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第七章 少年は少女と共に立ち向かう 翔を呆然と見つめるフリル。まだ現実だと認識できていないのか、口を半開きにしたまま言葉を失っているようだった。だから、翔は再度柔らかな表情で言う。 「悪いな、フリル。ちょっと、まあ、色々あって」 口に出したかった名前を、その持ち主に言えるという何とも言えない喜び。翔は一歩、また一歩とフリルに歩み寄る。 「……カ、ケ……ル?」 フリルが不安そうに小さくつぶやいた。普段は凛として逆ハの字みたいにつり上がっている眉も、今は正ハの字みたいに垂れており、コバルトブルーの瞳は水面のように潤んでいた。 身につけているのは白を基調としたツーピース。プリーツの入った短いスカート、カフスに花のボタンが二つ、フリルの付いたハイカラーに黒のチョーカーという格好には見覚えがないため、フリルの自前じゃないだろう。昼間、詩歌の映像で見た時乱れていた金髪も、今は真っ直ぐ大地へ垂れていた。枝毛など、一本も見当たらない。 フリルは弱々しく肩を縮こめ、軽く握った拳で口の辺りを隠していた。見とれてしまうくらい可愛い。ホント、反則的だ。 「カケル……、カケル……、カケルゥ……」 しゃくり上げながら何度も翔の名前を繰り返すフリル。このまま一足飛びに間合いを詰めて抱きしめてやりたいと、そんな衝動に駆られる護ってあげたくなる表情。 「フリル……」 翔はそっと手を伸ばす。きっと、フリルはすぐに手を引っ張り返して抱きついてくると思っていた。そんな幻想を抱いていた。しかし―― 「この、この、この……。馬っっっっっ鹿ぁぁぁぁぁぁっっ<」 「へ? ――のあああっ!」 翔の胸に飛び込んできたのは柔らかなフリルの体ではなく、それ以上に熱い灼熱の炎だった。とっさに直撃しそうな火炎をブリッジでかわし、そのまま仰向けに白い床へ倒れ込んでしまった。 フリルの炎はそのまま真っ白な部屋の壁にぶち当たり、凄まじい轟音を漏らして壁を破壊した。壁の外には澄んだ青空と、その眼下に広がる緑一色の森が美しいコントラストを映していた。翔の世界を出たのは夜中だったが、時差なのか何なのかわからないがこっちの世界はすでに昼前らしい。と、そんな悠長に景色を眺めている場合ではない。 「馬鹿っ! 御主人様を放って何処行ってたのよ! この、アホンダラーッ!」 「ぐはっ! こ、馬鹿、やめっ、ぬおっ! やめんか! だあっ!」 次々と紅蓮の業火が翔に迫る。翔は跳ね起きて体勢を立て直し、直撃を避けるべく部屋中を逃げ回った。フリルも多少は威力を落としてくれているようだが、それでも当たれば火傷は確実、喰らい続ければ命の危険も。っていうか、ここは待ちに待った翔の登場に感極まったフリルが翔に抱きついてくるシーンであって、魔法をぶっ放す所じゃないだろ。おいフリル、お前の持ってる台本間違ってるぞ。 「こ、殺す気かーっ!」 「――っ!? ……ひっく」 攻撃の手が緩んだところで一気に間合いを詰め、翔はフリルの両手首を掴んで強引に顔を近づけた。フリルがじたばた足掻くが、両手は天井を向いているため魔法を喰らうことはない。 フリルは大粒の涙をボロボロ零しながら、無理矢理怒ったような表情を作る。それがまた反則的に可愛く、翔は罪悪感に駆られながらも手首を握る手を緩めない。 「わりぃ。迷ったり悩んだりして、随分待たせちまったな。……怖かったか?」 「う、うう……。ば、馬鹿ぁ……」 ガクッとフリルの全身から力が抜け落ち、フリルの体が翔に寄りかかってくる。相当緊張状態が続き、その張っていた線が切れたのだろう。