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第三章 新しい今のプロローグ ハルモニカ大陸西部の街は夜闇に覆われ、漆黒の世界にミミズクの鳴き声だけが不気味に響いていた。 トルメキア王国のハルモニカ大陸侵攻軍が駐留するその街の一角には数人の人影があり、その周囲には多くの人影が大地に倒れ伏せていた。 亜麻色の雲間から月が顔を出し、淡い輝きで街の中を照らす。そこに浮かび上がったのは、無数の亡骸と、その体から流れ出して石畳を朱色に染め上げる鮮血だった。 剣を手に、甲冑で身を包んだまま道に倒れているのはトルメキア王国の国王軍の紋章をつけた軍人達だった。彼らの身を包んでいた頑丈そうな鋼鉄の甲冑はまるで紙切れのように引き裂かれており、みな恐怖に歪んだ表情のまま息絶えている。 「出来れば気づかれずにこっそり行きたかったんですけどね」 累々と積み上がった屍を背に、一人の少年が明朗に声をあげた。月光に照らされたその顔は、まだ幼さの残る線の細い顔。 栗色の髪、線のように細いえんじ色の瞳をした少年は、その手に有り余るほどの巨大な漆黒の鎌を肩に担ぎ、楽しそうに口角をつり上げている。 鎌を担ぐ暗躍組織ニーヴルの幹部、ガンズの一人であるアルフレッド=ランカーの脇には、夜の闇に紛れて輪郭が薄れてしまいそうな漆黒のスーツでフォーマルな格好をしているニーヴルの社長、ルシフェル=ガブリエスタと、七人の少女達だった。 ルシフェルの赤茶けた短髪は深夜になってもなお整ったままで、灰色の瞳に映る世界がどんなものなのか、他者にはまったく推し量ることができない。 そして天使と呼ばれる七人の少女達も、みな感情を知らないかのようにピクリとも顔の筋肉を動かすことなく佇んでいる。 「レミネーラがレオの居場所を掴んだのだ。もはや国王にこびを売る必要もあるまい」 「そうですね。正確には、レオの居場所を掴んだのはレミネーラ様じゃなくて、キャロルの透過でしょうけど」 「……キャロルの透過はダークジェムの消費が激しいからな。出来れば透過の使用は避けたかったが、蝕が近づきつつある今、贅沢は言ってられん」 ルシフェルが独り言のようにつぶやくと、アルフレッドは嬉々とした笑みでその横顔を見つめて大きく頷いた。 「キャロルの透過は“この世界にあるすべての闇”にアクセスして“闇が見つめる世界”すべてを監視できる能力ですからね。闇に満ちたこの世界で透過を使えば、そりゃあもう大量のジェムを消費しますよ」 「背に腹は代えられぬ。結果としてレオの居場所を特定できたのだ。それでいいだろう」 「はい。蝕までもう時間ありませんし、さっさとアルトレアの本部に戻って宴の準備をしましょう」 「世界再生の時は近い。……もうすぐだ」 そう言いながら、ルシフェルが恍惚とした笑みで月を仰いだとき、 「何が、もうすぐなのだ?」 闇の広がる夜の世界に、重く腹の底から響かせているような声が鳴る。ルシフェルとアルフレッドが声のした方を見やると、そこには銃剣を携える一人の大男が立っていた。 小麦色の髪を夜風に靡かせ、威厳ある顎髭を生やし、鳶色の鋭い瞳がその者の意志の強さを物語っている。恵まれた体躯を銀色の甲冑で包み、着剣した銃剣を構えるのは、国王軍に所属するレイナスだった。 「あらら、レイナスさん。まだ起きていらしたんですかぁ?」 一瞬だけ驚きの表情を浮かべた後、すぐに笑顔に戻ったアルフレッドがしれっとした様子で言う。レイナスは一層表情を険しくし、睨むように二人の男と七人の少女を見やった。 「これはお前の仕業か?」 「これ、というのは、その辺りに倒れているゴミ共のことか?」 「……ルシフェル=ガブリエスタ!」 冷めた表情で言い切るルシフェルにレイナスの怒りが鋭さを増す。ジリジリと間合いを詰めてくるレイナスを、ルシフェルは興味なさそうに淡々と見つめ返していた。 「社長、レイナスさんは僕がどうにかしますから、社長は天使ちゃん達を連れて先に行って下さい。すぐに追いつきますよ」 「そうだな。任せる」 「なっ! ま、待てっ!」 レイナスの制止も聞かず、ルシフェルは七人の天使を引き連れて街の門をくぐって闇に消えていく。その背中を悔しげに見送った後、レイナスは怒気に満ちた目でアルフレッドを見つめた。 「お前達の狙いは何だ! 何故戦場を離れるのだ! 今、天使の戦力を失えばトルメキア軍がどうなるか容易に想像付くだろう!」 「そうですねぇ。まず間違いなくヴァレイ帝国の反撃に耐えきれず敗走を余儀なくされるでしょうね」 「わかっていながら……。結局、戦争参加は別の思惑があったということか」 「はい。レイナス将軍は初対面の時からずっと僕を疑っていたようですけど、それは誠に正しいことだったんですよ。僕は軍の動きを探りながら国王に媚びを売る、スパイの売春婦みたいなものだったんですから」 カラカラと笑うアルフレッドをレイナスは奥歯を噛みしめながら見つめる。気づいていながらも何も出来ず手をこまぬいていた自分を悔やむかのように、その表情は憎々しげにアルフレッドを見つめたまま歪んでいた。 「“無垢なる獅子”の居場所が判明した今、もはや僕達がここに留まる必要はないんですよ。もともとこちらの大陸に“玉座”を取りに来たのと、ついでに時間稼ぎと資金繰りのために国王に媚びを売っていただけですから。それに戦争となれば沢山の血が流れますから、聖石を穢す良い舞台になりますしね」 「お前達は一体何を企んでいる! 国王を亡き者にして国を乗っ取るつもりか!」 レイナスの言葉にアルフレッドが楽しそうに腹を抱えて笑う。それを見たレイナスが激昂して飛びかかり、ライフルの先に着剣された剣を横に薙いだ。 「おっと! ふふ、ごめんなさい。レイナスさんの考えがあまりに可笑しかったものですから、思わず笑ってしまいました」 「…………」 「そんなに睨まないで下さいよ。ちゃーんと話しますから」 アルフレッドは右手で鎌を握ったまま、左手だけ降参を示すかのようにその平をレイナスに向ける。飄々としたアルフレッドに、レイナスは警戒を緩めることなく銃剣を身構えていた。 「僕達の目的はこの世界を一度完全に破壊し、新しい世界を創造することです。この世界はもう駄目ですからね。僕達の手でもう一度ちゃーんと再生させてあげようという、一種のボランティア活動ですよ」 「な、なんだと!? 世界を、再生?」 「はい。ですから、レイナスさんが次に生まれ変わる時はきっと、僕達が再生した素晴らしい世界で生きることができるでしょう」 「――っ!?」 突然アルフレッドが大地を蹴ってレイナスに迫り、巨大な鎌を大きく振りかぶって縦に振り下ろした。咄嗟にレイナスはその攻撃をかわし、アルフレッドの鎌は大地を深々と抉って周囲に割れた石畳の破片を飛散させた。 「ぐっ! アルフレッド!」 「さよならです、レイナスさん。正直言いますと、僕はあなたのことが大嫌いでした」 線のように細かった瞳がゆっくりと丸みを帯びて広がり、殺気と怒気、狂喜と恍惚に満ちた瞳がレイナスを捕らえる。感情の在り方が常人と異なっているような壊れた笑みを浮かべ、アルフレッドが鎌を手に再びレイナスに襲いかかる。 「くそっ! やらせん!」 レイナスも負けじと銃の引き金を引く。アルフレッドは巨大な鎌をまるで軽い木の棒を振り回すかのように扱い、レイナスの放った銃弾を軽々と弾く。 鎌の射程内まで間を詰めたアルフレッドが鎌を振り下ろし、レイナスは剣でそれを受け止めた。甲高い衝撃音が周囲に響き、同時に漆黒の闇夜に火花が閃光する。 「そうだ、結局言う機会がありませんでしたけど……」 鎌で力任せにレイナスの剣をへし折ろうとするアルフレッドが、嬉々とした笑顔でレイナスに話しかける。 「僕達、ニーヴルの人間にはみんな二つ名があるんですよ。それはガンズである僕も例外ではありません。レイナスさんとはあまり親しくなれませんでしたから、僕の二つ名をお教えしてませんでしたね」 「……っ」 楽しそうに話すアルフレッドが突然鎌を手放して瞳を閉じた。あまりに無防備なアルフレッドを前に、レイナスは一瞬、罠ではないかと躊躇する。 「ふふ、今が最後のチャンスだったのに、駄目駄目ですね、レイナスさんは」 「なん……、だと?」 「僕の二つ名は、“邪眼”です」 アルフレッドがカッと目を開くと、左目だけがえんじ色から茶褐色に変わって輝いていた。闇に浮かぶ茶色い光はまるで金色のように眩く、レイナスは思わず目陰を指す。 「……ぐっ! な、なんだ!?」 変化が起こったのはアルフレッドが瞳を開いて直ぐだった。レイナスが突然苦悶に歪む表情を浮かべ、アルフレッドがその表情を楽しげに見つめる。 「僕の左目は義眼でしてね。しかもアースジェムを埋め込んだものなんです。そして僕はこの“邪眼”を発動させることにより、相手の体を石化させることができるんですよ」 「ぐぅっ!」 アルフレッドの言葉通り、レイナスの体が両手両足の先から徐々に固まっていく。大理石のような真っ白でかつ硬質そうな石に変わっていく体を見つめ、レイナスが歯がみしながら必死に藻掻く。 「一度発動してしまったら、僕がやっぱりやめたと思わない限りは止まりませんよ。まあ、僕よりも内在的な魔力が高ければ防ぐこともできるんですけど、筋肉馬鹿の軍人さんには無理でしょうね」 すでに両手両足は肩の付け根、腰あたりまで完全な石と化したレイナスに、アルフレッドは満面の笑みで説明する。もはやこれまでかと諦めたように、レイナスは藻掻くのをやめてキッとアルフレッドと睨み付けていた。 「僕達が創る新しい世界で、今度はお友達になれるといいですね」 「……誰がお前達の創る世界などで生まれ変わるものか! お前達の野望など、必ず誰かが打ち砕くだろう!」 もはや石化していないのは首より上だけだと言うのに、レイナスは恐怖など微塵も感じている素振りを見せない。毅然とした態度のまま、ジッとアルフレッドの瞳を睨み続けている。 夜の街角を風が吹き抜ける。しかしレイナスの髪はもはやそれに靡いたりしなかった。 「……すまない、スルト……」 レイナスの最期の言葉は闇に溶け込み、そして完全な石と化したレイナスはアルフレッドを睨んだ表情のまま、もう二度と微動だにもしなかった。 石化したレイナスを前に、アルフレッドは先程まで浮かべていた笑みを消して苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。一度も恐れや悲壮に表情を歪めなかったレイナスに腹を立てているように。 「ふん……。最期まで軍人というわけですか。馬鹿な生き方をする人も居るものです」 吐き捨てるように呟いたアルフレッドは手放していた巨大な漆黒の鎌を再び手に取り、大きく振りかぶった。 「さようなら、レイナス=アインツバルト将軍」 アルフレッドの囁き声に続き、岩石が粉々に砕ける音が周囲に響き渡った。 * * * 鉛色の空に荒れ果てた大地が何処までも広がるアダムの固有空間で、シェドは迫り来るアダムの光弾を必死に避けながら反撃の策を練っていた。 アダムとの修行を始めるに辺り、まずアダムはシェド愛用の白銀銃と右腕に巻かれた腕輪を外すよう言った。つまり、今のシェドは銃弾を放てなければジェムを使えない、ただの凡人というわけだ。 「くそっ!」 『またその癖が出たな。お前は長い間ジェムに頼ってきたため、すぐに意識を腕輪のあった場所に集中させようとする。だが、それではお前の持つ本来の力を発揮することはできぬ。体の内、もっとも深い部分に集中させるのだ』 必死に光弾から逃げまどうシェドを見つめたまま、アダムが体温を感じさせない表情のまま呟く。その冷静さと言ったら、アイスジェムで氷の牢獄に捕らえられた者くらいに表情の変化がない。対するシェドは全身傷だらけで、額や背筋には夥しい量の汗が滲んでいるというのに。 『やはりまだ迷いがあるようだな』 「迷い……だと?」 必死にジェム無しで魔法を紡ごうとしても、シェドの手のひらからは何も生まれない。