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第三章 立場と想いと意志 アルトレア大陸の北部は針葉樹林に覆われ、一年を通して冷たい空気に包まれている。冬場には大雪で針葉樹以外の木の枝は折れてしまうため、針葉樹以外の木々はどれも背が低い。 他の地域に比べて人口の少ない北部は、昔から様々な暗躍組織の秘密基地が位置していたと言われている。道無き道の先にある基地は、攻める側はもちろん、守る側としても補給や移動の際に障害が多いため、どのような組織の基地があったかなどの正確な記録は一切残っていない。 雪積もった森の中、一匹の白ウサギが足跡を残しながら駆け回っている。ふと、何かを感じ取ったウサギが、足を止めてピクッと長い耳を動かした。 白い森の向こうから、大きな熊……いや、毛皮の分厚いコートを幾重にも着込んだ人間が姿を現した。 ザックザックと音を立てながら、熊のような人間が森を進む。そして、何も無い拓けた雪原で立ち止まると、何やらボソボソとつぶやく。 その瞬間、パァっと周囲が淡い光に包まれ、空中に突如扉のような物が出現した。熊のような人間は、まるで水面に映る像のようにゆらゆらと揺らめく扉を開くと、スゥーッとその中へ消えていった。横から見れば、人間の体が左から一本の線に重なっていったように見える。 「ふう……。寒かったですわ」 人間がコートを脱ぐ。現れたのは、十代半ばの少女だった。金髪のショートに、意志の強そうな緋色の瞳をしている。少女は分厚いコートを脱ぎ、その下のハーフコート姿で部屋の中を歩き出す。 少女がいる場所はすでに雪原ではなかった。木造の建物の中、暖炉ではパチパチと音を立てながら薪が燃えている。薄明るい部屋には、少女がかけたコート以外にも何着が分厚いコートがかけてあった。 「もうもう。隊長さんったら、一体全体何の用なんでしょう。このくそ寒い本部なんか、くだらない用では絶対来たくないですのに」 ブツブツ文句をたれながら、少女が今居る部屋にある十三の扉の一つを開く。扉はどれも同じ色、形をしている上、少女がいる部屋は完全な正十三角形であるため、方向感覚を狂わせる。つまり、どの扉がどの部屋に繋がっているかは慣れない人間には皆目検討着かないはずである。 「ちょっとちょっと隊長さん! このわたくしに一体何用でございましょう!」 「……遅かったな」 少女の前で、机の上にある沢山の書類に目を通していた男が顔を持ち上げた。椅子に腰掛けているにも関わらず少女より視点の高い男は、長い黒髪を前は左右に分け、後ろは紐でまとめている。威厳のある顎髭を生やし、瞳は深い青。 「遅かったですって! そりゃもう、愛馬のポニーちゃんが寒いって言って森の前で立ち往生してしまったものですから、歩いて来たんですのよ! このくそ寒い中、歩きにくい森を可憐で聡明でひ弱で健気な女の子が一人、寂しくやってきたといいますのに、労いの言葉一つないのですか? 隊長さんは鬼です。悪魔です。ヒトデナシです」 整った顔立ちを歪め、キッと緋色の瞳を細めて男を睨む少女。しかし男は別段少女の機嫌など気にする様子もなく、一言、 「連絡が途絶えて、すでに六十七日だ」 と抑揚無く言った。少女は何のことを言っているのかわからないらしく、口をへの字に曲げたまま首を傾げた。 「古代都市ラーミアの遺跡へ調査に向かわせたシルヴァランスからの」 「――っ!?」 突如、少女の顔が真っ青になり、よろよろと後方に二、三の後ずさった。 「ま、まさか……。そんな……、で、でも、ラーミアにはニーヴルの人間はいないのではなかったのですか?」 「他の同志を向かわせた所、シルヴァランスが調査に行った前後、ドラゴンが目撃されているという情報を得た。そして、戦闘の痕跡も確認できた」 「ああ……」 泣き崩れるように床へ膝をつく少女。顔の前に添えた両手がカタカタと震えている。 「……だが、奇妙な証言がある」 男の言葉は少女に届いていなかった。少女は焦点の合わない瞳で呆然と口を開いている。 「これを見ろ」 そう言いながら、男が一枚の写真を少女の方へ飛ばした。写真はハサリと床に落ち、少女はのろのろと首を回し、写真に写っているものを見つめた。 「え……。ええっ!?」 少女の目に生気が戻る。慌てて写真を持ち上げ、そこに映る一人の青年を凝視したまま放心していた。 「それがシルヴァランスなのかどうかはわからん。もし本人なら、何故生きているにも関わらず連絡をよこさないのか疑問が残る」 「こ、これはいつどこで撮影されたものなのですか?」 「連絡が途絶えて五十二日目に、セトからデオラガーンへ続く公道でだ。同志の証言では、その写真の男は複数の連れと共にデオラガーンへ向かったそうだ」 少女が踵を返してあっという間に姿を消した。写真を握りしめたまま、男を振り返ることなく。 「回りくどいことするんですね、ガルバトロスさん」 いつからそこに居たのか、部屋の片隅に腕を組んだ若い男の姿があった。二十半ばと思われる男は、腰まで伸びた長い茶髪を紐でまとめており、軽薄そうな表情でガルバトロスと呼んだ男を見つめる。 「人員が少ないからな。お前達、“セイクリッド・スピア”には遺跡の調査とニーヴルの同行を探らせるため、余計な任務に投じることはできん」 「ふーん。だからあの子を使うわけね。ま、重要なのはシルヴィーの生死じゃなくて、アイツが何か掴んだかどうかってことだけどさ」 「……私は同志の命がまず一番重要だと考えている。だから彼女を派遣したのだ」 「はいはい。甘いなぁガルバトロスさんは。ま、だからこそ集った同志も多いんだろうけどね。……それじゃあ、俺も次の任務に行きますよー」 若い男は飄々とした態度のまま、ガルバトロスの居る部屋を後にした。 一人になった部屋で、ガルバトロスは大きくため息をもらし、山積みの書類へ目を通し始めた。 * * * ガルベス領地での捜索を終えたアリア達は、ライオットの屋敷を発って三日目の昼前、エルレイン領地へと足を踏み入れた。 エルレインは他の自治区すべてをまとめるデオラガーン中央府が置かれているため、他の区に比べてその地に住んでいる人は少ないらしい。大抵が他の自治区から選出された役人で、議会のある数日間だけエルレインに単身赴任することが多いという。 しかし同時に、ジェムが採掘されないデオラガーンでは蒸気機関や電気を利用した科学技術が発展しており、エルレインにはそう言った研究施設が多く存在していた。自治区の中央が住居区と商業区。東が研究施設。西が官庁街だとライオットがアリアに説明してくれた。 「……噂には聞いていましたが、随分変わった所ですね」 「そうね。アリアとシールなんか、目をまん丸にしてキョロキョロしてるわ」 シルヴァランスとセシリーのそんな言葉を小耳にしながら、アリアは口を開いたまま呆然と周囲をうかがっていた。エルレインは馬での移動が制限されるため、アリア達はエルレインのほぼ中央にある宿に馬を繋ぎ、歩いて東の研究施設各所を回っていた。 しかし、今まで回ってきた他の都市と大きく異なるエルレインの景観に視線を奪われつつも、アリアは相変わらずギクシャクした態度を続けるライオットとミントの背中を時折チラッと確認していた。どうしても、セシリーが言っていることの意味が知りたかった。 馬を宿に置いてから歩くこと一時間。先頭を進むライオットとミントは、ほとんど後方を振り返ることなく、かといってそれほど会話に夢中になっている感じでもなく、アリア達の前をひたすら歩き続けていた。 その少し後にアリアとシールディアが並んで歩き、さらに数メートル開いてセシリー、その背後にシルヴァランスと続く。 「シールディアは、ライオットとミントの微妙な感じ、わかる?」 ふと、アリアが隣を歩くシールディアへ顔を向けながら尋ねた。シールディアはチラッとアリアを一瞥してから前方の背中へ視線を移し、眉をひそめて凝視していた。 そして数分後、 「ふむ。微妙な感じという表現が曖昧模糊で知覚しにくいものであるが、私にもうまく言語化できない空気を二人が漂わせていると、理屈ではなく実感として感じられる」 アリアの顔を見つめて答えた。どうやら空気には気づいているが、アリア同様、それが何かまではわからないようだ。 「アリアも気づいているようだが、あれは何なのだ?」 「……ううん、私もわからない。