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第四章 届かなかった手 一度逆さにした砂時計は、もう一度向きを変えないかぎり決して落ち行く砂をおし止めることはできない。落ちていく砂を世界の命に例えるなら、すべての砂が下へ落ちてしまったときに世界は崩壊するだろう。 それを止めるにはもう一度砂時計の向きを変える必要がある。しかし砂時計の向きを直したところで、世界崩壊を目論むヒトが居る限り何度でも逆さにしようとするだろう。 諸悪の根源を絶たない限り落ち行く砂をおし止めることはできない。 世界崩壊を食い止めようとするのもヒトであり、世界崩壊を目論むのもヒト。 本来ドラゴンはヒト同士の争いには介入できないが、そんなことを言っていられない現状がある。しかし、現実を目の当たりにしてもなお、胸の内に燻っている思いがあった。 かつてヒトは自分たちの創造主、そしてドラゴンの創造主である神を殺した。大罪を犯したヒトを、自分たちの生みの親を殺したヒトを許せない。 『いつまで私はそんな過去にこだわっているのでしょう』 誰も居ない竜の里。静まりかえった竜王の間で、竜王は誰も独り言を呟く。 ヒトとの関わりをずっと拒み続け、避けてきた。例えヒトが滅びの窮地に立たされようとも、手を貸さないと思い続けてきた。 けれど、アダムやイヴ、そして里のドラゴン達を世界崩壊を防ぐためにヴァルハラへ向かわせたのは紛れもなく竜王の一言だった。 それは何故か。創造主に愛されながらも創造主を殺した憎んでいるヒトが住まう世界など滅んでも構わないとさえ思っていたはずなのに、何故最後の最後に手を貸そうなどと思ったのか。 『あの子達が、居たから……。あの子達が愛した世界だから……』 竜王は部屋の片隅にある水晶の壁の前に歩み寄った。そこに映っている自分の姿は、本来の姿ではなく仮の姿。可愛らしい容姿をしたあるドラゴンの容姿を真似ている姿だ。 セミロングの銀髪は細くて柔らかく、琥珀色の瞳は底が見えない魅力を携えている。雪のように白い肌はどこまでも澄みきっていた。 かつて神狩りが起きる前はヒトと愛し合って子を成すドラゴンは多々存在した。竜王も、何度か祝辞を送ったものだ。 だが神狩りの後、ヒトとドラゴンとの間には深い亀裂が走り、ほぼ完全に両者の交流は途絶えてしまった。唯一ヒトと近い距離に在り続けたのが、聖石を守護するために創られた自我を持たないドラゴン達だ。 だがそのドラゴンの中にヒトと関わって自我が芽生え、ヒトを愛してヒトとの間に子供成した者がいた。同様に、ヒトを愛した別のドラゴンもいた。そして今、水晶に映る姿の真の主もまた、ヒトを愛し、ヒトを護るために戦っている。 『ドラゴンはヒトを守護するために創られた。神は私達を愛しておらず、ヒトだけを愛していた。だから私は、ヒトに嫉妬していた。神に、私達ドラゴンも愛してほしかった』 まるで親が妹ばかりを可愛がっているから拗ねている姉のような、そんな気持ちなのかもしれない。ただのちっぽけな嫉妬心なのかもしれない。 『神は私達を愛してくれなかった。愛してくれる前に、ヒトによって殺されてしまった。だから私はヒトを憎んだ』 けれど、今は違う。もう一つの道が見え始めている。あの子達のお陰で。 『神は私達を愛してくれなかった。けれど、ヒトの中には私達を愛してくれる者がいた。そして、私達の中にもヒトを愛する者がいた』 憎しみ以外の感情をヒトへ向けられなくなっていた竜王と違い、芽生えたばかりの自我を持ったドラゴン達は純粋だった。純粋で無垢な心が、ヒトに惹かれていった。 それは、まだヒトとドラゴンが分かり合える道があることを示してくれた。共に愛し合えることを、竜王に思い出させてくれた。 『もし天使である友達を救えなかったら、きっとあの子は最後の手段を使うでしょう。その時が――』 静かに瞳を閉じ、竜王は誰も居ない静寂の空間で祈るように両手を胸の前で組む。 予期する未来が現実とならないように。そして、儚い幻想が未来となるように。 今はただ、そう祈ることしかできなかった。 * * * 止まっていた時間は一瞬。次の瞬間にはみな弾丸のように飛び出していた。 シェドが一人、ヴァルハラ神殿の天井を支える太い支柱の一本へ駆け、同時にバーバラ達は水晶のような半透明の椅子にどっしりと腰を落とすニーヴルの社長、ルシフェル=ガブリエスタの元へ迫っていた。 美しく荘厳な趣を与える大理石の壁と違い、支柱は中が空洞になっているガラス製のようだった。そして内部には透明度の高い液体が満たされており、その液体に漂いながら素肌を晒す少女の姿があった。その数、十二人。 シェドが向かった先にある柱の中には桃色の髪を揺らすバーバラと同い年くらいの少女が瞳を固く閉ざして佇んでいた。“心無き天使達”の一人であり、バーバラが複雑な感情を抱く相手、“無垢なる獅子”。 「アリアッ! ――ぐッ!?」 レオの元へ駆けだしたシェドの背後から光の矢が迫り、気配を感じ取ったシェドは体を捻りながら銃身で矢を弾くが、体勢を崩してヴァルハラ神殿の床に倒れ込んだ。 後方ではカルネが両手に魔力のみで作り上げた弓を構えていた。おそらく先ほどの矢は、ガントレットを包んでいたウインドジェムの魔力を凝縮させたものだろう。 「おおおおっ!」 一方で、シェドとは別にバーバラ達はルシフェル目掛けて一斉に飛びかかっていた。世界崩壊を目論むニーヴルのトップ。頭を落とせば、どんな組織だろうとも統率力を失うはずだ。 この場にもう一人のガンズであるミゲルの姿はない。非戦闘員であるはずのルシフェルならば、自分達だけでも何とかなる。 バーバラはそう思っていたが、そんな目論見は辛くも裏切られた。エインフェリア達とシールディアの前に立ちはだかったのはルシフェルではなく―― 「な、なにッ! ぐううぅぅっ!」 玉座に腰を下ろすルシフェルの手前に凛と立ち、掌をこちらへ向けるニーヴルの副社長。レミネーラは不可視の強力な障壁を展開し、バーバラ達はその凄まじい威力に弾き飛ばされた。ドラゴンであるシールディアの冷気を纏った一撃すら、レミネーラの張った障壁によって軽々と弾かれてしまった。 「そんなっ! レミネーラ様も社長と同じく非戦闘員のはず……」 「現在の地位に至る前はスカウト。戦力はエインフェリアに及ばぬ一般兵以下」 「じゃあ何だよ、あの馬鹿みたいに強力な障壁はっ! あの魔力はガンズ並だぞ!」 愕然とするラズベリーと冷静に応じるスピカに対し、バーバラは焦りを露わにしながら声を張り上げる。 「くっ! 私達の氷炎拳ですら破れないなんて!」 「あれだけの魔力、一瞬で展開するのは不可能よ!」 エーギル姉妹の二つ名、“双身”の由来でもある氷と炎の拳による完全なシンクロ攻撃ですら、あの障壁には通用しなかった。 すべてを退けるほど強力な障壁を張っていたレミネーラが右手を顎に当て、左手を右腕の肘添えながら優雅に微笑む。一見、まるで聖母のように温かく柔らかな笑みに見えるが、ニーヴルの人間には見えるはずだ。その笑顔の裏にある、悪魔の微笑が。 「社長の計画は何人たりとも邪魔させないわ。もっとも、あなた達程度では何もできないでしょうけどね」 「……今、僅かだが天使の波動を感じた。柱の中に捉えられている少女達からではなく、あの女から」 「え……?」 シールディアがレミネーラに鋭い視線を投げつけながら呟くようにそう言う。その言葉に一層レミネーラの笑みが華々しく輝き、それはまるでシールディアの言葉が正解だと答えているようだった。 「なるほど。あなたが基地内に侵入したドラゴンね。外で戦っている連中に先んじてやってきたというわけでしょう?」 「……外で戦っている連中?」 不敵な笑みを浮かべて尋ねるレミネーラに対し、シールディアは眉を顰め、心当たりがないように首を傾げた。 「あら、違うの? 招待状も送ってない“招かれざる客”が大勢押しかけて困ってるのだけれど、あなたのお仲間さんじゃないのかしら? 色とりどりで目に痛いカラフルなドラゴン達は」 「なっ――! ドラゴン達? まさか、竜王達が……?」 「ふーん。どうやらあなた達ドラゴンも一枚岩ではないようね。まあ、私達には何の関係もない話だからどうでもいいことだけど」 雲の上で行われているような会話を聞きながら、バーバラは両手に力を籠めてハンドガンのグリップをしっかりと握りしめる。いつでも再度攻撃を仕掛けられるように。 一方、バーバラ達の側面からは凄まじい爆音が繰り返し巻き起こっていた。カルネとシェドのぶつかり合いは、爆風のような衝撃波を次々と生み出しながら激しさを更に増していく。 シェドはレオを助けるために必死なのだろう。そしてカルネは、一体でも天使が失われれば世界崩壊が防がれるためシェドを止めようとしているはずだ。あれだけアルフレッドを圧倒してたシェドの攻撃を、カルネは眉一つ動かさずに凍てつく表情のまま受け流している。