だから必死に回避を続けるしかなく、反撃の策を練ろうにも全く良案が浮かばない。 『私達ドラゴンには雑念がないため、容易に魔法を扱うことが出来る。だがお前はドラゴンの血を引きながら同時にヒトの血も引いている。ドラゴンとしての力、つまりジェム無しで魔法を紡ぐには、雑念を捨てるか、雑念を超える強い信念を持つ必要があるだろう』 光弾がシェドの頬を裂き、現実世界とは少しずれた空間にあるというアダムの固有空間の大地へ朱色の液体が零れ落ちる。 アダムと修行を始めて早一週間が経つが、シェドにはまるで成長が伺えなかった。来る日も来る日もアダムの放つ光弾を避け続けるだけで手一杯で、反撃する機会がないまま血を流しすぎて意識を失う。気づけば夜で、シールディアとエイルが看病してくれているという状況がここ一週間、毎日続いている。 「俺の心が雑念だらけだとでも言いたいのか!」 『ヒトは誰しも雑念に心を支配されている。それがヒトという生き物だ』 淡々と語るアダムは憎らしいほど落ち着いている。だが今のシェドにアダムをどうにかする力はなく、必死に光弾を避け続けるしかない。 『だがヒトには感情がある。意志がある。もし雑念を凌駕できるほどの確固たる強い信念を持つことができれば、それはその者に大きな力を与えるだろう』 「いい加減聞き飽きたぜ、そのセリフは! そんな正義の味方みてぇなことを信じられるほど、俺の頭はめでたくねぇ!」 想いが力になる。そんなの迷信だ。 かつての上司、現ガンズの一人であるミゲルのような狂気じみた感情ならば、それがその者を強くすると言うのもわかる。だが、それは信念と呼べるものではないだろう。 『そうだ。そんな想いを持った者の力は本当の強さではない。確かに歪んだ感情でも肉体の強化は図れる。だが、もしお前がそうなろうとしても、それでは魔法を使えまい』 「はんっ! 言われなくとも、俺はアイツみたいな戦闘狂じゃねぇよ!」 ならばどうすればいいのか。共に旅をした仲間、シルヴァランスのように、くそ真面目で聞いているこっちが苦笑しそうな綺麗事を吐けというのか。 世界を護るだの、そんなことを強く心に誓えと言うのか。もしシェドがそんなことを口にすれば、それはただの偽善でしかない。 別に世界を護りたいわけではない。正義の味方なんざ、シルヴァランスに任せておけばいい。自分はただ―― 『天使の少女を救いたい……か?』 「――っ! うるせぇっ!」 アダムの言葉に思わず反応してしまったシェドは、迫り来る光弾に自ら身を投げた。頬や腕を光弾が裂き、裂傷からは鮮血が宙に飛散する。 痛みを堪え、シェドは止まらずにアダムへ迫る。そのすました顔をぶん殴るために。 『ヒトが図星を突かれたときに激昂するというのは本当だな』 「図星を突く? ハッ! 勝手に人の心を読んでおいてしゃあしゃあと!」 拳を振り上げ、シェドは思いっきりアダムに殴りかかった。だがアダムは無駄のない動きでサラリとシェドの攻撃をかわし、シェドの拳が空を斬ると、シェドの側面から再び光弾が迫ってくる。 「くそったれが!」 ニーヴルに居た頃は魔弾という二つ名で呼ばれ、すべてのジェムを使って魔剣を生み出せるシェドが、今は何もできない赤子のように一方的にやられている。それが悔しいと同時に情けなく、ジェムがないからだという言い訳を吐きたくなる自分に対してさらに苛立ちが募る。 『別に信念というのは綺麗事でなくてもよい。強い想い、強い意志があれば、お前はジェムなしで魔法を紡げるだろう』 「……何が言いたい」 『お前はすでに気づいているだろう? 自分の中にある苛立ちの根源が何かを。私が思うに、もしお前がそれを認め、受け入れることができれば、お前はもう一歩前に踏み出すことができるはずだ。それを己の信念、心の拠り所、お前の言葉で言う、生きがいにすることで』 「生きがい……。ああ、そうさ。俺は生きがいが欲しかった。だが、それはニーヴルでの生活では得られなかったものを得るため、この先の人生を生きていくために必要な目標のことだ! 別にジェムなしで魔法を使うために欲しいものじゃねぇっ!」 『頑固だな。何処までも自分の中の想いを否定し続けるか』 無表情に近い表情のままアダムが笑う。冷静なままの笑みが、まるで相手を小馬鹿にしているように思え、シェドは一層の苛立ちを覚えずにはいられない。 『自分に向き合い、自分を認めぬ限り、お前はいつまで経ってもそのままだ。強くなるどころか、お前は今より弱くなっていくだろう。そして今度こそ、お前の脳裏に浮かんだ天使を護れず、お前は力なく大地に倒れ伏せるだろう』 「――くっ!」 アダムの言葉がシェドの内心を揺さぶる。それは身に覚えがあるからだ。 ニーヴルの猟犬だった頃のシェドは今よりずっと強かった。まさに雑念と呼ばれる感情が皆無に近かったからかもしれない。 そして、儚くて今にも消えてしまいそうだった天使の少女、アリアと共に旅を始めた頃、シェドはエンフェリアだった頃よりも強かった。それは生きがいを探すという希望に満ちていたからだ。 だがいつからだろう。迷いが弱さに変わり、誤魔化しがシェドを弱体化させ始めたのは。 正直に言えば、すべてわかっていた。アダムに指摘される前から気づいていた。 デオラガーンでミゲルに敗れ、隠者の町テムルを後にした平野でシルヴァランスの元仲間、ナイに敗れそうになった時、弱くなった理由を、シェドは自覚していた。 迷いがある。誤魔化している自分が居る。それがシェドを縛り、弱くさせていた。 それを解決する手段もシェドは知っている。ただ、それを拒み、誤魔化し、逃げてきただけだ。 だがどんなに逃げようとしても、それを避けることはできない。それは一週間続くアダムとのやりとりで確認できた。逃げている限り、強くなることはできないと。 『そうだ。逃げずに自認し、雑念を超える信念を創るのだ』 「……人が一大決心をしようって時に、心を読んで茶々入れるんじゃねぇよ」 何故強くなりたいのか。そして、どうしたら強くなれるのか。 何を認めれば強くなれるのか。何のために強くなり、そのために認めるべき本意は何か。 『わかっているのだろう?』 「ああ、わかってるさ! もう誤魔化すのはやめだ!」 すべて繋がっている。一つが動けば、すべて動き出すのだろう。 シェドは半ば自棄になって叫ぶ。今まで口に出しては認めなかった自分の本心を。 「俺の生きがいはアリアを護ることだ! アイツの笑顔を護り、本当の幸せを知るその時まで、ずっと側で支えてやる! 俺に出来ることは何でもしてやる! それが、それが俺の生きがいだ!」 アダムの固有空間にシェドの咆吼が響き渡り、世界に眩い閃光が奔った。 ガネットはエイルの固有空間内にある小屋の中で、居間にあるテーブルの椅子にシールディアと向かい合うよう腰を下ろしていた。 固有空間内ではあるが、居間にエイルの姿はない。先程シェドを迎えに行くと言って、一旦空間外へ出たようだ。 チラッとシールディアの様子をうかがうと、ゆらゆらと揺れるカップ内の紅茶の表面を物憂げな表情で見つめており、もともと表情が薄いこともあってか、一層儚げに見えた。 竜王との話を聞いていたのはガネットのAの方だが、今表に出ているCも、Aを通して竜王の話は聞こえていた。 “天使から聖石を取り除く術はない” 竜王は確かにそう言った。おそらく、シールディアの頭のなかをぐるぐると巡っている思考のループは、それが原因となっているのだろう。 だが思考がままならないのはガネットも同じだった。Cとしては、人間を滅ぼすという神を復活させるための鍵となっている天使など、さっさと殺してしまえばいいと思っている。聖石を取り除く術がないのならば、なおのこと、さっさと消してしまえばいい。 しかし甘ちゃんであるAは竜王の話を聞いて以来ずっと悲しげな空気を漂わせており、表面に出てきてはいないものの、内心からCを困惑させる。 「……あー、もう。みんな暗いなぁ。あたしはこーいうのはキラーイ」 「みんな、とは私やもう一人のそなたのことを指しているのか?」 「そうよ。あとシェドもね。あいつったら最近いっつもボロボロでへこんでるもん」 シールディアもさることながら、シェドはそれ以上に沈痛な面持ちをしていた。いや、実際に表情に出しているわけではないが、無理して強がっていることぐらい、付き合いの短いガネットですらわかった。 「そなたには何の迷いもないのか?」 「ないよ。あたしはナイ様とあたしの幸せな未来を護るためだけに頑張ってるんだもん。そのためには、たとえ相手が可哀相な女の子だろうとも、天使っていう世界を滅ぼす鍵だっていうなら、倒しちゃえばいいと思ってるもん」 「……そうだな。アリアと関わりのない者なら、誰しもそう思うだろう。他人から見れば高々一人の少女の小さな命。その命と引き替えに世界の崩壊は免れるのだから」 自分の言葉を苦しそうに噛みしめるシールディアを、ガネットは複雑な気持ちで見つめる。決して情深い性格ではないが、それでも一年近い年月を共に過ごしてきたため、少なからずシールディアに親しみを抱いている部分はある。 言ってみれば妹のような存在なのかもしれない。シールディアが悲しい顔をすれば、どうしたってガネットまで悲しい気持ちになってしまう。それはAだけでなく、Cも同じだ。 「そなたはこれからどうするのだ? 竜王より真実を聞き、天使が何者かを知った今、そなたはもはや私達と共に居る理由はないだろう?」 「そうね。Aがまだ色々と迷ってみるみたいだけど、取りあえず同志達のいるところへ戻ろうと思ってるよ。後は向こうで、今後どうするか決めるつもり」 他のセイクリッド・スピアやリーダーのガルバトロスに竜王から聞いた話を伝える必要があるだろう。そして彼らの意見を聞きつつ、自分はどうするか、Aと相談しながら決断しなければならない。 「ならば、私もそなたと共に一度アルトレア大陸へ戻るとしよう。知り合いの魔練器技師に、竜王より聞いた話をしておきたい」 シールディアがそう言いながら紅茶の入ったカップに手を伸ばしたとき、ふと玄関の方から誰かが踏み入ってくる音が聞こえた。足音に続き、居間に二つの影が入ってくる。 うかがうまでもなくわかっていたが、一応確認してみると、入ってきたのはエイルとシェドだった。 黄檗色のショートカットは年頃の人間女性によくある髪型であり、また琥珀色の双眸には他のドラゴンには見られない人間的な感情がある。エイルは他のドラゴンと違い、表情だけでなく仕草も人間くさかった。 『どうやら今日は何か収穫があったようですよ』 エイルがそういいながら、隣でここ最近では珍しく笑んでいるシェドを見つめた。ここ一週間、毎日ボロボロで半分気絶しかけているような状態でエイルの固有空間へ運ばれてくるパターンが多かったが、今日は黒い瞳にちゃんと生気があり、むしろどこか晴れ晴れとした表情だった。 「ふむ。昨日までは必ず満身創痍だったが、今日は生傷一つないな。いや、服には傷があるが、肉体は無傷なのか?」 「いいや、今日も結構ボロボロにやられたぜ。けど、傷は全部魔法で癒した」 シールディアの問に、シェドは至極さらりと答えた。だがその答えに、シールディアが眉を寄せる。 「シェドはすべてのジェムをアダムに取り上げられたのではなかったのか? だからこそ、昨日まではエイルに傷を癒して貰っていたではないか」 「ジェムは使ってねぇよ。やっとジェム無しで魔法を使うコツが掴めそうになってきた」 「え、ホントに!?」 「ああ。今までできなかったのが不思議なくらい、できて当たり前という感覚がある。自分自身の心を偽らずに認めるだけで、こうも変われるもんなんだな」 清々しい表情でシェドはそう言った。ずっとつっかえていたものがとれたように、昨日までのシェドとは大きく異なって見える。 『あなたの中にある本当の気持ちと向かい合えた証拠ですね』 「ホントの気持ち?」 シェドの言葉とエイルの言葉に混じっていた事柄に、ガネットは意味がわからず首を傾げて見せた。