だからシールディアに聞こうと思った」 「そうか。セシリーには聞かないのか?」 「……セシリーは答え知ってるから、聞くのはズル」 「もし私が答えを知っていたならば、私に聞くのはズルではないのか?」 「うー」 言われてみれば正論であるが故、アリアは返す言葉が思いつかなかった。そんなアリアの顔を見つめ、シールディアが微かに頬を緩めた。ほとんど無表情と変わらなくても、アリアにはそれ笑顔であるとすぐに理解できた。 「ふむ。答えを聞くことがズルだと言うならば、直接二人に問いただすという選択肢もないわけだな?」 「うん。聞くのはズルだから、様子を見てる」 アリアはジッと、ずんずん進んでいく二人の背中を凝視した。シールディアもそれに習い、ライオットとミントの背中を交互に見つめる。 「……ねえ、シールディアは、人を好きになって苦しいと思ったことある?」 「いや、私はそなた達と行動を共にするまで、ヒトと接触する機会がなかった。だから他人を好きになると言う感情は体感したことがない」 シールディアがどことなく寂しげな目で天を仰いだ。シールディアが何故旅に加わったのか、その経緯を知らないアリアは、そんなシールディアの言葉と態度を不思議に思い、もしかして親に捨てられたのではないかと勘ぐりながらシールディアの横顔を見つめた。 「だが、私はそなた達と一緒に居ることを心地よく感じている。それが、そなたの言うヒトを好きになるという感情なのかもしれない。そうだとすれば、私はそなた達を好きになって苦しいと感じたことはない」 「……そう」 「そなたは、セシリーと一緒に居ることを苦痛に感じているのか?」 「え?」 今度は逆に、シールディアが心配そうな顔つきでアリアを見つめた。アリアが目をまん丸に見開いて瞬きを繰り返していると、 「そなたはセシリーのことが好きなのであろう? そして今のような質問をするということは、そなたはセシリーのことを好きであるが故に苦しんでいる、と」 「ううん、違う。私も、人を好きになって苦しいと思ったことはない。だから、シールディアならそれがどんな気持ちが知ってるかと思って尋ねた」 「そうか……。先ほどと同じく、セシリーは答えを知っている問なのだな?」 「うん。……セシリーは、何でも知ってる」 それがとても羨ましくて、とても妬ましい。アリアがそっと首を回し、その瞳で後方を歩くセシリーを見つめると、セシリーはそんなアリアを見て首を傾げていた。 「私も、十代半ばの女性をベースに人格を構成しているとはいえ、多くの人間的感情が欠落しているから、セシリーの問の答えを模索することは、私が外見通りの少女となるための必要条件と考えていいかもしれないな」 「……え?」 「いや、こちらの話だ。それより、もう一度、先ほどそなたがした二つの命題について詳しく説明してくれないか?」 「あ、うん。えっと……」 アリアが二つの質問を再度口にし、シールディアが詳細やセシリーが何かヒントを言わなかったかとアリアに追求する。そんなやりとりをしている内に、いつしかエルレインの東側を踏破していた。 エルレインのほぼ中心にある、馬を繋いである宿屋へ戻ってきたアリア達は、休憩兼遅い昼食を取ろうと、宿の食堂へ向かう。そして食堂へ駆け込む際、アリアはシールディアに向かって、 「シールディアのしゃべり方、やっぱりヘン」 と、真顔で言った。ずっと気になっていたため、とうとう我慢できなかった。 「な、なに? ……うむ、確かに以前シェドに指摘された上、他者と比較して若干の違和感を覚えてはいたものの、些細なこととして気にしてなかったが。……そんなに変か?」 「……うん」 困惑するシールディアを見て幾分申し訳ない気持ちになったが、アリアははっきりと肯定した。それがかなりショックだったようで、あまり表情から感情を読み取れないシールディアの顔があからさまに歪んで今にも泣き出しそうな顔がアリアの視界に映った。 「私は、その、漠然としていてうまく言語化できないが、普通の少女になりたいと願っている。これが今の私の意思だと自覚している。だから、つまり、その……、教えてくれ。私の喋り方のどこがおかしい? どうすれば直るのだ?」 シールディアがまるで懇願するようにアリアを見つめた。しかしアリアとて、自分の喋り方が本当に女の子らしいのか自信が無い上、いざ説明するとなるとどうしていいのか困ってしまう。 「……私、教えるの苦手。だから、セシリーのしゃべり方を参考にしたら?」 「ふむ。そうだ、それがいい。セシリーはそなたにとっても、私にとっても見習うべき所を多く持っている素晴らしい女性だ」 「うん」 アリアが満面の笑みで頷いたとき、後方から盛大なくしゃみが聞こえてきた。 「くしゅん!」 「風邪ですか?」 鼻をすするセシリーのすぐ後ろで、シルヴァランスが心配そうに尋ねた。セシリーは歩幅を少し狭くしてシルヴァランスの隣に並び、長身のシルヴァランスを見上げるように見つめて、 「ちょっとね。まあ、シェドが噂してるだけなのかもしれないけど。……ああ、ミレーヌの可能性もあるわね」 と、笑った。その笑顔を見つめて、シルヴァランスは燃えるような赤い瞳を細めて静かに微笑んだ。 「風邪は引き始めが肝心ですからね。昼食前も大きなくしゃみをしてましたし、体調管理はしっかりして下さいよ」 「あらあら、お姉さんに向かって結構な態度じゃない?」 シルヴァランスがセシリーを子供のように扱うので、セシリーはシルヴァランスをあごの下から見上げるように流し目で見つめた。出来るだけ艶っぽく唇を持ち上げ、優雅な微笑を浮かべてシルヴァランスを見つめると、シルヴァランスは赤面しながら身を引いた。 「可愛いわね、シルヴァランスちゃん」 「ぐぅ、くそ……」 達成感と共にセシリーはポニーテールをいじりながら目を細めた。シルヴァランスは悔しそうに唇を噛みしめたまま、優雅に踊るセシリーの蒼いポニーテールを見つめていた。 「しかしまあ、どう育ったらそんな純情男になるのかしらねぇ」 「ほ、ほっといて下さい。僕の国では、それが当然のことなんですから」 「あらそうなの? ……で、あなたはどこ出身なのよ」 「……ランバーグです」 シルヴァランスがどういうわけか躊躇するように小声で答えた。シルヴァランスの落ち着かない様子も気になったが、それ以上に、シルヴァランスの口から零れた懐かしい国名にセシリーは驚きの表情を浮かべた。 「奇遇ね。私もニーヴルに入る前はランバーグにいたのよ」 「えっ、そうなんですか? だったら、あの国の男子たる者がどうあるべきか知っているはずです」 「うーん。記憶にないわね」 人差し指をあごに添え、上目遣いで空を見つめながら、セシリーは考え込む素振りを見せる。本当はあのころの記憶は沢山ある。けれど、それを口にすることを躊躇った。 ランバーグはアルトレア大陸南部に位置する比較的大きな街。かつては軍事国家であったが、トルメキアとの戦争に敗れて国は解体され、今はトルメキアの支配下に置かれている街だ。 ランバーグは様々な文化が入り乱れ、高度な文明が発達した都市として有名である。ただその裏では、所得格差の拡大や、貴族階級による圧政など、下層階級の人間にとってはその日を生きることで精一杯という現実もある。セシリーはそんな下層階級の出身だった。 「あなたの何処か高貴な態度は、ランバーグの上級階級である証かしら?」 「……さて、どうでしょうね」 「あらあら、またもお姉さんにそんな態度とるわけぇ?」 「…………」 話をはぐらかそうとするシルヴァランスに、セシリーは肩をぶつけながら追求する。しかし、いつもなら顔を近づけるだけで真っ赤になって身を引くシルヴァランスだが、今日に限っては心ここに在らずといった感じで、俯いたまま地面を見つめていたため、セシリーの攻撃に効果はなかった。 もしかしたらセシリー同様、シルヴァランスにも過去に何か辛い思い出があるのかもしれないと思って、それ以上問いつめようとは思わなかった。 「まあいいとしましょう。……あっと、そうそう、忘れてたわ」 しばらくシルヴァランスの横顔を見つめていたセシリーだが、ふとあることを思い出して両手を胸の前でポンと叩いた。セシリーは腰に付けた革の小袋をゴソゴソと漁り、中から見た目は何の変哲もない石ころを取り出し、草木が無造作に繁茂する空き地に向けて投げ飛ばした。 