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第五章 それぞれの意志

 トルメキア王国を北へ数十キロ進んだところにある魔練器製造会社の私有地。しかし大きな工場があるわけでもなく、あるのはポツンと佇む小汚い屋敷のみ。
 周囲を深い森に覆われた屋敷には幾重のも囲いがあり、銃や剣を構えた男達が何かを警戒するよう鋭い目で警備に当たっていた。
 屋敷の地下に広がる広大な空間。その一室で、長い黒髪に紫色の瞳をした妖艶な美女、レミネーラは煙草を吹かす中年の男を発見した。気怠げに白い煙をまき散らす白髪交じりの男、ミゲルは、レミネーラが部屋に入ってきたことに気づいてオリーブ色の瞳を細めると煙たそうに眉を顰めた。
「……あら、あからさまに厭な顔をしないでほしいものね」
「ふん。……で、何のようだ?」
 何か用でもなければ来てはいけないのかと言いたげに肩を竦め、レミネーラはゆっくりとミゲルの傍らに歩み寄る。
「先日、大陸北西部でドラゴンの反応があったわ」
「……ほう」
「あの辺りには部下を派遣してないからまだ調査してないけど、ドラゴンが戦う理由はただ一つだけ」
「天使か……」
 ミゲルが煙草の火を親指で消し、吸い殻を灰皿に落とした。レミネーラが優雅に頷くと、ミゲルは不敵な笑みを浮かべて拳を握りしめた。
「まあ、この場所から向かったとしても、相手はすぐに移動するから追いつけないでしょうけど」
「問題ない。……奴らが居たという事実さえあれば、俺が何とかする」
「そうね。“追跡”のミゲルと呼ばれるあなたなら、レオを追うことができるでしょう」
 レミネーラが腕を組んで微笑む。ミゲルは、
「今日中に調教されたワイバーンを一匹用意しろ。明朝に出る」
 強い口調でレミネーラに命令した。
「ええ。……それと、天使の一人とS級エインフェリアを二人、同伴させるわ」
「何だと?」
「万が一にレオが天使化した場合は、いくらあなたでもそれは止められないわ。天使を止められるのは天使だけ」
 淡々と語るレミネーラをミゲルは不満そうに見つめ返す。そんなミゲルの視線を流しつつ、
「天使の子の面倒やワイバーンの面倒を見るため、エインフェリアも同伴させる。いいわね?」
 レミネーラは軽やかに言った。
「……わかった。邪魔になるようなら途中で置いていくがな」
「ええ。あなたの命令には絶対従うよう言っておくから、手駒として適当に使って」
 レミネーラはそれだけ言うと、手を振りながら部屋を去っていった。ミゲルは待ちに待った時がようやく来たというように、喜びで体を震わせていた。
「シェド……。待っていろ、今度こそ必ず殺してやる……」

* * *

 陽の落ちたスノーレンの街。宿の一室で、シェドは静かに寝息を立てるアリアの頬をそっと撫でた。表面上の傷はヒールジェムで大方治したが、テーブルの上にあるボロボロのドレスが受けた攻撃のすさまじさを物語っている。服の修繕はまたそのうち、別の街に着いてからだ。
 部屋にはシェドとアリア、そしてシールディアの三人が居り、シールディアは椅子に腰を下ろして無言のままシェドとアリアを見つめていた。
「ふう、いい湯だったわ」
 部屋の扉が開いて、体中から湯気を昇らせながらセシリーが帰ってきた。バスローブの上に湯冷めしないようカーディガンを羽織り、しっとりとした髪を丁寧にタオルで抜きながらシェドの隣へ身を寄せる。長い間雪原に横たわっていたせいで、かなり体が冷え切っていたようだ。
「アリアの様子はどう?」
「大丈夫だ。呼吸も落ち着いてるし、顔色のいい」
「そう。よかったわ。……ところでシェド……」
 セシリーがチラッとシールディアを一瞥してから、
「あなた、隠し子が居たの?」
 含みある笑顔で尋ねた。シェドはげんなりと頭を垂れながら、「違う」と否定した。こんなでかい娘がいるほどの年に見られるのは心外だ。というより、シェドよりもセシリーの方が三歳ほど年上なのだから、セシリーにそれを言われたくない。
「じゃあ一体誰なの? 何か、ちょっと変わった子みたいだけど」
