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第一章 秘密の集落 アルトレア大陸北東に位置するトルメキア王国。そのさらに北に広がる広大な自然の中に静かに佇む魔練器製造工場の地下には、トルメキア皇室と関係の深い組織、ニーヴルの研究所が存在している。 研究室の一角、青白い光に包まれた部屋に、白衣の中年男達を引き連れながら長い黒髪を優雅に掻き上げる妙齢の女が居る。紫色の瞳に、微笑を携えた艶やかな唇。紫紺のスーツで身を包み、黒髪の女、レミネーラは、満足げに目の前にある大きな水槽を見つめていた。 「ふふふふ……、美しいわ。これがバルゴの光なのね……」 水槽の中には十二、三歳くらいの全裸の少女が瞳を閉じて漂っており、その体の至る所に何やらコードのようなものが巻き付いている。ゆらゆらと水槽内でセミロングの銀髪を靡かせ、未熟に膨らむ胸の中央には不気味に輝く大きな宝石が埋め込まれていた。 「ええ。すごいですよ、他の天使と違って初期段階の拒絶反応が全くありませんでした」 「報告によれば、聖石を埋め込まれる前から天使の力の一部を使えたとあるわね……。うふふ、これなら覚醒にもさほど時間はかからなそうね……」 レミネーラは妖艶に微笑み続け、水槽内の少女を愛でるように見つめる。しばらくそうしていた後、白衣の男達に何か言い残してからレミネーラはその部屋を後にした。 「レミネーラ様ぁっ」 「ああ、キャロル」 廊下に出たレミネーラの前に現れた十代半ばの少女。短めでカールした赤毛に、そばかすが目立つ頬。カナリア色の瞳の片方にはモノクルが掛かっており、身につけているのは部屋の中の男達と同じ白衣である。 「よくやってくれたわね」 「いえいえー。でもぉ、ホント言うとレオも一緒にとっ捕まえて来たかったんですけど」 「そうね。でも、万が一暴走したレオにピスケスやバルゴの器が破壊されるような事態になってしまったら、それこそ最悪の事態だわ。そうなってしまうと、今回の宴までには絶対間に合わなくなってしまうもの。キャロルの判断は正しかったわ」 「えへへ、ありがとうございますー」 爛々と笑いながら、キャロルがクルッとその場で一回転する。 「レミネーラ様、少しよろしいですか?」 「あら、カルネじゃない。わざわざ研究所まで来なくても、これから執務室に戻るところだったのに」 いつの間にかレミネーラの背後に背の高い細身の男が立っていた。血のように赤い髪に、右目を覆う眼帯。黒いスーツでビシッと締める男、カルネは、感情を表に出さずに淡々と語り出す。 「例の、ここを襲った連中のことで……」 「……そう。何かわかったの?」 「はい。おそらく、各地で我々の活動を阻害している組織と同じ手の者でしょう。そして、その組織のリーダー的存在である男の名も割れました」 「カルネは仕事が早くて助かるわ」 レミネーラが微笑みかけると、カルネは無言で礼をした。 「それで? 私達ニーヴルに楯突く無粋な連中のボスはどなたかしら?」 「……男の名は……、ガルバトロス=サーベル……」 「――っ!?」 カルネが男の名を口にした瞬間、レミネーラの顔に浮かんでいた笑みが消えた。目を見開き、口を半開きにしたままカルネを見つめるレミネーラを、カルネは表情一つ変えず見つめ返している。 「随分懐かしい名前が聞こえたな……」 呆然としているレミネーラの耳に低い男の声が響く。レミネーラが顔を持ち上げると、カルネの後方から三人のもとに歩み寄る中年の大男の姿があった。 少し白髪の交じった黒髪に額にある深い傷の痕。オリーブ色の瞳は血に飢えた狼のように鋭く、全身を黒の戦闘服で包んでいる男、ミゲルが、レミネーラを睨むように見つめる。 「ミゲル……。もう動いても大丈夫なのかしら?」 「ふん、いつまでも寝ていられるか」 「ミゲルさーん、体は大事にして下さいよー。まだレオに受けた傷が完治したわけじゃないんですからー」 「余計な世話はいらん。……それより、ガルバトロスの野郎がどうかしたのか?」 ミゲルはキッとキャロルを睨め付けてから視線をカルネに移した。 「はい。先日ここを襲撃し、また各地でニーヴルの活動を阻害する敵対組織のリーダー的存在である男の正体、それがガルバトロスだと考えて、まず間違いないはずです」 「ほう……」 ミゲルがニカリと不気味な笑顔を浮かべ、キャロルがキョトンとそんなミゲルを見つめている。 「あの、ガルバトロスって一体誰なんですかぁ?」 「あらそうね、キャロルは知らなくても仕方ないわ」 「……ガルバトロスの野郎は俺と同期の元エインフェリアだ。お前達、現在のガンズの前にガンズを務めた男。二つ名は、“不止の槍”」 「あっ! 聞いたことあります! ……う、うへぇー、そんな人が敵さんですか?」 狼狽するよう言いながらも、キャロルの表情から笑みは消えない。ミゲルはグッと拳を強く握り、嬉しそうに歯をむき出した。 「シェドが腑抜けに成り下がり、満足行く戦いが出来なかったからな……。まさかあの野郎がまた表舞台に顔を出すとは……。ククク……、面白い! おいカルネ、あの野郎は何処にいやがる。俺がぶち殺しにいってやる」 「まだ所在までは掴めていません」 「ちっ! 早いとこ割り出せ。ヤツとなら、今度こそ本気でやり合えそうだ」 命令するようカルネに言い放ち、ミゲルは踵を返して廊下の奥へ消えていった。 「あらあら。レオにこっぴどくやられたというのに、ミゲルも相変わらずね」 「その方がミゲルさんらしいですけどねっ」 「……さて。カルネ、引き続き調査をお願いね。ガルバトロスが関わっている以上、こちらも油断していられないわ」 「はい」 「それとキャロル。バルゴ覚醒の件はあなたにすべて任せるわ」 「まっかせて下さい。……って、あれ? じゃあレオはどうするんですか?」 「しばらくは足取りを追うことに専念するしかないわね。……手がかりが得られ次第、ミゲルかあなたに行ってもらうわ」 レミネーラの言葉に、キャロルが大きく首肯する。