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第一章 中立都市デオラガーン ボスッという鈍い音が響き、屋根の上に積もっていた雪の固まりが道ばたに落下した。ここ数日続く麗らかな天気のためスノーレンの街を白一色に染め上げていた雪が次々と融解し始めている。子供達に創られた雄々しかったスノーマンも、今や見る影もないくらいひしゃげて情けない姿になっていた。 そんなスノーレンの街角で煙草を吹かす中年の大男。顎髭を生やし、黒髪をオールバックにした男の脇には十歳くらいの幼い少女の姿があり、感情のないセピア色の瞳で行き交う人々を見つめていた。 新緑のような鮮やかな緑色をした髪をツインテールに分け、無造作にぶ厚い生地で全身を包み、顔以外に肌の露出はまったくない。少女は口元を結んだままジッとその場に佇み、まるで人形のように微動だにしなかった。 「ミゲル様、言いつけの品を買いそろえてきました」 「飛竜の食事も終えております。いつでも出立できます」 煙草を吹かす男、ミゲルの背後に、いつの間にか二人の女が立っていた。瓜二つの顔をした二十歳くらいの女達は、背丈も体格も見分けがつかないくらい同じで、衣類や髪型に至っても差異が見られない。 藍色のショートカットに、内に鎖帷子を仕込んだ紺の装束。黒のタイツと装束の合間から見える白い肌が一際目を引き、腰元には細身の短剣を携えている。 「……わかった。ならすぐに出発だ。奴らの足取りを追う」 「何か手がかりが見つかったのですか?」 「奴らは東に馬車を走らせた。これは間違いない。……そしておそらく、コルトリアの街にしばらく滞在したはずだ。次はコルトリアで情報を集める」 「わかりました。では飛竜を連れてきます」 女の片割れがその場から風のように去っていき、ミゲルは深く息を吐いて拳を握りしめた。その表情は不気味に笑っており、視界にはスノーレンの町並みではなく何か別の物が映っているようだった。 「……次の街行くの?」 ふと、ミゲルの脇で黙り込んでいた少女が首を傾げながら女に尋ねた。女はニッコリと微笑みながら「ええ」と簡素に答える。 「そう」 少女は興味なさそうにつぶやき、また感情のない瞳で行き交う人々を見つめた。 しばらく三人が無言のまま佇んでいると、激しい暴風と轟音を引き連れ、大きな影が三人を覆った。 周囲の街人が騒ぐ中、ミゲル達は飛竜の背中に飛び乗り、風のようにスノーレンを去っていった。 * * * 「……だから何度も言っているだろう! デオラガーンは武器の持ち込みを一切認めていない!」 「いや、そんな事言われてもな……。武器がないと色々困るんだよ……」 周囲を高い山に囲まれた、アルトレア大陸のほぼ中央に位置する中立都市デオラガーン。東西南北に分かれた四つの自治区で構成されるデオラガーンにたどり着いたシェド達は、その西部に位置するサルスベリ自治区の西門で検問に引っかかり、シェドは頭を掻きながら愛想笑いで守衛と話をしていた。 ふと視線の向けどころに困って馬車の乗車席を見つめると、シェドを黙って見守るアリアと目が合った。その隣ではヒューイを抱えたシールディアがスヤスヤと寝息を立てている。 さらに視線を奥に向けると、荷台で別の守衛達が積み荷のチェックをしており、セシリーとシルヴァランスがその様子を面白く無さそうに見つめていた。 「お前達がトルメキアの送り込んだ者だという可能性が否定できない状況で、武器を持ったまま領域に入れることなどできんと言っておるのだ! 武器を手放すのが嫌なら、早々に立ち去れ!」 すごい剣幕で声を張り上げる守衛に、シェドは後ろ足を引きながら乾いた笑いを飛ばす。しかしシェド達とて、いつニーヴルの追っ手と戦闘するかわからない身。そう易々と武器を手放すわけにはいかない。手ぶらで勝てるほどニーヴルの追っ手は弱くない。 「いや、その、最近は“黒い影”の影響で魔物の数が増えてるだろ? いくら街の中と言っても、絶対に安全だなんて言えないご時世。武器がないと何かと困るんだよ」 「貴様が戦わなくとも、領域に進入した魔物など守備隊だけで十分迎撃できるわ!」 「いやいや、守備隊様が来られる前に犠牲者が出たらまずいでしょ? せめて自分の身を守る程度には武装してないと……」 「魔物が現れたら瞬きする間に守備隊が駆けつけるわ!」 「それは無理だって」 何とも頑固な守衛で会話は平行線のまま先が見えず、シェドが項垂れて大きくため息をついたときだった。ふとシェドの耳に馬の足音が木霊し、そっと顔を持ち上げたシェドの視界に、門の向こうから馬に乗ってやってくる一人の青年の姿が映った。 「……何を騒いでいるのですか?」 馬を下りた青年をジッと見やると、まるで騎士のように立派な銀色の鎧で全身を覆い、腰に大きな剣を携えた栗色の髪をした青年だった。整った顔立ちと何処か気品を漂わせる言動から、シェドは上流階級の人間ではないかと推測する。 「あ、これはライオット様。……実はこやつらが武器を持ったまま我々の領地に踏み入ろうとしておりまして……」 「なるほど。……見たところ商人やただの旅行客では無さそうですが、あなた達がデオラガーンに来られた理由は何です?」 凛とした表情で赤茶色の瞳を細めるライオットと呼ばれた青年に、シェドは守衛に対して繕っていた愛想笑いを消して真面目な顔つきで一度頭を下げ、落ち着いた口調で話し始めた。 「実は、私たちは人捜しで世界を渡り歩いている最中でして」 「……人捜し?」 「はい。……あの子は、幼い頃に両親と引き離されてしまったのです」 そう言いながらシェドは振り返ってアリアへ視線を送る。ライオットはシェドの視線の先にいる少女を見つめて眉をひそめた。アリアは二人に見つめられて不思議そうに首を傾げ、パチパチとまばたきを繰り返してシェドを黙って見つめ返してきた。 「あの子の両親を捜しているというわけですか。……しかし、それだけにしては随分頭数が多いようですが、皆あの子の親族ですか?」 「いえ、実はあの子を両親と引き離したのはトルメキアの息がかかった組織でして、今もなお、組織の連中が逃亡したあの子を執拗に追いかけてくるのです。彼らは組織からあの子を護るために、自らの意思で同行している者達です」 そう言いながらシェドはセシリーとシルヴァランスへ視線を移す。ライオットは納得したように、「そうですか」と小さくつぶやき、 「ではあなたも、あの子を護るために同行しているのですか?」 そう、シェドに尋ねた。不意の問いに一瞬答えの遅れたシェドは、一呼吸置いてから、 「私もその組織に過去を奪われた人間です。