どうしていきなりジェムなしで魔法を使えるようになったのか。認める、向き合うって、一体どういうことか。 『アダムから聞きました。シェドさんが本当の力を使いこなすためには、自分の中にある心に正直に応じる必要があると』 「……“生きがい”が見つかったということか?」 シールディアの問に、シェドが頷く。確かに以前、シェドに何故ニーヴルを抜けたのかという話を振ったところ、シェドは生きがいを探していると答えていた。 それが見つかったから強くなれたのか。いや、それを見つかったのと認めた、向かい合ったということでは意味合いが異なるのではないだろうか。 「シェドの生きがいって、何なの?」 ガネットは好奇心からそう尋ねていた。普段ぶっきらぼうで飄々としているシェドの本音。生きがい。向かい合った正直なことって何だろう。 「んなもん他人にペラペラ話すもんじゃねーよ。俺自身がそのことを受け入れていればいいだけの話だ」 『そうですね。口に出さなくてもいいと思います。あなたの中で、その想いが眩く輝いてさえいれば。……まあ、正直に言いますと、大方予想はついていますけど』 「そなたもか。私も、シェドの生きがいについては思い当たることがある」 シールディアとエイルが顔を見合わせて微笑む。二人ともヒトと比べたら幾分ぎこちない笑みではあるが、それでも見ている者を和ませる柔らかな笑みだった。 「えー! 二人ともわかっちゃったの? ね、ね、あたしにも教えてよー」 「……勝手な詮索をするな。それより、さっきアルトレアに戻るとか何とか話してなかったか?」 有耶無耶に誤魔化すのではなく、単に面倒だから話を切り上げたという感じでシェドが話題を変える。昨日までと違い、何か余裕のようなものが感じられた。 「うむ。私は一度ミレーヌのもとに戻ろうと思っている。ガネットも、竜王の話を仲間の元に持って帰りたいそうだ」 「なるほどな。ようやくうるさいヤツが居なくなってくれるわけか」 「ぶぅー、何よー。言っておくけど、今度会ったときは前みたいに敵同士かもしれないんだからね! あたしが聞いた話を同志の仲間に話して、やっぱり天使を倒すってことになったら、たとえAが反対しようともあたしも天使と戦うんだから!」 決意を籠めてガネットはシェドに視線を送る。一年近い時を一緒に過ごしてきたため、たとえぶっきらぼうでいつもCを邪険にするシェドとはいえ、少なからず仲間意識が芽生えているのも事実だった。けれど、ガネットの所属する組織の目的は世界を護ること。それは世界を滅ぼす天使を倒すことと同義だ。 もし前みたいにシェドが天使を護るために立ちふさがるなら、その時はガネットとシェドは敵同士ということになる。 「わかっているさ。俺はアイツを見捨てたりはしない。だから、お前らがまたアイツを倒すために襲ってくるのなら、全力でそれを阻止するだけだ」 淀みなくそう言い切るシェドに、ガネットはシェドの生きがいの輪郭が見えたような気がした。 天使を護る。それがキーになっているのではないだろうか。 もうじき訪れる変化の時。それは一年続いた仲良しごっこが終わるときなのかもしれない。もともとは敵同士なのだから、元の鞘に収まるという表現が妥当なのだろうか。 シェドだけではなく、再び天使を狙うために戦うということは、共に一年過ごしたシールディアや、かつて天使を護ろうと戦っていた元同志のシルヴァランスとも対立することになるのだろう。シルヴァランスに心惹かれるAは、それをどう思うだろうか。 Cは自分の幸せが護れればいい。ナイと自分の幸せな未来が護れればいい。 でも、本当にそうだろうか。本当に自分の幸せだけ考えていればいいのだろうか。 「…………」 ずっと当然だと思っていたことなのに、今は何故か心に迷いが満ちていた。 昨日話し合った通り、朝食を食べ終えた後、シールディアはガネット共に竜の里を離れ、一度ハルモニカ大陸にある小さな村によって預けている荷物を受け取ってからアルトレア大陸に戻ることになっている。 シェドは朝からアダムと共に修行の続きを行っており、ガネットも早々にエイルの固有空間から脱出しているため、エイルの固有空間内にある小屋の居間に居るのはシールディアとエイルだけだ。 『あの話をシェドさんにはしていないのですね』 二人きりで朝食を取っていると、エイルがそう話しかけてきた。あの話とは、竜王との話の直後に聞いた、ドラゴンの女と人間の男の間に生まれた子供のことだろう。 「そなたに言わずにいるよう頼まれている上、私もそのまま触れずにいた方がいいと考えている。たとえ母親が何者だろうとも、シェドはシェドだ」 そう。その息子がシェドであることを、シールディアはちゃんと理解していた。 『あの子は、シェドさんの母親であるドラゴンは、息子に自分がヒトでないことを知られることを恐れていました。だからシェドさんを産んで以来、一度も目の前でドラゴンとしての力を使ったりしませんでした』 「そのドラゴンも、私以上にヒトに近い感情を覚えたドラゴンだったのだな」 エイルが今のシールディア以上にヒトらしいと思っていたが、話を聞く限りそのドラゴンもまた、シールディア以上にヒトの感情に敏感だったように思える。 それを羨ましく思う反面、自分もそうなれる可能性があるという希望をそこに見出し、シールディアはかつて天使の少女と交わした言葉を思い出した。 “互いにオンナノコとして成長した姿を見せられるよう、頑張っていこう” それはシールディアが天使の少女に向けていった言葉だが、果たしてドラゴンである自分にオンナノコらしくなれるかという不安はあった。もともと性別という概念が曖昧なドラゴンにとって、オンナノコになるということがとてつもない難題に思えたからだ。 でもエイルの言うドラゴンは、ヒトに近い感情を抱き、そしてヒトとの間に子を成すことができた。それはシールディアにも同じ事が可能だという道しるべになる。 『あの子は本当にヒトと変わらぬ心を持っていました。竜王を始めとする多くのドラゴンは、自分達は心を持たない、ヒトを護るためだけに神が創った存在だと思っていますが、私はそうではないと思います』 「私達も成長できる。私達も、心を持てるということか」 『はい。神は、私達ドラゴンも愛してくれていたと思います』 もう一つの神がヒトを滅ぼそうとするのは、親が子を殺すようなものだと言っていた。それは、親の愛に飢える子にとってどんなに残酷なことなのだろう。 親に愛されない子はどんな気持ちになるか。 そう考えたとき、エイルのように、わずかな光の中に自分達が親に愛されていた証拠を見出したいと思う気持ちが湧くのは当然だと思えた。もしかしたらそう思えることこそが、自分達に心があるという証なのかも知れない。 「……では、私はそろそろ行くとしよう」 話しながらの朝食は幾分時間がかかったが、あまり長居しては固有空間の外で待っているガネットに申し訳ない。今朝はAが表に出ていたため、多少遅れたところで咎めたりはしないだろうが、もしCに変わっていたらきっとぶちぶちと文句を言われるだろう。 だが今のシールディアにとって、ガネットがどうこうということは別段気になることではなかった。 シールディアが懸念していることは、竜王の話を、天使の胸にある聖石を外すための研究に尽力しているミレーヌにどう伝えるかと言うこと。そして同時に、天使の少女やその側で少女を見守っている仲間達にどう伝えるかと言うこと。 残酷で容赦ない現実をどう受け入れればいいのか、シールディアはまだ困惑していた。竜王の話を聞けばきっと活路が見いだせると思っていたのに、結果は逆で、むしろ逃げ道をつぶされたといってもいい。 「…………」 『ガネットさんが待ってますよ?』 「ん、あ、ああ……。そうだったな」 思考のループを遮ってエイルが放心していたシールディアに声を掛けてきた。 『思考を読んだわけではありませんが、何となくシールディアさんが考えていることがわかるような気がします』 「……そなたは私以上に私の感情に敏感だな」 『ふふ、年の功というやつですよ』 「神に創られた時はほとんど変わらないはずだ」 シールディアの言葉にエイルが優雅に笑う。同じ時にドラゴンとして生まれたとしても、ヒトの心を得た時をもう一つの生誕日とするならば、やはりエイルの余裕は年の功というものなのだろうか。 今度こそ居間を出て玄関からエイルの固有空間を後にすべくシールディアは立ち上がる。固有空間内はその固有空間を作り出したドラゴンが内部の者の出入りを自由に制限でき、エイルは玄関を外と繋ぐ門にしていた。 『シールディアさん』 居間を出ようとしたシールディアの耳に、エイルの優しい声が響く。 『ドラゴンだったときには感じなかったと思いますが、現実というものは時に受け入れがたいものだと思います。ですが、ヒトとして生きたいと願う以上、目をそらすことはできません』 エイルが言いたいのは、心があるからこそ煩わしい、苦しい、悲しいと思うことがあるということ。そしてそれから逃れる術はないということだろう。 『ですが同時にヒトは辛い現実をそのまま受け入れられるほど強くありません。辛い想いに駆られたときは、その時脳裏に浮かんだ人を頼り、支えてもらうといいでしょう』 「……そうだな。私は一人ではない。仲間、……家族が居てくれる」 『そうです』 そんな家族に竜王の話を聞かせるのを苦しいと感じている。だがきっと彼らなら、シールディアと一緒になって苦しみや悲しみを分かち合い、別の活路を見出そうと共に歩んでいけるだろう。そう、強く思える。 「ありがとう、エイル」 シールディアはそう言い残し、今度こそエイルの固有空間を後にした。 「村に預けていたジェムはそのままミレーヌのところに持って帰ってくれ。俺にはもう不要だからな」 鬱蒼と茂る森の奥、廃墟と化した古代遺跡の中心にシェド達は居る。遺跡のある場所だけ木々がないため空の青が映え、空の青と周囲の緑の美しいコントラストに白い遺跡跡の建物がとても荘厳な空気を漂わせている。 シェドの目の前には銀色の体を持つ雄々しいドラゴンの姿がある。雄々しいと言ってはそいつのムッとした表情が脳裏に浮かぶが、ドラゴンの姿をしているシールディアはとても力強く、そしてシェドが今まで見てきたドラゴンの中で一番美しい姿をしていた。 『わかった。銃器はそのまま預けておけばいいのか?』 シールディアの声も、普段の少しハスキーな少女らしい声ではなく、頭に直接注ぎ込まれるような他のドラゴンと同じものに変わっている。 「ああ。戦闘スタイルそのものを変える訳じゃない」 「だったら、余ってるアイスジェムとフレアジェムをあたしにちょーだいっ」 シールディアの背中にヒシッと捕まっているガネットが嬉々と声をあげるのを、シェドは軽く無視してやった。 シェドの隣にはヒトの姿をしたままのエイルとアダムの姿がある。エイルは見送りだが、アダムはこの後でまたシェドの修行相手をしてもらうため、シェドを待っているだけだ。 「ぶぅー、シェドのケチー」 『……では、行ってくる。ガネット、振り落とされぬよう、しっかり捕まっていてくれ』 「はいはーい。前にも乗せて貰ったことあるしね、大丈夫だよっ」 シールディアが巨大な翼を羽ばたかせ、周囲で爆風が吹き荒れる。ガネットを乗せた銀色の美しい巨体が宙に舞い、ゆっくりと青い空へ向けて上昇していったかと思うと、森の上空にあがった瞬間、あっという間にシェドの視界から消えてしまった。 しばらくすると翼を羽ばたかせる音も聞こえなくなる。人間が足として使うワイバーンという翼竜よりも、シールディアの方が圧倒的に早い。 『お前は戻らなくてよかったのか?』 「今はまだ戻らねぇよ。ジェムなしでも今まで以上に戦えるようになって、そしてお前を完全に打ち負かすまではな」 『なるほど、ならば早々に修行を開始すると行くか』 まるで早くシェドをいたぶりたくてうずうずしているような様子でアダムが言う。他のドラゴン同様にアダムの感情は薄いが、戦うことだけはどうも好んでいるような気がする。 