カルネの姿はすでに廊下から消えており、キャロルも踵を返して白衣の男達が居る部屋へと入っていった。 「ガルバトロス……」 天井を見上げながら小さく息をつき、レミネーラはそっと物憂げな表情で小さく呟いた。しばらくそうしていた後、レミネーラは長い髪をなびかせながら踵を返し、カツカツとヒール音を刻みながら廊下の奥へ消えていった。 * * * 天井に開いた穴は半径十メートルほどだが、その眼下に広がる地下の大地は半径百メートルほどはある。シェド達がいる最下層の中心にはシェド達が落下した池があり、その周囲には背の低い草木が天井の穴から差し込む光を浴びて繁茂していた。 池の水は四方に小川となって流れ、地下空間の壁とぶつかる地点で途切れている。ドーム状の地下空間を包む壁にはリング状の輪っかが数メートルおきに階層を作り、東西南北の四箇所に一番上のフロアまで続く階段が設けられていた。 各フロアに点在する多くの横穴から姿を現した人々が、恐怖、驚きなど、様々な感情を含んだ双眸でシェド達を見つめていた。 シェドが呆然とそんな人々を眺めている時だった。徐々にシェド達を取り囲むよう集ってきた人々の中から、一人の老人が、シェドの前に一歩踏み出してきた。 「お主らは何者じゃ? 何用でここに参った?」 嗄れた低い老人の声。まるでここにいる人々の代表であるかのように振る舞う老人に、シェドは一瞬返答に困ったがすぐに気を落ち着かせて口を開いた。 「突然の来訪、お詫び申し上げます。森を走っていたら、あの穴に落ちてしまい、偶然ここへ来てしまいました」 天井の穴を指さし、シェドが困った顔を作って答えると、老人は睨むように細い目をさらに細めてシェド達を矯めつ眇めつ見据えた。 「この場所は公道からかなり外れた地。何故、このような場所を通った?」 「色々とありまして、追われている身なんです。それで公道を通るわけにはいきませんでした」 「……訳ありのようじゃのぅ」 老人が長い顎髭を撫でながら嘆息する。 「ここは一体どこなんですか? 地図にも載っていないですし……」 「…………」 シェドの問いに老人は答えない。まるで探るようにシェドをジッと見据え、後ろの荷台に視線が行った。荷台に積まれている武器などはシェドの居る位置からでも確認できる。おそらくシェド達が自分たちの敵ではないかと疑っているのだろう。こんな深い森の地下にひっそりと存在する集落、ワケありでないはずがない。 シェド達を取り囲む人々の中には武器を手に持って身構えている連中の姿もある。シェドが横目で覗うと、セシリーとシルヴァランスが鋭い視線で武装した人々を牽制していた。 「どうやら歓迎されてないみたいだな……」 「うん」 シェドの言葉に、隣に佇むアリアが同意した。そのまましばらく敵意や好奇の視線に晒されていると、 「シェド……なの……?」 不意に、前方からシェドの名を呼ぶ声がした。シェドは一瞬、アリアが呼んだのかと思って振り向くが、アリアは自分じゃないと言うかのように首を左右に振った。 シェドが瞬きしながら前方を見据える。すると、ざわざわと騒がしい周囲を囲う人々を押しのけ、車椅子に乗った一人の女が姿を現した。 木製の椅子に車輪を加えただけの簡素な車椅子。文明の発達した都市にいけば、ジェムを動力とする魔練器車椅子もあるのだが、女が腰を下ろしているのは旧式で何の動力も装備していないタイプだった。 長くて艶やかな髪は、夏の木々を思わせるビリジアン。優しげな菫色の瞳に、整った鼻筋。右目の下にある泣きほくろが印象的で、青みがかった手織りのケープを身につけている女が、シェドを驚いた様子で見つめている。 「…………あ」 その女を見た瞬間、シェドは言葉を失って固まってしまった。呆け面で佇むシェドの顔を、アリアとシールディアが両側面から訝しげにのぞき込んでくる。 「シェド、どうしたの?」 「知り合いなのか?」 シェドの様子を不思議そうに見つめるアリア達同様、シェド達を取り囲んでいた人々も現れた車椅子の女を驚いた様子で見つめている。多くの人間の手前、シェドと車椅子の女は互いの顔を見つめ合っていた。 「……まさか、アリカ……。アリカ、なのか?」 「ええ。……本当に、シェドなのね」 見覚えのある顔が穏やかな笑みを浮かべ、アリカが車椅子の車輪を回す。シェドも無意識のうちに一歩、また一歩とアリカへ歩み寄っており、気付けばすぐ目の前にアリカの少し困惑した笑顔があった。 「まさか、こうしてシェドともう一度会えるなんて……。思ってもみなかったわ」 「……俺もだ。まさか、また、会えるなんて……」 シェドは眉根を寄せ、伏し目がちにアリカを見つめた。困惑を笑みで覆い隠しているアリカと違い、シェドは自身の動揺を隠しきれないでいた。過去に自分が犯してきた罪とアリカに対する罪悪感が、克明な記憶として頭の中に蘇ってくる。 今こうしてシェドがニーヴルを抜けて世界を旅しているのも、すべてはアリカのお陰だった。あの時、あの場所でアリカに出会うことがなければ、シェドは今もなお、きっとニーヴルの犬としてこの手を血に染め続けていただろう。 「なんじゃ、アリカの知り合いなのか?」 見つめ合う二人に寄ってくる老人。住人の知り合いと知ってか、老人のシェド達を見る目が先ほどより若干穏やかになっているよう感じられた。 「……え、ええ。そうです」 アリカが歯切れ悪く答えた。それは当然のことだ。アリカはシェドと初めて出会った時に、シェドがある組織に在籍していて、多くの人々を殺していることを知ったのだから。 「町長、この人達のことは私に一任して頂けませんか? ちゃんとこの町の事情を説明します。きっと……、わかってくれますから」 アリカが懇願するように老人にそう言い、そしてシェドをジッと上目遣いに見つめた。その視線を浴び、シェドは一瞬息が詰まるような思いに駆られる。 「う……むぅ。