……そのため、生き甲斐というものを未だに見いだせずにいます。だから、あの子の両親捜しに便乗して世界を回り、自分の生き甲斐を探しています」 穏やかな表情で答えた。先日、ミレーヌの父親に対して返した答えと同じだ。 「……そうですか、色々と訳ありのようですね」 「はい。長居する気はありません。あの子の両親の手がかりがないと分かればすぐに出ていきます。ですから、その間だけ武器の持ち込みを許可して頂きたいのです」 シェドの懇願にライオットがしばし唸りながら腕を組んだ。シェドは黙ってライオットの返答を待ち、しばし静寂が辺りを包んだ。 「わかりました、許可しましょう」 「ラ、ライオット様! そんな父上様に無断で……」 「いい。これは私が決めたこと。万が一何かあったら、責任はすべて私が持つ」 そうハッキリ断言したライオットにシェドは深々と頭を下げた。頭の固い守衛とは違い、ライオットが聞く耳をもった人物で助かった。 「ただし条件があります。私の父が治めるサルスベリ領地内は勝手に歩き回ってもらって構いませんが、他の自治区へ行くときには私も同行させてもらいます」 「え? ……それは、こちらとしてはむしろ歓迎したい所ですけど、いいのですか? 領主の息子……なんですよね?」 ライオットがサルスベリ領地を治める領主の息子だと理解したシェドは、ライオットの出した条件に困惑しながら尋ね返す。ライオットが大きく頷いてから馬に飛び乗って手綱を引き、馬の向きを百八十度変えた。 「取りあえず私の家に案内します。寝床もこちらで用意しますから、付いてきて下さい」 あまりにポンポン話を進めるライオットに少し及び腰になりにながらも、シェドはセシリーとシルヴァランスに荷台に乗り込むよう促してから、二人しか乗れない乗車席でシールディアを自分の膝元に乗せ、手綱を引いて訝しげな目で見つめる守衛達の脇を抜けてライオットの後を追った。今の今まで寝ていたシールディアが、寝ぼけ眼を擦りながら呆然とシェドの顔を見上げていた。 中立都市として他国との交流を積極的に行ってこなかった結果、デオラガーンは独特の文化を育んでいるとシェドは言っていた。 他の地域ではジェムの生み出す魔力を元に生活を豊かにする魔練器が街のあちこちに見られるご時世、周囲に古代都市のないデオラガーンではジェムが採掘されず、石炭を燃やしてエネルギーを生み出し、それを電気へ変換して生活に利用していると言う。 また自然からエネルギーを生み出すことに長け、標高の高い地域であること利用した風力発電や、周囲を囲む山に設けたダムでは水力発電も行っているため、ジェム無しでもエネルギーに困っている様子はない。 そんなデオラガーンのサルスベリ自治区を収めるベルグ家の屋敷は、自治区のほぼ中央に位置していた。シェドがライオットと名乗った青年を乗せた馬の後に黙って馬車を追従させる隣で、アリアはシールディアと一緒にサルスベリの真新しい街並みに忙しく視線を動かしていた。アリアの頭の上にはヒューイが乗っており、長い耳をたらして大人しくしている。 「馬車はあちらに止めて下さい。私は使用人に話を通して来ますので、屋敷に入ってすぐの居間でしばらくお待ちいただけますか?」 軽やかに馬から飛び降りたライオットが使用人と思われるエプロンと三角巾をつけた中年の女性に手綱を手渡し、バンと玄関の戸を開いてズカズカ奥へ消えていった。物腰柔らかな言葉遣いに対し、行動が結構がさつな所にアリアは思わず口を開いたまま固まってしまう。 しかしそれ以上にアリアを驚かせたのはライオットが住む大きな屋敷だった。 「……大きな家。シェド、これ全部あの人の家なの?」 アリアは口を開いて屋敷の全貌を呆然と見つめる。馬車を止めた位置からではとても全景を視界に映しきることはできないその大きさに、アリアが目をパチパチさせて忙しなく首を動かしていると、アリアの問にシェドが口を開く。 「そうだろうな。正確にはあの人の親父さんの家ってことだろうけど」 「そんなに沢山親族がいるのか?」 今度はシールディアが不思議な顔つきでシェドに尋ねた。アリアがシェドの顔を見上げると、シェドはため息をついて面倒くさそうに頭を掻いていた。すると後方から、 「そうではありませんよ、シールディアさん。大抵貴族というのは自分らの権力誇示などのために必要以上に大きな家を構えるものです。だから、殆ど使用されない部屋なども沢山あるはずです」 と、シルヴァランスが笑顔で説明した。シルヴァランスの説明に、アリアは屋敷を見据えたまま小声で「もったいない」とつぶやいた。 「あら、まるで自身のことのように話すのね」 「え? あ、いえ……、これくらい常識ですよ」 セシリーの声に反応してアリアが振り返ると、シルヴァランスが頬を掻きながら少し引きつったような笑顔をセシリーに向けていた。セシリーが目を細めて微笑みながら、そんなシルヴァランスのぎこちない笑みを見つめている。 「……玄関前で喋ってても仕方ないだろ。居間で待てって言われたんだし、取りあえず中に入るぞ」 そう言ってシェドが玄関の戸を開き、アリア達は屋敷の中に足を踏み入れた。 建物の外壁は石造りだったにも関わらず、家の中はほとんどが木造だった。床には木の芽の模様が並び、ニスか漆が塗ってあるかのようにテカテカと光っている。 吹き抜けの広い玄関前のスペースから二階に続く階段も木造で、手すりの頭にはそれぞれ手彫りの動物が取り付けられている。家主が動物好きなのだろうかと、アリアはジッと睨むように手彫りの動物を凝視する。アリアの胸に抱かれたヒューイも珍し気に彫り物を見つめていた。 「ようこそいらっしゃいました。屋敷は土足厳禁ですので、こちらの上履きに履き替えて下さい」 アリア達は使用人らしき紺のワンピースドレスの上にフリルの付いた白いエプロンを纏った若い女性の指示に従い、靴を脱いでスリッパに履き替えてから中に上がった。上履きという概念がなかったアリアは、おっかなビックリな顔を浮かべてスリッパの感触を確かめた。靴より底が薄く、歩くと何やらペタペタと音がする。 「こちらでお待ち下さい。じきにライオット様がお戻りになります」 「はい」 「何かお飲み物でもお出ししましょうか?」 使用人の女性がそう尋ね、アリア達は一瞬顔を見合わせる。しかし誰も飲みたそうな顔をしていなかったため、シェドが笑顔で「結構です」と女性に告げた。 「わかりました。何かありましたら何なりとお申し付け下さい。私は隣の部屋で待機していますから」 そう言い残して女性が足音もなく隣の部屋へ姿を消した。その繊細で無駄のない足運びにシェドがピクリと眉を動かしたのをアリアは見逃さなかった。 「……どうしたの?」 