対し、シェドは無言のまま右手を少女の背中の傷に添えて静かに瞳を閉じた。腕輪に埋め込まれたヒールジェムに意識を注ぐ。
 ヒールジェムが眩く光り、シェドの右腕を伝って少女の体を淡い光が包み込む。傷口からにじみ出ていた血が止まり、痕はまだ残っているがほぼ傷は完治した。
「ほう、ドラゴンって言ってもヒールジェムでちゃんと傷治るんだな。血も赤いし……」
『……ヒトの姿をしている時は、能力的にもヒトとほぼ変わらない』
「なるほど。……裸体を見せるのを恥じらう所も人間らしい」
 そう言いながらニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべるシェドに、少女が少しばかり頬を紅潮させて睨み返す。
『人格もヒトをベースに構成されている。私の場合、十代半ばの女性が基となっている』
 そう言いながらドレスを直す少女は、すっと立ち上がり、背中を軽くさすった。
『何故、傷の手当てをした。……私は自分に与えられた役目を全うするため、再びそなた達と敵対することになるぞ』
 ハッキリと断言する少女。シェドはそんな少女の目を見つめながら、
「……アリアは、人を殺すことを嫌い、人が死ぬのを恐れる。だから、俺はアリアを狙う組織の連中とやり合う時も、決して殺したりしなかった」
 言い諭すようにそう言った。これで少女がアリアを狙うことをやめてくれればいいと欲を言えば思っていたが、それを抜いても、敵だとは思えない少女にシェドが見てきたアリアを知ってもらいたかった。
「俺は今までに三体のドラゴンを殺した。だが、もしそのドラゴン達がお前のように人間の感情を持っていると知っていたら、きっと殺さなかっただろう」
『何故だ。……殺さなければ、そなた達が殺されるのだぞ?』
「……お前は俺を殺そうとしなかった。だから俺もお前を殺さない。それだけのことだ」
 シェドは再び壁画へ視線を向ける。少女も一度だけ後方を振り返って壁画を見つめ、すぐに前を向き直してシェドを見つめた。
「昨日、お前は殺そうと思えば俺やセシリーを殺すことができたはずだ。だが周囲を氷壁で固めたり、回りくどい方法をとっていた。……アリア以外の人間を殺さないために」
『……私は……、人間を守る存在だ』
「天使が絡む時は特例がどうこう言ってただろ?」
『…………』
 シェドの言葉に少女は二の句が継げない様子だった。やはり、この少女は敵じゃない。シェドは心からそう思った。
 シェドは踵を返し、少女に背を向けてゆっくりと歩き出す。
「お前はお前の意志で俺たちを殺さなかった。だから、俺も俺の意志でお前の傷を癒した。ま、そういう事だ」
『…………』
「出来ればもう襲ってくるなよ。お前と張り合うのは正直骨が折れる」
 少女に背中を向けたまま、左手を頭上でヒラヒラと振りながらシェドは去っていく。言いたいことは言った。後はあの少女次第だろう。
 そう思いながらシェドが歩を刻んでいると、
『待て』
 少女が、どこか困惑した音を乗せてシェドを呼び止めた。シェドは足を止め、上半身だけ振り返る。
「何だ? まだ何かあるのか?」
『そなたに……、話しておきたいことがある』
 振り返ったシェドに少女が凛とした顔つきで口を開き、静かな神殿内に少女の透き通った声だけ静かに響いた。


 太陽が西に少し傾きかけた昼過ぎ。アリアとセシリーは、昼食を取るために目に付いたレストランへ足を運んでいた。
「ふぅ。……もう足が限界。昨日は遺跡散策で歩き回って、今日もかれこれ四時間は歩きづめよ」
「……私も少し疲れた。でも、まだちょっと残ってる」
「そうね。後は街の北東だけだし、ここでゆっくり休憩してから行きましょう」
「うん」
 二人は各々違った料理を注文し、セシリーはあくまで優雅に、アリアは小刻みにテンポ良くそれぞれのスタイルで食事を終え、食後のデザートを注文した。
「アリアは朝も苺のヨーグルト食べてたわね。……苺が好きなの?」
 セシリーは今朝もアリアが苺入りのヨーグルトを頼んでいたことを思い出し、苺のタルトを注文したアリアの顔を見ながらふと尋ねてみた。アリアは首肯で応じ、両手で大事そうに抱えながら口元へとタルトを運んだ。
 年相応に可愛らしいアリアの仕草にセシリーの頬は自然と緩む。しかしアリアは苺ジャムを包む生地の部分をポロポロとテーブルにこぼしながら食べるため、いつしかセシリーの笑みは苦笑に変わった。そしてそっと空になった自分の皿をアリアの顔の下へ移動させ、すでにテーブルにおちたパイ生地を皿の中へ集めた。
 そう言えばと、セシリーはアリアの髪に留まる綺麗な薔薇の髪飾りを見つめた。シェドが一昨日この街の人からアリアのお古と交換条件で貰ったという髪飾りが、アリアの綺麗な桃色の髪に留まっている。
「その髪飾り、似合ってるじゃない」
「……そう?」
「ええ。とっても可愛いわ」
「昨日は朝早くて付けるの忘れてたけど、今日はちゃんと付けられた」
 アリアは頬を紅潮させながらそっと髪飾りに左手を添えた。
「むしろ、昨日は付けられなくてよかったわよね。もし付けたままドラゴンと戦ったりしてたら、折角の綺麗な髪飾りに傷がついてしまっていたかもしれないでしょう?」
「……うん」
 しばらくアリアは髪飾りの位置を気にして落ち尽きなく手を動かし続けていた。そういう女の子らしい仕草を覚えていくアリアを見守っていくことは、まるで我が子の成長を見ているようで嬉しい。けれどそんな喜びを感じている自分にセシリーは、自分も年を取ったものね、と内心複雑だった。
 その時、窓の外で雪道を駆けていく男の姿がセシリーの視界に飛び込んできた。
「あら?」
「どうしたの?」
 セシリーの言葉にアリアが髪飾りから手を離して不思議そうにセシリーを見つめた。
「……外。何かあったのかしら……」
「え……?」
 セシリーが窓の外を指さすと、アリアが首を九十度横に向けて硝子越しにスノーレンの真っ白な街並みを覗った。
 スノーレンの街の人達がこぞって何処かに向かうよう道を駆け抜けていく。かなり鬼気迫るような顔つきであるため、セシリーは嫌な予感を覚えた。
 突然、レストランのドアが乱暴に開いて肩で息をつきながら男が中に踏み行ってきた。この寒いスノーレンの街で薄着をしているにもかかわらず、額には汗がにじんでいる。
「大変だ!」
「どうしたんだよ、一体何があったんだ?」
 店の中にいた別の男が駆け込んだ男のもとに駆け寄り、その肩に手を置きながら訳を問うと、男は息を切らしながら、
「また街の人間がジェムを使った所を軍のヤツに目撃されたらしい! それで今、広場の所で取り押さえられたって!」
「ま、またか! くそ、今月に入って何人目だよ!」