前々から思っていたが、やはりカルネの実力は底が知れない。 世界崩壊を防ぐには一体でも天使を倒せばいい。レオを殺そうとすればシェドを敵に回しかねないが、それ以外の天使ならばどうだろう。シェドは口出ししないのではないだろうか。 その選択肢を脳裏に描くと、バーバラの心を激しい動悸が襲った。 「……くそ、オレは……ッ!」 「バーバラちゃん?」 「一体でも天使を殺せばいいんだ! 簡単なことだろ! なのに、どうして!」 心が、バーバラの本心のどこかが天使を殺してはならないと言っている。殺したくないと願っている。世界から愛されずに辛く苦しい思いを強いられている少女達を、自らの手で散らすということを躊躇ってしまう。 それはバーバラの心が弱くなったからなのか。以前なら何の躊躇いもなく、迷いもなくやれたはずだ。それができなくなってしまったのは、バーバラの心が弱くなってしまったからなのだろうか。 集中力が散漫し、とてもではないが戦闘に集中できない。それほどバーバラは困惑の中にいた。 何が正しいのか。自分は何をすればいいのか。自分に何ができるのか。 今のバーバラには何もわからない。何をすべきなのか、全くわからない。 「ふむ。招待状を送ったつもりはないが、とはいえ折角我々の門出を見送りに来てくれたのだからな。最低限の持てなしはしてやらねばなるまいか……」 「ルシフェル……。アイツさえ居なければ!」 自身の困惑をすべて怒りへ転じて視線に籠め、バーバラは頬杖をつきながら玉座で余裕の笑みを浮かべるルシフェルを睨め付ける。 「さて、エインフェリアの諸君。君たちは私の計画を遂行する上で大いに役立ってくれた。遅ればせながらこの場で感謝の意を伝えておこう。ありがとう。君たちの働きがあったからこそ、こうしてすべての天使を揃えてることができ、もう一つの神を降臨させることができる」 「何が感謝の意だ! オレ達はそんなことのために戦ってきたわけじゃねぇ!」 「そうです! 天使の意味を知っていたのであれば、自らの首を絞めるような真似は絶対にしませんでした!」 「世界崩壊なんかさせない……。もう一つの神は、復活させない!」 バーバラ達の叫びを耳にしてもルシフェルの表情に変化はない。もはや自分とは住む世界が違うとでも言っているかのように、その目は道端に転がる石を見つめるのと同じだ。 「世界崩壊? 勘違いしていないか? 私がしようとしているのは世界崩壊ではなく、世界の再生だ。一度すべてを無に帰した後、清浄なる世界を再構成するのだ」 「同じ事だろッ! 再生だか何だか知らねぇが、一度世界を崩壊させるってことは、いま生きている人間をすべて犠牲にするってことだろうが!」 「ふむ。その通りだが、それが何か問題か? この穢れきった世界を浄化し、洗練された新たな世界を創り直すという崇高な目的の前には、そのようなことはあまりに些末でどうでもいいことではないか?」 「な、なんだとッ!?」 ルシフェルの言葉にバーバラは目を剥いて一層鋭い視線を投げつけた。ルシフェルとレミネーラの笑顔には、今の言葉に何の躊躇いも疑問も抱いていないように見える。 他人を犠牲にすることは、エインフェリアとしてのバーバラは幾度と無く行ってきたことだ。そんなバーバラにルシフェルの言葉を否定する資格はないのかも知れない。だが、例え過去のバーバラには受け入れられたかもしれない他人の犠牲も、今のバーバラにとっては受け入れられないことだった。 ルシフェルの目的が何なのか、何故世界の再生を望むのかわからない。だが、そんなのわかりたいとも思わなかった。 今を生きるすべての人間を犠牲にしてまで行う理由があることなど、この世界には在りはしない。高が一人の人間がそんなことを望むなど、許されるわけがない。 「人間など、神が何度でも創り直すことができる。そもそも、神が創ろうとした完全で清浄な人間から遠くかけ離れた今の醜悪な人間など、すべて滅ぼすのは当然だろう」 「テメーが何言ってるか、理解する気はねぇッ! オレはオレが生きるために世界崩壊を防ぐ! オレはこの世界でラズベリーやスピカと一緒に生きていくんだッ! これからもこの世界で生きていくんだッ!」 バーバラの叫びにエインフェリア一同とシールディアが頷いたとき―― 「そうだ! この世界を、勝手に破壊されてたまるかよッ!」 「な――ッ!?」 不意に響いた若い男の声。それはシェドの声でもルシフェルやカルネの声でもなかった。 背後から凄まじい勢いで迫ってくる気配。それを感じ取って振り向こうとしたバーバラの脇を、一人の男が駆け抜けていった。 世界崩壊を防ぐ。そのためにアイザックはここへ来た。同志達に背中を任せ、一心にこの場所を目指した。そして今、瞳の中には世界崩壊を目論む元凶がハッキリと映し出されていた。 「おおおおおおおっ!」 両手で握りしめた斧を振りかぶり、玉座にどっしりと腰を下ろす悪の組織ニーヴルの総大将、ルシフェル目掛けてアイザックは力の限り斧を振り下ろした。 ガンズと呼ばれる凄まじい戦闘力を持つ四人の戦士の一人は魔弾のシェドが抑えており、他の三人の姿はない。そしてヴァルハラ神殿の外まで漏れ聞こえていた会話を耳にした限り、エインフェリアと呼ばれるニーヴルの戦士達は世界崩壊の計画に賛同して居らず、幹部達と敵対している様子だった。 ならば倒すべき敵は限られてくる。天使と呼ばれる存在は見当たらなかったが、すべての元凶であるニーヴル社長の姿は確認できた。 ヴァルハラ神殿に突入した瞬間からアイザックはルシフェルだけを見据え、奇襲を兼ねた捨て身の一撃を繰り出していた。だが―― 「な、何ッ! ぐおおおおおおっ!」 アイザックの斧はルシフェルに届かなかった。ルシフェルとアイザックの合間に割って入った、長い黒髪を靡かせる紫紺のスーツを身に纏った女によって。 「ちぃっ!」 ジェムを使った魔法なのか、強力な障壁がアイザックの攻撃を弾き飛ばす。黒髪の女は優雅な笑みを携えたまま、奇襲攻撃だというにも関わらずまったく驚いた様子を見せない。 「ニーヴルの副社長であるレミネーラですね。しかし、彼女は非戦闘員のはずです。なぜあれほどの力が……?」 アイザックに遅れて神殿内へ駆け込んできたナイが驚きを隠せない様子でそう呟き、その隣のガネットはルシフェルやレミネーラではなく、エインフェリアの一人を見つめて目を大きく見開いていた。 ガネットの視線の先にいる銀色の髪をした色白の少女を一瞥した後、アイザックは斧を構え直してルシフェルとレミネーラを睨め付ける。 「あら、他にもエインフェリアの生き残りが居たのかと思ったら、どうやら違うようね? 見たことない顔ばかりだけど、どちら様かしら?」 「……レミネーラ様、奴らはガルバトロスが組織したグループの人間です」 魔弾のシェドと激しいぶつかり合いを続けているガンズの男が、淡々とした説明口調でそう言った。シェドの腕から伸びた光の剣を淡いグリーンを帯びたガントレットで受け流しながら、まるでその凄まじい戦闘など片腕仕事で悠々とこなしているかのような落ち着きぶりだった。対するシェドは必死の形相で絶え間なく攻撃を仕掛けているというのに。 隻眼で赤い髪をしたあのガンズは、かつてメインベースを襲撃して多くの同志を殺した男だ。あの時感じた圧倒的な力の差は今もアイザックの脳裏にしっかりと焼き付いている。 「成る程。どうやってここまでやってきたのかは知らないけど、いい加減鬱陶しいわね」 「鬱陶しくて結構! お前らなんかに世界を崩壊させるわけにはいかないんでね!」 「――ッ!? アイザック! あの柱の中を見てッ!」 レミネーラをキッと睨み付けていると、突然後方でガネットが声を張り上げ、アイザックが振り返るとヴァルハラ神殿を支える柱を指さした。 純白の内壁が覆う中、柱だけはガラスで出来ているのか半透明の仄暗い色をしていた。ガネットに言われるまま柱をジッと凝視すると、そこには一糸纏わぬ姿で柱の中を満たしている液体に包まれながら佇む少女の姿があった。 アイザックはハッとして周囲の柱すべてを見渡す。神殿内にある十二の柱すべてに少女が取り込まれており、シェドと隻眼の男が戦い続けている場所の先にある柱には見覚えのある桃色の髪をした少女が固く瞳を閉ざしたまま囚われていた。 「天使達は柱の中かっ! ナイ、ガネット! 散開して柱を破壊しろッ! 一体でも天使を倒せば世界崩壊は止められるっ!」 「はいっ!」 「……社長の夢、あなた達なんかに邪魔はさせないわ」 「――なにッ! ぐおおおっ!」 別々の柱へ向けて駆けだしたアイザック達だったが、次の瞬間には三人とも無様に神殿の床に倒れ込んでいた。 それはあまりに一瞬の出来事だった。散開したアイザック達を、レミネーラが一人ですべて弾き飛ばしたのだ。 ガネットの後方から回し蹴りを叩き込んで転倒させ、その次の瞬間にはナイの正面から懐へ正拳突きを繰り出して吹き飛ばし、さらには次の瞬間にアイザックの正面から何らかの魔力が凝縮された一撃をアイザックの全身に浴びせて弾き飛ばした。 