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第三章 決戦 外部から聞こえるドラゴンの凄まじい咆吼。ヴァルハラ神殿内には、まるでその場所が戦場になっているようなけたたましい轟音が絶えず鳴り響いていた。 「レミネーラ様、ただいま戻りました」 玉座に腰を下ろして瞳を閉じ、頬杖をついて微動だにせず鎮座するルシフェルの隣で、リラックスした様子で両肘に手のひらを当てて立っていたレミネーラに低い男の声が話しかける。 レミネーラが顔を持ち上げると、神殿の入り口から革靴の音をカツカツと響かせながら隻眼の男が入ってきた。赤い短髪に黒のスーツでびしっと全身を覆う長身の男。 「あらカルネ。今までどこで何をしていたの?」 「……研究施設の方へ行っていました。招かれざる客に対するため、保管してあったありったけのダークドラゴンを基地周辺空域に放ちました」 「ダークドラゴンを? でも、ヴァルハラ神殿が結界に包まれているために彼らはおそらく地下の闘技場を通ろうとするはずよ? 現に侵入を許しているわ。今更周辺空域にダークドラゴンを放っても意味ないのではなくて?」 隻眼の男――カルネはレミネーラに歩み寄りながら小さく首を振って見せた。玉座の手前でカルネが足を止めると、ルシフェルが閉じていた瞳をスッと開いた。 「神殿内部に侵入したというドラゴンにはアルフレッド達を向かわせたのでしょう? ですからそちらの方は何も危惧しておりません。しかし、飽きもせずにヒトの守護を続けようとしている連中です。それで終わりではないでしょう。現に、新たなのが一体、警戒に当たらせていた亜種ドラゴンと戦闘を開始しました」 「……先程からドラゴン達が騒がしいのはそのせいか」 ルシフェルの不機嫌そうな声にカルネが無言で頷く。レミネーラは心配そうに眉根を寄せてルシフェルの横顔をうかがっていた。 「真の天使覚醒、そしてもう一つの神の復活はもう目前だ。何者にも邪魔だてさせるわけにはいかん」 「はい」 「ダークドラゴン達の手に余るようなら、お前が出て連中を狩ってこい。いいな、“竜殺し”のカルネ」 「わかりました」 カルネがルシフェルに一礼して玉座から離れた。神殿内の隅に身を寄せ、カルネはピシッと直立したまま静かに佇む。 カルネの足音が止んだ後、今度はもっと重そうなブーツで大理石の床を力強く踏みつける足音が響き始めた。レミネーラが顔を上げ、神殿の入り口へ視線を向ける。 「ずいぶん騒がしくなってるな。ドラゴンの連中が玉座を奪い返しに来たのか?」 「ミゲル……。体はもう大丈夫なの?」 現れたのは彫りが深く額に傷跡のある大柄の男。オールバックの黒髪には若干白髪が交じっており、顎の辺りは短く剃られた髭で覆われている。 魔物のような殺気を漲らせる鋭いオリーブの色の瞳でレミネーラを一瞥すると、ミゲルは不機嫌そうにフンと鼻を鳴らして視線を逸らした。 「……問題なさそうね。呆れるほどタフだわ、あなた」 「そんなことより現状はどうなっている?」 「あなたの推察通りよ。原種のドラゴン達が玉座を奪い返しにやってきたみたい。基地内に侵入したドラゴンにはアルフレッドとキャロルを向かわせているわ。神殿外のにはカルネがダークドラゴンを放ったところ」 神殿内には壮絶なドラゴンの咆吼が絶えず響いていた。大気を振動させるほどの咆吼だけで神殿を衝撃が襲い、パラパラと天井から塵や埃が降ってくる。 ミゲルは別段興味無さそうに天井を見上げ、小さく舌打ちしてから踵を返した。 「何処へ行くの?」 「寝る。まだ完全に傷が癒えたわけじゃねぇからな。それに、ドラゴンどもの相手をしたところで面白くも何ともねぇ。戦うならやはり強い人間に限る」 ミゲルがそう言い残して神殿を去る。レミネーラとルシフェルはしばしミゲルの背中を目で追い、そしてルシフェルは再び瞳を閉じて静かに瞑想にふけった。 鳴りやまない鳴動に対し、不安げに天井を見上げたレミネーラは、小さくフッと息を吐いた。 「もうすぐ社長の夢が現実となる……。何物にも、邪魔されるわけにはいかない……」 独り言のように呟き、レミネーラは唇を甘噛みしながらそっと目を閉じた。 * * * ラズベリー達やエーギル姉妹はエインフェリアの中でも最高位であるS級に格付けされ、ニーヴルの中でも指折りの実力者だ。だが、そんなラズベリー達をも遙かに凌ぐ力を持っている者達が居る。それが、ガンズと呼ばれる四人の戦士。 たとえS級エインフェリアが束になろうとも、ガンズのメンバーには遠く及ばない。それほどまでに彼らの力がずば抜けて高いことをラズベリーも当然知っていた。 しかし今、ラズベリーの目の前では、元S級エインフェリアである魔弾のシェドが、ガンズの一人であるアルフレッドと互角以上の戦闘を繰り広げていた。 「はあああっ!」 「ぐぅっ!」 漆黒の鎌を携えて接近戦を狙ってくるアルフレッドに対し、シェドは決して鎌の間合いに入ることなく周囲から魔力を帯びた銃弾を撃ちはなっている。 炎や氷、雷、土、風など、様々な属性を帯びた銃弾が次々とアルフレッドに襲いかかり、アルフレッドは戦闘前まで浮かべていた独特の歪んだ笑みを消して、険しい表情を浮かべながら鎌で魔力ごと銃弾を引き裂いていた。 魔物達と戦っている時、シェドがそれほど実力を持っているようには見えなかった。けれどそれは、力を抑えた状態で戦っていたからそう見えただけなのかもしれない。それならば、本気のシェドがどれほどの力を持っているのか想像もつかない。 「ぐっ! やりますね! でも、いくらシェドさんが魔弾で攻撃しようとも、当たらなければ意味がありませんよ!」 「そうだな、お前の鎌と同じだ。当たらなければダメージは無い」 「――ッ!」 皮肉に皮肉で返されたアルフレッドがギリッと奥歯を噛んでシェドを睨め付けるが、シェドはまったく動じずに銃弾を撃ち続けている。ラズベリーなら簡単に居竦んでしまいそうなのに、何と強靱な精神を持っていることだろう。単に図太いだけかもしれないが。 「くそっ、オレ達は出番無しかよ!」 「……援護は無理。私達じゃ、足手まといにしかならない」 涼しげな顔で戦っているシェドだが、決して生ぬるい戦闘を繰り広げているわけではない。それはラズベリーを始め、バーバラやスピカもヒシヒシと感じ取っているようだ。 アルフレッドが振るう漆黒の鎌は薄暗い闘技場内で鋭く疾く影の軌跡を描き、空間を抉るような一撃を次々と繰り出している。それらの攻撃はまるで一本の線で結ばれた曲線のように連続しており、舞う木の葉ですら避けることが困難だと思われるほど容赦なく周囲全体を引き裂かんとしていた。 それらをすべて避けながらカウンターで魔弾をたたき込んでいるシェドの動きは、もはや肉眼では捕らえることすら難しい。アルフレッドが踏み込んだ瞬間までは鎌の間合いにあったはずのシェドの体は、鎌が通り過ぎる瞬間には間合いの外へ逃れている。蚊帳の外から見つめるラズベリーにしてみれば、まるでアルフレッドが滑稽な小躍りをしているようにすら錯覚してしまう。 「くそっ! ……いい加減、僕はシェドさんとの戯れには飽きてきたよ!」 「なら、さっさと消えろ。俺はこの先に用がある。別にお前が何処で何をしようが、俺の邪魔をしなければ関係ないからな」 「フッ、あまりなめないで欲しいね。これでも僕はガンズの一人。元S級エインフェリアのシェドさんより強いんですよ?」 「あの頃はそうだったかもな。だが、今は違う」 ラズベリーの位置から見える広い背中には、言葉では言い表せない何かがある。それはラズベリーにとって希望を抱かせる強い意志のように見え、そしてアルフレッドには恐怖や焦燥感にも似た感情を覚えさせるものではなかろうか。 苛立ちと恐怖を混ぜ合わせたような表情で一歩後退し、アルフレッドが小さく深呼吸してから再び口の両端を引き上げた独特の笑みを浮かべる。 「随分と大きく出たね。いいよ、僕だって僕たちの望む結果を得るためにシェドさん達を行かせるわけにはいかないんだ。昔のよしみで手加減してあげていたけど、そろそろ本気で行くよ!」 「昔のよしみか。別にお前と一緒だった任務なんて殆ど記憶に無いんだがな」 「……いつまでそんな軽口がたたけるかな?」 ニヤリとアルフレッドが不気味に微笑んだ直後、アルフレッドの左目が怪しげな茶褐色の光を発した。 「あの光はっ! 危ない、シェドさんッ!」 その光を見た瞬間、思わずラズベリーは声を張り上げていた。 身に覚えはなくとも、何度か目の当たりにしたことのあるアルフレッドの秘技。アルフレッドの二つ名、“邪眼”の由来であり、防御不能な攻撃。 「知ってるよね! 僕の左目にはアースジェムが埋め込まれているんだ! そして僕がその力を解放すると、この瞳に見入られた者すべてが石と化す!」 「“邪眼”だろ? 一応ガンズ全員の二つ名と特技くらいは覚えているさ」 「……フン、知っていても防ぐ手段なんてないさ。並の人間なら一瞬、そしてどんなに魔法耐性が高い人間だろうと、せいぜい数分が限度で必ず石となってしまうんだ! 僕が魔力の供給をやめない限り、絶対にねっ!」 勝ち誇ったようなアルフレッドの宣言をシェドは落ち着いた様子で聞いていた。 ラズベリーが今までに見てきたアルフレッドの邪眼に見入られた者達は、手足の先から徐々に石と化していく者が多かった。中にはそれこそ瞬く間に全身が石となってしまった者もいた。 シェドはどうか。魔弾を扱えると言うことはジェムを扱う才能があるということ。それは同時に魔法耐性が並の人間より優れていることを指すが、アルフレッドの邪眼は生半可な耐性では意味がない。 ラズベリーは不安と恐怖を感じながらシェドの背中を見つめ続けた。シェドは微動だにせず、臆することなくアルフレッドの邪眼をにらみ返している。 一瞬の静寂の後、アルフレッドの顔から笑みが消えた。 「な、に……? どうして……、どうして石にならない!」 邪眼を輝かせても一向に石化の始まらないシェドの体を見て、アルフレッドが後ずさる。シェドは面倒くさそうに、後退したアルフレッドとの間合いを一歩で詰めた。 「諦めろ。お前は俺に勝てない」 「く、くそっ! くそっ! 僕はこんなところで負ける存在じゃないんだ! もう一つの神がすべてを無に帰した世界で、僕は社長達と共に新たな世界の創造主となる! 僕はそれだけの力を持って生まれてきた特別な存在だ! お前みたいなカスなんかに、負けるはずがないんだッ!」 「それが、お前がルシフェル達の計画に賛同する理由か。……幼稚だな」 「――ッ!?」 哀れむのでもなく軽蔑するのでもなく、シェドの言葉は何の感動もないただの感想だった。 これなら勝てる。もしかしたらもう一つの神の復活、世界崩壊を食い止めることができるかもしれない。 ラズベリーはシェドの背中を見つめながらそう思った。天上の存在であるはずのガンズと対等以上に渡り合えるシェドがいれば、何とかなるような気がしてきた。 「幼稚だって? ……そうか、シェドさんには僕の崇高な考えは理解できないんだ。ハハ、可哀相だね。でも、どのみち死んじゃう人には関係のない話かな?」 「ああ。お前の考えなど、俺には関係ないことだ」 「減らず口をッ!」 邪眼を輝かせたままアルフレッドが地面を蹴ってシェドに迫る。漆黒の鎌を担ぎ、あらゆる物を一薙ぎで粉砕する一撃をシェドめがけて振るった。 シェドが後方へ飛んで攻撃を避けると、アルフレッドの鎌は地面を大きく抉って周囲に土砂が散った。すかさずアルフレッドが鎌に埋め込んであるアースジェムを輝かせながら、その場で回転し、鎌で空間を横薙ぎで切り裂く。 「これならどうだッ!」 アルフレッドを中心にして円状に広がった魔力が、衝撃で舞い散った土砂を硬化させて鋭角な突起と変化させ、岩の刃が四方へ無差別に襲いかかる。 「くうぅっ!」 ラズベリーはとっさにウインドジェムを輝かせて障壁を張ってガードしたが、ラズベリーとアルフレッドとの間には圧倒的な魔力の違いがあるため、防ぎきれずに障壁を貫通してきた岩の刃がラズベリーの肌や衣服を切り刻んだ。 傷は深くない。アルフレッドから少し距離を置いているため、威力も幾分低下していたのだろう。 なら、近距離で受けたシェドはどうだろうかと、ラズベリーは皮膚の裂けた部分を手で押さえながらシェドの姿を探す。すると、愕然とした表情を浮かべるアルフレッドの手前、シェドは白銀銃を握った手を全面に突き出した姿勢のまま、無傷で佇んでいた。おそらくは銃に埋め込んでいる何らかのジェムで障壁を張ったのではなかろうか。 あんな近距離でも完全にアルフレッドの攻撃を押し殺したシェドを確認して、ラズベリーがホッと息をついたのもつかの間、 「バーバラッ!」 「――えッ?」 スピカの絶叫に近い悲鳴を聞いて、ラズベリーは慌てて後方を振り返った。 ラズベリーの視界に飛び込んできたのは、全身を無数の針が貫通したかのようにボロボロのバーバラだった。辛うじて致命傷には至っていないものの、荒っぽい性格とは正反対のきめ細やかな肌には真っ赤な血が滲み出ている。 「ぐ……、かはっ……。……チッ、ゆ、油断したぜ……」 「バーバラちゃんッ!」 バーバラの元に駆け寄り、前のめりに倒れ込みそうだったバーバラの体を正面から受け止めて抱きしめるようにして支える。バーバラの血がべっとりとラズベリーの衣服に付着したが、そんなことは全然気にならなかった。 ラズベリーとスピカはジェムを扱えるために魔力耐性が高い上、障壁を張ることでさらに相手の攻撃を緩和できる。だがバーバラは、この三人で唯一ジェムが使えなかった。そのせいで先ほどの無差別攻撃をなすすべもなく食らい、鋼鉄のように堅い岩の刃が何本もバーバラの体を貫通したのだろう。風に舞った砂粒みたいな無数の刃が相手では、いくら俊敏なバーバラでもすべてかわせるはずがない。 「く、くそったれ……。この程度……屁でもねぇッ!」 「無理しないでっ! バーバラちゃん、私達はもっと後方へ後退すべきです!」 「どけ、ラズベリーッ! や、やられたまま……、引き下がってたまるかよッ!」 力の入らない腕で突き放そうとするバーバラを、ラズベリーは必死に抱きしめたまま制す。溢れ出す血がボタボタと大地を赤く染め、見ている方が痛々しい様相のまま、負けず嫌いのバーバラは一向に退こうとしなかった。 吼えるバーバラに、アルフレッドが細い目を開いてギロリと邪眼を向ける。 「五月蠅いゴミどもだね! そんなに言うなら、シェドさんの前にお前から先にあの世へ送ってあげるよッ!」 アルフレッドが鎌を振り上げてシェド目掛けて目にも止まらぬ早さで振るう。反射的に後方へ飛んでかわしたシェドを尻目に、アルフレッドは振り下ろした鎌で大地を引き裂きながら一直線にラズベリー達へ迫ってきた。 「死ねぇッ!」 凄まじいスピードでこちらに迫りながら鎌を振り上げたアルフレッドに、ラズベリーは無我夢中でサブマシンガンを向けてトリガーを引きっぱなしにする。しかしアルフレッドを覆うアースジェムのオーラが障壁となり、すべての弾丸がはじき飛ばされてしまう。 邪眼に捕らえられたラズベリーは足下から徐々に石化し、サブマシンガンを握っている右手も石化して、銃は大地へとこぼれ落ちた。 自分だけ避けようと思えば避けられた。けれど、もしここでラズベリーが回避すれば、魔力耐性のないバーバラは一瞬でアルフレッドの邪眼により石化してしまうだろう。今はラズベリーが張っている魔法障壁で二人を包んでいるに過ぎず、ただでさえアルフレッドよりも魔力の劣るラズベリーが二人分の障壁を張っているため、ラズベリーを蝕む石化の進行速度は早かった。 石化の進行を遅らせたところで、迫り来るあの鎌を避けることはできない。 もう駄目だと思ってラズベリーが瞳を閉じた時―― 「諦めるなッ!」 シェドの激励がラズベリーの鼓膜を激しく打った。 「……シェドさん?」 「はああああッ!」 「なにィッ!」 突如アルフレッドとラズベリー達の間に側面から割り込んできたシェドが、光り輝く何かを手に、アルフレッドの漆黒の鎌を受け止めた。 眩い閃光。弾け散る火花。迸る衝撃。 ラズベリーが眼鏡越しに半分だけ開いている瞳で見つめると、シェドの腕から半透明の光り輝く剣が伸びていた。白銀銃を含めてシェドの右腕全体を淡い光が包み、それが収束して眩い光の剣となってシェドの腕から伸びている。 「な、何だよそれ! ま、魔法の剣!?」 「そうだ」 驚きを隠せないアルフレッドに対してシェドは先程までと変わらず落ち着いた声音で話す。そして力任せにアルフレッドの鎌を弾き、アルフレッドは苦虫を噛み潰したような表情で後方へ飛んだ。 「馬鹿な! 純粋な魔力だけで剣を作れるはずがない! 何か、実際にある剣とかを媒体にしないかぎりは形を維持できるはずがない!」 魔力だけでは結合力が弱い。よって形を維持することなど、本来不可能だ。それを可能に出来るのは氷や土などの実体のあるものを生成できる属性の魔力だが、当然ながらそれらで作られた武器は外見もそれ相応になる。 だがシェドが手にしている剣は、収束された何らかの魔力で、本質が何なのかはラズベリーにもわからなかった。 ラズベリーの胸をドンと押して、バーバラが自身の両足で辛うじて立つ。口元からあふれ出ている血は、先程の攻撃によるものなのか、それとも強く噛みしめて歯茎から滲み出たものなのか。 魔法の剣を前に困惑した様子のアルフレッドを無視し、シェドはラズベリー達の方を振り向いた。 「諦めたらすべてが終わる。自分が願ったことを叶えることや、生きがいと呼べる何かを完遂することもできなくなるだろう」 「生き……がい……だと?」 満身創痍の体で、アルフレッドではなくシェドを睨むように見つめるバーバラに、シェドは仏頂面ではなく悪戯っぽくニヤリと笑う。 