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第二章 心の知り方

 アルトレア大陸のほぼ全土を牛耳る巨大国家トルメキア。首都カラトスにあるトルメキア城の国王の間にて、豪奢な服飾を身に纏って王座にドンと腰を据える国王、グラバーグ七世の視界には黒のスーツで身を包んだ細身の男と、腰まで伸びた艶やかな黒髪に紫色の瞳が印象的な妙齢の女が立っていた。そして男と女の間には三人の幼い少女の姿がある。
「この娘らが、“心なき天使達”か……」
 国王が目を細め、同時に国王の両脇に立つ二人の軍人も矯めつ眇めつ少女達へ視線を送った。
「はい。左から順に、カプリコン、ジェミニ、アクエリアス。この三人を王都の守備としてカラトスに配置しておきます」
「……こんな少女達がそれほどの力を有しているというのか?」
 スーツを着た男が少女達を紹介した後、国王の左側に立っている顎髭を生やした軍人が怪訝そうに男を睨んだ。男は不敵に微笑みながら軍人へ視線を向ける。
「ええ。少なくとも、王都に配備されている全軍をもってしても天使一人の戦力には及びません」
「――っ!」
 その場に居る全員の視線が三人の幼い少女達へ向けられた。
 長い黒髪に光のない漆黒の瞳。着ている物もすべて黒を基調としたカプリコンと呼ばれた少女。青緑色の髪を頭のてっぺんでまとめるおでこを出したジェミニの瞳は濁ったような灰色で、身には紫色の振り袖を纏っている。アクエリアスは、輝きの無い黄檗色の髪をボサボサに乱し、暗闇でも輝きを放っていそうな真っ赤な瞳で周囲をキョロキョロと見渡していた。体を包むのは黄色のハーフコート。
 三人は感情の読み取れない表情以外にこれという共通点が見られなかった。
「では、私達はこれで失礼します」
 国王に向かって一礼し、スーツの男と黒髪の女が歩き去っていく。彼らと入れ違いに王の間に入ってきたのは栗色の髪をした細目の青年だった。薄気味悪い笑みを浮かべ、すれ違いざまに男達に頭を下げた青年は真っ直ぐ王の前へ進み、少女達の後ろに立った。
「レイナス将軍、この子らの世話は僕がします。一応この子らの住処や処遇の確認をしたいので、ご一緒願えますか?」
 えんじ色の瞳で国王の脇に立つ顎髭を生やした軍人、レイナスを見つめ、カプリコンとアクエリアスの頭に手を乗せた青年、アルフレッドは一層不敵な笑みを浮かべる。
「……わかった。では国王様、私達はこれで失礼します」
 アルフレッドに続いて三人少女達が王の間を後にする。その少し後方をレイナスともう一人の軍人が続いた。
 炎のような燃える赤髪。対照的な濃いブルーの瞳。三十代半ばの男は、切れ長の瞳を更につり上げてレイナスの前を歩く三人の少女達をその瞳に映していた。
「……そう憮然とした顔をするな、スルト」
「しかし、あんな少女らが天使だなんてとても……」
 背を向けたままレイナスが赤髪の男、スルトに語りかけると、スルトは納得いかない顔つきでレイナスの背中を見つめた。
「国王が認めたことだ。我らが口を出すことではない。我々がすべきは、ニーヴルの連中が国王に無断で何か事を起こさないよう監視することだ」
「……はい」
 スルトが俯こうとした時、ふいにスルトの視界に銀髪の女が飛び込んできた。思わず顔をバッと持ち上げたスルトは苦しそうな表情でその女を見つめる。
 女に気づいたのはスルトだけではなかった。先に気づいていたレイナスが足を止めてスルトを見つめ、
「午後はゆっくりするといい。代わりの者を警戒に当たらせる」
 柔らかな表情で囁いた。そしてアルフレッド達と共にレイナスの姿がスルトの視界から外れていく。
 しばらくレイナスの背中を黙って見つめていたスルトは大きくため息を吐いてから、城の柱の脇に佇む茶色の落ち着いたコートを着た銀髪の女の元へ歩み寄っていった。女は淡いブルーの瞳でスルトを見つめ返し、微かに口元を緩める。
「ミハル、王都に来るなら事前に連絡しろよ。“黒い影”のせいで、ジペインの街からカラトスに続く公道ですら稀に魔物が出没してるんだから」
「大丈夫です。それに、連絡などしたらあなたは軍人としての任を投げ出してでも同行しようとするでしょ? 国民の安全を守る軍人さんが、勝手に持ち場を離れるのはいけないと思います」
 行動を見透かされたスルトは再度大きくため息を吐くと、銀髪の女、ミハルのすぐ横に立って城の廊下を歩き出す。
「……さっきの女の子達は誰なのですか? なんか、変わった子達だったですけど」
「すまない。機密事項になっているから口外することはできない」
「そうですか」
 会話はあまり長く続かない。ミハルが様々な話題を提供するが、言葉のキャッチボールは二、三回以上続くことがほとんどなかった。
 二人は街に出て城下町のレストランへと足を運ぶ。人気のないこぢんまりとしたレストランは、ウエイトレスと数人の客が居るだけでかなりがらんとしていた。
「そう言えば……」
 注文を終えた時、ふとミハルがつぶやく。スルトは水の入ったコップを口元へ運んだまま視線だけミハルに向けた。
「レイチェルも、今頃あの子達くらいの年になっているはずですよね」
「……ミハル」
「わかってます、あなたがあの子のことを話したがらないのは。……でも……」
 ミハルが目の縁に涙を抱えて俯く。小さな嗚咽が零れ、スルトはそんなミハルの表情に耐えきれない様子で視線を窓の外へ切り替えた。
 スルトは何度目からわからないため息をつき、軍服のポケットから古い写真を撮りだしてジッと見つめた。
 桃色の髪を花飾りのついたゴムでまとめる三歳くらいの少女が無垢な笑顔で銀髪の女性の胸に抱かれている写真。それを見つめ、スルトは一層険しい表情を浮かべた。そして写真から目の前で静かに肩を落とすミハルへと視線を移す。
 ミハルの首元には写真と同じくらい古い時計が寂しげに掛かっていた。

* * *

「忘れ物ないか?」
 ベルグ邸の門前で馬に乗ったアリアとシールディアに声をかけるシェド。その胸元からヒューイがひょっこり顔を出してシェド共にアリア達を見送っている。シェド達の前でセシリーとアリアが一頭の馬に、もう一頭にシルヴァランスとシールディアが乗っていた。
「うん。大丈夫。シールディアは?」
「問題ない」
 アリアは赤のタートルネック、丈の長い黒のスカートを穿いている。シールディアは黒のワンピースと、その上に赤いカーディガンを羽織っていた。二人は背中にリュックを背負っており、傍目から見ればまるで子供の遠足だ。
 二頭の馬の前にもう一頭の立派な馬が居る。アリア達が乗る馬車馬とは比べものにならないほど毛並みもしっかりした馬の背には、ライオットが銀色の鎧を纏い、腰に細身の剣を携えて乗っていた。
「では出発しましょうか。スザンナ、留守を頼む」
「かしこまりました。……お気を付けていってらっしゃいませ」