セシリーの行動をボーッと見つめていたシルヴァランスが、どう見てもただの石ころにしか見えない物体を凝視しながら首を傾げた。 「……あの、何をしたんですか? ただの石を投げたようにしか見えませんが……」 「そうね、そう見えるでしょうね。勝手に拾われないよう、石に擬装してあるもの」 「はい?」 「あれはミレーヌが作った魔錬器よ。ここに来る前、あの子の家で貰ったの」 シルヴァランスが矯めつ眇めつ石ころを見つめていたが、先頭を行くライオット達がセシリー達の様子を伺うことなくずんずん進んでいくため、セシリーはシルヴァランスの袖を引いて小走りで追いかけながら説明を続けた。 「ミレーヌが言うには、アリアの持っている魔練器時計と同じようなものらしいわ。石に擬装した内部には特殊な魔波を感知するジェムが埋め込まれていて、アリアの持つ魔練器時計と同じ波動の魔波を感知すると、ミレーヌの実家にある魔練器が反応するらしいわ」 「それはつまり、もし僕達が立ち去った後にアリアさんのご両親がこの辺りを通りかかれば、ミレーヌさんの家にある魔練器に何らかの反応があるということですか?」 「そうみたいね。アリアの持つ魔練器時計と、アリアのご両親が持っているそれは同じ魔波を発してるわけだから、世界各地にさっきの石を撒いておけば、その周波数を感知した場所からミレーヌの実家にある受信専用の魔練器が反応するって」 実際の所、ミレーヌがそう説明していたわけであって、セシリーは原理をちゃんと理解出来たわけではないのだが、魔練器技師でない人間にとって、大事なのは原理ではなく効果だ。それさえわかっていれば問題ない。 「す、すごいじゃないですか! ミレーヌさんって、そんなにすごい魔練器技師だったんですね」 シルヴァランスが感心したように息をつく。セシリーはクスクスと笑いながら、 「でもね、あの子はそうは思ってないらしいわ。自分なんかまだまだ、父親の足下にも及ばない未熟者だって。アリアの聖石を取り除く方法について、皆目検討がつかない半人前だって悔しそうに愚痴ってるのよ」 と柔らかな口調で言った。 「同世代の魔練器技師と比べたら頭二つ分以上秀でてるというのに、自分に厳しいというか、目標が高いのよね。それもまあ、アリアのためなんでしょうけど」 セシリーは腕を組んだまま歩き続け、穏やかな表情で語り続けた。一生懸命アリアのために尽くそうとするミレーヌ。会えば憎まれ口ばかり叩いているセシリーだが、本当はミレーヌのことをかなり信頼、いや、尊敬に近い感情を抱いていた。 「セシリーさんは、優しいんですね」 唐突にシルヴァランスがそう言った。セシリーは、何をいきなり、と思いながらシルヴァランスの真顔をじっと見つめ返す。 「何というか、ミレーヌさんやアリアさん、シールディアさんに対する態度が、その、母親のような暖かみを持っているというか、すごくセシリーさんの優しさを感じます」 「……ううん、違うわ。優しさなんかじゃない。これは、ただの罪滅ぼしだから」 シルヴァランスの言葉にセシリーは表情を曇らせる。だってそれは、偽善以外の何物でもないことをセシリーは知っているから。 「罪滅ぼし?」 「あなたには、私がニーヴルに入った理由とか、……妹の話はしてなかったわね」 セシリーはうつむき加減に頭を下げ、自嘲的に笑った。シルヴァランスも、覇気のないセシリーを見て様子がおかしいと感じたのか、それ以上セシリーの過去に触れることを躊躇っているように口をつぐんでいた。 二人の間に沈黙が降りる。セシリーは顔をそっと持ち上げ、道端に繁茂する高山植物に目を奪われているアリアとシールディアの背中を見つめた。まるで本当の姉妹のように仲良く並んで歩く二人を見つめていると、それだけで曇っていた表情が少し和らぐ。 ふと視線をシルヴァランスへ戻すと、シルヴァランスは穏やかで暖かな笑みを浮かべていた。 「なに?」 「……あ、いえ。別に……」 「お姉さんに見とれてた?」 色っぽく流し目を送ってみるが、シルヴァランスは微笑を崩さなかった。少し驚きながら、セシリーがシルヴァランスの言葉を待っていると、 「……セシリーさんのアリアさん達を見つめる目が、本当に優しげだなぁと思いまして」 と、後頭部を掻いて頬を赤くしながらシルヴァランスが答えた。そんなシルヴァランスの真面目で少し照れた様子の顔に一瞬見とれてしまった後、セシリーは小さく息を吐いてから小声で、 「ありがと」 とつぶやいた。 魔物の大群に見舞われ、多大な被害を受けたサルスベリ自治区。一夜明けた朝、シェドはベルグ邸で目を覚ますと、そっとカーテンを開いて外の様子を伺った。澄んだ青空とは対照的に、その眼下に広がるサルスベリの町並みは無惨な有様だった。 多くの建物が崩壊し、まだ煙が燻っている所も多々ある。行き場を失った領民が道ばたで晩冬の寒さに凍えており、甲冑で身を包んだ守備隊が忙しく奔走していた。 「ライオットはおらんのか!」 突然、廊下から男の威厳ある怒声が響いた。シェドが簡単な身支度を終えて部屋の戸を開くと、そこでは厳つい顔つきの中年男がスザンナにあれこれ詰問していた。年は四十半ばくらいで、白髪交じりの栗色の髪に赤茶色の瞳。一目見てすぐに、ライオットの父親だとシェドは理解した。 シェドに気づいたスザンナが軽く会釈をすると、ライオットの父親はキッとシェドを睨みつけた。シェドは反射的にビクッと体を震わせ、愛想笑いを浮かべる。 「それで! あの馬鹿息子はどこへ行った!」 「ライオット様は、ペペル、ガルベス、エルレインを回っておられます。帰宅は明日の午後の予定です」 「この非常事態にぶらぶらの他の領地をほっつき歩いておるとは、次期領主としての自覚が無さすぎる! ランドールの娘との婚約も決まったというのに、ちっとも婚儀の準備を進めようとせんし……。まったく、何を考えておるのだ!」 声を張り上げ、目の前のスザンナを睨むように見つめた男は、シェドを横目で一瞥してからその場を去っていった。まさしく自尊心の塊である貴族って感じの男だなと、シェドは去っていく男の背中を見つめて嘆息する。 「……災難だったな、スザンナ」 「いえ、慣れていますから。それより、シェド様は本日、どうなさるのですか?」 男の叱責にも全く動じた様子を見せないスザンナ。実に強かな人だ。 「ミュールや街の様子が気になるからな。とりあえず難民の避難所でミュールの様子を見てから、襲撃された街の方へ行ってみる」 「私もミュールの所へ行くつもりでした」 それ以上の言葉は要らず、二人はベルグ邸を出る。シェドは昨日のような事態を想定し、腰のホルスターに白銀に輝く銃を携え、筒状のショルダーバッグを背負っていた。中にはショットガンやスナイパーライフルなど愛用の銃器が納められている。万が一ドラゴンが襲ってこようとも、今なら迎撃出来るだけの戦力は持っている。まあ、来ないに越したことはないのだが。 サルスベリの景観は、昨日の午前中とはまったく異なっていた。デオラガーン以外の都市では見られない独特の外装を誇った建造物が無惨に破壊され、農業が盛んなサルスベリ領地の豊かな緑は灰と化している。収容の追いつかない領民の亡骸が建物の残骸や魔物の死骸とともに路上に放置されており、幾多の戦場を越えてきたシェドですら、とても正視できるものではなかった。 ベルグ邸から数里離れた所にある難民キャンプには、家を失った人々が避難し、守備隊によって食料や毛布を供給されていた。 泣き続ける子供。包帯が真っ赤に染まっている男。死んだ赤ん坊を抱きかかえる女。 シェドはこのような光景を何度も目の当たりにしてきた。ニーヴルにいた頃、このような惨状をもたらしたのは他でもない、シェド自身だ。 「悲惨だな」 「……はい。しばしば魔物の襲来はあったのですが、昨日ほどの大群は私が生まれてからは初めてです」 スザンナが痛々しい表情で疲れ切った顔つきをしている領民を見つめる。シェドは、特に表情を変化させず、周囲の様子を注意深く見つめた。 「そういえば、昨日のあんたの戦い方……、ずいぶん修練を積んだような感じだったな。初めて会った時から、足の運びが妙に軍人っぽかったから気になっていたが……」 「……はい。私はライオット様の護衛として、お側においていただいていますから。でも、私の力では何も守れませんでした」 「そんなことない。……スザンナがいなかったらミュールはやられていただろう。