小馬鹿にしているような笑みなのに、どうしてそこに優しさのようなものを感じてしまうのだろうと、ラズベリーはバーバラへ向けられたシェドの笑みを見て思った。 「生きたいんだろ? お前はまだ、生きてやりたいことがあるんだろ? 何だっていい。生きてやり遂げたいこと、やってみたいことがあるなら、こんなところで死にたくなんかないだろ? なら、そう簡単にそれを諦めるな」 「誰……が、あ、諦める……かよッ! オレ……はな、こんなところで、く、くたばる気なんざ……、サラサラねぇんだよ!」 「バーバラちゃん……」 シェドの諦めるなという言葉はバーバラに向けられたものなのだろうか。もしかしたらそれは、もう駄目だと思って瞳を閉じたラズベリーに向けられたのかもしれない。 「アハ……、アハハハッ! 諦めなければ何だってできる理論ってヤツ? なに、シェドさんってそんなにおめでたい思考の持ち主だったんですか? クックック、これは傑作ですね! エインフェリアだった頃のシェドさんとギャップがありすぎますよ! 一体全体、レオと愛の逃避行中に何があったんですか?」 魔法の剣を前に恐怖していたはずのアルフレッドが狂ったように腹を抱えて笑う。 ラズベリーにとっても、今のシェドの言葉は意外だった。完全なリアリストだと思っていたが、“諦めなければ何でも出来る”という、言ってしまえば思春期の少年が恥ずかしげもなく掲げているようなことを、堂々と口に出して言ってのけたのだ。 大笑いするアルフレッドを全く気にする様子無く、シェドはラズベリー達をグルリと見渡してからゆっくりとアルフレッドを振り返る。 「そろそろ笑い足りたか? なら、さっさと終わらせよう」 「…………。フ、フフ、相変わらず舐めた口を利きますね。まあいいでしょう。僕もさっさと終わらせてゆっくりと真の天使ちゃん達が目覚めるのを傍観したいですから」 シェドの憎まれ口に一瞬だけ憤怒の表情を浮かべたアルフレッドだが、すぐに気味悪い笑みに戻し、鎌を大地に突き刺して両手を地へかざした。 両目を閉じて何やら意識を集中させているアルフレッドを、シェドが警戒しながら見つめる。何を企んでいるのかわからないため、攻撃しに掛かっていいか考えているようだ。 「はあああああっ!」 アルフレッドが大きく声を張り上げ、その身を包むアースジェムのオーラが閃光を放った。するとアルフレッドの周囲の大地が何カ所か隆起し、それぞれの頂点からドロドロとした柔らかい土が噴水のように噴き出す。 噴き出した土が固まり始め、徐々に人の形を形成していく。 「僕の特技は“邪眼”だけじゃないよ。“ドッペルゲンゲル”は土人形で僕の分身を作り出す技さ」 勝ち誇ったような笑みを浮かべるアルフレッドの周囲を、七体の土で出来た人形が取り囲んでいた。顔などない無骨なのっぺら人形だが、両手両足と頭部があり、それぞれ土で出来た鎌を構えていた。 ラズベリーは初めて見るアルフレッドの特技に驚愕していた。あんな技を持っているとは聞いたことがない。“邪眼”は二つ名ともなっているために誰もが把握しているアルフレッドの特技だが、土で自らの分身を幾体も作り出す技は聞いたこともなかった。 だが少し冷静に考えれば、あれだけの土人形を操ることは至難の業だ。それだけ魔力も分散しているはず。先程までの繰り広げていたシェドとの戦闘を見る限り、分が悪いのはアルフレッドであるはずなのに、さらに魔力を分散させて勝機はあるのだろうか。 「シェドさん。僕はシェドさんの弱点に気づいてしまいました」 「…………」 土人形達に囲まれながら、不敵にそう言ってアルフレッドが腰を落とす。すると呼応するように土人形達もアルフレッドとまったく同じ構えをとった。 「さあ、第二幕といきましょうかッ!」 七体の土人形とアルフレッドが同時に飛び出し、一直線にシェドへ迫った。 本来、ドラゴンはヒトを傷つけることは許されない。 しかし今、シールディアはその禁忌を犯していた。自らの意志で、ドラゴンとしての在り方を投げ出したのだ。 それは何故か。相手が世界を崩壊させようとしている敵であることもある。だが一番の理由は、大切な友を傷つけようとしている存在だからだ。 戦うのはドラゴンではなくヒトとしての意志。シールディア=エガンフィスとしての意志であり、今シールディアがここにいる理由でもある。 攻撃を仕掛けてくる素振りを見せず、キャロルという白衣を着た女はただひらすらシールディアの攻撃を回避し続けていた。まるで相手の力量を推し量るように、避けながらデータ収集に専念するように、キャロルは無駄のない動きでシールディアの放つ凍てつく波動を避けながら余裕の笑みを崩さない。 キャロルとの間合いを中距離で維持し、シールディアは拳をグッと強く握りしめて意識を集中させる。青白い光に包まれた拳で虚空を打つと、シールディアの拳を包んでいたオーラが眩い光線となってキャロル目掛けて一直線に迸った。 凍てつく冷気の波動を、キャロルは一番最適な方へ体を軽やかに逸らすだけでいとも容易く回避してみせる。 モノクルの先に浮かぶ不敵な笑みを一切減らさず、戦場に不釣り合いな白衣を翻しながら華麗に舞うキャロルを目で追いながら、シールディアは次々と絶対零度の波動を迸らせた。 「うふふ、何回やっても無駄ですよー。もうその攻撃の初速度と手元からの照射角は把握しましたから、同じ攻撃ではあたしには当たりませぇん」 「確かに、そなたには完全に見切られているようだ」 単発攻撃が無駄ならば、全体攻撃を繰り出すまで。 シールディアはそう判断し、中距離から近距離へと間合いを変え、次はどんな攻撃を見せてくれるのかと言いたげな瞳を浮かべるキャロルの目前で拳を振り上げた。 「凍れッ!」 思いっきり拳を振り下ろすと同時に魔力を爆発させる。ドラゴンの腕輪の援護を受け、シールディアがドラゴンとして持っている力を可能な限り引き出して周囲一帯を空間ごと一瞬にして氷の牢獄へ閉じこめた。 分厚い氷に閉ざされた絶対零度の空間で動けるのはシールディアのみ。外から見れば巨大な氷の花が咲いているように見えるであろうその空間の内部で、シールディアはより強く拳を握りしめる。 そして掛け声と共に握った拳を高く突き上げた。 「砕けッ!」 シールディアの声に呼応して氷の牢獄が粉々に砕け散る。周囲に氷片を散らし、シャリシャリと音を立てながら大地へ割れガラスのような氷が降り注ぐ。 散りゆく花びらのように舞い踊る氷の欠片。薄暗い闘技場内にある僅かな光を乱反射させ、淡い光が辺りを照らしていた。 その中心に佇んでいたシールディアに、突如、黒い槍のような物が襲いかかった。 「――ッ!? あぐっ!」 眼前に突然湧いて出たような鋭い黒槍を、シールディアは反射的に避けようとした。しかし黒槍はまるでシールディアの動きを読んでいたかのように軌道を変え、シールディアの懐を突き刺した。 黒槍はシールディアの腹部を貫通し、そのまま虚空へと消えた。まるで最初からそんなものは存在しなかったように。だがハッキリとシールディアに深い傷だけを残して。 噴き出す鮮血の朱を一瞥した後、シールディアは先程と変わらず余裕の笑みを浮かべるキャロルの姿を前方に見つけた。 「ふーん、ヒトの姿をしているときは血も赤いんだぁ」 物珍しそうにシールディアの腹部から飛び散る朱い血を見つめ、キャロルはずれていたモノクルを直した。 どうやって空間全体を囲んだシールディアの攻撃から身をかわしたのか。それに先程シールディアの懐を貫いた攻撃は何だったのか。 シールディアは痛みを堪えてキャロルの笑みをジッと見つめ返した。こちらが仕掛けない限り、向こうから仕掛けてくる様子はない。 「その目は、どうやってさっきの攻撃をかわしたのか悩んでるのかなぁ?」 「……っ」 「アハッ、図星? 図星なんだぁ。へぇ、ドラゴンも図星を突かれると困惑するんだね」 動揺を隠しきれなかったことを後悔しながら、シールディアは若干の焦りを覚える。 キャロルは強い。一見ただの姦しい女にしか見えないが、身のこなしはエインフェリアの上を行く者であるだけのことはある。また、先程の攻撃をかわした術や黒い槍のような攻撃など、シールディアの理解が及ばない能力を持っている。 しかしそれら以上に恐怖を感じるのが、相手の思考を見抜く能力だ。シールディアの攻撃をかわすことは、どんなに身のこなしがよくてもそれだけでは不可能のはず。キャロルがそれを可能にしているのは、シールディアの攻撃パターンを予測する力。つまりシールディアの思考を読む力だった。 ドラゴンとしてヒトの思考を読むことができるシールディアにとって、逆に行動を読まれることは今までに経験したことがない。 「別に隠すようなことでもないから、種明かししてあげよっか? さっきの攻撃をどうやってかわしたのか、そしてあの黒い剣は何か」 「な……に? 自ら手の内を晒すと言うのか?」 「そんなに驚くことぉ? だって別に減るもんじゃないしぃ、相手が知りたい言うんだったら、教えてあげたっていいんじゃない?」 身のこなしや、相手の思考を見抜く能力だけじゃない。それ以上に恐ろしいのは、何を考えているかわからないあの態度。思考を読むことができるシールディアにさえ、伝わってくる思念からキャロルの本心を推し量ることはできない。 自分の特技の本質を明かすことは、戦士としてみればあり得ない行為だ。それこそ絶対に打ち破る術などないという確固たる自信がなければできない。 だとすればキャロルには自分の手の内を晒してもシールディアに絶対負けないという自信があるのだろうか。相手の力を冷静に分析し、その結果そういう答えを導いたのだろうか。それとも別に意図していることがあるのか。 「困惑してる顔は人間の女の子そのものだねぇ。とっても可愛いよー」 「…………」 ドラゴンである自分が本気を出して戦えばヒトに後れを取ることはない。そう思っていたが、どうやらそれが慢心だったと思い知る。相手はシールディアの二歩も三歩も先を行く戦闘のプロだ。 「じゃあまずは一つ目の答え。どうやってあの氷の牢獄に捕らえられることなく回避できたかというと、……こーいうこと」 「っ?」 キャロルが右腕を持ち上げて右手薬指にはめてある指輪をシールディアに見せたかと思った瞬間に、小さな光がポッと指輪に灯った。そしてシールディアがその光に気を取られた一瞬の間に、キャロルの姿はそれまで立っていた位置からはるか後方へ移動していた。 時間にしてみれば本当に刹那の間。その間にキャロルは十メートル以上移動した。まるで移動するという動作を省略して終着点に到達したように。 「瞬間、移動……?」 「ぴんぽーん。正解でぇーっす。あたしの特技その一は、自分の影が伸びている場所なら瞬間的に移動することができるのでーす。あたしはダークジェムを扱えるんですよー」 「ダークジェム……。そうか、それならば合点がいく」 闇属性のジェムを扱えるヒトは少ない。それにその扱いが非常に困難であることや産出量が他のジェムに比べて圧倒的に少なくて入手困難であるため、卓越したダークジェムの使い手などほとんどいない。 全属性のジェムを使えるシェドですら、ダークジェムを単体で扱うことはできない。シェドは魔剣を生み出すための魔力供給源として使用する場合のみダークジェムを扱い、魔弾として銃弾に付加することもできないはずだ。 非常にクセがあって扱いにくいジェムだが、熟練者は他のジェム使いとは桁違いの力を得るという。 「この指輪は魔練器灯でして、簡単にピカッと光らせることができるんです。光源を作って影の長さや方向をコントロールし、そしてその影の上を瞬間移動する。これがあなたの攻撃をかわしたカラクリですよぉ」 「自分の影が伸びている場所なら何処へでも移動可能ということか。なるほど、ならばそなたの影にも注意を払う必要があるようだ」 「そうですねぇ。頑張って注視して下さいな。それでそれで、あたしの特技その二について種明かししますー」 そう言ってキャロルが白衣のポケットに右手を突っ込み、中から柄のない銀色のナイフを取りだした。長さは二十センチくらいで、先端の部分に三センチくらいのエッジがある。 キャロルは影転移で移動したシールディアの前方二十メートルくらいの位置で、ナイフを握った手を引きながら腰を落とした。 「行きますよー」 「――ッ!? ぐっ!」 まるでそれは先程の再現だった。 視線の先でキャロルがナイフを突く動作を見せると同時に、シールディアの足下が歪み、突如として黒い槍のような鋭い突起がシールディアに襲いかかってきた。 そして反射的にかわそうとしたシールディアを、黒い槍は不可解な軌道を描いて追尾し、そしてシールディアの脇腹を貫通して虚空に消え失せる。残ったのは傷口とあふれ出す鮮血のみで、黒い槍の姿は何処にも見当たらなかった。 「わかったかなぁ? 今、あなたの体を貫いたのはこのナイフだよー」 右手で握ったナイフの先を左手の指で撫でながら、キャロルがニコニコと眩しいくらいの笑顔でシールディアへ歩み寄ってくる。 「あたしが干渉できるのは自分の影だけじゃないんだー。瞬間移動は自分の影でしかできないけど、今みたいに他人の影に干渉することはできるの」 「影に……干渉?」 「そ。ダークジェムを使って生み出した歪んだ空間を通じて、特定の影に干渉するの。後はその歪みにナイフを突き刺せば、干渉している影からナイフが飛び出してくれるってわけ。もっとも、空間を通る際にナイフ自身も歪んじゃうから、出てくるのは本物じゃなくて真っ黒な影になっちゃうわけだけどねー」 「私の影に干渉した、ということか。……そうか、だから回避しようとしても振り切れなかったのか」 「そうよー。自分の影から逃げられるわけないもんねー」 その通りだ。どんなに高速で移動しようとも、自分自身の影をその場に置き去りになどできない。 相手の影を利用して攻撃を繰り出す。そんなことが可能ならば、地に両足が付いている限りはどうやってもその攻撃をかわすことはできない。それこそ、空中を自由に飛びかうことが可能ならば回避可能かもしれないが、今のシールディアにそんな能力はない。 さらに厄介なのはその攻撃レンジだろう。影に干渉すれば何処からでも攻撃できるのであれば、相手の間合い外から攻撃を仕掛けられるということだ。この世界の何処からでも攻撃できるというのと同義ではなかろうか。 「あれ? もしかして、影に干渉できるんだったらどんな所からでも攻撃できるから卑怯じゃん、とか考えてるぅ? でもでもぉ、そんなことないからね。攻撃できるのはせいぜいあたしの目の届く範囲だけだよー」 「…………。こっちの思考は何でもお見通しというわけか」 「言っておくけど、別に心を読んだとかそーいうのじゃないからねー。あたしは何となく相手の表情から、こんなこと考えてるんじゃないかなぁって予想してるだけ。つまり当てずっぽうだよー」 「よく当たる当てずっぽうだな」 シールディアは腹部の傷口に手のひらを当ててあふれ出る血を抑えながらキャロルの笑みを睨む。キャロルはとぼけるように人差し指を頬に当てて首を左右に揺らした。 「まーね。これはあたしの特技その三に近いから、表情を見れば相手の考えていることが大体わかるんだー」 人差し指から薬指までの三本を立て、それをシールディアに見せながら華やかに笑うキャロルに対し、どこまで自分の手の内を晒し続けるのかとシールディアの困惑は続く。 「特技その三の前に、その四を先に教えておくね。これはエインフェリアとか、ニーヴルの人達はみんな知ってるあたしの特技で、あたしの二つ名でもある“透過”って能力なんだー。これはね、世界中の闇にアクセスして、この世界のすべてを見渡す能力なの」 「世界の闇? すべてを見渡す能力?」 「そ。あたしはこの世界のどんなところで行われるどんな些細な出来事でも見つけることができる。あたしがレオを発見したのも、透過を使って世界中を見渡したから」 キャロルの能力にシールディアは言葉を失った。 世界中全てを見渡す能力があるのならば、ニーヴルは最初からいつでもアリアの居場所を特定できたはず。何故それをすぐに実行しなかったのかは疑問だが、それでも、どんなに逃げ回っても相手の手のひらを転がっているに過ぎなかったという事実は驚嘆に値した。 「ただでさえ産出量の少ないダークジェムを大量に使うから、極力透過の能力は使わないんだけどね。レオが何らかの方法で聖石から放たれる魔波を外部に漏らさない手段を見つけちゃったみたいで、もう足取りが完全に掴めなくなっちゃったからさ、最終手段で透過を使っちゃったわけ。ああ、貴重なダークジェムを沢山使っちゃったよぅ。シクシク」 嘘泣きをするキャロルを前にしても、まだシールディアは驚きから立ち直れないでいた。 シールディア達は必死にニーヴルから逃げ回っていた。ずっとその影に怯えながら旅を続けていた。なのに、ニーヴルはいつでもアリアの居場所を特定することができた。 悔しいという気持ちなのだろうか。シールディアは自分の血と魔力を練って造った竜結石を埋め込んだネックレスをアリアに与えることで、もはやアリアのもとへニーヴルの魔の手が迫ることはないと安心していた。しかし、それが浅はかだったと思い知った。 小さな唇を噛みしめながら、再度シールディアはキャロルを睨むように見つめる。キャロルは已然として余裕に満ちた笑みを携えていた。 「あたしの目玉特技はその四つぐらいかなー。じゃあ最後に、さっき飛ばした三つ目の特技を披露しちゃうねー」 そう言ってキャロルが先程と同じように腰を落として身構えた。手にナイフは握っておらず、軽く握られた拳を引いている。 また相手の影に干渉して繰り出す技だろうと予測し、シールディアは神経を研ぎ澄ます。 