アリアが女性の後ろ姿を真剣な目で追っていたシェドの顔をのぞき込むと、シェドは振り返ってアリアを見つめながら、 「いや、あのメイド服もなかなかいいなって。今度お前に着せてみようかと思って」 何やらニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべて答えた。 「……メイド服? あの女の人が着ていた服はメイド服っていうの?」 「ちょっとシェド。アリアはあなたの着せ替え人形じゃないのよ? それに、あの服だったら私の方が似合うと思わない?」 アリアが頭上に疑問符を浮かべていると、アリアの後ろでセシリーがシェドを咎めるよう声を張り上げた。振り向いたシェドにセシリーが束ねた髪をハサリと掻き上げて甘い瞳でポーズをとってみせると、シェドは肩を落として視線を背けた。よく意味の分からない一連のやりとりをアリアはただ呆然と見つめていた。 「年甲斐もなくそんなこと言うなよ」 「あら? どういう意味かしら?」 げんなりした口調で言い放つシェドに、セシリーが微妙に眉を動かしながらまるで冷静を装うかのように黙っていた。何故かセシリーは怒っているようだが、どうして怒っているのかわからない。アリアにしてみれば一人で勝手にセシリーが怒っているようにしか見えない。 すると突然、黙っているセシリーの脇で、 「大人の女性があんなに短いスカートを穿いてはいけません! 風紀が乱れます!」 と、シルヴァランスが声を張り上げた。一緒に旅を初めてまだ二ヶ月足らずで、一度もシルヴァランスが声を張り上げたのを見たことがなかったため、アリアは思わずビクッと肩を震わせた。 先ほどの女性は、黒いワンピースの上に白いエプロンを付けたようなドレスを身につけていた。ワンピースのスカート丈は極端に短く、脚を包むニーソックスが膝上まで伸びていたが、それでもスカートとソックスの合間からは女性の美しい肌が露出していた。 「女性はもっとお淑やかで、落ち着いた服飾を身につけるべきです!」 普段の落ち着いた好青年面を外し、顔を真っ赤にしながら熱弁するシルヴァランスをシェドとセシリーが呆然と、アリアも目を白黒させながら見つめた。シルヴァランスが何を怒っていて、何を焦っているのかよくわからない。 「……ねえ、今更聞くのも何だけど、シルヴァランスっていくつなの?」 「え? ……あ、はい。数えで二十歳になりますけど?」 「ええっ! か、数えで二十歳ってことはまだ十九なの? ……私より五つも年下だったなんて」 その落ち着いた物腰から、自分と同い年くらいだと思っていたのか、セシリーはシルヴァランスの実年齢を聞いて驚きを隠せない様子だった。逆にシェドは何となく予想があったのかさほど驚いた様子を見せていない。アリアにとってみれば、シェドもシルヴァランスもセシリーもみな、同じくらいの歳に見えているのでさほど驚きはなかった。 「……でもまあ、十九歳にもなってそれじゃあちょっと純情すぎるんじゃない? あなた、今までに付き合った女性は?」 少し間を置いてセシリーが尋ねとシルヴァランスはブンブンと顔を左右に振り、さらに胸の前で両手も左右に激しく振って見せた。 「そんな! 生涯の伴侶となる女性を若輩の身で見つけようなど……」 「……いや、付き合うからって別にその人と結婚するとは」 「何言ってるんですか! その、お付き合いするということは婚姻関係を大前提にすべきことであって、軽々しい気持ちでは――」 「はいはい、わかったわかった。……もういいわ、あなたにこの手の話は今後しないことにする」 まだ言い足りなさそうに顔を真っ赤にして口を半開きにするシルヴァランスを後目に、セシリーはやれやれとため息をつきながら窓の外へ視線を逸らした。一体シルヴァランスは何をそんな熱くなっているのだろう。セシリーも一体何で呆れたような顔をしているのだろう。アリアは頭の上に疑問符を浮かべたまま、黙って二人を見つめていた。 シルヴァランスの熱弁が終わった頃、部屋の扉が開いてライオットが中へ入ってきた。しかしその表情はあまり芳しくなく、唇を噛みしめたまま伏し目がちにアリア達のもとへ歩み寄ってくる。 「……俺たちを無断で領地内に入れたことを親父さんに叱られましたか?」 シェドが肩を竦めて尋ねると、ライオットはハッとしたように顔を持ち上げて首を左右に振った。 「いえ、あなた達のことは事情を話したところあっさり許してもらえました」 「じゃあ何か別の問題でも?」 「……あ、はい。いえ、その、個人的な問題ですから気にしないで下さい」 笑顔を無理に繕うライオットをシェドが訝しげに見つめていた。アリアもライオットも曇った表情に困惑したが、何と声を掛ければいいのかわからず黙っていると、シェドがカラッとした笑顔を作ってきさくにライオットに話しかけた。 「じゃあ、早速だが貸してもらえる部屋へ通してくれないか?」 「ええ、そうですね」 シェドの口調がいつの間にかタメ口になっていることなど誰も気にせず、ライオットは笑顔でアリア達を先導する。その時、 「ライオット様。部屋の案内なら私がします」 隣の部屋から先ほどの女性が姿を現した。途端にシルヴァランスが頬を赤らめながら顔を背け、その様子をセシリーが楽しそうに見つめる。あの二人は何をやっているのだろうと、アリアは三度首を傾げる。 「いいよ、スザンナ。まだこの人達と話すこともあるから。……そうだ、長旅で疲れているだろうから風呂の準備をしておいてくれないか?」 「はい。わかりました」 ライオットも言葉にどこか嬉しそうに顔をほころばせるスザンナと呼ばれた女性。スザンナはそそくさと一行の元を去っていき、ライオットが悲しげな表情でその後ろ姿を追っていた。 「……さて、皆さんの部屋はこちらです」 シェド達の方を振り返った時にはライオットの表情はすでに笑顔で整えられていた。アリアは多少違和感を感じたもののさほど気にしなかったが、ふと隣を見ると、セシリーだけは何かを察したように口元を緩めていた。 使用された形跡がほとんど無い大きな部屋を二つ借り、シェドとシルヴァランスに荷物のチェックを任せてセシリーはアリア、シールディアを率いて一足先に風呂で旅の汗を流した。こういう場合はやはりレディファーストというものだろう。 その後、女部屋にシェド達を呼びつけて今後の方針を話し合うことにした。その場にはライオットの姿もある。 「セ、セシリーさん……。あの、もっとまともな格好を……」 「え?」 部屋に入って来るなり、シルヴァランスはどういうワケか顔を真っ赤にして視線を泳がしていた。