腰砕けになったフリルを、翔は無言のまま優しく抱きしめた。 「め、召使いの分際で、御主人様にベタベタしてるんじゃないわよ、この……変態……」 「ったく、相変わらず可愛げのない奴だな」 「うるさいわね! 魔法ぶっ放すわよ!」 「やめい」 翔の胸に顔を埋めたまま普段通りの可愛げ無い口調を続けるフリル。そう言えば久々に変態だとか呼ばれたな、と思いながらも、何故か頬が緩む。今はフリルの悪口も、可愛くて仕方ない。うわ、完全に馬鹿の仲間入りだ。 そのままギュッとフリルを抱きしめようと両手をフリルの腰に回そうとした時だった。今まで静観を続けていたギャラリーが一歩、二人のもとへ歩み寄ってきた。 「あなたが、テンチカケル様ですね」 すっかり二人の世界に入り込んでしまったせいか、翔は聞き覚えのない少女の声を聞いてビクッと体を震わせた。翔の動揺が伝染するよう、フリルも急に翔を突き放して間合いをとる。そして何か言いたげな目で翔をしばし見つめた後、後方の視線を警戒してか、そそくさと翔の後方に回り込んだ。 翔は目を細めて声を発した少女を見つめる。肩に触れるくらいで綺麗にセットされた桃色の髪が、フリルが壊した壁から吹き込む微風に靡いており、その銀色の大きな瞳からは感情がうまく読み取れない。部屋の白に調和した純白のドレスを身につけ、所々露出している肌も透き通るように白い。まるで人形みたいだった。 (この子……。あの時、詩歌が見せてくれた映像の中で出てきた……) 「お初にお目にかかります。私はアーリア=クライスト。ずっと、ずっとあなたをお待ち申し上げておりました。ああ、カケル様……」 「待っていた? 俺を……?」 「はい。この世界を脅かす崩壊の危機を救うメシア、《異世界の焔》。カケル様はこの世界の希望なのです。カケル様がこの世界へ召喚なされて以来ずっと、お会いできる日を楽しみにしていました」 両手を胸の前で組み合わせ、ジッと翔を見つめる少女。よく見れば、無表情だと思っていた顔に微妙な感情が読み取れる。白い頬に差す朱色。翔の姿を映す銀色の瞳。微かに開いた口から零れ出る小さな吐息。 (何なんだ、この子は……。それに今、俺がこの世界に召喚されて、とか……) この子は、アーリアと名乗った少女は知っている。翔のこと、別の世界から来た人間だと知っている、そう直感した。 「どうして……、俺の事を知ってるんだ? この世界の人間じゃないことも……」 「当然です。カケル様をお招きしたのは私。開門の儀を執り行い、異世界へ続く道を開いてカケル様をお呼びしたのは私ですから」 「――っ!」 アーリアの言葉に、翔の思考が停止する。今、目の前の少女は何と言っただろうか。 「カ、カケル……?」 佇む翔の背後で、フリルが驚きを含んだ声を漏らす。振り向くと、フリルは困惑した面持ちで翔の目を見つめ返してきた。 「この世界の人間じゃないって……、どういう……」 「それは……」 「ラファードさんはご存じなかったのですか? カケル様は世界を救済していただくため、異世界より来られた方なのですよ? 聖書に記された世界を救う黒き炎、《異世界の焔》という存在なのです」 「う、嘘……。カケルが、異世界から来たって……。じゃあ初めて会った時にルーレシア先生が言ってたことって……」 翔が黙っている間にアーリアがフリルに簡素な説明をする。それを聞いたフリルは、翔の身につけている服の袖口を掴み、グッと引っ張って翔を体ごと自分へ向けさせる。 「どういうことよ! まさか御主人様に隠し事してたわけじゃないでしょうね!」 「……ああ、そうなるな」 「――な、なんでっ! どうしてよっ! どうして黙ってたのよっ!」 