そしてキャロルが虚空に拳を打ち付けた瞬間、シールディアの影がぐにゃっと歪んで真っ黒な拳が影から伸びてシールディアに迫った。 黒い槍同様に、シールディアが回避しようとすれば追従してくるだろう。そう判断し、回避ではなく防御することにする。 魔力を前面に収束させて障壁を張り、あらゆる攻撃を遮断、もしくは緩和する。回避は不能な技であるが、理屈を説明された以上、元がナイフや拳であると分かれば障壁で防ぐことは可能だと判断した。 だがシールディアの予想を裏切り―― 「あぐっ!?」 黒い拳はシールディアの胸部に深くめり込んだ。 何故障壁で弾けなかったのか。いや、それ以前に障壁とぶつかる衝撃さえ無かった。まるで空気のようにシールディアの障壁を通過し、直接シールディアの体にぶつかってきたような気がした。 そしてシールディアを不思議な感覚が包み込んだ。 痛みはない。拳がめり込んでいる胸部からの出血もない。だが何故か、無性に心が冷えていくような恐怖に駆られた。 「その拳はあたしの拳じゃないんだー。実体がないから、障壁とか張っても無駄だよー」 動揺するシールディアの手前、キャロルが歌うように囁く。 そして、こう付け加えた。 「エヘ。これはね、相手の心の闇を読む“魔手”なんだー」 アルフレッドが作り出した土人形達が一斉にシェド目掛けて飛びかかった。シェドが冷静な眼差しでそれと対峙しようとしたとき、突然、人形達の動きが変化する。 「――っ!?」 シェドの喉から驚きの声が漏れたのが聞こえた瞬間、土人形の数体が、シェドではなくその後方に居るバーバラ達の元へ迫ってきた。アルフレッド自身と四体の土人形はそのままシェドに迫っていき、残りの三体がバーバラ達へ襲いかかる。 アルフレッドの邪眼を受けて右足がすでに石化している今のバーバラに、逃げることなどできない。いや、それ以前に相手に背を向けて逃げるなど、バーバラのプライドが許さない。 そして魔法耐性の低いバーバラを守るために盾となったラズベリーも、すでにバーバラと同じくらい、もしくはそれ以上に石化が進行していた。ラズベリー一人ならまだつま先くらいの石化で済んでいるだろうが、バーバラの分を含めた二人分の障壁を張っているために膝下すべてと両腕が石化してしまっている。 この状況で誰よりも足を引っ張ってる自分にバーバラは苛立ちを隠せなかった。 バーバラが居なければラズベリーはあそこまで邪眼の影響を受けずに済んだはずだ。ジェムも使えず、半端な自分の力にちっぽけなプライドを抱いているがために、バーバラは後退せず前線に止まろうしている。そのせいで、チームであるラズベリーやスピカまでも危険にさらしている。 かなり石化が進行しているラズベリーに土人形の攻撃をかわす術はない。そしてラズベリーに守られているだけのバーバラも、何も出来ずに死ぬのを待つだけの状況だった。 「く、くそ……。くそ、くそぉっ! オ、オレは……、オレはッ!」 何も出来ないどころじゃない。むしろバーバラの自尊心がラズベリーを殺そうとしている。それが何よりも悔しくて情けなかった。 シェドの諦めるなという言葉が脳裏に響く。苦しければ苦しいほど、辛ければ辛いほどに諦めることの安楽さを求めようとするのも確かだが、逆にそれでも生きたいと望む想いは強くなる。 自分はこんなところで絶対死なない。そして、ラズベリーもスピカも死なせない。 「おおおおおッ!」 「バーバラちゃんッ!」 血だらけの体を押してバーバラはラズベリーの脇から前方へ飛び出す。右足が石化して踏み出せないなら、左足で飛べばいい。左手の指が石化し始めているなら、右手でトリガを引けばいい。 ラズベリーの障壁を飛び出したせいで石化の浸食スピードがあがる。それでもバーバラは歯を食いしばりながら迫り来る土人形達に銃弾を浴びせ続けた。 両足が完全に石化し、もはやバーバラは生ける銃座も同然となる。そして右腕に続き左腕も石化していくが、フルオートの状態でトリガを引きっぱなしのまま石化した左手の銃はマガジンが空になるまで銃弾の排出をやめない。 「うああああああああ!」 「やめて、やめてバーバラちゃん! 駄目、逃げてぇっ!」 「バーバラッ! ラズベリーィッ!」 迫り来るアルフレッドの姿を模した土人形達にバーバラの放つ銃弾は微塵も効果を成していない。銃弾はずぶっと土人形の体内へ潜り込むが、決してダメージを受けている様子はなく、迫り来るスピードは一向に衰えない。 バーバラ同様に両足がすでに石化しているラズベリーが背中からバーバラの体を抱きしめ、二人の更に後方からはスピカの叫び声と共に紅の銃弾が次々と土人形に襲いかかる。 しかしスピカのフレイムショットですら、人形達を足止めできなかった。 そして眼前まで迫った土人形の一体が、バーバラの手前で大きく土の鎌を振り上げた。 「――ッ!」 絶体絶命の状況でも、バーバラは決して土人形から目を逸らさず睨み続けた。こんなところで死ぬわけにはいかない。諦めるわけにはいかないという意志を眼光に宿す。 「……なかなかいい目をしてるぜ」 「なっ……?」 ハッとした瞬間、バーバラの視界に脇から紺色の背中が飛び込んできた。 「はああああっ!」 土人形とバーバラ達の間に、まるで瞬間移動してきたように現れたのはシェドだった。シェドは咆えながら白銀銃を迫り来る土人形へ向ける。 凄まじい衝撃を伴って射出された紅蓮の銃弾が、先頭を駆ける土人形の体に命中して轟音を漏らしながら大爆発を起こす。それに巻き込まれる形で他の土人形達も散り散りの土の塊へと砕けた。 「テ、テメー……」 「お前も相当諦めの悪い性格してるみたいだな。いいぜ、そういうの。俺達はまだ生きてるんだ。どうせだったら、皆が鬱陶しいと思うくらいに意地汚く足掻きまくって生に執着した方がいい」 こちらに背を向けたまま、首より上だけ振り返ったシェドがフッと笑う。 不意を突かれたように、バーバラがシェドの小憎らしい笑みに見とれそうだった時―― 「フフ、思った通りだったね」 アルフレッドの不気味に響く高い声がバーバラを再び戦慄の糸で縛る。 バーバラがハッとして振り向いた先で、アルフレッドは口角をつり上げた気味悪い笑みを浮かべていた。勝ち誇るように、相手を馬鹿にするような視線をバーバラではなくシェドに向けていた。そして、その手に握られている漆黒の鎌からは朱色の液体がポタポタと大地へこぼれ落ちている。それを見て、思わずバーバラは目を疑った。 「え……?」 血。アルフレッドの鎌から零れるそれは、シェドの血だった。 毅然とバーバラ達の前でアルフレッドと対峙するシェドの背に、大きく引き裂かれたような裂傷が浮かんでいた。右肩の辺りから左脇腹辺りまでバッサリと裂かれた服の下で、溢れるほどの血が紺色の服を黒く染めているのが見て取れる。 さらに露出している右腕にも何カ所か鋭い刃物で裂かれたような傷があり、左腕や両足部分も数カ所、衣服が裂かれていた。 「シェドさん、その傷は……?」 体の半分以上が石化したままバーバラを背後から抱きしめているラズベリーが恐る恐る尋ねると、シェドではなくアルフレッドが、狂ったように高笑いしながら語り始めた。 「アハハハハッ! さっき言ったでしょ、僕はシェドさんの弱点に気づいたって! シェドさんってば、自分に無関係の人間だろうと誰でも守ろうとする偽善者だもんね! 絶対に他人を切り捨てられない、超が付くほどの馬鹿なんだよねっ!」 「…………」 「ドッペルゲンゲル数体がゴミ共の始末に向かったと気づいた瞬間、僕に無防備な背を晒してでも助けに行こうとするだなんて、ホント馬鹿すぎて笑いが止まらないよ!」 体を捻りながら笑い続けるアルフレッドを半分無視するように、シェドはズボンのポケットに手を突っ込みながらアルフレッドに背を向けた。 歩み寄ってくるシェドに、バーバラは何て言葉を掛ければいいのか迷う。 「テ、テメー……、オ、オレ達のこと、なんかより……、自分の、戦闘に……、専念、しやがれ……」 「……ふっ」 すぐ目の前までやってきたシェドはポケットから小さな袋を退きだし、無言でかなり石化が進行している二人の足下に袋の中身をすべてぶちまけた。 袋に収まっていたのは大小種々様々なジェムだった。 「おい、オレの、は、話を……」 「アイツの邪眼による石化は、アイツ自身がやめるか、アイツが死なない限り解けることはない。待ってろ、すぐに戻してやるさ。それまでは、いくら何も出来なくて悔しいからって無茶するなよ。石化した状態で砕けた部分は術が解けた後も再生しねぇんだからな」 シェドはそう言うと、そっと瞳を閉じ、グッと拳を強く握った。 「はああっ!」 拳を開きながらシェドが声を張り上げると、バーバラ達の足下に散らばったジェム達が眩い閃光を放ち、まるで二人を包むように淡い光のカーテンが周囲一体を覆った。 「こ、これは……? シェドさん、一体何を?」 「足下のジェムで障壁を張っておいた。完全にとはいかないが、邪眼による影響は緩和できるだろう」 「それ、じゃあ、テ、テメーが、魔弾、使えねぇんじゃ……? い、言った、だろ……。オレ達のことは、か……構うな……って……」 「心配するな。あと、傷口に響くだろうからそれ以上喋るな」 白い歯を見せながらニカッと笑い、シェドはバーバラ達に背を向けてアルフレッドと向かい直す。 面白くもない茶番を見せられたかのように、アルフレッドは肩をすくめながら「もういいですか?」とシェドを挑発した。 「さて、では次の攻撃に移りましょう」 アルフレッドが嬉々としながら鎌を振り上げて大地に叩きつけ、周辺の大地が数カ所隆起して再び泥のような土の噴射が起きる。そしてアルフレッドがアースジェムを輝かせると、それらは先程と同様に人の姿を形取り、アルフレッドを取り囲むように十体以上の土人形が構成された。 「さあて、その役立たずなゴミ共を守りながらどこまで戦えますか? キッパリ切り捨ててしまえば、確かに今のシェドさんなら僕と互角に渡り合えるみたいですけど、そうできないのがシェドさんの弱点ですよねぇ。ホント、レオと逃げ回ってる間にどんなことがあったのが、是非、根掘り葉掘り聞いてみたいところですよ」 「どんなことがあった、か。……そうだな、ニーヴルに居た頃より裁縫の技術が上がったのは確かだ。いや、裁縫に限らず、家事全般に置いてそんじょそこらの主婦に負けないという自信がついたな」 相変わらず軽口を叩くシェドを、アルフレッドが線のように細めていた目を少しだけ開いて睨め付ける。だが直ぐに笑顔へ戻し、腰を落として鎌をグッと身構えた。 「ドッペルゲンゲルはいくらでも増やせます。どんな方位からでもゴミ共を攻撃することは可能です。ほとんど石化して動くことすらできないゴミ共を守りながら、どこまで戦えますかねぇ?」 その言葉は激しくバーバラの心を抉る。何も出来ない、役立たずな自分。さらに足を引っ張るお荷物な自分が情けなくて仕方ない。 必死に噛みしめた歯茎からは血がにじみ出し、瞳の端には涙が滲んでいた。全身ボロボロの痛みなど、無力感が支配する心の痛みに比べればたいしたこと無かった。 今にもたがが外れてみっともなく嗚咽を漏らしながら泣き出してしまいそうな時、シェドがぶっきらぼうに、それでもハッキリとアルフレッド言った。 「俺はな、誰かを護りながら戦うのは得意なんだぜ?」 何のこともない言葉。けれど、何故かそれはバーバラの心に深く響いた。 「俺は一人で戦うよりも、誰かを護りながらの方が強くなれる。……器用だろ?」 「……ハッ、アハハハハッ! 誰かを護りながらの方が強いだって? そんなことあるはずないだろ! 足を引っ張るだけの他人を護りながら、どうやって全力を出すんだよ!」 「そうだなぁ。そりゃあ、中年のおっさんを護りながらじゃあ気分も乗らねぇし、それほど強くなれる気はしない。だが、後ろに居るのが女だったら違うだろ? 男なら、自分の後ろに女が居るときは意地でも護ろうと思うはずだ」 シェドの口調は軽い。友人に冗談を言うかのように、別に本心でも何でもないかのように語っている。それでも、シェドが紡ぐ言葉の一つ一つがバーバラを優しく包んでくれるような気がした。 自分は足を引っ張っているだけのお荷物だ。そんな自分を、それでもシェドは護ってくれるのだと言う。それは普段のバーバラなら屈辱で死にたくなるところだが、何故か今は頬が熱を帯びて体温が上がるのを実感していた。 「勝手に夢見てるがいいさっ! せいぜいゴミ共を必死に守りながら死んでいけッ!」 いい加減シェドの戯れ言など聞き飽きたとでも言わんばかりに、アルフレッドが狂気に歪んだ笑みを携え突進してくる。同時に飛び出した土人形達が散開し、四方八方からジェムの障壁に包まれたバーバラ達を目指して迫ってきた。 シェドはバーバラ達の前でジッと佇んでいる。バーバラは衝動に駆られ、思わずシェドの背中へ向けて声を張り上げてた。 「シェドッ!」 思えばシェドの名前を呼んだのはこれが初めてかもしれない。 バーバラは全身の傷がギシギシと悲痛な叫びを上げるのをすべて押し殺し、腹の底から響くように声を絞り出した。 「オ、オレは……、オレは、テメーに、護られる……資格、なんてない! オレは、テメーが護ろうとしていた、レオを……、レオを、ニーヴルに連れ帰ろうと、した。レオを、こ、殺そうと、した……。だから、テメーに、ま、護られる資格、なんか――」 そう、自分はシェドの憎むべき相手であるはずだ。シェドが何故そこまでレオに執着しているのかは知らないが、きっとシェドにとってレオはかけがえのない存在のはず。バーバラはそんなレオを殺そうとし、ニーヴルに連れ帰ろうとしたシェドが憎むべき相手だ。 いつの間にかバーバラの瞳からは堪えていたはずの涙が零れ始めていた。 何でこんなにグチャグチャなのか、バーバラ自身よくわからない。役立たずで足を引っ張っている事に対する自己嫌悪、謝罪。大切な人を奪っておいた側の人間でありながら、奪われた人間の優しさに護られようとしていることに対する申し訳なさ、懺悔。 嗚咽を漏らしながら泣き崩れるバーバラに、シェドの声が静かに届く。 「バーバラ。お前、確か俺のことを再三に渡ってこう呼んでいたよな?」 「……な、に?」 「“ロリコン”って。その口から一体何度そう呼ばれたことか、覚えてもいねぇよ。だがまあ、事実だからな、否定はできねぇ」 白銀銃を握る手から実体のない光の剣が伸び、シェドは腰を落としながら身構える。 「つまりだ。お前が可愛い女の子だってだけで、十二分に俺にはお前を護ろうとする理由ができる。だってそうだろ? お前が言うように俺は変態ロリコン男なんだからな」 「何を、言って……やがる。オレは……レオを……」 「アリアのことであれこれ申し訳ない気持ちでも湧いてんなら、無事に帰った後にでもあいつと友達になってやれ」 罪悪感を抱いたままシェドにただ護られることを、バーバラはどうしても受け入れられなかった。いっそ切り捨ててくれた方が楽になれるとさえ思った。けれど、こちらに背を向けたままシェドが紡いだ言葉は、バーバラが予期した言葉とは正反対の優しい言葉だった。それを優しいと感じるかぶっきらぼうと感じるかは人それぞれかもしれないが、今のバーバラには何よりも優しい言葉に聞こえた。 シェドが大地を蹴って飛び、迫り来る土人形達に銃口を向ける。 「そんなボロボロの体でそれ以上喋るなよ。ロリコンの俺としては、女の子が血みどろになってる様なんざ見たくねぇからな」 「……変態、野郎……が……」 「ケッ!」 正面から迫る土人形の鎌を左腕で受け止め、周囲からバーバラ達に襲いかかろうとしていた人形達を魔弾で撃ち抜く。さらに蹴撃で人形達の体勢を崩すと同時に高く飛び上がり、バーバラ達を包む障壁の上を飛翔しながら迫っていた人形達を軒並み撃ち崩していった。 だがすかさず漆黒の鎌を携えたアルフレッドがシェドに襲いかかり、シェドは魔法の剣を輝かせてそれを受け止める。その間に両サイドから土人形達がバーバラ達に襲いかかろうとするが、シェドは右手で握った剣でアルフレッドを制しつつ左手に魔法力を収束させて弾丸のように撃ちはなった。 砕け散った土人形の破片が障壁にぶつかってバチバチと火花を散らせながら灰と化す。バーバラ達の頭上で激突しているシェドとアルフレッドは、一度大きく互いのエモノを振りかぶって身構えた後、再度空中で激突した。 「くっ! 予想以上に頑張るじゃないですか!」 力で押し負けたアルフレッドが後方に飛び退く。だが空中を旋回しながら鎌を振りかぶり、大地に足からではなく鎌の先端から舞い降りた。 「ですが、まだまだこれからですよっ!」 激しく抉れた大地。周囲に飛び散った破片がアルフレッドの魔力を受けて鋭利に硬く、凄まじいスピードの刃となって正面からシェドやバーバラ達を襲う。 さらにアルフレッドは鎌で何度も周囲の地面を掘り起こし、幾体もの土人形を際限なく生み出し続けた。 「はあああっ!」 バーバラ達の前に舞い降りたシェドが拳を強く握りながら声を張り上げると、バーバラ達の足下に転がって障壁を張っているジェム達が一層眩く輝いた。おそらくシェドからの魔力供給を受けて威力を高めたのだろう。 迫り来る土の刃はすべて障壁が弾き飛ばし、さらに迫ってくる土人形達をシェドは次々と撃ち抜いていく。 そして再びアルフレッド本人がシェド目掛けて鎌を振りかぶった時―― 「そう言えば、ゴミはそこの二人だけじゃありませんでしたよね?」 不気味な笑みを浮かべながら囁くアルフレッドと、驚きを浮かべるシェド。バーバラは石化の影響で下半身を動かせないため、とっさに上半身だけ後方を振り返る。 「スピカちゃんッ!」 ラズベリーの叫びが響く中、後方から援護射撃を行ってたスピカのもとに三体の土人形が三方向から迫っていた。スピカが必死に弾を装填してフレイムショットを撃ち放つが、アルフレッド本人とスピカの間には圧倒的な力の差があるために分身とはいえ容易く撃ち崩すことなどできない。 