「…………」
 シェドが黙っていると、暖炉の所から尻尾を振りながらヒューイが駆け寄ってきた。ヒューイは眠っているアリアを見つめて首をクイッと動かし、耳を揺らしながら布団の中へ潜り込んでいった。
「……ヒューイ、少しの間アリアの事を頼む」
「キュキュー」
 シェドは立ち上がってシールディアを見つめた。寝ているアリアの隣で話すのも何だから場所を変えようと思い、シェドは歩き始めて部屋のドアノブを掴み、
「食堂に行こう。……シール、お前も来てくれ」
 セシリーとシールディアの顔を交互に見ながら言った。
 シールディアが首肯で応じて立ち上がり、セシリーも迷う素振りを見せずにシェドの後を追ってくる。三人は他に宿泊客のいない食堂へ移動し、角のテーブルに身を寄せた。
「まず、セシリーに言っておかなければならない事がある」
「……何?」
 これだけは最初に言っておかなければならない。アリアの保護者として。
「天使は、世界を滅ぼす存在らしい……」
「――っ!?」
 セシリーが両手をテーブルにバンとついて立ち上がり、キッとシェドを睨みつけた。おそらく、数時間前に戦ったあのシルヴァランスと名乗った男と同じ言葉をシェドが吐いたからだろう。
「俺も信じられなかった。だが、こいつの話を聞く限りそれは事実らしい」
 シェドはシールディアに視線を向ける。しばらく物言いたげにシェドを睨んでいたセシリーも、ぽてっと座り直した後、シールディアに視線を切り替えた。
「こいつは、昨日俺たちが戦ったあの白いドラゴンだ」
「……え?」
「ドラゴンは天使を倒すための存在。だから、こいつは昨日アリアを殺そうとした」
「ちょ、ちょっと待って。ドラゴンって、この女の子がアリアを殺そうとした? 意味がわからないわ!」
 混乱した様子で声を張り上げるセシリーにシェドはシールディアに聞いた話を詳細に伝えた。困惑の表情を浮かべながらも、セシリーはシェドの話を黙って聞き続ける。
 ふとシールディアの様子をうかがうと、シールディアは感情のない表情のまま虚空を見つめて黙っていた。
「……こんな、こんな事って……」
 シェドの話を聞き終えた後、セシリーが俯いてギュッと拳を握りしめた。
「でも、もしその竜王っていうのが聖石の外し方を知っているとすれば、アリアを救うことはできるのよね?」
 セシリーがシールディアに尋ねると、シールディアは無言で首肯し、「断定はできないが、可能性はある」と小声で言った。
「だから、その竜王とかいうヤツの場所を調べるため、一度ミレーヌの親父さんに会いに行こうと思っている」
「そうね、それがいいと思うわ。……じゃあ、問題はあの坊やね」
「坊や? ああ、シルヴァランスのことか。アイツとは明朝決着を付けると約束した」
「えっ! あなた一人で行くの?」
 ガバッと顔を持ち上げたセシリーを見つめ、シェドは頷いてみせる。
「……ドラゴンとの戦闘やアリアの友達を助けた一件などで、ニーヴルやシルヴァランスが所属している集団に俺たちの位場所が知られた可能性は高い。俺がシルヴァランスが戦っている間に、セシリーは荷物をまとめて街を出られる用意を進めていてくれ」
 長居はできない。それは元エインフェリアである自分たちがよく知っていることだ。ニーヴルの実力を知っているからこそ焦る必要がある。
「アリアの両親捜しは終わってる。なら、留まる理由もない」
「そう、ね。わかったわ。……ああ、そうだこれ」
 ふとセシリーが思い出したように自分の腕輪からジェムを外してシェドに差し出した。そう言えば貸したままだったと思いだし、シェドはそれを受け取って自分の腕輪に埋め込んだ。これで魔剣を具現化することができる。
 シェドにジェムを返却した後も、どこか納得いかない様子でセシリーは食堂の窓から雪の舞うスノーレンの夜を見つめていた。シェドはそんなセシリーの横顔を一瞥した後、シールディアへ視線を切り替えて口を開いた。
「シール、お前に頼みがある」
「何だ?」
「明日、俺が居ない間、アリアと仲良くしてやってくれ」
「……何故? 私にとって、天使は消すべき存在。敵対することはあっても、友好的に接することは……」