確かにセシリーは風呂上がりと言うことで肩の露出した薄手のノースリーブにショートパンツを身につけているだけだが、別に下着というわけではない。 「……いえ、もう、いいです……」 セシリーが訝しげに見つめていると、シルヴァランスはかぶりを振りながらそっぽを向いてしまった。 「……では、一定範囲内まで近づけば、その時計がアリアさんの両親を特定できるわけですね?」 セシリーがシルヴァランスの様子をうかがっていると、シェドとライオットは何やらアリアの持つ魔練器時計のことを話し合っていた。 「そういうことだ。まあ、アリアの両親がちゃんと時計の片割れを持っているという保証はないが」 「待って下さい。それ以前に、本当にそれがアリアさんの両親の手がかりかどうかの確認は済んでるんですか? トルメキアの組織から抜け出す際に持ち出した物というだけでは、本当にアリアさんも物かどうかわからないじゃないですか?」 「それは大丈夫だ。時計の基盤には古い写真がプリントされていて、そこに映っているのは紛れもなくアリア本人だ」 シェドがそう説明すると、アリアがおもむろに時計の蓋を開いて中の基盤をごそごそと取り外し、ライオットに見せた。セシリーは以前確認したが、シルヴァランスとシールディアはまだ見たことが無かったのだろう、ライオットに習って基盤をジッと見つめた。 基盤にはどこか面影を残すアリアの幼少期が映っており、その手を握る女性らしき姿も映っている。しかし手と下半身しか映っていないため女性の顔は確認できない。 「多分こいつの手を握ってるのが母親で、写真を撮ったのが父親だろう。……知り合いの魔練器技師から、これが十年近く前に流行った子供が迷子にならないように持たせる対で一つの魔練器だってことも判明している」 「迷子になっても、互いの魔練器に埋め込まれたジェム同士が呼応して場所が確認できるようにね」 「そうですか。……それで、どれくらい効果があるんですか?」 「技師の話じゃ、ジェムの大きさとかから考えて半径五百メートルくらいだ」 アリアが時計の基盤を元に戻して服の中にしまい、静かに卓上に広げられたデオラガーン領内の地図を見つめた。注意してみていなければわからないが、セシリーはアリアが少しだけ表情を曇らせていることに気づいていた。 「わかりました。では効率的に回れば、各自治区に対して一日ずつくらいの捜索で良さそうですね」 「ああ。そのくらいで十分だろう」 「では、今日の午後からまずサルスベリ領内を、明日からは順に南部のペペル自治区、東部のガルベス自治区、北部のエルレイン自治区と回るのはどうでしょうか? 毎日サルスベリまで戻ってくるのは時間的に無駄が多いので、各自治区で一泊ずつしながらの三泊四日の捜索になりますが……」 ライオットの提案にシェドが少し考え込む。セシリーが横目でうかがうと、アリアとシールディアは大人達の会議に参加する気配を見せず、黙ったまま耳だけ傾けていた。 「俺たちはそれで別に構わないが、ライオットは領主の息子なんだろ? 四日も留守にしていいのか?」 「はは。父が居れば何の問題もありませんよ。まだまだ若輩者ですから、権力も権限も無いに等しいですし」 そう言って笑い飛ばすライオットを見ながら、セシリーは守衛達に毅然と命令を飛ばしたライオットを思い出す。謙虚なのか本当に自分ではそう思ってるのか、どちらにせよ、セシリーはライオットを裏も表もないシルヴァランスのようなタイプの人間だと直感した。 「……じゃあライオットの提案通りに行こう。ただ、俺はこの屋敷に残る」 「え? どうして?」 シェドの言葉に今まで黙っていたアリアが尋ねた。 「お前の服を修繕したり、色々買い足しておかなきゃいけない物も沢山ある。お前達がサルスベリに戻ってきたらすぐに次の街へ出立できるように準備しておくさ」 「……そう」 寂しげに頭を垂れるアリア。シェドがそんなアリアを一瞥してから、後方でジッとシェドを見つめていたセシリーを見て静かに頷いた。セシリーはそんなシェドに瞳を閉じたまま口元だけ微笑んで、静かに片手を頭の横まで持ち上げた。 アリアを頼む、シェドはそう言いたかったのだろう。 「ヒューイ、お前はどうする? まだ外は寒いぜ?」 シェドが至って陽気な声でヒューイを見つめると、部屋の片隅でジッとしていたヒューイがシェドの言葉を理解したかのように「キュキュー」と否定的な鳴き声をもらした。よってヒューイはシェド共にサルスベリで留守番することになった。 「私が居ない間はスザンナにシェドさんとチロルの世話をさせますね」 「おいおい。世話って、ヒューイはともかく、俺は別にガキじゃあるまいし……」 「いえ、彼女の作るご飯、美味しいんですよ」 そう言って屈託のない笑みを浮かべるライオット。シェドは鼻を鳴らして、「それは楽しみだ」と小さくつぶやいた。今度はヒューイも「キュッキュルー」と嬉しそうな鳴き声をもらす。二人、いや、一人と一匹揃って現金なこと。 「では、私はこれで」 ライオットの一言で会議は閉会。ライオットが「サルスベリ領内は自由に散策して下さい」と言い残して最初に部屋を後にし、続いてシェドとシルヴァランスが隣の男部屋へと引き上げていった。 結局シルヴァランスは一言も喋らなかった上、一度もセシリーを直視しようとしなかった。何だか耳まで赤くしながらそわそわしちゃって、このくらいの格好なら今まで何度も目撃してるでしょうに。 部屋に残った女三人は明日からの捜索に備えて必要な物を小さなバッグに詰め込んでいく。 「アリア、シール、替えの下着を少なくとも三日分用意しなさいよ。もし無いんだったら、今日の内に洗濯するか買い足すかしなさい」 「……服は何着持って行けばいい?」 「服はかさばるからね。嫌じゃなかったら、明日着ていく服を四日間着続けたほうが荷物にならないわ」 「では、替えの下着だけでよいのだな?」 「シール、女の子なんだから櫛と手鏡くらいは最低限持って行きなさい。それにタオルと歯ブラシ、生理用品は……まあ、私が用意しておくわ」 「……了解した」 あれこれと持って行く荷物に口を出すセシリー。二人の面倒を見ながらふと表情を伺うと、アリアはどこか楽しそうに、シールディアはどこか困惑したように、セシリーに言われるがまま次々と鞄に荷物を詰め込んでいた。 ライオットが自室の窓から外の様子を窺うと、客人達が玄関先に集って何やら話をしていた。まずサングラスをかけた紺色の上下で身を包む男が手ぶらで門の外へ消え、次に彼らを乗せていた馬車に繋がれた二頭の馬の一頭に乗って蒼い髪の女が姿を現す。桃色の髪の少女がその馬にまたがり、少女が手綱を握る女の腰に両腕を通してしがみつくと、女は手綱を引いて馬がローテンポで門から出て行った。 