<第二楽章>

 

「根元神霊時間2000億年」

(第一章)

<根元神霊時間2000億年>

いったいこの長さは何でしょうか?
最新の宇宙論では、ビックバンから今までを、約170億年としています。
根元神曲を田村氏が書き上げた頃は、神様発表は1000億年でした。
それにしても、科学を無視する「馬鹿げた」長さです。
私もこれを聞いたとき、「ダメだ、この人達の神様は、はったりの神様だ」と思いました。
でも何かが気になり、「かむなから」から離れられませんでした。
他のいろんなことには、賛同できる点が多いから、ひとつくらい、間違いがあってもいいじゃないか。

根元神霊時間2000億年

これはリトマス試験紙のようなものでした。
ほぼ100パーセント、これを聞かされた人は去っていきます。
「それでも付いていく」という、狂信的な人だけが残ります。

「かむなからの神」は、世乃元之神の中から選ばれた「プロジェクトチーム」です。
「根元之大御神」様から「根元時代」「和合時代」を作り上げよという指令を受けて集められた
「少数精鋭部隊」が「かむなから」です。

「彼ら」により、汚れ切ってしまったこの世を、「たてかえたてなおす」には
「彼ら」の目を盗みながらの「隠密行動」でした。
「彼ら」が完全支配する世界を立て替えるのには、ゲリラになるしかありません。
大人数では、すぐに発見され、殲滅されてしまします。
「いかに少人数でやっていくか」これが「プロジェクトチーム」の課題でした。
それゆえ、まともで健全な精神の持ち主は、邪魔なのです。
「ありえない話に命を掛ける」侠気な人間だけが残ります。
これを振り分けるのに好都合なリトマス試験紙、それが 根元神霊時間2000億年なのです。

では「嘘八百」かというととんでもない、この根元時間は真実なのです。

この長さは「たましい」で感じる以外にはありません。
「みたま」
で感じるのです。
「たましい」は正しくは、神や霊が保有する「魂」です。
「私」という人間が、自分として持っている「たましい」を「みたま」と言います。
どうぞ覚えておいてくださいね。

魂ではありません、「みたま」ですよ。

今の私には、目の前に2000億年という時間そのものが存在して見えています。
特に根元時間の初期は、無と有も、陰と陽も、虚と実も、−と+も、ここではすべてのものが不確定です。

しかしこの2000億年という根元神霊時間だけは、
初めから今を貫き通す「絶対存在」として唯一のもの「確定」だと考えています。

この頃、その始めの「絶対存在」が、はるか彼方にぼんやりと見え始めてきました。
その存在に近づきたい、その思いが募ります。
気が付いてみると、
「かむなから」は小さなロケットの中に入り、この2000億年という根元時間を「始め」に向かっている、つまり時間をさかのぼっている、
のだとわかりました。


ですから私は副題として「悠久根元2000億年をさかのぼる旅」と付けたのです。
しかし田村氏の根元神曲を読んだ皆様は、「1000億年」の間違いではないのかという疑問が出ていると思います。

が、今私は間違いなく「2000億年」と書きます。

<末代様発表>
田村氏が末代様の監修を受けながら「根元神曲」を書き上げた頃の公式発表は、根元時間1000億年でした。
ところが末代様は、待機する形で隠れていた「根元直流神界」世に公知されたのを受けて、
次々と今まで隠され、秘めに秘めていた神実を発表され出したのです。

まず第一弾で、根元時間は1000億年ではなく
 倍の長さの『2000億年』であったと訂正されました。

当時この新たな事実を知らされた私は、ほう、そうなんだという位にしか捉えていませんでした。
しかし今このことを考え直してみますと、新たに知らされた1000億年は、いままで知らされていた
1000億年の前段としての絶対根元時間だったと気が付きます。

この観点で2000億年を眺めれば、
前半の1000億年と後半の1000億年は違っている状態を指し示していることに
気が付かねばならなかったのですが、その時はとてもそんなことには気が付きません。
「かむながらのさに八」であるMさんはいち早くこのことに気が付き、
この根元時間が作り出す世界を二つの世界として、名前を付けました。

絶対根元世界 (1000億年)
相対根元世界 (1000億年)