 不思議そうにシェドを見つめるシールディアの言葉を遮ってシェドは続けた。
「お前は竜王にあって真実を知るまではアリアに手を出さないんだろ? 一緒に旅を続ける者同士、仲良く楽しく行かなきゃな」
 そう言ってシェドは屈託無く笑った。シールディアが困惑したように首を傾け、そんなシールディアにシェドは、
「もちろん、アリアと話す時は笑顔でな」
 そう付け足した。


 パチッと目を開いて飛び込んでくるのは宿屋の天井。胸の上にはヒューイが丸まっており、膨らんだりしぼんだり、呼吸の度にふわふわの毛がアリアの顎に触れた。
「……くすぐったい」
 アリアはころんと体を横にして、ベッドの上から部屋の様子を覗った。部屋にシェドとセシリーの姿はない。しかしその代わりに見たこともない少女が、ジッとアリアを見つめて椅子に腰掛けていた。
 白銀の髪に琥珀色の瞳。雪のように白い肌に薄ピンクの唇。背はアリアより少し高いくらいで、アリアと同じくらい体温を感じさせない表情をしている。
 アリアが上半身を起こすと、びっくりしたヒューイが胸から頭に跳び乗った。
「あなた……誰?」
「私は、シェドにシールディア=エガンフィスという名前を貰った」
「……?」
 意味不明なシールディアと名乗った少女の答えにアリアは首を傾げる。さらに昨日戦闘していたことを思い出してハッとベッドから飛び起き、何がどうなったのかを確認するため周囲を見渡しながら首を捻る。
 テーブルの上には昨日アリアが着ていたドレスがボロボロの状態で乗っており、髪飾りも無造作に置かれていた。幸い髪飾りに傷はなく、綺麗に朱と緑に輝いている。
 そうか、やられそうになったときにシェドが助けに来てくれたんだ、とアリアは思いだす。同時に、助けに来たシェドが乗っていた馬の後部にもう一人、見知らぬ少女が乗っていたことも思い出した。目の前にいるのはきっとその少女だろう。
「私は今後、そなた達と共に旅をすることとなった。以後、よろしく頼む」
「どうして? それに、……シール、ディア……? 家族は?」
「家族はいない。……同行する理由はうまく説明できないが、シェドの許可はすでに貰っている」
 淡々と話すシールディア。まるで怒っているように目をつり上げ、ヒクヒクと頬を動かすシールディアを見てアリアは眉を顰めた。何を怒っているのかアリアにはまったくわからず、得体の知れない少女に警戒心を解くことができない。
「あらアリア、おはよう」
 二人が黙って互いを見つめていると、部屋のドアが勢いよく開いてセシリーが顔を出した。すでに身なりを整えてあり、ずかずか部屋の中に入ってきてカーテンをバッと開いてからシールディアの向かいにスッと腰を下ろした。そこにシールディアが居るのをまるで当然みたいに振る舞うセシリーを見て、アリアは少しだけシールディアに対する警戒を緩める。そしてこの場に居ないもう一人の仲間のことが気になった。
「……シェドは?」
 そう言えば昨日の朝もアリアは全く同じ質問をセシリーにぶつけた。昨日は何となく答えをはぐらかしたセシリーだったが、今朝は、
「昨日私達が戦った相手と会ってるわ」
 と、正直に答えてくれた。だがその答えにアリアは動揺を隠せない。
「どうして?」
「そりゃあ戦うためでしょ。あなたに手を出さないよう、力ずくでわからせるために」
「…………」
 アリアのためにシェドが戦っている。その言葉がアリアの心をチクッと刺した。
「心配しなくても、シェドの実力なら大丈夫よ。それより、今日の昼過ぎにはスノーレンを出るから、荷物の整理をしなきゃね」
「……うん。じゃあ、私、先に朝ご飯食べてくる」
「ええ、いってらっしゃい」
 セシリーが荷物の整理を始めるのを見て、アリアはタオルを片手に洗面台へ行き、顔を洗って髪を梳かしてから部屋を出て食堂へと向かった。
 誰も居ない食堂。そんな食堂で一人、静かに朝食をとるアリア。
 窓の外からは朝日を受けた雪がキラキラと輝いていた。今日も昨日も、その美しい景色をシェドと一緒には見られなかった。