レミネーラは刹那の間にセイクリッド・スピアの三人すべてに対してヒットアンドアウェイを繰り返し、アイザックがみっともなく神殿の床に倒れ込んだ時には既にルシフェルの横で先程と同じ微笑を携えていた。 「ぐっ……、な、何だ今のは!」 「私のアクセラレータよりも早く移動した? ……そんな馬鹿な!」 エインフェリア達も唖然とした面持ちで床にへばりつくアイザック達とレミネーラの微笑を交互に見つめていた。その表情を見る限り、彼女らも非戦闘員であるはずのレミネーラがこれほど凄まじい力を持っているとは露程にも思っていなかったようだ。 「ふふふ、どう足掻いても普通の人間にこの力は超えられないわ。この、“天使の力”はね」 「て、天使の力……だと?」 「やはり天使の力か。だが、聖石に適合する天使はすでに十二人選出されているはずだ。何故そなたが天使の力を得ることができたのだ?」 レミネーラの微笑に淡々とした口調で問いただすのは、エインフェリアの一人と思われる銀髪の少女だった。先程ガネットが何やら驚いた面持ちで見つめていた相手であり、他のエインフェリア達とは少し雰囲気が異なっているようにみえる。 アイザックはレミネーラの攻撃による全身の痛みを押し殺しながら体を起こして体勢を整える。同志達の思いを背負っている以上、諦めるという選択肢など最初からない。 「簡単よ。神が創りし天使とドラゴン。ドラゴンの亜種を生成できる私達の技術力を持ってすれば、天使の亜種だって創り出せるわ」 「天使の……亜種?」 「そう。こんな、風にね」 銀髪の少女へ視線を向けたまま、レミネーラが紫紺のスーツの上着を脱ぎ、下に着ていたブラウスのボタンを上から三個外して胸元を晒した。そして黒い下着を少しずらし、右胸の上辺りにある不気味なそれを他の誰でもなく銀髪の少女へ見せつけた。 アイザックの位置からでも確認できる。それは煌びやかな装飾品をあしらったアクセサリーようなもので、中心部分には不気味な光を放つジェムが埋め込まれていた。それらはレミネーラの肌に直接張り付き、半分近くはレミネーラの体内へめり込んでいた。 「“人工聖石”とでも言ったらわかりやすいかしら? 聖石が放つ魔波や魔力振動数を調べ、気の遠くなるような時間を掛けて様々なジェムを掛け合わせ、精錬させて作り上げた聖石の模造品。もちろん本物には遠く及ばないけれど、それでも普通の人間を遙かに凌駕する魔力を“装備者”に与えることができる」 「……なるほど。確かに、そなたからは天使の波動を感じる。聖石の複製……。そなた達は決してヒトが踏み入ってはならない禁忌に触れたな」 「ふっ、ドラゴン風情が大層な口を利く」 銀髪の少女の言葉をルシフェルが鼻で笑い、少女は睨むようにルシフェルを見つめた。 正直、アイザックは会話の内容についていけていない。わかるのはレミネーラが厄介な力を持ってしまったと言うことだけだ。 レミネーラを何とかしなければ天使を倒すことは出来ない。アイザックはナイとガネットに目配せして斧を握る手に力を籠めた。 「おい、エインフェリア共! レミネーラは俺たちが何とかする! お前達も死にたくないんだったら、俺たちがレミネーラを抑えている間に一体でいいから天使をぶっ倒せ!」 「な、何だと! いきなり現れて何命令してんだよテメーッ!」 「いいからやれ! こんなところで死にたいのかッ! 行くぞ、ナイ! ガネット!」 動揺するエインフェリア達を後目にアイザックは駆け出し、ナイとガネットも続く。シェドがガンズの男との戦いに夢中になっている以上、頼れるのはエインフェリア達しかいない。アイザック達のことを知らない奴らからすれば信じることなど容易ではないだろうが、それでも世界崩壊を食い止めたいという思いくらいは同じハズだ。 三方向からレミネーラに攻撃を仕掛けると、レミネーラは片手を軽くあげて障壁を展開した。障壁にぶつかった瞬間、斧の先から凄まじい衝撃がアイザックに襲いかかる。 「ぐうっ! 何てデタラメな障壁張ってやがんだよ!」 「これが天使の力なの!?」 「何をしている! 早く天使をやれっ!」 アイザックが声を張り上げても、エインフェリア達は動こうとしない。まるで天使とは言え一人の少女である彼女らを殺すことを躊躇っているように。 それでは誰も救えない。シェドや、同志達の元を去っていったあいつのように、そんな甘い考えでは世界は救えない。 「やれっ! 世界のためだ! このままでは世界中の人間すべてが死ぬんだぞ!」 「……わかってる! だが、オレは……ッ!」 赤い髪をした幼い少女が歯を噛みしめながら強く拳を握りしめている。迷いに満ちているあの表情を見る限り、彼女に天使を殺すことは出来ないだろう。 ならばうり二つの顔をした二人の女。大人である彼女らならば、少女の命と世界の命を比べたときにどちらが重要か分かるはずだ。 だが、アイザックがどんなに目で訴えても、女達は動こうとしない。何で世界を影で操ってきた暗躍組織の連中であるはずなのにどいつもこいつも甘ちゃんばかりなのか。アイザックは怒りを抑えつつ必死に目で訴え続けた。 「ふふ、滑稽ね。もっとも、彼女達が柱へ向かおうとした時点ですぐに先回りすることくらい可能だけど、それすらする必要がないようね」 「なん、だと?」 「まさかその程度の力で本当に私を抑えられていると思っているの? だとしたらかなりおめでたい思考の持ち主ね。この程度、少し力を入れればすぐにはじき飛ばせるわよ?」 アイザックは強力な障壁の向こうで不敵に笑うレミネーラを見つめながら戦慄する。その表情はその言葉が決して嘘ではないことを如実に物語っていた。 勝てない。自分と相手との間に天と地ほどの差を覚える。 アイザックの脳裏に絶望の二文字がよぎった瞬間―― 「おおおおおおおッ!」 一陣の風が神殿内を駆け抜けた。 疾風一閃。アイザックが見開いた瞳に、見覚えのある背中がハッキリと映し出された。 「はああああっ!」 懇親の力を籠め、玉座に腰を下ろして天上から眼下に広がる世界を傍観するかのように戦場を蚊帳の外から見つめていたニーヴルの社長、ルシフェル目掛けて剣を振り下ろす。 直接相対するのは初めてだ。だが、すべての元凶であるルシフェルの顔は写真ですでに知っていた。この男を倒せば世界崩壊を推し進めるニーヴルの勢いは一気に瓦解するはず。 決して聖石に適合してしまった少女達の犠牲の上に成り立つ平和など求めない。倒すべきは不幸な運命を背負わされてしまった少女達ではなく、少女達を利用している元凶。 「な、なにっ! 社長っ!」 アクセラレータで音速に肉薄するほど加速した状態で、シルヴァランスはルシフェルに斬りかかった。手前に居た黒髪の女が完全に不意を突かれたという表情でシルヴァランスを見送った後、シルヴァランスの刃がルシフェルに届く直前―― 「――ッ!?」 不意に側面から高速で飛来した何かによって剣の軌跡が逸れ、シルヴァランスの剣は玉座のすぐ隣の床とぶつかって衝撃音が響き渡った。 「邪魔だてはさせん。レミネーラ様、後はお願いします」 「くっ!」 どうやら先程の攻撃は側面でシェドと戦っている隻眼の男が放った魔法のようだ。一瞬視線が絡むと、赤い髪をした隻眼の男は無表情のままシルヴァランスを一瞥してすぐに目の前のシェドへと視線を切り替えていた。 体勢を崩したシルヴァランスのもとへすかさず黒髪の女が襲いかかってくる。レミネーラと呼ばれた女は肉眼では追い切れないほどのスピードで迫り、気づいたときにはシルヴァランスの正面で拳を振り上げていた。 「次から次へと鬱陶しいわね! けれど誰にも私達の計画は邪魔させないわ!」 「僕は必ずあなた達の目論見を潰してみせます! この世界を、決してあなた達に好き勝手させるわけにはいきません!」 レミネーラの正拳突きをシルヴァランスは剣の腹で受け止めた。シルヴァランスが反応できるとは思っていなかったのか、レミネーラの動きが一瞬硬直する。その間にシルヴァランスは剣を振り上げてレミネーラの脇を裂いた。 「あああっ! く……、そんなっ! このスピードに付いてこられるなんて!」 紫紺のスーツが裂けて血が滲み出る脇腹を押さえながらレミネーラが一歩後退し、奥歯を噛みしめながらキッとシルヴァランスを睨め付けてくる。シルヴァランスは剣先をレミネーラに向け、腰を落として身構えた。 「シ、シルヴァランス……。お前、どうして……?」 「僕は僕のやり方で世界を救う。そう決めてここへ来ました。決して天使の少女達を犠牲にすることなく、本当に倒すべき敵のみを倒して世界崩壊を食い止めてみせます!」 「お前はまだそんな甘い考えを! ……勝手にしろ! だがな、俺たちは天使を殺してでも世界を救う!」 アイザックが突然現れたシルヴァランスに一声掛けた後、シルヴァランスとは異なる信念をハッキリと告げた。