それに、もっと多くの子供がやられたはずだ」 シェドは難民キャンプの一角で、焦点の合ってない目で虚空を見つめる少女へ視線をやった。アリアと大して年の変わらぬ少女。その傍らに、家族とおぼしき姿はない。 記憶を掘り返せば、消せない過去の罪は次々と浮かんでくる。シェドも、かつては昨日の魔物達と同じように、ニーヴルの猟犬として罪のない人々を大勢殺戮してきた。 あの少女のように、親を亡くし、しかしそれを現実として認識できていない人間の目を何度もシェドは見てきた。いや、親を亡くしではなく、その子の親はシェドが殺したのだ。 「シェドさん! スザンナお姉ちゃん!」 シェドの鬱屈な表情を吹き飛ばしたのは、明るいミュールの声だった。シェドがたれていた頭を持ち起こすと、ミュールは傷ついた孤児達の介護を懸命に行っており、その脇には中年のシスターの姿もあった。しかし、昨日シェドが見た神父の姿はない。 「アド達は、避難所の脇にある集団墓地に埋葬されたわ。後で、お参りしてきなさい」 シスターが悲しげにささやくと、スザンナは無言で首肯した。 「ミュール、体の具合は?」 「大丈夫。私は別に怪我とかしたわけじゃないから。……ちょっと、巫女の力を使いすぎただけ」 「巫女の力? 昨日、魔物を退けたあの魔法みたいな力のことか?」 「あ、はい。そうです」 「なあ、あれは一体何なんだ? ジェムを使った魔法には見えなかったが……」 「……正直な話、私にもよくわからないんです。でも、生まれつきあの力を使うことができて、孤児として教会に住まわせて頂くようになってから、それは神父様に巫女の力だと言われました」 そう言いながら、ミュールの言葉は徐々に小さくなっていく。シェドがシスターに聞いたところ、神父は教会の前で魔物にやられていたらしい。おそらく、話しているうちに神父のことを思い出したのだろう。シェドはそう悟って話題をすり替える。 「しかし、ドラゴンに真っ正面から向かっていくなんて、案外気が強いんだな」 「……いえ、そんなことありません。巫女の力を使っていると、自分が自分じゃなくなってしまう時があるんです。昨日も、そうでした。覚えているのは、アドの顔を見つめて泣いていたところくらいまでで、それ以降の記憶はないんです」 神父に続き、弟のように可愛がっていた子の名前を口にしたミュールは、一層しぼんだ花のように表情を曇らせ、目の縁には溢れそうな涙が浮かんでいた。話題の選択を間違えたと後悔しながらも、ミュールの話に気になる所を見つけたシェドは、 「記憶がない……。ジェムを用いない魔法じみた力……。……似てるな」 泣きそうなミュールの頭を優しくなでるスザンナの後方で小さくつぶやいた。ふと脳裏に浮かぶアリアの姿に、シェドは軽く首を左右に振る。 「……はっ。たった二日顔見てないだけで不安になるなんざ、俺の過保護性も相当なものだな」 苦笑しながらサングラスの橋を人差し指で押し上げ、シェドは小さく息を吐く。 しばらくその場に佇んでいた後、シェドは腕をまくり上げ、女子供を優先に、難民キャンプに身を寄せる怪我人の手当てを開始した。幸いデオラガーンに来る前に寄ったミレーヌの家でヒールジェムは多く受け取っているため、魔力残量など気にする必要はない。 それに魔力残量を気にして怪我人を無視しようものなら、アリアの泣き出しそうな顔が脳裏に浮かんで離れない。そんな理由もあって、その日シェドはヒーラーとして奮起することにした。 エルレインでの捜索を終え、アリア達は宿で夕食を食べていた。丁度そのとき、聞き伝えでサルスベリが魔物の襲撃を受けた事実を知ることになった。 そのニュースを聞いて一番取り乱していたのはライオットだ。自分の父が治める領地が壊滅的な被害を受けたことを知るやいなや、宿を飛び出して馬に飛び乗ったのだ。 すかさずライオットに続いたのがミント。ライオットの乗る馬に駆け乗り、早く馬を走らせるようライオットを焚きつけていた。 そのあまりに迅速な行動に遅れをとったアリア達だが、すぐさま二頭の馬に分かれ、ライオット達を追って夜のエルレインを駆けていった。 「リオ! いくら焦ってるからって、人を撥ねるんじゃねーぞ!」 「わかってます! ミントさんこそ、落馬しないよう気をつけて下さい!」 「はっ! オレを誰だと思ってやがる!」 日中に比べてだいぶ空いてきた公道とはいえ、決して人の数は少なくない。ライオットが巧みに手綱を引いて馬を操作し、人々の合間を縫って疾走する後を、アリア達も二頭の馬で追いかける。 「……シェド」 セシリーの背中にしがみつきながらアリアは心配を口に出す。ニーヴルを抜け出してシェドに出会って以来、一昨日までは一日たりとも顔を合わさない日はなかった。だからなのか、アリアはシェドに限って魔物に後れを取るとは露程にも思わないにも関わらず、漠然とした不安を感じていた。 「シェドなら絶対大丈夫でしょ。……それより、大勢死傷者が出たって話だからね、気を強く持ってないとダメよ」 「……うん」 セシリーの言葉はアリアの心に軽々と突き刺さる。過去に多くの人を殺してきたアリアにとって、組織を抜けて以来一番恐れているものが人の死だ。セシリーはそれを知っている上で、先に釘を刺しておいたのだろう。 「私は……、もう……」 アリアが小さく呟いたとき、遠くから女の甲高い悲鳴がアリアの耳に飛び込んできた。反射的に顔を持ち上げたアリアの双眸に、エルレイン西部にある官庁街から火の手が上がる様子が映った。 「なっ! ま、まさかここにも魔物が?」 シルヴァランスが額に汗をにじませながら声を張り上げた。アリアは目を細めて様子を窺うが、夜の帳が降りた以上、遠目に確認できることはほとんどない。だが、 「……トロールの群れだ。北の山から押し寄せてきている。……ふむ、数はざっと五十といった所だ」 シルヴァランスの体にしがみつくシールディアが、まるでその場で見ているかのような口ぶりでそう言った。シルヴァランスが一瞬驚いたように横目で背後のシールディアを見やり、アリアとセシリーも驚きを隠さずシールディアを見つめる。 「セシリーさん! 敵はトロールの群れで、数は約五十!」 「くっ! あんな強力な魔物が五十体だなんて……。急ぐわよっ! 東部の住居区やすでに大きな被害を受けたサルスベリへ侵攻されたら厄介だわ!」 シルヴァランスの言葉をセシリーは前を走るライオットに大声で告げる。セシリーの言葉を聞いたミントが、馬の背中で後ろを振り返って大きく口を開いた。 「わかった! テメーらは危ないから、住民の避難を……」 「こう見えても、私達は戦い慣れてるわ! トロール相手にそうそう遅れはとらない」 はっきりと力強く答えたセシリーをしばらく見つめた後、ミントは何も言わずに前を向き直した。アリア達は夜道を駆け抜け、火の手があがる官庁街へ急いだ。 シェドのことも気になる。けれど、今は街の人を救うことが先決だと自分に言い聞かせてアリアはスカートの内に仕込んである銃器のチェックを行う。 まだ魔物の姿が確認できない所に馬をとめ、各自武装してからエルレインの守備隊と魔物が交戦する戦場へ向かった。 アリアは九ミリパラベラム弾を放つフルオートのハンドガンを両手に一丁ずつ構え、セシリーの両腕に巻き付いた腕輪、両足に巻き付けたアンクレットにはそれぞれ黄色のサンダージェムが埋め込まれている。シルヴァランスはウインドジェムが埋め込まれた細身の仄かに青白い刀身をした剣を握り、シールディアは素手のまま戦場へ赴く。 先頭を進むライオットの前に巨大な怪物、トロールが姿を現した。 体長三メートル。体重は二トン。屈強な肉体は灰色で、腕には巨大な棍棒、目はオオカミのように鋭い。口から見える牙は鋭く、頭部には短い二本の角が生えていた。力任せのパワー型は、接近戦を得意とするセシリーにとって好都合の相手だ。 『フンガァッ!』 トロールの棍棒がライオットの頭上より迫る。ライオットが腰から大剣を抜き、剣の腹で棍棒を受け止めると、トロールの怪力を殺しながら棍棒を受け流し、素早く懐に潜り込んで剣先を立てた。墨汁のような体液が飛散し、銀色の鎧が薄汚れる。 「なかなかやるわね」 「はい。僕達も負けてられません」 セシリーが感嘆の声を漏らすと、隣のシルヴァランスが剣を握り直してそう応じた。シルヴァランスは左手の方角へ駆けていき、すぐにトロールとの戦闘に突入した。 