 静かなスノーレンの朝を食堂の窓から臨みつつ、アリアは心をよぎる不安を必死に押し殺して朝食を口に運び続ける。大好きな苺ヨーグルトが今日は何故か味気なく思えた。
 ふと服の上からアリアの小さな胸に埋まった聖石にそっと左手を当て、瞳を閉じてキュッと下唇を噛みしめて、
「シェド……」
 小さく小さくつぶやいた。


 アリアが部屋を出た後、セシリーは大きく息を吐いてシールディアを見つめた。
「シール、もう少し笑顔でいなさいよ」
「……す、すまない。精一杯やっているつもりなのだ」
 笑顔は下手でも暗い表情からは落ち込んでいるような空気が容易に読み取れた。そのためセシリーもそれ以上責めることができず、髪をさっと掻き上げてため息を漏らす。
「そうね。あなたもずっと一人だったんだから、いきなり笑えっていうのも無理か……」
「…………」
 申し訳なさそうなシールディアにセシリーはアリアが重なって見えた。
「でも、約束通り、アリアに自分がドラゴンだってことは明かさないでくれたわね」
「シェドにも頼まれた上、正体を明かせば共に旅する上で支障をきたす可能性もあると自身で判断した」
 セシリーはシールディアの子供らしくない言葉遣いに苦笑して肩を竦める。そして無言のまま動こうとしないシールディアを呼びつけ、荷物の整理を手伝わせながら笑顔の練習をさせることにした。
 たとえドラゴンとはいえ見た目も中身も子供と遜色ない。なら、セシリーはセシリーにできることをする。それは相手がアリアだろうとシールディアだろうと同じだ。
 そう思いながら、無愛想なシールディアにセシリーは必死に笑顔を教え込んだ。


 指定した場所にシェドが時間ピッタリに到着した時、そこにはすでにシルヴァランスの姿があった。白い法衣を黒衣のマントで包み、現れたシェドへ鋭い視線を向け、「時間通りですね」と言いながら鞘から細身の刀身を引き抜いた。
「これでも約束は決して破らない性格なんだ」
 シェドは不敵に微笑みながら着ていた厚いコートを脱いで枯れ木の枝にかけ、マフラーを外して枝に巻き付けた。
 手には白銀の銃を一丁握り、全身は紺色の上下。丸レンズのサングラスを胸ポケットに収め、シェドは銃のセーフティを解除する。
「どうしても戦うのですね。あなたにとって、それほどあの子は大切なのですか? この世界そのものよりも……」
「俺とアリアは便宜上一緒に旅をしてるだけの関係。それ以上でもそれ以下でもない」
「なら、どうして守ろうとするんですか!」
「さあな……。それより、とっとと始めようぜ」
 シェドはそっと銃口を持ち上げる。
「――っ!?」
 シェドは相手が身構える前に銃の引き金を引いた。魔力を帯びずに放たれた銃弾は、シルヴァランスの金髪をかすめて後方の雪原へと消えていく。
 話すことは何もない。互いの主張や意見が違う以上、これ以上何を話しても平行線のままで煩わしいだけだ。
「……わかりました。僕はあなたを倒し、そして天使を倒します!」
 シルヴァランスが剣に埋め込まれたジェムを輝かせ、刀身を凄まじい暴風が包む。前にラーミアでスノージャイアントと戦っている所を見たことがあるが、シルヴァランスはかなりウインドジェムの扱いに長けていた。
 シルヴァランスが雪を巻き上げながら飛び出し、シェドはすかさず銃口脇に埋め込まれたフレアジェムへ魔力を注ぐ。
「はああっ!」
 咆えながら迫るシルヴァランスに、シェドは表情を変えずに炎の魔弾を放った。放たれた銃弾はシルヴァランスの目の前で猛々しく燃え上がったが、シルヴァランスは迷うことなく紅蓮の業火へ剣を振り下ろし、周囲に炎の爆風が広がる。
 雪が舞い上がり、それが太陽光を反射させて七色に輝く舞台でシェドは次々と魔弾を撃ち放った。シルヴァランスはそれらをことごとくかき消し、さらにシェドへ直接刀身で斬りつける。
「たあああっ!」
「……っ! はあっ!」
 シェドが銃身でシルヴァランスの剣を受け、周囲に甲高い衝撃音が響いた。シェドはすかさず体を半身にして回し蹴りを繰り出すがシルヴァランスは後方へ跳んでその攻撃をかわす。さらにシェドは魔弾を撃ち込むが、シルヴァランスが一閃にて炎をかき消した。
