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第四章 憧憬と悪夢 アルトレア大陸の北東部には、豊かな自然に包まれた広大な平野が広がっている。その一角に、自然に溶け込むようひっそりとそびえる人工の施設。トルメキア王国で最大、いやアルトレア大陸で最大を誇る魔練器製造会社の研究所である。 白い壁には蔓植物が満遍なく張り付き、研究所を取り囲む塀には有刺鉄線が張り巡らされており、一度敷地内に足を踏み入れれば中は武装した兵士がゴロゴロ巡回を続けている。 そんな研究室の一室。地上に建造された部屋ではなく、地下に広がる巨大な施設にある一室で、トルメキア皇室や軍と密接な関係を持つ秘密組織ニーヴルの副社長、レミネーラは優雅な笑みを浮かべてダージリンティーを堪能していた。 紫色の瞳をそっと細め、スラッとした鼻筋をカップに寄せて香りを楽しみ、その瑞々しい唇にカップを寄せて一口、また一口と上品に紅茶を飲むレミネーラ。長い黒髪はとても艶やかで、腰を下ろしている木製の椅子からサラリと床すれすれまで伸びている。 「うふふ、朗報ね。この上ないチャンスだわ」 「そうですよね? そうですよねっ?」 レミネーラの向かいで、少女が両手を胸の前で合わせながらニンマリと微笑む。右目にモノクルを掛け、カールした赤毛は水分が少なめでパサパサしている。あどけなさの残る顔にはそばかすが多く、カナリアの瞳はレミネーラを映してまん丸く見開いていた。 「中立都市デオラガーンから特殊な波動の観測。そしてドラゴンとの戦闘形跡! これはもう、間違いなく最後の天使、バルゴに適合する器が居るんですよっ!」 「ええ。それに、報告に寄ればミゲル達もレオを追って間もなくデオラガーンに到着するそうよ」 「じゃあミゲルさんにお任せですねっ!」 「……そうねぇ。いえ、キャロル、あなたも現地へ向かってくれないかしら?」 「ふぇ?」 キャロルと呼ばれた少女が、ずれたモノクルを直しながらレミネーラの顔を見つめると、レミネーラは紅茶を一口飲んでからそっと流し目をキャロルに向けた。 「ミゲルは頑固で猪突猛進。ブレーキのない人だからね、あなたにはそのブレーキ役を任せたいのよ」 「なーるほど」 「レオの捕縛も重要任務だけど、今回はあくまでバルゴの器を確保することが最優先よ。レオと、ミゲルが連れてるピスケスが天使化して戦闘を行い、バルゴの器を壊すようなことになったら大変だわ。あなたは冷静に引き際を見極めなさい」 「了解でーす。ではでは、ミゲルさんに遅れないよう、疾風の飛竜を一匹拝借してもいいですか?」 「ええ。一番速いのを連れて行きなさい」 レミネーラの言葉を聞き終え、キャロルはくるんと踵を返し、走って部屋を去っていった。部屋に残ったレミネーラは少し冷めた紅茶をすすりながら、変わらず優雅な笑みを浮かべていた。 * * * サルスベリ守備軍が開設した難民キャンプ。多くの怪我人を収容し、守備隊の救護班が懸命な救助活動を続けている。まだ春にはほど遠いデオラガーンの朝晩はかなり冷え込むため、ここに逃れてきた人は支給された毛布にくるまってガチガチと体を震わせている。 「…………」 セシリーの手前で、アリアが呆然と周囲を見つめていた。エルレインで見たのと同じ惨状。人が死ぬことや苦しんでいる様子に人一倍過敏なアリアにとって、この現実はとても辛いことだろう。 セシリーはゆっくりとアリアの歩み寄り、ポンとアリアの肩へ右手を乗せた。アリアは俯いてセシリーを見つめ返さぬまま、弱々しくセシリーの手を握りかえしてきた。 セシリーとて目の前で人が死ぬことは怖い。組織にいた時には意識しないよう努めていたが、アリア達と旅するようになってから忘れようとしていた恐怖の蓋が開き、どうしようもなく怖くなることがある。けれど、自分より一回りも二回りも小さなアリアが必死に内なる恐怖と戦っているのに、自分が弱音を吐くことはできない。シェドの胸に泣きつきたい気持ちになる時もあるが、あそこは自分が倒れ込んでいい場所ではない。あそこはアリアのためにあるのだから、とセシリーは自分に言い聞かせていた。 「セシリー。シールディアは?」 ふと、アリアがセシリーを振り返って心配そうに尋ねた。 「大丈夫よ。今はライオットの家でシェドが看ているわ」 「そう……」 アリアが小さく息を吐く。アリアの肩に手を添えたまま、セシリーは黒い瞳を細め、横目でライオットとミントを見つめた。 サルスベリに帰ってすぐ、ライオットはスザンナの姿を探し、その無事を確認した時には泣き出しそうな面持ちで強く彼女を抱きしめていた。ライオットの表情は、スザンナの無事を確認して以来格段に穏やかになった。スザンナが屋敷に戻った今、ライオットとミントは互いに沈黙を維持したまま難民キャンプの現状を見て回っている。 大切な人の無事を確認できた安堵感。きっと、それは言葉では言い表せないほど暖かく、愛おしい感情なのだろう。