だが、容易に部外者を町に滞在させるわけには……」 「お願いします」 アリカが真摯な瞳で老人を見つめると老人が困ったように表情を歪め、しばらく考え込むよう唸ってからアリカを見つめて首を縦に振った。 「すいません。後で、必ず詳しい事情をお話にあがりますから」 「わかった。……皆の者、解散じゃ」 老人がパンと両手を叩くと、武装して身構えていた男達が警戒を解き、最後に一度鋭い視線でシェド達を一瞥してから周囲へ散っていった。 「……助かったよ」 ようやく口を開き、シェドは出来る限り穏やかな口調でアリカに話しかけた。アリカは依然、困ったような表情を浮かべてシェドを見つめていた。 「ちょっと、いつまで熱く見つめ合ってるつもりなのかしら? もしかして私達のこと忘れてない?」 背後からセシリーの不満そうな声が届く。シェドがハッとして周囲を覗うと、アリアとシールディア、セシリーら女性陣が睨むようシェドを見つめ、シルヴァランスは困ったように愛想笑いを浮かべていた。アリアの頭の上に乗ったチロルのヒューイまでもが、睨むようシェドを見つめている。 「えっと、こっちはアリカっつって、その、ちょっとした知り合いみたいなもんだ」 「アリカ=ハーフレットです」 車椅子に乗ったまま、アリカが丁寧に腰を折る。顔を上げたアリカにシェドは皆を簡単に紹介した。 「取りあえず私の家に行きましょう。詳しい話はそこで」 「ああ、そうさせてもらう。……馬と、荷台はどうしたらいい?」 「私の家はこのフロアにあるから、家の前に止めておけばいいわ」 そう言ってアリカが車椅子を百八十度回転させ、キリキリと音を立てながら進んでいった。シェド達は無言でその後を続く。 「おお、アリカ、遅かったな……。……ん、何だ、そいつらは?」 シェドの知り合いであるという女の家に入ると、坊主頭の男が怪訝そうにアリア達を見つめてきた。鼻の下の髭は白く、顔もしわが濃い、見た目四十後半の男は、オーバーオールのつなぎを身につけ、織機で何やら作業をしているようだった。 「お父さん、えっと……、この人達は……」 アリカが拙い言葉で父と呼んだ中年男に事情を説明している様を、アリアはジッと見つめていた。アリアの位置からではアリカの表情は見えないが、そのセシリーのように長くて艶やかな髪を見ていると、何故か焦がれるような想いに駆られる。 アリカという女はシェドの知り合い。ずっと組織に在籍し、組織を抜けた後はずっとアリアと一緒に居たシェドが、どうやってアリカのような普通の人と知り合うことができたのかアリアには疑問で仕方なかった。少なくとも、アリアはこの町へ来るまでアリカと出会ったことはない。 それにシェドのアリカを見つめる微妙な視線。そこにどんな感情が含まれているのか、今のアリアにはまだよくわからない。きっと、セシリーなら何か気付くところがあるのだろうけど。 「――ってーと、お前さんらは外から来た人間ってわけか。しかもそっちのにーちゃんはアリカの知り合いだって言うのか?」 「……はい」 アリカの顔を一瞥して、言いづらそうに答えるシェド。知り合いであるという言葉に何故か物悲しげな表情を浮かべるシェドに、アリアは言葉にならない感情を覚えた。 「追っ手に追われるなんざ、何かワケありっぽいな……。よしわかった。しばらくここに滞在するといい」 「ありがとうございます」 「だが、見てわかるとおりここは外界との接触を最低限にして隔離された集落だ。そう簡単によそ者を認めることは出来んだろう」 「お父さん、その事は私がちゃんと話すから」 そう言ってアリカがアリア達を手招きし、アリア達は奥の部屋へと移動した。 ドーム状の地下空間の壁に掘られた横穴が、それぞれ居住スペースとなっている。横穴は天井こそあまり高くないが、奥へ奥へと横長の構造をしていた。床は土の上にすのこのような木製の板を張り、その上に絨毯が敷かれている。太陽の光が届かないため、昼間でもジェムを動力とする魔練器灯が輝いていた。 アリア達が通されたアリカの部屋には、小さな机とベッド、それに木製の棚が並んでいた。化粧台には綺麗に磨かれた大きな鏡がある。 そして部屋の片隅にある机の上には、バスケットに収まる沢山の毛糸と、何やら編みかけのケープらしきものが転がっていた。 「狭い部屋ですけど、どうぞくつろいで下さい。今、お茶を持ってきますね」 器用に車椅子を操作しながら、アリカが部屋を出て行く。アリアは絨毯の上に腰をおろし、ふぅ、と小さく息を吐いた。 「それで、シェド。あのアリカさんっていう人とはどういうご関係で?」 「……ただの知り合いだって言っただろ?」 セシリーが楽しそうに頬を緩ませて探るようシェドに尋ねると、シェドは鬱陶しそうな表情を浮かべて大きく肩を落とした。 「ただの知り合いだったら……、どうしてそんな辛そうな顔してるの?」 思わず、アリアは声に出して尋ねていた。辛そうという表現が正しいのかどうかわからない。けれど、何かただの知り合いに対する感情とは別の想いがシェドの表情に見え隠れしている気がした。 「え……? あ……、別にそんな顔してねーって」 「…………」 シェドはアリアをチラッと見つめ、後頭部を掻きむしりながらとぼけるような態度をとる。どうして本当のことを話してくれないのだろうかと、アリアは少し寂しい気持ちを抱いてしまう。 「シェド。私もアリア同様、そなたの表情にただの知人に対するもの以上の想いがあるよう感じたが、それは私の勘違いか?」 アリアの隣に腰を下ろすシールディアが琥珀色の瞳を細めてシェドを見つめる。アリアと違い、シールディアのこういう何でも臆しなく尋ねる度胸はすごいとアリアは常々感じていた。 「……それは、えっと……、そう、アリカってすっげー美人だろ? ああいう美人は目の保養になるからな。眼福眼福ってやつだ」 「ふむ。つまり、シェドはアリカの女性的な部分に魅力を感じていたというわけだな?」 「そういうことだ。……シルヴァランスだって、熱い目でアリカを見ていただろ?」 