「……やるな」
「あなたこそ、噂以上です」
「噂の俺がどの程度か把握してないがな」
 シェドは飄々とした笑みを浮かべたまま軽口を叩く。シルヴァランスとてまだ本気ではない。探りを入れながら、慎重にこちらの実力を窺っているのが見え見えだ。
「言っておくが、その程度じゃ俺は倒せないぜ?」
「はい、わかってます。……では、ここからは本気で行かせていただきます」
 シルヴァランスがそう言って静かに剣を握り直した。剣に埋め込まれたジェムに呼応するかのよう、シルヴァランスの右手人差し指に巻き付く指輪がカッと輝き、剣を包んでいた荒々しい風が突如静かになった。指輪に埋め込まれているのもウインドジェムだろう。
 シェドは得体の知れない技を繰り出そうとするシルヴァランスに警戒を強める。辛うじて目に見える程度の薄い風の膜が刀身を包み、シルヴァランスの全身も淡いグリーンが包んでいた。
「行きます! アクセラレータッ!」
「――なっ!?」
 シェドが瞬きをした瞬間、数メートル離れていたシルヴァランスの体が一寸先まで迫っており、さらに剣先はすでにシェドの身を引き裂こうとしていた。
「ぐっ!」
 とっさに銃を押し出して剣先を弾いたものの、シェドが舌打ちして反撃に転ずるよりも早く、シルヴァランスの体はシェドの後方へ移っていた。
「ぐはっ!?」
 ほぼ直感頼りに前に飛んだため直撃を避けたが、シェドの背中にシルヴァランスの剣が作った大きな引き裂き痕が現れる。トレードマークである紺の一張羅が裂けて血が滲み、シェドは思わず表情を歪めた。
 体勢を崩したシェドの前に、残像が集まってシルヴァランスの姿がハッキリと映る。追い打ちを掛けないとは随分余裕なことだ。
「……いきなり速くなりやがったな」
「はい。全身を風の膜で包み、通常の倍以上のスピードが出せます。いくらあなたが“魔弾”を扱えようと、一定以上の間合いを詰められては打つ手がないでしょう」
 諦めて降伏しろと言いた気な目でシルヴァランスはシェドを見つめる。シェドは焦りや緊張などおくびにも出さず、気怠げにシルヴァランスを見つめ返した。
 事実、焦りや緊張など微塵も感じていなかった。向こうが本気でなかったようにシェドとてまだ本気ではない。
「正直、ここまで厄介だとは思わなかった」
「……僕の狙いはあくまで天使だけです。退くというのなら、これ以上――」
「俺も、少しくらい本気を出すとしよう」
 シルヴァランスの話を遮って、シェドは口調を強めてそう言った。
 腕輪に埋め込まれた七つのジェムすべてに魔力を注ぎ、右腕の袖口が仄かに輝く。銃を包む光が徐々に腕の先まで伸びていき、無色透明の剣に銃口脇に埋め込んだフレアジェムの魔力が付加され、淡い朱色に包まれた半透明の魔剣が具現化した。
 発する熱だけで雪原の雪が白い蒸気を上げながら溶け始める。
「そ、それは……、魔法力でできた剣?」
「ああ。これが、結構便利なんだぜっ!」
 シェドは不敵に笑いながら腕を振り下ろす。すると魔剣の先端一部が本体と分離し、矢のような魔力の塊がシルヴァランス目掛けて迫っていった。シルヴァランスが難なくそれを避けた瞬間、シェドの魔剣がすでにシルヴァランスの懐を貫いていた。
「ぐあっ! な、何っ?」
「……この剣は自由自在に大きさや形を変えられるんだよ。まあ、でかくするとその分魔力の消費も早くてジェムの交換期が近くなるからあんま使わねえけどな」
 シェドの手元から伸びた剣先はシルヴァランスの脇腹を貫き、シルヴァランスの白い法衣が朱色に染まる。痛みに表情を歪めながらも、シルヴァランスはすぐさま体勢を立て直して剣を構えなおした。
「なるほど、それがあなたの実力というわけですか……。でも僕だって!」
 先ほど同様、目にも止まらぬ早さでシェドに迫るシルヴァランス。ウインドジェムが眩く光を放ち、完全に空気抵抗を無くして極限まで加速したシルヴァランスが勢いよく剣を振り下ろすが、シェドは先ほどと違い、それを難なく魔剣で受け止めて両者の間に激しい火花が散った。
「くっ! ど、どうしてっ!?」