残った金髪の青年と銀髪の少女は、しばし互いの顔を見つめ合った後、一定の間隔を保ちながら揃って街の農業区の方へ歩いていった。 各人達の行動を眉間に皺を寄せたまま黙って見つめていたライオットの耳にドアをノックする音が聞こえた。ライオットが「どうぞ」と口にすると、静かに扉が開いて「失礼します」という控えめな声と共に、深緑の髪をポニーテールにしたエプロンドレスを身に纏う女性が落ち着いた足取りへ部屋の中へ入ってきた。 「ライオット様、申しつけの通り、明後日と明明後日に予定されていた商業振興会会議への出席はキャンセルしておきました」 控えめに、あくまで事務的に言葉を口にするベルグ家の使用人、スザンナを見て、ライオットは肩を竦めながら苦笑を表に出す。 「スー、二人っきりの時にそんな話し方はよせよ」 「……あ。ご、ごめん、リオ」 別に意識して事務的にこなしていたわけではなかった様子で、ライオットに注意されたスザンナはハッとして顔を赤らめた。そしてすぐに柔らかい笑みを浮かべてライオットを見つめ返す。穏やかなスザンナの表情を見てライオットは眉間に一層濃い皺を作る。 「どうしたの?」 「いや……。親父のヤツ、とうとうしびれを切らしたみたいだ」 「それって、もしかしてあの話のこと?」 鈴蘭のように可憐な笑みが一瞬にして悲しみに染まり、スザンナは視線を床に落として口元をキュッと結んだ。ライオットはそんなスザンナの表情を見て、拳を握りしめながら唇を噛みしめる。 「でも、その方がリオのためかもしれないね。多くの人がそれを望んでるんだし」 「けど――っ!」 消え入るような声でつぶやくスザンナの声にライオットが声を張り上げる。垂れていた頭を持ち上げ、そっとライオットの顔を見つめたスザンナの瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。 「…………」 ライオットは何も口にすることができない。しばし沈黙が続いた後、スザンナは小さく「私は仕事に戻るね」と言って部屋を後にした。 「俺は……。スー……」 窓から太陽を臨むライオット。その表情は迷いに満ち、拳は何時までも強く握りしめられていた。 シェドは街に出て迷わず手芸屋へ足を運んだ。寒がりのヒューイはベルグ邸を出ることを拒んだため、部屋で一匹、留守番している。スノーレンに比べて随分暖かい場所ではあるが、それでもヒューイには寒さが堪えるようだ。 シェドがどの街についてもまず一番最初にすることが自分とアリアの服の修繕である。今はシールディアの分も加わったため、三人分の服を修繕する必要があった。 セシリーはあれはあれで意外に器用なところがあり、シェドの裁縫道具を使って巧みに自分の衣類は自分で修繕を行っていた。シルヴァランスは扱いが丁寧なのか、服が傷んでいる様子はまったくない。 「黒糸と白糸。この生地とあの生地を頼む。あと、こんな模様の生地を扱ってないか?」 店員にあれこれ尋ねながら、シェドは紙袋一杯になるくらいの素材を買い込んだ。女性客がほとんどだという店内で一際シェドの存在は際立っており、若い女性や中年の主婦達が物珍しそうにシェドを見つめていた。いつものことだ。 「そうだ。店員さん、この街で流行の服ってどんなのか教えてくれないか?」 買い物袋を持って店を後にしようとしていた時、シェドは踵を返して眼鏡をかけた二十代半ばくらいの女性店員にそう尋ねた。出来ればアリアには女の子の間で流行っている服を着せてやりたいという、一種の親心みたいなものだ。決してアリアを着せ替え人形にしているわけではない。 「え? あ、その、男性の服についてはあまり詳しくなくて……」 「ああ、俺じゃなくて、その、十歳くらいの女の子がよく着ている服は?」 「女の子用の服ですか……? ちょっと待って下さいね」 女性店員はシェドに背を向けて奥の棚から一冊のファッション雑誌を取り出した。独自の文化を育むデオラガーンとはいえ、こういうところは他の国と何ら変わりはない。 「今年の春物は、シックな柄のミニスカートと、Vネックのトップ。カフスにリボンをつけて、胸元に花のパッチを縫い込むのが流行かな。Vネックの代わりに赤とか紺のタートルネックを着ている子も多いみたい」 店員がレジの横に雑誌を広げてみせる。雑誌にはアリアと同世代の少女が、愛らしい笑顔をばらまきながら流行の服飾で身を包んでいた。 「……ちょっと前にコルトリアで見かけた服に似てるな。ありがとう」 「いえ……。娘さんに似合う服が出来るといいですね」 店員の何気ない言葉にシェドは愛想笑いを浮かべながら店を後にした。 「十歳の娘がいるとでも思われたのか? ……そんなに老けてるように見えるのかよ」 隣の店のショーウインドウに映った自身の顔をジッと見つめながらシェドは肩を落とす。そして首を左右に振ってから買い物袋を抱え直して歩き出し、次なる思考を巡らせ始めた。 「メイド服はシールに着せるとするか。アリアには雑誌に載っていたようなタートルネックの……」 シェドがぶつぶつと呟きながら歩いている時だった。ふと、シェドの視界にアリアと同じ年くらいの少女が飛び込んできた。両手で大きな鉢を抱え、鉢には茎の太い赤と黄の大きな花が咲き開いている。 セミロングの銀髪をなびかせ、黒のワンピースの裾をバッサバッサと翻しながら少女が小走りで通りを駆け抜けていく。若干アリアより背が高いだろうか。 しばらくシェドが足を止めて少女を目で追っていくと、少女はとある建物の中へ消えていった。白と黒の外壁で出来た厳かな空気を漂わす教会。ただ他国のそれと違って、十字架の代わりにドラゴンと思われる、鋭い眼光を備えた生き物の頭部を模した物が建物の頂上に讃えられていた。 「……神竜教の教会か。明日にでもちょっと様子を見てみるか」 ぼそりとつぶやき、先ほどの少女が出てこないかしばらく待った後、誰も出てくる気配がなかったためシェドは一息ついてからライオットの屋敷への帰路についた。 「あの子の服も結構可愛かったんだけどな……」 アリアに着せる予定の服にあの子が着ていた服も追加しておこうと、シェドは心の中でつぶやいた。 馬にまたがってゆったりと進むアリアとセシリー。両親に関する唯一の手がかりである時計を首から提げ、アリアはセシリーの胴体に自身の両手を絡ませながらサルスベリ領内の街並みを見つめていた。背中を通してセシリーの体温が伝わってくると、どうしてかとても安らぐような気がした。 まだ春の陽気は感じられず、風こそ無いものの肌寒い空気が街を包んでいる。アリアは右手をセシリーの胴に絡ませたまま、シェドお手製のフードがついた紅いコートのフロントを左手でギュッと握り、小さな体を震わせた。 