つま先立ちで愛らしい顔を一層近づけてくる。互いの呼吸音が聞こえそうな距離で、フリルの表情がみるみる怒りに染まっていった。いや、今にも泣きそうな感じに崩れてるのだろうか。 「ごめん。……ジジイやルーレシア先生に口止めされてたから」 「そんなのっ! あ、あたしはあんたの主なのよ? 隠し事なんて絶対許さないわっ!」 「……悪い」 「許さない! 絶対許さないわ!」 フリルは俯いたまま肩を揺らす。怒りに震えてるのか、それとも、泣いているのだろうか。 (フリル……) 翔がフリルに掛ける言葉を模索していると、黙っていたアーリアが小さく一歩、翔へ歩み寄った。翔はフリルに向いていた視線を、逃げるようにアーリアへ移す。アーリアの瞳にフリルは一切映っておらず、翔だけが鏡に映った虚像のように浮かんでいた。 「カケル様……。ああ、カケル様……」 アーリアが両手を伸ばして翔に迫る。微かに愁いを帯びた表情。百合と同い年くらいだろうに、その大人びた空気はエリカさんにも匹敵しそうだ。 このまま突っ立っていればアーリアは翔に抱きついてくる予感があった。詳しい理由はわからないが、アーリアという少女は翔のことを待っていたらしい。待ち望んだ相手に出逢えた、そんな瞳をアーリアは携えていた。 だが、言うまでもなく翔がこの世界に再びやってきたのは《異世界の焔》などという意味不明な役割を果たすためではない。それはつまり、アーリアの待ち人としてこの地に戻ったわけではないということだ。 (俺は、ただの給仕。フリルの、召使いだ……) 翔はアーリアに背を向け、フリルの手を握った。「あ」というアーリアの小さな声と、「え」というフリルの小さな驚きが重なる。翔はそのまま、フリルの手を引いて扉へ歩み寄っていった。 「ちょ、ちょっとカケル? は、離しなさいよ! あたしは、あんたを……、絶対に、ゆ、許さないんだから!」 「許す許さないは後だ。屋敷に戻った後、いくらでも説明してやる。それでも納得できないなら何発でも魔法喰らってやる。だから、今はさっさと帰るぞ。エリカさんやユリカちゃんだってきっと心配してる」 有無を言わさず、翔はフリルの手を引いた。フリルは強引に引く翔の手を振りほどいたりしなかった。無言で、引かれるまま翔に身を任せている。 「カケル様っ! お待ちになって下さいっ!」 純白の部屋に、アーリアの小さな叫びが響いた。翔はピタッと歩みを止め、冷淡な眼差しでアーリアを振り返る。 「聖書にはこう記されています。《金色の果てに世界は終焉を迎える。序曲を謳いし妖精が東方より舞い、終曲は西方に落つる太陽が奏でるだろう。曲を惑わす不協和音は、虚数の彼方より灯りし漆黒の炎。世界を終焉の縁より救いし者、それを異世界の焔という》」 「……俺には、関係ないな」 「待って下さい。この件には続きがあるんです」 アーリアが真摯な瞳で訴える。いくら説明されようが、ここに留まる気はなかったが、その瞳に押されたのか、なかなか踵を返せないでいた。フリルも同様らしく、目を細めてアーリアを見つめたまま口をつぐんでいる。 「《かの者、暁を祭りし神の国に降り立つ天女の魂を宿す姫巫女と交わり、その血を受けし神の子、天上の光となりて世界を照らす。世界は黄昏の時を超え、約束されし恒久の繁栄がもたらされるだろう》」 アーリアの言った言葉は理解できた。翔の元居た世界と使用する言語は違うが、それでも相手の言わんとした内容は理解できる。詩歌に聞いたわけじゃないが、きっとこれも何らかの力が働いているんだろう。 理解できた上で、翔は踵を返した。 「カケル様っ! 私は……、私はずっとそのために生きてきました。巫女として育てられ、何時の日かカケル様と出会い、そして……」 「やめろ。