フレイムショットは易々とかき消され、スピカの絶望に染まった表情がバーバラの瞳にハッキリと映し出された。 「ここで僕に背を向けてあのゴミを助けに行ったら、今度こそ致命傷は確実ですよ? それに、向こうを助けに行ったらこっちのゴミ共は確実に死んじゃうだろうしねっ!」 アルフレッドがシェドに迫り、そして十体以上の土人形がバーバラ達に四方から襲いかかろうとしていた。 この状況。バーバラ達を護ろうものならスピカは間違いなく殺される。そしてスピカを護ろうとした場合、シェド自身無傷では済まないだろうし、バーバラ達は間違いなく死ぬ。 もはやどちらも護ることなどできないだろう。だからバーバラは、せめてスピカだけでも護ってくれとシェドに言おうとした。だが―― 「言っただろ。俺は護りながら戦うのは得意だって」 「何だと?」 シェドが舞う。大地を蹴って飛び、アルフレッドに背を向けながらバーバラ達の頭上、障壁が張られている空間の上へ舞うように飛翔した。 「馬鹿じゃないかっ! 言っただろ、向こうを護りに行こうとしたら背中ががら空きになるって!」 カッと目を見開き、限界まで口角をつり上げたアルフレッドが凄まじい勢いでシェドに迫る。しかし、すぐにアルフレッドは笑みを消して驚愕の表情を浮かべた。 「おおおおおおっ!」 「な、なにっ!」 このままバーバラ達の頭上を越えてスピカの元へ駆けようものなら、背中からバッサリ引き裂かれていたところだろう。だがシェドは飛翔したものの、バーバラ達の頭上の空中で旋回し、右手は白銀銃のグリップを、左手で銃身を強く握りしめていた。 「はああああああッ!」 シェドが今まで以上に大きな咆吼を上げる。その瞬間、白銀銃から伸びていた実体のない魔法の剣が、カッと稲光のように激しい閃光を迸らせた。 まるで閃光がそのまま刀身となっていくかのように、今まで普通の長剣ぐらいだった魔法の剣が巨大で無骨な光の塊となって伸びていく。それは普通の長剣をそのまま二十倍以上に拡大した、あまりに巨大で凄まじい魔力の結晶だった。 「スピカッ! 飛べッ!」 「――ッ!」 鋭いシェドの一声に、スピカが防御もおろそかに大地を蹴って高く真上へ飛び上がる。それを確認したシェドが、巨人の斧ごとき光の剣を、バーバラ達の頭上で横に薙ぐ。 魔法の剣はスピカに迫っていた三体の土人形に側面からぶち当たり、強力な魔力で構成された剣の威力に耐えきれない土人形達の体は一瞬して溶解して元の土に戻る。さらにバーバラ達に襲いかかろうとしたした土人形達も、同様に魔法の剣で側面から潰されていく。 「ぐおおっ!」 アルフレッドは鎌で剣を受け止めるが、威力の押し負けて後方に弾き飛ばされた。激しく闘技場の壁に叩きつけられ、爆音と共に大きな穴が壁に空いた。 まさに薙ぎ払いと呼ぶに相応しい攻撃だった。何のひねりもない、剣を手にその場で一回転しただけの薙ぎ払いだが、その剣があまりに凄まじかった。 シェドが魔力の供給を抑えたのか、魔法の剣は光を失っていき元の長剣サイズへと戻った。シェドがバーバラ達の前に降り立ち、魔法の剣を肩に担ぎながらアルフレッドが飛ばされた方をジッと見やる。 テクテクと足音が響き、後方からスピカが駆けつけた。シェドが一度振り返ってバーバラ達の無事を確認した後、スピカを見つめてコクンとうなずく。それを見たスピカは、障壁をくぐってバーバラ達の側へと歩み寄ってきた。 「マジで強いな、シェドは」 「そうですね。まさかこれほどとは思いませんでした」 思わず呟いたバーバラの言葉に、ラズベリーから久しぶりにいつもの口調で声が零れる。ようやく少し落ち着いてきたのだろう。さっきまではバーバラの無茶やスピカの窮地でいろいろ動揺していただろうから。 「でも、ロリコンだって認めてた。……開き直った?」 二人を和ますよう、いや、おそらくただの天然なのだろうが、そんなスピカの言った力が抜けるような言葉に思わずバーバラは苦笑する。確かに、シェドは堂々とロリコンであることを自認していた。 「く、そ……、くそっ! こんな、ところで……。僕はこんなところでやられる存在じゃない! 僕は神に、神になるんだ! こんなところでやられてたまるかぁぁっ!」 瓦礫を吹き飛ばして壁に空いた穴からアルフレッドが飛び出してくる。シェドは真っ向からそれに向かい、再び両者の武器が激突して激しい衝撃が周囲に広がった。 シェドは強い。それは他人を護れるほどの強さを持って言うという意味で、バーバラはそう思った。そして、レオを奪った側であるバーバラのことを許す優しさを持っているという意味でも、強いと思った。 誰かに一方的に護ってもらったことなどない。チームであるラズベリーやスピカは、互いに護りあっている関係であり、一方的に頼っているわけではない。だから、シェドのようにすべてを任せて護ってくれる相手は初めてだった。 シールディアと話しているとき、バーバラは今まで自分がレオに抱いていた気持ちの根底が何であるかを知った。自分がなりたかった優しい女の子という偶像、理想をレオの中に見てしまうから、愛しくて、憎くて、羨ましかった。 それは自分に無い物を他人が持っていることへの嫉妬だったのだろう。そして今、理想の女の子像とは別に、レオに対するもう一つの嫉妬が生まれた。 「レオは、シェドに、護られてんだよな……。あんな……、強い、男に……」 強い男に護られる。それに憧れを覚えるのは、バーバラが単純な女だからだろうか。それとも早くに両親を失った後に襲った過去せいで、人一倍誰かに護られることに強い羨望を抱くようになってしまったからだろうか。 分からない。けれど今、口を衝いて出たのは紛れもない本心だった。シェドに護られているレオが、とてもとても羨ましい。 「あらあらぁ、バーバラちゃん。もしかしてシェドさんにホの字ですかぁ?」 「ん、なっ! ち、違ッ……」 いくら本心とはいえ、当然、それを他人に指摘されて肯定できるほどバーバラは大人しい人間ではない。 「ラズベリー。バーバラ傷だらけだから、そういう話は後にした方がいい。ムキなって否定したら、体に響く」 「おっと、そうでした。バーバラちゃん、この話は後ほどで」 「だ、だから、オ、オレは……、別に……」 「私は……」 オロオロするバーバラを後目に、スピカが口を開く。アルフレッドと激しくぶつかり合うシェドの背中を見つめながら、スピカは、 「私は魔弾のこと、とても気になる。あの人の手、とても大きかった。あの人の笑顔、とても優しかった」 いつになく穏やかな口調でそう言った。それこそ、まるで恋する乙女のように。 荒んでいる自分に比べてずっと純粋であるスピカのそんな言葉に、バーバラは何も言えず黙り込むしかなかった。正直、ハッキリと言葉にできるスピカが羨ましかったりもした。 たぶん、ラズベリーが言っていることは認めたくないが正しい。バーバラはシェドに少しだけ惹かれ始めている。レオを羨む気持ちが、その証拠だ。 シェドは無事に帰った後、レオの友達になってやれと言っていたが、正直なところ、それはかなりの難題に思えた。 自分の理想であるが故に憎いレオと、友達になどなれるのか。命を削って殺し合い、幸せを奪おうとした自分に、レオと仲良くなる資格などあるのか。そして、シェドに護られているレオを見て、溢れる嫉妬をすべて押し殺すことなどできるのだろうか。 今はまだ、それが出来るとは思えない。けれど人は変わっていけるのだと、バーバラはようやくそう思えるようになった。自分が生きていて、諦めない限り、何だってできる。生きがいと呼べる目標や夢に、諦めない限り突き進んでいけるのだと。 三人がそれぞれの想いを抱きながら見つめる先で、シェドは魔法の剣を手に力強く戦い続けていた。 シールディアの足下から伸びた黒い手がシールディアの胸へと深く突き刺さっている様子を、アンリエッタはフレイデリカと共に愕然と見つめていた。 ここに来るまで幾度と無く魔物に襲われてきたが、その都度シールディアは圧倒的な力で魔物達を駆逐してきた。しかしそんなシールディアですら、ガンズの一人であるキャロル相手に全く歯が立たない。 「“魔手”は相手の心の闇を探れるんだー。人は誰だって、どんなイイ子ちゃんですら必ず心に闇を持っているの。それを引き出して本人の前で晒してあげるとね、心が綺麗だって言われてる子ほど、すっごく取り乱して醜態を晒すことになるんだよー」 キャロルが片手でモノクルの位置を直しながら嬉々とした表情で語る。虚空へ向けられた反対の手をグッと握ると、シールディアに突き刺さっている黒い腕がより深くシールディアに潜り込もうと蠢き、ビクンと体を反らしながらシールディアが引きつった表情を浮かべた。 それは恐怖に歪んだ表情そのものだった。今まで殆ど表情を変化させなかったシールディアが顕著に見せる、色濃い恐怖に染まった表情。 「さてさて、人の姿をしているときのドラゴンにも、心の闇はあるのかなぁ? 醜くて汚い心はあるのかなぁ? 実はすっごく気になってたんですよー」 「あぁ……。あ、ああ……」 開いた瞳孔で虚空を見つめ、喉から恐怖に歪んで震えた声を漏らすシールディアをアンリエッタは黙って見つめることしかできなかった。 自分とキャロルの間には圧倒的な力の差があり、キャロルに対する畏怖の念がアンリエッタの両足を大地へぴったりと貼り付けて全身を塗り固めている。 「うふっ、見ぃーつーけたっ! あははっ! へぇ、ドラゴンでも人の姿をしてるときは心の闇があるんだーっ」 先ほどと変わらぬ嬉々とした声音で話す反面、キャロルの表情は背筋が凍り付くかと思うほどに冷たいものに変わっていた。思わずアンリエッタは後ろ足を一歩退く。 他人の心を直接のぞき込もうとしている行為自体に、アンリエッタは言葉に表しがたい恐怖を抱いていた。そして今、シールディアの心の闇を見つけたと言ったキャロルの表情を見て、さらにその恐怖が深まる。 悪魔のような、まるで穢らわしいものを上から見下ろすような侮蔑に満ちた笑み。 「へぇー……。綺麗なお顔をしてるのに、あなたの心には嫉妬の黒い炎が燻っているのね。そして他人の犠牲の上に立ってでも生きたいという執着、自己欺瞞に対する罪悪感、大切な人を殺しても構わないほどの独占欲。うふ、あはははっ! すご、すごーいっ! まるで本物の人みたいだねーっ!」 「――っ!」 キャロルの言葉を受けてシールディアが一層引きつった表情を浮かべる。今にも泣き出しそうな垂れ下がった眉尻と震える唇。震える小さな肩がアンリエッタの瞳にハッキリと映し出された。 「あはははっ! ホント穢らわしいねーっ! やっぱり私達の神が創った存在は人もドラゴンもみーんな穢らわしいっ! みんな心の闇を隠して偽善者を演じるお馬鹿さんばかりだものっ!」 キャロルが虚空に伸ばしていた腕を引くと、シールディアの胸に突き刺さっていた黒い拳が空気にとけ込むように消えていった。 グッタリとシールディアが頭を垂らす。辛うじて立ってはいるが、まるで心を抜け落ちてしまったように、俯いたまま無言で佇んでいた。 穢らわしいモノを見下すような視線をシールディアへ向けたまま、キャロルがポケットからナイフを取り出して腰を落とし、静かに構えをとった。 間違いなくあの攻撃だろう。相手の影から黒い槍のようなものを突き出す攻撃。 万全の状態であれば何らかの防御姿勢をとって緩和できるはずの攻撃でも、放心状態の今のシールディアに防ぐ手段はない。このままでは心臓を一突きされ、それで終いだ。 そう思った瞬間、アンリエッタは反射的に駆けだしていた。今まで恐怖が全身を支配していたのが嘘のように、そうしなければならない衝動に駆られた。 あの子を護ってあげたい。それはドラゴンであるシールディアに対しては失礼な想いなのかもしれない。けれど、まるでどこにでも居る普通の女の子みたいなシールディアが戦う様を見ていると、何も出来ずにジッと突っ立っていることなどできなかった。 「穢らわしい存在はすべて滅んでしまえばいいんですよっ!」 キャロルが目を剥いて鋭く虚空を突いた瞬間、シールディアの足下が歪み、影から黒くて鋭い突起がシールディアへ襲いかかった。 「させるものですかっ!」 黒い槍がシールディアの胸を穿とうとする直前にアンリエッタは側面からシールディアの前に飛び出し、そしてシールディアの影から伸びた黒い槍を両手で受け止めた。 実体が在る以上止められると踏んでいた。回避は不能でも防御は可能だと。 「あらら? あたし、あなたのお相手は後でって言わなかったかなぁ?」 「そうだったかしら? あなたが何を言ったのか覚えてませんが、私は何も了承した覚えはありません」 「あっそう? んじゃあ、一緒に消えちゃいなさぁい」 キャロルが肘を曲げ、ナイフを投擲する構えを取る。アンリエッタは先手を打たせまいと、地を蹴ってキャロルへ迫った。 「ふふっ、あなたはアンリエッタの方だね。未だにどっちがどっちか、すぐには判断できないのよー」 不敵に微笑みながらキャロルがナイフを投げつけてきた。しかしそれはアンリエッタへ真っ直ぐ迫るのではなく、ゆるやかな放物線を描きながら何もない方へ飛んでいった。 だがすぐさまナイフが進む先の空間が歪む。アンリエッタが右手の手っ甲に埋め込んであるアイスジェムを輝かせながら腕を振りかぶった瞬間、突然体の自由が利かなくなってアンリエッタはその場に凍り付いてしまった。 体が動かない。まるでアルフレッドの特技である邪眼を受けて全身が石化してしまったように、指先一つ、動かすことが出来なくなってしまった。 「これは特技そのナントカって番号をつけるまでもない技。あなたの影に干渉しただけ」 「な、何ですって……?」 見ればいつの間にかアンリエッタの影に先程キャロルが投擲したナイフが突き刺さっていた。アンリエッタの影をナイフが捉えて大地に括り付けている。 「物が動けばその影も動く。当然、影が動けばその物も動くわけでしょ? ならその反対、物が動かなければ影は動かない。そして、影が動かなければ物も動かないってワケよー」 「ぐっ!」 「アンリエッタッ!」 背後からフレイデリカの声が響く。だが直ぐさまキャロルが全く同じ動作を繰り返し、後方から「うっ!」という呻き声が響いた。 「大人しくしてればもうちょっとくらい長生きできたのにねー。ま、早く死にたいんだったら望み通りにしてあげるけどさー」 アンリエッタとフレイデリカの影を縛ったままキャロルがにこやかに笑う。両手に鋭いナイフを構え、腕を交差させながら胸の前に置いた。 「殺す前に二人の心の闇も見てあげようかー? そのドラゴンを護ろうなんて殊勝なこと考えたみたいだけどぉ、本当は心の中は闇だらけだってこと教えてあげようかー?」 「……遠慮するわ。見られるまでもなく、私自身、自分の心に大きな闇が広がっていることくらい知っている」 「あら、そう? つまんないなぁ。自分を良い子ちゃんと思ってる子ほど、そういう自分の汚い部分は見たくないって思うものなんだけど、アンリエッタは認めちゃってるんだ」 認めるも何も、それは事実なのだから認めざるを得ないというのが正しい。 本当は自分の中にある汚い部分は目を瞑りたい。ようやく過去の自分と決別して前に進もうと思えるようになった今のアンリエッタは、歪んで荒んで穢れた心を自分が持っているということからは逃げたいと強く願っていた。 けど、心の闇から逃げる事なんてできない。完全に消え去ることなどないだろう。 「――だって私は人間だもの。私達人間は誰だって心に闇を隠している。でも、だけど、それが私達人間なのよ! 真っ白な心を持ったままの人間なんていないわ!」 「ふーん……。何か、開き直ったみたいな言いぐさね」 「そうかもしれないわ。自分の心の汚さを正当化しようと必死に弁明しているだけかもしれない。でも、例えそうであったとしても私は思う。私達人間はとても卑しくて醜い存在だけど、だからこそ優しくされたときは素直に嬉しくて温かい気持ちになれる! 裏があるからこそ表が光り輝くんだって、そう思うわっ!」 体の動きを封じられた状態で何を粋がっているのか。キャロルの侮蔑に満ちた目はそう語りかけていた。しかしそれでも、アンリエッタは自分の主張を視線に籠めてキャロルを睨め付ける。 「聞いてて不快になるばかりだけどぉ、ま、いいわ。どうせ今の人間達はみーんな死んじゃうんだしね。最期に言いたいことは全部言ってから死んじゃいなさーい」 アンリエッタの叫びを耳にすればするほど不快に顔を歪めていたキャロルが、両肘を引いてナイフを振り上げた。キャロルの前の空間が歪み、その歪み目掛けてキャロルがナイフを突き刺す。 ここまでかとアンリエッタはグッと瞳を閉じた。次の瞬間にもアンリエッタの影が歪み、飛び出したナイフで胸を穿たれてアンリエッタは死ぬだろう。全身の自由が利かない今、防御の姿勢を取ることすらできない。 死を覚悟した次の瞬間―― 「凍れッ!」 アンリエッタのすぐ後ろから凛とした幼さの残る声が周囲に響いた。 ハッとして瞳を開いたアンリエッタの視界に、自分の影から伸び、胸の直前で真っ白に凍り付いている鋭い槍のような突起が映る。 「砕けッ!」 その声に呼応して胸の前にあった凍りづけの槍が粉々に砕け散った。そして同時に、前方のキャロルが「うっ!」と呻き声を漏らし、よろめきながら一歩足を引いた。 見れば、キャロルが握っていた二本のナイフが粉々に砕け散っていた。 さらにアンリエッタの影に突き刺さって動きを封じていたナイフも粉々に砕け散っており、アンリエッタはバランスを崩してその場に倒れ込んでしまった。 「う、うふふ……。影を凍らせるなんて、器用な女の子だね……」 キャロルが睨め付ける先、そしてアンリエッタ振り返った先に力強く立っているのはシールディアだった。 