「しかも捕まったのはまだ十歳くらいの女の子らしい」
 その言葉を聞いた瞬間、アリアが残り二口くらいだったタルトをテーブルにこぼし、その表情が不安と焦りに染まった。セシリーはそんなアリアを困惑しながら見つめる。まるで捕まったという少女に心当たりがあるような顔つきだった。
「アリア?」
「……私、行く」
「え? あ、ちょっと!」
 ガタンと椅子を倒しながら立ち上がり、アリアが目にも止まらぬ早さでレストランを飛び出していった。反応の遅れたセシリーも、カウンターに伝票と少し多めの代金を叩きつけて店を後にする。
 店を出てアリアの姿を探すと、アリアは人の合間を縫って突き進み、一直線に広場の方角を目指して走っていた。走るスピードでファーの付いたコートのフードが外れ、桃色のショートヘアがサラサラと靡いている。セシリーは他の街の人に囲まれながら、何とかアリアに追いつこうと必死にもがいた。
「……いやっ! いやああっ!」
 セシリーの耳に絹を裂くような少女の悲鳴が木霊する。その声の後、アリアが一層走る速度を上げ、姿勢を落として大人達の足下を駆け抜けていく。もうセシリーの位置からではアリアの背中が見えなくなった。
「ほら立てっ! 貴様がジェムを使うところはちゃんと見たんだよ!」
「やだっ! お母さんっ! お母さーんっ!」
「騒ぐなっ!」
「ああっ!」
 泣き叫ぶ少女の声と男の罵声。セシリーが何とか人混みをかき分けて広場が一望できる場所へたどり着くと、頬を赤く張らし、口元から赤い血を流しながら幼い少女が広場にしゃがみこんでいた。その手前には銃床に血がついた猟銃を握る軍服の男の姿がある。
「ウエンディッ!」
 アリアの叫び声がセシリーの鼓膜を揺らした瞬間、広場を取り囲む大人達をかき分けてアリアが野次馬の前に飛び出した。セシリーもどうにか飛び出そうとしたが、アリアと違って大の大人であるセシリーの体ではなかなか身動きがとれない。
 必死で抵抗を続ける少女は、一昨日アリアが宿に連れてきていた少女だった。そんなウエンディの左手首を軍人の男が掴み、ウエンディは口から血の流しながら涙目でアリアを見つめ返した。
「ア、アリアちゃーんッ!」
「あーん、なんだ貴様。貴様もジェムが使えるとでも言うのか?」
 突然現れたアリアに軍人の男が睨みをきかす。
「……私は、……使えない」
「けーっ。じゃあ用はねえ。とっとと帰りな」
「……イヤ。ウエンディを離して」
 アリアはキッと男を睨み、ゆっくりと二歩前へ出た。まずいと思い、セシリーは止まっていた体を動かして何とか前に進もうとする。
「何? おいガキ、貴様今、何て言った?」
「ウエンディを離して。無理矢理連れて行くのは、絶対駄目」
 淡々とした口調で語るアリア。周囲を取り囲む街の人たちもざわざわと騒がしくなる。
「おいおい、一体どうした?」
 街の人間達を押しのけ、軍服に身を包まれた男達が続々と広場に集まってくる。街の人たちが小声で、「逃げろ」とか、「殺されるぞ」とか注意を促すが、アリアは全く聞く耳を持つ様子はなく、ジッとウエンディを掴む男を睨み続けている。
 セシリーは焦りを前面に押し出してとにかく前へ前へ人をかき分けていく。だが唖然と佇む大人達をどけていくのはかなりの労力が必要な上、まだ昨日の傷が完治していないためかうまく力が入らない。
「ほー、度胸のあるお嬢ちゃんだ。悪く思わないでくれよ、お友達はジェムが使える特別な存在なんだ。……おい、さっさと連れて行け!」
 現れた男が檄を飛ばすと、ウエンディを掴んでいる男が敬礼し、強引にウエンディの体を引きずり始めた。
「いや、いやっ!」
 必死で抵抗するウエンディだが男は容赦なくウエンディの体を引きずっていく。セシリーの視線の先、アリアがスッとコートの内に両手を収め、静かに銃を引き出した。
「無理矢理お母さんやお父さんと離ればなれにするのは、絶対に駄目っ!」
 アリアがハンドガンのセーフティを素早く外し、ウエンディを連れて行こうとする男に銃口を向けて迷わず引き金を引いた。
「ぐああっ!」
 パンという乾いた銃声に続いて男の悲鳴が周囲に響く。ショックで掴んでいたウエンディの腕を放し、男はうずくまって悲鳴を上げ続ける。やってしまったかとセシリーは歯がみする。
「ウエンディッ! 逃げてっ!」
 アリアが声を張り上げる。ウエンディは何が起こったのか理解できていない様子で、腕から血を流す男を見つめてガクガクと肩を震わせていた。
「な、このガキ!」
「殺せっ!」
 他の軍人達がライフルを身構え、銃口をアリアに向ける。アリアは男達の銃がアリアを捉えた瞬間に大地を蹴り、凄まじいスピードで男達の懐に潜り込んだ。
「……な、なにっ!? ――うごぉっ!」
 大の大人に子供の短い足で強烈な蹴りを打ち込み、更に太ももを狙って銃弾を撃ち込む。圧倒的なスピードの違いを武器に、アリアは次々と軍人を雪の上に寝そべらせていった。
 普段からアリアの戦いは見慣れていたが、そのセシリーですら我を忘れてしまうほどアリアの力は圧倒的だった。普段は人を傷つけることを恐れて自然とセーブしている心の拘束具が外れかかっているようにセシリーには見えた。
「くそぉ、このガキがぁっ!」
「……無駄」
 男ががむしゃらにライフルの引き金を引く。アリアは迫り来る銃弾をハンドガンの銃身で弾き、一瞬にして男の背後に回り込むと男が振り返るよりも早く銃の引き金を引き、男の左腕から鮮血が宙に舞った。
 時間にして一瞬。セシリーが思わず足を止めてからほんの数回閃光が迸った間に、スノーレンの街の人たちが見つめる先で十人近い軍人達が呻き声をもらしながら雪原に倒れ込んだ。その中心でアリアは両手に銃を持ったまま静かに佇んでいた。
「アリア……」
 セシリーはその場で小さく呟く。アリアがしでかしてしまったこと、そして何より、ウエンディを守ろうと力を振るったアリアにセシリーは切なくも悲しい思いを覚える。
 アリアがハンドガンをしまい、ゆっくりとウエンディのもとに歩み寄った。
「大丈夫?」
「え……。あ……」
 アリアの人並み外れた戦闘力を目の当たりにしたせいか、ウエンディは声が出ない。アリアがそっとウエンディの頬に手を添え、悲しみに表情を曇らせた。
 その時、アリアの後方で呻いていた軍人の一人が苦痛に表情を歪めながら猟銃に手を伸ばしていた。セシリーはハッと我に返り、飛び上がって男の脳天に蹴りをたたき込む。
「……ぐええっ!」
 男の奇声にアリアがセシリーの方を振り返った。セシリーは男の背中を滑り止めの針がついたブーツで踏みつけながら、ゆっくりとアリアに歩み寄る。
「アリア、油断しちゃ駄目よ」
「……ごめんなさい」
「あーあ。しかし、派手にやったわね。……これは大事になるでしょうに」
