Parker 51 "Demi"

(1947〜発売)

 
       
  「Parker51の広告」   「Parker51の広告」   「初期のParker51」  

「Parker 51」の万年筆については前にも紹介してあるので参照されたい。簡略に紹介すると、1939年にこの万年筆の設計が完成した。その年が折しもParker社の創業51周年であったことや、ゴロのいいことから 「Parker 51」と命名された。1941年から販売がはじまり、トータルで2千万本という驚異的な数の売れ行きであった。
 当時の販売実績を示すと、以下の表のようで、第2次世界大戦後は、年間200万本を超える販売量であった。

 

1941 年

6,236

 

1942

214,163

 

1943

384,512

 

1944

440,645

 

1945

471,904

 

1946

1,035,368

 

1947

2,109,797

 

1948

2,007,025

 
この「Parker 51」の販売実績は、Parker社の並々ならぬ努力があった。それは的確な市場調査であり、また、効果的な宣伝によるものであった。販売当時の宣伝は、新聞、雑誌などあらゆるメディアが活用された。雑誌などに掲載された当時の広告が今でもたくさん残っている。このどれを観ても、企業としての努力の様子を知ることができる。
 初期の「Parker 51」は上の写真にあるように、Vacumatic Filler方式であった。



 

  「上 Parker51のBox」
「下 51 Demi のBox」
  「左下が Demi」   「上 Parker51のBox」
「下 51 Demi のBox」
 

 1948年からインクフィラーがエアロフィラーに改良された。さらに、女性にとっては太く、大きすぎるという市場調査の結果から、女性用としてDemiモデルが発売された。
「Parker 51」は、日本人にとっても大き過ぎたようであり、デミモデルを多くの男性も愛用していた。イギリスではまた、「レディ」という小型のペンが出されていた。(「Parker 17」、「Parker 21」を参照してください。) これは、女性用として「Parker 51 Demi」よりも細身のバレルで、値段も格安であった。
 
  「上 Parker51」
「下 51 Demi 」
  「上 51 Demi 」
「下 Parker51」
  「上 51 Demi 」
「下 Parker51」
 

 「Parker 51 Demi」
は、「Parker 51」のデザイン、インクフィラー、ペン芯などのいいところのすべてが凝縮されている。従って、ほとんど「Parker 51」と同じ機能を持った万年筆である 。