……俺は《異世界の焔》なんてヤツじゃない」 そう言いながら、翔はフリルの蒼い瞳を見つめる。不安そうに見つめ返すフリルに笑みを投げかけ、そしてアーリアに背を向けたままハッキリ言い放つ。 「俺は、こいつの家の使用人。だから、こいつを連れて一緒に帰らなきゃならねーんだ。……じゃあな」 「カケル様ぁぁっ!」 多少は後ろめたさがあった。妹の百合と大して年の違わない少女が、きっと後方で泣いていると、わかっていた。フリルの重い沈黙がアーリアの小さな嗚咽を際立たせ、アーリアを泣かせた罪悪感が押し寄せる。 でも、それでも足を止めるわけにはいかない。アーリアが聖書とやらの言葉を信じて翔を待っていたのとは違い、翔は自分の意志でここへ戻ってきた。だから、信じるのは自分自身の信念。 (あの子はフリルを助けてくれた。……でも、それでもここに留まるわけにはいかない) 長く留まると決意が揺らぎそうな感じがして、無意識のうちに歩みが早くなる。早くこの場を立ち去りたい、そう思っていた。しかし―― 「おやおや、まだ下校時間には早いですよ? ……まさか、あれだけ騒いでおいて誰も気付かなかったと思ったんですか? 本当に、ラファードさんはおてんばですね。フフフ……」 聞き覚えのある男の軽い口調。翔達の行く手を遮り、赤髪の長身男が姿を現す。茶色のフード付きローブを身にまとい、手には褐色の杖が握られている。杖の先端に付いたアメジストのような宝石が仄かに煌めいた。 「……アッシュ、先生」 フリルがビクッと体を震わせ、怯えた目でアッシュを見つめる。あの牢獄みたいなところで味わった恐怖がフラッシュバックしたかのように、フリルは震えながら両手をクロスさせ、自身の肩を抱きしめた。 「まさか君の方から戻ってきてくれるとは思いませんでした。まったく、あの時居なくなったりしなければラファードさんだって怖い思いをしなくて済んだんですよ?」 「黙れ。……フリルにあんな真似しやがって、貴様だけは絶対許さねぇ!」 「おや、昨日のアレを見てたんですか? それならどうして助けに出なかったんですか?ふふふ、ラファードさんが襲われているところを眺めて楽しんでいたのですか?」 「──っ! そ、それは……」 「カ、カケル?」 怯えた目のまま翔を見つめるフリル。翔はそんなフリルを一瞥してから、視線をアッシュに戻す。 「助けたかったのは山々だが、生憎俺はその時こっちの世界に居なかった。……出来るなら、あの時に戻って貴様らまとめてぶっ殺してやりたいくらいだ」 「これはまた、物騒なことを言いますね。……しかし、ふむ。こっちの世界に居なかった、ですか。それは中々興味深いことを言いますね」 「無駄話はいい。……フリル、下がってろ」 「えっ! で、でも、カケルは前に負けてるじゃない! アッシュ先生……、ううん、アッシュは強いわ。あたし達なんかじゃとても……」 力なく弱音を吐き、フリルは一歩後ろ足を引く。無理もない。普段強気で絶対無敵を謳っているフリルである反面、ちょっと突けば崩れてしまう脆さを持ったフリルでもある。 「大丈夫。お前は出来るだけ離れていろ。前にみたいに変な結界魔法張られたら辛いだろ?」 「でもっ!」 「心配するな。……俺を、信じてくれ」 「…………。わかった、信じる。でも――」 フリルは後方に退くどころか、少し腰を落として身構えた。拳をギュッと握り、額に汗を滲ませながら、キュッと唇を噛む。 「あたしはあんたの主よ! 従者が戦ってるのに、主だけ逃げるなんて情けない真似できないわ!」 