 何処か悲しさや寂しさを含んだような表情で見送るスザンナを見つめた後、ライオットがパッとしない表情のまま先頭を切って門をくぐる。
 茶色のコートで身を包んだセシリーに背後から抱きしめるように掴まりながら、アリアが上体を捻って物言いたげにシェドを見つめていた。
 去っていくアリアを静かに見つめた後、シェドはボサボサの頭を掻きながらライオットの屋敷内へ引き上げていった。セシリーとシルヴァランスが一緒に居るのだから余計な心配は不要だと、自分自身に言い聞かせながら。
「……シェド様はどうなさるのですか?」
「んー、荷物の整理やらをするから午前中はずっと部屋に居る。午後は街に出てウロウロしてくるさ」
「左様ですか。では、昼食の準備が出来ましたらお部屋まで連絡に行きます」
「助かるよ」
 玄関先の吹き抜けでスザンナとは分かれ、シェドは二階の客間へ引き上げていった。


 昨日一通りぐるりと回ったサルスベリ領内を早々に駆け抜け、セシリー達は南門よりペペル地区へと移動した。自治区同士を繋ぐ門は石造りの立派なものであり、くぐり抜ける時はアリアが口を開けたまま呆然と門を見上げていた。
 門番達に止められて訝しげな視線を浴びたセシリー達だったが、随伴するライオットの顔を見るなり門番は朗らかな笑みで鉄格子の門を上げ、快く一行を迎え入れた。本人は権力などないに等しいとか言っていたが、顔パスが効くほどには力がありそうだ。
 サルスベリと異なりペペルは随分工業が発達した地域だった。黒い煙を煙突より上らせる大きな工場らしき建物が隣接するサルスベリやガルベスとほど近いペペルの北部に集中し、中央にはこの地区の人々に欠かせない様々な店、サルスベリから最も遠い南部に住居区があった。自治区内で農業を行っていないペペルは、工業製品をサルスベリやガルベスに売ってその金で農作物を購入している地域だという。
 昼前に着いたペペルについたセシリー達は商業区で早めの昼食を取った後、捜索活動を開始した。とは言っても、馬にまたがったままペペル地区を走る大きな公道をひたすら進むだけだ。デオラガーンに点在する四つの自治区はどれもそれほど広大な敷地を持っているわけではなく、小さなスペースに所狭しと建物が並んでいる。よってアリアの持つ魔練器時計の魔波が届くエリアをカバーするだけなら、さほど時間は取られない。
「活気ある街ねぇ」
 大きな公道を一本外れればそこには無数の露店が建ち並んでいた。何に使うかわからない機械のパーツなどを売っている店やら煌びやかな装飾品を売っている店など、とにかく店やそれを覗く人が多い。思わずセシリーも身を乗り出して貴金属を店先に並べる露店へと視線を送り、そのせいで馬がバランスを崩したため後部のアリアが渋い顔をしていた。
「ペペルはデオラガーンの中で一番人口が多く、また一番工業が盛んな地域ですから。私の住むサルスベリは農業が中心のゆっくりとした所ですが、ペペルはとても活気に溢れて少しばかりせっかちな所です」
「せっかち?」
 アリアがライオットの背中に尋ねる。ライオットが笑みを浮かべながら振り返り、
「ええ。何て言うか、いつも急いでいるような人が多いんですよ、ペペルには」
 と言った時、ふいに一行の行く手を一つの影が遮った。
「心外なこと言ってんじゃねーよ」
 影の主がライオットに向けて透き通るような美声を発した。途端、ライオットの表情が引きつって眉を顰めながら現れた影へ顔を向ける。
 セシリーの背中で声の主が確認できないアリアもそっと体を傾けてセシリーの脇から顔を出す。同様にシールディアもシルヴァランスの脇から顔を出し、その場に居る全員が声の主へと注意を集中させる。
 立っていたのは若い女だった。年の頃はセシリーと同じ、もしくは少し年下だろう。艶やかな赤毛は肩の辺りまで伸びており、左右に花びらのように広がっていた。茶色の瞳は切れ長でとても凛々しい顔つきをしている。一見すれば美少年に見えなくもない。肌は小麦色よりもっと黒く焼けており、とても健康的に見えた。背は決して高くないが小顔であるために頭身が高く、太陽光を反射させる銀の甲冑を身に纏い、腰には不釣り合いな程無骨で巨大な大剣を携えている。どこか高貴な騎士という印象を与える。
「……おっす、リオ。何でテメーがオレの領地に来てんだ? あ、まさか例の話か? わざわざ返答よこしにやってくるなんざ、相変わらず生真面目じゃねーか」
 現れた女騎士は、からから笑いながらサッと髪を掻き上げた。男らしい風貌と異なりその動作はとても色っぽく、隣の馬に乗るシルヴァランスが顔を少し赤くしていた。過剰な反応をするシルヴァランスをセシリーはそっと目で咎める。あそこまで純情だと初々しいを通り越して少々むかっ腹が立つが、決してセシリーが腹黒というわけではない。
「……皆さん、こちらはペペル地区の領主、グルジオス=ランドール様の一人娘、ミント=ランドールさんです。ミントさん、こちらはデオラガーンの外から来た客人で、今日ペペルへ来たのはこの人達と共に人捜しのためです」
「んあ? 何だ、人捜し? ……つまんねー男だな、こう言う時は嘘でもオレに会いに来たって言うもんだろーが」
 口を尖らせて不満げに眉を寄せるミントと呼ばれた女。ライオットが小さくため息をつくのをセシリーは見逃さなかった。
「……私は嘘は嫌いです」
 いきなり現れたミントに戸惑い、アリアとシルヴァランス、シールディアが無言でミントを見つめていた。セシリーはいち早く冷静を取り戻して社交的な笑顔を整えていた。
 そんな面々に気づいたミントが、大口開けて独特の笑みを浮かべながら早足にセシリー達の馬へ近寄ってくる。近くで見れば見るほど格好いい女性だとセシリーは思った。
「おう、テメーらがリオの所で厄介になってる客人か。何でも、そっちの食べたくなるくれーに可愛い女の子の両親を捜してるって話じゃねーか」
「……っ」
 急に視線を感じたアリアがビクッと肩を震わせ、セシリーの肩を掴む手に力が入った。シルヴァランスも及び腰でミントを見つめており、シールディアは無言でミントを見つめていた。みんな揃って初対面の相手に免疫がないのねとセシリーは苦笑する。アリアやシールディアはともかく、シルヴァランスは大人なんだからもっとしっかりしなさいよとシルヴァランスにだけ苦言を心の中でつぶやいた。
「お、イイ男にイイ女。それに着せ替えして遊びてー女の子まで一緒とは、面白れーメンツが揃ってるじぇねーか。なあ、リオ」
「あら、そういうあなたも十分すぎるほどいい女じゃない。ミントさんでしたっけ? 私はセシリー=フィレンツィア。こっちはアリア=フィルガントで、向こうはシルヴァランス=グレインにシールディア=エガンフィス。よろしくね」
「おうおう! よろしくな!」
 ミントが春の陽気な太陽よりも朗らかな笑みを浮かべてガハハと綺麗な顔に似合わない笑い声をもらす。セシリーは優雅な笑みを崩さず、口角をつり上げた。