そしてナイ、ガネットと共に支柱に囚われている別々の少女達のもとへ駆けだした。 「させるものですかっ!」 「ぐっ!」 レミネーラが天使を倒そうとするアイザック達を止める。アクセラレータを使っている状態のシルヴァランスと互角に渡り合えるスピードを前に、シルヴァランスにウインドジェムの扱いを教えたナイですら歯が立たずに弾かれてしまった。 シルヴァランスはレミネーラがアイザック達に仕掛けるのを見過ごしてルシフェルを狙い撃つ。本当に倒すべきただ一人の敵を。 先程は赤い髪の男によって阻止されたが、シェドの相手をしている以上そうそう何度も横やりをいれられないだろう。もっとも、我を忘れた様子でがむしゃらな攻撃を繰り返している今のシェドなら相手の動きを読むまでもなく容易に翻弄できるのかもしれない。 「ルシフェルをぶっ倒すつもりならオレ達も加勢するぜ! いくぞ、スピカ、ラズベリー!」 「はいですぅ」 「わかった」 今まで状況に呑まれて呆然としていたエインフェリア達がシルヴァランスに呼応するようにルシフェル目掛けて飛び出した。一瞬、双子の姉妹と視線を交錯させた後、シルヴァランスは瞳にルシフェルのみを映し出して剣を握る手に力を籠める。 「社長ッ! くっ、やらせないわっ!」 玉座に腰を下ろしたまま微動だにしないルシフェルに対し、レミネーラは必死の形相で神殿中を駆け回っていた。アイザック達が柱へ向かおうとすれば先回りして弾き飛ばし、さらにルシフェルに襲いかかろうとする者が居れば、その者に対しても先回りして攻撃を防ぐ。 中でもアクセラレータを全開にして音速で駆けるシルヴァランスとは幾度と無くぶつかり合い、その度にレミネーラは苦汁を飲まされたような顔つきでシルヴァランスの剣を手の甲で弾いていた。 ルシフェルの首筋を狙った一太刀を弾かれて少し後退したシルヴァランスのところへ、エインフェリア達に混じっていた銀髪の少女が近寄ってくる。 「シルヴァランスよ、久しぶりだな」 「はい、シールディアさん。元気そうでなりよりですが、状況が状況なので、積もる話は後にしましょう」 「そうだな。まずは倒すべき敵を倒し、救い出すべき大切な家族を救い、そして共に家族のもとへ帰還しよう」 「ええ!」 レミネーラがルシフェルに飛びかかったエインフェリア達を全員弾き飛ばした直後、シルヴァランスとシールディアは左右からルシフェルに迫った。 シルヴァランスはウインドジェムの魔力を帯びた剣で斬りかかり、シールディアは凝縮させた冷気をドラゴンブレスのように放射する。 「くうぅぅぅっ!」 何度も何度も天使達のもとへ迫ろうとするアイザック達を床にへばりつかせた後、レミネーラはシルヴァランスの剣を右肘で直接受け止め、シールディアの冷気に対しては左手をかざして強力な障壁を張った。 生身とは思えぬ強固な肌にシルヴァランスの剣がめり込んで血が滲み、障壁と冷気がぶつかり合って凄まじい衝撃が周囲に広がる。 一人で十人の相手を続けるレミネーラの額に汗が滲み、今まで浮かべていた余裕の笑みを消して息を荒らげていた。 スピードだけならシルヴァランスも互角に渡り合えるが、トータルの戦闘力を考慮すれば決してシルヴァランスはレミネーラに及ばない。だがこうして皆の力を合わせて戦っている今、誰が見ても押しているのはシルヴァランス達の方だ。 同じ思いを共有している仲間。敵でありながらも世界崩壊を防ぎたい、天使となってしまった少女達を救いたいという気持ちを抱いているエインフェリア達。かつての仲間であり、世界を護るべく戦っている同志達も、たとえ犠牲の上になりたつ平和であろうとも世界を救いたいと思う気持ちは同じだ。 「ぐっ! そんなっ! 人工聖石を取り込んだこの私が……ッ!」 弾いても弾いても決して諦めない相手を前に、徐々にレミネーラの旗色が悪くなっていく。反比例するように、エインフェリア達の士気、シルヴァランスとシールディアの勢いは高まっていった。 このままレミネーラを圧倒し、そしてその後ろに佇むルシフェルを倒して天使達を犠牲にすることなく世界崩壊を防げる。そうシルヴァランスが思い始めたとき―― 「フッ……。こちらも、四の五の言ってはいられぬか」 ルシフェルの未だ余裕に充ち満ちた声が神殿内に不気味に響き渡った。 沈黙を続けていたルシフェルの一言に、スピカを含むその場の誰もが硬直した。 突如として現れた金髪の男も警戒するように後方へ飛んで間合いを開け、何度も天使達が閉じこめられている柱へ向けて攻撃を仕掛けようとしていた者達も片膝を神殿の床に付いたままキッとルシフェルを睨め付けている。 「社長……」 「これだけ多くの客人を我々だけでもてなすのは無理だろう。まだ穢れの少ない聖石もあるが、この状況ではそうも言ってられん。折角だ。彼らには真の天使覚醒の証人となってもらおう」 「……わかりました」 レミネーラが後退してルシフェルのすぐ隣へ移動する。離れたところでシェドと戦っていたカルネも、レオが囚われている柱を離れて玉座の元まで引き上げてきた。シェドが怪訝そうに後退したカルネを見据え、柱に左手を添えながらどういうつもりだと言いたげに視線を研ぎ澄ませていた。 天使を一体でも倒せば世界崩壊は防げる。なのに柱の守護をやめたガンズやレミネーラが何を企んでいるのかわからずスピカは困惑と共に言葉にしがたい不安を覚えていた。 始終余裕の笑みを崩さないルシフェルは、まるで最初から詰みを読み切っていたゲームの勝者みたく振る舞っていた。そして今、勝利宣言をスピカ達へ通達するかのように口角をつり上げたまま僅かに白い歯を見せていた。 シェドが相手の意図など構うものかと言わんばかりに魔法力を終結させた剣を具現化して振りかぶり、柱目掛けて振り下ろそうとした瞬間―― 「目覚めろ」 ルシフェルの一言が始まりと共に終焉を呼び覚ます。 「あうっ!」 突如として凄まじい揺れが神殿内を襲い、スピカはバランスを崩して床に倒れ込んだ。同様にルシフェルとレミネーラ、カルネの除く者達が激しい揺れに耐えきれず次々と膝を床に落としていった。 ヴァルハラが地上から切り離されて空へ上昇していく時以上の激しい揺れが神殿の壁に大きな亀裂を走らせ、天井からつり下げられた鐘がカラカラと鳴り響く。轟音はやまず、神殿の床にも深い亀裂が走った。 「ぐっ……、くそっ! アリアッ!」 必死に体を起こそうとするシェドの手前で柱に亀裂が走り、内部の液体が裂け目から滲み出るように溢れてきた。そして内部に取り込まれたレオの胸に埋まった聖石が、不気味な蒼い光を発し出す。 『――ッ!? ゴポッ……!』 「アリア……? アリアーーッ!」 固く瞳を閉ざしたままのレオが苦しげに気泡を漏らし、それを見たシェドが床に這い蹲ったまま銃口を柱の上部へ向ける。 「くそ、何だよこの揺れは! ルシフェル! テメー、何しやがった!」 「言っただろう。お前達には我々が進める計画の一端、真の天使覚醒の証人となってもらおうとな」 「真の天使……? まさか天使化のことか?」 「あらあら。あなたはドラゴンなのに何も知らないの? レオを始め、ここにいる子達はみな天使の器であり、本当の意味で天使ではないのよ?」 レミネーラが囁くようにそう言った瞬間、少女達の胸元から溢れる光は一層輝きを増した。シェドが紅蓮に染まった魔弾を撃ち放つが、それは柱に届く直前に聖石が放つ光によってかき消されてしまった。 「本当の意味の……天使?」 神殿を襲う揺れはまったく収まる様子をみせず、むしろ激しさを増すばかりだった。動揺する面々の手前で、玉座周辺だけはまったく振動しておらず、ルシフェルとレミネーラ、カルネは至極冷静な面持ちのまま佇んでいた。 そして遂に足場の一部が倒壊して沈んでいった。沈んでいった床の下に、真っ黒な暗雲に覆われた空が現れる。 「ヴァルハラが崩壊しているのか!? 一体何が起きるというのだ?」 シアン色の髪をした男が崩壊していく足場を見つめて声を張り上げ、辛うじて体勢を整えたスピカ達も落下していく足場から離れて安全そうな場所を転々とする。 もはや天井はすべて崩れ落ち、神殿内は瓦礫の山と化していた。辛うじて立っている柱は斜めに傾き、内部の少女達から溢れる光は眩い煌めきを放ち続けている。 「ヴァルハラも本来の姿へ組み替える必要があるのでな。真の天使が目覚める今、もう一つの神を降臨させるに相応しい神の玉座へと」 「さあ、見なさい。真の天使の目覚めを」 轟音の鳴りやまないヴァルハラの中心。倒壊した神殿に閃光が奔り、ひび割れて傾いていた柱が粉々に砕けて破片や液体が周囲に飛散する。 内部に囚われていた少女達は光に包まれた宙に浮かび上がり、少女達の背中から実体のない半透明の翼が伸びていった。胸元の聖石がそれぞれ異なった色を発し、聖石の中心には奇っ怪な紋様が浮かび上がる。 『ア、アアアアアアアアアッ!』 「アリア……、アリアーーーーッ!」 「アリアさん! くっ、させません!」 