「な、なに変なところで意地張ってんだ! いざというときはお前だけでも……」 「召使いの分際で御主人様に口答えするんじゃないわよ! いい? あんたはあたしの召使いなんだから、今度あたしの許可なく居なくなったら許さないわ! 絶対に、許さないんだからっ!」 そう言ってキッと翔を睨め付けるフリル。必死に眉をつり上げ、頬を膨らませてみせるフリルだが、その瞳にはうっすらと涙が滲んでいた。 「……わかった。隙をついて魔法をぶっ放してくれ。ただし、危なくなった逃げろ。主を守れない従者なんか、無様なだけだからな」 翔は拳に力を込め、深呼吸する。アッシュは翔を見つめて余裕の笑みを浮かべ、左手でサッと髪を流した。 「アーリア様、ご指示を」 アッシュが優しく言う。 「……カケル様……。私は……」 後方でアーリアが言い淀む。しばしの沈黙が流れた後、部屋にアーリアの凛とした声が響いた。 「アッシュ=バークライト。姫巫女アーリアの名において命じます。その二人を拘束しなさい。決して、逃がしてはなりません」 「御意」 「……すいません、カケル様。でも、私はカケル様を行かせるわけにはいかないのです」 アーリアの言葉に続き、アッシュが指をパチンと鳴らす。するとアッシュの後方から武装した兵士達が流れ込むよう部屋に押し入り、グルッと翔達を取り囲んだ。どうやら、完全に逃げ場を封じられたようだ。まあ、最初から逃げる気などさらさらない。 (しかしどうする? ……何か、武器があれば……) グルッと周囲を見渡す。アッシュは杖を構え、兵士達は白銀の鎧で全身を覆い、手には鋭い剣が握られている。あれと正面からやり合うには、こちらも何か武器が必要だ。 「……カケル」 フリルの不安げな声が翔の焦りを加速させる。どうしても護らなければならない存在。そのために、今できること、なすべき事を模索する。 その時、この世界に再来する直前に詩歌から言葉が脳裏をよぎった。 《できると信じれば魔法の力で可能になる》 (出来ると信じれば……) 翔は瞳を閉じた。頭に描くのは最強の自分。フリルを護るため、それを成すために必要な力を思い描き、強く強く念じる。 「おや観念したのですか? あれだけ威勢良く咆えておいて、随分諦めが早いのですね」 アッシュの軽口などもはや耳に届かない。真っ暗闇の妄想の海で、光り輝く一点を心の双眸で見つめる。求めるのは力。フリルを護れるだけの、強い力。 (いける!) 右手に感じる変化。今まで覚えたことのない、五感を超越した感覚が疼く。魔法という意味不明な力、いや、それはすでに意味不明ではなく、翔の中で一つの実感を伴った新たな感覚として覚醒している。 「はああああっ!」 今なら、出来る。意識を集中させ、翔は体内を流れる魔力すべてを右手に注いだ。 「な、何っ!?」 「カケル……?」 目映い閃光に続き、翔の右手に光に包まれた剣が具現化した。光の剣。フリルを護りたいという想いで紡いだ初めての魔法。 「あ、あんた魔法の使い方忘れたって……」 「忘れたんじゃない。そもそも俺はこの世界の人間じゃないから使えなかったんだ」 「でも、そ、それは……」 「詳しい話は後だ。……行くぞっ!」 周囲の兵士達が動揺しているのが手に取るようにわかる。今一番冷静を保っているのは翔だ。多勢に無勢、こういう場合は、先手必勝。 翔は床を蹴って後方の兵士に飛びかかった。反応の遅れた兵士に無駄なく光の剣で斬りかかり、兵士の持っていた鉄の剣を吹き飛ばす。 「だああああっ!」 「ぐはっ!」 「うおおおおっ!」 「かはっ!」 部屋を縦横無尽に駆け回り、鬼神のごとく光の剣を振るう。剣先はカーブした曲線としてつながり、翔の体は常軌を逸したスピードで残像の軌跡を残す。まるで自分の体じゃないくらいに体が軽い。