シェドが自分に集中する視線をかわすよう、シルヴァランスに話を振る。 「え、えっ? ぼ、僕はそんな、いやらしい目でアリカさんを見つめてなど……」 「あらあら。流石ムッツリ君ね」 「セシリーさんっ!」 シルヴァランスの怒声とセシリーの笑い声が響いた時、そっと部屋のドアが開いて車椅子に乗ったアリカが戻ってきた。片手で急須とコップの乗ったお盆を持ち、もう片手で車輪を回している。 「ごめんなさい。お待たせしてしまって」 「あ……、私手伝います」 セシリーが立ち上がってアリカからお盆を受け取る。互いに笑顔をかわし、セシリーが皆にお茶を配り始めた。 お茶が皆に行き渡った所で、アリカがおもむろに口を開く。 「さて、まずはこの町について簡単に説明しますね。ここは隠者の町、テムル。大陸のあちこちから、様々な理由を持って落ち逃れた人々が集って築いた町よ」 「逃れた……?」 アリアが小首を傾げると、アリカが優しげな笑みをアリアに向けた。見た者を安心させるような柔らかな笑顔に、アリアは胸の内がぽぅと温かくなるような気がした。しかし同時に、自分には出来ない完璧な笑顔に羨望の念が黒点となって心に染みる。 「この町に住む多くの人が、トルメキアの圧政に苦しんで逃げてきた人達なの。無理矢理徴兵されそうになった恋人を連れて逃げてきた男女や、ジェムが使える娘を守るために夜逃げした親子も居るわ」 「……だから、最初俺たちが来た時にあんな警戒心むき出しだったのか」 「そう。逃れてきた人々は皆、また再び自分たちの居場所を奪われることを何より恐れているから」 居場所を奪われる――。その言葉に、アリアは言いようのない罪悪感を覚えた。チラッと覗うと、シェドとセシリーも似たように表情を曇らせている。 エインフェリアとして、組織の手駒として罪を重ねていた頃、アリアも多くの人々を手にかけ、多くの人々の居場所を奪った。この町はそうやって居場所を奪われた人達が必死に生きるため築き上げた場所なのだろう。 「…………私」 そんなところに自分は居て良いのだろうか。追い出した側、奪った側である自分が、この町に踏み入っていいのだろうか。 「キュー……」 伏し目がちに絨毯を見つめるアリアに、シールディアの膝の上で大人しくしているヒューイが心配するよう小さく鳴いた。 「アリア、ブスくれてると腹がよじれるまでくすぐるぞ」 「……シェド。でも……私、私はこの手で――」 「ストップ。あなたが言いたいことは大体わかるわ。……そうね、アリカさんにはちゃんと事情を説明しておいた方がいいかしら」 セシリーがアリアの言葉を遮り、自分がアリカに説明する役を買って出た。本当ならアリアが自分の口から伝えなくてはならないこと。でも、今のアリアでは申し訳ない気持ちが先行しすぎてきっと言葉にならない。 「……セシリーさん、でしたね。その事情と言うのは、シェドがトルメキア皇室と影で繋がる暗躍組織の人間であることを指しているのですか?」 「えっ!? ア、アリカさん、ご存じだったんですか……?」 「…………はい。私がシェドと会ったのは今から二年ほど前のことですが、その時、シェドの口から聞きました」 アリカの言葉に部屋中の視線がシェドへ集中した。無論アリアも、蒼い瞳をしっかり見開いてシェドを見据える。 「二年ほど前って、シェドが組織を抜けてアリアと旅を始める前後じゃない?」 「……組織を……抜けた? シェド、あなた……。……そうなの?」 驚いた様子でシェドに尋ねるアリカ。シェドは俯いて小さく息を吐きながら、「ああ」と簡素に答えた。 「アリカさん。……その、実は私も元は組織の人間なの。こっちのアリアもね。でも、今はシェドと同じく組織を抜けた身。けれど、いくら組織を抜けたとは言え過去の罪が消えたりはしないわ。きっと、この町の人の中には私達が居た組織の人間、……ううん、もしかしたら私やアリアの手によってこの町に追いやられた人もいるかもしれない」 「…………」 「だから立ち退けと言われればすぐにでも出て行きます。ただその前に、この子の両親がこの町にいないかどうかだけ調べさせてもらえませんか?」 アリカはセシリーの話にジッと耳を傾けていた。セシリーの言った、過去の罪が消えたりはしないという言葉にアリアの胸がキュッと痛む。 「セシリーさん、私は最初からあなた方を追い返そうとは思っていません。……シェドのことを、私なりに少しは知っているつもりですから」 「アリカ……」 シェドに優しく微笑むアリカ。そんなアリカの笑顔に、シェドは曇った表情のまま眉根を寄せている。 「じゃあ、町長の所へ行ってきます。あなた方はトルメキア軍に追われる身であり、はぐれてしまったその子の両親を捜しているということでよろしいですか?」 「……ありがとうござます。正確には、軍ではなく私達が居た組織に追われているんですけど、トルメキア軍とした方がいいでしょうね」 「ええ。では、しばらくお待ち下さい」 そう言い残してアリカが部屋を去ろうとした時、 「待て。……俺が押していくよ」 シェドがすっくと立ち上がり、アリカが腰を下ろす車椅子にある取っ手を掴んだ。上り坂など本人の力だけでは及ばない時に第三者に押してもらえるよう、車椅子の後ろには左右に取っ手がついている。 「大丈夫よ。町長の家はすぐ上のフロアだから、一人でも上がれるわ」 「いいんだ。俺がついて行きたいだけだから」 「そう? ……じゃあ、お願いしようかしら」 柔らかな笑みを浮かべるアリカに、申し訳なさそうに微笑むシェド。二人はゆっくり部屋から出て行き、アリアは見えなくなるまでシェドの背中を見つめていた。 「さて、じゃあ僕は荷物の整理をしてきますね。落下や浸水で、かなりひどいことになってるでしょうから」 「そうだな。私も行く」 「私も行くわ。何時までも濡れた服じゃあ気持ち悪いもの。……アリアはどうする?」 「私は先に着替えたからいい。ここで待ってる」 シルヴァランスが立ち上がるとそれにシールディアが続き、セシリーもゆったりと立ち上がって三人が部屋を出て行った。 