「寒いの? ……もっと重ね着してこればよかったのに」 アリアが体を震わせたことに気づいたのか、セシリーがそっと自身の首に巻き付いていた灰色のマフラーを外し、片手で手綱を握りながらもう片手でそれをアリアの首へ巻いてくれた。アリアが見つめるとセシリーは穏やかな笑みをアリアに送った後、アリアに背を向けて両手で手綱を握り直した。 「ありがとう」 「お礼なんていいわ。これは貸し。今度、私が料理当番の時に手伝ってね」 「……うん。わかった」 アリアの頬が緩む。わざわざ頼まれなくとも普段からアリアはセシリーが料理当番の時手伝っている。それはセシリーも同じで、アリアが料理当番の時はシェドに代わって口やら手やらを出していた。 二人を乗せた馬はゆったりとした足取りでサルスベリの街並みを越える。広場、公園、店、屋台、学校。多くの建物が二人の目の前から迫り、そして過ぎ去っていく。多くの人々とすれ違い、時だけが静かに流れていく。 しかしアリアの首に提がる時計は露程にも反応を示さない。ジェムを持たない他の時計同様、ただただ正確に時を刻み続けていた。 もはや当然のようなことであったがそれでもアリアの表情は徐々に曇っていく。何度もこのようなことは体験している。けど、それでも、心の何処かで期待していたことだから、こうして期待を裏切られていくと気分が沈んでいく。 「アリア」 沈黙が小一時間続いた時だった、ふと、セシリーが思いついたように口を開いた。 「あなた今、仏頂面してるでしょ」 「…………」 アリアの方を振り返っていないセシリーの言葉を受け、アリアは何も言い返せない。それはセシリーの言葉通りだったこと、そしてそれを指摘されたことに恥ずかしさを覚えたから。 無言のままのアリアに対し、セシリーが肩を竦めて、 「そんなんじゃまたシェドに怒られるわよ。女の子は笑ってなきゃ可愛くないぞって」 と、アリアに背を向けたままクスクスと笑った。アリアはまだ言葉が見つからない。 「アリアは……、今の生活が嫌い?」 「え?」 「両親が見つからなくてガッカリする気持ちもわかるわ。でも、そんな露骨に落ち込まなくてもいいんじゃない?」 「……でも……」 セシリーの背中を見つめたまま暗い表情を浮かべるアリア。そんなに露骨にがっかりしていただろうかとアリアはそっと自分の頬に手を添えた。セシリーは相変わらずアリアに背を向けたまま手綱を引いて馬をゆっくり進めている。 「アリアの両親が見つかったら今の生活はおしまい。アリアは両親と共に暮らすため旅をやめることになる」 「…………」 「それはきっと良いことだと思うわ。けど、やっぱり少し寂しいわよね」 「……うん」 「だからね、この街で両親が見つからなかったからといってそんなに気落ちしないの。だって、だからこそ私達はまだ一緒に居られる。本物には及ばないかもしれないけど、それでもそれに負けないくらい、私達は家族やってるんだから」 背中越しに「ね?」と尋ねるセシリーに、アリアは小さく「うん」と答えた。 「いつかきっとアリアの両親は見つかる。だからもう少しそれまでは、一緒にご飯食べたり一緒にお風呂入ったりして、一緒に旅を続けましょうね」 「うん。……家族、だもんね」 アリアは衝動的にギュッとセシリーの背中に抱きついた。瞳を閉じ、セシリーの背骨の出っ張りを頬で感じながらその熱を感じ取る。とても、とても暖かかった。 「うふふ、自分で言っておいて何だけど、結構恥ずかしい台詞よね。家族ってことは、シェドと私がお父さんとお母さん? そしてアリアとシールが娘かしら?」 カラカラ笑いながらセシリーが冗談っぽく言う。アリアはうっすらと笑みを浮かべながら、けれど心の何処かでその言葉が納得できないような気持ちを覚えた。何だろう、別に違和感を感じるような言葉じゃなかったはずなのに。 「……シルヴァランスは?」 「あいつ? ……うーん、息子にしては大きすぎるから、シェドの弟ってのはどう?」 「じゃあ、私にとっては叔父さん?」 「そう、そんな感じ」 セシリーは笑い続ける。アリアも表情は穏やかだが、やはり何処か納得いかないモヤモヤとした気持ちが心の中をうごめいていた。 そんなアリアの不満気な態度を感じ取ったのか、セシリーが「んー?」と唸りながら、振り返ってアリアの顔をのぞき込んだ。反射的に顔を背けたアリアだが、セシリーには本人すらよくわからないアリアのモヤモヤを容易に想像できたらしく、口の両端を持ち上げて目を細めながら優雅に微笑んだ。どうしてセシリーはいつも、アリアのことをすべて見透かしたような笑みを浮かべるのだろう。こちらはセシリーの考えていることは微塵もわからないというのに。 「そうねぇ、設定とはいえ、私とシェドが夫婦だなんて言ったらミレーヌが鬼のような形相をして襲って来そうね」 再び前を向いたセシリーは先ほどの話題を続ける。アリアも、まだモヤモヤが消えていないため黙ってその話に耳を傾けていた。 「でもミレーヌには悪いけど、シェドのミレーヌを見る目はやかましい妹を見る兄の目って感じだもの。恋愛感情はゼロに等しいから、シェドとミレーヌを夫婦にするって設定も難しいわね」 「……レンアイ感情?」 聞き慣れぬ言葉にアリアは復唱しながら首を傾げた。セシリーは構わず話を進める。 「いっそシェドとアリアを夫婦にする方がしっくりくるかも。シェドって意外とロリっ気ありそうだし、幼妻ってのも悪くないわ」 「――っ……」 セシリーの言葉を受け、思わず喉に何か詰まったような声を漏らすアリア。セシリーは背後でアリアが困惑した表情を浮かべていると知ってか知らずか、さらに話を続けた。 「だったら私はシェドの姉ね。いや、アリアの姉が私で、シェドの弟がシルヴァランスって感じかしら。シールはシェドの前妻の子で……」 「……セシリー?」 もはやアリアの声は届いておらず、セシリーはぶつぶつ呟きながら別世界へ赴いてしまった。しばらくあれこれ口にしながら妄想世界へ行っていたらしく、ハッとしたセシリーが慌ててアリアの方を振り返った時、アリアはセシリーを三白眼で睨んでいた。 「……あらら?」 「セシリー、ちゃんと前向いて。さっきから三回くらい人とぶつかりそうになった」 「あらあら。ちょっと心ここに在らずって感じだったみたいね」 苦笑しながら手綱を握り直すセシリー。アリアは怪訝な目つきを緩め、先ほど疑問に思ったことを口にした。 「ねえセシリー。レンアイって何? レンアイ感情がないと夫婦になれないの?」 「ああ、言葉が違うだけで、恋愛ってのは前にラーミアの遺跡で話した、好き以上の好きって気持ちと同じ意味よ。