シェドがちらっとエイルを見つめると、エイルは視線に気づいたように優しく笑みを返してきた。 『シェドさんは、竜王の話を聞いてもあまりショックを受けていないようですね』 「俺は、ってことは、シールは相当ショックを受けてたのか。まあ、シールは俺とは違う意味であいつを強く想っているから仕方ないか」 『お前も、一刻も早くその天使の元へ赴きたいのではないのか? その少女を護ることがお前の“生きがい”なのだろう?』 せせら笑うようなアダムの言葉も、今はさほど腹立たしいと思わない。アダムが言っていることは事実であり、シェド自身受け入れていることだから。 「さっきも言っただろう。まだ戻らないって。今の俺ではまだ、あいつをずっと護っていく力はない。今は仲間を信じて、俺はここで力を養うだけだ」 あいつの側にはかつて共に旅をした仲間達がついていてくれる。彼らを信じて、シェドはシェドにしかできないことをする。 正直に言うと、聖石を取り外す術がないことは確かにショックだった。だが、聖石を胸に埋め込まれた状況でも、あの少女は確実に女の子として成長することができていた。感情を完全に封印されてしまったわけではない。 ならばたとえ聖石がはずせなくとも、少女を護っていけば少女はきっと幸せになれる。その幸せのためならば、シェドは何だってしてやるという決意がある。 それが生きがい。ニーヴルでの生活で見失った、人として生きるために必要な生きる目標となりうるもの。 今はそれを強く実感できる。自分の生きがいと、そこへつながる一本の道を。 『言ったとおりだっただろう。自分の心を偽らずに受け入れれば、お前は強くなれると』 「……そうだな。まさか俺の本当の力ってやつが、こんなにも単純なやつだったとは知らなかったさ」 『シェドさんの中にある強い想いがシェドさんを強くしてくれます。その気持ちを忘れず、大切にして下さい』 まるで母親のような言葉をくれるエイルに笑みを返し、シェドはアダムに向かい直した。アダムは待っていたかのように片手を上げ、シェドは自分の存在がぶれていくような錯覚を覚える。アダムの固有空間へ移動する時の感覚だ。 少女一人を護れるだけの力が欲しい。それ以上は望まない。 そしてその力を手に入れる方法がここにある。その力があれば、あいつの側でずっと支えてやれるという確信がある。 だからシェドはまだあいつの元に帰らない。強くなるために。 もう二度と、あいつの表情が悲しみに染まることないよう、ずっと見守っていくために。 * * * 幼い頃、まだセシリーが両親と妹そろって暖かな生活に身を委ねていた頃、母親に読んでもらった絵本があった。 タイトルも内容も思い出せないけれど、その中にあった一点の挿絵だけは今でもぼんやりと思い出せる。 その本のラストページに描かれていたのは、火の点った暖炉の前で、背もたれのある木製の椅子に腰掛けた若い女が編み物をしている絵。女のお腹は新たな生命の息吹を感じさせるよう大きくふくらみ、また女の背後には椅子の背もたれに手を乗せる若い男の姿がある。二人とも表情は穏やかで、子供ながらにセシリーはそんな男女の姿に憧れを抱いた。 「…………」 チラリと、セシリーはテーブルの向かいに腰掛けるシルヴァランスの様子をうかがう。食事中なので目線はセシリーに向いて居ないし、残暑が続く今時に暖炉を使う酔狂な輩は居ない。 よって思い出の中の絵の構図とはまったく異なっているわけなのだが、どうしてもその絵が脳裏から離れない。どうしても、今の自分たちをその絵に重ねようとしてしまう。 子供の頃から憧れていた仲睦まじい夫婦。きっと今、自分たちは自他共にそう見えるはず。 「おはようございます。セシリーさん居ますか?」 ふと玄関の方から高い女の声がセシリー達の居る居間にまで流れてきた。声の主に心当たりのあるセシリーは、こちらを見つめたシルヴァランスに笑みを残して居間を後にする。 玄関の戸を開くと、そこには一見するとセシリーよりも年下に見える女性の姿があった。 長くて艶やかな銀色の髪、瞳は澄んだ空色をしており、若葉色の半袖の上着に下はひだのある黄色のハーフスカートを穿いている女性。セシリーは柔らかな表情でセシリーを待っていたミハルに笑顔で応じ、皮の靴を履いて表に出る。 「今日も暑いですね」 「ええ。ですから本当はもっと薄着で過ごしたいのですが、夫がお腹の子供の為にもなるべく厚着するようにと言って……」 「うふふ。夏場でもお腹を冷やすことはありますから、シルヴァランスさんの意見に私も賛成です」 離れから母屋へ続く小道をミハルと並んで歩きながら、セシリーはそっと自分の腹部に視線を落とす。 まだ別段膨らんでいる気配はないが、何故か新しい命の息吹を感じる。ただの気のせいかもしれないが、そう思えるのだから仕方ない。 前々からミハルとはよくお茶していたが、最近はその頻度がますます高くなってきた。それはもちろん、お腹の子のことが起因している。つまり、セシリーより先に親となったミハルに母親としてのノウハウを教授してもらうためだ。 でも建前は母親になるための心構え作りなのだが、やはりどうしても会話が別の方へ進んでいくことが多いのも事実。 「シルヴァランスさんは最近よく裏山の方へ出掛けるようですが、何をしていらっしゃるんですか?」 ミハルの家の居間で、セシリーはお茶をすすりながらミハルと話をする。アリアはこの時間学校で、スルトはここ数日ジペインを離れているため、二人だけだ。 「うーん。私が聞いてもはぐらかされてしまうんですけど、まあ、わかりやすい性格をしていますから、大方予想はつきます」 「ふふ、相変わらず仲がよろしいこと」 自分たちのことを棚にあげてミハルはクスクスと微笑む。セシリーから見れば、ミハルとスルトの方がよほど仲良く見える。アリアと再会する前は、離婚の危機に瀕するほど夫婦仲が冷めていたという話だが、今はまったくそんな気配がない。 「本人は一応隠しているつもりみたいですので、秘密ということにしておいて下さい」 「わかりました」 平和すぎる今の生活。シルヴァランスはきっとそれに危機感を抱いているのだろう。 それはセシリーも同じだった。幸せに身を委ねるのはとても心地良いけれど、何時までもそれが続くとは限らない。 過去に幸せから追い出されたことがあるセシリーは、誰よりも再び幸せに身を置くことを恐れていた。けれど、そんなセシリーの手を引いて再び幸せをもたらしてくれたのがシルヴァランスだった。 今が幸せなだけに、それを奪われることを何よりも恐れる。そして身ごもって戦うことができないセシリーにとって、今が一番その恐怖が強く現れる時だった。 もし今敵に襲われたら、自分は戦えない。自分は誰も護れない、ただの足手まとい。 だからこそ幸せを感じると共に焦り、恐怖を感じている。 きっとそれがシルヴァランスの背中を押しているのだろう。共に護っていこうと誓ったアリア、身ごもった妻、そして生まれてくる自分の子。それらすべてを一人で護ろうと躍起になっているのだろう。至極単純でわかりやすい。 でもそれがシルヴァランスだ。真っ直ぐで、単純で、でも、優しくて、愛おしい。 「あら、セシリーさん、何かいいことありました?」 「あ、い、いいえ。別に」 「じゃあ思い出し笑いですか? うふふ、ご馳走様です」 「うー……」 幸せのせいで盲目になっている。それはわかっているのだが、治らないのでは気づいていても意味がない。 願わくば何時までもこの幸せが続きますように。もう二度と、辛く悲しい思いをすることがありませんように。 今はただただ、そう祈るだけ。そう、願うだけ。 「レイチェルちゃーん」 「ん」 ジペインに一つだけある小さな学校で、アリアはクラスメイトに呼び止められて振り返った。 小さな町であるジペインの学校は、同じ学年とはいえ年齢が異なっている場合が多い。学校は何歳からでも通うことができ、トータルで三年通えば卒業ということになる。早い子では六歳の頃から学校に通って九歳で卒業する子もいるし、アリアのように十四歳でまだ二年目という人間もいる。 振り返ったアリアの視界に映ったのは、どう見てもアリアより年下の少女だった。おかっぱの髪も、くりっとした瞳も共に藍色で、背もアリアより十五センチほど小さい。 「どうしたの?」 「今日はアミィちゃんが欠席だから、あたしとレイチェルちゃんが日直だよ。早く日直日誌を取りに行かないと」 「アミィちゃん休みなの? 風邪?」 「ううん。暑いからって、氷を食べ過ぎてお腹壊したんだって」 アリアが今話している相手は、同じ二年生のリリス。同じ二年生とはいえ、歳はアリアより五つ下の九歳だ。 特に制服の指定のないジペインの学校では、みなそれぞれ違う服装をしている。アリアの身を包んでいるのはかつての仲間がアリアのために作ってくれた服を母ミハルが修繕したもので、スカートの裾に白いフリルのついたピンクのワンピースドレス。夏用なのでスカート丈は短く、また半袖であるため肌の露出は多い。 目の前のリリスは黄色い半袖シャツの上に紅いオーバーオールを着ている。胸元には花のパッチが刺繍されており、とても可愛らしい。 「そう言えばセシリー先生に赤ちゃんできたってホント?」 日直日誌を受け取るために教室とは別の校舎へ続く廊下を歩きながら、リリスが声を弾ませて尋ねてくる。教師であるセシリーとアリアが私的に親しいことは周知の事実だ。 セシリーはもともとお姉さん肌で面倒見がいい上、旅の途中であれこれとアリアやシールディアに教えてきたためか、人に物を教えることがとてもうまい。最初は町の外から来た人間と言うことで訝しがられたが、今では特に女子から圧倒的な人気を誇る先生だ。 「うん、ホント。だから最近よく私のお母さんに色々聞いてるみたい」 「ホントだったんだ。うわぁ、セシリー先生とシルヴァランスさんの赤ちゃんかぁ。きっとすっごく可愛いんだろうなぁ」 両手を頬に添えて胡乱とした目でリリスが虚空を見つめる。先生をやっているわけでもないのに、実はシルヴァランスもセシリーに負けず劣らず女子に人気がある。 顔立ちもよく優しく真面目なシルヴァランスは、年頃の女の子にとって憧れの存在らしい。ずっと一緒に旅をしてきたアリアにはいまいちよくわからないが、一般的にシルヴァランスはかなり格好いい男の人であるようだ。 「あたしも将来、シルヴァランスさんみたいに素敵な人と結婚したいなー。レイチェルちゃんもそう思うよね?」 「私は、別にシルヴァランスと結婚したいとは思わない」 アリアがハッキリ答えると、リリスが驚いたように目を見開いた。当然アリアもシルヴァランスに憧れていると思っていたと言いたげな瞳だ。 シルヴァランスのことは好きだ。でも、それは好き以上の好き、恋愛感情を伴うものではない。今は、そんな好きの違いもちゃんと理解している。 「私は別に好きな人がいるから」 「え……。えええええーっ! そ、そうなの? レイチェルちゃんって好きな男の子いるの? だ、誰? 三年生のアキラ君?」 「内緒。それにリリスの知らない人だから、名前を言ってもわからない」 アリアは不服そうなリリスに笑みを送って職員室の戸に手を掛ける。 ずっと一緒に居た人。ずっと一緒に居てくれた人。 アリアがその人に対して、好き以上の好きという感情を抱いていることに自身が気づいたのは別れの時だった。もしかしたらもう二度と会えないかもしれないという別れの際になって、アリアは自分の中にある相手に対する気持ちに気づけた。 別れから一年以上が過ぎた今でも、その人を想うだけで胸がキュッと締まる思いとともに温かく優しい気持ちになれる。 その人とまた会える日が来ることを、アリアは信じている。そのために、再会したときに成長した自分の姿を見せることができるよう、アリアは今を精一杯生きている。 「うーん、レイチェルちゃんが好きな人って誰だろう。レイチェルちゃん大人っぽいし、絶対年上だと思うんだけどなぁ」 職員室から日誌を受け取って教室に戻る途中で、リリスがまだ唸っている。