心が抜け落ちてしまったような様子から一転、覇気を纏って毅然と仁王立ちしている。 「ありがとう、アンリエッタ。そなたの言葉のお陰で、私は立ち直ることができた」 「え……?」 「人間は誰だって心の闇を隠している。でもそれが人間だと、そなたは言った」 シールディアは穏やかな笑みを浮かべていた。それは会ってからずっと感じていた無表情に近い表情ではなく、とても人間味に溢れた優しい笑顔だった。 「キャロルに心の闇を見られたとき、私はとても怖かった。私の中に汚い部分があることを、そして自分でも目を瞑っていた偽りの本心を言い当てられたとき、胸が張り裂けそうだった。けれど、それはむしろ喜ぶべきことかもしれないと思えるのだ」 「えー、何で? 何で喜ぶのぉ? だって醜い心を持ってるんだよ? 汚らしい、穢らわしい存在なんだよ、あなたも。それなのに何で嬉しそうな顔してるの? ……そんな顔されると、正直かなりむかつくんですけどぉ?」 キャロルが再び白衣のポケットから新しいナイフを取りだして身構える。シールディアはそんなキャロルではなく、アンリエッタの方を見つめて可憐な笑みを咲かせていた。 見る者を穏やかな気持ちにさせる無垢な笑顔。それは魔練器じみた無機質な物ではなく、暖かさを内包した人間らしくて愛らしい笑顔。 「心に闇があるのは人間の証。それは私の心がそれほどまで人間に近づけたという証なのだと思う。ドラゴンである私は本来自我を持たず、心などというものも持ち合わせていなかった。けれど今は、この胸の奥にシールディア=エガンフィスという一人の少女として、人間の心を持っているのだと実感できる。美しさも醜さも併せ持った、ヒトの心を」 「それが分からないわ! 何で人間の汚い心なんか欲しいと思うのぉ? 自我がないっていう真っ白なドラゴンのままでよかったじゃない! わざわざ汚い心なんか持たなくていいじゃない!」 今まで落ち着いた様子だったキャロルが声を荒らげながらナイフで虚空を突く。シールディアの足下が歪んで黒い槍が飛び出すが、シールディアは動じることなく右手をそっと前にかざした。 「――な、えっ!」 キャロルが驚きの声を漏らす手前、シールディアの影から伸びた黒い槍は瞬く間に厚い氷によって固められてしまった。シールディアがかざしていた右手をグッと握りしめると、凍り付いた槍は粉々に砕け、キャロルの手に握られていたナイフも砕けた。 「私は必死にヒトになろうと、オンナノコになろうと自分がドラゴンであることを否定しようとしてきたが、もうその必要はないのかもしれない。私がドラゴンであるのは逃れようのない事実だ。しかし同時に私の心はもうかなりヒトに近いところまで成長できたのだと思えるようになった」 「だから何なのっ! 何が言いたいのっ!」 「私はドラゴンとしての力をすべて使う。全力で戦い、私がドラゴンであることを世界に提示することになろうとも、それでも私の心はヒトであると私自身が信じられるようになったから!」 凛と前を見据えたままシールディアはそう言い切って右手を天井へかざした。琥珀色の瞳をスッと閉じ、その小柄の体を寒々とした蒼いオーラが包み始める。 シールディアを包む光は徐々に強くなり、アンリエッタはあまりの眩さに瞳を閉じた。 『ギャオオオオオオンッ!』 凄まじい咆吼が周囲の空気を激震させ、同時に生じた圧倒される存在感がまるで周囲の重力を増加させたようにアンリエッタの体に負荷を掛ける。 ズゥンと轟音を響かせながら何者かが大地に降り立ち、アンリエッタは恐る恐る目を開けた。 白銀に輝く鱗に表皮を覆われた巨大で雄々しいドラゴンがそこにいた。美しい両翼をゆっくりと羽ばたかせながら、全身を白い雪がブリザードのようなオーラとなって包み込んでいる。 それはワイバーンやダークドラゴンといったアンリエッタが見たことのあるドラゴンとは別次元の存在であるように美しいドラゴンだった。 「あは、あははははっ! そっか、それがあなたの本当の姿なのねっ! 見た目が可愛らしい女の子だったから忘れてたよー」 『可愛らしいという賞賛は素直に嬉しく思う』 「――っ!」 ドラゴンの姿になって上げた咆吼は少女の姿をしていたシールディアとはかけ離れたものだった。しかし今、まるで頭の中に直接響いたような声は、少女の姿をしていたシールディアのハスキーがかった声そのものだった。 『行くぞ。私の全力をもってそなたを倒す。ヒトを護るため、そして大切な友を救い出すために!』 ドラゴンとなったシールディアの咆吼が次元を揺るがすほどに大気を鳴動させ、あまりの衝撃にキャロルが気圧されたように一歩後ろ足を引く。 神が創りし人を守護する存在、ドラゴン。その本当の戦い様を、アンリエッタは息を飲みながら刮目する。 スピカ達のいる小さなドーム状の障壁からかなり離れた場所でシェドとアルフレッドは戦い続けていた。 ガンズであるアルフレッドに対して優位に戦闘を進めるシェドと、焦りを隠せないアルフレッド。余裕がないのか、先程からアルフレッドはスピカ達の方へ土で造った分身を送りつけることをやめていた。 下手に魔力を分散させては勝機がないと判断したのだろう。そしてシェドの弱点とした、他人であっても見捨てられない甘さを利用しようとしても、シェドの実力の前では無意味だと悟ったのかもしれない。 「はあ……、く、はあ……」 すぐ近くからバーバラの荒い息づかいが聞こえてくる。体の七割近くが石化している上、全身傷だらけだ。ラズベリーも苦しげに表情を歪めているが、バーバラほどではない。 「バーバラ、大丈夫?」 「ああ……。まだ、まだまだ、オレは……、た、戦えるぜ!」 「バーバラちゃん……」 必死に虚勢を張るバーバラと、そんなバーバラを心配そうに見つめるラズベリーを後方から見つめた後、スピカは視線を上げて前方の激戦を瞳に映す。 アルフレッドが倒れるまで、二人の体を蝕む邪眼による石化は止まらない。完全に石化してしまったら、もはや打つ手はなくなる。 スピカは祈るような気持ちでシェドの背中を見つめ続けた。 「くそっ! くそっ! 何でなんだよ! どうして僕がシェドさんなんかに遅れをとるんだ! こんなの絶対におかしい! おかしすぎる!」 漆黒の鎌で周囲の空間を蹂躙しようとするアルフレッドに対し、シェドはアルフレッドを凌ぐ早さで身をかわしつつ魔弾でアルフレッドにダメージを与えている。鎌の間合いに入ったり出たりを繰り返し、刹那のタイミングで直撃を避けながら確実な攻撃を仕掛けていた。 「ぐっ! こ、こんなはずない!」 決してシェドが圧倒的に優勢というわけでもない。シェドの身を包む衣服もあちこち裂かれており、また背中の大きな傷から滲み出ている血がシェドの体力をどんどん奪っているはずだ。 「おおおおっ!」 だがそれでもシェドは力強い踏み込みで、漆黒の鎌をかわしながらアルフレッドの懐に潜り込み、ゼロ距離での魔弾を直接繰り出した。迷いなど全く感じられないその気迫がそのまま弾丸に付与されたように、紅蓮に染まった銃弾はアルフレッドを燃えさかる炎で包みながら凄まじい大爆発を生む。 「ぐああああああっ!」 アルフレッドの体が宙を舞って後方へ吹き飛ぶ。しかし魔弾の直撃を受けたにもかかわらず、アルフレッドは空中で旋回しながら地面に足から降り立ち、鬼のような形相を浮かべて直ぐさまシェドに鎌で襲いかかった。 「負けるものかあああっ! 僕は、僕は神になるんだああああっ!」 「お前は神になんかなれねぇよ!」 「黙れぇぇぇぇっ!」 シェドの銃から光の剣が伸び、アルフレッドの鎌を受け止める。眩い光が散り、激しい衝撃波で地面が抉れ、アルフレッドが抉れ上がった土へ魔力を流し込んで鋭い土の刃を作り上げてそれらをシェド目掛けて撃ちはなった。 鎌を力任せに押して弾き飛ばし、シェドが左足で地面を蹴って後方へ飛びながら迫り来る無数の土の刃をすべて魔法の剣で切り払う。そして直ぐさま右足で地面を蹴り出してアルフレッドに魔法の剣で斬りかかった。 再び鎌と剣がぶつかり合って凄まじい衝撃をうむ。それはスピカ達を包む魔法障壁を激しく振動させるほどの激しい衝撃波だった。障壁の外にいればそれだけでかなりのダメージを負うことになるだろう。 実力はシェドの方が上。だがそこに圧倒的な差はなく、優位とはいえシェドもアルフレッドに致命傷を与えられていない。 このまま戦いが長引けば、間違いなくバーバラとラズベリーの体は完全に石と化してしまうだろう。 「そんなこと……、させない」 下唇を噛みしめながらスピカはそう呟いた。 どうして自分たちが今、世界崩壊に抗って必死に生きようとしているのか。それはまだ生きていたいという意志。そして、まだ三人で一緒に居たいという意志があるからだ。 三人一緒じゃなければ意味はない。誰か一人でも欠けても駄目だ。 シェドとアルフレッドの激突をキッと見つめながら、スピカは大きく前足を進めた。 「え……? スピカちゃん、何を?」 「フレイムショットでシェドの援護をする」 「な、ば、馬鹿っ! ス、スピカの、豆鉄砲、じゃ……、アルフレッドの防御は、つ、貫け……ねぇよ!」 「わかってる。でも、今のアルフレッドになら、ダメージを与えられなくてもいい」 「それは、どういう……?」 不安そうなラズベリーと泣きそうな顔で怒りを表しているバーバラに微笑んでから、ラズベリーは二人の脇を抜けて障壁から外へ出る。 障壁を出た瞬間、前方から凄まじい衝撃波がスピカを襲った。サイドテールでまとめていたフォレストグリーンの長い髪が、リボンが千切れてバサバサと衝撃で舞う。 衝撃波が生み出す真空の刃に皮膚を裂かれながら、スピカは片膝をついて背負っていたスナイパーライフルを構えて望遠レンズをのぞき込んだ。 「や、やめろ、スピカッ! アルフレッドに……、気づかれたら、こ、殺されるぞ!」 「お願い、スピカちゃんっ! 戻ってっ!」 大好きな二人の、違った形でのスピカに対する心配が響く。それらを聞きながら、やはりまだ二人と一緒にいたいとスピカは強く想った。 爆音が絶えず轟く空間に、静かにスピカのスナイパーライフルが乾いた銃声を鳴らした。 引き金の引かれたライフルから飛び出した銃弾はフレアジェムの魔力を帯びて朱色に輝いている。そして一度閃光を発してから、それは紅蓮の炎となってアルフレッドに襲いかかった。 「なにっ!」 「――ッ!」 フレイムショットに気づいたアルフレッドが、障壁を張ってあっさりとそれをかき消す。驚いた様子で目を見開くシェドの手前で、アルフレッドは激昂を絵に描いたような形相で凄まじい殺気に満ちた目でスピカを睨め付けた。 「この、ゴミがあああああっ!」 アルフレッドが目の前のシェドなどお構いなしにスピカ目掛けて迫ってくる。一瞬遅れてシェドがアルフレッドの後を追うが、この距離ではシェドがアルフレッドに追いつくよりアルフレッドがスピカを鎌で引き裂く方が早いだろう。 それでもスピカはその場を動かず、一瞬で空薬莢を排出して次弾を装填し、もう一度照準を迫り来るアルフレッドに合わせた。 「逃げてっ、スピカちゃんっ!」 「スピカァッ!」 サイト内でアルフレッドが鎌を振りかぶり、次の瞬間にもスピカを引き裂かんとしていた。 スピカはそっと瞳を閉じる。生きたい、三人一緒に生きていきたいという想いを心に強く描き、二人の笑顔を脳裏に思い起こす。 スピカはエインフェリアとして多くの罪を犯してきた。多くの者の命を奪ってきたし、多くの者を不幸にしてきた。本来なら、生きたいという願望など抱いてはいけない身だ。 けれど、それでもスピカは願った。掛け替えのない仲間達との未来。世界崩壊という形などで終わらせたくない、自分たちのこれから。 自分勝手で構わない。自己中心的でも構わない。三人一緒のこれからを生きていけるなら、それでいい。 すべての想いを籠めて、スピカはトリガを引いた。朱色に染まった銃弾がマズルフラッシュを伴って射出され、一直線にアルフレッドへ迫る。 「ゴミの弾なんかが僕の障壁に通用するとでも思っているのかっ! さっき弾かれたのを見てなかったのかよっ!」 「…………」 「死ねっ! 死ねっ! 死ねっ! 神である僕の邪魔をするゴミどもはすべて滅べっ!」 「私は、死なない! 私達は、死なない!」 スピカの叫びに呼応して銃弾が眩く輝く。そしてそれは、先程とは比べものにならないほどの猛々しい業火となって燃え上がった。 「な、なにぃっ! ぐ、ぐおおおおおおっ!」 易々とかき消せると踏んでいたのだろう。先程はなったフレイムショットと同程度の威力なら、瞬く間にかき消されたはずだ。だが、今の一撃は違う。 スピカの心から溢れるすべての想いを籠めた、荒波のようにうねりを伴った激しい炎。一瞬驚いた表情を見せたアルフレッドだが、すぐにアースジェムで障壁を張り、スピカの想いがすべて籠もったフレイムショットを木っ端微塵に霧散させた。 やっぱり自分の攻撃ではアルフレッドに届かなかったと、スピカは寂しい気持ちを抱きながら、憤怒の形相を呈したアルフレッドを見上げた。 「死ねえええええっ!」 これでよかった。最初から、自分の攻撃がアルフレッドに届くとは思っていなかった。 必要だったのは、たった一瞬のラグ。それを作れただけで、自分の攻撃にはちゃんと意味があったのだ。 「うおおおおおおっ!」 「な、なにっ!」 完全に我を忘れてスピカを切り裂こうと迫っていたアルフレッドのすぐ背後にシェドの姿が現れる。その手に握られている白銀銃からは眩い光を帯びた魔法の剣が伸びており、完全に無防備な背後をとられたアルフレッドが愕然とした表情を浮かべた。 漆黒の鎌がスピカの身を引き裂くより早く、魔法の剣がアルフレッドを貫いた。 「ぎゃああああああああ! あああああああああああ!」 「……終わりだ」 魔法の剣で背中から突き刺し、胸を貫いた状態のままシェドが白銀銃の引き金を引いた。 「がはっ!」 一度大きく体を仰け反らせて口から血の塊を吐き出し、シェドが魔法の剣を引き抜くと、糸が切れた人形のようにアルフレッドの体は大地へ倒れ伏せた。 シェドの腕から伸びていた魔法の剣が色あせていき、空気中に溶け込んでいく。シェドが呻きながら大地に突っ伏しているアルフレッドを少し物悲しげな表情で一瞥した後、柔らかな表情でスピカを見た。 「ば、馬鹿な……。こんな、こんな……。う――っ! うがああああああああああっ!」 地面を這ってその場を離れようとしていたアルフレッドの苦しみ方が急に変化し、全身が痙攣したかのように地面をのたうち回る。 そして次の瞬間、手足の先からアルフレッドの体が石に変わり始めた。 「ぐあああああああっ! く、くそっ! ぼ、僕の魔法耐性が、邪眼に耐えられなく……。があああああああああっ!」 藻掻きながら地面を転がり回り、激しく叩きつけられた石化部分が粉々に砕けていく。両腕を失い、両足を失い、首より上以外すべてが石になってもまだアルフレッドはあがき続けていた。 「ぼ、僕はこんなところで終わる存在じゃないんだ! 僕は、僕は神になるべき人間なんだ! こんなゴミ共に、やられるはずがない! こんな結末……、絶対に認めるもんかあああああああああっ!」 最期の咆吼上げてアルフレッドの体は完全に石と化し、風化していく石像のようにサラサラと見えない程細かな砂粒となって舞い散っていった。 主を亡くした漆黒の鎌だけが残り、辺りに静寂が訪れる。 「あ……」 小さく響いた驚きの声に振り返ると、スピカの瞳に石化が解けて自由になったラズベリーと、全身血だらけの状態でラズベリーに抱えられたバーバラの姿が映った。 「バーバラ……。スピカ……。よかった」 ずっと続いていた緊張の糸が切れ、自然と涙が溢れてきた。満身創痍ながらもバーバラが強がって白い歯を見せ、ラズベリーもポロポロと涙を零しながら笑みを浮かべる。 「まったく無茶しやがって。だが、助かった。お前が放った魔弾には、お前の想いが強く籠められていた」 「うん、シェドが教えてくれたこと。ちゃんと、できた」 魔法の威力は使い手の心の在り方で変わる。スピカは自分の想いがアルフレッドを足止め出来ると信じ、そして足止めできればシェドが助けてくれると信じた。 微笑みながらシェドがポンポンとスピカの頭を軽く叩き、傷だらけのバーバラに近寄って右手をかざした。 ヒールジェムを使っているのか、優しい光がバーバラを包み出す。 「もう少しお淑やかになったらどうだ? 傷跡が残ったら嫁のもらい手がなくなるぞ?」 「なっ、テ、テメー! うるせーよ!」 「……そっちは大丈夫か?」 「はい、私は大丈夫ですぅ。ですから、せっかくの玉肌に傷が残らないよう、バーバラちゃんの手当てをお願いします」 ギャアギャアとシェドに文句を言いながら治療を受けるバーバラと、まるで反抗期の娘を見つめるような表情を浮かべるシェドを見つめていると、ふとラズベリーがジッとこちらを見ていることに気づいた。 視線が絡むと、ラズベリーがスピカの方へ歩み寄りながらにっこり微笑む。 「スピカちゃん、ありがとうございます。私達が無事なのは、スピカちゃんのお陰です」 ラズベリーは自分の髪を結っている藍色のリボンを解き、それでボサボサになってしまったスピカの髪を結い直してくれた。 「ううん。全部、シェドのお陰」 「いえいえ。スピカちゃんがああして隙を作ってくれたから、シェドさんもアルフレッドを倒せたのだと思います。もしあのまま戦いが長引いていたら、私達は完全に石化してしまったでしょう」 「……まだ三人一緒に居たかったから、がむしゃらだった」 はにかみながら答えると、ラズベリーは満面の笑みで応えてくれた。 ラズベリーがふと視線を落とし、亡骸すら残さずにこの世から消えてしまった主の手を離れた漆黒の鎌を見つめる。スピカもラズベリーに習った。 