今なら、オリンピックで全種目優勝できそうだ。 「な、何ですか! こ、この力はっ!」 アッシュが後ろ足を一歩引くのが見えた。アイツも翔の変わり様に度肝を抜かれているようだ。 「はああっ!」 「ぐわああっ!」 あっという間に翔は自分らを取り囲んでいた兵士の半分以上をなぎ伏せた。だが、命までは奪っていない。剣先を人間に向けるのさえ本当なら嫌だというのに、殺すことなどよほど相手が憎くない限りできない。 「す、すごいじゃない! 流石あたしの召使いね!」 「お前が褒めるなんて珍しいな」 「むーっ、い、言っておくけど、このくらいじゃ許さないんだからね!」 「はいはい」 「あたしだって、アカデミー最強を自負してるんだからっ!」 フリルも翔の圧倒的な強さを心強く感じているのか、先ほどより幾分覇気を取り戻していた。両手から紅蓮の炎を迸らせ、唖然とする兵士目掛けて鳳凰を飛ばす。 巨大な火の鳥は兵士を一飲みにしてそのまま壁に激突する。直撃を受けた兵士の銀色だった鎧は真っ黒に変色し、がくりとその場に倒れた。相変わらず恐ろしい威力だ。 「……こ、殺したのか?」 「ううん、手加減してるわ。……あたしだって、人殺しにはなりたくないもの」 「……そうだな。俺だって、出来れば人殺しは避けたい。……だが――」 翔はキッとアッシュを睨め付ける。一般兵の奴らは憎む理由がない。だが、アッシュに対する憎悪だけは、決して抑えることができない。フリルをあんな目に遭わせておいて、無事に済ませる気などさらさらない。 「アッシュ! 貴様だけはっ!」 翔は大地を蹴り、目にも止まらぬ早さで先陣を切る。アッシュがとっさに光の障壁を紡ぎ、光の剣が障壁にぶつかって激しい閃光が連続する。 「はああああっ!」 「く、くぅぅっ! やりますね、流石は《異世界の焔》というわけですかっ!」 あっさりと倒れた一般兵と違い、アッシュはやはり一筋縄にはいかない。だが、前にフリルの屋敷で戦った時と違い、今は完全に翔の方が優位だ。 行ける――。翔はそう思って剣を握る手に一層の力を込めた。だがその時、後方からフリルの悲鳴が翔の耳に響いた。 「きゃああああっ!」 「なっ! フリルッ!?」 ハッと振り向くと、フリルが四人の兵士に取り囲まれ、壁際に追いやられていた。引き裂かれた肩口からドレスが朱色に染まっており、反撃で魔法を迸らせようとも、あの距離では発動前にやられてしまう。 「くそっ! させるかぁっ!」 翔はアッシュに背を向けてフリルの元へ駆け寄った。一瞬にして四人の兵士を薙ぎ払い、フリルの顔色を窺うと、怪我しているにもかかわらず、キッと翔を睨みつけてきた。負けず嫌いというか、気丈なヤツだ。 「あ、あたしは大丈夫よ!」 「ったく、無理はするなって言っただろ。傷は?」 「こんなの、かすり傷よっ!」 嫌がるフリルの腕を無理矢理掴んで肩を引き寄せると、確かに出血はしてるものの傷は深くなかった。それを見て、翔はふうっと安堵の息を漏らす。 「さて、後はあいつだけか……」 すべての兵士が白い部屋に倒れ伏せ、立っているのは翔とフリル、アーリアにアッシュだけだ。倒すべき相手は、残り一人。 「…………」 アッシュは余裕の笑みを消し、鋭い視線で翔を見つめてくる。翔はそんなアッシュを睨み返し、光の剣を強く握り直した。 「お前はそこで見てろ。……俺が、あいつを倒す!」 「……わ、わかったわ」 翔の言葉に、フリルが小さく頷いた。不安そうな表情を浮かべるフリルを見ていると、翔の手に籠もる力が自然と増す。 「うおおおおおっ!」 翔は咆えながらアッシュへ迫った。身構えもせず、ジッと翔を見据えるアッシュに、翔は渾身の力を込めて光の剣を振り下ろ―― 「……ふふ」 「――っ!?」 