「それで、人捜ししてんだろ? ならオレん所の部下を百人ぐらい出してやろーか? 数多い方が捜索には都合いいだろ?」
「いや、それには及びません。詳しい話は省きますが、人手は必要ありませんから」
「ああそうかい。……じゃあ、オレが捜すの手伝ってやろう」
「何でそうなるんですか」
 相変わらず屈託無く笑うミントに対して、ライオットがげんなりした様子で頭を垂らした。随分あっさりとやり込められている。
「何でって、そりゃあ決まってんだろ。オレだって女だぜ? 将来の伴侶となる男と少しでも長く一緒に居たいって思う女心、わかんねーのかよ」
「……あなたが言うと説得力ありません」
「ひでーこと言うな」
 急にライオットの表情が曇ったのを見て、ミントが笑みを消して切れ長の瞳を更に細める。何処か寂しげで、悲しみを落とした表情を貼り付け、途端に無口となったミント。そんなミントの様子や先ほどの言葉から、セシリーは二人の関係を何となく察した。
「……っと。捜索するなら、パパッとすましちまわねえと日が暮れちまうぜ」
「そうですね」
 俯き加減だった顔を持ち上げた時、ミントの表情は先ほどと変わらぬ満面の笑みだった。そしてライオットの同意を待たずにライオットの馬に飛び乗り、「ほれ、行くぞ」とライオットの背中を強打する。
 強そうに見えるだけで実はとても脆い人なのではないかと勘ぐりながらも、セシリーは何も言わずに馬を進めた。
 一行はペペル地区の捜索を再開し、小走り程度の速度でペペルの商業区を越えていく。
「うーん、ライオットも大変ねぇ」
 前を行くライオットとミントの背中を見つめながら、セシリーは小さくつぶやいた。アリアがセシリーの脇からひょっこり顔を出し、「何が大変なの?」と小鳥のように首を傾げた。
「アリアにはまだちょっとわからないかしら。あの三人の微妙な関係」
「……三人?」
「ライオットとミントさん、そして、スザンナさんの三人よ」
「ライオットはサルスベリを治める領主の息子で、スザンナはその使用人。ミントはペペルを治める領主の娘じゃないの?」
「今さっきミントはライオットに対して将来の伴侶となるって言ってたでしょ? その意味はわかる?」
「…………」
 アリアがわからないといった様子で眉を顰める。セシリーは手綱を握ったままアリアを振り向き、微笑みを浮かべて口を開いた。
「結婚する相手って意味よ。つまり、ライオットとミントさんは婚約者同士ってこと」
「……じゃあ、二人は好き同士ってこと?」
「うーん、ミントさんはそうだろけど、ライオットは……ね。だから大変なのよ」
「……?」
 アリアは相変わらず首を傾げ続ける。セシリーは苦笑して、隣を無言のまま進むシルヴァランスを呼びつけて自分らの馬と平行して歩くよう促した。
「何ですか、セシリーさん」
「シルヴァランス、あなた気づいてる? ライオットとミントさんの関係」
「は? ……ああ、将来の伴侶とかいう話ですか? つまり、お二方は将来を誓い合った仲だということですね」
 真顔でハッキリ答えたシルヴァランスに、セシリーはやれやれと言った具合に首を左右に振った。やはりこのニブイ男も、言葉以上の意味を全く察していない。
 セシリーの行動にシルヴァランスがキョトンとして瞬きを繰り返していた。
「そうじゃなくて、あなた気づいてないの? あの微妙な空気が……」
「微妙な空気? えっと……、何の話ですか?」
「……あなたに聞いた私が馬鹿だったわ」
 セシリーは大きくため息をつき、「誰も気づいてないのね」と独り言を呟いた。
「まあいいわ。他人の色恋沙汰に関わるのは無粋だしね」
 そう言ってセシリーは話を切った。アリアとシルヴァランスが困惑した表情でセシリーを見つめていたが、セシリーはそれ以上口を開かなかった。言うだけ野暮ってものだから。
 その後もアリアとシルヴァランスはずっと首を傾げていた。セシリーはため息を空に向けて放つことを繰り返した。


 スザンナお手製の美味しい昼食を取り終えたシェドは、ヒューイをスザンナに預けてから機嫌良くサルスベリの街へ繰り出していた。毎度おなじみの紺色の上下で身を包み、黒い瞳をサングラスで覆い、まだ少し肌寒いため服の上に茶色い皮のロングコートを羽織っている。
 ベルグ邸を離れ、行き交う人々で賑わう街を歩き、シェドは昨日見かけた立派な教会へ足を運んだ。他の国と違い、聖母ではなく竜を神と崇める神竜教の教会。トカゲのような頭に二本の角を生やし、立派な鬣に長い髭を有する魔物のような頭部が教会に訪れる人々を睨むように鋭い眼光で捉えていた。おそらくはあれが竜を模しているのだろう。
 キィィと木造のドアが軋む音と共にシェドが教会に足を踏み入れると、その音に反応してビクッと体を震わせた幼い少女の姿があった。黒のペティコートを着て、頭にフリルの付いたヘッドドレスを付けた少女は、曇り硝子のような灰色の大きな瞳を見開いてシェドを見つめていた。年はアリアと同じくらいで、銀髪のセミロングがとても似合っていた。
「……悪い、驚かせてしまったようだ」
 シェドはサングラスの端をつまんで裸眼で少女を見つめ、優しく微笑みかけた。
「見たところ君しかいないようだが、神父やシスターはいないのかい?」
「今日は出張ミサで留守にしています。何かご用でしょうか?」
「いや、神竜教のことについて色々聞きたくてね。……まあ、留守なら仕方ない。また明日来るとしよう」
 タイミング悪かったか、と少し気落ちしながらシェドが踵を返しかけた時、
「ああああああっ!」
 ふいに教会の奥から絹を裂くような子供の鳴き声が響いた。続いて教会の奥から幼い少年が姿を現す。年の頃は七歳くらいで、瞳に涙を浮かべて少女のもとへ駆け寄ってきた。
「ミュール姉ちゃん! アドが、アドがぁっ!」
「ど、どうしたの!? 落ち着いて話して!」
「ぐすっ、えっとね、みんなで一緒にご飯作ってて、アドがね、ぐすっ、包丁で指切っちゃって、その、血が、血が止まらなくって。ど、どうしよう、アドが死んじゃうよぅ」
 少年の言葉を聞いて青ざめた表情を浮かべるミュールと呼ばれた少女。ミュールは足早に駆け出し、立派なステンドグラスの下にあるパイプオルガンの影に隠れた扉を開けてその奥へ消えていった。
 しばらくその場に佇んで耳を澄ましていたシェドだが、奥から少年少女の泣き声が耳に飛び込んできたため、居たたまれぬ思いで再び踵を返し、声のする奥の部屋へと進んでいった。深入りするのもどうかと思ったが、ここで見捨てて行けるほど薄情な人間ではないつもりだ。
「――っ!?」
 部屋に足を踏み入れたシェドは驚いて目を見開いた。広いとは言い難い部屋に、十数人もの幼い子供の姿があったからだ。皆十歳にも満たない子供ばかりで、髪の色や瞳の色に共通点がないことから、孤児であるかもしれないとシェドは思った。