部屋に取り残されたアリア。見上げる天井には魔練器灯がぼんやりと輝き、部屋の外からはアリカの父親が織機を動かす音が聞こえてくる。 瞳を閉じると、そこには優しい笑顔を浮かべるアリカの姿が浮かんだ。 どうしてかわからないけど、アリアにはアリカがシェドのことを自分より多く知っているような気がしてならなかった。いや、それ以前にアリアは自分がシェドの過去について殆ど知らないことに気付かされた。 “魔弾”のシェドと恐れられたシェド。セシリーが以前話してくれた、今のシェドとはかけ離れた過去のシェド。アリアはそんなシェドの過去を何一つ知らない。 シェドはいつも飄々と笑い、家事全般を難なくこなし、アリアのために綺麗な服飾を作ってくれた。シェドはいつも無知なアリアに色々なことを教えてくれた。シェドはいつもアリアを守ってくれた。 けれど、アリアはシェドのことを本当は何も知らないのではないか。アリア同様、シェドもきっと心に大きな傷を負っている。けれど、その傷を決してアリアに見せてくれたりはしない。 「私……、私は……」 もしかしたら、アリカはシェドの持つ心の傷を知っているのではないだろうか。だからあんなにも優しい笑みをシェドに向けられるのではないだろうか。 積み重ねてきた時間に比例しない、アリアとシェドの絆の弱さ。アリカに会って、アリアはそれが悲しく思えて仕方なかった。 自分はシェドを知らない。一緒に旅を続け、家族と相違ない、いつも隣に居てくれるシェドのことを、自分は何も知らない。 静かな部屋で佇むアリアの瞳に、いつしか小さな滴が浮かんでいた。 セシリー達がアリカの家先に出ると、自分らが乗ってきた馬車の荷台でゴソゴソとうごめく小さな影があった。 「ちょっと! あなた、何してるの?」 「うげ、やばっ!」 セシリーが声を張り上げて注意すると、荷台からまだ十歳くらいの少年が飛び出し、荷台に積んであった荷物をバシャッと散乱させた。 茶色の短髪に、茶色の瞳。その生意気そうな双眸でセシリー達を見つめ、ばつが悪そうにオロオロとしている。 「泥棒ですか? 感心しませんね」 シルヴァランスが腕を組んで少年を咎めるように睨む。シールディアの肩に乗っているヒューイも、「キューッ!」と怒ったような声で鳴いた。 「く、くそぉっ!」 少年は手に荷台に積んであった木製の鞄を握ったまま踵を返し、上のフロアに続く階段を駆け上がり始めた。 「あ、ちょっと! 待ちなさい!」 セシリーの制止を無視して少年は一目散に駆けていく。その時、シールディアの肩がピョンとヒューイが飛び出し、ピョンコピョンコと少年の後を追っていった。 「あの子が持ってた鞄、あれに入ってるのって、確かシールの着替えよね?」 「そうだ。……うむ、ならば私が取り戻してこよう」 シールディアがヒューイの後を追って駆け出す。シールディアを一人送り出して大丈夫かとも思ったが、ドラゴンであるシールディアに心配など不要かと、セシリーはため息を漏らしてから荷台の整理を始めた。 「あの、シールディアさんを追いかけなくていいんですか?」 「あの子なら大丈夫でしょ。まあ、危険な物が盗まれたわけじゃないんだし、万が一取り返せなくても、服ならまたシェドに作らせればいいわ」 「は、はあ……。そうですね、じゃあ早いところ荷物の整理を済ませましょうか」 心配そうにシールディアが走っていった方を見つめるシルヴァランスを後目に、セシリーは荷台に乗り込んだ。池に落ちた衝撃で中は想像以上に悲惨なことになっており、耐水性のケースに収めておいた弾薬類は無事だが、多くの衣類は洗濯しないことにはそのまま袖を通すことが躊躇われるくらい酷い有様だった。 スノーレンに向かう途中で行商から薬草を買った時にオマケでもらった狸の置物は、割れやすい陶器で出来ているというのに全くもって無傷でヒビ一つ入っていない。いっそ割れてくれれば後腐れなく捨てていけるのに、と少しだけガッカリした。 濡れて無さそうな衣類を探し、セシリーは荷台で着替えを始める。アリアやシールディアは水分を吸ったドレスではとても動きづらいためすぐに着替えたが、セシリーやシルヴァランスは上に着ていた一枚を脱いだ程度だった。 荷台の幕が閉まっていることを確認し、セシリーは水色のローブを脱いだ。ついでに下着も替えようと、新しい下着に手を伸ばした時、 「セシリーさん、外に散乱してた荷物は大方片づきましたけど――」 シルヴァランスが最悪のタイミングで荷台の幕を開いた。瞬間的にセシリーとシルヴァランスの視線が交錯し、シルヴァランスが口をあんぐりと開けたまま固まった。 「あ……、その、あの……、えっと……」 しどろもどろに言葉にならない奇声を漏らすシルヴァランス。セシリーも、目をパチパチさせながらそんなシルヴァランスを見つめていた。 ずっと組織に身を置いてきたセシリーは、異性の前で素肌を晒すことなど皆無だった。アリアやシールディアの手前、大人の女性を演じるために照れや恥じらいといった態度を極力とらないよう心がけてはきたが、だからといってそれらの感情がないわけではない。 「シ、シルヴァランス! い、いつまでも見てないで早くそこを閉めなさい!」 「は、はははい!」 シルヴァランスが顔を真っ赤にして荷台から身を引く。セシリーはしばらくままならぬ動悸を抑えようと深呼吸を繰り返すが、上気した頬が熱を帯びたまま一向に冷めない。 今、この場にアリアやシールディアが居なくてよかったとセシリーは心底ホッとした。だが同時に、やり場のない怒りが沸々と沸き上がり、その矛先はシルヴァランスへと向いていく。 「……もういいわ」 黒のカットソーとハーフスカート姿に着替え、動揺を隠して外のシルヴァランスに声を掛ける。しばらく間をおいて、一度中を窺ってから、シルヴァランスが申し訳なさそうに荷台に乗り込んできた。 