アッシュの不敵な笑み。光の剣がアッシュに届く直前、翔の全身が瞬間冷凍されたように固まってしまった。 (こ、これは、まさか……!) 「ぐうっ!」 力を入れようにも動かない体。アッシュの足下から伸び、翔を包むよう煌めく魔法陣。固まって動けない翔の背筋を一滴の汗が流れ落ちていく。 「ふふ、絶対領域魔法……。間に合ってよかったですよ」 「き、貴様……っ!」 翔は奥歯を噛みしめながらアッシュを睨め付けた。アッシュは勝ち誇ったように翔を見下し、蔑むような笑みを浮かべていた。 「カ、カケルーッ!」 フリルの声が翔の耳に響く。あいつを守るためにこの世界に帰ってきたんだ。なのにこれじゃあ、あの時とまったく同じじゃないか。 (このまま……、このままあの時と同じ結末だなんて……。俺は……、俺はっ!) 必死に動こうにも体は言うことを聞かない。だが、言うこと聞かないからと言って足掻こうともしないほど、翔は聞き分けがいい人間じゃない。 「おおおおおっ!」 「見苦しいですねぇ。大人しくして下さいよ」 もはやアッシュは勝負あったと言わんばかりに杖の先を床に下ろしている。辛うじて確認できる視界に映るフリルが、不安そうに眉根を寄せている。 フリルにあんな顔をさせているのは紛れもない翔自身。だが、翔が好きなフリルの顔は不安に歪んだあんな表情ではない。太陽よりも眩しい、自信に充ち満ちた燦々と輝く笑顔だ。 この世界に戻ってくる直前に詩歌が言っていた言葉。翔は必死にその言葉を頭の中で繰り返す。そう、まだ出来ることは残されている。負けるわけには、いかない。 「フリルッ! アッシュ目掛けて思いっきり魔法をぶちかませっ!」 翔は声を張り上げた。その声に、目の前のアッシュが呆れたように眉を顰める。 「あ、あんた馬鹿ぁっ!? そのままじゃあアッシュじゃなくてカケルに命中しちゃうじゃない!」 「そうです。いい加減、悪あがきはよして下さい」 後方でフリルが焦りを含んだ声を上げ、手前ではアッシュが冷ややかな笑みを浮かべている。確かにそうだ、普通に考えれば二人の言うとおりだ。だが、それがどんなにこの世界にとって普通だろうが、翔には関係ない。 「いいからやれっ! 思いっきり、持てる力を全部つぎ込んでぶっぱなせっ!」 「でもっ!」 「頼むっ! 俺を、俺を信じてくれっ!」 翔の咆吼が部屋を包む。しばし流れた沈黙の後、突如、部屋を爆風が突き抜け、翔は背後から恐ろしいほどのエネルギーの収束を感じた。 白い部屋が真っ赤に染まるくらい凄まじい炎が、フリルの両手の前に集っている。あれだけ威勢良く言ってしまったが、少々後悔したくなるくらい、圧倒的な爆炎が轟音を漏らしながらうねっている。 「ラ、ラファードさん! 止めて下さいっ!」 今まで黙っていたアーリアが、急に声を張り上げてフリルを制した。だが、翔の背後に集うエネルギーは衰えを感じさせない。 「……ラファードさん。いいのですか? このままではカケル君が黒こげですよ?」 アッシュはフリルの炎に圧倒されたかのように一歩後ろ足を引きながらも、辛うじて余裕の笑みを保っていた。それは万が一フリルがあの炎を放っても、それは翔に命中して自分まで及ばないと安心しているからだろう。 「行くわよ。ホントに、ホントにいいのね?」 「……ああ」 「大丈夫なんだよね? 嘘だったら許さないんだから!」 「異世界の人間だってこと黙ってたこととか……、俺はどうやったらお前に全部許してもらえるんだろーな」 翔はわざと軽口を叩く。それできっと、フリルは翔を信じてくれると思ったから。 「わかったわ! はあああああっ!」 「やめてぇぇぇっ!」 