 その子供達の視線の先、ミュールが一人の少年を抱きかかえて涙を零しながらオロオロと慌てていた。見ると少年の右手の人差し指からボタボタと血が床にこぼれ落ちており、赤い肉の先に白い骨が浮かんでいるのが見える。少年はショック症状で呼吸がかなり乱れており、放って置いてはショック死する可能性があるくらい酷い様子だった。
「ちょっと道を空けてくれ」
 目の前で血を流す仲間と突如現れた謎の大人に困惑しているのか、子供達の反応速度は遅い。シェドは多少強引に子供達を押しのけてミュールとその腕に抱えられた少年の元に歩み寄ると、右腕の袖をまくり上げ、その腕に巻き付いた七色のジェムを有する腕輪に意識を集中させた。もちろん、ヒールジェムである。
「その子をしっかり支えていてくれよ」
「え……? あ、は、はい……」
 ミュールに優しく語りかけた後、シェドがヒールジェムに意識を注ぐと、シェドの右手から淡いグリーンの光が溢れてその光が少年の手を包んでいった。薄暗い部屋が黄緑色に染まり、皆が固唾をのんで見守る中、徐々に少年の傷が塞がっていく。
「多少痕は残るだろうが、まあ心配ないだろう」
 流れ出る血が止まり、完全に傷口が塞がったの確認してシェドは袖を戻してすっくと立ち上がった。
「アド、アドッ! よかったぁ!」
 驚いた様子で自分の手を見つめる少年に部屋中の子供達が駆け寄った。シェドは二、三歩引いてその光景を見つめ、微笑んだ後、その部屋を出ようと背を向けた。協会に来た理由は別に少年を助けるためではない。大人が居ない以上、留まる理由はなかった。
「ま、待って下さい!」
「ん?」
「あの、ありがとうございます!」
 シェドを呼び止めたミュールが深々と頭を下げて礼を述べた。シェドが、「今度からは気を付けろよ。特に刃物は大人が居ない時はなるべく使うな」と忠告し、今度こそ部屋を去ろうとした時、ふとシェドの視界に沢山の書籍が飛び込んできた。それは部屋の奥にある戸棚にびっしりと並べられた古い本で、かなりの年代物であるようだった。
「……なあ、そこにある本は教会のか?」
「え……? ええ、ここは教会の司書室ですから」
 ミュールが戸棚を確認してから答える。さらに、「司書室兼孤児院ですけど」と付け加えた。
 そこで少しシェドは思案する。カバーを見る限り、かなり古い書籍も棚には含まれている。もしかしたら何か有益な情報が得られるかもしれない。
「そうか……。あれを読ませてもらうのには神父の許可が必要か?」
「いえ、別に読みたければご自由に読んで頂いて構いませんけど、貸し出しは出来ないと神父様はおっしゃっていました。でも、実際尋ねられたのは初めてです」
 ミュールが不思議そうに首を傾げた。部屋に居る子供達もシェドを矯めつ眇めつ見つめ、あれこれ隣同士で話し合っている。
「貸し出しは無理……か。じゃあ、少しの間ここに厄介になってもいいか?」
 シェドが尋ねると、ミュールは考える素振りも見せず首を縦に振った。そして隣にいた幼い少女に「倉庫から椅子を一つ持ってきてちょうだい」と頼み、その後シェドを見つめて、「コーヒーご用意しますね」と微笑みを残してシェドの側を離れていった。
「気が利く子だな……。さて……」
 シェドは不思議そうに見つめる子供達の視線をながし、ずかずかと本棚に近づいていった。そして一冊の本を取り出し、タイトルをしばらく眺めてからページを開く。
 本は古代文字で書かれていたが、シェドは有名な古代言語のいくつかは読めるため、問題なく書を進めた。
 数ページ読み終えたところで、少女が身の丈に余る木造の椅子を抱えてシェドの脇に現れた。しかし何と声をかけて良いのか困惑している様子でオロオロしており、シェドが気づくまでずっと椅子を抱えたままだったらしい。悪いことしたなと思いながら、
「ありがとう」
 笑顔でシェドは少女から椅子を受け取り、そこに腰を下ろして再び視線を本へ落とす。
 司書室兼孤児院だというこの部屋は中央で区切られており、今は無いがふすまか何かで仕切られていたようだった。シェドの居る司書室の向こうには流しがあり、ミュールがコーヒーを淹れてシェドの元へ運んできた時、シェドは昼下がりの睡魔と格闘しながら本を読み進めている最中だった。淡々とした歴史本で、少し、いやかなり退屈だった。
「どうぞ」
「おっ、ありがとう」
「見慣れない服装をしてますけど、もしかして旅の方なんですか?」
「ああ。ちょっと訳があってな、世界中を回ってる」
 シェドは視線を本に落としたまま、本を持つのとは反対の手でコーヒーカップを掴みつつミュールの問いに答えた。
「そうなんですか……」
 ミュールがそっとシェドの持つ本をのぞき込むが、古代文字で書かれているためか、意味がわからないといった様子ですぐに興味を失ったらしく顔を引っ込めた。
 シェドが持っている本の表紙には、古語で「ヒトとドラゴン」と記されていた。シェドは子供達の好奇の視線を全身で浴びながら、また睡魔と必死に戦いながら、古語で書かれている本を読み続けた。
 時折、意識をフッと失いながら。


 結局アリアの持つ魔練器時計が反応することはなく、アリア達は夕陽が沈んで夜闇に覆われ始めたペペルの街を進み、目に付いた宿で一晩を過ごすことになった。
「わざわざ宿に泊まらなくても、言ってくれりゃあオレんちの部屋をただで貸してやるっつってんのに」
「グルジオス様が心配されますよ? 早く屋敷に戻ったらどうなんですか?」
 小さな宿だったため空きが一部屋しかなく、アリア達は同じ部屋に泊まることになった。そしてそこには、ペペルに入ってから出逢ったミントの姿もあった。
 常に明るく威勢のいい人。アリアはミントに、ミレーヌ強化版のようなイメージを抱いていた。
「冷てぇな、おい。それが婚約者に対する言葉か?」
「…………」
 ミントの言葉にライオットが口をつぐむ。表情は暗く、それは空気を伝ってミントの表情へも伝染する。
 傷んだベッドの上に腰を下ろし、アリアはセシリーと並んでそんな二人をジッと観察していた。そうしろと、セシリーに命令されていた。
「どう、微妙な空気、わかる?」
「……わからない」
 セシリーがアリアの耳元で囁くと、アリアは首を振りながら表情を曇らせた。セシリーが苦笑しながらアリアの頭を優しく撫で、さらに二人の観察を続ける。
 ミントが見た目通り、振る舞い通りの強い女ではないとセシリーは言っていた。けれど、その言葉が意味するところを未だにアリアはわからない。
 ふとアリアが視線を二人から逸らしてシルヴァランス達を見つめると、シルヴァランスは生真面目に明日の準備に余念がなく、出逢ってから二ヶ月近く友好的な態度を示さなかったシールディアがその作業を手伝っていた。時折頼み事をするシルヴァランスにシールディアが首肯で応じ、てきぱきと二人は荷物の整理を進めていた。
「何かさ、ミントさんの態度が、そう、演技っぽくない?」
 セシリーの言葉にアリアは視線をライオット達に戻す。