しかしその安堵を得るまでの不安、心配、杞憂、それらの感情は薔薇の棘が心に絡み、息苦しく切ない感情をかき立てるのだろう。 今のアリアは常に後者の心情を抱いているように見える。常に誰かを失う恐怖に小さな胸を痛め、常に不安を心に溜めている。それほどに、ニーヴルで犯した過ちが今のアリアに重圧となっているのだろう。それはセシリーも同じだ。 「何だ、二人揃って辛気くさい顔しやがって」 ふいに、馴染み深い声が二人の耳に届いた。セシリーがゆっくり振り向くと、シェドがバスケットと水筒を持ってズカズカ二人の元へ歩み寄ってくる。 「あら、シールの側に居てあげるんじゃなかったの?」 「そのつもりだったんだが、シルヴァランスのヤツが帰って来るなり、シールディアさんのことは僕に任せて、って言い出してよ。そこですれ違ったスザンナも、屋敷に戻ったらシールの面倒を見てくれるって言ってたから大丈夫だろ」 その言葉を聞いてセシリーは、デオラガーンに来る前にミレーヌの家でシルヴァランスが、「アリアとシールディアが心を開いてくれない」と沈んでいた様子を思い出した。おそらくシルヴァランスは少しでもシールディアに心を開いてもらえるよう、シールディアの世話を買って出たのだろう。 「……そう。ならシールのことはシルヴァランスとスザンナさんに任せるとして、シェド、その手に持ってるのは?」 「ああ、そろそろ昼飯時だろうと思ってな。守備隊の連中が一応食べ物は支給してるんだが、如何せん味気ないもんばかりだから、自分で作ってきた」 「何作ったの?」 アリアがスッと体を乗り出し、シェドの手に握られているバスケットの中身をのぞき込んだ。セシリーも視線を下げて確認すると、バスケットにはどうやらサンドイッチが大量に詰め込まれているようだ。 「沢山作ったからな、孤児院の子供達にも食わせてやろう。……アリア、ほれ」 シェドがアリアにバスケットを渡す。アリアはぎっしり詰まって重そうなバスケットを、両手で抱え込むように受け取った。 「こっちは紅茶が入ってるから。……ああ、コップはバスケットの底に入ってる」 そう言いながらシェドは水筒の紐をアリアの首に掛けた。両手でバスケット、首から水筒を携え、アリアがブスッとシェドを見つめる。 「重たい」 「おう、大量に作ったからな。あそこにいる子達の所へ持って行って、仲良く一緒に食べてこい」 「……わかった」 シェドが指さした方へ顔を向け、同世代、もしくは年下の子供達がシスターと思しき中年女性の周囲で大人しく座り込んでいる様子を見て、アリアはシェドに言われたとおり、バスケットを抱え、水筒を提げてセシリーの前から去っていった。 「さて」 シェドが髪を掻きながらセシリーの脇へ寄る。二人してアリアの後ろ姿を目で追いながら、シェドがゆっくり口を開いた。 「……シールがドラゴンを倒したって? しかも、本人がドラゴンになって」 「ええ。……大丈夫、アリアは気付いてないわ」 「そうか……」 たったその一言を聞いただけで、シェドの表情が安堵に包まれた。セシリーはそんなシェドを一瞥して話を続ける。 「こっちもドラゴンに襲われたんでしょう?」 「ああ。だが、引っかかるな。ドラゴンは天使に敵対する存在で、人間を襲うためだけに現れることはまずないってシールも言っていた」 「アリアに反応したんじゃないの?」 「いや、だったらサルスベリに現れるのは不自然だろ? お前達はそのころガルベス辺りにいたはずなんだから」 「そうね。けれど、アリアの所へ向かう途中でシェドに遭遇したってことじゃない?」 「……かもな」 会話は途切れ、二人は無言のままアリアを見つめる。数メートル前方で、アリアは子供達に混じってシェド手作りのサンドイッチを頬張っていた。 他の子供達に比べ表情の変化は乏しいが、セシリーが一緒に旅を始めた頃に比べれば格段に明るくなったように見える。それが自分のお陰だと自惚れることなく、セシリーは穏やかな気持ちでそんなアリアを見つめた。 ベルグ邸中に響いた大声を耳にし、シルヴァランスはスザンナを残し、シールディアが眠っている部屋を抜け出して玄関へ向かった。そこにはシェド達が難民キャンプから引き上げてきており、ライオット邸に引き上げた彼らを待っていたのは、鬼のような形相で数日間自宅を留守にしていた息子を咎めるサルスベリ領の領主、ベルグ候だった。 「やっと帰ってきおったか、この馬鹿息子がっ!」 息子の顔を見た瞬間に激昂し、声を張り上げるベルグ候の声を聞いて、シルヴァランスはビクッと体を震わせた。過去に同じような威圧感を味わったことのあるため、体が自然と反応してしまう。 「父上……」 「まったく、貴様は次期領主としての自覚が……。ん、何だ、ランドールの娘も一緒ではないか」 「ご無沙汰しております」 ライオットの後ろにはミントが立っており、ミントに気付いたベルグ候は少しだけ厳つい表情を緩めた。 「うむ、ランドールの娘に会いに行っておったということは決心したのだな?」 「い、いえ、それは……」 「まだそんな事を言っておるのか! ライオット、お前は今の状況がどういうものかまったくわかっておらん!」 