「す、すいません……」 「…………」 入ってきたら思いっきりどついてやろうと思っていたセシリーだが、顔を真っ赤にしながらオロオロと後頭部を掻くシルヴァランスを見ると、怒りよりも恥ずかしさが上回ってとてもシルヴァランスの顔を直視できなかった。 「は、早く終わらせてアリカさんの部屋に戻るわよ」 結局何も言ってやることなく、セシリーはシルヴァランスに背を向けて荷物の整理を再開した。 互いに沈黙を守り、ギクシャクした空気が荷台に充満する。ゴトゴトと無機質な音だけが響き、時折、二人とも小さなため息を漏らす。 たかが下着姿を見られただけのちょっとした事故。本当ならそこまで意識する必要などないはずだ。いくらこの年まで異性との接触がなかったからと言って、あそこまで過剰に反応するようでは大人の女性としてどうだろう。 「はあ…………」 一際大きなため息を漏らし、セシリーは荷台から降りて山になった衣類を籠に詰めた。 「セシリーさん……。その、本当にすいませんでした……」 籠と睨めっこしていると、荷台からシルヴァランスが顔を出してもう何度目になるかわからない謝罪の言葉を口にした。 「いいのよ、もう。……でも、この事はアリアやシールには言わないでね。自分でも恥ずかしい話だから」 「い、言うわけないじゃありませんか! だ、だって結局の所、僕が着替えを覗いたってことになるわけですし……」 「…………。うふふ、そうよね。むしろ私があなたの弱みを握ったようなものか」 「そうです。……お願いですからこれをダシにして揺すらないで下さいよ」 「うーん、どうしようかしら」 そう言いながらセシリーは肩を揺らしてクスクスと笑った。シルヴァランスの純真すぎるくらい真っ直ぐな態度が、セシリーの気を和らげてくれる。 「……シルヴァランスってホント生真面目よね」 「何ですか、改まって」 ふと、デオラガーンでシルヴァランスが身を挺してアンリエッタ達の攻撃からセシリーを庇ってくれた時のことを思い出す。あの時は戦いの真っ最中だったから余計なことは考えられなかったけど、後々思い返すと自然と頬が熱を帯びる。 ジェムを扱え、エインフェリアとして強力な力を有していたセシリーは誰かに守ってもらったり誰かに庇って貰ったりしたことはない。される必要がなかった。 「それなのに、シルヴァランスときたら……」 「だから何なんですか!」 クスクスと笑うセシリーの前で、シルヴァランスが訝しげな表情を浮かべる。 誰かと肩を並べて戦うのも悪くない。目的を共にする、背中を任せられる仲間がいるというのがこんなにも居心地がいいものだと、今はハッキリ自覚できる。 「アリアを……。あの子の笑顔を守るために、これからも頑張りましょうね」 「は……? え、ええ……、それはもちろんですけど……」 急に話題を変えたせいか、シルヴァランスが目を白黒させながらセシリーを見つめる。 デオラガーンでの敗北。けれど、心の芯まで折られたわけではない。 もう二度と、アリアから笑顔を奪わせない。絶対に。 ドーム状の地下空間には全部で五つのフロアがある。シェドが落ちた一番下をゼロスフロアとし、階段を上がる順に、ファーストフロア、セカンドフロアと続く。 フロアをつなぐ階段の脇には、アリカのためだろうか、段のないスロープが用意されていた。傾斜が小さくなるよう、階段に比べて長い距離を移動する必要がある。 「そう……。あの子、アリアちゃんのご両親を捜して世界中を旅しているのね」 「ああ」 「アリアちゃん、とても悲しい目をしていたわ。……きっと、自分が過去に重ねてきた罪が深く心の傷となってあの小さな体にのし掛かっているのね」 アリカが、ふう、と大きくため息をつく。ニーヴルを抜け、アリアと共にしていることと、アリアの身の上を簡単に説明すると、アリカはすぐにアリアの内心を理解したように顔を俯けた。 「それで、シェドはアリアちゃんを守るために一緒に旅を続けているのね?」 「…………いや、違うさ。俺は、俺のためにアリアと旅を続けているに過ぎない」 「え……?」 シェドの答えにアリカが顔を持ち上げる。車椅子の取っ手を握ったまま、シェドは力ない笑顔でアリカを見つめた。 「初めてアリカに会った時、その時言われた言葉が俺を変えてくれた。“生きるために何かをするんじゃない、何かするために生きるんだ”ってな」 「私、そんな事言ったかしら?」 「真剣な顔して言ってくれたぜ? こっちは銃を構えてアリカを殺そうとしてたのに」 あの言葉を、アリカがどんな思いでシェドにぶつけたのかよくわかっていない。だが、シェドはその言葉を耳にした時、それが痛いほど胸を貫いたのを覚えている。 「生きるために俺はニーヴルに関わり、多くの人々を殺してきた。だがアリカの言葉を聞いて、目的や意志のない生き方など、それはもう生きてるとは言えないと思った」 「あらあら、シェドも思いこみが激しいわねぇ。生きるために何かをすることも必要よ?働かないとご飯にありつけないもの」 「そうだな。……でも、あの時の俺はそんなこと思いもしなかった。ただただ、自分が生きているという実感を得たいと必死だった。……生きている証、生きがいが欲しくて仕方なかった」 それがシェドが組織を抜けた理由。生きがいを見つけたいという、それ以上でもそれ以下でもない思い。 「だから、アリアを守るために旅をしているわけじゃない。俺は、俺の生きがいを見つけるため、アリアの旅に便乗しているだけだ」 「……そう」 シェドの言葉から溢れる感情の欠片を、アリカは拾ったのか拾っていないのか、それ以上何かを聞き出そうとはせず黙って前を向いていた。 「おや、アリカがギャムルさん以外の男性と一緒に居るなんて珍しいねぇ」 スロープを上がりきった時、ふいに中年の女がアリカに話しかけてきた。シェドを好奇の視線でチラチラ覗いながら、肥えた顔をアリカに近づけていく。 「こんにちは、パメラさん。この方は旅の人で、ちょっとした知り合いなんです」 「そうなの? 