「演技……? よく、わからない。けど、何か二人とも、……居づらそう」
「あら、ちゃんと気づいているじゃない」
 それが正解なのかと思いながら小首を傾げるアリアを、セシリーが満足いった笑顔で見つめていた。
 ぎこちない態度で会話のやりとりをするライオットとミントは、傍観者がいることなど気づいている様子もなく、まるで二人きりの空間にいるようだった。
「……テメーはホント、優柔不断な男だな、昔から。しかもテメーはそれを優しさか何かと勘違いしてんじゃねーか?」
「わかってます。……私の態度が、あなたやスーを傷つけていることは」
「はっ! わかっててやってりゃ世話ないな。んまあ、テメーらしいって言えばテメーらしいが」
 ミントは肩を竦めるポーズを取りながら、相手を小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。しかし表面上笑っているように見えても、それが本心から笑っていないことにアリアはハッと気付いた。理由はわからない。けれど、決してミントは笑っているわけではないことに、ようやくアリアは気づくことができた。
「明日はガルベス、明後日はエルレインに行くんだろ? んでもって、明明後日にはサルスベリに戻る、と」
「そうです」
「よっしゃ。オレも同行してやるよ」
「だから、何でそうなるんですか?」
「テメー、女に同じこと二回も言わせるつもりか?」
 ライオットとミントの会話を聞きつつ、アリアは何とも言えない違和感を感じていた。セシリーが言うように二人は婚約者同士、それはつまり好き同士であるはず。しかし、古代都市ラーミアの遺跡でセシリーが言っていた言葉が、アリアの頭の片隅に引っかかっていた。
「……好きだからこそ、苦しい……」
 アリアは小声で記憶の中にあるセシリーの言葉を復唱した。その言葉を頭の中で反芻しながら、アリアはその蒼い瞳に二人を映した。
「どうして……?」
「ん? アリア、何か言った?」
「何で好きだと苦しいの? 二人とも、お互いのこと好きなのに、どうして……」
 唇を噛みしめ、アリアはスカートの裾をギュッと握る。組織を抜け出し、シェドと共に世界中を旅しながらようやく取り戻してきた感情という大切なモノ。しかしまだまだアリアに欠けている感情は多く、アリアはそのことを自覚し、かつ寂しく思っていた。
 自分に欠ける感情の話を耳にした時、アリアはスカートの裾を握る癖がある。その癖はセシリーに指摘されたもので、シェドに比べてアリアと共に行動した時間は短いが、同じ性別である先輩という観点から、セシリーはシェド以上にアリアの感情に敏感だった。
「アリアは、今何歳だっけ?」
 セシリーが穏やかな表情で尋ねる。答えを知っているはずだが、それでも尋ねたことに、アリアは素直に口を開いた。
「正確にはわからない。組織にいた時に見た記録によると、十二歳くらい。でも、誕生日はわからない」
「誕生日はシェドと一緒の日にするって決めてるんでしょ?」
「……シェドがそう言った」
「じゃあそれでいいじゃない。それでさ、私が十二歳の時、どんな子だったと思う?」
「……わからない」
 アリアは首を振る。目の前では相変わらずライオットとミントがぎこちない会話のやりとりをしており、部屋の隅では荷造りを終えたシルヴァランスが、本を開いてシールディアと話し込んでいた。というより、シールディアが次々と質問し、シルヴァランスが丁寧に説明しているような構図である。
「私が十二歳の時、前にも言った通り、両親はすでに他界して私は妹と二人、街頭を彷徨いながら、住み込みで働ける場所を探し回っていたわ」
「…………」
「子供を雇ってくれるところなんて無かったわ。それでも、必死に仕事を探して、幼い妹を守ろうって考えてた。その頃の私じゃ、今のライオットとミントさんの関係なんかちっとも見抜けなかったでしょうね。……生きることに必死だったから」
「セシリー……」
「その後は色んな事があったわ。住み込みで雇ってくれた家の男の子を好きになったり、学校に通う同世代の子達を羨んだり、妹が病に倒れてその家を追い出されたり……」
 そこまで話して、セシリーはアリアの肩に手を乗せて自身の体へ引き寄せた。アリアの頭がセシリーの肩に乗り、セシリーの甘い香りがアリアの鼻孔をくすぐった。
「そしてね、妹のことを憎んだこともあるの。妹さえ居なければ、私はあの家に居られて、あの男の子と一緒に居られたんじゃないかって」
「え……? でも、セシリーは妹のことが好きで、助けたかったから組織に入ったって」
「そうよ。だけど、どちらも本音で、どちらも捨てられないことだった。両方手に入ったらいいなって、当時は思っていたわ」
 アリアは瞳を閉じた。セシリーの表情が、優しい言葉とは裏腹に暗く寂しそうに染まっていくのを見たくなかったから。
「でも、結局どっちも手に入らなかった。男の子とはそれっきり会ってないし、組織に入ってからすぐ妹は死んだ。後は、前にラーミアで話した通りよ」
「セシリー……」
「さてさて、結局何が言いたかったかというとね、こーんな人生歩んできた私ですら、今はちゃんと、さしたる感情の欠落も無く女やってるわけよ。だからアリア、焦ることなんか全然無いわ。少しずつ、色んな経験を通して、あなたは着実に成長してるんだから」
「……そう?」
「そうよ。トラキアで初めて会った時のあなた、全然可愛くなかったわ」
 カラカラと笑いながらセシリーがアリアの髪を撫でる。桃色の髪はシェドによって綺麗に切りそろえられ、宝石が鏤められた薔薇の髪飾りが留まっていた。
「でも、今はずっと可愛くなった。そして、これからもきっと、あなたはどんどん可愛くなっていくわ」
「……うぅ」
 瞳を閉じたままアリアは小さく唸る。可愛いを連呼されると、何故か頬が上気して耳が赤く染まってしまう。セシリーが満足げにそんなアリアを見つめていた。
「そう言えば、胸も多少は膨らんできたかしら? アリアならきっと、あっさりミレーヌを抜き去って私並になるかもね、うふふ……」
 顔を赤らめながら、アリアは俯いて自分のそれを見つめた。確かに、言われてみれば最近胸が膨らんできたような気もする。もともとシェドに比べて筋肉質の体ではないため、少し太ったかなと思っていたけど、そうじゃないのかもしれない。
 しばらくそのまま俯いていた後、ふと横目でセシリーを一瞥すると、セシリーは穏やかな表情でライオットとミントのやりとりを見つめていた。アリアもそれに習って、かれこれ三十分は続いている二人のぎこちないやりとりを見つめる。
 言葉も表情も元気ないライオット。言葉面は元気だが表情はどこか暗いミント。
「好きだからこそ、苦しい……」
 アリアはセシリーの言葉を再度、小さく小さく繰り返した。


「シェド様は、今日も教会へ行かれるのですか?」
「んあ?」