天使達が悲痛な声を漏らし、それを耳にしたシェドが喉がつぶれるくらいの咆吼をあげる。一方金髪の男が跳躍してルシフェル目掛けて斬りかかったが、脇に居たカルネが光の矢を放ち、直撃を受けた男は顔を顰めながら床へとたたき付けられた。 『させぬっ!』 さらに頭の中に直接響くような少女の声が木霊し、同時に圧倒的な存在が突如として神殿跡頭上に飛来する。顔を上げたスピカの瞳に、美しい銀竜の姿が映った。シールディアだ。 『ギャオオオオオンッ!』 ドラゴンとなったシールディアが絶対零度の吐息をルシフェル達目掛けて吐き付ける。だがブリザードブレスはレミネーラの張った障壁によって容易くかき消されてしまう。 「くそっ! お前らにアリアを好きにはさせねぇっ! 絶対、俺が助けてみせる!」 シェドが魔法の剣を手にルシフェルへ迫り、カルネが光を帯びたガントレットでそれを受け止める。バチバチと火花が散り、衝撃波が神殿の崩壊をさらに加速させた。 「大丈夫か、スピカ!」 「……うん。でも、もう私達にはどうすることもできないの?」 崩壊していくヴァルハラ神殿の床に両手両膝ついたまま自由に動くことすらできない今のスピカはシェドやシールディアを見守ることしかできない。それはバーバラやラズベリー、フレイデリカとアンリエッタも同様だった。 「残念ながら私達は完全に蚊帳の外です」 「……オレ達の力じゃ、何もできねぇってことか。くそったれっ!」 眼下に広がる漆黒の空に今にも飲み込まれてしまいそうなほど、ヴァルハラはその大地のほとんどを失っていた。辛うじて残された地面にスピカ達は張り付き、シェドと金髪の男、シールディアが必死に玉座に佇むルシフェルを打ち倒そうと足掻いている。 『ア、ア、アアアアッ!』 崩壊の轟音に混じって少女達の悲痛な叫びが舞う。そして、 ガラス玉が割れたような、薄氷が張っている冬の水たまりを踏みしめたような音がその悲鳴の上に響き渡った。 「な……、に? ア、アリア……?」 「そんな……。アリアさん……」 シェドと金髪の男が石像のように硬直して一点を見つめたまま呆然とする。スピカは揺れる大地にへばりつきながら辛うじて顔を上げ、二人の見つめる先へ視線を向けた。 スピカの瞳に、宙に佇む少女の姿が映った。桃色の髪をした少女の背中からは半透明の翼が伸びており、そして―― 「レ、レオ……!」 耳障りな嫌な音を立て、胸元に埋まっていた聖石が粉々に砕けちった。 その光景を、シールディアはドラゴンの姿のままヴァルハラ神殿の頭上より見下ろしていた。 聖石が砕け散り、少女達の胸元からどす黒い血を宙に飛散する。そんな少女達の背中から伸びていた実体のない半透明の翼は、徐々に白さを増し、透明度が低くなっていった。 それはまるでサナギから羽化しようとする蝶のように、少女達の背中から今まさにその存在は生まれ出でようとしていた。 『これが……真の、天使なのか……?』 その場に居合わせた誰しもが固唾を飲み、その姿を目の当たりにする。 少女達の背中から剥がれ、単体で宙に漂う天使達。真っ白な光に包まれ、外見は柔らかなカーブを描く少女の姿をしているが、顔の部分に張り付く表情には一切の感情がない。 十二人の少女達から分離した天使達はみな同じ顔、同じ外見をしており、背中から伸びた翼は純白で神々しく、長い白髪は光を凝縮させた繊維のようだった。灰色の瞳には一切の感情がなく、空中に佇んだまま翼を小さく羽ばたかせている。 胸元にはそれぞれ聖石と同じようなヒュージジェムが埋め込まれており、真っ白な光に混じって様々な色を発していた。 「アリアーーーーッ!」 『――ッ!?』 シェドの絶叫で我を取り戻したシールディアは、胸元の聖石が砕け散り、まるで背中から分離した真の天使に全生命力を奪い取られてしまったかのように力なく空中からヴァルハラ神殿の床へ落下していく少女達を見つめた。 空中に佇む真の天使達と、その器としての役目を終えて用済みとなった少女達。 カルネのガントレットに魔剣を突きつけていたシェドが身を翻して落下するアリアの元へ駆ける。しかしすでにアリアが落下する部分は床が完全に崩落しており、眼下には暗雲がひしめく漆黒の空が広がっていた。 「シェドさん! ――くっ!」 慌てて後を追おうとしたシルヴァランスが激震の続く神殿内でバランスを崩し、床に掌を付いて顔を顰めた。エインフェリア達やガネット達も為す術無くまだ崩落していない地面にしがみついている。 少女達が次々と力なく地面へ墜ちていく中、何人かの少女達はそのまま空へと投げ出されてしまう。シェドは迷うことなく一直線にアリアを追い、そしてそのまま空中へ身を投げた。 『シェドッ!』 瓦礫と共に空へ舞ったアリアとシェド。シールディアは空中で旋回してすかさず後を追う。 「おおおおおおおおっ!」 自由落下していくアリアの頭上で、シェドが天へ向けて魔弾を撃ち放った。その反動でシェドの落下速度が増し、重力に引かれながらシェドが左腕を精一杯伸ばす。 そしてシールディアが見つめる先、シェドの手がアリアの腕を掴み、シェドはそのままアリアの体を引き寄せて強く抱きしめた。 「アリア……。アリアッ……!」 歯茎から血が滲むほどに強く奥歯を噛みしめ、強く強くアリアの身を抱きしめるシェドの悲痛な表情を見ていると、シールディアは胸が張り裂けそうな想いに駆られた。 最早ヴァルハラ神殿は遙か頭上に漂い、シェドは身動き一つせずにアリアを抱きしめたまま自由落下に身を任せていた。 シールディアは速度をあげて二人を追い抜き、その背中でアリアとシェドを受け止める。シールディアの背中に降り立ったシェドが、固く瞳を閉じたまま微動だにしないアリアの顔を歪んだ顔で見つめた後、もう一度強く抱き寄せて目を閉じた。 「俺は間に合わなかった……。俺の力じゃ、アリアを救えなかった……」 『シェド……』 「何がドラゴンの力だ! 何が魔弾だ! 俺の力なんか、あまりにちっぽけで何も出来なかったじゃねぇか! たった一人、アリアさえ救えないなんて、俺は……」 ヴァルハラ神殿から離れた空は静寂に包まれており、微速で空を泳ぐシールディアの背中からはシェドの後悔に満ちた言葉が聞こえてくる。そして時折、固い鱗に覆われたシールディアの背中に温かい液体がこぼれ落ちてきた。 涙の暖かさがシールディアの胸を締め付ける。 その温度はシェドがどれだけアリアのことを大切に想っているかを如実に表していた。アリアのために何も出来なかった自分を責めるシェドの思いが、空気を伝ってシールディアの胸に痛いくらい突き刺さってくる。 『…………アリア』 世界は何て残酷なのだろう。何て容赦ないのだろう。 アリアを天使という呪いの楔から解き放つ手だてがあることは、竜の里を離れる折りにエイルから教えて貰った。そしてその方法を知ったとき、どれだけシールディアは悩んだことだろう。 僅かな希望にすがり、別の道があればいいと模索してきた。けれどそんな道はどこにもなく、そうこうしているうちに決断を迫る分かれ道までやってきてしまった。 今でも迷いはある。別の選択肢があればいいと願っている。 けれど―― 『シェドよ』 シールディアは自分でも予想してなかったほど穏やかな声音でシェドに話しかけていた。 『アリアはまだ生きている。まだ、救う手だては残っている』 もっと声が震えるかと思った。けれど、シールディアの声は今までで一番温かな感情を帯びているぐらいヒトの温もりに満ちていた。 「え――……? ――ッ!? ほ、本当かっ! どうすれば、どうしたらアリアを救えるんだ!? 教えてくれ、シール!」 『ひとまず落ち着ける場所へ移動しよう。そうだな、ここからならテムルの町が静かでいいだろう』 「……わかった。頼む、急いでくれ!」 『ああ』 シールディアは翼を羽ばたかせ、暗雲を切り裂きながら空を駆ける。 ヴァルハラはどうなったか。真の天使が目覚め、世界の崩壊はすでに始まってしまったのか。あの場所を離れた今のシールディア達に、それを知る術はない。 今はただ、アリアを救うことだけを考える。互いを大切に思い合う二人が、笑顔で互いの顔を見つめ合って再会できることこそが、シールディアの願い。 シールディアが迷いを抱きながらも進む道をハッキリと決断したとき、ずっと続いていた暗雲が晴れて青く澄み切った空が見えた。 ヴァルハラを襲う揺れは一向に収まる様子をみせず、それどころか足場の崩落は加速する一途をたどっていた。もはや玉座に腰を下ろして悠然と成り行きを見守るルシフェルと、その両隣に佇むレミネーラとカルネ以外は残された足場にしがみつくのが精一杯だった。 「あーもうっ! 何がどーなっちゃってんのよーっ! 何でアイツらのとこだけ崩れていかないのよぅっ! っていうか、何でそもそも崩れてるのよーっ!」 先ほど無理矢理Aを押しのけて表に出てきたガネットCは、轟音の鳴りやまないヴァルハラで思いっきり愚痴る。 「……けっ、俺達を地面へ真っ逆さまに落っことして一網打尽にしようって寸法か?」 