「ミントさん、魔物の相手は私がしますので、怪我人の避難を優先して下さい!」 「わあってるよ! けどな、オレだって伊達にペペル守備隊の小隊長やってるわけじゃないぜ!」 セシリーの視界に二匹のトロールに囲まれた幼い少女の姿が映った。周囲に守備隊の姿はなく、少女の顔は引きつったように真っ青だった。腰が抜けてその場に座り込んでいる少女にトロール達が容赦なく猛撃をかける。咄嗟に飛び出そうとしたセシリーよりも早く、先頭にいたミントが大地を蹴ってトロールへ突進していった。 「させるかっ!」 ライオットが持つもの以上に巨大な剣を両手で握り、ミントが戦場を駆け抜ける。一陣の風と化したミントは、深く腰を落とした姿勢から一気に剣を振り上げ、剣先が大地を削りながら空へ舞う。一撃目でトロールの棍棒を真っ二つに引き裂き、剣先が円を描いて繋がる二撃目でもう一体のトロールの腕を落とした。 しかしトロールはすぐさま反撃に転じる。ミントの大剣をガシッと受け止め、ミントが唖然とするのも束の間、二匹同時に巨大な拳をミントへ投げつける。その時、すでにセシリーは攻撃の姿勢に入っていた。 「くそっ! ――っ!?」 「お邪魔するわよっ!」 かわしきれないと判断したミントが、何とか直撃をさけようと体をねじったとき、ミントと二匹のトロールとの間にセシリーが割り込んでいった。セシリーは一瞬ミントの顔を見つめてクスリと微笑むと、すぐさまトロールへ鋭い視線を送りながら両腕の腕輪に意識を集中させる。 「ミレーヌのお父さんに沢山ジェムもらったからね。今日は使い放題よっ!」 口元に若干の笑みを残しつつ、セシリーは両手から凄まじい雷撃を迸らせる。暗闇の中で雷撃が閃光のように眩く弾け、同時に奇っ怪なトロールの腕を灰と化した。 『アグゥアアアッ!』 雷撃で怯んだトロールとは別の一匹がセシリーの側面から迫る。トロールの拳が激しく大地をえぐるが、その先にセシリーの姿はない。セシリーは宙に舞っており、華麗に身を翻しながらアンクレットに埋め込まれたジェムへと魔力を注ぐ。 「力馬鹿の魔物は、戦いやすいわっ!」 空中より、青白い光に包まれたセシリーのしなやかな足がトロールの脳天を打つ。トロールがおぞましい悲鳴を漏らしながら後ずさり、そこへすかさずミントが追い打ちをかけ、大剣がその身を真っ二つに引き裂いた。 「やるじゃねぇかセシリー」 「あなたの剣筋もね」 ミントの男っぽい独特の笑みに、セシリーは優雅な笑みで応じる。ミントがすぐにもう一体のトロールへ攻撃を仕掛け、セシリーは襲われそうだった少女を抱き上げて一旦その場を離れ、東へ避難していく街の人を見つけて少女を預けた。 少女を預けてセシリーがミントを振り返ると、ミントはライオットと共に十体近いトロールに囲まれていた。頭数だけはやたら多い。 「あらあらまったく……。下手な鉄砲も数打ちゃ当たると思ってるのかしら」 セシリーが鬱陶しく愚痴る手前、左方の倒壊した建物の影から飛び出したシルヴァランスがライオット達を取り囲むトロールの一体を一瞬にして斬り伏せた。仄かなグリーンに輝く刀身は、細身で簡単に折れそうであるにも関わらず、トロールの屈強な肉体をまるで野菜を切るかのように軽々と裂く。 タイミング良く颯爽とした登場に、セシリーは思わずどきっとした。一瞬だけシルヴァランスがかっこよく見えてしまったり、しまわなかったり。 セシリーが見つめる先、瞬く間にライオット達のそばに駆け寄ったシルヴァランスは、左手の人差し指につけた指輪を輝かせて凄まじい爆風を周囲に放った。トロール達の巨体が宙を舞って吹き飛び、囲いが一瞬にして崩壊する。 「敵は分散させました! 各個撃破しましょう!」 「おお! いい技持ってるじゃねーか!」 ライオットとミントが同時に大地を蹴ってそれぞれ別のトロールへターゲットを絞る。負けじとセシリーも飛び出し、シルヴァランスの側面から迫っていたトロールに雷撃をたたき込んだ。 四人は一体ずつトロールを撃破し、着実に敵の戦力を削いでいった。 一方、アリアとシールディアは持ち前のすばしっこさを発揮して一気に戦場の中心に潜り込んでいた。当初、シールディアの素性を知らないアリアはシールディアに馬のところで待つよう促したのだが、シールディアが「問題ない」の一点張りで聞く耳を持たないため、こうして共に激戦区を駆け抜けていた。 「アリア! 左前方にまだ息のある人間がいる。トロール三体の襲撃を受けているぞ!」 「――っ!?」 シールディアの指示した方角を確認すると、老婆と小さな少年が地面に座り込み、その手前に三匹のトロールの姿があった。アリアはすぐさま体の向きを変え、ハンドガンの銃口をトロールに向けながら一気に間合いを詰める。 トロールが巨大な棍棒を振り上げた瞬間、その腕を無数の弾丸で撃ち抜いた。トロールが奇声と共に棍棒を落とし、トロール達がギッとアリアを見つめる。 「シールディア、二人をお願い」 静かにそう言うと、アリアは一気にトロールの懐へ潜り込んだ。あえて敵の間合いに飛び込むと、トロールの注意が完全にアリア一人に向く。三匹のトロールの足下を踊るように舞いながら、次々と迫る攻撃をひたすら避け続けている間に、シールディアが街の人間を敵の姿が見えない場所まで引率していった。 アリアの華奢な体など一撃で砕いてしまいそうなトロールの一撃だが、それは決してアリアの体に命中することはない。まるで宙を舞う羽毛のごとく、アリアの体はトロールの攻撃をことごとく避け、同時に反撃でハンドガンのトリガーを引く。 しかし銃弾の大きさに比べて銃身が小さいアリアの銃では、決して初速度は早くないため貫通力も乏しい。人間相手ならそれでも問題ないが、トロールのような鋼鉄の皮膚を持つ魔物にはなかなか致命傷を与えられない。だが、そんな相手に対する対処法も、アリアはニーヴルでの訓練で培っていた。 「……視力を奪う」 無為に撃ち込んでも弾の無駄だと判断したアリアは、小さな身に叩き込まれている戦闘スキルを口に出して復唱。パワータイプで動きの鈍い魔物に対するセオリーを思い起こし、すぐさま実行する。 アリアは振り下ろされたトロールの棍棒の上に舞い降り、そのまま棍棒を伝ってトロールの腕へ飛び乗り、そのまま腕の上を颯爽と駆ける。一瞬にしてトロールの顔面付近まで迫り、すかさず照準をトロールの両眼に合わせて引き金を引いた。 『ガアアッ!?』 視力を奪われたトロールが暴走するように周囲に棍棒を振り回す。しかしアリアはそんなトロールには目もくれず、すぐさま別の二匹にターゲットを切り替えて、同様にその両眼を撃ち抜いた。 圧倒的な早さを武器にトロールの視力を奪ったアリアは、スカートの中に左手の銃を収め、同時に二個の手榴弾を取り出した。安全ピンを口で抜き、トロール達の中心に投げ捨ててその場を離れた。 爆音と共にエルレインの街を閃光が駆け抜ける。三匹のトロールが大地へ倒れ伏せるのを確認してから、アリアはふぅっと肩で息をつき、シールディアの様子を伺った。 「――っ! シールディア、後ろっ!」 気づいたとき、シールディアの背後にトロールの姿があった。アリアの位置からではハンドガンの射程外であるため、アリアは考えるよりも先に大地を蹴っていた。 しかしトロールの棍棒は、まさにシールディアの頭上よりシールディアを砕こうとしていた。 「私を倒すには、そなたでは役不足だ」 シールディアの静かな言葉と共に、青白い光がトロールの身を包み込んだ。白い煙が地面を這うようにトロールの足下から広がり、ヒンヤリとした空気が周囲に広がる。 「え……?」 次の瞬間、アリアの視界に氷の牢獄に捕らえられたトロールの姿が映った。分厚い氷の中に閉じこめられたトロールの姿を見て、アリアはシェドのアイスジェムを使った魔弾を連想する。 「言ったであろう、問題ないと」 シールディアが冷静な表情のまま横目でアリアを見つめる。アリアはしばし唖然とシールディアの横顔を見つめていたが、遠方より飛来した悲鳴で我に返り、バッと身を翻して声のもとへ駆けた。シールディアの力に驚いたが、今は一人でも多くの人を助けることだけを考えなければならない。 悲鳴を聞いて走り去っていくアリアの背中を見つめながら、シールディアはふと星のない夜空を見上げた。 遠くから聞こえるアリアの持つハンドガンの銃声に耳を傾けながらも、シールディアは琥珀色の瞳を細めてジッと空を見つめていた。 