好きじゃない相手と夫婦にはなれないでしょ?」 「……私、まだ好き以上の好きって意味がよくわからない」 アリアは小さく息を吐きながら肩を落とした。以前立ち寄ったトラキアという街で初めて知った言葉で、初めての友達に抱いた心がぽぅっとなる気持ち。あれが好き。でもセシリーの言う好き以上の好きというのは一体何なのか、アリアには輪郭すら見えない。 「ホントはもう知ってるようなものだけど……。まあ、気づかない内はそれが何なのかわからないものよね」 ぼそりと呟いたセシリーの言葉はアリアにはよく理解できなかった。 「大丈夫よアリア。あなたはちゃんとわかるから……って、前にも同じようなこと言ったわね」 「……言われた。でも……」 セシリーの背中を見つめながら、アリアは小さく「私は、今知りたい」と呟く。アリアの微かな言葉はセシリーの耳に届いたらしく、セシリーはくすぐったそうな笑みを浮かべていた。 「最近……」 「ん?」 途絶えそうな会話をアリアはつなぎ止める。聞きたいことは沢山ある。けれど、その中でも一番今気になっていること。セシリーならきっと答えを知ってる。 「最近、シェドが嘘付くことが多くなった気がする。嘘で誤魔化して、ホントの事を教えてくれない。……私は知りたいのに、シェドは何も教えてくれない」 「……それは――」 「わかってる。きっと、知ったら私は悲しい思いをする。だからシェドは私に知られないように隠してるんだと思う」 トーンの低いアリアの声をセシリーは黙って聞いていた。言葉と言葉の境に長い間を置きながら、アリアはゆっくりと言葉を紡いでいく。 「でも……、嘘をつかれるのはイヤ。寂しい。私は……、ホントのことを知りたい。シェドに、ホントのことを言って欲しい」 「アリア……」 アリアはギュッと背中からセシリーを抱きしめた。 「セシリーは嘘を言わない。けど、何も教えてくれない」 本当はそれも寂しかった。けれど、嘘をついてでも何かを隠そうとするシェドの優しさも、嘘はつかないけど決してアリアに何かを悟られないようにしているセシリーの優しさも、とてもとても暖かい。わかってる。わかってるのに、それでも胸を締め付けられるような思いは収まらない。 「……そうね。あなたに言ってないことが最近多くなったわ」 「…………」 「ごめんなさい。でもこれはシェドに任せてることだから。その時が来ればきっと、シェドがあなたに言うと思うわ」 馬が石を撥ね、転がった石が道端の草むらに消えていった。アリアは石の行く末を黙って見守り、そして再度セシリーの体を強く抱き寄せる。 「……私、シェドから聞きたい」 「ええ。寂しいと思うけど、シェドが言ってくれるまで待っていなさい」 「うん」 アリアは元気よく返事をし、それで気持ちに一区切りをつけた。アリアがセシリーから身を離して天を仰ぐと、標高の高い地域だけあって空気が澄んでおり、他の街で見たのよりずっと澄んだ青空が天に張り付いていた。大きな翼を持った鳥が、悠々とその空を駆け回っている。 そう言えば、とアリアは口を開いた。 「セシリー」 「何?」 セシリーが前を向いたまま何の気無しに尋ね返す。さっき疑問に思ったことを忘れないうちに聞いておいた方がいいかもしれない。アリアはゆっくりと言葉を紡いだ。 「ロリっ気って何? 幼妻って何?」 「…………え?」 アリアの問いに、かなりの間を置いてからセシリーが唸り出した。何か変なことを聞いたのかと、アリアは小首を傾げてジッとセシリーの背中を見つめていた。 アリア達が向かった商業区とは別方向の穏やかな田園地帯。腰に愛刀を携えて代わり映えのしない白のローブで身を包み、微かに吹く風に鮮やかな金髪をなびかせながら、シルヴァランスは強ばった表情で前を歩くシールディアの背中を見つめていた。シールディアは黒のワンピースドレスの上に茶色いフード付きコートを羽織っている。 シェド達の旅に加わって二ヶ月余り。その間、シルヴァランスとシールディアがかわした言葉の数は数えるほどだった。それも至って事務的なものばかり。だからこうして二人きりになると、間が持たなくて辛い。 「…………」 シルヴァランスは必死に言葉を探し、顔を歪めて必死に思考を巡らせていた。そんなシルヴァランスの思いを知ってか知らずか、シールディアはシルヴァランスに背を向けて淡々と歩を刻み続けている。向こうから話しかけてくれないかというシルヴァランスの浅はかな希望など、全く叶う可能性はない。 シールディアが人間を護るために神が創ったドラゴンと呼ばれる存在であり、その任務を遂行する上で天使と呼ばれる存在は障害以外の何者でもなく、通じてシールディアにとってアリアは倒すべき敵だということはシルヴァランスも知っている。同時に、シルヴァランスはニーヴルという組織が企む世界破滅を防ぐため、奴らの計画に必要とされる天使と呼ばれる存在を消す任務を受けていた。つまりシルヴァランスにとってもアリアは倒すべき敵だ。いや、敵だったという方が正しい。 何故過去形なのか。それは二人とも今はアリアと共に行動し、アリアの仲間であると自負しているからだ。おそらくその点ではシールディアと変わらないとシルヴァランスは思っている。 シールディアは自身の任務が正しいのかどうかを知るために。シルヴァランスはアリアを護ることが世界を救うことにつながると考えたため。 理由は違えど、今の二人はアリアの仲間。 「シールディアさんは、どうしてアリアさんと共に行こうと思ったんですか?」 歩き始めて二時間。シルヴァランスの口から出た言葉は、この二ヶ月ずっと感じていた疑問だった。シールディアの存在を知らされて以来ずっと聞きたかった疑問。 「……そなたは、私の存在を知っているのか?」 シールディアがシルヴァランスに背を向けたまま質問に質問で返す。見た目よりずっと大人びた口調で、少しかすれたハスキーボイス。 そうか、シルヴァランスがシールディアがドラゴンであるということを知らないと思っていたのかと、シルヴァランスは苦笑しながら口を開く。 「セシリーさんに聞きました。あなたは人間を護るドラゴン。そして、アリアさんは人間の敵である天使。あなたにとってアリアさんは倒すべき存在のはずです」 「それはそなたも同じではないのか? シェドが言っていたが、そなたは天使を利用して世界を滅ぼそうとしている者達に敵対する者なのだろう? ならば、そなたにとってもアリアは倒すべき存在ではないのか?」 ふと足をとめ、シールディアがシルヴァランスへ体を向けた。その虚空を見つめるような琥珀色の瞳をジッと見つめ返しながら、シルヴァランスは凛と表情を整えた。 