親子でヒートアップする会話、というより一方的に親が息子に声を張り上げる様子を、シルヴァランスは吹き抜けの階段の手すりに掴まったまま呆然と見つめていた。シェド達も、ライオット達の脇で呆然とことの推移を見守っている。 「魔物の襲撃を受け、サルスベリは壊滅的な打撃を受けた。この状況を打開する一番の方法を、お前とて理解して居るであろう!」 「……私に、今すぐミントさんと結婚しろと。そうおっしゃりたいんですか、父上は」 「そうだ。デオラガーンで一番工業が発達しているペペルの領主、ランドールの娘と次期サルスベリ領主のお前の結婚となれば、両地区にとって明るいニュースとなろう。デオラガーン一の工業都市と協力関係を築くため、我が領民達も心からお前達の結婚を渇望しておる」 ベルグ候の言葉にライオットは二の句が継げない。今のやりとりを聞いて、シルヴァランスはとても居たたまれない気持ちになった。 デオラガーン中を回ってる時からセシリーが言っていた微妙な空気。それはきっとこの事が起因しているのだろう。見返りを考慮した政略結婚。 シルヴァランスは唇を噛み、拳をグッと握った。かつてランバーグに住んでいた頃、再三にわたって父から政略結婚をさせられそうになった記憶がよぎる。 「私は……。く……」 ライオットの表情が一際険しくなる。床に敷かれた紅い絨毯に視線を落としたまま、ベルグ候の言葉に対する返答を見つけ倦ねているようだった。 「明日の正午よりお前達の婚儀をサルスベリにて執り行う」 「な――っ!」 突然、シェド達の後方、ベルグ邸の玄関先から太い男の声が響いた。ライオットがガバッと後方を振り向き、続いて他の面々も後ろを向く。シルヴァランスも声の主を確認しようと玄関の外を見つめたが、階段の中腹に当たる今の位置からでは相手の顔を確認できなかった。 シルヴァランスは階段を四段下り、赤い瞳をスッと細めた。声を発したのは身なりのいい、初老の男だった。縦にも横にも長いとても恰幅の良い男は、白髪交じりの赤い髪に鳶色の瞳をしていた。白のスカーフを首に巻き、セルリアンブルーのベストに灰色のパンツ。腰には剣を携え、指には宝石や金をふんだんにあしらった装飾類が輝いている。 「お、お父様……。いつこちらへいらしたのですか?」 ミントが驚いた様子で現れた男を見つめていた。昨日までの荒々しい言葉遣いではなく、 貴族らしい丁寧な口調で尋ねると、現れた男は「先ほどだ」と簡素に返答した。 「お前もいい加減身を固めるべき歳だ。妹のお前が結婚すれば、兄のバジルも真剣に結婚を考え、次期領主としての自覚も芽生えるだろう」 「お前達の結婚はすでに決定事項だ。すでに教会の手配も式の準備も進めてある」 ランドール候、ベルグ候の声が屋敷に響いた。ライオットもミントも何も言わず、もちろんシルヴァランスもシェド達も部外者である故口を挟めない。 その時、コトンとシルヴァランスの後方で足音がした。シルヴァランスの背後を見つめたままライオットが表情を一層歪め、ミントが悲しげに眉を顰めた。 シルヴァランスが振り返ると、そこに立っていたのは屋敷の使用人であるスザンナだった。深緑色の髪を花の髪留めでポニーテールにまとめ、ランドール候やミントと同じ鳶色の瞳には疲労、いや、恐怖や不安といった感情が映っていた。 「スー……。今の話……」 「ライオット様……。――っ!」 スザンナが口元を押さえ、瞳の縁に涙を浮かべて視界から走り去った。 「スーッ!」 「馬鹿者っ! お前は明日、ランドールの娘と結婚する身だぞ! 長年雇ってる使用人風情に感情を抱くでないわ!」 ライオットが伸ばした手をゆっくり悔しげに下ろしていく。唇を強く噛みしめるライオットを見つめ、シルヴァランスはようやくライオットとスザンナの関係を多少なりとも理解できた。 「婚儀はすでに領民にも告知してある。いいな、今更変更はできないぞ!」 「…………」 ベルグ候の言葉にライオットは黙ったままだった。 「さあミント、お前の衣装などはすでに教会へ搬送されている。今夜は屋敷ではなく教会に泊まりなさい」 「……はい」 ミントはライオットをチラチラ見つめながら、コクンとランドール候に頷いて見せた。ミントが頷いた後、ランドール候はズカズカとベルグ邸に押し入り、ベルグ候と共に屋敷の奥へ消えていった。 残された面々。シルヴァランス達部外者は全く動けず、事態の中心人物である二人を見つめたまま固まっていた。 「リオ」 沈黙を破ったのはミントだった。先ほどまでベルグ候に向けていた社交的な笑みではなく、昨日までと同じ独特のカラッとした笑み。しかし、今日のそれは何処か悲しみを含んでいるように見えた。 「スーが泣いてたぜ? ……こんな所で何時までも突っ立ってないで行ってやれよ。オレはこのまま教会へ行くからさ」 「ミントさん」 「スーが人前で涙見せるなんざ、ホント、何時以来だろうな。オレだって、最後にスーの涙を見たのは随分昔だった気がする」 「…………」 「ほら、きっとスーもお前を待ってるぜ。