肌にチクチクと突き刺さるような威圧的な何か。殺気のような、身震いする悪寒をひしひしと感じながら、険しい顔つきでシールディア小さな口を開いた。 「……何だ、この気配は……?」 トロールの大群を撃破したセシリー達は、各自散開して怪我人の手当てをしていた。動ける者は自力でエルレインの東部へ移動させ、傷の酷い者はエルレインの守備隊に任せる。 死人を手厚く弔ってやる余裕はなく、今は生きている人間を優先して奔走していた。 「……到着がもう少し遅れていたら、もっと多くの被害が出ていたでしょうね」 「ええ」 セシリーとシルヴァランスは救助活動を終えた後、馬を止めていた場所まで戻ってライオット達の乗っていた馬を含めて三頭を引いてアリアとシールディア、ライオットとミントを捜していた。後のことはエルレインの守備隊に任せ、自分らはサルスベリへ戻るためだ。 「デオラガーンは周囲を高い山に囲まれてますから、魔物に襲撃されるとは思いませんでした」 「そうね。魔物に襲われるような所に街を作らないでしょう。……そうなると、あの子が引き寄せたことになるのかしら」 「引き寄せた?」 「……ううん。何でもないわ」 シルヴァランスが不思議そうに見つめる前でセシリーは頭を振った。アリアが天使であり、その存在が魔物を呼んだのではないか、そう思ったことに自分自身腹が立つ。 「おーいセシリー! こっちだ! リオも一緒に居るぞ!」 ミントが倒壊した建物の影から姿を現し、手を振りながら大声を出す。セシリーは一頭の馬の手綱をミントに渡し、ミントはそれを隣にいたライオットに渡す。 ライオットが馬に飛び乗り、その背後にミントが飛び乗った。セシリーとシルヴァランスは一人ずつ馬に飛び乗り、手綱を引いて次はアリアとシールディアの姿を捜す。 「あの子達どこ行ったのかしら」 「……あっ、あそに居ましたよ」 ライオットが片手で指さす先に、アリアとシールディアの背中が見えた。アリアは大地に膝を着き、ジッとしたまま動かない。シールディアも、そんなアリアの後方でアリアの背中を見つめたまま微動だにしなかった。 「何してんだアイツら……?」 ミントがライオットの脇から身を乗り出してアリア達を覗う。セシリーも馬から身を乗り出して様子を伺うと、アリアの目の前に倒れている幼い少女の姿が見えた。 体中傷だらけで、衣類の一部が血で変色していた。瞳は重く閉ざされており、頬はすでに赤みを失っていた。 セシリーは馬から下りてアリアに後ろから歩み寄った。そしてそっと、小刻みに震えるアリアの肩に手を置く。 「……アリア」 「セシリー? それにみんなも……」 振り返ったアリアの表情は今にも泣き出しそうなくらい弱々しかった。辛うじて涙は浮かんでいないものの、何かあってたがが外れてしまえば簡単に崩れてしまいそうであった。そんなアリアの表情を見て、セシリーは出来るだけ優しく微笑みながら、 「行きましょう」 そう促した。 「……うん」 力なく頷き、アリアが立ち上がる。後ろ髪を引かれるよう何度も少女の亡骸を見つめ、アリアは無言でセシリーが引く馬に乗ろうとした。だがその時―― 『ギャオオオオオオンッ!』 天を裂く雄叫びが周囲に轟いた。その凄まじさに大地が揺れ、大気が振動する。 「な、何だ!」 「これは……。――亜種! そうか、先ほどの気配はこれだったか!」 「シール、何が起こったの!?」 困惑する面々の中、シールディアだけが落ち着いた表情で空を見上げていた。セシリーもそれに習って空を見上げるが、そこには何の姿も見当たらない。 「一体、今の咆吼は……?」 「来るぞ」 シールディアの小さなつぶやきに続き、月を覆い隠す厚い雲を突き破って巨大なドラゴンが姿を現した。裂けた雲の合間から月光が大地を照らし、空に浮かぶドラゴンの姿をまざまざとセシリー達に見せつける。 月光に浮かび上がるマグマのような紅い皮膚。鋭く光る緑色の眼孔が見る者に恐怖を与え、むき出しの牙からは粘性の強い唾液がこぼれ落ちていた。 『ガアアアアッ!』 再び凄まじい咆吼が世界を駆け抜ける。辛うじて形を保っていた建物がその衝撃で崩壊し、馬達が怯えて暴れ出した。 「ド、ドラゴン!? そんなっ!」 ライオットとミントは驚愕の表情でドラゴンを見上げる。神竜教を崇拝するデオラガーンの民にとって、ドラゴンはまさに神を顕すもの。それが凄まじい殺気を放ちながら目の前に現れたためだろう、唖然として動くことすら出来ない様子だった。 「シール、あれは?」 「うむ。あれは亜種だ。私と違い、人格を持たず、ラグナロク終結後に“黒い影”の影響で生じたまがい物のドラゴン。しかし戦闘力に置いては私達、神が創りしそれと大差はない。いや、むしろ“黒い影”の影響を受け、強化されているやもしれん」 セシリー達の目の前で、ドラゴンは巨大な翼を羽ばたかせ、エルレインの南西へ飛んでいく。その先にあるのはサルスベリ自治区との境界。そんなドラゴンの行動に、シールディアが意外そうに眉を寄せた。 「何故だ? 亜種とはいえ、ドラゴンは天使の波動に呼び寄せられるはず。……アリアはここにいるのに、何処へ向かっている?」 セシリーはチラッとアリアの様子を伺う。幸いシールディアの言葉は聞こえていないようで、アリアは呆然とドラゴンを見上げていた。 「……詮索は後です。あんなのを放っておいたら街に大きな被害が出ます!」 セシリーの隣で話を聞いていたシルヴァランスが、怯える馬をなだめながら声を張り上げた。セシリーはコクンと頷き、アリアを呼び寄せて飛び去っていくドラゴンへ向かって馬を走らせた。その後かなり間を開けて、ライオットとミントが続く。 だが直ぐさま、セシリー達の視界の端にトロールの姿が映った。先ほどの群れから外れた数匹のトロールが、自治区の境界付近で街の人達を襲っている。ドラゴンが進む進路とは違う方角であるため、このまま直進していては助けにいけない。 「丁度良いか……」 それを見たシールディアがふと呟いた。その意図するところがわからず、セシリーが首を傾げると、シールディアがセシリーを振り向いて、 「セシリー、アリア。そなた達はドラゴンの元へ急いでくれ。私とシルヴァランスであそこのトロール達を撃破していく」 と、声を張り上げた。セシリーは一瞬驚きの表情を浮かべたが、きっと何か意図があるのだろうと察し、シールディアの目を見つめて小さく頷いた。 「わかったわ! アリア、行くわよ!」 「うん!」 シルヴァランスが手綱を引いて馬の向きを変えている間に、その脇をセシリーとアリアを乗せた馬が駆け抜けていく。すれ違う瞬間にセシリーがシールディアの目を見つめると、シールディアは何処か遠くを見るような目でドラゴンを見つめていた。 その晩シェドは、スザンナ達と共に難民キャンプで夜を明かすことになった。生き残った孤児達はスザンナを中心に、みなお互いの体を寄せ合うように眠りにつき、その中にミュールの姿もある。 守備隊基地の隣にあるということもあって、シェドは見張りする必要なくスザンナ達と共に床につこうと考えていたが、何か胸騒ぎがして寝付けず、横になったまま焼き焦げた紙切れをボーッと見つめていた。あの時、焼けた教会跡から見つけたものだ。 「せっかく手がかりが掴めそうだったのにな。まあ、過ぎたことを言っても仕方ないか」 焼き焦げた紙から読み取れる二つの聞き知らぬ単語。ラグナロクは神が神を抑制するために用いた特殊な魔法だとミュールが言っていたが、ヴァルハラについてはミュールも知らないという。前後の文脈から、何処か場所を指す言葉だと理解できたが、それが何処かなど知る由もない。 「結局、デオラガーンでも大した手がかりは得られなかった……と。俺もアリア達について行って、サルスベリ以外であれこれ調べた方がよかったかもな」 ぶつぶつと独り言を続け、シェドは厚い雲のせいで見えない月の姿を追って空を見上げた。丁度その時、遠方の雲が引き裂かれてそこから明るい月光が差し込んでくるのが目に付いた。それと同時に、月光を追って巨大な影が雲の合間より姿を現す。 「なっ!」 シェドはバッと立ち上がり、巨大な影を凝視した。見間違いようのない、巨大な翼を持った怪物。シェドは白銀の銃を確認し、すぐ側に置いてあるショルダーバッグを担ぐと、大地を蹴って難民キャンプを駆け出した。守備隊の基地に止めてある馬を勝手に失敬し、サルスベリの夜を駆け抜けていく。 「まさか……。――アリアッ!」 