<第一楽章> 

「本論」

(第一章)<世乃元之神と継がる>

こうして「世乃元之神」様とか「龍体神」様とか、大雑把に説明してきましたが、
今まで書いて来たことは、神道に詳しい人にとってはかなり当たり前のことばかりです。
当然にして神様は大勢いらっしゃいますから、ある神様が霊能力のある人に通信を送って神の世界を伝えますと、

通信を受けた人は「神の啓示を受けた」としてそれを人々に伝えます。

しかしどうやら、神界というのは多重構造のようで、神様とて横の連携が出来ている訳ではなさそうです。
その内の一柱の神様の仰ることだけを崇め奉ってしまっては、その声を唯一絶対として、狂信的な宗教になってしまう可能性もあるわけです。

見えない世界に興味を持った私は、この世界が怖い世界であるという本能的な嗅覚から、一つのものにだけ捕われないようにと、
古事記、旧約聖書、仏典、から始まり神智学、ヨガ、はては霊言集にまで手を伸ばし、読み漁ったのです。

しかしどれも今ひとつ腑に落ちなかった私は、結局「無宗教家」でいるしかありませんでした。
そんな私がある健康食品(この商品は結果としてまったく売れませんでした)に出会い、
脱サラして販売しようと思った頃、親しくしてくれていたHさんから、
サラリーマンでいるよりは思い切ってやってみなさいと脱サラを応援されたのです。
しかも、もし失敗したら私の会社で雇いますからとも言ってくれたのです。
こんなにありがたく、うまい話はありません。

ところが彼はある宗教団体の、熱心な信者だったのですね。
脱サラという大海原に小船で出て行くのですから、羅針盤を持っていた方が安全ですよ。
なにか羅針盤になる宗教を持ったらいかがですか、というのは当たり前の話でした。

彼の誠実な人となりを尊敬していた私は、そろそろ何か信じるものを持っても良いかと、彼の誘いに乗ることにしました。
同じものを信じていれば、生活も保障されますからね。まあ、私も汚いもんですわ。 

これで結構真面目な私は、やるからにはと、徹底してお経を読みました。
毎朝6時には始めますから、早寝早起きとなり、健康になっていきます。
考えようによればこれも信心の功徳ですね。

ところがこの団体では座談会として定期的に集会が行われますが、
その場所で信心を20年もやってきているという支部長夫婦が、ののしりあうような会話をするのです。
20年もやっていて、この有様かよう。
こりゃあかんわ、この宗教は本物ではないと決断しました。
私の求めるものは功徳ではなく、人間とはいかに生きるべきか、だったからです。
でも生活の保険のために脱会は出来なかったのです。

ちょうどその頃、「かむながらの神と人」を知り、
皆さんが命懸けで神びらきをしていく様を横で見ていく形になっていました。
1年間じっと見続けた私には、この神様は本物だという気がしてきたのです。
しかしすぐさま乗り換えるというわけにはいきません。
「かむながらの神」を信じ切るということは、今持っている宗教を捨てるということです。
脱サラは大失敗の直前になっています。Hさんの宗教にしがみ付いていれば、家族を路頭に迷わせることだけは避けられる。

さあ、どうするんだ。

1984年(昭和59年)12月8日、午前8時、
私は意を決して「生活保障の宗教」を捨てることにしたのです。

破産してもいいから自分の気持ちに正直になろう。
北に向かい、両手を畳につけ頭をたれます。

「よのもとのかみさま、私はあなたを信じます」

この言葉を全部最後まで言い切れたのかどうか、突然お腹の中から激しい振動が始まり、全身が震えだしました。
腹から搾り出す泣き声というのはあの時のものでしょう。
涙がとどめもなく溢れてきます。わーわーと泣きじゃくります。
30分は泣き続けたでしょう、ふと気が付くと畳に大きな涙の水溜りが出来ていました。

「私は世乃元之神と継ながった」

我に帰った私には、この確信がありました。そこで私はとんでもないことを言ってしまいました。
この感激と感謝をどの神様に、お礼を申し上げればばいいのだろう?
神様の名前などまだ知らない私です。
神界系統図を一度だけ見たことがある私には、てっぺんに書いてある「根元の大御神」だけが頭に残っていたのですね。

「こんげんのおおみかみさま、どうか私と私の家族をお使いください」

これだけは言うべきではありませんでした。
30年間、こんな「かむながら」捨ててやる。神様なんかこっちから捨ててやる。

何度思ったことでしょう。
しかし私は言っちゃったんです。言っちゃたものはもう取り返せません。
皆様はこんな馬鹿なことは、絶対に口に出さない方がいいですよ。それでも言いたければ、どうぞご勝手に!
なんでこんな目にあわなくちゃならないの、さめざめと泣いてしまう日がやってきますよ。

そして私の中に根元神霊時間1000億年が流れていることを実感していました。
気の遠くなるような長さですが、確かに私の中には「根元神霊時間が流れている」のを感じていました。