……行ってやれよ」 「はい」 ライオットがシルヴァランスの脇を抜けて階段を駆け上がっていった。見えなくなるまでライオットの背中を見つめていたミントは、踵を返し、一瞬セシリーをチラッと覗ってから屋敷を出て行った。シルヴァランスの位置からではミントがどのような表情をしていたか確認できなかったが、セシリーはとても複雑そうに眉を顰めていた。 「さてさて、部外者の私達は深く首を突っ込まないようにしないとね」 重くなった空気を払拭するよう、セシリーが透き通るような美声を響かせた。 「そうだな。アリアの両親捜しも終わったみてーだし、明朝にここを離れるか……」 「ちょっとシェド、なーに言ってるのよ。もちろん結婚式を見てから出発するに決まってるじゃない!」 「はあ? 何でだ?」 「ねー、アリア。あなたも結婚式って興味あるわよね?」 怪訝そうに尋ねるシェドに対し、セシリーは終始無言だったアリアに話を振る。アリアはしばらく物思いにふけるよう沈黙した後、セシリーを見上げてコクンと頷いた。 「見たいのか?」 「……見たい」 シェドが確認すると、アリアは申し訳なさそうに小さく応じた。シルヴァランスはアリアの表情を見ながら、やはり女の子なんだな、と安堵する反面、そんな子を手に掛けようとした過去の自分に対する苛立ちが募った。 「でも、なーんかドロドロした結婚式になりそうだぜ?」 「シェド、大人がそういうこと言わないの」 「はいはい。……式は明日の昼だったな。じゃあそれまでに各自荷物をまとめておけよ」 そう言ってシェドが借りている部屋へ向けて歩き出す。セシリーとアリアがその場に留まって何やら話を続けていたので気になったが、それ以上にシールディアの様子が心配だったため、シルヴァランスもシェドに続いてその場を後にした。 夜の帳が降り、サルスベリの街が闇に包まれる。ベルグ邸周辺も魔物の襲撃を受けて多くの建物が倒壊し、難民達は守備隊が設置したキャンプに移動しているため、ベルグ邸周辺はとても静かだった。 「うっ……。ううっ……」 襲撃を免れたベルグ邸の一室で、一人の女性が枕を濡らしていた。深緑色の髪を乱し、黒地のワンピースの上にフリルをふんだんにあしらった白いエプロンドレスを身につけたまま、ベルグ邸の使用人、スザンナはベッドに倒れ込んで嗚咽を漏らしていた。 部屋の中に灯りはなく、窓の外から月の光だけが仄かに部屋を照らしている。部屋の端に佇むテーブルの上には色あせた一枚の写真が飾られており、その中には一人の少年を囲むように両側から少年の腕に抱きつく二人の少女が映っていた。 栗色の短髪に赤茶色の瞳をして、元気に笑みを浮かべる少年の腕に抱きつくのは、深緑色の髪をショートに切りそろえた少女と、赤毛でそばかすだらけの少女。二人とも瞳は鳶色だった。 「あの頃はそれでよかった……。でも、今は……」 スザンナは枕を抱き寄せ、顔をそこに埋めた。枕を通して、スザンナの嗚咽が小さく部屋に響く。 その時、キィという木が軋むような音と共に、閉じていた部屋の窓が外側から開いた。驚いた様子でスザンナが顔を持ち上げると、そこには長く艶やかな赤髪に鳶色の瞳を持った美しい女性の姿があった。身軽そうなハイネックの黒い上着に、下も黒色のハーフパンツを身につける女性。 「……ミント?」 「よっ、スー。なんて顔してやがるんだよ」 スザンナの顔は、目と頬が真っ赤に染まり、目の縁から顎に掛けては涙の後がくっきり残っていた。その上髪はボサボサで服も皺だらけだった。それを見た赤髪の女、ミントは、カラカラと笑いながらスッと窓から部屋に侵入し、ベッドの縁に腰を下ろした。スザンナも体を起こし、ミントの隣に腰を下ろした。 「……スーの泣き顔、ずいぶん久しぶりに見たな。ったく、普段泣かない分、泣く時はガキみたいにボロボロ泣くんだから」 ミントは小馬鹿にするような言い方をしながらも、ポケットからハンカチを取り出すと、優しい手つきでスザンナの目の縁、頬をハンカチで拭った。 しばらく沈黙が続き、スザンナはギュッと握りしめた自分の拳を、ミントは天井を見つめていた。 「ごめんなさい。私、その……、本当なら祝福してあげなくちゃいけないのに……」 「ふーん。素直に祝福できないっつーなら、リオを賭けてオレと勝負するか?」 あくまで軽い口調で言い放つと、ミントは俯くスザンナの顔をのぞき込んだ。 「……私は孤児院出身の平民ですもの。リオやミントとは身分が違う。同じ土俵に立てるなんて思ってないわ」 「別に孤児院っつてもよー、オレもリオもそんなこと気にせずガキの頃一緒に遊んでたじゃねーか」 「でも、私……」 スザンナの表情は一向に晴れず、ミントものぞき込んでいた頭を引き、何処か悲しげな表情で天井を仰いだ。 そのまま静かに時が流れ、夜風でカタカタと窓枠が揺れる音のみが微かに響いていた。随分長いこと沈黙が続いた後、 「よし、じゃあ勝負するかっ!」 突如、ミントが威勢良く片手を挙げながら宣言した。スザンナは少し驚いた様子でミントを見つめ返す。 