「……アリアさんと会い、戦うまではずっとそう思っていました。けれど今は違います。世界を救うためにあの子を殺すことがあってはならない。世界を救うためにすべきことは、ニーヴルを壊滅させ、あの子の胸に埋まった聖石を取り除いて破壊することです」 「そうだ。私もそれが可能だというのであればそれでいいと考えている。それを確かめるため、シェド達と行動を共にしている」 「どうして確かめようと思ったんですか?」 シルヴァランスが問うと、シールディアは瞳を細めて顎を少しだけ引く。 「……わからない。私はシェド達と出逢うまで、自分の意志というものを自覚したことがなかった。だが自分の意志を自覚した時、……ハッキリとはわからないが、ただ創られた理由だけに任せてアリアを倒すという行為に疑問を抱いたのだ」 暗に殺すという言葉を使わず倒すという言葉を用いるシールディアに、シルヴァランスは少々強面になっていた表情を緩める。やはりアリアに対する気持ちはシルヴァランスと変わらない。そう実感できたから。 「そうですか。そうですよね、アリアさんと会って彼女のことを知ったら、どうして彼女が世界の敵なんだって思いますよね。そんなの絶対におかしいって思いますよね」 「…………」 「たとえ天使が世界を滅ぼす存在であったとしても、情報が正しければ天使は十二人揃わなければ意味をなさないはずです。だから、アリアさんを守り通して絶対にニーヴルの手に渡しさえしなければ大丈夫です」 「そなたがアリアと共に居る理由はそれか」 「ええ」 シルヴァランスは拳をグッと握りしめて決意をアピールする。そんなシルヴァランスの表情を見て、シールディアの顔にうっすらと笑みが浮かんだ。 「あ、シールディアさんが笑った」 驚きのあまりシルヴァランスは声を大にして言う。アリア以上に表情の硬いシールディアの笑顔など、二ヶ月間見たことがなかった。 当のシールディアが、「え?」と不思議そうに自分の頬に手を添えて首を傾げた。 「シールディアさんが笑ったところ初めて見ましたよ。いつもいつも怒った顔ばかりで、その、ドラゴンは笑わないのかなって思ってましたけど……」 「……いや、シェドに言われて常時笑顔でいるよう努めていたのだが……」 「今の笑顔、とっても可愛かったですよ」 シルヴァランスは屈託のない真っ直ぐな笑顔でシールディアに微笑みかけた。シールディアはしばらく口を半分開いたままシルヴァランスの顔を見つめ続け、その後ハッとしたように視線を下げた。 「そなたは優しいな。シェドとは違う、真っ直ぐな優しさを感じる」 「そ、そうですか? でも、僕よりシェドさんの方がずっと優しいと思います。まあ、ちょっと天の邪鬼な人ですから、直接優しくしたりすることは少ないかと思いますけど」 シールディアも同意らしく、先ほど見せた穏やかな表情でコクンと頷いた。 「そうだ。シルヴァランス、そなたに頼みがあるのだが……」 突然、思い出しようにシールディアが口を開いた。シルヴァランスは目をしばたたかせて、「え? 何ですか?」と聞き返した。 「私は今までヒトと接することなく生きてきたため、ヒトの姿をしているとは言え作法や言葉において知らないことが多い。だから色々なことを教えて欲しいのだ」 シールディアの質問にシルヴァランスは一瞬思考が飛んだ。そして直ぐさま、思いついた質問が迷う前にシルヴァランスの口からこぼれ落ちた。 「シールディアさんは……、実際は女……いえ、メ、メスなんですか? その、ド、ドラゴンなんですよね? えっと、その、年齢とかは?」 見た目は十二、三歳の少女だが、ドラゴンであるシールディアは一体どうなのだろう。相手にわざわざ性別を尋ねるなど無礼に他ならない上、見た目女性である相手に年齢を尋ねるのもどうなのだろうと思ったが、聞かずにはいられなかった。 「ドラゴンに性別はない。年齢は千に届こうとしている。だが、この肉体はヒトの十代前半女性をベースに構成しており、私の自意識もそうなるようになっている。つまり、外見も中身も殆ど十代前半の女性と大差ないはずである」 「は、はあ……。えっと……。ま、まあともかく、シールディアさんは普通の女の子として扱っていいわけですね?」 「それでいい」 「……わかりました。では、わからないことがありましたら何でも聞いて下さい」 「感謝する。では早速だが……」 シールディアが真っ直ぐ歩いてシルヴァランスへ迫ってくる。シルヴァランスが困惑した面持ちで見つめていると、シールディアはシルヴァランスの脇をすり抜けて来た道を戻り始めた。シルヴァランスはオドオドしながらその後方に続く。 「シールディアさん? ライオットさんの家に戻るのですか?」 「いや、商業区へ行く。一人で行くつもりだったが、そなたが一緒に居てくれたほうが色々聞けて助かる」 来た道を行きよりも若干歩くテンポを上げて進む二人。行きはシールディアの後方一メートルを追従していたシルヴァランスも帰りはそのすぐ横に並んで歩を刻む。 「はあ……。あの、何か買う物があるんですか?」 「ああ。セシリーに、ブラジャーなる下着を買ってこいと言われた。私はそれが何か認知していないし、実物を見た経験もない。セシリーが言うには胸の膨らみを押さえるものらしいが……」 「なっ!? だ、駄目です! 女の子が肉親でもない男性と一緒にし、下着を買いに行くだなんて!」 いきなり声を張り上げたシルヴァランスに、シールディアが目をまん丸く見開いて驚きの表情を浮かべる。むしろ驚いているのはシルヴァランスの方だ。 「そ、そうなのか? それは認知していなかった。……そうか、ブラジャーは肉親以外の男性と一緒に買いに行ってはならぬ物なのか」 「そうです。まったく、セシリーさんはシールディアさんやアリアさんに一体どういう教育をしてるんだか……」 ぶつぶつとその場にいないセシリーへ煮え切らない思いをぶつけるシルヴァランス。そんなシルヴァランスを見つめながらシールディアが感心したように、 「流石はムッツリだな」 そう言った。シルヴァランスが聞き間違いかと思ってギョッと振り向くと、シールディアはそんなシルヴァランスを不思議そうに見つめ返していた。 「違うのか? 前にセシリーがそなたのことをそう褒めていたのだが……」 「そ、それは褒め言葉ではありません。くぅ、まったく、セシリーさんはどうして……」 シールディアが見つめる中、シルヴァランスは重いため息を繰り返し吐き続けていた。 小声で何度も、「まったく……」とセシリーに対する不満を口にしながら。 |
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