 アリア達がサルスベリ領地を出て二日後の昼時、スザンナ特製の炒めご飯を頬張っているシェドに、後方で控えているスザンナが控えめな声で尋ねた。深緑の髪は花の髪留めでポニーテールになっており、鳶色の瞳は落ち着いた大人の雰囲気を醸し出している。白と黒のエプロンドレスは、彼女の女性らしいボディラインを浮き彫りにしていた。通称メイド服。いつかはアリアにも着せてやろうと、シェドは強く思っていた。
「ああ。そうそう、ちょっと調べ物があって」
「ご一緒してもよろしいですか? 実は私、教会にある孤児院出身でして」
「へぇ、孤児院出身で貴族に奉公してるなんて珍しいな」
 シェドが何の気なしに思いついた言葉を述べると、スザンナは事務的な表情を少しだけ曇らせた。悪いこと聞いたかと、シェドは追求を避けてカラッと笑う。
「俺の許可より、ライオットの親父さんに許しをもらうもんじゃないのか?」
「いえ、私はリオ……ライオット様専属のメイドですから、ライオット様より留守の間はシェド様の命を聞くよう仰せつかっております」
「ほー、専属メイドね。悪くない響きだ」
 サングラスに手をかけ、シェドはマジマジとスザンナの体を見つめる。スザンナは別段表情を変えることなく、黙ったまま同行の許可を待っていた。
「……セクハラに対して何のお咎めもなし?」
「シェド様の目は私に向いていませんから、安心しているだけです」
 確かに実際はメイド服の縫い目や生地の素材を見ていたわけだが。なるほど、スザンナは思ったよりずっと鋭そうだ。
「あっそう。……そうだ、いちいち命令するのも面倒だから、俺から言うのは一つだけ。思った通りに行動してくれ」
「…………。わかりました」
 スザンナが恭しく一礼する。シェドは食堂の片隅で、スザンナが入れてくれたミルクを飲んでいるヒューイを見つめ、
「ヒューイ、お前も一緒に行くか?」
 と尋ねた。しかしヒューイはピクッとシェドをしばし見つめた後、「キュー……」と気怠そうに鳴き、再びミルクを飲み始めた。
「……お前、その内太るぞ」
 シェドはそうぼやきながら立ち上がり、大きくのびをした。スザンナがキビキビとシェドが使った食器をキッチンへ運んでいく。
 玄関先で食器類の片づけを終えたスザンナと合流し、シェドは屋敷を後にして昨日訪れた教会へと移動した。
 教会の門の前で花壇に水をやる一人の少女がいた。銀髪のセミロングがよく似合っているミュールだ。シェドやスザンナが共に茶色のコートを羽織っているのに対し、ミュールは昨日と同じ黒のペティコートを身につけていた。
「あ、シェドさん。それに……、スーお姉ちゃん!」
 二人に気づいたミュールが、如雨露を地面に置いて二人に駆け寄ってきた。その表情は花壇にある花より可憐で、晩冬の澄みきった青空より透き通っていた。そして何より、スザンナに向ける笑みは思慕の情に満ちていた。
「久しぶりね、ミュール。みんな元気にしてる?」
「うん! みんなお姉ちゃんに会いたがってたよ!」
 昨日までの大人びた様子もなく、ミュールは無邪気な子供のようにスザンナの手を引く。実年齢で考えればその行動は決しておかしくないのだが、昨日は幼い孤児達の前で必死に姉役を演じていたからだろうか、昨日のミュールと今のミュールはまるで印象が異なっていた。たぶん、こっちが本当の姿なのだろう。
 三人が教会の戸を開いて中に足を踏み入れると、黒の法衣を纏った老人と、黒のイブニングドレスのような衣類を着ている中年女性の姿があった。どうやら神父と修道女のようだ。
「あら、スザンナじゃない」
「お久しぶりです、神父様、シスター」
「そちらの殿方は?」
「神父様、この人が昨日、アドの手当てをしてくれた人です」
 神父と呼ばれた老人がスザンナにシェドのことを尋ねると、ミュールが割り入ってスザンナの代わりに答えた。神父が笑顔でシェドに一礼し、シスターもそれにならった。
「いや、たまたま通りかかっただけだからあまりに気にしないで下さい。それより、今日もまた、司書室へお邪魔させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「ええ。貸し出しはできませんので、どうぞごゆっくり調べ事を進めて下さい」
 シェドは二人に一礼し、スザンナ、ミュールを伴って奥の孤児院兼司書室へと移動した。本当は神父達に話を聞くつもりだったが、そうするまでもなく、ここの司書室に収められている図書はなかなか興味深いことが書かれていた。眠気も誘うのだが。
 司書室に入ると、スザンナに気づいた子供達が、一斉にその側へ駆け寄って我先にとスザンナに話しかけていた。スザンナも、シェドに向けていた事務的な表情ではなく、心の底から笑っているような柔らかな笑みを浮かべており、シェドはそれを微笑みながら一瞥し、ミュールが用意してくれた椅子に腰を下ろして本を取り、昨日の続きを読み始めた。
 司書室の本棚に並ぶ本はどれも分厚く、どれも古語で書かれていた。読めるとは言え、普段使い慣れている言語とは異なるため詰まりながら読み進めるので時間がかかる。
 しかし、読まずにポイという訳にもいかなかった。記されている内容は、実にシェドが知りたい内容と酷似しているからだ。
 神竜教は“神狩り”が行われる前から存在する古い宗教だった。だからこそ、古代の人の考えを現代に残す数少ないもの。その歴史を紐解くことは、すなわち“神狩り”と呼ばれる神に対する最大の冒涜が何故起きたのか、“神狩り”とは実際何なのかに直結するはずだ。そしてそれらを理解できれば、きっと天使に関すること、聖石に関することも多少なりともわかるのではないだろうか。
 “神狩り”以前の歴史や、神竜教の発祥などを、重たい瞼を堪えながら読み進めるシェドは、大きな欠伸をつくと同時に見知らぬ単語がある事に気づいた。すでに三冊以上分厚い本を読破してきたが、一度も出てこなかった単語だ。
 古代文明の発達が第一巻。神竜教の発祥が第二巻。そして第三巻は、大きな変化をもたらす“神狩り”の時代についてだった。そこで現れた初めての単語。
 シェドは眉を顰める。知らない単語は前後の文脈から判断するものだが、どうやらそれは名詞らしい。直訳すれば、
「その時、ついに“ragnarok”が発動した……?」
「え? ラグナロクがどうかしましたか?」
 シェドの独り言に反応したのはミュールだった。シェドがハッと顔を持ち上げると、ミュールがコーヒーを盆に乗せてキョトンとシェドを見つめていた。
「あ、コーヒー入りました」
「ああ、ありがとう。ミュール、ラグナロクって言葉を聞いたことがあるのか?」
 シェドはコーヒーを受け取りながら尋ねた。以前、シールディアと初めて出逢った時に彼女が言っていた言葉だと思い出しつつ、彼女自身その言葉の意味を理解していなかったことを思い出した。
「はい。ラグナロクは神が神を抑制するために紡いだ特殊な魔法だと聞いています」
「神が……神を抑制する?」