「わざわざ格下の相手にそんな遠回りなことはしないでしょう」 無理に飄々と振る舞おうとするアイザックの言葉にナイが冷静な反論を返し、アイザックが眉をしかめながら自分たちの頭上に佇むその存在を見つめた。 アイザックに習ってガネットも彼女らを見つめる。ルシフェルが真の天使と呼んだ、今までガネット達が打ち倒そうとしていた少女達の内から羽化した存在。生身であるように見えながらも、光のオーラを纏う雪よりも純白に染まった髪や肌、そして灰色の瞳には生気や感情など微塵もなく、彼女たちは存在自体が虚ろで限りなく無機質に近い気がした。 真の天使達はただ宙に佇み、そして今までその器として世界から敵意を向けられていた少女達は、ヴァルハラの崩落によってそのほとんどがガネット達の眼下へと消えた。 「くそっ! 真の天使とかいうのが目覚めたってことは、いよいよもってヤバくなってきたってことか?」 「情報が少なすぎます。……思えば、私達はあまりにもう一つの神や天使に関して無知すぎました。ルシフェル達の狙いが何なのか、そしてそれを実現しようとする方法は何なのか、それを知らない私達には何をすればいいのかわからない」 「ナイ様ぁ……」 ガネットが泣きそうな声で名前を呼ぶと、ナイは先ほどレミネーラの攻撃で負った傷の痛みなど感じさせない柔らかな表情をガネットにくれた。 それだけで不安が完全に消えるわけではない。けれど、普段感情をあまり表に出さないナイがガネットにだけ見せてくれる笑みは、ガネットの心に重く乗りかかろうとする絶望を少し軽くしてくれたような気がした。 「ぐっ……! しかし、この状況じゃまともに戦うことすらできねぇっ!」 「生半可な遠距離遠距離攻撃ではレミネーラの強力な結界に遮られてしまうでしょう。魔弾の男が扱える、あの魔法の剣ぐらい威力のある攻撃を近距離でたたき込めれば……」 「まったくもうっ! シェドったら世界のピンチってときに何でたった一人の女の子を追っていくのよぅっ!」 一年間共に旅をしたガネットは、認めたくはないがシェドの実力を高く評価している。そしてその力が竜の里でアダムによって鍛えられたことでさらに開花したことも。 でも同時に、一緒に旅をしてみてシェドがどれほどアリアという少女を大切に思っているか知った。その思いはシェドだけでなく、シールディアも同じだった。 自分の意志とは関係なくニーヴルに連れて行かれ、そして聖石という異物を埋め込まれてしまい、世界と敵とされてしまった悲しい運命を背負う少女。シェドとシールディアはアリアを救うために世界を旅し、竜王を捜し求めていた。ガネット自身はアリアという少女と直接話したことはないが、二人のアリアに対する想いから、決して世界の敵と呼ぶべき悪ではないと心の片隅で思うようになっていた。 二人にとって、この結末はなんて残酷なことだろう。口では世界よりもアリアを選ぶシェドに非難を浴びせながらも、本当は心の何処かで仕方ないと認めていた。 「くっ……、これ以上は足場がもたない!」 ナイがギリッと奥歯を噛みしめながらルシフェル達を睨み、アイザックも悔しそうに顔を歪めている。 「さて、そろそろ本日の宴はお開きとしよう。後かたづけが残っているので、客人の方々はお帰り願いたい」 「ルシフェル……!」 「先程も言ったが、この度ヴァルハラの大幅な改修を行うことになった。あまり長居していては、改修工事に巻き込まれてしまうやもしれんぞ?」 こちらと違い、ルシフェル達は余裕に満ちた表情を浮かべている。もはや打つ手が無いまま、ガネット達は自分たちの無力さを痛感してほぞを噛むしかない。 その時、不意に突風が崩壊したヴァルハラ神殿を駆け抜けた。 『皆さん! ご無事ですか!』 「……この声は……、エイルッ!」 頭に響いた女の声。聞き覚えのあるその声を聞いて、ガネットはバッと顔を上げた。 空中に佇んでいたのはエメラルド色のドラゴンだった。竜の里で世話になり、そしてヴァルハラへの突入の手助けをしてくれたエイルだ。 『よかった。どうやらご無事のようですね。……もうこの場所は長くはもちません。ここは一度退いて、体勢を立て直した方がいいでしょう』 「そんなッ! このままじゃ世界が崩壊しちゃうんでしょ! 手遅れになっちゃうくらいなら、何が何でもこの場であいつらを倒さないと!」 この状況で戦うことが困難であり、相手の力量を知ったからこそ、自分たちと相手との間に天と地ほどの差があることも分かってしまった。現状でガネット達が勝利する確率など、もはや限りなくゼロに近い。 でも、それでも何もせずにただ世界の崩壊を待つよりはましなのではないだろうか。 『竜王の話に寄れば、世界崩壊までまだ時間はあります。不完全な状態で真の天使を目覚めさせたため、聖石の魔力は完全には満たされていません』 「え……? それは、どういう?」 『詳しい話は後で竜王から聞いて下さい。今は悔しいかも知れませんが一度撤退し、体勢を立て直して次の戦いに備えて下さい!』 確かに現状では勝ち目はない。だが、一度退いたところで、勝機を見出すことなどできるのだろうか。 ガネットはアイザックに視線を向けて指示を仰ぐ。このまま崩壊の続くヴァルハラに残ってルシフェル達と戦うか、エイルの言うとおりに一度撤退して機を窺うか。 「……分かった。ナイ、ガネット、一度退くぞ!」 「分かりました。今は竜王の言葉を信じましょう」 「悔しいけど、そうするしかないのね。ぶぅー……!」 焦りは拭えない。それこそ、この場を離れた瞬間に世界が崩壊してしまうのではないかと思ってしまうくらい、ガネットの全身を焦燥感が包んでいる。けれど、同じ命を散らすなら、少しでも勝てる確率が高い戦いに臨むべきだ。今は悔しさに耐え、次の機会にそれを発散させるしかない。 「シルヴィー! それにエインフェリア共ッ! 今の話を聞いてただろ? まだ時間は残されている! この場は一度退くぞっ!」 「アイザックさん……。分かりました。確かに、僕達だけではどうすることもできない」 ガネット達の前方に居たシルヴァランスが、手を床に付きながら後方へ何度か小さくジャンプしてガネット達の位置まで後退してくる。アイザックと視線を絡めた後、シルヴァランスは悔しそうにルシフェル達を睨め付けていた。 「行きましょう、バーバラちゃん、スピカちゃん」 「くそっ! もうオレ達にあいつらを止めることはできねーのかよ! 世界が終わる様を、指しゃぶりながら黙って見てるしかねぇのかよっ!」 「今は耐えるとき。引き際の見極めも大切。この悔しさは、次にぶつければいい」 「分かったよ! ……絶対、次こそは絶対にオレがルシフェルを止めてやる!」 姦しい三人の少女達が後退する。そして、天使の器だった少女達のほとんどが大地へ落下していった中、辛うじて崩落していない場所に横たわっていた二人の少女を抱えた双子の女達がガネット達の場所まで後退したのを確認して、上空で一度旋回してからエイルが急降下する。 不敵な笑みを浮かべたまま微動だにしないルシフェルを睨め付けたまま、ガネットは下唇を噛みしめながらエイルの背中へ飛び乗った。 「大したもてなしが出来なくて悪かった。次はもっと盛大にもてなせるよう尽力する」 「じゃあね、エインフェリアのみんな」 ルシフェルとレミネーラの言葉を最後に聞き、ガネット達はエイルの背中に乗ってヴァルハラを後にした。 この敗走の悔しさをバネに、来る次の戦い、おそらく最終決戦になるであろうその戦いですべての力をぶつけられるようにする。今度こそ絶対に、自分自身の未来のためにも、世界を滅ぼそうとするルシフェル達を倒さなければならない。 ガネットはエイルの背中から崩壊していくヴァルハラをいつまでもジッと見つめ続けた。 激震に見舞われていたヴァルハラから、パーラ達はアダムと名乗ったドラゴンによって救い出され、その背中に乗ったまま崩壊していくヴァルハラを見下ろしていた。 アダムはヴァルハラ突入を手伝ってくれたエイルの仲間だと言っていたが、エイルとは違い、その声にはあまり顕著な感情は乗っていなかった。 『他の者達はエイルやイヴが助け出した。全員無事だ』 「あ、ありがとうございます」 感情を感じさせないアダムに萎縮しながらも、パーラは同志達の無事を聞いてホッと一息吐いた。 「……その、脱出するってことは、アイザックさん達がニーヴルの野望を打ち砕いて、あの、世界の崩壊を食い止めたってこと、……なんですよね?」 突然崩壊を始めたヴァルハラにパーラはかなり戸惑った。けれど、それはアイザック達が世界崩壊の元凶を退けたからなのではないかと希望を抱いた。そしてドラゴンが脱出するよう促し、アイザック達もすでに脱出しているというのであれば、尚のこと世界崩壊を食い止められたのではないかと感じる。 だが、パーラの言葉にアダムは淡々と無感情な声で答えた。 『まだ、世界崩壊の脅威は取り除かれていない。