 セシリーは真剣な顔でアリアを見つめる。アリアが申し訳なさそうな顔でそんなセシリーを見つめ返した。
「でも……、ウエンディが連れて行かれるのイヤだった」
「そうね。でも、何で今までこの街の人が、同じ街の人が連れて行かれる様を黙って見ていたと思う?」
「…………」
「最悪の場合、トルメキア本国から軍が出張ってくるかもしれないわ」
「…………」
 容赦なくセシリーは正論を言って聞かせた。アリアの気持ちもわかるし、もしセシリーがアリアの立場にあったら自分を制止させられたか自信はない。けれど大人として、アリアの母親代わりとして、ここはちゃんと言っておかなければならないと思った。
 アリアが足下を見つめて唇を噛みしめ、ギュッとコートの裾を握った。そんなアリアの表情を見たウエンディが、
「ア、アリアちゃんは悪くない! あ、あたしがジェムを使うところを見られたから……。アリアちゃんはあたしを助けてくれたんだよ!」
 泣きながら声を張り上げる。セシリーは努めて冷たい目でしばらく二人を見つめた後、申し訳なさそうに顔を曇らせるアリアにフッと普段の微笑みを見せた。本当はもっと厳しく注意するつもりだったが、困ったアリアの顔を見てはその気も削げてしまう。
「……まあ、私がアリアの立場でも、同じように何振り構わず暴れたでしょうね」
 気がついたらセシリーはアリアのフォローをしていた。母親代わり失格ね、と思いながらセシリーは肩をすくめる。
「セシリー……」
「さて、どうしたものかしら?」
 セシリーが振り返って街の人たちの顔色を窺うと、皆、驚いた様子でアリア達を見つめており、中には「何て事をしてくれたんだ」と嘆く老人の姿もあった。
 駆けつけた新たな軍人達がセシリー達を視界に捉えたが、セシリーが鋭く瞳を研ぎ澄ませると、何も言わずに仲間を連れて駐屯地へと撤退していった。
「ウエンディッ!」
「あっ! お母さんっ!」
 軍の人間が去っていった後、人混みを押し分けてウエンディの母親が三人のもとへ駆け寄った。そして目の縁に涙を浮かべたまま強くウエンディを抱きしめ、ウエンディも母親の胸でわんわん泣きながら涙を雪の上に零していた。
「よかった……」
 母娘の様子を見てそっとアリアがつぶやく。セシリーも後方で小さく息を吐いて頬を緩めた。
「お、おいっ! 何て事をしてくれたんだ! 奴らが本国に通報すれば、この街は一体どうなることか!」
「そうだ! このままじゃ、この街はお仕舞いだ!」
 軍の連中が去り、騒がしくなった街の人間の一人が非難の声を吐くと、他の人間も次々とそれに便乗してアリアとセシリーに非難の声を浴びせた。
 わかっていたこと。だからセシリーはアリアを止めようとしたのだが結局はこうなってしまった。
 自分に対して憎しみの目を向ける街人達の表情を見てアリアが悲しみに顔を歪ませる。ウエンディと母親が必死に街人に訴えるが、「お前達も同罪だ!」と逆にあしらわれてしまった。
 セシリーはそっとアリアに歩み寄り、その耳元に口を近づけ、
「私が悪者になるから、アリアはあまり気にしちゃ駄目よ」
 と、小さく囁いた。本当ならこうなる前に止めるべきだったが、起こしてしまったことはどうしようもない。後始末もセシリーの仕事だ。
 セシリーはクルッと体を百八十度回転させ、アリア達の手前にドンと仁王立ちした。
「ハッ! この街がどうなるって? そんなこと、知ったこっちゃないわね! そもそも我が身可愛さのために同じ街の人を見捨てるような人間が集まった街なんか、どのみちそう長くはないわ!」
「……な、なんだと! このアマァッ!」
「やる気? 別に私は構わないわよ。これでも、この街にいる軍の連中なんかよりは断然強いって自信はあるわ」
「ぐ、ぬぅ……」
「あらあら、どうしたの? 自分より強い相手には戦う前から戦意喪失かしら?」
 セシリーは手を腰の両脇に当てながら優雅に微笑む。悪役を演じているとふと昔の自分が脳裏をよぎるが、それでも今はアリアに向いた敵意を自分に向けるため仕方ない。
 罵声を発していた男は押し黙り、歯を食いしばったままセシリーを睨んでいた。
「はんっ! そんなんじゃ誰も守れないわ! 自分じゃなくてよかったと言って、じゃあもし自分だったらどうするの? 他人は見捨てて、自分は見捨てないで欲しいなんてことが許されると思ってるの?」
「そんなことはしない! もし俺がジェムを使えたとして、それが軍の連中に見つかったのなら、俺は自分以外の街の人間に危険が及ばないよう大人しく奴らに捕まるさ!」
 男が真剣な眼差しでセシリーを睨む。その真摯な瞳にセシリーは少し表情を曇らせた。
 そう、アリアの行為はこんな思いをしている人にとっても、その思いを引き裂くような結果を生んでしまったのだ。
「……あなたは強い人ね。でも、もし捕まったのがあなたではなく、あなたの愛する人だとしたら、あなたは街の人を守るためにその人を見捨てられるの?」
「…………そう、するしかないだろ」
 セシリーから視線を逸らし、道端の雪だるまを見つめながら男はつぶやいた。
「軍に拘束された者を見捨てれば、その者だけで済む。けれど、刃向かえば街の人間すべてが危険に晒される。難しい選択ね」
「…………」
 街の行く末を左右しかねない問題。本当の答えなどきっとない。セシリーから見れば、アリアの行為も、男の言い分も、どちらも正しく思えるのだから。
「ごめんなさい。あの子はまだ、あなたほど強い心を持っていないの。純粋で、実直で、自分の大切な人が連れて行かれる様を、黙って見ていることができなかったのよ」
 セシリーの言葉に、男がやるせない表情でアリアと、その隣の母娘を見つめ、瞳を閉じながら俯いた。無言のままグッと拳を握りしめる男にセシリーは再度小さな声で、「ごめんなさい」とつぶやいた。


 少女に呼び止められ、シェドは背を向けていた体を少女へ向き直し、ゆっくりとその側まで歩み寄った。再び少女の顔がカンテラの灯でぼんやりと暗闇から浮かび上がり、その口から漏れる白い息も確認することができる。
「……で、何の話だ?」
『先ほどの話の続きだ。……適合した者を殺さずに、その身から聖石を取り除く術』
「――っ!? 何か知っているのか?」
『言ったとおり、私は何も知らない。それは術があるのか、ないのかということすら知らないという意味だ』
 淡々と話す少女にシェドは黙って耳を傾ける。
『現在、この世界に存在する多くのドラゴンは人格を持たない亜種だ。神がヒトを守るために創造した私のような存在ではなく、“黒い影”の影響で生じた擬似体のようなもの』
「……じゃあ、ドラゴンと一括りに言っても、全く別物の場合もあるのか」