「どっちがリオのことを良く理解しているか。やっぱアレだ、結婚すんなら相手のことをちゃんと理解してねーとな!」 「え……?」 「第一問! リオの好物を三つ答えろ!」 「え、あ……。えっと、鹿肉のソテーに、林檎のデニッシュ、サーモンフライも好きだし、あと……」 スザンナが問いに答えたため、勝負に参加する意志があると判断したのか、ミントはニカッと笑った。 「三つでいいって。んー、第二問! リオの尊敬する人物は?」 「……子供の頃は父上みたいな男になりたいって言ってた」 「わかってるじゃねーか!」 ミントが笑いかけると、スザンナは多少表情を緩めて、「そりゃあね」と小さくつぶやいた。 その後のミントの問いも難なくスザンナは返答し、ミントが、「スーも問題出せよ」と言ってスザンナに出させた問題に、ミントも負けずと難なく答え続けた。 しばらくそのやりとりが続き、二十問以上続いた後、徐々に問題を考える時間が延びていった。 「はー、疲れるなぁ。……次はオレが問題出す番か」 「もうやめましょう。勝負はつかないわ。だって、私達は同じくらいリオのこと……」 ミントの顔を見つめてスザンナが小さく息を吐いた。ミントは少し悲しみを含んだスザンナ表情を見つめたまま、「じゃあ最後の問題にするか」と元気よく言った。そして、 「リオの、一番好きな女の名前を答えろ」 と、真顔でスザンナに尋ねた。 「え……」 「…………」 沈黙が降りる。互いに顔を見つめ合ったまま、二人は口を固く結んで相手の目を見つめ続けた。 時計の針はすでに十二時を回り、開けっ放しの窓から入り込む冷たい空気が二人を包む。しばらく待っても返答しようとしないスザンナに、ミントがおもむろに口を開いた。 「何だ、わかんねーのか? オレはバッチリ知ってるぜ?」 ミントが普段のカラッとした笑顔を灯す。スザンナはミントから視線を逸らして自分の拳に落とした。 「わかってんだろ? リオが本当に好きなのは、心から愛してるのは、スー、お前だよ」 「……ミント。でも、私は……」 「結婚ってのは他人のためにするもんじゃねーだろ。自分と相手のためにするもんだ。もし今のままオレとリオが結婚したら、その結果二人の人間が悲しい思いをする」 「…………」 「でもな、リオがスーと結婚すれば悲しい思いをするヤツは一人で済むんだぜ? 図太い根性持った性格ブスの女が、ちょっぴり悲しむだけで済むんだ」 いつの間にかミントの表情がみるみる歪んでいった。必死に笑顔を保とうとしているが、目の縁には涙が浮かび、それは滴となって頬を伝っていく。 「スー。言ってくれよ。お前のリオに対する本当の気持ちを。……じゃないと、本当にこのままオレがリオを奪っちまうぜ?」 「ミント……。私、私は……」 真っ暗な部屋に佇む二つの影。夜はゆっくり、そして確実に更けていった。 サルスベリ領に点在するいくつかの神竜教を讃える教会。先日の魔物襲撃で多くが倒壊したが、総本山である教会は火の手を免れていた。 空に届きそうなくらい高い大聖堂。ステンドグラスが太陽の光を浴びて七色に輝き、アーチ構造が描く曲線はとても滑らかだった。 昨日の晩に出立の準備を済ませたアリア達は、教会の外に馬をつなぎ止め、本日行われるライオットとミントの結婚式に参列していた。教会内には身なりの良い人間が多く参列しており、竜の頭を掲げた信託台の所には神父と、正装のライオットが俯き加減に直立していた。 「…………」 アリアは蒼い瞳を細めてジッとライオットを見つめる。先ほどから小さなため息を繰り返し、時折遠い目でステンドグラスを見つめるその表情は、何処か悲しげだった。 「……ふぅ、大変よね」 「え?」 アリアの脇に立つセシリー小声で呟いた。アリアが見つめると、セシリーは居たたまれない様子の笑みを返してくる。 「アリアも、もう気付いてるんじゃない?」 気付いている。セシリーの言葉にアリアは少し俯いて逡巡した。それはきっと、ライオットとミント、そしてスザンナのことを指しているのだろうと連想できた。 しかし、それ以上のこと、セシリーが本当に言わんとしている内容について、アリアはまだよくわかっていなかった。 「私……、よくわからない。ライオットはミントのことがキライなの?」 「そう見える?」 アリアは首を振る。前のセシリーが言ったように、二人の間にある違和感の正体はわからなくとも、互いにキライ合っているわけでないことくらいならアリアでも理解できた。 「ミントさんはライオットのことを心から愛してるわ。けど、ライオットは……」 「……ミントのこと、好きじゃないの?」 「いいえ。好きよ。……でも、それは好き以上の好きではないの」 セシリーの口から何度も聞いた、好き以上の好きという言葉。アリアはその言葉の意味を知りたいと心から願っているが、まだセシリーの意図する通りの意味は見えてこない。 アリアが黙り込んでいると、セシリーが小さく、そして優しく正解を呟いた。 「ライオットが一番好きな人はスザンナさんよ。