他人のそういう話は、やはりどの女の子も好きなようだ。 特にアリアは他の子に比べて感情を表に出すのが苦手であるため、それが落ち着いた大人っぽいという印象を与えているらしい。事実、学校に通う他の子よりも年上であるが、長い間感情を失っていたアリアよりも大人っぽい年下の子は沢山いる。 「リリスの知らない人だから考えても無駄」 「うー。気になるぅ」 「気にしても無駄」 「あっ、そうだ! セシリー先生なら知ってるんじゃないかな」 「あぅ」 リリスの鋭い直感に、思わずアリアは声を漏らして反応してしまった。それを肯定と思ったのか、リリスが牡丹のような眩しい笑みを浮かべる。 「やっぱりそうなんだ! 今度セシリー先生に聞いてみよーっと」 「だ、ダメ! 聞いちゃダメ!」 「ふふーん。やだもーん。気になるから先生に聞くもーん」 ここではあまり年の差など関係なく、リリスはまるで同い年の友人に接するようにアリアに接してくれる。学校に通えるようになって一番嬉しいことは、こうして友達ができたことだ。でも、それがこうして困ったことになることもしばしば。 リリスは踊るようなステップで廊下を足早に駆けていき、教室へと消えていった。アリアはしばらく頬を膨らませたまま廊下に佇んでいたが、小さく息を吐き、そっと透明な硝子戸の向こうに見える青空を見つめた。 「…………」 その人のことを思い出さないようにしていることは自覚している。思い出すと切ない気持ちがこみ上げてしまうため、極力その人の名前を口にしないようにしている。きっとそのことを、両親やセシリー、シルヴァランスは気づいているだろう。 また逢えると信じている反面、もう二度と会えないのではないかと不安になる時もある。不安に押しつぶされそうになるときだってある。それくらい、アリアの中でその人に対する想いは大きい。 今のアリアの夢は何か。 それは贅沢で、我が儘で、あまりに欲張りかもしれないが、今の暖かな生活が何時までも続き、そして何時の日があの人が再びアリアの前に現れてくれること。そして再び、その人と同じ時を刻んでいけること。それが、アリアの夢。 「シェド……」 アリアは小さくその人の名前を口に出した後、リリスが入っていった教室へと歩を進めた。 夏野菜の収穫もほぼ終わり、ここ最近は山で猟をしたりそれで得た肉を乾物にするなどの作業をこなす日々が続いている。 それでも時間を見つけては裏山に剣を携えて赴き、シルヴァランスは勘を取り戻すべく訓練を続けていた。すでに訓練を始めてから十個近いジェムを浪費しているが、幸いなことにジェムを調達してきてくれるミレーヌが良いウインドジェムの入手ルートを確保したようで、こうして実戦外でも使えるほどに余裕がある。 シルヴァランスは今日も午前中で仕事を終え、昼からは訓練に明け暮れていた。 護るべきものがもうすぐ増える。護りたい者を護るために護れる力が欲しい。 「はああああっ!」 シルヴァランスの全身を包む風の膜がシルヴァランスの身を音速に肉薄するほどに加速させる。限界を超えた音速の世界で、シルヴァランスは入り組んだ木々の根元に足をとられることないよう全力で森を駆け抜ける。 アクセラレータの制御に必要なのは精神力のみ。精神力は集中力を生み、集中力が音速の世界ですべてを捕らえる目となる。 「くっ!」 ふと足を取られ、アクセラレータが途切れてシルヴァランスは無様に大地に転んでしまった。こんな様では、いざというときに大切な人を護ることなど出来ない。 「おお、やってるな」 「え……?」 自分の不甲斐なさに歯を噛みしめていると、後方から男の声が響いてきた。シルヴァランスが振り返ると、そこにはトルメキア王国の国旗が描かれた青銅の甲冑に身を包んだスルトの姿があった。 鞘から抜き出されて刀身が露わになった剣を握り、スルトが不敵な笑みを浮かべながらこちらへ歩み寄ってくる。 「スルトさん、戻っていたのですね」 「ああ、数時間前に戻ったばかりだ。今回も退屈な任務だったよ」 スルトはジペインの町の警備を常勤とし、時折所属する基地の命令で近隣の街へ繰り出して警備や賊退治の仕事をしている。だが多くが政府要人の護衛などといった退屈な任務だという。 「たまたまシルヴァランスが森へ入っていくのが見えてな。後を尾けてみれば、こんなところでこそこそと鍛錬か」 「……あまり他人の耳に入れたくなくて」 「ふふ。どうせ子供が出来たから自分が命がけで護らなければ、とか思ってるんだろ?」 すべてを見透かしたようにスルトが笑う。まるで過去にそんな経験をしたことがあるような口ぶりだ。 スルトがやれやれと首を左右に振り、すっと剣を身構えた。 「俺も退屈な任務で体が鈍ってるんだ。訓練に付き合ってくれないか?」 「ええ、わかりました」 一人での訓練には限界があると感じていたところだ。スルトのように腕の立つ人間が相手になってくれるのなら、実戦の感覚を取り戻すためのこの上ない鍛錬となる。 シルヴァランスは両手で剣を握り、剣先を少し上げてスルトに向ける。一方スルトは片手で剣を握り、こちらに半身で構えを取っている。 静かな森の中に張りつめた空気が広がり、肌がピリピリと静電気を帯びたように震える。久々の緊張感に、シルヴァランスは心拍数が上がっていることを自覚した。 「いくぞっ!」 スルトが仕掛けてくる。足場の悪い森の中でも素早さを殺されることなく突貫してくるスルトの攻撃を受け流し、シルヴァランスもすぐさま反撃に転じる。 剣と剣がぶつかり、周囲には衝撃音が広がる。薄暗い森の中で火花が散り、二人の掛け声がぶつかり合う。 「はあああっ!」 「甘いっ!」 立て斬り横薙ぎ、そして突きという三連撃をすべて弾かれ、さらにはカウンターを喰らってシルヴァランスの身を包む服の裾が裂ける。素早さや身のこなしにおいてはシルヴァランスに分があるが、スルトの動きは一つ一つ無駄がない。まさに鍛錬の賜物と言うべき精巧な動きだった。 今度はスルトが連続して攻撃を繰り出す。初撃は剣先が大地を滑りながら迫る斬り上げで、シルヴァランスがそれを上から受け止めた瞬間、体を捻ったスルトがシルヴァランスの脇腹に回し蹴りを叩き込んだ。 「ぐっ!」 「どうした、その程度かっ!」 蹴りの直撃を受けたシルヴァランスに、スルトがさらに剣を持つ手とは逆の手で懐を抉るように打ち付けた。辛うじて後方に跳んで威力を抑えたシルヴァランスは、すぐさま軸足で大地を蹴って反撃に転じる。 ウインドジェムを使うつもりはない。今は純粋に互いの剣技を競うのみ。 「まるで昔の俺を見ているようだ」 「え……?」 止まらない剣劇の中、スルトがシルヴァランスの攻撃を受け止めながら不敵に微笑む。シルヴァランスを見つめるその瞳には、人生の先輩が若輩者を見つめるような趣があった。 「レイチェルが生まれて直ぐの頃、俺はがむしゃらになって軍の訓練に明け暮れた。ミハルとレイチェルを絶対に自分が護っていくのだと強く思っていたから」 スルトがシルヴァランスの剣を弾き、さらに間合いをつめてくる。 「自分を護るための強さと他人を護るための強さは違う。お前はそれをわかっているからこそ、こうして鍛錬に精を出しているのだろう?」 「ええ。人一人護ることがどれだけ大変か。護るべき者が増えたとき、その負荷がどれだけ増すか、僕なりにわかっているつもりです」 「いい目だ。俺も、レイチェルをニーヴルの奴らに奪われるまではそんな目をしていた。いや、お前達のお陰で再びそんな目を思い出すことができた」 決意に満ちた真っ直ぐな瞳の奥に、かつて大切な人を護れなかった後悔が滲む。でも今は、そんな後悔よりも再び大切な人を奪われるものかという信念が見える。 シルヴァランスも同じだ。シルヴァランスの背を押すのは、護りたい人がいるという強い責任感と、その人を護り続けるという信念。 「いいか、想いだけでは護れない。それを忘れるな!」 「はいっ!」 スルトがそう言いながら再び剣を手に迫ってくる。シルヴァランスもそれに対して受け流す構えを取る。 その時だった―― 「きゃああああっ!」 「――っ!?」 絹を裂くような女性の悲鳴が遠方より飛来した。シルヴァランスとスルトは思わず足を止め、声が聞こえてきたジペインの町がある方角へ顔を向ける。 「な、なんだ今の悲鳴は……」 スルトが呟く隣で、シルヴァランスは何故か恐怖がこみ上げてくるのを感じた。家畜が暴れているだけかもしれないし、どこかで火事が起きたのかもしれない。 だが何故かそうじゃない可能性がシルヴァランスの脳裏をよぎる。最悪のシナリオが浮かび、動悸が激しくなる。 「戻りましょう、スルトさん」 「ああ」 シルヴァランスはスルトに声を掛けながら同時に駆けだしていた。 漠然とした不安が全身を包む。それを振り切ろうと必死に足を進める。 森を抜け、小道を駆け抜けてジペインの町にたどり着いた時、シルヴァランスの視界に映ったのは、火の手の上がるジペインの町並み。そして、 「そ、そんな……」 見覚えのある、黒い戦闘服で身を包んだ集団だった。 何で。どうして。 頭の中をそんな考えがぐるぐると巡っている。望まない現実がアリアの視界を朱色に染め、木霊す悲鳴が忘れていた恐怖を呼び起こす。 長閑で穏やかな田舎町が、一瞬にして炎の海と化す。人々は逃げまどい、漆黒の衣類に身を包んだ襲撃者達が彼らを追いつめる。 一つの旅が終わり、そうして始まった新たな生活。平和で幸せで温かな日々にアリアは埋もれ、穏やかな生活に身を任せて優しさにすべてを委ねていた。 それが今、目の前で壊れようとしている。再びアリアから幸せを奪おうとする者達の手によって。 「はっ、はっ……! リリス、止まっちゃダメ!」 「はあっ! はあっ! で、でも……」 アリアは級友のリリスの手を引いて必死にジペインの町を駆ける。東門付近にある学校はもうすでに火の海の中だろう。意味も分からず逃げまどう生徒達の多くが逃げ遅れ、アリアの鼓膜には悲痛な叫びがこびりついている。 何が起こったのか、アリアは大体把握していた。けれどそれを認めたくない自分が必死に事実を否定しようとしている。 「レイチェルちゃん……。怖いよぅ……」 肩を震わせ、瞳に涙を溜めながら走るリリスの言葉に、アリアは唇をキュッと噛みしめた。 リリスを恐怖に陥らせている元凶。それが何か、もう心の中でも否定することをやめなければならない。もう、逃げられない現実だと認めなけえればならない。 襲撃者の狙いは間違いなくアリアだ。今この町を襲う恐怖の元凶は、他ならぬアリア自身。あの漆黒の衣類は、かつてアリアが所属していた裏組織で下級兵士に支給される衣服。決して表に出ることない彼らがこんな田舎町を襲撃する理由は一つしかない。 アリアの心を縛る恐怖という棘。だがそれは再び自分の幸せが奪われるかもしれないという恐怖だけでなく、それ以上に自分の幸せのために他人の幸せを奪っているという現実がより深くアリアの心をえぐっていた。 どうやって裏組織ニーヴルがアリアの居場所を特定したのかわからない。魔練器技師の仲間に作ってもらったお守りのお陰で一年以上彼らの襲撃がなかったため、アリア自身安心し始めていた今になってどうして再び居場所が割れたのかわからない。 けれど、理由など関係ない。どんな理由があれ、ニーヴルはアリアの居場所を特定し、そしてアリアの居るジペインの町そのものを消そうと乗り込んできた。 「リリスッ!」 「お母さんっ!」 ふいに物陰から姿を現した人影が声を張り上げ、声の主を確認したリリスも声をあげる。現れたのはリリスの母親で、やっと愛娘の無事を確認できた安堵に表情は歪んでいた。 だが親子の抱擁を遮るよう―― 「――っ!」 アリアの背後に殺意に満ちた気配が飛来する。咄嗟にアリアは道端に転がっていた小石を拾い上げ、振り返り際に相手の位置を確認することなく気配の方へ投げつけた。 「ぐあっ!」 相手の悲鳴を聞きながらその正体を確認すると、それは漆黒の衣を身に纏った人間だった。