『そうだ。そして神が創った純粋なドラゴンの中で最も古く、最も力のあるドラゴン、それが竜王だ。ラグナロクを生き抜き、今もなお生き続ける存在』
 少女の言葉を聞きながら、シェドは聞き慣れない単語に眉根を寄せた。
「前にも言っていたが、ラグナロクってのは何だ。“神狩り”のことか?」
『わからない。ただラグナロクと呼ばれる事象があったということくらいしか、私は認知していない』
 シェドは肩を竦め、「知らないことだらけだな」と多少皮肉っぽく呟いた。自覚があるのか、ドラゴンの少女は申し訳なさそうに表情を少し曇らせる。悪いことした気分を覚えてシェドは目を細める。
『私は何も知らない。だが、竜王はすべてを知っている』
「要するに、聖石の取り除き方を知りたきゃその竜王ってのに会えって言いたいのか?」
『そうだ』
「一応聞いておくが、その竜王とやらの居場所は?」
『認知していない』
「……だと思ったぜ」
 肩を竦めて大きく息を吐くシェドを少女が一層申し訳なさそうに見つめた。その表情がまるで困ったときのアリアのようで、シェドは無意識のうちに少女の頭に自分の手を乗せて、「お前が悪いわけじゃないだろ」と言いながら少女の髪をぐしゃぐしゃっと撫でた。
 シェドは今度こそその場を去るべく少女に背を向けた。「じゃあな」と少女に声を掛けて、シェドは振り返らずに歩を刻む。だが数歩歩いた時、
『待て』
 再度少女がシェドを呼び止めた。シェドが振り返ると、今度は自らがシェドに歩み寄ってきて、身長差のあるシェドを見上げるように少女が見つめた。
『もしそなた達が竜王を探し、会いに行くと言うのであれば、私をそなた達と共に連れて行ってもらえないだろうか』
「は? ……おいおい、お前はアリアを殺すのが目的なんだろ? そんなヤツと一緒に旅をしろって言うのか?」
『私は今まで自分の意志など考えたこともなかった。私が創られた理由にのみ忠実に存在してきた。だが私は私の意志を自覚し、それ故にもっと色々なことを知りたいと思った』
 琥珀色の真摯な瞳でこちらを見つめる少女は、目の前で困っている人を見つけたときに「助けたい」とシェドに言うアリアの顔つきに似ていた。
「……つまり、竜王とかいうヤツに会って色々聞き出したわけか。しかし、知りたいって言っても具体的に何を知りたいんだ?」
『私が何故、天使を殺さなければならないのか。私の創られた理由を、私は知りたい。だから、私が私の意志で天使を殺すことが正しいと認知するまで、私は天使に手を出さないと約束する』
「……ほう、天使を殺さなければならない理由を知り、それを正しいと認めるまでは決してアリアに手を出さないと言うんだな?」
『そうだ』
 挑むように睨みながら尋ねたシェドの問いに少女はハッキリと意思表示をした。シェドはしばらく腕組みをしてどうしようか逡巡し、少女はそんなシェドの背中を無言のまま見つめていた。
 リスクは大きい。それは一度戦っているから十分承知している。だが目の前の少女がたとえ天使を殺そうとするドラゴンであろうと、敵ではないと認識しているシェドは少女のアリアに手を出さないという言葉を信じてもいいと思った。
「いいだろう。その言葉を信じる」
『感謝する』
「ただし、いくつか条件がある」
『……?』
「まず、喋る時は笑顔で話せ」
 シェドがそう注文すると少女は困惑したように瞬きを繰り返し、必死に笑顔を取り繕うとしたのか、頬の筋肉をヒクヒクと動かしながら、
『こ、これでいいだろうか?』
 と、シェドに尋ねた。しかし笑っていると言うよりむしろ怒っているように映る少女の表情にシェドは大きく息を吐いた。やはり目の前の少女はどこか出会ったばかりの頃のアリアに似ている。
「もう少しどうにかならないのか?」
『……申し訳ない。今はこれが精一杯だ』
「そうか、なら仕方ない。あと、その妙に大人びた喋り方もどうにかできないか? もっと女の子らしい、可愛げのある喋り方というか……」
 アリアも無愛想な喋り方だが、目の前の少女は度を増して話し方が堅い。それが外見との大きなギャップを生んでいるとシェドは感じていた。
『可愛い喋り方……? 具体的にどのようにすればいいのだ?』
「……俺に例を示せというのか?」
 コクンと頷く少女を前にシェドはガックリとうなだれて、「やっぱりいい」と少女の喋り方に対する注文を取り下げた。少し想像してみたが、シェドが少女言葉を遣う様は滑稽を通り越して犯罪レベルだ。
「最後に、何て言うか……、その妙に響く声をどうにかできないのか? まるで頭の中に直接響いてるみたいで気になるんだが」
『ああ。それは私が話した言葉が聞き手の用いる言語に自然翻訳され、それが直接相手の頭に届くようになっているからだろう。不快か?』
「不快というか、気になって仕方ない」
『…………』
 少女は一度瞳を閉じ、何かをぼそりとつぶやいてスッと閉じていた瞳を開いた。
「これでいいだろうか」
「お、普通になったな」
 先ほどまで変わり、今は少女の口の動きに合わせてちゃんと口から声が出てることを確認できた。
「そなたの扱う言語を標準とした。ただし、他の言語を使う者には私の言葉が理解できなくなる」
「問題ないだろ。……さて、じゃあスノーレンに戻るとするか」
 シェドが歩き出すと少女はつかず離れずその後を追いかけてくる。背丈も歩幅もアリアと同じくらい。だから歩くペースもアリアと同じくらいだったため、アリアに合わせるつもりで歩けば問題ないだろう。
 二人が神殿から出ると空はどんよりと重い雲がひしめいており、今にも雪が降り出しそうだった。降ってないだけマシだが、やはり気温が低くて寒く、シェドはぶるっと体を震わせてから雪原を歩き始める。
 ふと少女を見つめると、白いワンピース一枚という薄着にもかかわらず、まったく寒さを感じている気配はなかった。
 トルメキアの軍人に見つからないよう多少遠回り気味に遺跡の入り口を目指し、無言のまま二人はシェドが乗ってきた馬が止めてある場所までやってきた。
 その時、そう言えばとシェドは思い出し、クルッと後方の少女に体を向けて、
「そう言えば、お前の名前聞いてなかったな」
 と、尋ねた。尋ねられた少女はしばし無表情のままシェドを見つめ返し、小さく、
「名前はない」
 そう答えた。
「……ない?」
「名前を呼ばれる事も、名前を名乗る事もなかったから、必要性を感じなかった」
「そうか……」
 シェドは目を細めながら、馬にまたがって少女に手を伸ばした。少女が自分の手を握り返すと、「よっ」と少女の体を引き上げ、自身の前に座らせて手綱を引いた。
 馬が雪の上に蹄の跡を残しながら真っ白に染まった道を進む。その途中、シェドは唸りながら眉を顰め、少女は自ら何かを口にしようとせず、会話のないまま馬は静かに進み続けた。