傍目から見ていると、まるで恋人同士みたいじゃない」 「あら、そんな風に見えましたか? うふふ」 社交的な笑顔の中年女と違い、アリカが浮かべているのは心の底から溢れているような柔らかい笑みだった。あの時も、シェドはこの笑顔のお陰で変わることができた。 「アリカは綺麗なのに、足が悪くて苦労してるでしょ? 誰か、アリカを支えてくれるような素晴らしい殿方がいないものかって、あたいらいつも心配してるのよ?」 「すいません、余計な気を遣わせてしまって。でも私は大丈夫ですよ。車椅子との付き合いも長いですし、この町の人はみんな親切にして下さいますから」 「健気だねぇ。ちょっと、そこのお兄さん。アリカのこと、頼んだわよ」 「……はあ。いえ……、俺はそんな……」 別に恋人ではないと否定しようとすると、中年女は化粧の濃い顔をもの凄い形に歪めてシェドを睨み付けてきた。思わず気圧されて、シェドは口をつぐんでアリカを見つめる。アリカは楽しそうに朗らかな笑みを浮かべていた。 「じゃあパメラさん、私達町長の家に行きますので」 「はいよ。今度ギャムルさんから詳しいことは聞かせてもらうからね」 「もう、パメラさんったら。お父さんには変なこと言わないよう釘を刺しておかないと」 アリカがクスクスと肩を揺らしながら、シェドを見つめた。誰に対しても変わらぬ優しい笑顔。どうして、アリカはこんなにも真っ直ぐな笑顔を浮かべられるのだろうか。 「…………脚。もう、駄目なのか?」 「え? ああ、うん。そうみたい。お医者様が言うには、一生このままなんですって」 アリカが自分の足を手でさすりながら、ほんの少しだけ表情を曇らせた。自分から聞いておいて、シェドはやはり聞くべきではなかったかと後悔する。 アリカの脚が動かないのはシェドのせいだ。いや、実際アリカを傷つけたのは当時シェドの上官であったミゲルだが、原因を作ったのはシェド自身だ。 あの時シェドがミゲルを止めることができれば、アリカは下半身麻痺にならなくて済んだ。すべてシェドの責任だ。 「またそんな顔してぇ。シェドったら、久しぶりに会ったと思ったらそんな顔ばかり浮かべてるのね」 「…………この顔は生まれつきだ」 「ふぅん。どうせ、私の脚が動かないのは自分のせいだって思い詰めてるんでしょう?」 笑いかけるアリカ。けれど、シェドにその笑顔に応じることは出来なかった。 「確かに脚が動かなくなって不自由だと感じることは多いわ。でも、それと同じくらい、脚が不自由だからこそ沢山の人々に親切にしてもらって、とても幸せな今を生きることができてると思うの」 「アリカ……」 「さあ、早く町長の家に行きましょう。アリアちゃんも私の家で待ってるわ」 手で車輪を回そうとするアリカ。シェドはつられる形で車椅子を押し始め、アリカは「たまには人に押して貰うのもいいわね」と始終笑顔を絶やさなかった。 デオラガーンでミゲルに完膚無きまでに敗れたことを、アリア達の手前ではおくびにも出さなかったが、シェドは完全な敗北として心の底でずっと引きずっていた。 そんな今、アリカと再会できたのは何かの運命なのかも知れない。 あの時、シェドはアリカを守れなかった。あの時、シェドはアリアを守れなかった。 圧倒的な力の差を思い知られたミゲルとの戦い。過去の敗北でアリカの脚は自重を支える力を失った。そして先日の敗北、アリアが天使化しなければアリアの命は散っていたかもしれない。 自身の無力さにうち拉がれている今、アリカの笑顔は温水のようにシェドの心に暖かく染みいってくるような感じがした。 シールディアの着替えが詰め込んである大きな鞄を、十歳くらいの少年が両手で抱えながら走っていく。少年のすぐ後ろをヒューイが追従し、シールディアは少し後方から少年を追っていた。 今身につけているフリルやレースをあしらった黒いワンピースドレスも、少年が荷台から盗んだ鞄に入っている服もすべてシェドがシールディアのために作ってくれたものだった。シールディアが旅に加わるまではアリアも今シールディアが着ているような黒を基調としたドレスを身につけていたようだが、今ではアリアに明るい色の服、シールディアに黒っぽい色の服と、シェドは生地を使い分けている。 それは単純に区別しやすいというのと、シールディアの白い肌、銀色の髪には白い服より黒い服の方が、肌の白さが際立つというシェドの意見によるものが大きい。アリアはセシリーに、明るい服を着るよう言われたらしく、シェドに白や水色などの生地で作るよう頼んでいた。 「うわあっ! つ、ついてくるなよっ!」 「そなたが持っている鞄にはシェドが私のために作ってくれた服が入っている。鞄を返却するならば、これ以上の追跡はしない」 「か、返してやるもんかっ! ベーッ!」 少年は額に汗を掻きながら、上半身だけ振り返って舌を出した。シールディアは別段表情を変えず、ヒューイと共に少年を追い続ける。 ゼィゼィと息切れする少年に対し、シールディアの息はまったく上がっていない。確かに人間の姿をしている時は身体能力は低下する。しかしドラゴンであるシールディアは能力が低下した状態でも、十二分に人間の少女を超越していた。単純な身体能力ならば、アリア以上であることは間違いない。 少年は逃げ込むように、地下空間のサードフロアにある古びた本を家の前に広げる古本屋らしき店へと消えていった。シールディアは迷うことなく少年を追って店に踏み入る。 「おや……? これはまた、可愛らしいお嬢さんがいらっしゃったね」 シールディアが店の中に入ると、一人の老人がパイプを燻らせながら丸眼鏡の縁を持ち上げてシールディアに朗らかな笑顔を見せた。白髪だらけの頭に、濃い皺が浮かぶ顔。栗色の瞳には人情味が溢れている。 「ここに駆け込んだ少年を追っている」 「うん? お嬢さんはパットの知り合いかね?」 パットというのが鞄を盗んだ少年の名だろう。 「私の衣類が入った鞄を少年が窃盗し、私はそれを追ってきた」 「な、なんじゃとっ! ぬぅ、パットのヤツ、また盗みなんぞ働きおって!」 