第二段で、「御魂親」として龍体神の分霊としての魂だけではなく、
 人間には5種類の魂が注入されているとして、「五元魂」が発表されました。 

「根元魂」
「根元直流魂」
「人祖魂」
「源流家祖魂」
「龍体魂」

第三段として、「五元魂」の人間への注入プロセスが発表されました。
@「定められた精子」の中に、「根元魂」と「根元直流魂」が注入されます。
Aその精子が卵子の中に突入、即ち「受精」の瞬間、卵子に「人祖魂」が注入されます。
B受精後3ヶ月目に、「源流家祖魂」が注入されます。
C胎児として母体という小宇宙から飛び出し、おぎゃあと産声を上げた、
 即ち赤ちゃんとして息をした瞬間に「龍体魂」が注入されます。

第四段として、今まで発表されていなかった龍体神様が「新生神」として新たに発表されました。

その結果、今(2002年)現在、龍体神界は以下のような構成となっております。

(龍体神は5系統)
地球管理龍体神様は大きく分けて、5系統に分かれています。
それぞれ筆頭神がおられ、以下子神、孫神と続きますが、その数合計198神です。
これを神界系統図といい、「かむなから」が最新の系統図を管理しています。

<神界系統図>

(一) 月の系統   筆頭神  月之大神(男神)    
     <男神27 女神27 計54神>

(ニ) 日の系統   筆頭神  日之大神(女神)
     <男神23 女神19 計42神>

(三) 地の系統   筆頭神  地乃世界之大神(男神)
     <男神37 女神8 計45神>

(四) 岩の系統   筆頭神  岩之大神(女神) 
     <男神9 女神26 計35神>

(五) 上義姫の系統 筆頭神  上義姫之大神(女神)
     <男神12 女神12 計22神>

龍体神ではありますが、系統図に組み入らない神 2神

この結果、この地球を管理するお役を担った神々はその数、200柱おられることとなっております。

(第二章)

<私の御魂親さまが変更になった>

末代様の、世に待機する形でお隠れになっておられた、「根元直流神様」の御出座を受けての発表は、
かんなからの人々を激動の嵐に巻き込むことになりました。
今までのどんな神様に関わる本にも書かれていない新生神様に、御名前を差し上げなくてはならなくなったのです。
この時新しく出現された神は、自ら名前を付けてもらうことを要請なされたのですが、このことは私にある着想を与えてくれます。

人間は、世の中のありとあらゆるものに固有名詞をつけてきました。
一体何故そんなことをしてきたのでしょうか。
よく、名も無き雑草といいますが、実は学者はことごとく名前をつけているのです。
勿論名前が無いのでは、その植物を確定できないのですから、自然に何気なくやっているように見えますが、
見方を変えてみればこの行為は、重大な意味があることがわかってきます。

名前が無いということは、存在しないということと同じなのです。

変でしょ?

現実に目の前にあり、触ってもみれるのに、
存在しないとはどういうことでしょう。

ここに、この世とあの世、実と虚、物質と神の秘密があるのです。
名前が付くこと、名前を付ける人間が存在すること。
ここには人間が見なければ、宇宙も存在しないという
現在の量子物理学と相通ずるものがあるのです。

新しく世に出た神様が名前を所望されたことが、私にこんなアイデアを浮かばせたのですが、ここでこれ以上理論展開をしても、
寝言となってしまいますから、話を現実の世界に戻しましょう。

<峰上回天之大神>

新しく私の御魂親として私の体に入って下さった神様が、峰上回天という神様でした。
でも以前の金山彦様もいなくなってしまったわけではなく、芯に収まって表面には出てこないということらしいです。

峰上回天様は、五系統ある龍体神様の内の、上義姫之大神様の孫神で、金山姫様のお子さんです。
私は何処まで行っても、上義系統の人間ということになりますね。
新生神様の要請により、かんながらでは直ちに名前を付ける作業に入りました。
田村氏とMさんが、神様のお言葉を取り継ぐOさんを間にはさみ、命名作業をしていきます。
新生神様は自ら希望を述べられる神様もおられれば、控えめにそのお姿を伝え、名前を望まれる神様もいらっしゃいました。