その夜仕事を終えた私は、神様の言葉を取り継ぐOさんのところへすっ飛んでいって、
彼女の家のお宮におられる「末代様」に報告とお礼をさせて貰いました。
すると末代様はにっこりと微笑んで、たった一言仰ってくれたのです。

「長かったな」

もうこれだけで充分でした。私は「かむなからの神」に受け入れてもらえたのです。

<家族の異変>

私は仕事のために、殆どが東京での一人暮らしとなっていました。
その当時家族は、茨城県の水戸市に住んでいましたが、私の変化と時を同じくして、長女に異変が起きていたのです。

久しぶりに我が家に戻った私に、妻が学校との連絡帳を見せます。
そこには担任の先生から、「お子さんは学校で一日中ボーとしていて、上手く会話が出来ません。
一度精神科を受診されることをお勧めします」との連絡が書かれていました。
おい、これは本当かと聞く私に、妻はそう、ちょっとおかしい。この間も夜中にお風呂の中に漬かって泣いているの。
どうしたのと聞くと、知らない間にここに居たと答えたそうです。

私の判断は、『これは精神異常なんかじゃあない、何か差し障りのある霊現象だ。何かがこの家の中で起きている。』
これはとても私の手に負えるものじゃない、かむながらに助けを求めようと、SOSを出しました。
私の要請に答えて、Oさんは神様に伺ってくれまして、「Mさんと水戸に行きなさい」との「取り継ぎ」を得たのです。

こうしてMさんとOさんが、急遽翌年の1月に、私と家族のためにわざわざ水戸まで出向いてくれることになりました。
まったくの無償なのです。
本当に有り難いことだと、今でも感謝しています。

(第二章)

<世乃元之神の世界の秘められた扉が開いた>

(昭和60年)1月25日、MさんとOさんの二人が常磐線、水戸駅に降り立ちました。
駅まで車で迎えに行った私は、改札口を出たばかりの二人に
「この近辺の神びらきはもう終わったんですか?」と
挨拶もそこそこに問い掛けます。
Mさんは笑いながら「いやこの辺は笠間稲荷しかしていない。何か気になる神社があるのかい?」と答えます。
それまで神業報告書でしか「神びらき」を知らない私は、
許されるなら「かむなからの神びらき」をぜひこの目で見たいという欲求が臨界点にまで達していたのですね。

その日の朝、私h奥さんに
「娘の事でこの辺の神社に行かなくちゃあいけないかも知れない」と話したとき、
「この辺では大洗神社が有名よ」と言うのを思い出し、
Mさんに「大洗神社が気になります」と言った瞬間に、
高圧電流に感電したように体にドーンとショックがやってきました。
指先まで痺れてしまった強烈な「気付け」は、思い起こせば20年以上の「かむながら神業」でも最高のものでした。
痺れてしまった私を見て、Oさんは笑いながら「そこに行きなさいと、言っているわよう」と神様の言葉を取り継ぎます。

教団から頂いたご本尊がある家内や、家の周りを調査してくれた二人は、この家には問題ない、大洗神社に急ごうと言います。
私との3人は、私の運転する車で水戸市内から30分ほどの大洗海岸に向かいます。
取次ぎのOさんが「海岸沿いをゆっくり走ってから、神社に入りなさい」

言われるとおり海岸線にでて魚市場などを通り過ぎます。
大洗神社は行ってみると、海岸に接した小高い丘のような高い所にあり、正式名は「大洗磯前神社」だったことが判明しました。
社殿は立派なもので、相当な歴史を感じました。

「海に向かいなさい」との神様のご指示により鳥居の方に行ってみると、
下の道路から急な石の階段があり、はるか眼下に海が見えます。

防波堤の先には小さな灯台が見えます。
灯台の周りを数羽のカモメがゆったりと舞います。

「海を切りなさいと言っているわよう」という例によってのOさんの発声により、二人は左手で十字を切り始めました。
おお、これが神業報告書にあった「片手十字浄め」かあと、初めてみる行動に感心して見ていますと、
Oさん「何やってんの、早くあなたも浄めなさいよ」
でも私はまだ許されていないんではと、おろおろしていると「いいの、この者にもさせよと神様が言ってんだから」

「片手十字浄め」というのは、
左手を手刀を切るように、まず縦に振り下ろし次に右から左に十字を切るように水平に移動させます。
ちょうどキリスト教徒が「十字を切る」のと真反対の動きですね。
しかし現物を見るのは初めてですから、二人のやり方を見よう見真似で恐る恐る浄めに参加します。
見渡せる限りの海面に向かって、夢中で切りました。
慣れない動きで左腕が痛くなって来た頃、「よし!」で終わりました。

<根元直流神>

Mさんは何時ものように「神業手帳」を取り出すと、神様に質問を開始します。
「神業手帳」は、神様のお言葉を一字一句忘れないようにと
Mさんが常に持ち歩いている大切な記録帳のことです。

「あなたはどなたですか?」 Oさんが取り継ぎを開始します。
「我は言霊(ことだま)であらわすのが非常に難しい神です。
龍体神ではありません。根元之大御神に近いものです。」