シールディアが事情を話すと、穏やかに微笑んでいた老人の額に青筋が浮かび、店の奥を振り返って、 「パット! パット! こっちに来んかぁっ!」 突然、大声を張り上げた。老人の変貌ぶりに、シールディアは思わず目を見開いて瞬きを繰り返す。老人の威勢に臆したのか、ヒューイがピョンとシールディアの肩に飛び乗って震えていた。 「な、何だよ、ブルゾンさん……」 奥から先ほどの少年が姿を見せた。もちろん、手ぶらだ。 「パット、お前また盗みを働いたのか!」 「な、何も盗んじゃいねぇーよ!」 パットと呼ばれた少年がそっぽを向きながら答えた。シールディアは無言でゆっくりとパットに歩み寄り、ジッとその瞳を見つめた。 「……う」 「そなたが盗みを働いたのではないと、神に誓って宣言できるのであれば私はこの場を去ろう。無実の人間に汚名を着せることは私の意に反する」 「…………うう」 「私とそちらのご老体の目をしかと見つめ、その上で神に誓って窃盗の罪を否定するのであれば、私もそなたの言葉を信じよう」 シールディアはパットを見据えたまま相手の言葉を待った。青筋立てて怒り心頭の様子だったブルゾンと呼ばれた老人も、シールディアの落ち着いた態度に驚いた様子でずれた眼鏡を直していた。 「あ……うう……。ご、ごめん……なさい……」 しばらく続いた沈黙の後、パットが項垂れるよう頭を下げた。 「パット! お前というヤツは一度ならず二度までも――」 今にも殴り出しそうだったブルゾンを制し、シールディアは左右に首を振った。シールディアの目に見ても、パットが反省している様子は明らかだった。 「何か訳あってのことだろう。荷台には金目の物もあったが、そなたが盗んだのは私の衣類のみだ。……何故、その鞄を盗んだのだ?」 詰問するでもなく、優しく尋ねるでもなく、淡々とした口調でシールディアはパットに問う。パットはしばらく俯いたまま黙っていたが、ブルゾンが「ハッキリしねぇかっ!」と声を張り上げるので、少々怯えたように口を開いた。 「……ミカに、可愛い服を着せてやりたかったんだ」 「パット……、お前、またそんなことを……」 「ミカ……とは?」 「儂の孫娘じゃよ。……生まれつきの難病持ちでな、家から満足に出られないんじゃ」 ブルゾンが寂しそうに表情を曇らせ、遠くを見るような目で家の奥へ視線を送った。パットも同様の表情を浮かべており、シールディアも二人に習って店の奥を見据える。この位置からミカと呼ばれたブルゾンの孫娘が見えるわけではない。だが、シールディア自身よくわからないが、そうしなければならないような気がした。 「あいつ、自分で好きな服を選ぶことできねぇから……」 「ふむ。では、そなたはミカという少女のため私の衣類を窃盗したのだな?」 ブルゾンが言うには、前にはアリカの父親であるギャムルが作った服も盗もうとした前科一犯であるという。 「なるほど。確かに、服飾は購入するとなれば結構な額がかかる場合が多い。特に女性用の服は装飾が華美であればあるほど値は上がるだろう。だが、だからといってそれを盗み、何食わぬ顔でミカに渡したところでミカはそれをどう思うだろうか」 ミカという少女の年齢はわからない。だがシールディアの服を盗もうとしたという事は、遠からずシールディアの外見年齢とほぼ同じと考えて相違ないだろう。 「…………」 パットは今にも泣き出しそうな顔を浮かべ、強く拳を握りしめていた。 そんなパットを見つめていると、シールディアの心が少しだけ揺らぐ。シェドと出会うまで自覚したことのない自我。ドラゴンという存在に本来自我というものは宿らないはずであるが、ラーミアの遺跡でシェドと接触するために生み出したこの体に身を変えて以来、シールディアの中の自我は確実に成長している。 外見通りの性格をベースにしたところで、シールディア自身が感情を覚えないことには意味を成さない。擬似人格は、シールディアが成長してこそちゃんと形になるのだ。 徐々に変化しつつある自分自身の心情に、シールディアは戸惑う反面、自然に身を任せていたいと強く思っていた。それはドラゴンとしてではなく、シールディアという一人の少女として、そう願っている。 「……うむ。ならば、しばらくあの鞄はそなたに預けておこう。ミカという少女に着せてやるといい」 「ほ、ほんとかっ!」 シールディアの言葉を聞いた瞬間、パットの顔が明るくなる。ブルゾンが申し訳なさそうにシールディアを見つめるが、シールディアは小さく頷いて見せた。 「但し、ちゃんとミカにそなたがこれまでしてきた窃盗の罪を白状することが条件だ」 「う、そ、それは……」 「心配ない。自分のことをそれだけ想ってくれていると知れば、ミカもきっと、そなたの所行を深く咎めたりはしないだろう」 「……わ、わかったよ」 パットが頷いたのを見届け、シールディアは踵を返した。ヒューイが、それでいいのかと言いたげに「キュキュッ」と鳴いたので、シールディアは無言でヒューイの顎を人差し指でクイクイッと撫でる。 「ま、待てよっ!」 店を出て階段へ向かおうとシールディアが歩を刻んでいると、不意に背後からパットの声が響いた。くるりと振り返り、パットを見つめていると、 「俺、パット=ライバレー! そ、その、お前の名前はっ?」 パットが大きな声でシールディアの名前を聞いてきた。どことなく気恥ずかしそうに、それでもジッと真っ直ぐシールディアを見つめるパット。 ラーミアの遺跡でシェドにそう尋ねられた時、シールディアにはまだ名前がなかったため、名乗ることは出来なかった。けれど、今は違う。 「シールディア。シールディア=エガンフィス」 名乗れる名前がある。その事が、心の何処かで小さく煌めいた気がした。心というモノ、本来、形の無いはずの心という存在を胸の奥に感じる、何とも言えない気持ち。 シールディアは仄かに微笑んで、パットに背を向けた。 |
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