フリルの叫び声とアーリアの絶叫が部屋に響く。背後から圧倒的なエネルギーを誇る業火が迫り、背中が焼けるような熱が翔の全身を包んでいった。 「う、うわあああ……」 アッシュの顔が恐怖に歪んだ。翔の影に隠れるよう、迫り来る業火にガチガチと歯を鳴らしていた。 (大丈夫……。大丈夫だ……) 翔はスッと瞳を閉じる。フリルは翔を信じてくれた。だから、翔も、フリルが信じた翔自身を信じるしかない。翔に出来ること、それを全力でするしかない。 体の力をフッと抜くと、翔の手から光の剣が空気に消えていった。迫り来る業火に背を向けたまま、翔は静かに意識を集中させる。 脱力感と近しい感覚が全身を走る。何かが抜け落ちるような、激しい睡魔にも似た虚脱感。これが、翔の出した答えだ。 「カ、カケルーッ!」 「カケル様ぁぁぁっ!」 フリルとアーリアの叫び声が重なって部屋に響く。翔はゆっくりと瞳を開き、そっと体を翻した。 「な、なに?」 アッシュが驚愕の表情を浮かべる。絶対境域魔法とやらが発動している以上、本来その術中である翔が動けるはずがない。 だが、翔はアッシュに背を向けて歩き出した。一歩、また一歩と、迫り来る炎に向けて、その奥に佇むフリルに向けて歩を刻む。 「カ……、カケル……?」 「大丈夫だって、言っただろ?」 翔は笑った。目の前からはシャレにならないくらい凄まじい業火が迫っている。直撃を喰らえば死は免れない。けれど、今の翔に恐怖を感じる必要はなかった。 炎が翔の体に直撃する瞬間、フリルが両手で瞳を覆った。大丈夫だって何度も言ったのに、最後にそんなことしてんじゃねーよと思いながら、翔は一足飛びでフリルに駆け寄った。 「ぐああああああああっ!」 部屋に響く悲痛な叫び。両目を塞いだフリルの表情が歪み、肩を震わせながら下唇をキュッと噛んでいた。 ドサッと、人間が大地に倒れる音が響く。目の縁に涙を浮かべるフリルは、守ってやりたくなるくらい可愛らしかった。強がっている時も、こうして不安に怯えている時も、やはりフリルは反則的に可愛い。 「……ったく、何度大丈夫だって言えばいいんだよ」 「え……?」 フリルが驚きの表情を浮かべて目を見開いた。翔はその手前で、白い歯を見せながら仁王立ちしてみせる。 「カケル……? ど、どうして……」 「さて、どうしてでしょう」 「ば、馬鹿っ! ふざけてないでちゃんと説明しなさいよっ!」 「うおっ! こ、こら、殴るな馬鹿っ!」 フリルはいきなり翔の胸元まで駆け寄ってきたかと思うと、ぽかぽかと両手をグーにして翔の胸に叩きつけてきた。あまり動くと肩の傷に響くぞ、そう思いながらも、翔はフリルの愛らしい攻撃にただただ頬を緩ませていた。 (――って、変態か俺はっ!) 「おい、いい加減にしろって。ちゃんと説明してやるし、それに今は一刻も早くここを離れた方がよさそうだ」 「う、うう……」 終いには泣き崩れ出すフリルを、翔は必死になだめた。いくらアッシュを倒したとはいえ、ここはまだ敵の本陣。学園を襲った女達みたいなのが次々とやってきたら、とてもじゃないが対応できない。 「さあ、帰ろう」 翔がそっと手を伸ばすと、一瞬躊躇する素振りを見せたフリルだが、涙を手の甲で拭ってから、小さく頷いて翔の手を握りかえした。 「カケル様……」 部屋を出る直前、アーリアが悲しげに呟いた。その声は耳に届いたが、翔は振り向かずにフリルと共に部屋を去る。それも一つのけじめだと、勝手に思ったりした。 護りたい人を護れた。 そんな安堵感を胸に、翔は強くフリルの手を握りしめ、戦場を後にした。 |
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