事実を包み隠さずに言えば、これは凱旋ではなく撤退だ』 「――ッ! そ、そんな……! じゃあ、世界は……」 『崩壊まで時間は残されている。だが、このまま手をこまぬいていては、世界は終焉を迎えるだろう』 「……どうして、アイザックさん達は撤退を……」 『一度体勢を立て直すのだろう。現状では彼らに一縷の勝機も無かった』 「…………」 撤退したところで勝機が生まれるのだろうか。アイザック達だけでなくドラゴン達が撤退に賛同したと言うことは、すなわち世界崩壊を目論む連中の力がドラゴンのそれをも凌駕していると言うことを意味するのではないだろうか。そんな化け物を相手に、いくら万全の状態で挑んだとしてもパーラ達の力がどこまで通用するだろう。 『勝負は必ずしも強い者が勝つとは限らない。確かにもう一つの神を復活させようとしている者達は我々ドラゴンの力を凌いでいるが、それでも我々の勝機はゼロではない。勝負とはそういうものだ』 「……そう、ですね。現状では数パーセントの勝機でも、万全を持して戦えば十パーセントくらいになるかもしれないですもんね」 『そうだ。それに、今回の突撃は決して無意味ではなかった。もう一つの神を復活させるためには完全な形で真の天使を目覚めさせる必要があったが、敵はお前達の力に気圧されて不完全なまま天使を目覚めさせた。その結果、世界崩壊までの時間が伸びた』 「よく分かりませんけど、取りあえずまだ時間は残されているということですよね?」 怯えるように尋ねると、アダムは全くトーンを変えずに『そうだ』と答えた。 決して諦めたわけではない。勝つために、決して諦めていないが故に撤退するのだ。 まだ世界が終わってしまったわけではない。まだ間に合う。 自分自身にそう強く言い聞かせながら、遠のいていくヴァルハラを見つめてパーラは拳を握りしめていた。 「僕達はドラゴンの力を借りて脱出しました。スラッシュもヴァルハラの空域から離脱して下さい」 エイルの背で金髪の青年が何やら喋っている。おそらく遠地の相手に言葉を伝える魔練器なのだろう。 すでにヴァルハラからは距離が離れ、その崩落による轟音も届かない空は静けさに満ちていた。エイルは世界崩壊を防ぐために戦った者達を背に乗せて静寂の空を泳いでいた。 『ガネットさん、何処へ向かえばよろしいですか?』 エイルの背からは重たい空気が伝わってくる。ヒトの思考を読むことをやめたエイルに、彼らが実際に何を考えているかはわからないが、空気を伝ってくるものから感じ取れることもある。 何も出来なかった不甲斐なさ。後悔。きっとそれらは、今エイルの全身を包む想いと同じ類のものだろう。 「えっと、ちょっと待って。……ねぇアイザックちゃん、その、あたしだけセカンドベースへ戻る前に降ろして欲しいところがあるんだけど、ダメかな?」 「ん? 何処だ?」 「……あたし、シェドとシールのところへ行きたいの。行ってどうするってワケでもないんだけど、その……」 ガネットが口ごもりながら、拙い言葉で仲間達に頼んでいるのをエイルは黙って聞いていた。エイルにはガネットがどんな表情をしているか見えないが、今にも泣き出しそうな顔をしているのではないかと思った。 「分かった。俺も魔弾のヤローに話があるからな。……ナイ、魔通信でセカンドベースのヴィクトリアに現状報告しておいてくれ。それと、他のドラゴンに助け出された同志達には先にセカンドベースへ引き上げるよう言っておいてくれ」 「分かりました」 「シルヴィーもそれでいいな?」 「はい。僕もシェドさんやシールディアさんに話がありますから」 エイルの背に乗る全員一致で行き先が決まった。そしてそれはエイルの向かうべき場所と合致する。 「エイル、シールを追うことってできる?」 『可能です。彼女の思念を辿ることはできます』 「じゃあお願い。シールのところに連れてって!」 『……分かりました。では皆さん、しっかり掴まっていて下さい』 速度を上げ、エイルは漆黒の空を駆ける。この先に待っているものが何か、エイルにはもう分かっている。 受け入れがたい現実だとしても、それが彼女が選ぶ道ならばエイルに口出しする資格なんてない。それを受け止め、認めなければならない。 けれど、彼女にだけその道を行かせるつもりはなかった。ヒトを愛する気持ちはエイルの中でも眩く煌めいている。だから―― 暗雲が晴れて広がった青空を見つめ、エイルは心の中で強く決意を言葉にした。 * * * 世界を救うために集った者達で設立された名も無き組織のランバーグ支部で、ヴィクトリアは世界各地で暴れ回るドラゴンによる被害者達のため奔走していた。ドラゴンは人を護る存在であるため、世界各地で暴れ回っているドラゴンは本当の意味ではドラゴンではなく一種の魔物らしいが、外見や戦闘能力はドラゴンと大差ない。 ランバーグはヴィクトリアの生まれ故郷であり、離れて久しくなるレンウィッグ家の屋敷や広大なレンウィッグ家の領地がある。 長兄と母を病で失い、そして次兄は父と決別して家を出て行った。兄を追ってヴィクトリアが家を飛び出した後、父も病気で急逝し、家督や財産は昔からレンウィッグ家に仕えてくれている執事に預けていた。 ランバーグの名門貴族では未だに家督は直系男児が継ぐものだという古くさい習慣もあるが、ヴィクトリアはそんなのお構いなしに預けていた家督を執事より受け取った。 そしてレンウィッグ家が所有する土地を利用してドラゴン襲撃の被害者達を収容する仮設テントを設置し、各地からランバーグ支部にあるトランスポータへ転送されてくる被害者達の収容に努めていた。 「ふぅ。こうやって走り回っていますと、つくづく自分の体力の無さを痛感しますわね」 仮設テントの並ぶ一集落で、ヴィクトリアは額の汗を袖口で拭いながら肩で息をつく。 「うぅ……、お嬢様、お労しや」 「ちょ、ちょっと爺や! いつまでもわたくしを子供扱いしないで下さい! わ、わたくしはもうすでに立派で一人前のレディで、しかしまだ胸の発育は未熟で……、って、そうじゃなくて、つまり、その……、レンウィッグ家の家督を継いだ当主なのです! いつまでもお兄様にべったりくっついていたりおねしょしたり泣いてばかり居た頃のわたくしを扱うような態度をとらないで下さい!」 ふらっと帰ってきたヴィクトリアを、執事のセバスチャンは快く迎え入れてくれた。ヴィクトリアを幼少時よりずっと見守っていてくれた、言わば育ての親のような存在であり、ヴィクトリア自身、厳格な父以上にセバスチャンになついていた。 しかしセバスチャンの中のヴィクトリアはあの頃からずっと変わっていなかった。同志の一人としてランバーグ中を奔走する時、常にヴィクトリアに従事してくれている。もちろんありがたい話なのだが、いつまでも子供扱いされるのは恥ずかしかった。 「そうですな。うう、お嬢様、本当にご立派になられました。ソフィーネ様も天国よりお嬢様のご立派なお姿を見守って――」 「ああ、もう! セバスチャン! わたくしは一度同志達の元へ戻りますから、被害者達のお世話をお願いしますわ!」 「はい! 不肖このセバスチャン、お嬢様のために全身全霊を籠めて皆様のお世話をさせていただきます!」 すでに齢六十を越える老体だというのに、セバスチャンの元気さは十代の若者並に有り余っているようだ。 一つため息を漏らしてから、ヴィクトリアは仮設テントの並ぶ区域から離れてバックストリートにある組織のランバーグ支部へと向かった。本来はニーヴルに気づかれないように裏通りに構えた支部なのだが、幹部達のみが暴走し、組織としては瓦解しかかっている今のニーヴルを警戒する必要はないと判断し、こうして堂々と救助活動を行っている。 せせこましい道を進んで、陽当たりが悪いフラットな屋根を持つこじんまりとした家に駆け込み、地下へ続く階段を下りる。 「ヴィクトリア、戻ったのね」 支部に戻ったヴィクトリアに、同志の一人である年上の女性が声を掛けてきた。各支部にも、今はヴィクトリアがガルバトロスやアイザック達の代わりにリーダーを務めていることは伝わっている。 「何かありました?」 「ええ。……良い知らせと悪い知らせがあるわ。どっちから聞く?」 「……そういう、保安隊小説にありそうなセリフをわざわざ使わないで下さい」 「あはは、ごめん。でも、一度言ってみたかったんだー」 ヴィクトリアよりも一回りほど年上の、二十代半ばの女性同志が頬あたりでクリーム色の髪を弄びながらカラカラと笑う。その仕草は十代少女と変わらず、ヴィクトリアに対する態度も年上と言うより同い年に接するそれに近い。 「ふぅ。まあいいですわ。……じゃあ、良い知らせからうかがいましょう」 「お、さっすがヴィクトリア。分かってるぅ」 「いいから早く済ませて下さい」 「あいよ。まず良い知らせね。ヴァルハラに突入したパーラって子から連絡があって、あなたのお兄さんを含めて全員が無事に脱出したそうよ」 本当に良い知らせを伝えているかのように、同志が笑いながらそう語った。