そして、スザンナさんが一番好きな人は、ライオット。互いに愛し合っているのは、今日結婚する二人ではないの」 「…………」 セシリーの言葉にアリアは言葉を失ってしまった。結婚というのはレンアイ感情がなければなければ出来ない、好き以上の好きでなければ出来ないと言っていた。まだ好き以上の好きをしっかり理解できないアリアだが、それは遠からず一番好きという言葉に近いものだと感じていた。 「どう……して?」 辛うじて絞り出した言葉に、セシリーは困ったような笑みを浮かべ、そっとアリアの頭に右手を乗せた。 「色々……、ね。色々あるのよ。前に言ったでしょう? 好き以上の好きを知って、辛いことや苦しいことがあったら相談しなさいって」 「好きだから、苦しい。……だからライオットはあんな表情してるの?」 「そうね」 二人揃ってライオットへ視線を送ると、それに気付いたのか、ライオットは力ない笑みを二人に向けた。演技っぽい、ペペルでミントに出会ってからずっと浮かべている笑みだった。 その時、急に教会内がザワザワと騒がしくなった。アリアが後ろを振り向くと、アリアの背後に立っていたシェドが、「新婦の入場だとよ」と興味なさそうに教えてくれた。シルヴァランスは馬車でシールディアと一緒にいるため参列していない。 教会の入り口からゆったりと歩いてくる花嫁。純白のウエディングドレスにレースの入った手袋。手芸の花が咲き誇る美しい帽子を目深にかぶり、帽子から垂れる幾重にも薄い絹を重ねたヴェールで顔を覆い隠している。 花嫁はゆったりとした歩調で歩を刻み、皆の拍手に押されてライオットの脇に立った。 ライオットと花嫁衣装に包まれた女が立ち並んだ様子を見て、シェドの隣に立つミュールが小さくため息を吐いた。 「どうした?」 「え……? あ、えっと……」 ミュールは銀色の髪を花飾りで結い、ふわふわとした白いワンピースドレスを身につけていた。足には朱い靴を履き、少しだけ化粧も施している。 おそらくこのようなおめかしをする機会など今まで殆どなかったであろうにも関わらず、今日のミュールは始終元気がなかった。 「スーお姉ちゃん、きっと、悲しんでるかな……って思ったら、その……」 「そう言えば、スザンナの姿はねぇな。居づらいってのも、わからなくもないが」 シェドは腰を折ってミュールの顔をのぞき込んだ。ミュールは俯いたまま頷いて、 「スーお姉ちゃん、昔からライオット様のことが好きだったんだもん。……ライオット様が他の人と結婚するところなんて見たくないよ、きっと。しかも相手が親友のミント様だなんて、そんなの……」 「そうだな」 適当な相づちを打ちながら、シェドは壇上で向き合う二人を見つめた。ライオットは目の前にウエディングドレスを着た生涯の伴侶となる女がいるというのに、ジッと俯いたまま笑みを消している。花嫁は、ヴェールが邪魔をしてどんな表情を浮かべているか確認できなかった。 シェドにとって結婚式は別段興味を引くものではなかった。それがどうして出発を遅らせてまで参列しているかというと、当然、アリアの意志を尊重したからだ。 徐々に感情を覚えつつあるアリアが、女の子なら誰でも憧れるであろう結婚式に興味を示すのは良い傾向だとシェドは感じた。二人で旅をしている時は全くと言っていいほど女の子らしくなかったアリアがみるみる変わっていく様子に、父性本能というか、とても歯痒くも暖かな気持ちになる。 「……では、誓いの口付けを」 しばらくシェドが他事を考えている内に、式は結構な所まで進んでいた。指輪の交換を終え、互いの意志を確認するための最後の儀式が、仰々しく始まろうとしている。 チラッと覗うと、ミュールは俯いてその様子を見まいとしているようだった。目の前のアリアとセシリーは、別段普段と変わりなく、真っ直ぐ二人を見つめている。 新郎新婦が向かい合って互いに一歩歩み寄る。ライオットの表情は依然険しい。 参列した面々が固唾を呑んで見守る中、ライオットは顔を顰めたまま動かない。神父が小声で何かライオットに耳打ちしたが、それでもライオットは花嫁のヴェールをめくって誓いの口付けをかわそうとしなかった。 しばし沈黙が続いた後、おもむろに花嫁が一歩前へ踏み出した。アッと思う間もなく、花嫁が自らヴェールを半分めくって、現れた自身の唇をライオットのそれに重ねた。 教会内が沸く。ミュールは一層表情を曇らせ、ライオットは今にも泣き出しそうな表情で花嫁から一歩引いた。最前列で満足そうに頷くベルグ候とランドール候。シェドの前に立つアリアがどんな表情をしているのか、シェドには見えなかった。 「よくやった!」 突如、教会の入口から威勢の良い女の声が響いた。その声を聞いた瞬間、手前のアリアとセシリーがガバッと後方を振り返り、新郎新婦、シェドの脇に立つミュールも、唖然と教会の入口を見つめる。 シェドが皆に習って見つめると、教会の入口に立っていたのは昨日、サルスベリとエルレインを隔てる門の所で会った赤い髪の女だった。 「ん……?」 頭の中に何かが引っかかる。