きっとアルフレッドにも夢に描いた自分の未来があったはずだ。どんなに自分勝手で他者の幸福を顧みない未来を望んでいたのであっても、同じように自分勝手な理由で生きるために必死だったスピカに、それを咎める資格はない。 「アルフレッドは、私達のもう一つの姿だったのかもしれませんね。他者の幸福を奪ってでも自分たちの理想を追求し続けるニーヴル。その内に生きる私達の」 「……うん」 ラズベリーの言葉に小さく頷き、スピカは漆黒の鎌に背を向けてシェドとバーバラの元へ駆けだした。 美しい銀竜となったシールディアが咆吼を上げ、その翼を大きく広げた。そしてフレイデリカが見守る手前で羽ばたきながら舞い上がり、空中から凄まじいスピードでキャロルへ迫った。 「飛べば影が消えるとでも思ったの? お馬鹿さんだねーっ!」 キャロルが虚空に手をかざすと、闘技場の床に映ったシールディアの巨大な影から次々と鋭く長い針のようなものが伸び、飛翔するシールディアへ一斉に襲いかかった。 『凍れッ!』 「――っ!?」 ドラゴンの姿になってから、シールディアの声はまるで頭の中に直接響いてくるように感じた。その声が命じたままに、シールディアへ迫っていた黒き針がすべて一瞬にして氷と化す。 シールディアが巨大な腕を振りかぶって鋭い爪でキャロルの頭上から襲いかかった。キャロルが、移動するという行為を省略した瞬間転移でシールディアの攻撃をかわすと、シールディアの爪は闘技場の地面を深々と抉ってクレーターのような大穴が空く。 「あはっ! 無駄だよーっ! 言ったでしょ、あたしは自分の影が伸びている場所ならどこにだって移動できるって!」 『そうだったな。ならば、そなたの影が伸びている場所も含めてすべてを凍らせればいいだけのこと』 翼を折りたたんで胸部を覆い、シールディアの全身を包むブリザードのオーラが一層勢いを増す。いつの間にか闘技場内は雪の降り積もる白銀世界のように白一色で染められていた。 フレイデリカは自分の吐く息の白さを視界に映しながら、シールディアの戦い様を静かに見つめていた。 『はあああああっ!』 シールディアの叫びがフレイデリカの頭に響き、シールディアが翼をバッと開いて鋭い牙がのぞく口から輝く息をキャロルへ迸らせた。 「無駄だって言ったでしょーっ!」 キャロルが瞬間的に移動して輝く吐息を回避する。絶対零度の輝く息はそのままキャロルの側面を駆け、その後方の地面に当たって巨大な氷の柱を作り上げた。 シールディアは息を吐き続ける。左右に首を振りながら、闘技場内に次々と氷の柱を作り上げ、キャロルの位置が瞬きする度に変化する。 「いい加減、諦めちゃったらー? 苦しまないよーに、一瞬で影を引き裂いてあげるからさーっ!」 『観念するのは、そなたの方だ』 「えっ……?」 無数の巨大な円錐型の氷柱がフレイデリカの視界を埋め尽くし、その中心部にキャロルの姿はあった。シールディアはその頭上に翼を広げて佇んでいる。 『砕け散れッ!』 「――っ!?」 シールディアの叫びに呼応して、無数の氷柱がすべて粉々に砕け散った。細かな氷の結晶となって、無数の欠片が周囲一体をまるで光のように包み込む。 光の欠片が無数に散らばったように、キラキラと眩い光の洪水が周囲を流れ、キャロルがその中心にポツンと取り残された一点の闇に見えた。 「こ、これは……? 光? いえ、乱反射? ……ふふふ、何をしたいのかわかんないけどー、どんな攻撃だってあたしには当たらないよーっ」 『そなたがいる空間全てを氷らせる。逃れられるのならば、逃れてみるがいい』 シールディアがキャロルの頭上で再び翼で全身を覆う。おそらく魔法力を高めてエネルギーを集中させているのだろう。空間ごと凍結させるともなれば、かなりの魔力を消費することになるはずだ。 だがチャージが長ければ長いほど相手に隙を与える。逃げられる時間を与えてしまう。自分の影が伸びている場所ならどこにでも逃げられるキャロルが、黙ってシールディアの攻撃を待っているはずがない。 「お馬鹿さんねーっ! ドラゴンのおつむは空っぽなんじゃないかなーっ! あはっ!」 指輪の形をした小型魔練器灯がポッと光を灯し、キャロルが華々しい笑みを浮かべた。指輪のはまった手を伸ばし、光の角度を調節して移動したい位置まで自分の影を伸ばそうとしているのだろう。 そしてフレイデリカの視界からキャロルの姿がシュッと消えた。瞬きをした間に、別の場所へ移ったはずだ。 何処へ行ったのかとフレイデリカは忙しく目を動かす。だが、それはすぐに見つかり、先程の位置からほんの数メートル移動しただけで、いまだ光の洪水の中にあった。 「えっ、そんな、どうして?」 驚きを隠せないキャロルが目を剥いてシールディアを見上げる。シールディアの全身を青白いブリザードのオーラが凄まじいうねりを伴って轟々と包んでいた。 「そうか」 「えっ? アンリエッタ?」 フレイデリカの隣まで歩み寄っていたアンリエッタが、ふと思いついたように声を漏らした。 「光の屈折。無数の氷の欠片が光を乱反射させ、光を空間内で何度も何度も屈折させているのよ」 「……じゃあ、光と共にキャロルの影も?」 「おそらく」 何度も何度もキャロルは瞬間転移を繰り返すが、何度やっても移動先は光の牢獄の中だった。余裕に満ちていたキャロルの表情が、焦りを含んだものへと変化していく。 「こんなはずないっ! 光が外へ抜ける道はちゃんとあるのに、どうしてあたしの影は外へ伸びないのっ!」 もし完全に光があの中だけで屈折を繰り返しているのなら、フレイデリカとアンリエッタに内部の様子は見えないはずだ。だが、外から中の様子が窺えると言うことは、内部から外へ零れる光もあるということ。 ならば何故、キャロルは外部へ逃れられる軌跡に自分の影を伸ばせないのか。 『簡単なことだ。そなたの影は私の創り出した氷の欠片によって無限に近い屈折を繰り返し、すべて空間内で吸収されている。今のそなたに、影はないのだ』 「そんなの不可能よっ! 影を消すことは、その本体を消すことと同義よ! あたしがここに居るのに、影だけ消すなんてことは無理だわっ!」 『ならば訂正しよう。そなたの影は無数の粒となってその空間内を漂っている。そしてそれらは決して外へ逃れられない』 「違う! 違う! 違う! そんなこと、あり得ないわっ!」 『……そなたの、負けだ』 シールディアが翼をバッと開き、その美しい全身を衆目に晒す。全身を包んでいたブリザードのオーラは口元に集い、収束された輝く吐息が一直線にキャロルを閉じこめる光の牢獄へ迫った。 すべてを凍り付かせる絶対零度の吐息。光の空間にぶち当たったそれは、直視できないくらいに眩い光を多量に漏らして周囲一体をすべて白で染め上げた。 瞼を固く閉じたままでも世界が真っ白だと思えるくらいに凄まじい光。それが収まっていき、周囲に静寂が訪れる。恐る恐るフレイデリカが瞳を開くと、目の前には寒々とした無骨で巨大な氷の塊があった。その内に、驚愕に染まったキャロルの姿がある。 「終わった……の?」 「そう、みたいね」 目の前にある閉ざされた氷の世界に浮かぶキャロルの姿を見上げながら、アンリエッタ共に安堵の息を漏らす。 頭上からシールディアが降下してきて、ズゥンと大地を揺らしながらフレイデリカ達の前に降り立った。 『二人とも、無事で何よりだ』 「はい。これもシールディアさんのお陰です」 ドラゴンの姿のまま見つめられると少し萎縮してしまう気がしたが、シールディアの体はすぐに光に包まれてその全身を確認できなくなった。 そしてパッと光が散り、柔らかな光を纏う人の姿に戻ったシールディアがフレイデリカの瞳に浮かび、光が徐々に収まってシールディアの雪のように白い肌が周囲に晒された。 開かれた琥珀色の瞳を見つめながら、フレイデリカはシールディアに歩み寄る。 「そなたの一言があったから、私はドラゴンの姿になって戦うことができた。感謝する」 フレイデリカにそう話しかけてきたシールディアの表情は、戦いの前よりもずっと人間味に溢れた温かなものに思えた。素直に可愛いと見とれてしまいそうな、少女らしい笑み。 「私はずっとドラゴンである自分から目を背けていた。だが、大切なのは外見ではなく、心の在りようなのだとそなたの言葉が教えてくれた。ドラゴンであっても、確かに私の心はヒトのそれなのだと、信じられるようになった」 「ええ。シールディアさんは、誰が何と言おうと優しい心を持った女の子ですよ」 ずっと燻っていた想いが晴れたように麗らかな笑みを浮かべるシールディア。そんなシールディアを見つめながら、フレイデリカは本心からそう言った。 穢れた心を持つ存在を憎み、きっとキャロルは新しい世界の神となって清き心を持った新たな人間を作りたかったのだろう。決して心に闇を持たない、純白の存在を。 けれど、それは決して人間ではない。シールディアが望むヒトの心を持った存在ではない。 ヒトは、時に保身的で自己中心的に振る舞う場合もある。自分のために他人の犠牲をいとわないという醜い一面だってある。けれど、そんな裏の感情があるからこそ、一層表の感情が煌めき、愛おしいと思えるのだと思う。 シールディアがなりたいと願ったのはそんなヒトの姿。そして今、自分の心はヒトの心と言って相違ないほど成長できたのだと、自分自身信じられるようになった。 「そっちも無事に片づいたみたいだな」 シールディアのもとに、バーバラ達を引き連れてシェドが歩み寄ってきた。 頬や腕に何カ所も擦り傷を負っており、さらに衣服のあちこちは裂けてボロボロだった。それはシェドだけでなく、バーバラ達の衣類も同じだった。 特にバーバラが一番酷い有様だったが、シェドが治療を行ったのだろう。傷跡は多少あるものの、出血は完全に止まっている様子だ。 「うむ。かなり苦戦したが、何とかなった。そちらも激戦だったように見える」 「まあな。こいつが無茶しないかとヒヤヒヤしたもんさ」 「ば、馬鹿ッ! テメーにそんな心配される筋合いはねぇよっ!」 シェドがカラカラと笑いながらバーバラを指さすと、バーバラが顔を真っ赤にしてギャアギャア叫き散らしていた。そしてシールディアと目が合うと、「見てんじゃねぇよ!」と悪態をつき、ツンと顔を背けて腕を組んだ。 何やら複雑な感情のオーラがバーバラを包んでいるようだが、余計な詮索をしてはさらに気分を害すだろうと思ってシールディアは口をつぐむ。 「これでガンズの二人は倒したことになるな。後は、“追跡”のミゲルと“竜殺し”のカルネだけか。ここに居ないということは、おそらく……」 シェドが目を細めながら天井を見上げる。 「たぶんそうでしょう。ヴァルハラ神殿に、社長やレミネーラ様と一緒に待ち受けている可能性が高いと思います」 「天使である十二人の少女も、おそらくは」 アンリエッタとフレイデリカの言葉を受け、シェドがグッと拳を握りしめる。 決断の時が近いことを、シールディアは感じ取っていた。ヴァルハラに突入する前、竜の里を離れる時からずっと考えていたことの結論を出すときが、もう間もなく訪れるだろうことを。 だが今はまだシェドに言わない。余計な言葉はシェドを困惑させるだけだ。すべては、大切な友を救い出してから。 「行こう」 シェドの一言に、その場に居合わせる全員が頷いた。 シールディアは一歩前に出て、無言のままシェドの顔を見上げた。シェドが頷き、シールディアもそれに応じてコクンと頷く。 シールディアは再びドラゴンへと姿を変える。銀色の巨大な竜の姿に。 唖然とするバーバラ達を後目にシェドがシールディアの背に飛び乗り、遅れてアンリエッタとフレイデリカが続く。最後に戸惑った様子のバーバラ達が背中に乗ったのを確認してから、シールディアは翼を大きく羽ばたかせた。 高い闘技場の天井を目指し、皆を乗せたままシールディアは上昇を続ける。この天井を破り、抜けた先に救いたい少女が居るはずだ。そして、世界崩壊を目論む人間達も。 シールディアの背の上でシェドが銃口を天井へ向ける。シールディアは速度を落とさず急上昇を続けた。 「はあああっ!」 紅蓮の魔弾が天井を破り、無数の瓦礫が降ってくる。それらを障壁を張って弾きながら上昇を続け、シールディアは闘技場の天井にぽっかりと空いた穴を通り抜けた。 視界に映る、純白の天井。大理石で出来た荘厳な天井、壁、柱が目の前に現れ、色の無い清浄な趣を与える空間がシールディアを包んだ。 シェドがシールディアの背中から飛び降りて神殿内の床に降り立つ。続いてアンリエッタ、フレイデリカ、バーバラ、ラズベリー、スピカも飛び降りる。 空中で一度旋回してから、シールディアはヒトの姿へと戻ってトンと床に舞い降りた。長くなってきた銀色の髪を掻き上げ、琥珀色の瞳でジッとヴァルハラ神殿内を凝視する。 空間全体を重厚な空気が覆っており、遙か頭上にある天井の中心には巨大なベルが備えられていた。何本かの太い柱がそんな天井を支え、中心に一際目立つクリスタルの玉座、そしてその足下を這う真っ赤な絨毯がある。 シェドが先頭を切って玉座へゆっくりと歩み寄っていき、その後をシールディア達も続いた。 かつて、天使を作り出してヒトを滅ぼそうとしたもう一つの神が鎮座したという玉座に深々と腰を下ろしている男がいる。さながら、今はその者こそが新たな神だと言わんばかりに。 錆びた鉄のような赤茶色の短髪。濁った灰色の瞳。神を気取るその男は、漆黒のスーツで身を包みながら、頬杖を付いてこちらへ微笑を向けていた。 「これはまた、懐かしい奴が現れたな」 「床を破ってここへ侵入したということは、アルフレッドとキャロルを倒してきたのね」 男の隣には長い黒髪をした妙齢の女の姿がある。女は紫色の切れ長な瞳をやんわりと細目ながらこちらを見つめ、真っ赤なルージュで染まった唇を艶めかしく緩めている。 そしてもう一人。一本の柱の影から、右目を眼帯で覆う深紅の髪をした長身の男が姿を見せる。玉座に腰を下ろす男同様、身を包んでいるのは漆黒のスーツで、左腕を鈍色のガントレットが覆っている。 「久しぶりだな、ルシフェル。それにレミネーラ、カルネ」 「何の用だ?」 銃を手に最初から臨戦態勢であるシェドに、眼帯の男が低い声で尋ねた。 「尋ねるまでもないだろう。アリアを返してもらう」 「アリア……? ああ、あなたと一緒だったレオのこと? そう言えばレオを迎えに行ったとき、あなたは側に居なかったわね」 「…………」 紫紺のスーツとタイトスカートを身につけ、人差し指を口元に当てながら不敵に笑う紫色の瞳をした女の言葉に、シェドがギリッと奥歯を噛みしめた。アリアの側で護ってやれなかったことに対する後悔が空気を伝って感じ取れる。 シェドが睨め付けている相手がレミネーラであり、玉座に腰を下ろしているがルシフェルだろう。だが、シールディアはその二人ではなく、眼帯を付けた男をジッと見据えていた。 あれが“竜殺し”のカルネ。あの者が纏う空気には覚えがあった。 ガネットと共に彼女が所属している組織の崩壊した基地を訪れたとき、残留思念からカルネの存在に危機感を抱いていた。 全く思考が読めない人間。無の塊のような、思念の波動が一切感じられない存在。 ドラゴンとしてのシールディアの本能が告げている。カルネは危険だと。 「“魔弾”のシェド。あれだけレオを連れ回して、まだ足りないのか? だが、レオを始め、“心なき天使達”は私の計画に必要な存在だ。連れて行かせるわけにはいかないな」 「黙れルシフェルッ! お前達の計画など、俺が絶対ぶち壊してやる! アリアを、アイツを世界崩壊の引き金になんかさせねぇっ!」 シェドが弾け飛んだようにルシフェルへ迫る。白銀銃から魔剣が伸び、実体のない半透明で無属性の剣が虚空を引き裂いた。 「――ッ!」 「計画の邪魔はさせん」 魔剣をガントレットで真っ向から受け止め、ルシフェルとシェドの合間に割って入ったカルネが静かに言う。淡いグリーンの光を帯びたガントレットと魔剣が火花を散らし、衝撃が爆風を巻き起こした。 「アリアは何処だッ! アリアを返せッ!」 バチバチと魔法の欠片を零しながら魔剣とガントレットがぶつかり合う中、シェドがカルネではなくルシフェルを睨みながら問いただした。 その問いに、ルシフェルではなくレミネーラがゆっくりと口を開く。 「気が付いた? このヴァルハラ神殿の天井は、十二本の柱が支えているのよ?」 「な、に……?」 カルネがガントレットを装備した腕を払い、シェドは空中で回転しながら後方へ降り立った。シェドが顔を上げてルシフェルを、いや、その後方にある一本の太い柱を見つめて驚愕の表情を浮かべた。 シールディアも目を凝らして柱を見つめる。そしてシェド同様、思わず目を見開いたまま声ならぬ声が零れた。 まるでクリスタルのような透明な材質で出来ている柱。その内部は何らかの液体が詰まっており、その液体に抱きかかえられるよう、少女が柱の中に漂っていた。 全裸の少女の胸には、その者が天使の証である不気味な輝きを放つヒュージジェム、聖石が埋め込まれている。 「天……使……?」 「ミュ、ミュール……!」 玉座の後方にある柱の中で漂うのは銀色の長い髪をした十四、五歳くらい少女だった。固く瞳は閉じており、時折口元から気泡が零れ、柱の中を上っていく。 シェドが忙しく首を動かして周囲を窺い始めた。まるで何かを探しているかのように、焦りを隠すことなく必死な形相で辺りを見渡している。 そして、ピタッとシェドの動きが止まる。口を開いたまま、カタカタと微かに肩を振るわせながらカッと目を見開いて固まってしまった。 恐る恐る、シールディアもシェドが見つめる先へ視線を向けた。 ヴァルハラ神殿の天井を支える柱の一つ。その内部に漂う、一人の少女。 瞳を固く閉じたまま、その少女は桃色の髪を揺らしていた。