手にはアサルトライフルを構えていたが、アリアの放った小石を受けて銃口は地面へ向けられている。 「リリス、走って!」 「あ、うん! お母さんっ」 リリスの母親がリリスの手を引いて走っていく。だがすぐさま異変に気づいたのか立ち止まり、 「レイチェルちゃんも早くっ!」 大地にピタリと両足の裏を貼り付けて動かないアリアに声を掛けてきた。 「私はセシリーと合流してから逃げる。だからリリスは早く逃げて」 「で、でも……」 「大丈夫。私は大丈夫だから」 アリアの言葉に、リリスではなく母親が反応する。困惑した様子の娘の手を無理矢理引き、母親と娘は共にまだ火の手があがらない町の西へ駆けていく。 その様子をしばらく見つめた後、アリアは肩口を小石で強打されて呻き声をもらす男へ視線を切り替えた。 「このガキ……、よくもやりやがったな! ぶっ殺してやる!」 「……あなたには無理」 敵の狙いはアリアのはずだが、目の前の敵はアリアのことを殺すと言う。それは下級兵士には任務の目的が知らされていないことを意味し、同時に彼らを指揮する上の人間は、下級兵士ごときにアリアを止めることなど不可能だとわかっているからだろう。 武器はない。既に一年以上戦いから離れていたため、決して反応速度は高くない。けれど、それでもアリアは天使であり、元ニーヴルのA級エインフェリア。 「本当はもう、戦いたくなんかない」 でも、そんなことを言っても現実は容赦なくアリアに戦いを強いる。戦いが嫌なら、自由を奪われ、心を奪われ、再び感情のない傀儡に戻されてしまう。 それは嫌だ。もうあんな苦しくて寂しい思いはしたくない。手に入れた掛け替えのない感情を、もう二度と手放したくない。 「死ねぇぇっ!」 敵の銃口がアリアを捕らえる。そして敵がトリガに指をかけて力を籠めた瞬間、アリアは軸足を蹴って低い姿勢のまま飛び出し、一気に男へ仕掛けた。 「なっ……!」 銃声に続き男の声が響く。放たれた銃弾はアリアの頭上をかすめ、男が気づいた時にはすでにアリアは男の懐に潜り込んでいた。 成長期を越え、以前より長くなった足で相手の懐を蹴りつける。 「うごっ!」 さらに続けて両の拳を連続して叩き込み、相手が体勢を崩した瞬間に体を反らして両手を足の後ろの大地につける。 「っ!」 「ぐはああっ!」 ブリッジの姿勢のまま足を蹴り上げて右足で相手の顎を蹴り飛ばし、さらに左足で相手が持っていたアサルトライフルを蹴り飛ばす。直立姿勢に戻ると同時に相手の手を離れたアサルトライフルを掴み、よろめく相手の両足に一発ずつ銃弾を撃ち込んだ。 それで男は戦意を失ったのか、悲鳴に近い絶叫を上げてその場にうずくまった。命を奪う必要はないので、アリアは武器を手にしたまま踵を返す。 するとその時、 「アリアッ!」 聞き慣れた女の声がアリアの鼓膜を揺らした。顔を持ち上げると、視界に焦った面持ちのセシリーがこちらへ駆け寄ってくる絵が映し出される。 「無事だったのね、よかった……」 「私は大丈夫。それよりお母さんや、他のみんなは?」 「ミハルさんは他の町の人と一緒に町の西へ逃げてもらったわ。シルヴァランスとスルトさんは見てない。……まったく、こんな時に何をしてるんだか!」 母親の無事を聞き、少しだけ心に安堵がこみ上げる。だが決して状況がよくなったわけでもないし、こうなってしまった罪悪感はぬぐえない。それでも、母親が無事であるという事実はアリアにとってとても安心を与える事柄だった。 だがセシリーと合流し、母親の安全を確認してアリアが緊張の糸を一瞬だけ緩めた瞬間、 「あ、見ぃつけたぁーっ!」 それは嬉々とした少女の声によって再びピンと張り直されることになった。いや、それ以上の恐怖、絶望が、声のした方を振り返ったアリアを襲う。 ニーヴルに居場所が知られたと分かったとき、アリアの中に恐怖は生まれた。けれどそれはまだ漠然とした恐怖で、曖昧すぎたために恐怖と認識していない節があった。 でも今は違う。さっきの下級兵士とは違う、本当の敵を目の当たりにして、本当の恐怖が心から溢れて口から零れ出るくらいにこみ上げてきた。 「あ、ああ……」 「そんな……、あなた達は……」 アリアだけじゃない。隣にいるセシリーも、非情な現実を疑うような絶望混じりの声を漏らしていた。 目の前にずらりと並ぶ複数の人影。中央に佇むのは、紫紺のスーツで身を包み、黒いストッキングを穿いた妙齢の女。愛玩動物を見つめるような紫色の双眸をアリアに向け、腰まで伸びた長い黒髪を掻き上げながら真っ赤ルージュに染まった唇を緩めるその女を、アリアは知っている。 「レミ……ネーラ……」 「うふふ、久しぶりねレオ。あら、私の名前を貴女が呼んでくれたのは始めてじゃないかしら?」 不敵に笑いながら、ニーヴルの副社長であるレミネーラがアリアにとても優しげな視線を送る。それはまるでセシリーのように、母親であるミハルのように優しいが、アリアはその視線に言葉に出来ない恐怖を覚える。 「やっほー、レオ。あたしのこと覚えてるぅ?」 「……ガンズの一人、透過のキャロル」 レミネーラの隣に立つ、カールした赤毛にそばかすだらけの頬が印象的な少女が姦しく声を上げる。片眼鏡の位置を直しながらニカッと笑う少女に、アリアではなくセシリーが感情を押し殺したような声をもらした。 「うーん、あたしはレオに聞いたんだけどなぁ。……あなたは誰だっけ?」 キャロルと呼ばれた赤毛の少女は頭に疑問符を浮かべながらセシリーを見つめた。だがすぐに興味を無くしたのか、視線を再びアリアへ戻して呵々と笑った。 ニーヴルの副社長であるレミネーラにガンズの一人であるキャロル。だが、敵はそれだけじゃない。 「……チッ。キャロルが視た通り、ここにシェドが居ねぇのか。無駄足だったな」 レミネーラ達の向こうで不服そうに声を漏らしたは、白髪の交じったオールバックの黒髪、額の傷跡、そして殺気に満ちたオリーブ色の双眸をした男。 「シェド以外には俺の相手が務まらん。……あの小娘や、あの男達じゃあ足らねぇな」 「あの男達?」 苛立ちを隠す様子もなくそう言った額に傷のある男――ミゲルの言葉に、セシリーが首を傾げたとき、 「セシリーさんっ! アリアさんっ!」 「無事か、レイチェルッ!」 アリアの背後からシルヴァランスと父スルトの声が響いた。アリアは振り返って姿を確認したい衝動に駆られたが、目の前の敵のプレッシャーが振り返ることを許さない。 後方から近寄ってくる気配はいつの間にかすぐ背後まで近寄り、気づいたときにはシルヴァランスとスルトがアリアの前に立って武器を構えていた。 「どうして、ニーヴルがこの町に……!」 「あら、あなたはトルメキア城であの頑固そうな将軍の隣にいた軍人じゃない」 憎々しげに呟くスルトと、歯を食いしばりながら両手で剣を握るシルヴァランスの表情を、アリアはそっと横目で見つめる。現れたスルトにレミネーラが一瞬だけ驚いた様子を見せたが、すぐにそんな些末なことなどどうでもいいと言わんばかりに妖艶に笑んだ。 ジペインの町で戦える人間は今ここにいるメンバーだけ。だが戦力に圧倒的な差があることくらい、誰もが理解しているだろう。 敵はミゲルで終わらない。 「お姉様、今度こそその男から解放して差し上げます」 「いい加減、目を覚まして下さい」 うり二つの容姿を持つ女達。 「久しぶりだな、レオ!」 「本当に久しぶりですねぇ。まさか私達の手を逃れた後、まぁだ逃げ回ってるなんて知りませんでした」 「無駄なこと。結末は変わらない」 三者三様の言葉を飛ばす三人の少女。 「…………」 「…………」 「…………」 そして終始無言を貫き、まったく表情を変化させない三人の少女。 下級兵士なら、いくら束になって掛かってこようがアリア達の敵ではない。だが、目の前に立ちはだかる敵達は、そんな生やさしい存在ではない。 「アンリエッタ、フレイデリカ……。あなた達こそ、まだニーヴルに縛られて居るの?」 「……縛られているのではありません! そう感じるのは、お姉様が狂って仕舞われたからです!」 「その男が側にいたせいで! その男がお姉様を狂わせているだけです!」 うり二つの顔を持つ女達にセシリーが憐れむような声で話しかけると、フレイデリカ、アンリエッタと呼ばれた女達はキッと眉をつり上げてセシリーを睨め付けた。 「んー? ああ、そっかー。どっかで見たことあると思ったら、元エインフェリアなんだ。でも、S級じゃなかったよね? S級の人は一応ちゃんと全員覚えてるつもりだもん」 セシリーと双子の睨み合いに割って入ったのはキャロルだった。デオラガーンで対峙したことなど露程にも覚えている気配はなく、ようやくセシリーが元エインフェリアであることだけ思い出せたようだ。 「キャロル様、あの女とあの男は私達にやらせて下さい。デオラガーンでの雪辱を果たしたいのです」 「あー。前にあなた達を忘れてデオラガーンから敗走したとき、レオの側に居た連中か。道理で見覚えあると思った。……うん、いいよいいよ。あたし達が用あるのはレオだけだから、他は適当にやって」 「御意」 キャロルの言葉を受け、紺色の装束に身を包んだ双子が短刀を構えた。まるで鏡に映ったように、藍色のショートカットも同じ位置で切りそろえられ、萌葱色の双眸も同じ角度でつり上がっている。そんな二人が一斉にセシリー目掛けて飛びかかる。 「……っ!」 だが二人の攻撃はセシリーの届かず、飛び出したシルヴァランスの剣によって受け止められた。 シルヴァランスと双子が激突するのを見届け、今度は歪んだ感情を表に浮かべる少女がアリアの方へ歩み寄ってきた。 「レミネーラ様。私達にレオの相手をさせて下さい。レオには借りがあります」 「ええ、いいわ。けれど少し待ちなさい」 レミネーラは話しかけた少女に優雅に微笑んだ後、再びアリアへ視線を戻した。アリアの前では、スルトが剣を構えている。 「レオ、どうやって聖石の波動を遮っているのか教えて頂戴。今こうして対峙していても、貴女から聖石の波動は感知できないわ」 「…………それはこっちが聞きたい。どうして聖石の波動は外に漏れないはずなのに、私の場所がわかったの?」 聖石が何かしらの波動を放っていて、そのせいでニーヴルはアリアの位置を把握できるのだと知っている。だがその波動は、魔練器技師のミレーヌが作ってくれたペンダントによって遮られているはずだ。だからこそ、この一年はニーヴルの襲撃もなく平和に過ごせていた。 「そうね。こっちとしては、貴女が戦ってくれれば聖石が反応するからそれを感知しようと思っていたけどそれができず、打開策として世界中にドラゴンをばらまいたにもかかわらず聖石は反応を示さなかった」 「え……? ドラ……ゴン?」 「ええ。あら、貴女は聖石がドラゴンを引き寄せるということを知らなかったの?」 そんなこと初耳だった。じゃあまさか、テセアラやトラキアやスノーレン、デオラガーンがドラゴンに襲われたのはその場所にアリアがいたせいなのだろうか。世界中でドラゴンが暴れ回り、人々を苦しめているのは、アリアがニーヴルから逃げ回っているせいなのだろうか。 知らぬ間にアリアは拳を強く握りしめていた。辛い事実を知り、今にも割れてしまいそうな心を必死に維持し、薔薇のようなレミネーラの微笑みをキッと見据える。 「まあいいわ。結局ドラゴンをもってしても貴女の居場所は特定できなかった。だから、最終手段を使ったのよ」 「はいはーい。何を隠そう、最終手段とはあたしですよー」 レミネーラの視線に応じてキャロルが嬉々と手を挙げる。 「あたしの能力名であり、二つ名である“透過”。これはね、この世界にある全ての闇が見ている映像を視ることができるんだ」 「……どういう意味だ」 アリアに代わってスルトがキャロルに問う。キャロルはニコッとスルトに微笑んでからアリアへ視線を戻す。 「例えば、レオの足下にはあなたの影があるよね? 光があれば、必ず物には影ができる。あたしの能力は、世界中すべての影を自分の目として、その影が見ている世界を視ることができるんだ」 「な、何だとっ!?」 