「は、はい。その、意味はよくわからないんですけど、そう聞いています」
 ミュールは盆を抱きしめながら申し訳なさそうに言った。シェドはあまりに真剣な眼差しでミュールを見つめていたことに気づき、表情を緩めて、「コーヒーありがとう」と言い、本へ視線を落とした。
 そして、ラグナロクについて書かれているページに手を添えた時――
「きゃああっ!」
 絹を裂くような女性の悲鳴が部屋中に反響した。声は教会の外からだろうが、その鬼気迫る声の震えに、孤児達が一斉に混乱する。シェドもバッと顔を持ち上げ、周囲の様子を窺った。
「どうした?」
「わ、わかりません。今、神父様が外の様子を見に……」
 一度孤児達の居る部屋から出て、戻ってきたスザンナにシェドが尋ねる。スザンナがシェドの問いに答えている時、スザンナの背後に血相を変えたシスターの顔が現れる。
「み、みんな急いで教会から出なさい! ま、街に魔物がっ!」
「なにっ!?」
 子供達の顔が恐怖に引きつる。スザンナも動揺を隠しきれない表情ではあるが、必死に泣きつく子供達をあやしていた。
 教会の外から人々の悲鳴と奇っ怪な魔物の咆吼が届いた。一層シスターの混乱は増し、どうしていいのかわからないといった様子だった。
「落ち着け! あんたとスザンナは子供達を連れて安全な場所に避難しろ! 俺が魔物の足止めをする!」
「……わかりました」
 オロオロしているシスターとは異なり、スザンナは額に冷や汗を浮かべながらも冷静にシェドの指示に従った。それを見たシスターも少しは落ち着いたのか、ミュールも加わり三人で子供達の誘導を始めた。
 教会を出て、シェドは思わず目を見開いた。魔物の数が半端じゃなかったからだ。その数は百にも届こうかという魔物の群れ。すでに守備隊と交戦状態で、教会に来た時とはまるで景色が変わっていた。
 燃え上がる木造の建物。無惨に崩れた石造りの家。道端に力なく倒れ伏せている人々。
「ちぃ!」
 突如目の前に一体の翼を持った魔物が姿を見せる。低級悪魔のガーゴイルだ。翼と同時に二本の腕を持ち、長い足を持ったガーゴイルの気持ち悪い赤紫色の肌を見て、子供達の足が恐怖に駆られて動かなくなる。
『ギィィィッ!』
 シェドはとっさに腰のホルスターから自動小銃を抜き、セーフティを外して引き金を引いた。銃弾はガーゴイルの脳天に命中し、灰色の体液をまき散らしてガーゴイルが地上に落ちる。
「止まるな! 守備隊の基地があるところまで突っ走れ!」
「みんな、大丈夫。私に付いてきて!」
 スザンナが先導し、シェドがしんがりをつとめる。教会から少し離れた場所でサルスベリ守備隊の小隊に遭遇し、シェドは子供達の護衛を任せて魔物の群れの中心へ向けて駆け出した。背後からの追い打ちは回避しなければならない。
 小銃をしまい、道端で倒れていた守備隊の遺体からアサルトライフルを奪い、マガジンの残弾を確認してから両手で構える。そして弾が尽きるまで魔物の群れに一気に連射した。数はごまんと居る。狙う必要などなく、ただただ撃てば弾はいずれかのガーゴイルに命中する。
「数だけは多いなっ! くそっ!」
 魔物の叫び声と、守備隊の人間の叫び、銃声と爆発音がこだまし、逃げまどうに人々の喧噪がシェドの耳に飛び込んでくる。
『ギイヤァッ!』
「ちっ、弾切れかっ!」
 舌打ちをしながら、シェドは休むことなくアサルトライフルを連射する。弾が尽きれば投げ捨て、地べたに転がっている武器を拾っては次々と上空から迫るガーゴイルを撃ち落としていった。
「アド、アドーッ!」
 ふいに、シェドの後方からミュールの絶叫が響いた。慌ててシェドが振り返ると、護衛を任せた守備隊が全滅し、数人の子供達も大地に横たわり朱色の鮮血を流していた。デオラガーンに入るとき、サルスベリの守備は我らに任せておけとか大口叩いておいてその様かよ、と奥歯を噛みしめてシェドは踵を返す。
「く、くそったれっ!」
 シェドは必死に戦場を駆ける。しかしシェドの視線の先で、一匹のガーゴイルがミュール目掛けて鋭い爪をたてようとしていた。タイミングは絶対に間に合わない。
「くそっ! ――えっ……?」
 シェドの脳裏にミュールの亡骸が浮かんだ時、その画像は一瞬にして消え失せた。ミュールが迫り来るガーゴイルにバッと両手をかざしたかと思った瞬間、その両手から眩い光が迸り、光はガーゴイルを飲み込むとその影も形も残すことなくガーゴイルを完全に消滅させたのだ。
「な、何だ? ジェム……か? いや、あんな魔法見たこと無い……」
 驚いているのも束の間、次々とミュールにガーゴイルが集中する。シェドが必死にアサルトライフルで遠くから援護するが、圧倒的に数が多い。ミュールが不思議な力でガーゴイルを退けているが、単体にしか攻撃できないため長くはもちそうにない。今はあの力が何かを詮索している場合ではない。
 ミュールの前方と後方、双方向からガーゴイルが迫った。前方の敵に集中しているミュールはそれに気づいている様子はなく、シェドは後方の敵に狙いを定めて引き金を引いた。
「――っ!? くそ、ジャミングしやがった!」
 弾詰まりを起こしたライフルから銃弾が飛び出すことはなく、シェドは乱暴にそれを投げ捨てた。ホルスターから銃を抜こうとした時、すでにガーゴイルはミュールのすぐ側まで迫っていた。シェドの額に汗が滲む。
『ギャアアアッ!』
 ガーゴイルの奇声が響く。シェドがカッと開いた双眸で見ると、ミュールの後方から迫っていたガーゴイルが、ミュールの背後に滑り込むようにして現れた深緑色の髪をした女、スザンナの攻撃を受けて息絶えていた。
 スザンナは両手に短刀を構え、メイドとは思えないほど軽い身のこなしで次々と迫るガーゴイルを翻弄していた。巧みに短刀を振るい、舞い落ちる木の葉のような美しい動きで敵の攻撃には一切当たらない。かなりの戦闘力を有しているようだった。
 しかし多勢に無勢、しかも子供達を守りながらの戦いは、圧倒的に不利だった。
「こんな事なら、ショットガンくらい持ってくればよかったな……」
 後悔を口にしても何の解決にもならない。シェドはせめてジェムを埋め込める銃が一丁でも手元にあればと歯がみし、小銃でガーゴイルを撃ち続けた。
 腕輪のジェムを使えば、セシリーが魔剣と命名した剣を具現化できる。変形自在な魔剣なら、一気にガーゴイルを殲滅することもできるだろうが、生憎それも、ジェムを埋め込むことができる銃を手にしてこそ使える能力だった。ジェムを単独で使う、放出系魔法としての使い方は苦手であるため、セシリーのように雷撃を飛ばすことはできない。いや、やろうと思えば出来るかもしれないが、精度が低く、人間に当たる可能性もあるため、こういう乱戦では使えない。
 普段愛用している白銀の銃はベルグ邸に置いてある。あれさえあれば、この場を容易に打開できるが、取りに行っている暇はない。