胸元には、幾何学的な紋様を中心に描きながら不気味に青黒く光る聖石が埋まっている。 見間違えるはずがない。その少女は―― 「ア、アリアァーーーーッ!」 * * * この姿で戦うのは一体何年ぶりだろう。竜の里を飛び出すとき、本来の姿へと身を変えると寂しさにも似た懐かしい気持ちがこみ上げてきた。 エイルは迫り来るダークドラゴン達を次々と迎え撃つ。ドラゴンと言うが、彼らはすでに亜種とされるドラゴンですらなかった。 神が創った原種のドラゴンと違い、亜種はもう一つの神の残留思念である“黒い影”が世界を覆った後に魔物が突然変異で生まれたものだと言われている。ドラゴンを創った神を憎むもう一つの神の怨念が、憎きドラゴンの姿を模した怪物を生み出したのではないかと、竜王は言っていた。 しかし次々とエイルに襲いかかってくる魔物は、もはやその姿からもドラゴンと呼べる存在ではない。一本一本が鋭い刃のように枝分かれした翼と、槍のように尖った幾股の尾っぽ。さながらブレイドウイングやカッターテイルとでも称すべき禍々しい姿をした異形の存在は、デーモンやサタンなどの悪魔に近い。 『ギャオオオオオオンッ!』 『――ッ!』 背後から迫ってきた二匹のダークドラゴンが漆黒の闇を凝縮させたようなブレスを放ってくる。さらに両側面からは別の二匹がカッターテイルでエイルを貫こうとしていた。 急上昇で旋回しながらブレスをかわすが、カッターテイルをすべて避けることはできず、エイルの全身を覆う緑色の鱗を引き裂いてカッターテイルがエイルの体を流れる赤い血を空中へまき散らせた。 ヒトの姿をしているときと同じ血の色。それが、ドラゴンとヒトが同じ創造主より創られた存在であることを示している。 『ガアアアアアッ!』 エイルの咆吼が空気を超振動させて空間ごと敵を引き裂く。しかし亜種とはいえドラゴンを名乗る魔物の鱗は硬く、ダメージを与えられたとしてもそれは致命傷にほど遠い。 次々と迸るダークブレスをかわしながら空を駆ける。レーザーのように鋭く早い一撃がエイルの一寸先を絶え間なく走り抜け、反撃の間すら与えてくれない。 このままではこちらの体力と魔力ばかりが消耗していく。ダークドラゴンは一匹倒したところで、ヴァルハラ神殿からは溢れるように新しいダークドラゴンが暗雲の立ちこめる空へ舞い上がってくる。 『さすがに多いわね。……私に出来るのはせいぜい時間稼ぎかしら』 自分の心の中で呟いた声が頭の中へ直接響いてくる。 希望はヒトの子達に託した。ドラゴンであるエイルができるのは、彼らの前に立つことではなく、彼らの後ろでその背中を護ること。 でも本当は、出来ることならあの子の側に居てあげたい。もし最悪の結果があの子を待ち受けていたとしたら、エイルにとっての最悪の結果が起きる可能性は高い。一番恐れている結末を、見たくはない。 『くっ!』 脳裏をよぎった人物の悲しげな顔がエイルの動きを鈍らせ、その瞬間にエイルの翼をダークブレスが穿った。 バランスを崩してよろめいたところへ四方からブレイドウイングとカッターテイルが無数の針のようになって襲いかかってくる。 回避も防御も間に合わないと、エイルは致命傷を覚悟した。だがその瞬間―― 『ギャオオオオオオンッ!』 『えっ……?』 エイルの頭上から七色の閃光が迸り、エイルへ迫っていたブレイドウイングやカッターテイルが次々と砕け散っていく。まるで虹を七本の線に分けた光線が迸ったように、淀んだ空と真っ黒な雲、そして漆黒の鱗に覆われたダークドラゴンが埋め尽くす黒い世界に美しい輝きが舞い踊った。 『紛い物相手に随分と苦戦しているようだな。それでは原種の名が泣くぞ』 『この声は……、アダム? それにみんなも……』 頭に響いた声を追って頭上を見上げると、そこには二匹のホーリードラゴンを筆頭に様々なドラゴンが威風堂々と空に佇んでいた。 竜の里に住まう原種のドラゴン達。エイルと違って創られた時から自我を持つドラゴン達が、エイルの窮地に駆けつけてくれた。 『アダム、イヴ。それに里のみんな……。どうして? あなた方は竜王の命が無くてはヒト同士の争いに関与できないはず……』 駆けつけたドラゴン達が次々とダークドラゴンに向かっていく。彼らを指揮している、白銀に輝く美しい二匹のホーリードラゴンは、ゆっくりとエイルの直ぐ手前まで降下してきた。 何故エイルが単身でガネット達の救援に駆けつけたのか。それはこの事態を引き起こしたのがヒトであり、ドラゴンはヒト同士の争いに関与できないと竜王が判断したからだ。 例えもう一つの神が復活して世界が崩壊することになっても、それはヒトが招いた事態であり、そうなればドラゴンも共に滅ぶ。そう言って竜王は腰をあげようとしなかった。かつて自分たちの親と言える神を殺したヒトを、竜王は心のどこかで憎んでいるのではないかとエイルは密かに感じていた。 でもエイル自身は違う。かつてヒトともに過ごした時間を持つエイルは、決してヒトが住まう世界を見捨てることなどできなかった。同時に、護りたいと思う大切な存在がエイルにはあるから、尚のこと黙っているわけにはいかなかった。 『私達が駆けつけたのは竜王の意志よ』 『……そう。竜王は完全にヒトを見限ったと思っていたけれど、そうじゃなかったのね』 『勘違いするな。我らが護ろうとしているのはヒトではない』 『え……?』 アダムが迫り来るダークドラゴンに真っ白な光を凝縮させたようなセイントブレスを吐き付ける。それはダークドラゴンを眩い光で貫き、この世界から一瞬にして存在を打ち消した。 『私達が護ろうとしているのは、あなたやあの子、そして今は亡き彼女が愛した世界よ』 突貫していったアダムに代わり、イヴがエイルの頭に直接語りかけてくる。姿形はアダムと同じホーリードラゴンだが、頭に響く声はヒトの姿をしているときと同じ女性の声だ。 『私達と違って自我を持たない、聖石守護のためだけに創られたあなた達は、皆、ヒトに惹かれて自我を持つようになった。ヒトを護るのではなく、竜王は私達の仲間であるあなた達が愛しているものを護れと言ったのよ』 『私やシールディアさん、そして、あの子が愛した世界を……』 かつてヒトを愛してその間に子供を成したあの子。あの子の慈愛に満ちた笑顔は今でもハッキリと思い出すことが出来る。 『あなた達が護ろうとする世界だから、私達も護ろうとする。そういうことよ』 世界を護るということでは同じなのかも知れないが、信念は違う。きっと竜王の中にも複雑な感情が渦巻いているに違いない。 ドラゴンの姿のままでは表情などわからない。けれど、確かにエイルはイヴが微笑んだように感じた。イヴはイヴできっと自分の思いがあり、その思いは決して世界を護ることを否定しているわけではないようだ。 『私達原種のドラゴンが、黒い影の影響で生まれた紛い物などに劣らぬ事を証明しましょう』 『はいっ!』 色々理由を付けているが、きっとこの場に居るドラゴンの中にはエイルと同じ思いを抱いているドラゴンだっているはずだ。その思いがエイルの背を強く押す。 限りなくヴァルハラ神殿から溢れてくるダークドラゴン達に、エイルは仲間と共に真っ向から立ち向かっていった。 「くっ! ここは俺たちが抑えます! アイザックさん達はあの神殿へ急いで下さい!」 「わかった。頼んだぞ!」 同志の仲間達に、背後と両側面から迫ってくる魔物達をすべて任せてアイザックはナイ、ガネットを率いて敵の本陣を目指す。 遙か頭上で繰り広げられるドラゴン同士のバトルは熾烈を極めており、自分たちが駆け抜けてきた道でも同志達が必死にアイザック達の背中を守ってくれている。その思いを、決して無駄にするわけにはいかない。 そしてこの場に居ない者。基地に残ってアイザック達の帰りを待っていてくれる同志達も居る。アイザック達が世界崩壊を食い止めて無事に帰ってくることを願ってくれているであろう仲間達が居る限り、こんなところで死ぬわけにはいかない。 「……しっかしよー。わかっちゃいたが、マジでこいつは命がけの大勝負だよな」 「今更何を言ってるのです」 「死んだらそこまで。そう考えると、何かやり残したことはねぇかと考えるのが人間ってもんだろ」 もうヴァルハラ神殿は視界の中に大きく映っている。遮る魔物達も居ない。後はあの中にいる、ニーヴルの幹部達や天使達を倒せば世界を救うことができる。 だが彼らの実力がアイザック達を遙かに凌駕していることなど十分承知していた。奴らに勝ち、そして生きて帰れる保証など何処にもない。 「そういや、最近は全く女を抱いてないな。同志になったばかりの頃は手当たり次第に口説いて、結構な確率で落としてたんだが」 「……私も一度口説かれたわね。Cと切り替わったらすぐに逃げていったけれど」 「ハハハ、そんなこともあったな!」 ジロリと冷めた視線を向けるガネットに、アイザックは背中に嫌な汗を滲ませながら笑って誤魔化そうとする。ナイも、薄い侮蔑を混ぜた目でこちらを見ていた。 アイザックが世界を護ることを第一に掲げた組織の一員となったのは、正直言ってあまり格好いいものではない。ただ、ヒーローを演じていた方が女受けがいいと勝手に思ったからだ。 だから始めは同志の一人として人々を様々な災害、魔物達から救うことよりも、助けた人の中に若い女が居たら口説くことを生きがいにしていた。助けた人だけでなく、同志の女も次々と手を出した。 いつからそんな不謹慎を改め、比較的真面目に人助けに従事するようになったのかは覚えていない。けれど、理由だけはしっかりと覚えている。 組織を立ち上げた人物。ガルバトロス=サーベルという男の、世界を愛し、人を愛する強い想いに共感したから。この人に付いていこうと、強く心に誓ったことを今もハッキリと覚えている。 「死ぬことに恐れがないわけじゃないが、だからと言って死ぬことに怯えているわけでもねぇ。自分の全力を出し切って死ぬのなら、それはそういうモンだと割り切れる。だがよ、どうせ死ぬなら、やり残したことが無い方がスッキリ逝けるんじゃねぇか思うわけよ」 「アイザックさんは何かやり残したことがあるのですか?」 「……無いつもりだったが、今さっき思いついた」 「思いつきのやり残しですか」 ナイがため息をつき、ガネットも駄目な人間を見るような目でこちらを一瞥してから首を左右に振った。 やり残したことなんてものは、死を目の前で感じたときにこそ思いつくのだと反論したかったが、何を言ったところで今の二人には無駄だろう。ガネットのCだったら同意してくれるかもしれないが、Cがしゃしゃり出てきたら出てきたで鬱陶しいから出てこなくていい。 「あー……。やっぱ出発前にヴィクトリアをマジで口説いときゃよかった」 「……まさか、それがやり残したことですか?」 「おうよ」 心底駄目な人間を見るような目を向ける二人に、アイザックは最高の笑顔を見せてやった。これほど自分の気持ちに正直な人間は居ないだろうと言わんばかりに。 確かに年齢差諸々を考えれば、今のアイザックの発言はかなりぶっ飛んだものだったかもしれない。だが、それが本心なのだから仕方ないのだと半ば開き直っていた。 「遊び心でヴィクトリアを泣かしたら、その実兄が黙っていないと思いますよ? シルヴァランスは同志だった頃よりもずっと強くなっています。今ではアイザックさんよりも強いのではないでしょうか」 「だからマジでって言ってるだろ? 本気で口説いて、帰る場所を作っときゃよかったなぁって言ってんだよ」 「帰る場所って、まさか十六歳の少女を身籠もらせる気だったの? ……鬼畜ね」 「そこまで話を飛躍させるな! 単にアイツの口から一言、無事に帰って来て欲しいって言葉を聞きたかっただけだ」 もちろん欲を言えば、抱いてしまって自分のものにしてしまいたいが、それを言えば二人の非難の眼差しが一層強まることは容易に想像できるので伏せておく。 必死に強がって気丈に振る舞おうとするヴィクトリアは、何があっても護ってやりたいという庇護欲をそそると同時に、その細い体を後ろから支えてやりながらずっと前を向かせてやりたいという従事欲とでもいうべき感情を抱かせる。 色恋沙汰は理屈じゃない。それがアイザックの座右の銘。惚れたものはどうしようもない。 「よしっ! やり残したことがあるってことは絶対に死ねないってことだ! 世界を救って堂々と凱旋し、ヴィクトリアを口説き落としてやるぜッ!」 「……理由はどうあれ、私も死ぬ気はないわ。大切な人達の未来を生きるために」 「ああ。私もまだ生に執着がある。……この戦い、絶対に負けられない!」 純白の大理石で作られた禍々しさと神々しさを併せ持った神殿がすぐ目の前にまで迫っていた。 世界が崩壊してしまっては惚れた女を口説くことも抱くこともできない。だから世界の崩壊は絶対に阻止する。 世界を救う理由なんて、それくらいシンプルな方がいい。その方が自分らしい。 「行くぞッ!」 力強く大地を踏みしめ、アイザックはヴァルハラ神殿へと踏み込んでいった。 地の敵を他の同志達に任せ、パーラは弓を引きながら空中から襲いかかってくる魔物を中心に討ち倒していった。 重傷を負って動けない一人の同志とパーラを中心にして、他の四人が四方から迫る魔物達を相手に奮闘している。パーラはガーゴイルなどの飛行魔物を中心に、時には同志の援護をしながら戦局を大局的に見つめていた。 圧倒的に劣勢なのは言うまでもない。すでに一人の同志が深手を負って戦闘不能である上、パーラの矢立にはもうあまり矢が残っていない。他の同志達が放つジェムの光も、徐々に色あせていた。 消耗戦となれば、倒しても倒しても減らない底なしの数を誇る魔物達相手では分が悪い。 「アイザックさん達が天使を討ち滅ぼすまでの辛抱だ! それまでは何としても魔物共をここで食い止めるぞ!」 この場にいる同志の中で一番年長である男が声を張り上げ、パーラを含めた全員が「オオ」と意気に燃える。誰もがアイザック達を信じ、そのためならばこの場で散ろうとも構わないという強い気概を持っていた。 死ぬことが怖くないかと言えば嘘になる。けれど、それは誰だって同じなのだとガネットは言っていた。 「はあっ!」 『ギイイィィイイッ!』 頭上から迫ってきたガーゴイルの脳天に矢を突き刺し、すぐさま新しい矢を背中から取りだして構える。 「――ッ!?」 続けざまに迫る二匹のガーゴイルに、思わずパーラは焦って矢を射損じた。直ぐさま新しい矢を取り出すが、ガーゴイル達はすぐ手前まで迫って手にしている剣を振りかぶっていた。 「くうっ!」 『ギイイィィヤァッ!』 右肩を裂かれながらもパーラは矢を射って一匹を仕留めるが、もう一匹に対して身構えようとしたとき、矢立に矢が残っていないことに気が付いた。 慌てて周囲をキョロキョロと見渡し、少し離れたところに倒れている魔物の死体に二本の矢が刺さっているのに気づいてがむしゃらに駆けだした。 矢が無くては自分は何もできない。こんなところでやられるわけにはいかない。 「はあっ……、はあっ……」 動悸が激しかった。ジェムが使えないパーラにとって、戦場で矢が尽きることは死に等しい。武器を持たないウサギを、黙って見過ごすオオカミなどいるはずがない。 『シャアアアアアッ!』 「ひっ――……」 突然、矢が刺さっている死体を越えて二匹のキングコブラがパーラに襲いかかった。咄嗟に弓を前面に押し出すと、コブラの鋭い牙と強力な顎が弓を粉々にかみ砕いた。 「パーラッ!」 「あ、あああ……。き、きゃあああああああッ!」 弓を砕かれたショックで腰が抜け、その場にへたり込んだパーラへキングコブラが迫ってくる。さらに頭上からは先程のガーゴイルが凄まじい勢いで迫っていた。 同志の呼び声が何処か遠くに聞こえ、パーラは目を閉じて悲鳴を上げた。もう駄目なのだと思うと、悲鳴と共に涙が勝手に溢れてポロポロと膝へ落ちていく。 その時だった。その声は、ずっと頭上から聞こえた。 「はあああああっ!」 『ギャアアアアッ!』 「え……?」 周囲に響く力強い咆吼と、次々と上がる魔物達の叫び。そしてパーラの髪をバサバサと靡かせる凄まじい爆風。 そっと涙で滲む瞳を開いた瞬間、その人物は視界の上からしなやかに舞い降りてきた。 純白のスーツローブを身に纏い、両手をフィンガースルーの黒いグラブで覆った、長い金髪を束ねている長身痩躯の男。右手には淡くグリーンに輝く細身の剣を握り、左手の人差し指にもウインドジェムと思われる宝石を埋め込んだ指輪をはめている。 「行きます! アクセラレータァッ!」 「――っ!」 パーラの瞳に映っていた男の背が、瞬きをした間に忽然と消える。そして見えない刃が一陣の風となって戦場を駆け抜けるように、あちこちで次々と魔物達が断末魔の叫びを上げながら倒れ伏せていった。 それが風じゃないと気づくまでに何秒かかっただろう。気づいたとき、周囲を取り囲んでいた魔物の半数もがその刃によって引き裂かれていた。 呆然としていたパーラの視界に再び輝く金色の髪が映った。今度はその者の背中ではなく、正面からハッキリと顔が見える。 「大丈夫ですか?」 「あ、え……? あっ、……は、はいっ!」 あれが風ではなく人なのだと気づき、何て強い人なのだろうと思った。そしてその人物は、その強さと同時に底抜けの優しい笑みを携えていた。 「シルヴァランスじゃねぇか! お前、どうしてここに!?」 「お久しぶりです、皆さん。ですが、今は事情を説明している時間はありません。アイザックさん達はどちらへ?」 周辺まで迫っていた魔物達を現れた男が一層したため、一人の同志がパーラのすぐ側まで駆け寄ってきて金髪の男を見つめながら驚きの声を漏らした。シルヴァランスと呼ばれた男は、にこやかな笑みを同志へ送った後、真面目な顔つきでそう尋ねた。 「……シルヴァランスって、もしかしてヴィクトリアちゃんの……?」 