「……この剣は七種のジェムを同時に使っている。同じ属性のジェム同士が呼応するのを感じ取れば、お前の剣がどこから迫ってるか容易に判断できる」
 淡々とした口調で説明しながら、シェドは力任せにシルヴァランスを押し切り、さらに魔剣をその頭上へ振り下ろす。シルヴァランスが魔剣を弾き、凄まじい速度でシェドの周囲を駆け回りながら翻弄しようとするが、シェドは冷静に魔力の流れを感じ取って、シルヴァランスが仕掛けてきた瞬間にカウンターを繰り出して攻撃をすべて遮断した。
 アクセラレータは確かに厄介な技だが、それはシルヴァランス同様に正直すぎる技だというのが欠点だ。だからこそこうやって容易に打開策が思いつく。
「シルヴァランス。退くのはお前の方だ」
「ぐぅっ!」
 目で追うのがやっとのはずのシルヴァランスのスピードに対し、シェドはまるですべて予測済みと言わんばかりに無駄の無い動きで応戦する。
 シルヴァランスが剣を振りかぶるまでは背を見せていたにもかかわらず、振り下ろした瞬間には真正面でその攻撃を受け止め、シェドはすかさず魔剣による直接攻撃を繰り出し、シルヴァランスがサッと攻撃をかわした後に魔弾による追い打ちをかける。シルヴァランスが避けきれずにウインドジェムで障壁を作り出してアクセラレータが解けた瞬間を狙いながら、シェドは魔剣でシルヴァランスに着実なダメージを与えていった。
 徐々にシルヴァランスの持つ剣に埋め込まれたジェムの輝きが褪せていき、スピードも極端に落ちていった。あれほどの技だからジェムの消費が早いのも当然だろう。
「はあ、はあ……」
「諦めて退け。そして、もう二度とアリアの前に姿を現すな」
 シェドはそう言い放ち、シルヴァランスの目を睨め付ける。だがシルヴァランスの眼光は一向に衰える気配がない。
「……それは、できません」
「何故そこまでして戦おうとする? 自分の命を賭してまで、お前の言う世界とやらを救いたいと言うのか?」
 シェドの質問にシルヴァランスは無言で頷いた。傷だらけの身で剣を構え、退く気配など微塵も感じさせない。シェドは小さく息を吐き、俯き加減に顔を下向けながら穏やかな口調で話し始めた。
「……あいつに本当のことを話したら、もしかしたら自ら倒されることを望み出るかもしれない」
 その言葉に、シェド自身、喉元を突かれたような息苦しい思いに駆られる。アリアが世界の敵だということはシールディアの存在で真実なのだと認めている。だが同時に、そんなアリアがどんなに純粋で無垢な少女なのかシェドは知っているから。
「組織の命令で多くの命を奪ったことに対し、アリアは自分を責め続けている。その反動で、誰も殺したくない、誰も死んで欲しくないと、目の前で人が死ぬのを極端に恐れるようになった」
「……何が、言いたいんですか」
「だからもし、自分の存在が世界を滅ぼすだなんて知ってしまったら、あいつはお前に倒されることを自ら望むかもしれない。そういう子なんだ」
「…………」
 まだ目の前でシルヴァランスは剣を身構えたままだというのに、シェドは俯いて瞳を閉じた。隙だらけにもかかわらず、シルヴァランスが仕掛けてくる様子はなかった。
 激しい戦闘のせいで舞っていた雪がすべて雪原に降り立ち、風のない静かな世界が二人を包む。音もなく、世界は無風無音だった。
 そのままどれくらい経っただろうか、シェドは重い気持ちを振り払って顔を持ち上げ、
「昼にはこの街を出るんでな。……そろそろ引き帰らせてもらうぜ」
 そう言って踵を返した。
 シェドはシルヴァランスに背を向けて、振り返ることなく街の方へザクザクと進んでいく。去っていくシェドに、シルヴァランスが再び剣で斬りかかってくることはなかった。


 宿屋の一室で、アリアは窓からスノーレンの街並みを見つめたまま微動だにしない。かれこれ二時間近くその状態が続いていた。きっと思うところがあるのだろうと、セシリーは何も声を掛けなかった。
「ああ、それはそっちの鞄に入れて。それと、あれをこの鞄に……」