 ようやく別の守備隊が応援に駆けつけた。シェドは内心、遅いと苛立ちながらも、銃をしまってミュール達のもとへ駆け寄り、やられた子供達の容態を確認する。
「……う、あう……」
「喋るな。余計な体力を使う」
 まだ息がある者にヒールジェムで治癒を施す。しかし、すでに三人の少年少女は事切れていた。自分の無力さを痛感しながら、シェドは息のある子供の傷を必死で治す。
 ようやく周囲が静かになっていった。遠くで銃声や爆音は続くが、目に見える範囲に敵の姿はなくなった。
 しかし静寂と共に訪れたのは、ミュールを始めとする子供達の悲痛な泣き声だった。
「うう……、アド……アドォ……」
 静かになった街頭に、ミュールの泣き声が響く。スザンナも、シスターも愕然とした面持ちでそれを見つめていた。十七人いた孤児達は、三人が死亡、四人が重傷、他は軽傷を負っていた。守備隊の男達が、重傷の子供達を背負って基地へ駆けていく。心配そうにその背中を見つめ、スザンナは一呼吸置いてから残った子供達に声をかける。
「私達も行きましょう。ほらミュール、お姉さんでしょ? いつまでも泣いてないの」
 ミュールの肩を叩き、強引に手を引くスザンナ。シェドが居たたまれない表情でそれを見つめていた時、ふいに奇妙な風がシェドの背中に当たって霧散した。
 背筋が氷るような悪寒。背後からビリビリと空気を伝ってくる威圧感。
「……こ、この気配は……まさか?」
 シェドが恐る恐る振り返る。破壊された教会には、ガーゴイルの一匹も見当たらない。シェドはそのまま、冷や汗を浮かべながら視線を上へ上へ持ち上げていく。
 目があった。鋭い眼光は朱色に染まり、赤茶色の鋼のような皮膚が全身を覆い、二つの角を持つ怪物。体長は優に二十メールを越え、巨大な両翼を羽ばたかせて巨体を空へ浮かべている。口からのぞく牙は槍のように鋭く長い。
「……レッドドラゴン! くっ、この状況でドラゴンかよ!」
 辛うじてガーゴイル共の襲撃から生き延びた人々も、その圧倒的な姿に恐怖を通り越して絶望し、生気のない目でドラゴンを見つめていた。一瞬、ドラゴンを神と崇める神竜教の教えを抱く人々は神が助けを遣わしたと思ってぬか喜びを覚えたが、その凄まじい殺気を肌で感じ、すぐに希望は絶望に塗りつぶされた。
『ギャオオオオオンッ!』
 ドラゴンは教会のあった場所に、大地を揺らす轟音をもらいながら降り立ち、大気を震わせるほどの咆吼を上げる。炎に包まれた尾が、触れるものすべてを灰と化していく。
「くそ、さすがにジェム無しじゃ無理だ!」
 シェドが踵を返して、目の前のドラゴンに背を向けた。そして全力で駆け出す。これは何が何でも一旦屋敷まで戻って白銀の銃を手に取るしかない。
「逃げろ! 人間が太刀打ちできる相手じゃない!」
「はい!」
 スザンナが子供の手を引いてシェドの後に続く。しかし――
「ミュール? は、早く逃げなさい!」
 ミュールの足が完全に止まっていた。口は半分開いたまま、曇り硝子のような瞳には何も映っていない。ただただ、ドラゴンに体を向けて佇んでいた。
「ちっ! ショックで我を忘れているのか!」
 シェドは地面を滑って体を翻す。ミュールの元へサッと駆け寄り、強引にその体を持ち上げようとした時だった。
「!?」
 ミュールが大地を蹴って、目にも止まらぬ早さでドラゴンに迫っていった。あまりの早さに、シェドですら反応が遅れたほどだ。
「ば、馬鹿! 何をっ!」
 シェドの声はミュールに届いていない。ミュールは崩れた建物や燃え上がる木造物を無駄なくかわしつつ、一気に距離を詰めてドラゴンの足下に移動した。
 シェドが呆然と見つめる先、ミュールは両手を持ち上げ、手のひらをドラゴンにかざす。
『グルルルル……。ガアアアアッ!』
 ドラゴンが唸り声を漏らした。口からは溢れんばかりの灼熱の炎が燃えさかり、近くにいるだけ骨まで溶けてしまいそうな熱気が周囲を包んでいた。
 熱気が渦を巻いて竜巻のごとき突風を巻き起こす。セミロングの銀髪が乱れ狂う中、ミュールは微動だにしない。シェドの位置からでは、ミュールがどんな表情をしているかわからない。
「な、何だ? 一体、何を……」
 シェドは固唾をのんで見守る。そして次の瞬間、
『ギャアアアアアアッ!』
 ドラゴンの咆吼が天をついた。ビリビリと大気の振動を肌で感じ、シェドは思わず呼吸と瞬きすら忘れてその様を見つめた。
 ドラゴンの巨体が光に包まれていく。眩く、圧倒的な威圧感を有した光がドラゴンの体を浸食し、ついにシェドは眩しさに耐えきれず目を閉じた。サングラス越しですら、その光は直視できないほど凄まじかった。
 時間にしてみれば数秒。だが、とてもつもなく長い時間、シェドは目を閉じていた気がした。そしてゆっくりと目を見開いた時、ドラゴンの姿はすでになく、ミュールが力なく地面に俯せに倒れていた。
「お、おいミュールッ!」
 シェドが駆け寄り、その小さな体を抱き起こす。息はあるが意識はなかった。まるで死んだようにぐったりと瞳を閉じている。一体何が起こったのだろうか、全く理解の範疇を越えていた。
「ミュール! しっかりして!」
 駆け寄ったスザンナが泣きそうな表情を浮かべる。シェドはミュールをスザンナの腕へ渡し、袖をまくって右手をミュールにかざした。外傷があるようには見えないが、シェドはヒールジェムを輝かせる。
「……ん」
「ミュール!」
 しばらくヒールジェムの光に包まれていたミュールが、目を半分だけ開いて微かに口を動かした。シェドはホッと胸をなで下ろし、まだ火の手が残る街へ視線を切り替えた。
 教会はボロボロに崩れ、竜の頭を模した彫刻が粉々に砕けていた。レッドドラゴンのせいで、教会の残骸はまだ炎に包まれていた。
「――っ!」
 シェドは何かを思い出したように駆け出し、教会の跡地へたどり着くと、必死に周囲を見回した。
「本は……。くそ、全部燃えちまったか!」
 メラメラと燃え上がる炎の中、シェドは歯がみした。だがその時、建物の残骸の中から灰の塊がシェドの目に映った。おそらく、司書室にあった本の残骸。
 足で灰を探ったが、蹴り飛ばした灰は宙に舞い上がるばかりで、すでに何の本であったかすら確認できない。しかしそんな中、一枚だけまだ燃え切ってない紙があることにシェドは気づいた。
 慌てて駆け寄り、そっと紙を持ち上げるシェド。たった一枚。たった一ページに過ぎないものだったが、シェドはその紙に“ragnarok”の文字を見つけた。
「…………」
 紙は所々焼き焦げて黒い点になっている。そんな虫食いのページではあったが、シェドは出来る限り読み取れる単語を捜した。
「ラグナロク……。これは、ヴァルハラ……と読むのか?」
 辛うじて読み止める箇所から、“valhalla”という単語を見つけたが、その意味はもちろん、品詞すらシェドにはわからなかった。
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