「よし! 決まった」
 突然シェドはそう言って自分の胸元にある少女の頭を上からのぞき込み、
「お前の名前はシールにしよう。シールディア=エガンフィス」
 と明朗な表情で、上を向いた少女に言った。先ほどからずっと悩んでいた少女の名前。アリアの時は元ネタがあったからよかったが今回は苦労した。
「シールディア?」
「ああ。やっぱり名前がないと色々不便だし、ドラゴンとはいえ見た目は普通の女の子なんだから、やっぱ可愛い名前がいいだろ」
「可愛いというのは理解できないが、確かに集団行動において個体を識別するための名称はあった方がいいと感じる」
「……その話し方と表情さえなんとかなれば、顔立ちは可愛いいし文句はないんだが」
 相変わらず無理に笑おうとして逆に怒ったような表情を浮かべるシールディアに、シェドはやれやれと首を振る。
 少女にシールディアと名前を付けた後、今度は、
「さて、アリアとセシリーに何と説明するかな……」
 次の問題に頭を悩ませ、シェドは再び唸り声を漏らしながら眉を顰めた。


 ウエンディと母親を家まで送った後、アリアとセシリーは無言のままスノーレンの北東部を歩き回っていた。
 アリアはポケットに両手を突っ込み、右手には魔練器の時計を握りしめていた。時折取り出して時間と、何か反応がないかを目で確かめ、小さく白い息を吐いてまたポケットへ収めるというサイクルを繰り返していた。
「はあ……」
「さっきからため息ばかりついてるわよ。今ので十六回目」
「…………」
 数えていたのと言う目でアリアが見つめると、セシリーは何処か悲しみを落としたような笑顔でアリアを見つめていた。セシリーの表情が意図するところを、アリアはすぐに気づいた。
「……これから、ウエンディ達はどうなるの?」
「そうね。残酷な言い方かもしれないけど、今のままではいずれ必ずあの子は軍に連れて行かれるわ」
「そんな……」
 過去にアリアがそうであったように、ウエンディも両親から無理矢理引き離されてしまうのだろうか。自分が味わってきた寂しさ、孤独、辛さを、ウエンディには経験して欲しくはない。
「そんなの……ダメ。絶対に、ダメ……」
「それを免れるにはもう、早々に街を立ち去るしかないわね」
 どんよりと曇ったスノーレン上空を見つめながら、セシリーがトレンチコートの襟を整える。アリアはセシリーの横顔を一瞥して視線を雪に落とし、何度も息を吐き続けた。
「……私達はすぐこの街を出て行く人間だから、あまり深入りするのはよくないわ」
「わかってる。でも……」
 それ以上言葉の続かないアリアの手をそっとセシリーが掴んでくれる。アリアはギュッとその手を握りかえし、悲しみに暮れた表情のまま静かにスノーレンを歩き続けた。
 どうしようもないのだろうか。そんなにも自分はちっぽけで弱い存在なのだろうか。そんな思いがアリアの中で渦巻き、アリアは唇をキュッと噛みしめて歩を刻む。
 無言の時が流れ、二人は街の北東部での捜索を終えた。結局、一度も魔練器時計が反応することはなく、「この街にもいなかった」とアリアは小さく呟いた。
「宿へ戻りましょうか」
「……うん。……っ!?」
 二人が帰路に着こうとした時、ふいに二人の前に若い男が脇道より姿を現した。
 どう見てもスノーレンの街人には似つかわしくない風貌。サラサラとした金髪に燃えるような赤い瞳をして、服は雪のように白いローブ。アリアとセシリーが警戒しながら男の顔をのぞき込むと、男は他の誰でもなくアリアへ鋭い視線を送っていた。
「……体も冷え切ってるし、帰ったら一緒にお風呂入りましょうね」
 男をしばし睨んだ後、セシリーがアリアに笑顔を向けながら、男を無視するかのようにアリアの手を強く引いてその脇を通り過ぎようとした。だがその時、
「……あなたが、“無垢なる獅子”ですね」
 男が目を側めながら言った。アリアはビクッと肩を震わせ、曇り気味の表情から、体温を感じさせない無機質な表情へ顔色を変えながら男をキッと上目遣いに睨んだ。
「あなた……、誰?」
「僕はシルヴァランス=グレイン。……やはり、あなたがそうなのですね」
 シルヴァランスと名乗った男は一度瞳を閉じて、「こんな幼い子だったなんて」と小さくつぶやいた。
「組織の人間? ……どうして私達の場所がわかったのかしら?」
「僕はニーヴルの人間ではありません。……あなたは、昨日ガンブレイブさんと一緒にいた人ですね?」
「あら、てっきり組織の追っ手かと思ったけれど、そうではないみたいね」
 セシリーがアリアの手を引いてシルヴァランスと一定の距離をとった。シルヴァランスは体全体をアリア達に向け、腰に携えた剣の鍔を右手で握った。
 組織の追っ手ではない。けれど明らかにシルヴァランスからは敵意が感じられた。アリアは警戒を強め、ますます目を細めた。
「追っ手ではない。……けれど、私達と敵対する者というわけね?」
「はい。僕の標的はあくまで“無垢なる獅子”だけです。邪魔だてしないのであれば、あなたを巻き込んだりはしません」
 シルヴァランスの申し出に対し、セシリーは首を左右に振って断った。
「どういう理由でアリアを狙うのかわからないけど、この子に手を出そうと言うなら私が黙っていないわ」
「そうですか……。ならば仕方ありません。女性に剣を向けるのは気が引けますが、僕も退くわけにはいきませんから」
 シルヴァランスが鞘から剣を抜いた。それを見たセシリーが身構えたので、とっさにアリアは止めに入る。
「……セシリー、ここで戦うと街の人が危険」
「そうね。……あなた、悪いけど場所を変えさせてもらうわ。無関係の人を巻き込みたくないから」
 アリアの言葉を受けてセシリーがそう提案すると、シルヴァランスは目を細め、何故か歯を食いしばった。そして「わかりました」と心苦しそうにつぶやく。
 その表情の意図する意味がわからず、思わずアリアは首を傾げた。だが理由を問う暇もなく、三人は東門からスノーレンを離れ、拓けた雪原に間合いを開けて対峙した。
「……私が戦うわ。アリアは手を出さないで」
 アリアが戦闘態勢を整えるためにスカートから拳銃を取り出すと、それを制してセシリーがコートを脱ぎ、両手の手袋を外した。毛糸の帽子を取ると紐で結ばれた長くて艶やかな蒼い髪がはさりと流れ、セシリーが黄色いジェムを右の腕輪に埋めこんだ。
「気を付けて」
「大丈夫よ。心配しないで」
 身構えて戦闘態勢を整えるセシリーに対し、シルヴァランスはジッとアリアを見つめたまま微動だにしない。まるで躊躇しているかのように、剣の鍔を握ったまま刀身を抜き出そうとしない。
「……来ないの? なら、こちらから仕掛けるわよ!」
「――っ!?」