 セシリーはシールディアにあれこれ命令しながら荷物の整理を行っていた。シールディアは従順に、言われたとおり無駄なく行動してくれるため実にスムーズだった。
「おっはよー。……あれ?」
 勢いよくドアが開き、アリアがガバッと振り返る。まるで誰かを待っていたように見つめるアリアに対し、現れたミレーヌがびっくりした様子で目を見開いていた。
 毎回毎回扉の音に反応するようじゃあ何を待っているかバレバレなのにと思いながらもセシリーは口を挟まない。
 ミレーヌの顔を見てシュンと頭を垂れるアリア。ミレーヌはそんなアリアと、セシリーの隣で荷物の整理をする見ず知らずの少女を交互に見つめ、目をパチパチさせていた。
「ちょうどよかったわ。ミレーヌ、今日の昼にはスノーレンを出るから、ここに書いてある物を買ってきてくれない?」
「ほえ? きょ、今日出発するの? 全然聞いてないよ。……っていうか、パシリッ!?」
「あなたはお父さんの知り合いだって言う魔練器技師さんの所に、もうしばらく厄介になるんでしょ? 別に私達と一緒に街を出る必要はないわ」
「それはそうだけど……。じゃなくて、使いっ走りなの!?」
 納得いかない様子で、ミレーヌはセシリーから手渡された必要品一覧が書かれた紙を見つめた。その後、セシリーの隣にいる少女を見つめ、「この子は?」とセシリーに尋ねてくる。当然の反応だ。
 少し考えた後、この場にはアリアも居ることを考慮して、
「一緒に旅をすることになったシールディアよ。詳しい話は面倒だからまたその内ね」
 セシリーは簡素にシールディアをミレーヌに紹介した。これで納得してくれるとは全く思っていないわけだけど。
「ええーっ! 旅するって、この子どう見てもあたしより年下よ? 家族とかいいの?」
「問題ない。私に家族と呼べる存在はない。旅の同行にはシェドの許可も貰っている」
 驚きを隠せないミレーヌにシールディアが怒ったような顔でさらっと答えた。自分より頭一つ小さい色白の美少女に睨まれたミレーヌが、思わず後ろ足を引いて息を飲む。
 シールディア本人はあれで笑っているつもりらしいが、やはりどう見ても怒っているようにしか見えない。
「え、えっとシールディアちゃん。な、何を怒ってるの?」
「……? 別に怒っていないが?」
「シールは笑うのが下手でね。まあ、ぼちぼち直していくわ」
 ため息混じりセシリーは呟いてシールディアを目で咎める。するとシールディアがセシリーの言葉を受けて落ち込むように頭を垂れた。
「えっと……。あ、そうだ。シールディアちゃん、あたしはシェド達の仲間でミレーヌ=コートワーグ。よろしくね」
「シェドより聞いている」
「そ、そう……。んっと……、じゃあ早速なんだけど、親睦を深めるために一緒に買い物いかない? セシリーに頼まれたコレをね」
 ひらひらと紙切れをなびかせながらミレーヌはシールディアに優しく微笑みかけた。シールディアはしばし一人で逡巡するよう首を捻った後、くいっと振り返ってセシリーを見つめた。今この部屋の中で一番権力があると思われたのだろうか。
「そうね、行ってらっしゃい。外は寒いからアリアのコートを借りるといいわ」
 セシリーと出会う前のアリアを知っているミレーヌなら、多少シールディアが風変わりな子であってもそんなに気にしないだろうと思い、セシリーはシールディアについて行くよう促した。
 シールディアが立ち上がって壁に掛けてあるアリアのコートを手に取り、
「アリア。このコートを借用させてもらっていいだろうか」
「いい」
 アリアとそれだけのやりとりを終えると、シールディアはミレーヌに連れられて部屋を出て行った。二人きりになった部屋で、アリアは辛うじてセシリーの耳に届く程度のため息をついた。
「また、ため息なんか――」
 これで何度目だろうと思いながらセシリーがアリアにため息を注意しようとした時、不意にドアをノックする音が響いた。アリアが反射的にサッと扉に駆け寄り、手早くドアを開いた。
「あ、ウエンディ……」
「おはよう、アリアちゃん。……どうしたの? 誰か待ってた?」