峰上回天様は、「我は富士山天空で渦を巻くような、大きな働きをする神である」
自己紹介をされましたので、Mさんがこの御名前を考えついたそうです。
このお名前は、Mさん自慢の命名で、峰上回天様もたいそうお気に入りだったそうですよ。

この時の命名作業がいかに真剣勝負だったかは、私もその場に居合わせましたが、
3名以外の誰も口を挟むことを末代様は許されなかったことで、想像してください。
名前が付くということが、いかに重要な意味を持つのか、なんとなく判って頂けると思います。

これ以降の私が、かむなからのメンバーとして神業に参加するときは、神界で峰上回天様が同時に活動なさるということになりました。
御魂親様と一緒に歩いているなあという実感は、人生の重みを10倍に感じられるほど充実したものとなり、
その結果「何時死んでもいいや」というのが口癖となって、周りの人に叱られるようになってしまいましたけどね。
だからといって、死にたいといっている訳ではありませんから、そこのとこは宜しく。

<私は得体の知れない人間?>

私がかんながらの一員として旅ができるようになった時、
それまでの20名くらいのメンバーは色めき立ったそうです。
なんかおかしな奴が来たぞと。
それは無理も無い話で、今までの人たちの御魂親様は、
神界戦争に明け暮れていた地系の神々ばかりで、
皆さんが天系の神に対して怨念に近い感情を持っていたのです。
そうでなければ、生活を投げ打ってまで、負神として封呪されていた
地系の神様を救済しようなどと勢い込む訳がありません。
かむながらは、私が参加するまでは、「完全なる地系神軍団」だったのです。

そんな地系軍団である人達にとって、私は臭いが違っていたようです。
そこで末代様に彼は何者ですか、とお伺いをしたそうです。
末代様はそれに答えて、
「彼はもともとは、ひつきの神に所属していたのだが、末代が故あって借り受けた」と。

これを聞いたMさんは驚きました。
そりゃあそうでしょう、人間に御魂分与するのは、
5系統の正統なる龍体神しか許されていないと聞いていたからです。
ですから、全ての人間は5系統の龍体神が管理掌握されていて、
まさか「ひつきの神」に所属する人間がいるとは夢にも思わなかったのです。

ひつき神は、人間に関与しないというのがそれまでの常識でした。

<ひつきの神>
私達の周りにある神社におわします神様は、御龍体神です。
本来のお姿は「龍」です。
しかしながら物が2割しかありませんから、姿形は変幻自在、時には人の姿となって現れます。
この御龍体神様が、字の読めも書けも出来ない人に懸かって自動書記をさせたのが、いわゆる「おふでさき」というものです。
天理教の中山みきさん、大本教の出口なおさんらは、特に有名なところです。
これらの神々様は、古事記を初発として「神道」として分類されます。

ところが1994年、突然自らを「天之日月神」(あめのひつくのかみ)
と名乗られる神が、日本画家であった「岡本天明」という人に懸かり、
自動書記をさせ始めたのです。

二二八二八

これが神様を研究する人にとっては有名な、
「ふじははれたり、にほんばれ」で始まる「ひつき神示」なのです。
岡本天明氏の、ある神社の境内で始まったこの自動書記は、結局16年続いたのですが、
書かれたものは、漢数字と渦の絵の羅列で、解読には相当苦労したようです。

なにしろ殆どが漢数字だけですから、読みようによっては、全然違った意味になってしまいます。
それでも多くの人が解析を試み、なんとか文章にしてありました。

<ひつき神示>
読み出した私は、その押し付けでない内容に、
今までの宗教関係の本にはない面白さに俄然惹きつけられたのです

ひつきの神は、自神のみが絶対的存在ではないと公言するのです。

「仏教によるもののみ救われると思ってはならんぞ。
 キリストによるもののみ救われると思ってはならん、
 神道によるもののみ救われると思ってはならん、
 アラーの神によるもののみ救われるものではないぞ。
 その他諸々の神、それぞれの神によるもののみ救われるのではないぞ、
 なにもかも皆救われるのじゃ」

今全世界の宗教を信じる人々がこの感覚を持てば、お互いを認め合うことが出来、テロを含め争いはなくなるでしょうが、
さて果たしてキリスト教、イスラム教を信仰する人がお互いを認め合えられる日は来るのでしょうか?