パーラの呟きに、シルヴァランスがパーラを一瞥しながらニコッと笑みを見せた。 「アイザックさん達はニーヴルの幹部達や天使がいると思われるあの神殿へ向かった」 「そうですか。なら僕もそちらへ向かいます。この場はお任せしてもよろしいですか?」 「どうやら居なくなる前に比べて随分強くなったみたいだな。……色々聞きたいことはあるが、それはすべて終わった後にするさ」 同志の一人が、行けよといわんばかりに顎でヴァルハラ神殿の方をしゃくりながらシルヴァランスへ白い歯を見せた。それを確認して、シルヴァランスが神殿の方へ体を向ける。 「きみ」 「え? あ、はい! な、何でしょうか?」 そのまま駆け出すのかと思っていたら、突然シルヴァランスがパーラを見つめて声を掛けてきた。思わずパーラは目を白黒させながら何用かと尋ねる。 「倒すべき相手を倒したら、出来るだけ早く応援に駆けつける。だからそれまで何としても踏ん張ってくれ。絶対死ぬんじゃない。崩壊を免れた世界で、僕も君も、そしてここにいる全員が生きていくんだ」 優しい笑顔のままそう言ったシルヴァランスに、パーラは頬が熱を帯びるのを感じた。 「は、はいっ」 パーラの返事に頷き、シルヴァランスが深く腰を落として神殿を見据える。そして次の瞬間―― 「アクセラレータァッ!」 シルヴァランスは目にも止まらないどころか目にも映らないほどの高速でパーラの視界から消えた。風の精霊が世界を駆け抜けるように、パーラの瞳に映るのは爆風に吹き飛ばされて為す術もなく宙へ放り出される魔物達だけだ。 ヴィクトリアには兄が居て、その人がかつて同志だったことは知っていた。どうして同志達の元を、妹の元を去ったのかは知らなかったが、本人を見て、それが決して世界を救うことをやめたのでも、妹を見捨てたのでもないのだと確信した。 あんなにも強い人が、パーラ達と思いを同じくしている。そのことが、パーラのくじけそうだった心を持ち直させてくれた。 矢立の裏に仕舞い込んである予備の弓を取りだし、周囲の死体から集められるだけの矢を回収する。シルヴァランスがかなりの魔物を倒していってくれたが、次々と現れる魔物の数には際限がない。だから、立ち止まってなどいられない。 「崩壊を免れた世界で、私は生きるんだ!」 パーラは意志を強く持って弓を引く。風を裂き、未来を切り開くために。 遠くから見たヴァルハラは空に浮かぶ要塞だった。だが降り立ったそこは、魔物以外の何物も映らないほど殺気と狂気に満ちていた。 シルヴァランスは音速に肉薄する早さでヴァルハラを駆け抜けていく。魔物達がシルヴァランスを人だと認識するよりも早く、風の如くアクセラレータ全開で飛ばした。 『シルヴァランス、聞こえるか?』 「はい、聞こえています」 飛空器からヴァルハラへ飛び降りる直前、スラッシュから受け取った通信用の魔練器からスラッシュの声が響いてきた。魔波の振動周波数を利用した魔通信と呼ばれる通信を行うために必要な機器だとスラッシュは言っていた。 スラッシュから受け取った魔練器はイヤリングタイプで、耳元に直接スラッシュの声が響いてくる。こちらの声は目の前の相手に話すようにすればいいらしい。 『よし、調子いいみたいだな。……俺はこの空域から少し離れた場所で待機している。シルヴァランスが居ない今、高度を下げたら再び上昇することはできないから、現状の高度を維持したまま少しヴァルハラから距離を置く』 「わかりました。ヴァルハラ周囲にはドラゴンを始め多くの飛行性の魔物が徘徊しています。危険を感じたら迷わず逃げて下さい。いざとなれば脱出する術はいくらでもありますから」 嘘ではない。自由落下で地上へ降り、大地に激突する直前で空気の膜を張れば無事に大地へ降り立つことくらい可能だ。だから脱出手段については何の心配もしていない。 ただ、あくまでそれは自分一人ならばという話だ。傷付いた同志や救い出したい人すべてをシルヴァランス一人で脱出させることは困難だろう。 『おめおめと一人だけ逃げ帰ったらミレーヌちゃんに蔑まれそうだからなぁ。正直かなり怖いけど、シルヴァランスの帰りをしっかり待ってるさ』 「ミレーヌさんは例えスラッシュが一人で戻っても咎めたりしませんよ。スラッシュが無事に帰ってくることを心から願ってるはずです」 『ハハ、だといいな。……お前も、あんな美人の奥さん泣かせるんじゃねーぞ!』 「わかっています」 その言葉を最後にスラッシュとの通信を終え、瞬く間にすべてが過ぎ去っていく加速した世界を駆けながらシルヴァランスは真っ直ぐ前を見据える。 出発前に見た愛しい人は涙に暮れていた。すがるような瞳でシルヴァランスに行くなと言っていた。けれどシルヴァランスはそんな彼女を置いてまでここへ来た。もしシルヴァランスが生きて戻ることができなければ、スラッシュに宣言した言葉は嘘となってしまう。 望む未来がある。決して諦めたくない、夢に描いた未来がある。だから、決してその言葉は嘘にしない。 前方に魔物達と戦う同志達の姿を見つける。だが彼らが窮地に陥ってないことを一瞬で確認し、シルヴァランスはアクセラレータを緩めず瞬く間にその場を駆け抜けた。 近づいてくる真っ白な神殿。きっとあそこに全ての元凶と救うべき少女はいる。そこがシルヴァランスが命を賭して戦い、しかし必ず勝って生き残り、そして大切な仲間を救い出さなければならない場所。 絶対に生きて帰るという強い意志を胸に抱き、シルヴァランスは戦場へ急いだ。 * * * どうやら壁にもたれ掛かったままうたた寝していたらしく、気づいたとき、部屋にはミレーヌ一人でセシリーの姿がなかった。 「ほえぇ……?」 目ぼけ眼を擦りながら体を起こし、セシリーがミレーヌに掛けてくれたのであろうタオルケットをたたんでベッドの上に置き、大きく伸びをしてから部屋の中をもう一度見渡してみる。 世界を救うために結成されたという組織の基地にある一室。今はセシリーに貸し与えられている部屋で、ミレーヌが転がり込んでいるところでもある。だがやはりセシリーの姿はなかた。 「あれ、セシリーどこ行ったんだろ?」 ここへ来てからミレーヌは片時も離れずセシリーと行動を共にしていた。それこそ鬱陶しいと思われてもおかしくないぐらい一緒にいる。この組織の人に百合ッ気のある人間だと思われているかもしれないが、今はセシリーが元気になってくれることが最優先であって、ミレーヌの体面などどうでもいい。 「またヴィクトリアちゃんのところかな?」 この場に居ないという事は、おそらくは可愛い妹の所にでも行っているのだろう。 ミレーヌと一緒に居るとき、このところセシリーはヴィクトリアのことばかり話している。妬けるくらいとても嬉しそうに。 「ホント、セシリーってお姉ちゃんしてるのが好きよね」 ボサボサの髪を掻きながらそう呟き、ミレーヌはもう一度大きくグッと伸びをしてから部屋を出た。 手で口元を隠しながら「ふああ」と欠伸を吐き、手当たり次第に基地内のセシリーが居そうな場所を探してみる。 組織とは何ら関係ない部外者が堂々と基地内を彷徨っていいものなのかとも思うが、別にミレーヌが基地の構造を把握したところで問題はないということだろう。実際、何かしてやろうなんて思っていない。 でも、実はほんの少しだけ気になってることがあった。許されるのであればいじり倒したいものがある。 ミレーヌはまさかこんなところにセシリーは居ないだろうと思いつつも、そのものがある部屋をチラッとうかがってみた。 薄暗い部屋は整然としており、今は誰もいない。部屋の壁には沢山の本棚が並んでおり、小難しそうな本が大量に収められている。 そして部屋の中心に解体された状態で置いてあるそれ。アーティファクトと呼ばれる古代文明の遺産で、今の技術では使用するのが精一杯でとても一から作り上げることなど不可能な高度魔練器の一つ。 「トランスポーターか。いいなぁ、分解してじっくり調べてみたい」 瞬時に別の場所へ移動することができる魔練器。移動先にも同じ魔練器が必要となるので、この組織が所持しているトランスポーターは数基に及ぶだろう。出来れば一基ぐらいもらってバラバラに分解してしまいたいが、グッと欲望を抑える。 今まで予備基地として使っていたここを今後の拠点とするために遠地から運んできたらしい。だから今は軽く解体された状態なので、出来ることなら組み立て作業に立ち会わせてほしいものだ。 「おっと、セシリー探してる途中だった」 後ろ髪を引かれる思いでその部屋を立ち去り、ミレーヌは再度セシリー探しを再開する。 トイレの中、お風呂、チラッと司令室、もう一度個室。それでも見当たらず、唸りながら適当に歩を進めて基地内を練り歩き続けた。 「あ、ここに居たんだ」 ようやくセシリーの姿を見つけたその部屋は、いわゆる厨房で、フレアジェムを使う竈やアイスジェムを使った食料保管器、調理器具やお皿などがあり、十人掛けのテーブルもある広い部屋だった。 「あらミレーヌ、起きたの?」 「うん。……何してるの?」 部屋にはセシリーだけでなくヴィクトリアの姿もあった。その手には包丁とジャガイモらしき物体を握りしめ、背を丸めてのぞき込むようにして自分の手を見つめながら肩を強ばらせている。 「ヴィクトリアに料理を教えているところよ。今までまったく料理したことないって言うから、それじゃあこの先大変でしょうってね」 「なーるほど」 肩をすくめて見せたセシリーを、ヴィクトリアがジャガイモから視線を上げて少し赤みを帯びた頬を膨らませて上目遣いに睨む。まるで意地悪した姉に文句を言いたくても言えない妹のような顔だ。 ヴィクトリアの隣でセシリーは慣れた手つきでジャガイモの皮を剥いている。あれくらいミレーヌでも余裕でできるが、ヴィクトリアは食い入るようにその手つきを真剣な眼差しで見つめていた。 「ニーヴルの基地へ向かった同志達が凱旋なさったとき、その、せめて温かい手料理を振る舞ってさしあげたいと思いまして……。ですがわたくしは、えっと……、自分で言うのも何ですが世間知らずのお嬢様として育てられてきたので、あの、ですから……」 「ま、要するに一人じゃ何もできない子ってことね」 「お、お姉……ちゃ、ん、は本当に意地が悪いですわ!」 「あら、大切な妹のために手取り足取り懇切丁寧に指導している姉を捕まえて、どの口がそんなことを言うのかしら?」 「うー……」 仲良くじゃれている初々しい姉妹を眺めていると背中がむず痒くて仕方ない。呼び捨てで妹を呼ぶ姉と、慣れない呼び方を強要されて戸惑っている妹。端から見れば、何やってんだかと呆れてしまいそうなくらい、バカップルならぬバカシスターを披露していた。 ミレーヌは椅子を引いてきて腰を下ろし、しばし馬鹿姉妹の様子を生暖かく見守ることにした。 「しかしいきなり料理だなんて。……もしかして、出掛けている同志の中に手料理を食べさせてあげたい人が居るの?」 「ぶっ! そ、そんな人居ません! お姉……、ちゃんは、どうして突拍子もない当てずっぽうで根も葉もないことをおっしゃるのですか! そんな人はまったくもって居ませんったら居ません!」 「そうやってムキになって否定すると余計に怪しいわよ? そういうときはすまして一言、居ないと言えばいいの」 「…………。ジャガイモの皮むきは終わりました。次はどうすればよいのですか?」 本当に仲良くじゃれてる。ヴィクトリアも悪態をついてはいるがまんざらでもなさそうだし、何だかんだいってかなり息のあった姉妹なのではないだろうか。世話を焼くのが大好きな姉と、普段は突っぱねているがホントは甘やかされるのが大好きな妹。 「うーん、あなたに渡したジャガイモってこんなに小さかったかしら?」 「…………。次はどうすればよいのですか、お姉、ちゃん」 「そうね。じゃあ次はニンジンにしましょうか」 そんなやりとりを聞いていると疎外感を拭いきれなかった。ずっと側で支えてあげようと思ったけれど、今のセシリーにはもうミレーヌの存在は必要ないかもしれない。 少し寂しい気もするけれど、セシリーが笑顔で居てくれればそれだけで許せてしまう。今セシリーが笑っているのは、たとえ九十九パーセントヴィクトリアちゃんのお陰だとしても、残りの一パーセントくらいは自分が支えてあげられたからだと思う。 二人に気づかれないようにそっと腰を持ち上げ、足音を立てずにミレーヌは厨房を後にした。 「突入後の経過はどうなってますか?」 数時間ぶりに参謀室へ戻ったヴィクトリアは、その場にいる三人の先輩女性同志達に尋ねた。 一人は特殊ジェムを使った魔通信と呼ばれる魔練器に張り付いてヴァルハラへ突入した同志達からの連絡を待っており、残りの二人はテーブルで地図と睨めっこしながら、ヴァルハラより飛来した魔物の大群の予想進路などから地上に残っている同志達を何処へ向かわせるか考えているようだ。 「アイザックさん達からの連絡はないわね。大丈夫だとは思うけど、ヴァルハラは地上以上に魔物だらけでしょうから、きっとその相手で手一杯なんじゃない?」 「……シルヴァランスからの連絡は?」 ヴィクトリアが極力冷静を装ってそう尋ねると、先輩同志は「いつも通りお兄様って呼べばいいのに」と呟きながらニヤニヤと厭らしい目でヴィクトリアを見た。 「れ・ん・ら・くは?」 「はいはい。えっと、さっきスラッシュ君だっけ? 彼から連絡があったわ。シルヴァランスは無事にヴァルハラへ到着したそうよ」 「そうですか」 その一言で少しは胸のつかえがとれた気がする。ホッと胸をなで下ろすと、その様を先輩達が楽しそうに見つめていた。 いい加減慣れてきたので過剰な反応は返さない。あからさまな視線をぶつけているにも関わらず冷静でいるヴィクトリアを見て、先輩達がこちらに聞こえる声量で「つまんない」とつぶやいていた。 心配じゃないかと言えばもちろん嘘になる。だが、ここでヴィクトリアが心配をしたところで意味はない。残った者として、彼らが帰ってくる場所を護り、地上のことを受け持つことを第一に考えなければならない。 「トルメキア北部に落下した魔物の群れはどうなっていますか?」 「現地に向かわせた同志達が足止めしているけれど、昨日に比べてさらに数キロほど防衛ラインが南へ後退したわ。カラトスへの侵攻を許すのも時間の問題ね」 「トルメキア王国軍はこの事態を把握しているのでしょうか? 軍に潜り込んでいる同志との連絡は?」 「一応知らせてはあるみたいだけど、何と言ってもハルモニカ大陸侵攻戦争の真っ直中だしね。トルメキア王国はニーヴルという後ろ盾を失って前線を維持できないって話だし、王国軍は当てにしない方がいいわ」 状況は予断を許さない。各地で暴れているドラゴン退治も継続して行っており、戦力が圧倒的に不足している。メインベース襲撃で多くの同志を喪い、そしてヴァルハラ突入のためにセイクリッド・スピアや強力な同志を多く投入しているため、ヴァルハラだけでなく地上各地での戦闘もかなり劣勢を強いられていた。 だがそれでも諦めるわけにはいかない。決して自分たちだけが世界を護っているつもりではないが、自分たちが諦めてしまっては護れないものも数多くあるはずだ。 戦える者が戦って、か弱き者を一人でも多く救う。 それが今は席を離れているこの組織の創設者が抱いていた信念。留守を預かる身として、その意志、精神を引き継がなければならない。 ヴィクトリアはしっかりと前を向き、ハッキリとした口調で命令を飛ばす。 「非戦闘員は戦闘が行われている地域の後方でペガサスと共に待機。負傷した同志や近隣住民の安全を最優先に、臨機応変に行動して下さい」 「負傷した同志や住民を収容できる施設が足りてないわ。どうする?」 「……分かりました。では負傷者は一時ランバーグに収容しましょう。ランバーグ支部にはトランスポーターも設置されていますので、非戦闘員は最寄りのトランスポーターを完備した支部から負傷者をランバーグへ向かわせて下さい」 「ランバーグ? 確かにあそこの支部は比較的大きいけれど、負傷者全てを収容するなんて不可能じゃ……?」 「あの街はわたくしの生まれ故郷で、今は亡き父はかつてランバーグの大地主でした。土地の所有権は兄のシルヴァランス名義で執事に預かっていただいておりますが、この状況を打開するためにわたくしがレンウィッグ家の全家督を引き継ぎます」 ヴィクトリアの言葉に先輩達がギョッとした表情を見せる。まさに狐につままれたような顔というのだろうか、ヴィクトリアがお嬢様ではないかと疑ってはいたかもしれないが、まさか名門貴族だとは思いもしなかっただろう。 「レンウィッグ家の所有する土地に仮設住居を設けてそこに負傷者を収容し、ランバーグを始め近隣都市から多くの医者を呼び集めます。資金はレンウィッグ家がすべて工面します。それがわたくしに出来ることなら、一度は捨てようと思ったレンウィッグの名を引き継いでみせますわ」 唖然とする先輩達に檄を飛ばし、他の確認事項を尋ねてから参謀室を後にする。 優秀な先輩達が居てくれる以上、ここでヴィクトリアができる仕事は多くない。だが、ヴィクトリアにしかできないことだって沢山あるはずだ。まずは崩壊したメインベースから引き上げてきたトランスポーターを組み立て、使用可能になり次第ランバーグへ向かわなければならない。 戦地へ赴いた皆が無事に帰ってきたとき、胸を張ってシャンと出迎えられるように、自分にしか出来ない仕事はきっちりこなしたい。一人の同志として、そしてリーダー代理として。 ヴィクトリアは迷い無く前を見つめて進む。 自分の信じる、自分に出来ることを精一杯こなすために。 大切な仲間達が無事に帰ってきたとき、笑顔で互いに誇れるように。 |
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