アリア達を分かれて間もなく、シールディアが馬から飛び降りた。シルヴァランスが馬を止めて様子を伺うと、シルヴァランスは目でトロールの群れを指しながら、 「シルヴァランス、向こうは任せる」 と、静かに言った。そしてシルヴァランスに背を向け、ゆっくりと歩を刻み始める。 「……わかりました」 夜空を泳ぐドラゴンを凝視しながら去っていくシールディアの背をしばし見つめ、シルヴァランスは手綱を引いてトロールの群れへと向かった。そして群れの手前で馬から飛び降り、一瞬にして間合いを詰めてトロールへ迫ると、エルレインの住民を棍棒で叩きつけようとしていた一体を一閃にて切り裂いた。 住民に東へ逃げるよう指示を出し、襲いかかる別のトロールの攻撃を剣の腹で受け止めた時、シルヴァランスの背後から冷たい空気が流れてきた。そして、 『ギャオオオオオン!』 次元が揺らぐほど凄まじい咆吼が衝撃となってシルヴァランスの背中を押す。その咆吼に怯んだトロールの攻撃を流し、すかさず懐へ潜り込んでトロールへ斬り込んだシルヴァランスは、バックステップで間合いを取った後、チラッと後方へ視線を送った。 シールディアの姿はそこになかった。ゆっくりとシルヴァランスが視線を上へ上へ持ち上げていくと、星のない真っ黒な夜空を淡い光を帯びた巨大な銀色の竜が翼を広げて泳いでいた。 とても美しいドラゴン。そしてそれは、古代都市ラーミアの遺跡でシルヴァランスが見た白銀のドラゴンそのものだった。 「……シールディアさん」 目を細めるシルヴァランス。その視線の先で、銀色の竜は爆風を巻き起こしながら翼を羽ばたかせ、地上にいるシルヴァランスの髪をバサバサと靡かせた。 「…………。僕は僕に出来ることをする」 シルヴァランスは前を向き直し、剣を握る手に力を込める。そして大地を蹴り、トロール目掛けて迫っていった。 銀竜となって羽ばたいたシールディアは、空中で大きく口を開き、そこから輝く息を前方の赤竜目掛けて吐きつけた。息は空気中の水分を凍り付かせ、空中に氷の道筋が浮かびあがる。 『ガアアアアッ!』 赤竜の片翼が凍り付き、赤竜が体勢を崩して大地へ滑空していった。まだエルレインの上空、ここで赤竜の巨体が墜ちれば大きな被害が出る。シールディアはとっさに急加速して自身の体を赤竜にぶつけ、赤竜の首元に牙をたてた。爪を胴体に突き刺し、首を噛みしめたまま、シールディアは両翼を羽ばたかせて北の山岳部へ赤竜を押しやっていく。 『グウウウッ!』 『ギャアアアッ!』 赤竜が必死に抵抗し、エルレインから少し離れた山岳部の上空でシールディアの牙から逃れた。そして空中で身を翻すと、口を大きく開き、そこから巨大な火の玉をシールディア目掛けて放った。シールディアは紅蓮の炎を凍てつく息で相殺し、さらに突貫して先制攻撃で凍らせた赤竜の右翼を爪で付け根から引き裂いた。赤竜が凄まじい悲鳴を上げ、バランスを崩して真っ逆さまに大地へ落下していく。 すかさずシールディアは空中から赤竜に凍てつく息を吐きつけ、抵抗できない赤竜の体が徐々に凍り付いていく。 『グゥゥ……。グガアアアアッ!』 赤竜が最後の抵抗とばかりに凄まじい咆吼をあげ、全身がシールディアの吐息で凍り付いていく中、上空のシールディア目掛けて極大の火炎を巻き上げた。旋回が遅れ、かわしきれなかったシールディアの左翼に火炎が直撃する。 しかしそれを最後に赤竜は動かなくなり、ついに完全な氷の牢獄へ捕らえられ、その中で完全に絶命した。シールディアは高く上空へ舞い上がり、勢いを付けて落下していく氷ごと、赤竜の体を粉々に砕いた。氷片が山岳部に飛散し、世界に静寂が戻った。 そのあまりに猛々しく、あまりに人間離れした戦闘を目の当たりにしたアリアとセシリーは、ただただ呆然と銀竜を見つめていた。その視界で銀竜の体がパッと輝き、次の瞬間には眩い光を四方へ散らして竜の姿は忽然と消えていた。 「い、今のは……?」 アリアがもはや何も見えない山岳を唖然と見つめていた。その隣でセシリーは、眉を顰めて口をつぐんでいる。セシリーは、あのドラゴンが何だったのかわかっているから。 「……私、今の竜みたことがある。あれは、ラーミアの遺跡で……」 「アリア、詮索は後よ。この辺りにはまだトロールが残っているみたいだし、今は街の人の救助を急ぎましょう」 「え? ……うん」 セシリーは微笑を浮かべながらも、少し威圧的にアリアへ言葉をかけた。シールディアの正体をアリアに悟られてはいけないという危惧から語調が強くなってしまった。 アリアがそんなセシリーに疑問を感じた様子で応答に困っていたが、すぐに首肯で応じて怪我人救助のため馬から下りて散開していった。 セシリーは去っていくアリアをしばし見つめた後、 「ライオット! ミントさん! あなたたちもボーッとしてないで救助を手伝って! サルスベリも心配だけど、今はこっちを優先よ!」 山岳部を呆然と見つめたまま微動だにしない二人に、セシリーは声を大にして命令した。その言葉にハッとした二人が、トロールによって破壊された街中を駆け回り、残存するトロールの駆除や怪我人の搬送を手伝い始める。 それぞれに指示を下した後、セシリーはアリアの目を盗んで山岳部へ向かった。馬をエルレインに残し、自分の足でエルレインの北門を越えていく。足場の悪い山岳部を、腕輪に埋め込まれたサンダージェムを仄かに輝かせてライト代わりにして注意深く進む。 ふいに、左方から人間の足音がしたことに反応してセシリーは音のした方角へ光を向ける。だが、そこに居たのはシールディアではなかった。 「セシリーさん!」 「シルヴァランス? ……あなたもシールを探しに?」 セシリーが尋ねると、暗い森の中でカンテラ片手に彷徨っていたシルヴァランスが首肯で応じた。 「最後にドラゴンの姿のシールディアさんが見えたのはこの辺りの上空です」 「そう。じゃあ手分けして……」 木々がなぎ倒され、そこだけ拓けて夜空が頭上に広がる場所で、セシリーがシルヴァランスを見つめた時、セシリーの瞳の端にその後方でなびく白い布のようなものが映った。いつの間にか夜空には月の姿が在り、その月光が仄かに辺りを照らしていたため、それがセシリーの目に止まった。 「シールッ!」 ダッと駆け出し、セシリーが白い布が靡くもとへ駆け寄る。そこには木の根本に身を傾けたシールディアが、瞳を半分だけ開いて腰を下ろしていた。体は純白のワンピースドレスで包まれており、左肩の辺りがジワッと紅く染まっている。 「……セシリー? それにシルヴァランスも……」 「シールディアさん、大丈夫ですか?」 「問題ない。……最後に、少し油断した」 相変わらず特に表情を変化させずにシールディアがつぶやく。しかしセシリーには、その表情が何処か安堵に包まれているように感じた。 「私達じゃ手当てできないわ。急いで医者の元へ運びましょう」 セシリーがそう言うと、シルヴァランスがシールディアの小柄な体をひょいと抱え、三人はエルレインの街へ引き上げていった。 ライオット、ミントと共に、アリアはエルレインの南西にあるサルスベリとの境界付近で待機していた。一通りの救助活動を終え、残りはエルレインの守備隊に任せ、サルスベリに戻るべく馬を連れて門の所まで移動したのだが、セシリー達がまだ救助活動を続けているのか、姿が見当たらず困惑していた。 「どうしたんでしょう。シルヴァランスさんもセシリーさんも。……シールディアさんはまだ子供ですし、心配です。二人と一緒ならいいのですが……」 そう言いながらライオットが眉根を寄せる。自分の父が治めるサルスベリ領にも先日魔物の襲撃があったため、本当なら三人を待たずに直ぐさま駆け出したい所だろう。 アリアは落ち着き無いライオットをしばし見つめた後、今度は横目で押し黙っているミントへ視線を切り替えた。ミントは昨日までの明朗な笑みを消し、今は口を軽く結んだまま伏し目がちにエルレインの街並みを見つめていた。 「大丈夫。シールディアも、ジェムが使えるから」 「そうなのですか? ……私もジェムが使えれば、もっと多くの人を救えただろうに」 口惜しそうに拳を握るライオットを一瞥し、アリアは手綱を木に括り付けてある馬の元へ歩み寄って、その雄々しい毛並みを撫でながら気になっていたことを逡巡し始める。 エルレインに突如現れた魔物の群れ、そしてドラゴン。それはまるでトラキアの街で起きた襲撃の再現だった。