 セシリーが飛び出し、半身になりながら勢いよく踵を振り下ろす。シルヴァランスはとっさに後方へ跳び、剣を抜いてすかさず反撃に出た。
「はああっ!」
 振り下ろされる剣をセシリーが左にかわすとシルヴァランスの剣が大地を裂き、積もっていた雪がバッと舞い上がった。
「喰らいなさいっ!」
 セシリーが右手をシルヴァランスにかざし、眩くジェムが輝いたのと同時に激しい雷光が迸った。雷撃は一直線にシルヴァランスへ突き進み、シルヴァランスは驚きに表情を染める。おそらくは相手がジェム使いだと想定していなかったのだろう。
「……サンダージェム!? あなた、ただ者ではないですね!」
「まーね。一応、元エインフェリアよ」
 セシリーがそう言いながらウインクする。迫る雷撃に対してシルヴァランスが剣を前面に押し出し、その刀身に埋め込まれた緑色の宝石が光った。どうやらシルヴァランスもジェム使いらしい。
「おおおっ!」
 目に見えるほど集った風の障壁がセシリーの雷撃を受け止め、雷撃はほどなく霧散していった。シルヴァランスは淡いグリーンに染まった剣を強く握りしめ、雪原を蹴ってセシリーに迫る。
「元エインフェリアだと言うのなら、手加減はしません!」
「させるつもりもないわよ!」
 シルヴァランスの剣とセシリーの雷撃が激突し、激しい衝撃が周囲に広がる。衝撃で雪原の雪が舞い、空間全体が真っ白に染まった。
 舞い散る雪の中でぶつかりあう二人をアリアは不安な気持ちで見つめていた。セシリーの実力を信用していないわけではないが、相手もジェムが使える上に、アリアやセシリー並みに身のこなしも早い。何より持っている武器の殺傷能力はセシリーの徒手空拳とは雲泥の差だった。
 手にも持っているセシリーのコートをギュッと握り、アリアはアリアを守るために戦っているセシリーの姿を瞳で必死に追いかけ続けた。


「くっ! やるわねっ!」
「あなたこそっ!」
 細身の剣を縦横無尽に振り回すシルヴァランスの攻撃をセシリーは軽やかなステップでかわし、セシリーの手より迸る雷撃をシルヴァランスは一閃にて霧散させる。
 一瞬の判断ミスが命取りとなるような緊迫した接近戦にもかかわらず、目の前のシルヴァランスは時折悲しげな表情でアリアを見つめていた。そんなシルヴァランスの奇妙な行動を不思議に感じつつもセシリーは攻撃の手を緩めない。
「……あなたはどうしてニーヴルを抜けたのですか?」
 ふと、シルヴァランスが剣をセシリーに突きつけながら尋ねた。セシリーは雷光を纏った腕でシルヴァランスの剣を受け止めながら、
「簡単な話よ。私は任務を負ってアリア達の元へ来た。そして負けた。おめおめと組織に戻ったところで用なしは処分されるだけ。だから一緒に居るのよ」
 と、静かに返す。
「あなたは、天使がどんな存在かわかって一緒にいるのですか?」
「……どんな……存在? あの、凄まじい力のことを言っているの?」
 シルヴァランスの質問にセシリーは首を傾げる。シルヴァランスは奥歯をギリッと噛みしめ、剣を横に振り払ってセシリーに間合いを取らせた。
「やはり、知らずに一緒に居るのですね」
「…………」
 セシリーはふと振り返ってアリアを見つめた。アリアはセシリーが脱ぎ捨てたコートをひっしと握り、不安に歪んだ表情でこちらを見つめているが、あの位置からでは二人の会話は届いていないだろう。
「天使は……この世界を滅ぼす存在です」
「――っ!?」
 シルヴァランスの言葉にセシリーはガバッと振り返る。毅然と、はっきり言ってのけたシルヴァランスの表情に嘘偽りの空気はなく、紅蓮の瞳がセシリーを捉えていた。
「僕は、僕たちは世界を覆う脅威から人々を救うために結成された組織の人間。……世界を滅ぼす存在である天使は、僕らが倒さねばならない存在です」
「……天使が、世界を、滅ぼす……ですって? な、何を馬鹿なことを!」
 いかにシルヴァランスが真面目な顔つきで話そうと、そればかりは信じられなかった。言い換えればアリアが世界を滅ぼす存在だと言っているようなもの。セシリーはそんなことを簡単に信じられるような人間ではない。
 動揺するセシリーにシルヴァランスは淡々と話を続ける。
「信じる信じないはあなたの自由です。ですが、僕は世界を救うため、必ずあの子を倒します!」
 そう言って再度剣を身構えるシルヴァランス。セシリーはシルヴァランスの言葉に衝撃を受け、動揺して構えをとることができなかった。そんなセシリー目掛けてシルヴァランスが大地を蹴って迫ってくる。
「はああっ!」
「きゃあああっ!?」
 反応が遅れたセシリーの身にシルヴァランスの剣が容赦なく襲いかかった。とっさに右手をかざして雷を繰り出すが、剣を防いだところで刀身を包む爆風がセシリーの体に衝突し、まるで鈍器で腹部を強打されたような衝撃を受けてセシリーの体は紙のように宙を舞って力なく雪原へ叩きつけられた。
「セシリーッ!」
 アリアの泣き声に近い悲鳴が轟く。セシリーは左手で脇腹を押さえながら何とか体を起こし、腕輪のジェムに光を灯す。
 アリアの声を聞いてセシリーは思い出した。何故、自分が今ここに居るのか。
「くうっ! わ、私は、あの子を守るって、決めたのよ!」
「何故ですか! 天使が世界を滅ぼす存在だというのは紛れもない真実なんですよ!」
「そんなの関係ないわ! あの子は誰よりも優しく、誰よりも純粋な子。幸せになることはあっても、あの子のせいで誰かが不幸になるなんてこと、絶対にないわ!」
 シルヴァランスが言っていることなど関係ない。大切なのはアリアがどんな人間であり、セシリーがどうしたいかだ。その答えならすでに出ている。今更シルヴァランスの言葉に惑わされる理由はない。
 セシリーは大地を蹴って宙に舞う。上空で右腕を振り上げ、ジェムに意識を注いで凄まじい雷撃をシルヴァランスに撃ち付けた。
 シルヴァランスが剣でその雷撃を防ぐが、その威力に押されて足が雪の上を滑っていった。セシリーはすかさず身を翻して雪原へ降り立ち、間髪入れず雪崩のように次々と雷光を投げつけた。
「たああああっ!」
 咆吼しながらがむしゃらに攻撃を続けるセシリー。シルヴァランスは防戦一方で反撃に転じず、無言のままセシリーの真剣な瞳を見つめて表情を曇らせていた。
 絶対に負けられない。その想いだけでセシリーは攻撃を繰り返していた。
「……すいません。それでも、僕は――」
「――っ!」
 シルヴァランスが一瞬の隙をついてセシリーの懐に潜り込む。熱くなって防御をおろそかにしていたセシリーが気づいた時には、シルヴァランスの剣がすでにセシリーの懐に当たっていった。
「あああっ!」
 セシリーの悲鳴と共に、木の棒で体を殴ったような鈍い打撃音が周囲に反響する。シルヴァランスは剣の刃ではなく腹でセシリーの腹部を強打し、さらにウインドジェムで空気の塊を叩き込んでいた。