「そう、つまり私は世界全体を見渡せるのよ。どんな障害物があろうとも、そこが影になっていれば直接視ることができる。何もない平原でも、ちょっとした小石や草木で出来た影を通してすべてを視ることができる。透過を使えば、この世界で見えない場所はない」 自慢するように自分の能力を明かすキャロルを、アリアとスルトは呆然と見つめた。そんな反則的な捜査網を突破するなど無理に決まっている。キャロルの能力が今言った通りなら、始めからその気になればいつでもアリアの居場所を特定できたということになる。 「でも一つ欠点があってね。透過はもの凄く大量のダークジェムを使うのよ。ドラゴンの精製や聖石を穢すためにダークジェムは沢山必要だったからね、そう易々と透過を使うわけにはいかなかったんだー」 アリアの疑問を払拭しながら、キャロルの笑みは一向に崩れる気配を見せない。 「でもその辺りは戦争が上手く解決してくれたんだ。聖石を手早く穢すには、その聖石を取り込んだ天使ちゃんに多くの人間を殺させればいいの。戦争はまさに打って付けの舞台ってわけ。戦場に天使を送り込むために国王に取り入ったんだもん。ま、資金面での援助が欲しかったのも事実だけどね」 「き、貴様達はそのために王を利用したというのか!」 国に忠義を尽くす軍人のスルトが声を張り上げると、レミネーラとキャロルが優雅にその叫びを笑顔で流した。 それだけじゃない。きっとスルトは、無垢な少女達を戦地に赴かせ、そして多くの者をその手に掛けさせることに怒りを覚えたのだろう。それはアリアも同じで、自分と同じ苦しい思いをしている少女達が自分たちの意志を挟まず罪を犯しているという事実は、あまりに酷すぎる現実だった。 だがアリアとスルトの怒りなど露程にも気にする様子はなく、キャロルとレミネーラの笑顔は先程から微塵も変化しない。 「ま、そんなわけで、聖石を穢すためにとっておいたダークジェムをすべて使い、透過を発動させてレオの居場所を特定したってわけよ」 「貴女の質問には答えたわ。それで、貴女は答えてくれないの?」 レミネーラがアリアに先程の問いの答えをせがむ。だがアリアは口を閉じたまま、ひたすらレミネーラを睨め続けた。 「そう、残念だわ。少し興味があったのだけれど、教えてくれないなら仕方ないわね」 演技らしくレミネーラがため息をつくと、それが合図だったかのように三人の少女がおもむろにレミネーラとキャロルの前に歩み出て、アリア、スルトと対峙した。 「殺しては駄目よ。適当に痛めつけて、あなた達の気が晴れたら攻撃をやめなさい。ええ、そちらの軍人は殺しても構わないわ」 「わかりました」 レミネーラが踵を返してこちらに背を向ける。キャロルがそれに続き、そして後方で待機していたミゲルの元へ二人は去っていった。 おそらく直接手を下すまでもないと思ったのだろう。これだけの戦力差だ。遅かれ早かれアリア達は敗れ、そしてアリアは拘束される。それまでレミネーラとキャロル、ミゲルは静観するつもりなのだろう。そして、感情のない瞳を持つ三人の少女達も、レミネーラ達と共に静観するよう身を引いていった。 向こうではシルヴァランスが双子の女と戦っている。セシリーが後方で、心配そうにシルヴァランスを見つめているのがわかる。 そしてこちらは―― 「やっと戦えるぜ。ようやく、あの時のリベンジが出来る」 アリアとスルトに歩み寄ってくる三人の少女。その中で、セミロングの赤髪に黄色のリボンを結っている少女が、亜麻色の瞳をつり上げて愉悦に歪んだ表情を浮かべながらそう 言った。 襟裳が赤い長袖トップの胸元には髪を留めるのと同じ黄色のリボンが蝶々を形取り、膝上二十センチ丈のプリーツスカートも朱色。スカートの裾付近まで伸びるニーソックスはピンク色で、全体的に赤で統一された少女は、両手に一丁ずつハンドガンを握っていた。 「あらあら、とっても楽しそうですねぇ、バーバラちゃん」 赤髪の女の隣でクスクスと肩を震わせる、水色の瞳に水色のロングヘアを持つ少女。ほぼ正円のレンズを持つ眼鏡をかけ、ゆったりとしたブルーのワンピースドレスを身に纏っている。背丈はアリアより少し高いくらいで、赤い髪の少女より十センチほど高い。手にはサブマシンガンを握っている。 「魔弾居ないの? 私、魔弾と戦いたかった」 二人の少女から一歩後方に身を置く、フォレストグリーンの髪をサイドテールにまとめる瑠璃色の瞳をした少女が、抱くようにして持っているロングショットも可能なスナイパーライフルをギュッと握り直した。他の二人と違って天使のように感情の薄い表情を浮かべる少女は、首に黒のチョーカーを巻き、白の長袖ブラウスの上に黒のノースリーブベストを羽織り、白のショートスカートの下からは黒いスパッツが顔を覗かせている。靴も漆黒で、完全なツートンカラーで身を固める少女は、この場に居ない男の二つ名を口惜しそうに呟いた。 アリアは彼女らを知っている。かつて組織を抜け出し、行く当てもなく追っ手から逃げまどう日が続いていた頃、アリアは彼女らと対峙した。ニーヴルの放った追っ手として現れた彼女らとアリアは戦い、辛うじて彼女らを撃退することができた。 だがあの時、戦ったのはアリア一人ではない。思えばあの時初めて、アリアはあの人に助けられたのだ。そしてその日以来、ずっとその人はアリアの側でアリアを護ってくれた。 「魔弾のおっさんは不在か。オレもあのおっさんには一泡吹かせたかったんだがな」 犬歯を剥き出しにして獣じみた笑みを浮かべる、バーバラと呼ばれた赤い髪の少女。 「あの人はレオにぞっこんでしたからね。もしかしたらレオをいたぶっていればそのうち現れるかもしれませんよ?」 優雅に笑うの水色の髪の少女。名前は確か、ラズベリーといったはずだ。 「……私のフレイムショットを豆鉄砲だと笑ったあの男。絶対許さない」 ほとんど表情を変化させずにそう呟く緑色の髪の少女はスピカ。三人ともS級エインフェリアであり、かつてアリアが戦った相手。 「レイチェル、彼女たちは……」 「前に戦ったことがある。手強かった」 「そうか」 アリアの手前でスルトが剣を構え直す。スルトが横目でアリアに下がるよう促してきたが、アリアとてここで引き下がるわけにはいかない。 懇願を籠めた眼差しをスルトに向けると、スルトは歯を食いしばりながらも参戦を許してくれた。戦力的に、自分一人では絶対に太刀打ちできないと理解しているのだろう。 武器は敵から奪ったアサルトライフルしかない。いや、それ以前に長期間戦いから離れていたアリアは感覚的も、そして身体能力的にもとても戦えるレベルではない。 どう転んでも自分たちに勝ち目はない。たとえ目の前の三人の少女を撃退できたとしても、後方にはあの男、ミゲルが控えている。そして自分と同じ、三人の天使も。 「ハハハッ! 行くぜっ!」 「――っ!」 それでも退くわけにはいかない。手に入れた幸せな日々を、もう二度と奪われないために。今の安らかな生活を守るために。 諦めたらそこで終わり。けれど諦めずに戦い続ければ、きっとあの人が助けにきてくれる。そう、信じている。 だから―― 「はああああっ!」 アリアは咆えた。久々に感じる、胸元で熱くなる聖石の存在を意識しながら、羽根を休めていた体に再び鞭を打つ。 例えどんなに絶望的な状況でも、絶対に諦めない。今はもう、自分の幸せは自分一人のものではない。アリアの幸せはきっと、そのまま両親、仲間、友達の幸せにも結びついている。だから、絶対にその幸せを諦めない。 迫り来る敵に、アリアは凛然と真っ向から立ち向かった。 自らの幸せ、みんなの幸せを護るため。あの人が助けにきてくれることを信じて。 * * * 「こんな……。一体何が起こったの?」 崩壊した建物や、なぎ倒されて灰と化している木々をぐるりと見渡しながらガネットは驚嘆に身を震わせた。 ライトジェムを使って周囲から見えないようカモフラージュしているはずの基地が、外から見えることに気づいた時点で嫌な予感が脳裏をよぎり、近づいてみてその予感は正しかったことを思い知る。 ガネットが所属する名前もない組織の基地は、無惨な跡形となって森の奥深くに佇んでいた。痛々しい同志の遺体を見る限り、まだ何者かの襲撃から一週間ほどしか過ぎていないだろう。 「これは非道い。……私が思念を辿って何が起きたか調べようか?」 ガネットの直ぐ後ろで、人の姿に戻っているシールディアが尋ねてくる。本当なら本部の場所を知られないために森の外でガネットを降ろしてもらう予定だったが、遠目にも本部の様子がおかしいことは見て取れたため、本部の位置を晒すことを覚悟でここまで運んで貰った。 「そうね。お願いしようかし――」 ドラゴンであるシールディアに残留思念からことの成り行きを拾い集めてくれるよう頼もうと思った時、ふいに前方の森から小枝を踏みつけたような足音が響いてきた。 「ガネット様……?」 「あなた達……。よかった、無事な者も居たのね」 ガネットが顔を持ち上げて薄暗い森の中へ視線を向けると、そこには見覚えのある同志達が数名、窺うような目でガネットを見つめていた。 しばらく躊躇する素振りを見せた後、同志達が森から出てくる。その数は両手の指で数えられるほどに少ない。 「銀色の竜が見えたのですが、一体あれは何処に?」 一人の同志が周囲を警戒するよう見渡しながら呟く。おそらく彼らはシールディアの本当の姿を見て驚き、身を隠していたのだろう。 「あの竜のことは気にしなくて大丈夫です。それより、この状況を説明していただけますか?」 「あ、はい」 ガネットの言葉を聞いて同志がピンと背筋を伸ばす。どうもAに対して同志達はCと違って律儀というか、恭しい態度を見せる。もっとフランクでいいと思うが、今はそれを言及する場面ではない。 シールディアに視線を送り、思念を辿った話は後で聞くと言っておく。 「端的に事実を述べますと、六日前にニーヴルが大群を率いて本部を襲撃しました」 「……やはりそうでしたか。大方、ドラゴン退治に出ていた同志を捕らえて本部の場所を無理矢理吐かせたのでしょう」 心の内で先程からCがしきりにナイの安否を尋ねるよう催促してくるが、今は順を追って現状を把握する方が先決だ。 「被害状況は?」 「多くの同志が倒れました。私達の多くは別々の任務から戻ってきた者ばかりで、私と彼女だけが襲撃時の唯一の生存者です」 先程からガネットと言葉を交わしている男が、隣で俯き加減に頭を垂らす女へ視線を送る。女は顔を上げようとせず、唇を噛みしめているのがガネットにも見て取れる。 「わかりました。それで、アイザックやナイは?」 リーダーであるガルバトロスが不在の今、同志達をまとめているのは実質セイクリッド・スピアの三人であり、その中でアイザックがガルバトロスのかわりを担っていた。もしガルバトロスに続きアイザックにまで何かあったとしたら、組織としては壊滅を免れない。 「ご安心下さい。アイザック様はナイ様、ヴィクトリアを連れてセカンドベースへ離脱しました」 「そうですか」 心の中でCが大きく安堵の息を漏らしたのがわかる。心の中で息を漏らすとは言い得て妙な話だが、感覚的にそう感じるのだからそれ以外に表現の方法がない。 「…………」 現状確認はほぼ終わった。ニーヴルの襲撃を受けて本部はほぼ壊滅状態で、アイザック達はセカンドベースへと移った。竜王の話をアイザック達にするために戻ってきたガネットも、当然セカンドベースへ赴く必要があるだろう。 「六日前にアイザック達はここを離れたのですね。……おそらく足はヴィクトリアのポニーでしょう。ならばおそらくセカンドベースまで一週間はかかるでしょう」 もともとペガサスはワイバーンに比べて馬力が無く、一人乗りで精一杯のはずだ。それを三人で乗って移動するとなると、かなりの負担になるはず。 チラッとシールディアへ視線を送る。ガネットの意図を汲んでくれたのか、シールディアは小さく頷いた。 シールディアの翼なら二日もあればセカンドベースへ行ける。