シェドが首を捻っていると、ミュールが小さく、 「何で、ミント様があそこにいるの? だって、ミント様は……」 と言いながら祭壇に立つ花嫁を振り返った。あの女がミントなんだと、遅ればせながらシェドは思い当たった。ミントは皆の視線を浴びながらずかずかと教会内を祭壇の方へ歩き、新郎新婦の手前で止まった。 「誓いの口付けも終わっちまったし、これでもうテメーらは夫婦だな。チッ、やっぱり邪魔してやろーと思って来てみれば、すでに手遅れかよ」 ミントがカラカラ笑いながら言う。鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、ライオットは何度も隣に立つ花嫁衣装に身を包んだ女と、ミントの顔を交互に見つめていた。 「……幸せになれよ。じゃねーと、オレがリオを奪っちまうからな」 ミントが優しい口調で花嫁に語りかける。花嫁はコクンと頷いてから、スッとヴェールと目深に被った帽子を外す。現れたのは、深緑色の髪を髪飾りで結い上げた鳶色の瞳の女。ベルグ邸の使用人、スザンナだった。 「ス、スー……? な、どう、して……?」 「野暮なこと聞くんじゃねーよ。愛し合う二人が結婚すんのは当然だろ?」 ミントの言葉にスザンナが優しく微笑み、その後申し訳なさそうにミントを見つめた。ミントはそっとスザンナに歩み寄ってギュッと強い抱擁をかわした後、参列席へ引き上げた。 「な、ならん! こんな結婚、認めぬぞ!」 「そうだ! おいミント、お前は一体何を考えとるか!」 当然ながら怒り心頭の両家の主。しかし反比例するかのように、ライオットとスザンナ、そしてミュールの表情は明るくなっていった。 「父上、二人はすでに誓いの口付けをかわしております。我が民が讃える神竜様はすでに二人の門出を祝福し、その決意をお認めになったのですよ?」 ミントの反論に親は二の句が継げない様子。それを見たミュールが突然拍手を始め、つられるように拍手は教会全体に広がっていった。 シェドも周りにならって拍手をする。ミュールが涙を零しながら二人を祝福する様子を見て、シェドも自然と穏やかな気分になった。 ベルグ候とランドール候を除く多くの参列客に祝福されながら、ライオットとスザンナはゆっくり、ゆっくりと通路を抜け、太陽の光が差し込む教会入口より新たな一歩を歩み出した。花嫁を目で追って振り向いたアリアの表情は、とても穏やかで愛らしかった。 教会の前の拓けた広場。新郎新婦を中心に、多くの人々が祝福の言葉を贈っていた。アリアはボーッと、美しいウエディングドレスを纏ったスザンナを見つめていた。 今まで何着もの可愛い服をシェドがアリアのために作ってくれた。気に入った服は沢山あるけれど、そのどれとも違う、何か心の奥がぽぅっとなるような感じを与える服飾。スザンナの身を包むそれは、他のどんな服より魅力的に見えた。 セシリーの話によれば、地域によって異なるものの、殆どの地域で結婚式の際にあのような美しい服を花嫁が着るらしい。好き以上の好きという感情を抱く相手の脇にウエディングドレスを着て立つことは、女の永遠の憧れであるという。 「綺麗よね、スザンナさん」 セシリーがそっと目を細め、少し羨ましそうな声を漏らす。アリアは黙って首肯した。 「……みんな、二人を祝福してるの?」 「そうね。……一部を除いて、多くの人が二人の門出を祝福してることに違いはないわ」 「……ミント」 「ええ。けれど、それは仕方のないことよ。ミントさんも、ずっと前からわかっていたんでしょうね」 「ミントは、ライオットのことを好き。好き以上の好き。……だけど、ライオットと結婚したのはスザンナ。……ミントは今、苦しいの? 好きだから、苦しんでるの?」 喧噪に包まれる広場から少し離れた場所に立つ一本の木。まだ芽が萌え出す前の木にもたれ、ミントは寂しげな笑みを浮かべて新郎新婦を見つめていた。そんなミントの表情を見ていると、どうしてか胸がキュッと締め付けられるような思いに駆られる。 「……相手のことが好きであればあるほど、一緒に居られないとわかった時は苦しいし、悲しいでしょうね」 アリアにはまだ、誰かを好きになったが故に苦しい思いをするという経験がない。まだきっと、それに必要な感情を覚えていないから。でも、自分のことではないのに、ミントのことを思うだけでどうしようもなく胸が苦しい。それは一体、どうしてだろうか。 「セシリー。私……」 「あらあら、ミントさんの気持ちが伝染しちゃったのかしら? あなたは優しい子ですものね」 アリアが唇を噛みしめながら俯いていると、セシリーはアリアの手を取ってギュッと握りしめてくれた。アリアより一回り大きな手。 いつか、セシリーも誰かを好きになって結婚してしまうのだろうか。そしたらアリアと一緒に旅することをやめ、別れてしまう日が来るのだろうか。 アリアは強くセシリーの手を握り返す。アリアの心を読んだのか、セシリーは優しい笑顔で、 「大丈夫よ。