 大地に積もった雪を舞い上げながらセシリーの体が雪原を滑る。全身を駆け抜ける痛みを堪えながら辛うじて瞳を開くと、セシリーの視界にとっさに駆け寄ってきたアリアの不安げな顔が映った。
「ア、アリア……。ごめん、なさい……。ゆ、油断したわ」
 苦痛に表情を歪めながらセシリーは申し訳ない気持ちで言う。守ろうと、絶対に守ると言ってる側からこの有様。自分が無力であまりにも惨めに思えたセシリーは、傷による痛みよりもアリアを守れなかった自分のふがいなさに心が痛んだ。
 アリアがそんなセシリーの手をギュッと握りかえして首を左右にブンブンと振った。
「傷は、大丈夫?」
「ええ……。ちょっと、あばらをやられたみたい、ね……」
「…………」
 必死に笑顔を取り繕うとするセシリーを見て、アリアが居たたまれない表情を浮かべる。シルヴァランスが攻撃を仕掛けず静かに見つめるのを見て、セシリーは小さく、
「に、逃げなさい。逃げて、シェドのところへ……」
 アリアにだけ聞こえるよう囁いた。しかしアリアはまるで考える素振りも見せずに首を左右に振った。
「駄目。セシリーを置いていけない」
「私は……、大丈夫だから……。逃げ、て……」
 アリアは再度首を振りながらセシリーに預かっていたコートを掛けて、さらに自分の着ている赤いコートをその上に乗せた。
「アリア……?」
 セシリーの脳裏を不安がよぎる。
「あの人の狙いは私……。だったら!」
 コートの下に着ていた白と黒の生地で出来たドレス。どこからともなく取り出した二丁の拳銃を両手に構え、アリアがセシリーの元を離れてシルヴァランスと向かい合った。
「だ、駄目よ……。逃げなさい、アリア……」
 セシリーの声はアリアに届かず、アリアは銃口をシルヴァランスに向けて身構えた。セシリーの不安は現実となり、アリアはセシリーの言葉を聞かずに戦闘態勢を整えた。
 こんな時に自分は何をやって居るんだろう。セシリーは痛みを堪えて体を起こそうとしたが、痛みに体が逆らえない。
「“心なき天使達”の一人、“無垢なる獅子”……」
 風に乗って、微かにシルヴァランスの声がセシリーの耳まで届いた。
「私は、私には心がある。それに、アリアっていう名前もある」
 セシリーの位置からではアリアの背中しか見えない。けれど耳に響いたアリアの声はとても凛としていた。
「これ以上セシリーを傷つけるのは許さない。狙いが私なら、もうセシリーに手を出さないで」
 アリアの言葉がセシリーの心に深く突き刺さる。守っているのはどっちか、守られているのはどっちなのか。ふがいなさが怒りに変わる。
 真っ直ぐ自分を見つめるアリアを見て、シルヴァランスが戸惑うように後ろ足を引いた。しかし歯を食いしばって再び前へ踏み出し、ウインドジェムの埋め込まれた細身の剣を強く握りしめた。
「僕もこれ以上その人に手を出すつもりはありません。僕の狙いは、あくまで君一人」
「……わかった」
「たああっ!」
 シルヴァランスが一直線にアリアへ迫った。アリアはハンドガンの引き金を引きながら雪原を駆け回り、間合いを一定以上詰めないようシルヴァランスへ銃弾を放っていた。
「アリア……、お願い……、逃げて……」
 セシリーは目の縁に涙を浮かべて小さく呟いた。


 ふと何かを感じ取ったように、シェドの胸元で今まで微動だにしなかったシールディアが顔を持ち上げた。シェドは手綱を握ったまま、「どうした?」と琥珀色の瞳を見つめる。
「……天使が、戦っている」
「何?」
「聖石の反応が高まっている。……そなたと共に居たあの少女が、何者かと戦っている」
 淡々とした口調で説明するシールディア。その言葉を聞いて、シェドの表情が焦りに染まった。
「な、何だとっ! ……く、組織の追っ手か? セシリーは何をしてるんだ!」
 思わず手綱を握る手に力が入るシェド。シールディアが無言でシェドを見つめ、その不安や苛立ちを感じ取ったのかそっと眉を顰めた。
「場所がどこかわかるか?」
 焦る気持ちを抑え、シェドは努めて冷静に尋ねる。
「……おそらく、この先にある街の東だろう」
「くそっ! よりによって正反対か!」
 ようやく遠目に見えてきたスノーレンの街並みを睨むように見つめ、シェドは歯を食いしばって強く手綱を引いた。


 シルヴァランスの剣を銃身で受け止め、アリアはすかさず反対の手に握る銃をシルヴァランスに突きつけてトリガを引いた。シルヴァランスが身を引いて銃弾をかわし、同時にウインドジェムを輝かせて突風を巻き起こし、アリアは片目を瞑って後方へ飛び退く。
 乾いた銃声と鋭い風斬り音、剣と銃身がぶつかる甲高い金属音が反響し、二人の足下から綿のような雪が宙へ舞い、えも言われ得ぬ幻想的な世界を演出していた。
 確かにシルヴァランスは強い。素早さでは自分に分があると踏んでいたアリアだが、シルヴァランスは長身にもかかわらずアリアに全く遅れをとらない。
「君は、何故ニーヴルを抜け出し、世界を転々としているんだ!」
 猛々しく細身の剣を振り回しながらシルヴァランスがアリアに問いただす。アリアは銃をクロスさせてシルヴァランスの剣を受け止め、それを弾いてバックステップで下がって間合いを開けた。
 シルヴァランスの真摯な眼差しを見つめ、アリアはそっと口を開いた。
「私は私の両親を捜している」
「……両親を?」
「そう。私は小さい頃に無理矢理組織へ連れてこられた。だから、お母さんの顔もお父さんの顔も覚えていない。だけど、私は……、両親に会いたい。普通の生活を送りたい」
 面食らったようにシルヴァランスの表情が困惑に包まれる。アリアにその理由はわからないが、隙だらけなのにもかかわらず何故か攻撃するのを躊躇った。
「何で……、君のような子が天使なんだ……」
 悔やむように独り言をつぶやき、シルヴァランスが瞳を閉じた。アリアは不可解なシルヴァランスの行動に眉を顰め、どうしていいのかわからなかった。
 相手は敵。なのにどうしてそんなに辛そうな表情を浮かべているのか。どうしてそんなにも申し訳なさそうな表情をしているのかわからない。
「でも、それでも僕は……っ!」
 しばらく佇んでいた後、カッと目を見開いたシルヴァランス。手に持った剣を再び淡いグリーンが包み、音を漏らしながら刀身に目に映るほどハッキリ空気の流れが現れる。
「はあああっ!」
「――っ!?」
 真っ正面から斬りつけるシルヴァランスの攻撃をかわし、アリアは銃弾をシルヴァランスの腕と脚目掛けて連射する。アリアは決して頭や心臓を狙わず、それを手加減しているとでも思ったのかシルヴァランスがさらに心苦しそうに表情を歪めていた。