おそらく今頃アイザック達はセカンドベースにたどり着いた頃だろうし、アイザックが次にどんな行動を計画しているかわからないが、体勢を立て直すために当分はセカンドベースに留まるだろう。十二分に合流できる。 ガネットは指示を待つ眼差しをこちらへ向けている同志達を見渡す。襲撃でニーヴルの恐ろしさを身をもって知り、生気のない瞳をしている者もいれば、まだ諦めていない者もいる。 「私はセカンドベースへ向かいます。敵が本気になった以上、おそらくこれからの戦いは今まで以上に厳しい戦いとなるでしょう。もしここで組織を去るという者がいても、私は引き留めません。みなさんの命です。自身で決断して下さい」 同志達が小さくどよめく。その様子を、ガネットは黙って見つめた。 ニーヴルの力は圧倒的だ。セイクリッド・スピアのアイザックやナイですら敗走を余儀なくされるような相手を、彼らに力の及ばない同志達が恐れないはずがない。 しばらくして六人の同志が音もなくその場を離れていった。しかし残った同志は、去っていく彼らに、「平和になったら再会しよう」と明るく声を掛けていた。 残った者の瞳にはまだ生気が残っている。希望が、世界を護ろうとする意志が残っている。だから、ガネットも敢えて聞き直したりしない。 「では行きましょう。シールディアさん、お願いします」 「うむ。わかった」 ガネットの呼びかけに応じてシールディアの周囲の空気が凍り付く。それは恐怖によるものではなく、実際に周囲の気温が急激に下がっていくことを意味する。 同志達の表情に驚きが浮かぶ。彼らにしてみれば、誰とも知らない幼い少女が、突然得体の知れないものへ変貌しようとしているのだから、驚かないはずがない。 眩い閃光の後、圧倒的な存在感がガネットの後方に飛来する。銀色の美しい体を持ち、力強い翼を広げるドラゴンの、鋭い瞳がガネットを捕らえていた。 「安心して下さい。彼女は……私のお友達ですから」 『…………』 ガネットの言葉にドラゴンの姿のシールディアがピクリと反応を示す。 ドラゴンの背に飛び乗ったガネットを見て、他の同志達もその背中に恐る恐る飛び乗る。全員の搭乗を確認して、ガネットはシールディアに話しかける。 「シールディアさん。全速力でお願いします」 『わかった。しっかり捕まっていてほしい』 ガネットの言葉にシールディアが応え、凄まじいスピードで巨体が宙に舞い上がり、風を引き裂きながら世界を駆けた。 竜王の話と、ニーヴルの襲撃。 まるで止まっていた時が動き始めたような、新しい戦いの夜明け。忘れかけていた緊迫感が、ガネットの全身を包んでいた。 背中にガネットとその仲間達を背負って天を駆けながら、シールディアはふと、崩壊したガネット達の基地で拾い集めた思念の中に混じっていたある存在を脳裏に描いた。 おそらくその者に殺された者の残留思念。その中に混じっていたのは、本部を襲い、圧倒的な力で次々とガネットの仲間を薙ぎ払っていった赤い髪に右目を眼帯で隠した男。 その男はとても危険だとシールディアの本能が告げている。おそらくその男と対峙したところで、シールディアではその思考を読むことができない。 その男からは何の思念も感じられない。殺された者の残留思念がなければ、まるでその男はその場所に居なかったように思えてしまう。それほど存在は希薄で、だがとてつもなく危険な存在であると思える。 あんな男がニーヴルには居る。そしてこれから先、もしシェドが天使の少女を護るためにニーヴルと真っ向から戦うことになったら、あの男とも戦うことになるだろう。 シールディアの内心がそれに恐怖する。シェドではあの男に勝てない。そんな予感がシールディアの不安を加速させる。 『カルネ……。一体、あの男は何者なのだ……』 天の海を駆けながら、シールディアは静かにそう心の中で呟いた。 「ナイ様ーっ!」 セカンドベースにたどり着いてすぐ、ガネットはシールディアの背中から飛び降りて建物の中へ駆け込んだ。だが以前来たときとまったく変わらず、セカンドベースにはほとんど人の気配がしない。 愛しの人は一体何処にいるのか。姿を見るまで安心できない。それ以前に、三ヶ月以上向こうの大陸へ渡っていたため、ただでさえ愛不足なのだ。早く、早く会いたい。 しかしセカンドベースにあるどこ個室にもナイの姿はなかった。それどころはアイザックやヴィクトリアの姿もない。 「……あれ? あんた誰?」 本来なら一番に訪れるべきメインルームへ最後に訪れると、銃を握ってカタカタと震える少女の姿があった。若葉のような色をした短めの髪をして、蜜柑色の瞳を持つヴィクトリアくらいの年齢の少女は、突然の来訪者を恐れるように震えている。 「あ、あなたこそ誰ですか!」 「私はガネット。あんたも同志なら、セイクリッド・スピアのメンバーくらい知ってるでしょ? それとも、あんたは同志じゃないのかしら?」 ガネットは腰の後ろに括り付けていた錫杖を取りだし、先を少女に向けて威嚇する。しかし少女はガネットが同志だとわかって安心したのか、威嚇するために目をつり上げたガネットとは正反対に安心したように口元を緩めた。 やはり同志らしいが、見覚えはない。おそらくはセカンドベース常駐で、一年前にガネットがセカンドベースを訪れたときには居なかったので新しいメンバーなのだろう。 「あんた、名前は?」 「は、はい。パーラです」 「そう。パーラ、状況確認をしたいわ。ここにナイ様が来たはずだけど?」 真っ先に尋ねるべきはナイの安否。Aが何やら困った子を見るような表情を浮かべている気がするが、そんなの知ったこっちゃない。 「はい。ナイさんは、えっと、ガルバトロスさんとアイザックさん、ヴィクトリアちゃんと一緒に天使を倒しに行くと言って昨日出立されました」 「えっ!? て、天使を!? い、いえ、それにガルバトロスさん、戻ってきてたの?」 「ガルバトロスさんは全身傷だらけでここにたどり着き、先日意識を取り戻したばかりでした。ですが天使を倒すためには休んでいられないと言って、アイザックさん達と一緒に出立されました」 「…………」 「ヴィクトリアちゃんのお兄さんが今も天使と共に居るらしく、ヴィクトリアちゃんはお兄さんの居場所を知っていたらしいのです」 ガルバトロスが生きていたという事実も衝撃的だが、それ以上に彼らが天使を倒しに行ったという事実がガネットを困惑させる。 どうしてあれほど兄想いのヴィクトリアが、兄を敵に回すような選択を取ったのかわからない。けれど、世界平和を掲げる組織であるため、天使を倒すと言うことはまさにその理念の元に行うべき正しい選択だ。今までのガネットなら、何の迷いもなく、いや、むしろ完全にそれを正しいと受け入れるだろう。 だが今は、どうしてもシールディアの顔が脳裏に浮かんでしまう。ヴィクトリアの兄、シルヴァランスと一緒にいる天使と言えば、間違いなくあの少女だろう。その少女を手に掛けることは、シールディアの大切な仲間を奪うことと同じである。 ガネットとシールディアは敵同士だ。決して仲間でも、友達でもない。なのにどうしてこんなにも心苦しく、シールディアに対して負い目を感じてしまうのだろう。 「……ガネットさん?」 「あ、あたしはちょっとやることがあるから。えっと、メインベースから数人の同志を連れてきたわ。彼らに食事の用意をしてあげて」 パーラにそう言い残し、ガネットはメインルームを後にしてセカンドベース内を突っ走る。なんか、頭の中がぐちゃぐちゃになりそうだった。 セカンドベースから外に出て、待機してた同志達に中にいるパーラが食事の用意をしてくれているという旨を伝え、中へ入るよう促す。そして連れてきた同志達が全員セカンドベースに入ったのを確認してから、人間の姿に戻っているシールディアのもとへ歩み寄った。 「どうしたのだ? 何やら沈痛な面持ちを浮かべているが、その、ナイという男に何かあったのか?」 「ううん、そうじゃないけど……」 シールディアの感情の薄い琥珀色の双眸を見つめ、ガネットの困惑はますます大きくなる。 Aはシールディアのことをどう思っているのだろう。メインベースを去るとき、同志に説明したように友達だと本気で考えているのかもしれない。 ならばCはどうか。敵か、友達か、仲間か。 どれも正解でどれも違うような気がする。敵であるのは間違いない事実だが、Aが友達だと思っている以上、Cにとっても友達だと言える。そして一年という時を共に過ごした仲間であるといえば、それも嘘ではない。 だがCの中で一番しっくりくる関係、それはたぶん、妹という感覚。 「そうだね。もう、あたしにとってシールは妹みたいなものだもんね。隠し事するなんてできないかな」 「ガネット?」 「いい、シール。よく聞いて。私の仲間が天使の少女を狙って昨日、ここを発ったらしいわ。シルヴァランスと一緒にいる天使って話だから、間違いなくシールと一緒にいたあの少女だと思う」 シールディアの双眸が大きく開かれ、感情の薄い表情に驚きと恐怖が滲み出る。 「セカンドベースにはトランスポータを使って各地へ移動する設備はないわ。だからおそらくヴィクトリアのポニー……ペガサスで移動してるんだと思う。私は天使が居るのが何処かわからないけど、たぶんシールの翼なら追いつけると思う」 「…………」 「でも私の仲間にはガルバトロスさんにアイザック、ナイ様が居る。シールがいくらドラゴンとはいえ、たぶん力勝負じゃ太刀打ちできないと思う」 だからあの男を呼びに行け。言外にそういう意味を込める。ここから天使のいる場所までの距離が分からない以上、絶対に呼びに行けとは言えないが、可能ならば呼びに行った方がいい。 「昨日ここをペガサスで出立したのだな? 全力で飛ばせば、ハルモニカ大陸にある竜の里に寄ってから追ったとして、ギリギリで間に合う」 「決まりね。じゃあ、早く行って」 「ガネットは?」 「……私はこっちの人間よ。シールの敵。だから、私は行けない」 本当なら一緒に行きたい。けれど今の迷った心のままではどちらに付くことも出来ず、ただただ無慈悲な現実を受け入れられずに悲しい思いをするだけになってしまう気がする。 ガネットは世界を護るために集った同志の一人。本当は世界を護りたいのではなく、愛しい人との愛おしい日々を奪われたくないだけ。他人の幸せを壊してでも、自分の幸せを護りたかっただけ。 でも、あの天使の少女や一緒に旅をしたシールディアはそんなガネットの心に小さな変化を与えてくれた。煩わしいと言える変化かもしれないけど、不思議と嫌悪感はない。むしろ、ありがたく思える部分だってある。 「私は行けない。私はシールの敵。でも、でもね、矛盾してるってわかってるけど、シールが泣くのを見るのは嫌なの。だから……、早く行って!」 「ガネット……。すまない」 力ないシールディアの言葉に続き、シールディアの存在が膨らんでいく。冷気が周囲を包み、閃光に続いて神々しい銀竜が姿を現す。 もし次に会うことがあれば、その時ガネットとシールディアの関係はどうなっているだろう。天使を同志に殺されて憎しみを抱く敵として見られるかも知れない。ガルバトロス達が天使討伐に失敗して、今度はガネットが天使を倒すべくシールディアの前に立ちはだかる敵となるかも知れない。 きっともうこの一年と同じような関係ではいられない。それは最初からわかっていたこと。わかっていたことなのに―― 「じゃあね、シール」 『また、いつか会おう』 頭に直接響く声でシールディアがそう言い残し、その巨体は宙に舞って天に消えた。 この選択が正しかったのかわからない。でも、たとえ間違いだったとしても後悔はしないだろう。そう、強く思える。 「シールとは、もっと別の形で会いたかったな」 誰も居なくなったセカンドベースの前の拓けた場所で小さく呟き、ガネットはもはや蒼と白以外の何物もない空を仰ぎ続けた。 |
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