 自分の顔を見てアリアがガッカリしたような感じを受けたのか、ウエンディが目をパチクリさせながら尋ねると、アリアは首を左右に振って「そんなことない」と否定した。本当は待っているくせに、とセシリーは茶々を入れない。本当はしたいけど。
「おはようございます」
 ウエンディの背後には母親の姿もあり、その両手にはとても大きなバッグが握られていた。ウエンディも背中にリュックを背負っており、手にも小さなポーチを握りしめている。
「えっとね、その、アリアちゃんにお別れを言いに来たの」
「え……?」
「あたし、この街を出て行くことにしたんだ。軍の人に見つかっちゃったから、あたし達が居ると他のみんなに迷惑かけちゃうから」
「…………」
 挨拶のためにセシリーがアリアの隣に並んで立つ。そっと様子を伺うと、アリアは泣きそうな顔でウエンディを見つめていた。向かい合うウエンディはすでに目の縁に涙を溜めており、頑張って笑顔を繕っているのが感じられた。
「……やはり、そうなってしまったんですね」
 セシリーは母親を見つめて眉をひそめる。ウエンディの母親は辛さや悲しさを感じさせないように気を張っているのか、至極落ち着いた雰囲気のままセシリーに一礼し、
「この度は迷惑をおかけしました。遺跡で働く主人には手紙で連絡し、私達は一足先に出発することにしました。私の叔父が住む、アスワットでしばらく厄介になり、主人と合流してからその後は考えます」
 気丈に詳細を語ってくれた。母親は強いなとセシリーは心の底から実感した。
「お気を付けて下さい」
「はい」
「じゃあね、アリアちゃん。ヒューイも、一緒に遊べて楽しかった」
「……さようなら」
 いつしかアリアの肩に飛び乗っていたヒューイの頭を撫で、ウエンディはアリアに背を向けた。そして母親に引かれて宿を後にする。
「キュキュゥー……」
 何処か寂しげに鳴くヒューイ。アリアはヒューイをギュッと抱きしめ、瞳を閉じたまましばし佇んでいた。色々と思うところがあるのだろう。それはセシリーも同じだ。
 暖炉の薪だけがパチパチと静かに音を漏らしていた。


 ウエンディ達が去って一層静かになった部屋。セシリーは荷物の整理を終えたらしく、不要な物を捨てに部屋を出て行った。アリアはヒューイを頭の上に乗せて、テーブルへ歩み寄った。
 テーブルの上にはウエンディの母親から貰った綺麗な髪飾りがあり、アリアはそれを手にとって洗面所へ移動する。
「キューッ?」
 ヒューイが不思議そうに見つめる中、アリアは鏡を見つめながら髪を掬って髪飾りを留める。顔の角度を変えて何度も鏡を見つめ、笑顔の練習をするため両手で頬の筋肉を押し上げていた。
 まだ堅い。それは同世代であるウエンディの笑顔を見てよくわかった。
 必死に笑顔の練習をしている時、ふとヒューイが何かを感じ取ったように「キュキュッ」と耳を動かしながら鳴き声をもらした。アリアはハッとして、慌てて洗面所を飛び出した。すると丁度、部屋のドアがギィィと外側から開いた。
 入ってきたのはシェドだった。
「ん? どうしたアリア」
 洗面所から勢いよく飛び出したアリアを見て驚いたのだろうか、シェドは首を傾げて三度瞬きをした。傷口はほとんど治癒していたが、裂けた服を見る限りかなりの激戦だったとアリアは直ぐさま感じ取り、どんな言葉で今の気持ちを表現すればいいのかわからず無言のままシェドを見つめる。
「あ……う……」
 どうしても言葉が出ないアリア。そんなアリアにシェドが「具合でも悪いのか?」と言いながらのそのそと歩み寄ってきた。
 言いたいことは沢山あって整理できない。でもシェドが帰ってきたら真っ先に言ってあげたい言葉があった。それはアリアを守ってくれていることや、いつも側にいてくれることに対する謝辞ではない。それは、
「おかえりなさい」
 アリアは練習した笑顔を満面に浮かべてシェドを見つめた。そんなアリアを見て、シェドが面食らったように目を見開いて瞬きを繰り返した後、「フッ」と鼻で笑ってから、
「おう、ただいま」
 白い歯をアリアに見せた。
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