 銃弾を斬り捨て、シルヴァランスの剣が空を斬る。刀身から放たれた真空の刃が目にも止まらぬ早さでアリアに迫り、アリアはとっさに両腕を顔の前でクロスさせた。
「きゃうっ!」
 袖口が裂けてアリアの細い腕から朱色の鮮血が宙に舞う。傷は深くないが、アリアの腕よりこぼれ落ちた血が白い雪原にポタポタと真っ赤な血痕を作った。
 アリアは悲痛な表情のままハンドガンを構え、間合いを取って引き金を引き続ける。しかしシルヴァランスは迫る銃弾をことごとく斬り捨て、真空の刃を次々と放って間合いを取るアリアへ容赦なく攻撃を仕掛けた。
 共に中距離攻撃ができるにも関わらず、物理的なアリアの銃弾はシルヴァランスの剣の前に歯が立たず、対するシルヴァランスの攻撃にアリアは回避以外の防御策がない。実体のない攻撃は銃身で弾くことはできない。
 ドレスのスカートや肩口、脇やカラーを次々と引き裂かれ、あちこちから染み出る血がアリアの白い肌を赤く染める。
「は……、はあ……」
「…………」
 アリアの方が劣勢なのは火を見るよりも明らかだった。それでも諦めず、アリアは銃を撃ち続けた。
 両親を捜すため、普通の少女として生きていくため、アリアは立ち止まらない。
「世界を救うため……。でも、僕がしていることは……。くそっ!」
 小さく何かを呟いたシルヴァランスが剣を構える。ウインドジェムが眩く輝き、刀身を包むように真空が渦巻く。そしてシルヴァランスは咆えながら剣を横に振り払った。
「はああああっ!」
 凄まじい衝撃が周囲に走り、雪原の雪を巻き込みながら見えない空気の刃が一直線にアリアへ迫る。肩で息をつき、片目だけ半分開いた状態のアリアは、迫る真空の刃に対して精一杯の力を振り絞って銃弾を撃ち続ける。だが弾は刃に引き裂かれて粉々に宙へ舞い散り、もはやアリアが出来ることは何もなかった。
「アリアァ―――ッ!」
 ふいにアリアの耳へ聞き覚えのある声が響いた。そして次の瞬間、目の前から迫っていた風の刃が突如現れた巨大な岩石に阻まれて八方へ散っていき、衝撃で岩石がバラバラと雪原へ砕け散る。
「……シェ……ド……?」
 アリアがハッと振り返ると、視線の先には馬にまたがったまま銃を構えるシェドの姿があった。それを見てホッとしたアリアの体から緊張と力が抜け落ち、かくんと足の力が抜けて雪原に倒れ込み、その血で雪を朱色に染めた。


 馬から飛び降り、相手に一目もくれずサッとアリアの元へ駆け寄ったシェドは、その小さな体を抱くように持ち上げて腕輪に埋め込まれたヒールジェムを眩く輝かせた。
 傷口から溢れ出す血が止まり、乱れていた呼吸が少しは落ち着いたのを確認してシェドはホッと胸をなで下ろした。そして直ぐさま殺気に満ちた凄まじい眼光を昨日ラーミアの遺跡で会った、シルヴァランスと名乗る金髪の男に向け、意識のないアリアを背負って立ち上がった。
「……シルヴァランスとか言ったな」
「はい、ガンブレイブさん。……いえ、“魔弾”のシェドと呼んだ方がよろしかったでしょうか」
 昨日名乗らなかった名と、かつて組織に在籍していた頃の二つ名を言い当てられたが、今はそんなこと気にもならなかった。
「何故アリアを狙った……などとは、聞くだけ無駄か?」
「ええ。昨日言ったはずです。天使は世界を滅ぼす存在。ですから、僕は世界を救うためにその子を殺します」
 シェドの言葉にシルヴァランスがどこか心苦しそうに答える。
「お前も、アリアが天使だという理由だけでアリアを殺そうとするのか。それがたとえ、こいつが望んでそうなったわけでないとしても」
「……はい。世界を……守るためです」
「世界を守る……か」
 シェドは唇を噛みしめ、口元より血が流れ出る。シルヴァランスがそんなシェドの表情を見て、さらに苦しそうに表情を歪めた。
「その子がいなければ世界の人すべてが救われるんです!」
 その言葉に思わずシェドが怒りを吐き出さずにはいられなかった。もの凄い形相で睨んだシェドにシルヴァランスが一歩後ろ足を引く。
「はっ! すべての人が救われるだと? そのすべてとやらにアリアは含まれていないのかよ? ……まだこんなに小さくて、両親と一緒に過ごす平穏な日々を望むこいつは、その救うべきすべての人に含まれないのかっ!」
「――っ!? あ、あなたはどうしてそこまでその少女を守ろうとするんですか! 調べた限り、あなたとその子は共にニーヴルを抜け出した事以外接点はないはずです!」
 それだけで十分だとシェドは言ってやりたかった。だがシェドがアリアを守ろうとするのはそれだけじゃない。そんなの、言葉に出来るほど単純なものではない。
「……こいつと一緒に居ればわかるさ。こいつがどんなに純粋で優しい奴なのか」
「それはわかってます。その子は決して頭や心臓を狙ったりしなかった。急所を避け、腕や足のみを撃とうとしていたので、至極読みやすかったです」
 シルヴァランスは自分の中にある気持ちに嘘をついているような心苦しさを表情に出し、シェドもそんなシルヴァランスの困惑を手に取るように感じ取れた。世界を守るなどと豪語しているだけあって、シルヴァランスという人間はニーヴルの追っ手のように根性のねじ曲がった連中ではなく、思考も実に読みやすい。
「どうしてもアリアを殺すというのか」
 自分の中のもやもやと葛藤している様子のシルヴァランスにシェドは再度尋ねる。答えはわかっている。だが確認せずにはいられなかった。
「……はい」
「わかった。なら、俺が相手になる。……ただし、戦いは明日の朝にしてくれないか?」
「どうして、ですか?」
「二人を何時までも寒空の下に居させるわけにはいかない」
 シェドは背中のアリアと向こうで雪原に横たわるセシリーに目配りした。
「……逃げないという保証がありません」
「それは信じてくれとしか言いようがない。明朝六時に俺一人でこの場所へやってくる。二人はスノーレンの南門近くにある宿屋に置いてくる」
「……僕があなたを倒した場合、その宿へいってその子を殺せ、と」
「そんなことはさせるつもりないがな」
 しばらく睨み合いが続いた後、シルヴァランスがおもむろに剣を鞘に収め、戦闘態勢を崩した。それを確認した後、シェドは倒れていたセシリーの元に歩み寄り、その身を起こした。
「……シェ……ド?」
「おう、何とか無事みたいだな」
 辛うじて意識のあるセシリーを馬に乗せ、シールディアにセシリーが馬から落ちないように支えるよう指示を出し、シェドはアリアを背負ってスノーレンへ引き上げていった。
 一度だけ振り返ったシェドの視界に、シルヴァランスが俯いて大地を静かに見つめる様子が映った。
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