あなたが誰かを好きになって、その人と生きていこうと決めるまでは、ずっとあなたの隣に居てあげるから」 と言った。とても安心する、安らぎをくれる言葉。セシリーの穏やかな笑みに、アリアも精一杯の笑顔で応じた。ちゃんと笑えているか不安はあるけれど、きっと、セシリーにはちゃんと伝わるはず…… 『ギャオオオオオオオンッ!』 突如、穏やかな空気を引き裂き、凄まじい咆吼が大気を揺らした。 「なっ、何だ!?」 シェドが空を見上げて驚愕の表情を浮かべた。アリアが天を仰ぐと、デオラガーン上空に大きな影が浮かんでいた。太陽からの逆光でよく確認できないが、それは翼を持つ巨大な生物のようだった。 「ド、ドラゴン?」 セシリーが焦りを含んだ声を漏らす。先ほどまで賑やかだった広場が突如混乱に包まれ、人々が叫びながら逃げまどう。 「ちっ、アリア、馬車から武器を持ってこい!」 「わかった」 シェドに言われたとおり、アリアはすぐさま駆けだして馬車へ向かう。馬車の荷台に駆け込むと、シルヴァランスがシールディアの額をハンカチで拭いながら、驚いた様子でアリアを見つめ返してきた。脇にはヒューイがシールディアを心配しているかのように大人しく佇んでいる。 「ドラゴンがまた現れた」 「……先ほどの咆吼はやはりそうですか。わかりました、僕も行きます」 アリアはシェドの銃が収められた筒状のショルダーバッグを背負い、自分用のハンドガンを二丁、スカートの裏に押し込んだ。さらに手榴弾数個と予備の弾薬をポケットにねじ込み、腰にサブマシンガンをベルトで留める。 シルヴァランスがシールディアの様子を心配そうに一瞥した後、馬車を飛び出した。アリアもそれに続いて馬車を飛び出し、シェド達の元へ戻った。広場はすでに閑散としており、結婚式に参列していた人々の姿はなかった。ライオットとスザンナは後方の教会へ後退し、脇にはシェドと一緒にいた銀髪の女の子が居る。ミントの姿は見当たらない。 「来るぞっ!」 シェドの声で面々に緊張が走る。次の瞬間、凄まじ暴風を巻き起こしながら、空高くから黒い影がアリア達の前に舞い降りた。 ドラゴン。だがそれは、今まで見たことがあるそれと違い、やせ細った小型のドラゴンだった。エメラルドグリーンの鱗で全身を包み、鋭い眼光、二本の角。鋭い爪に長い牙を有しているものの、そこまで圧倒されるような感はない。 「これは……、エアバーン?」 「……くくく、ようやく会えたな」 シェドがドラゴンを見つめて小さく声を漏らした瞬間、ドラゴンが太くかすれたような声を発した。いや、それはドラゴンではなく、ドラゴンの背に乗った人間が発したようだ。 アリアはクッと顔を持ち上げ、ドラゴンの背を凝視した。そこには大小合わせて四つの人影が、アリア達へ向いて立っていた。 「……な、まさか、貴様……」 「シェド……?」 いつになくシェドの表情が険しい。シェドは焦った様子でバッグを開き、中から黒いケースを取り出すと、中に収められた白銀銃を乱暴に掴んで銃口を人影へ向けた。 「一年半か……。俺はこの時を待っていた」 四つの人影が飛翔し、大地に降り立つ。ドラゴンは大きく咆吼し、大きな両翼を広げて空高く舞い上がり、山岳部の方へ消えていった。 アリアは目を細めながら現れた人影を凝視する。間違いない。この威圧感はニーヴルのエインフェリア。アリア達を追ってきた、刺客だ。 「久しぶりだな、“魔弾”のシェド」 「貴様……っ!」 シェドが額に汗を滲ませながら睨め付けるのは、少し白髪の交じった黒髪をオールバックにする大男。額の傷や野性的な顎髭が、何とも言えない威圧感を他者に与える。オリーブ色の瞳は真っ直ぐシェドへ向けられており、不気味な笑みを浮かべていた。 その後方に立つ瓜二つの容貌を持つ二人の女。藍色のショートカット、内に鎖帷子を仕込んだ紺の装束。足には黒のタイツ。その服装は、以前シェドが話してくれた架空の戦士、忍者の衣装に酷似していた。 そして―― 「――っ!?」 アリアは言葉を失ってしまう。現れたニーヴルの戦士達の中で、一際異色の空気を漂わせる一人の少女。その少女を見た瞬間、アリアの体は瞬間冷凍されたように動かなくなってしまった。 若葉色の髪をツインテールにまとめ、セピア色の瞳に感情という色はない。カラーや袖口にフリルをあしらった白いブラウスに、胸元で結ばれた黒のリボン。ワインレッドのキュロットスカートは膝上二十センチくらいで、灰色のニーソックスを穿いている少女は、焦点の合ってない目でアリアを見つめていた。 「あ……、あ……」 動悸が激しくなる。瞳孔が開き、喉がカラカラに乾く。呼吸が乱れ、アリアは一歩後ろ足を引いた。 どうして体がそんな反応を示すのか。それは簡単だ。何故ならアリアは、その少女を知っている。いや、少女自身は知らないが、彼女のような少女に心当たりがあるからだ。 少女は自分の過去そのもの。シェドと出会う前、組織のいた頃のアリアと同じ、“心なき天使達”に相違なかった。 |
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