しかし一番引っかかっている部分はそこではない。 空を裂いて現れた赤いドラゴンを倒した銀色のドラゴン。アリアはそのドラゴンを見た覚えがあった。二ヶ月ほど前、古代都市ラーミアの遺跡で対峙した、凍てつく冷気を放つ銀白のドラゴン。 ただ同じ種族なだけかもしれない。しかし、アリアには何故かそれらのドラゴンが同一のものであるような気がしてならなかった。そして、アリア自身そのドラゴンを知っているような、そんな気がしていた。 「…………」 馬の鬣に手を添えたまま、アリアはゆっくりと顔を持ち上げる。すでに東の空がほんのり明るみ、小鳥の囀りが静かな街に響いていた。どんなことがあっても変わらず訪れる朝。 「――」 「え?」 一瞬、アリアの耳に聞き覚えのある声が木霊した。それは今待っている相手の声ではない。けれど、心の何処かで待っていた声。でもその主がこの場に居るわけがない。 「アリアーッ!」 もう一度聞こえた。今度は間違いなく空耳ではない。アリアは髪を乱暴に振りながらバッと振り返る。耳元の髪を結い上げるリボンの鈴がチリリンと静かに鳴った。 「……シェド」 「アリアッ! おお、無事みたいだな」 馬にまたがって境界門をサルスベリ地区側よりくぐってくる長身痩躯の男。たった数日顔を見ていないだけなのに、何故か随分久しぶりに会ったような気がした。 シェドは三日前と同じ紺色の上下で身を包んでいた。まだ日が昇りきっていないせいかサングラスは掛けていない。乗っている馬も、トラキア以来の仲間である馬車馬ではない。 シェドは馬を下りると、手綱を放り捨ててアリアのもとに駆け寄った。シェドの姿を確認したライオットが、驚いた面持ちでサッと駆け寄ってくる。 「シェドさん! あ、あの、サルスベリの状況はっ!」 「お、おいリオ、落ち着けよ」 大声を張り上げるライオットの背後で、普段より力なくミントがライオットを戒める。しかしライオットはミントの言葉を気にも留めずシェドの前に立って必死の形相を浮かべていた。 「……かなり酷い。かなりの数のガーゴイルが襲撃してきたからな。それに終いにゃドラゴンまで現れる始末だ。……多くの死者が出た」 「そ、そんな……」 「エルレインはどうなんだ? ドラゴンはどうなった?」 「こっちはトロールの群れ。……人が、沢山死んだ」 言葉を失っているライオットに変わってアリアが答える。答えながら、アリアはあの少女の亡骸を思い浮かべた。それだけで、どうしようもなく悲しい気分になってしまい、涙がこぼれそうになってしまう。 それを察したのか、シェドがそっとアリアの頭に手を乗せてくれた。ぐりぐりと乱暴にアリアの髪をなで回し、無言で静かに微笑みかけてくれる。 「……子供扱い、イヤ」 「ハハハ、悪い」 シェドの手を握って頭の上からどけ、アリアはプイッとそっぽを向いた。前は鬱陶しく感じたからどけていたシェドの大きな手だけれど、今は何となく違う気がした。本当はそうして欲しい、けれどそうされるのはイヤ、という複雑な気持ち。 「ドラゴンは?」 「赤いドラゴンが現れて、銀色のドラゴンが現れた。二体とも山岳部へ飛んでいって……、その後はわからない」 「……銀色の……竜?」 シェドの表情が変わる。理由はわからないけど、心当たりがあるように見えた。 「シールは? それにあの二人も」 「わからない。待っているところ」 アリアが頭を振りながらそう答えた時、後方から二つの足音が響いた。目の前のシェドがアリアの後方を見つめて驚いたように目を見開いたため、アリアはサッと体を翻して背後を見つめた。 「すいません、遅くなりました」 「あらシェドじゃない。何であなたがここに居るのかしら?」 現れたのはセシリーとシルヴァランスだった。そして、シルヴァランスの背中には瞳を閉じて寝息を立てるシールディアの姿もある。 「セシリー、シールディアどうかしたの?」 「ちょっと怪我をしてね。大丈夫よ、今は寝ているだけだから」 セシリーが簡単にそう説明する。アリアがシールディアを凝視すると、シールディアの服は一部焼き焦げ、頬や腕にも無数の小さな傷があった。アリア以上に肌の白いシールディアである故、小さな傷でも目立ってしまう。 「……セシリー」 シェドが何とも言えない面持ちでセシリーを見つめると、セシリーは少しだけ表情を引き締め、コクンと無言で頷いた。アリアはその意図するところがわからなかったが、何となく聞いてもシェド達ははぐらかしそうな気がしたため、尋ねたりしなかった。 「なあシェドって言ったか?」 不意に、ライオットの背後に居たミントがシェドのもとに歩み寄り、小首を傾げながら尋ねた。シェドが目を細めながら、コイツ誰だ的な視線を送っていたので、アリアは簡単なミントのプロフィールをシェドに説明する。 「どうやらあんたはセシリー達のお仲間らしいが、その、早いとこサルスベリに行かねぇか? リオがさっきから茫然自失というか、馬鹿みたく呆けてやがるからよ」 「…………」 ミントが伏し目がちに大地を見つめながら、ミントの後方で呆然とするライオットを左手の親指で刺した。シェドが「そうだな」と小さく納得し、それを聞いたアリアは手綱を木から解いてセシリーのところへ持っていた。 「あら? アリア、それって私達の乗っていた馬よね? シルヴァランス達の馬は?」 「……この子だけ連れてくるので精一杯だった」 シルヴァランス達が乗っていた馬は結局見つからなかった。アリアとセシリーを乗せていた馬は、すぐに見つかったため門の所まで引いてこられたが、赤いドラゴンを追いかける際にシルヴァランス達が乗っていたはずの馬は、探しても見つからなかった。 「あの子は?」 「ああ、えっと……、山岳部に向かう途中に門の付近で……。じゃなくて、その、トロールと戦うときに降りてそのままその場所に……」 「そうなの? ……うーん、じゃあ、アリアはシェドの馬に乗って。その馬には私がシールを抱いて乗るから」 「……うん、わかった」 「シルヴァランス、シールを」 アリアは言われたとおり、シェドに続いてシェドが乗ってきた馬に飛び乗る。そう言えばシェドと同じ馬に乗るのは初めてだということに気づき、少し戸惑う。 「どうしたアリア。落ちないよう、しっかり捕まってろよ」 「……うん」 アリアの困惑など露程にも感じ取った様子無く、シェドが自分にしがみつくようアリアを急かす。アリアは恐る恐る両手でシェドの胴を抱き、そっと頬を大きな背中に付けた。服を通して、シェドの体温がちょっぴり感じ取れる。 「さ、行きましょうか」 セシリーが膝の上に眠ったままのシールディアを乗せ、左手でシールディアのお腹を押さえながら右手で手綱を強く握る。ライオットとミントはすでに馬を走らせて門をくぐっていた。 「あ、あの……」 さあ出発という時、二頭の後ろから弱々しい声が響く。 「どうしたの? シルヴァランス、言いたいことがあるならハッキリ言いなさい?」 「はあ。あの、僕はどうしたらいいんですか?」 大地に自身の足で立ち、呆然とアリア達を見つめるシルヴァランス。定員上、これ以上は馬に乗れない。 「私達はデオラガーンに馬車でやってきたのよ? もちろん、出て行く時も馬車よね?」 「そうですね」 「その馬車を引いてきたのはどの子だったかしら?」 「それは、僕たちを乗せてデオラガーン中を回った馬ですね」 「そう。……置いてきぼりは可哀想よね?」 「はい、そうですね」 「…………」 「…………」 セシリーはフフフと優雅に微笑む。その笑みを見つめながら、シルヴァランスがハハハと乾いた笑いを飛ばす。あの子はスノーレンからずっと一緒にいる大切な仲間。置いてきぼりは可哀想だ。 「シルヴァランス、あの子も、大切な家族」 アリアは少し眉を寄せ、困った表情でシルヴァランスを見つめる。そんなアリアに、シルヴァランスの笑みが一層引きつるのがわかった。 「じゃあな。先に戻ってるから、ちゃんと馬連れてこいよ。そもそもお前が置いてきぼりにしたんだろ?」 シェドがそう言い放ち、手綱を引いた。セシリーもシェドに続き、門を越えてサルスベリ領に帰還する。 すでに太陽が東の空から全身を現し、世界を照らし出していた。 門をくぐり終えた時、アリアの耳に後方から大きなため息が届いた、ような気がした。 |
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