Mさんの顔色が変わりました。
Oさんのように、神様とか御霊様とかと通信が出来る人を、「霊能力者」とか「神通士」と神道では言っていますが、
ある意味でとても危険な人になってしまう可能性をはらんでいます。
それは他の人が「神の言葉を伝える」ということを崇め奉ってしまいますから、
いつの間にか「神通士」を神の代理と錯覚してしまうんですね。
そうすると「神通士」が何もかも指示を与えるという権力を持ってしまいます。
卑弥呼さんや新興宗教の教祖さんが犯してしまった間違いなのです。

それを避ける為に神事をする人達は、神の声を伝える人の内容を分析して、
それが本当に神の声なのか、神の振りをしている霊なのかを判断しなければなりません。
それをするお役の人を、「かむなからの神」は「さに八(サニワ)」と命名しております。

「サニワ」というのを漢字で書きますと、「審神」となるそうです。
一方「神通士」のことを、かんながらの神は「取り継ぎ」と命名しています。

「さに八」であるMさんは、1年掛けて龍体神の開放をしてきたのですから、
今回の「浄め」でも答礼神様は龍体神であると思い込んでいました。
それが今まで過去のどんな御神書でも知らされていなかった、訳のわからない神が出現したというのですから、まず取り継ぎさんを疑います。

「ちょっと待てOさん、そんなものは信じられない」
「だってそう仰っているんだから」
「では神様に伺います。あなたはここに封じられていたのですか」

「いや、我らは封じられていたのでも、落とされていたのでもない。
今日のこの日この時を、万億年待ち続けていたのです」

「どうしても理解できません。もう少し具体的なことを教えてくれませんか」

「龍体神の魂物比率は知っているであろう、8:2だな。我は魂が99,99%で、
物が0,01%の構成である。この説明が一番わかりやすいと思う」

「あなたのお役は」

「言霊で説明をすることは大変に難しいが。まあ簡単に言うと、
今龍体神は長い間の争いにより疲れ切っている。
私のお役は、根元の大御神の神力を直接に龍体神に注入することである。
私を通してでないと、根元神力は流れないのだ」

あまりに今までの神観を覆すお言葉に納得できないMさんは、
1年間「神びらき神業」で行動を伴にした末代様をお呼びします。

「末代さんはいらっしゃいますか。おられたらお答え願います。」
今までの人間の歴史上、どんな御神書にも今出られた神の存在は記載されていない。
こんなことは信じられません。
もし本当なら、神界というものの概念が壊れ去ってしまいます。」

「末代です、無理も無い。龍体神である私も今始めてお会いしました。
龍体神界の神々もまったく知らなかった神です。
今まで待機する形でお姿を隠されていた方なので、世に出たことが無いのです。
私達も知らない位ですから、人間が知っているわけはありません。」

<私の感じたこと>

その場に居合わせた私は、ただただポカンと聞いているしかありませんでした。
が、その内「これは面白いことになってきたぞ」とわくわくしてきます。
だってそうでしょ、今までありとあらゆる神霊に係わる本を読んで来ましたが、
神霊さえもが知らなかった神が出現したのです。
神様や霊様から教えられたことばかりが伝えられているだけで、
れが全てだと信じ込んでいたのです。
ところが「かむなからの神」はまったく新しい展開を言い出したのです。
未知との遭遇」、これに勝る面白いことなどあるでしょうか?

過去の「神霊書」に何か釈然としないものを感じるが故の、
一体本当のことは何だろうという、探求の旅です。
今までに「これが真実だ」とい事実に出会っていたのなら、
それ以降見えない世界とは?という欲求は出てこないはずです。
今までの知識では何かが足りないという、疑いの灯火が私の中でずっとずっとくすぶっていたのです。
どうやら長い間の疑問が解けそうだ、
「絶対かむなからの神様についていってやる」という決意がふつふつと湧いてきました。

<娘の神線が開いた>

水戸市内の自宅に帰った私達を、学校から帰ったばかりの長女が出迎えてくれました。
Mさんは早速娘と左手の握手を開始します。
これは陰陽交流と言って、神事をする人なら良く知っているテクニックです。

「目をつぶってごらん、何か見えるかな?」
「海が見える。灯台が見える。あっ、海の中から金のお星さんが五つ、銀のお星さんが三つ飛び出してきた」

娘は「陰陽交流」をきっかけに、神様が見え始めてしまったのです。
一番喜んだのはMさんでした。
どうしても信じきれなかった「根元直流神」でしたが、娘はまったく知らなかった大洗の海と灯台を霊視し、
なおかつ海の中から直流神さまが出現した様を正確に伝えたのです。


大洗神社の境内で、
根元直流神は金5系統と銀3系統の合わせて8系統」

と知らされていたことなど、私の娘が知っているはずもありません。
しかし娘が零視したものにより、さすがのMさんも
信じないわけにはいかなくなっていました。

神のすることはあまりにも見事なものでした。

信じられないことを目の当たりにした私は、いよいよこのかむなからの神の裾を離すもんかと決心していました。


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