兄の無事の知らせは確かにヴィクトリアにとってこの上ない吉報だが、脱出という言葉が引っ掛かる。 「次に悪い知らせ。……アイザックさん達はニーヴル幹部達の野望阻止に失敗したそうよ。つまり、世界崩壊を食い止められなかったってこと」 「そ、そんなっ!」 「でもまだ時間は残されてるって話。一度退却して体勢を整え、再度突入するみたい」 本当に悪い知らせを伝えるように、同志の表情は沈痛に歪んでいた。まるで世界崩壊がすぐ目の前まで迫っていることを感じ取っているように。 「……わたくし、一度セカンドベースに戻りますわ」 「ええ、そうしなさい。大丈夫、ここのことは私やあなたの家の執事に任せなさい。あの人は人の五倍働いてくれる凄い人よね。……素敵だわ」 最後の一言は聞こえなかった振りをして、ヴィクトリアは部屋を飛び出してトランスポータのある別の部屋へ駆け込む。 人知れず加速する世界崩壊の危機。終わり行く世界で今、ヴィクトリアに何が出来るか。何をしなければならないのか。世界を救う手だてが残っているのか。 何か言葉では言い表せない漠然とした不安がヴィクトリアを包んでいた。 ヴィクトリアがランバーグから戻ったという知らせを受けて、セシリーはミレーヌを引き連れてセカンドベースの参謀室へと足を運んだ。 参謀室に入るとヴィクトリアと同志の女性が何やら話をしており、険しい表情で腕を組んでいた。 入ってきたセシリーとミレーヌに気づき、ヴィクトリアが少しだけ表情を和らげる。 「おかえり、ヴィクトリア」 「はい。……お姉ちゃんとミレーヌさんもすでに耳にしていると思いますが、アイザックさん達は世界崩壊を食い止めることに失敗しました」 「うん、聞いた。でも確か、まだ時間はあるって言ってたんだよね?」 ミレーヌの問いにヴィクトリアと同志の女性がコクンと頷く。 「ナイからの報告に寄れば、一度撤退して体勢を整えた後、万全の状態で再出撃するのだということよ」 「撤退の報告以降にアイザックさん達から連絡はありましたか? お兄様や、パーラ達からの連絡は?」 「パーラからは先程、すぐにセカンドベースへ引き上げてきますという連絡があったわ。あとスラッシュ君は、一度ミレーヌさんのご自宅へ戻って飛空器の調整を行ってからセカンドベースへ来るそうよ。ああ、シルヴァランスはアイザックさん達と一緒みたいね」 同志の女性の報告を聞きながら、ヴィクトリアは始終険しい表情を浮かべていた。それはセシリーも同じで、皆の無事を聞いて安心する反面、ニーヴルの野望を阻止できず、世界崩壊を食い止められなかったことに焦りを感じているのだろう。 重たい空気が部屋中を包んで沈黙の静寂が広がる中、不意にベルの音が部屋中に響き渡った。 「アイザックさんからの連絡ですね」 同志の一人がジェムを使った魔法による通信が可能な魔練器を手に取り、一見するとオルゴールのような小箱に見える魔練器を操作する。 『あー、あー、聞こえるか』 「アイザックさんの声ですね。わたくしが出ますわ」 ヴィクトリアが同志の元へ歩み寄り、魔練器を受け取る。 「はい、ノイズもなくクリアに聞こえていますわ」 『お、ヴィクトリアか。ふー、お前の声を聞けるとようやく生きて帰れたって実感が湧くな』 魔練器から響いてくる音は部屋中に広がっているのだが、ヴィクトリアが話している相手はまるでヴィクトリアだけにしか聞こえていないかのような口調で話していた。 セシリーは記憶を引っ張り出してアイザックと呼ばれた男を思い出す。確か軽薄そうな顔つきで、セシリーよりも年上の、いかにも女好きそうな顔をしていた男のはず。 「先程パーラ達から直にセカンドベースへ帰還するという連絡があったそうですが、アイザックさん達とは別行動をとっているのですか?」 『ああ、それを連絡しようと思ってな。俺たちは今、……テムルだっけか? ほら、ずっと前にお前がシルヴィー追っかけて行って立ち寄った森の地下にある変な町。あの近くに居る』 一年半以上前に、中立都市デオラガーンでニーヴルの追っ手に手ひどくやられた後、追跡のミゲルに足取りを追われないよう奔走していたときに偶然立ち寄った町の名前だ。 デオラガーンでまだ互いに昔を思い出せないままヴィクトリアと再会し、そしてテムルの森でヴィクトリアにお節介を焼いたことを思いだし、セシリーはほんの少し頬を緩めた。 「あの町に? どうしてそんなところにいるのですか? 一刻も早くセカンドベースで準備を整え、次の決戦に備えなければならないのでは?」 『そうなんだけどよ。魔弾のヤローがテムルの町にドラゴンの女の子と一緒に入っていきやがったからさ、その後を追ってきたわけなんだわ。癪だけどアイツの力はニーヴルの幹部達と戦う上で絶対必要だからな』 「シェドとシール?」 思わず声を漏らしたセシリーをヴィクトリアが見つめる。 久しぶりにその名前を口にした気がした。一年前にジペインの町を去って以来、シェドとシールディアの情報は何一つセシリーのもとへ入ってこなかった。ミレーヌは何か知っているんじゃないかと思ったが、向こうから話してこない以上、こちらから聞くのも悪いと思って尋ねたりしなかった。 「何故、そのお二人はテムルへ向かったのでしょう?」 『ああ、さっきガネットが町の中へ入っていって直接ドラゴンの女の子に尋ねてきた。ほら、ガネットが魔弾のヤローと同行してるときに仲良くなった女の子がいるって言ってただろ? それがそのドラゴンだったらしくてな』 シェドとシールディアの旅にガネットが便乗していたということをミレーヌから聞いたのを思い出す。セシリーの知らぬところで、思いがけない関係ができているものだ。 『それで、前にお前も会ったことがある、魔弾のヤローの隣にいた天使の女の子覚えてるか? 魔弾のヤローはその子を救うためにテムルに寄ったって話だ』 「アリアちゃん!」 今度はセシリーではなくミレーヌが声を張り上げた。もちろん、セシリーもミレーヌと同じくらい驚いた。 救うためにという言葉が心の中の不安をかき立てる。シェドはアリアをニーヴルの手から救い出せたのだろうか。もし今、シェドの隣にアリアが居て、アリアが笑顔でいられるのなら、救い出すなどという言葉は使わないはずだ。 嫌な予感がする。何か、取り返しのつかないことが起きてしまったような不安が全身を支配してセシリーの体を硬直させる。 「ヴィクトリア、ペガサスを貸して!」 「お、お姉ちゃん?」 なりふり構わずセシリーは踵を返して参謀室を飛び出していた。後ろからミレーヌも付いてくる。 「ちょ、ちょっと待ってよ! あたしも行くって!」 廊下を駆け、セカンドベースを飛び出し、セシリーは肩で息をしながら周囲を見渡した。しかし何処にもペガサスの姿はない。 がむしゃらに周囲を探し回っていると、金髪を揺らしながらヴィクトリアが建物から走って出てくる。 「お、落ち着いて下さいお姉ちゃん!」 「……ごめんなさい。でも、不安なの。あの子が、アリアのことが心配で……」 焦る心を抑えきれないことをヴィクトリアに咎められても、未だ心の中は不安に満ちていて落ち着かない。 取り乱すセシリーを見て、ミレーヌがそっとセシリーの手をとって指を絡めながら「大丈夫だよ、きっと」と笑顔で励ましてくれる。 「……わたくしもご一緒します。ここからでしたら、ポニーの翼で約六時間。日暮れ前にはテムルに到着できるでしょう。だから落ち着いて下さい。……お姉ちゃんの体は、お姉ちゃん一人のものではないのですから、くれぐれも軽率な行動は慎んで下さい」 そう言ってポケットから笛を取りだし、ヴィクトリアは今にも泣き出しそうな曇天の空へ向けてピィーッと笛を鳴らした。 しばらくしてバサバサと翼を力強く羽ばたかせる音と共に純白のペガサスが現れ、鋭く嘶いてから風を巻き起こしつつヴィクトリアの前に降り立った。 ヴィクトリアが鞍を掴みながらペガサスの背中に飛び乗り、手綱をギュッと握る。 「さあ、行きましょう」 「ええ」 ヴィクトリアに続いてセシリー、ミレーヌもペガサスの背に飛び乗る。普段はヴィクトリア一人しか乗せないせいか、三人も乗っていることに対して重たいとでも言うように、ペガサスは「ヒィーン……」と力なく啼いた。 「ポニーちゃん! 貴女はそんな柔なお嬢様ではないはずです!」 叱咤されたペガサスが翼を大きく羽ばたかせ、三人を乗せたまま空へと舞い上がる。風を巻き起こしながら、ヴィクトリアの愛馬、ポニーが空を駆けた。 「アリア……」 出口の見えない不安の迷路で、セシリーはその名前を何度も呟きながら震える体をこらえて前を見つめる。 どんな現実が待っているのか。どんな現実を受け入れなければならないのか。不安に押しつぶされそうになる。 視界には何処までも続く曇天が広がっていった。 |
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