一枚のアルバム

人にはそれぞれ忘れられない「一枚のアルバム」というものがあると思う。
私にも人生を変えてしまうような一枚がある。
その忘れられない一枚は何かといえばチック・コリアの「リターン・トゥー・フォーエバー」だ。
このアルバムが発売されたのは確か1970年代の始めころだったと思う。
そしてこのジャケットの図柄は海面の近くをカモメが一羽飛んでいるだけのいたってシンプルなものだった。
このアルバムに収録されている「What Game Shall We Play Today」は何処かの自動車メーカーのコマーシャルに使われていたこともあった。

リターン・トゥー・フォーエバー

このアルバムが発売された1970年代の始めころは私が専門学校へと通っていた頃だった。
高校3年生当時の話になるが、私は高校卒業後の進路を決めかねていた。
このまま就職してしまうのも何となくいやだった私は、高校の姉妹校となっている専門学校へ進学する事にした。
ちょうどコンピュータに興味を示したこともあって勉強をしたいと考えたことも少しはあった。

それはさておき、私が音楽に興味を示していった経緯を話そう。
話は1960年代の後半にさかのぼる。
このころの一大イベントは何といっても「ビートルズ日本武道館公演」で間違いない。
1966年6月のことで、これほど日本の音楽産業に影響を与えたことはなかっただろうと思っている。
この後に、日本では「グループサウンズ」の全盛時期を迎えることになる。
私が、多感な中学生のときだ。
しかし、私が高校へ進学するころには「グループサウンズ」が次第にに下火へとなっていった。

では、私が高校生の時代はどうだっただろうか。
それは1970年前後のことでありフォークソングが全盛になって行くころだと記憶している。
S&GやPPMといったところか。
そういえばジャズのことを教えてもらったギタリストはPPMから始まったと言っていたが、日本のフォークシンガーはどうだったかというと私は全く詳しくない。
この時代は誰もがギターを手に入れ、そして練習した。
この時代ではギターが弾けるということは一つのステータスだった。
ご多分にもれず私もギターを手に入れて練習したがフォークソングにはあまり興味を示さなかった。
やはりビートルズだった。

高校卒業後に専門学校へと進んだ私は軽音楽部に入部するが自然にロックミュージックへと傾倒していく。
そして軽音楽部で一緒になった仲間とロックバンドを結成したのもこれまた自然な流れだ。
しかし何故かベースを担当してしまったのだ。
まあ、バンドを結成しようと言い出すのは決まって上手くギターを弾く奴だ。
このころのベースを担当するというのは、ギターの上手さで決着するか楽器の経験がない奴が担当するのが一般的だった。
何といっても最初からベースをやりたいって奴はいなかったからな。
そして、このころの一番のイベントといえばなんといっても学園祭だ。
さすがにこの日ばかりはスター気取りだ。

このときにひょんなことから「リターン・トゥー・フォーエバー」を聴いてしまった。
ロックミュージックに傾倒していた私には、カルチャーショックと言えるほどに新鮮だった。
まさに後頭部を強打されたような衝撃を受けたものだ。
そして、その時期と同じくして専門学校を自主退学の道へと進行していった。

あのころ、このアルバムに出会っていなければ違った人生になっていたかもしれない。
といっても、今の人生を悔やんでいるわけでもない。
むしろ、出会って良かったと思っている「一枚のアルバム」だ。

作成日:2003/03/20

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