またひつきの神は、多くのページをさいて宇宙の森羅万象、量子物理学に相通ずるさまざまなことを自動書記させていますが、
私にはその陰陽理論はまるで科学書のように読み取れます。
そこでは歴然と、宇宙として存在する現象としてのみ言及していますから、信じれば救われる宗教色は感じられません。
ただし、「私にとっては」と、強調しなくてはならないでしょうがね。

「この道は宗教ではないぞ、教会ではないぞ。
 道ざから、今までのような教会、作らんぞ。」

(かむなからにおける、ひつき神の立場)
当然のことながら、かんながらではこの「ひつきの神」はどんな神様ですかと、末代様に伺ってありました。
その答えはとんでもないものです。

「ひつきの神は龍体神である。しかしながら5系統の龍体神ではない。
まことに言いにくいことなれど、まあ表現に適切な言葉が無いが、
しいて言うなれば、めかけの子のような立場の神で、」

ねえねえ、ひつきの神ってなんですか?
何も知らない私は、素直にMさんに聞いたのですが、答えを聞いてビックリしましたよ。

私はめかけの子なのか?
そりゃ一体なんじゃあ?

しかしそのことを聞いた時、私の心の中では不思議な感動があったのです。
今までの人生体験の中で、私はまわりの人とはどうも違っているらしい、
私の価値観とまわりの人の価値観はどうも違うものらしいということに気が付いていたからです。

私はある人が言うことに対して、「でも裏から見たらそれは違います」よと
言ってしまいますから、特に小学校や中学校の先生には物凄く嫌われていました。
ものの見方が、地面から見るのと天空から見るのでは違っていて当たり前ななのですが、
地から見た答えしか正解ではないとする、答えはひとつしかないとする学校教育では、その評価は当たり前なのですけどね。
ペケを貰います。それどころが授業を妨害する、お邪魔虫です。

私が所属していたのが、5系統の正統なる龍体神さまから言えば、めかけの子のようなひつき神界であったのであれば、
今までの私の生き様は納得できることばかりです。
かむなからの神様に出会ったお陰で、私は自分の故郷が何処にあったのかを明確に知ることが出来ました。
これにまさる喜びがあるでしょうか。落ち込むことはまったく無かったのです。

ところがかんながらの人々と深くお付き合いをさせて貰うようになって、
ひつきの神がどれほど酷い評価を受けていたのかを知るようになります。

天系地系に分かれて壮絶なる戦いを繰り広げていた龍体神様も、そこは5系統の正統なる龍体神、お互いを認め合っている所があります。
しかし、ひつきの神は神界戦争のさなか、空から眺めているだけで、「手を汚さなかった」として物凄く嫌われていたのです。
同じ龍体神なのに、当時のかんなからのメンバーの中では、これほどの辛い評価をされている「ひつき」の神でした。

本当に末代様という神様は、摩訶不思議な神様です。
その後、私がひつきの神の所属であったということについては一切触れず、
私を峰上回天様のはたらきをさせるべく、かむなからの一員として扱って下さいました。
しかしその後、私がひつき神界に所属していたということが、私に「サザンクロス交響曲」を書かせることになるのですから、
この「ひつきの神」は記憶の中に留めて置いて下さるよう御願いします。

<執筆一時中止>
2003年末、ここまで書いてきて私は更年期による「うつ病」になってしまいました。
デパート勤務の傍ら、資料を集め、思い出しながらの執筆ですから、1年半近くかかったことになります。
2007年3月2日、執筆再開ということになりますが結局3年というブランクが出来ました。
その間神様は私を鍛え上げました。

まさに身も心もぼろぼろになりながら、のた打ち回った3年間でした。
しかし鍛えの3年が終わってみれば、それはあたかもマユに包まれた「さなぎの時代」をすごしていたように感じられます。
今私は脱皮し、成虫になったのを感じます。
今度はこの羽を使って空を飛ばなくてはなりませんが、うまく飛べるでしょうか?
ともかく私の仕事は、神様のことを伝えること。
世乃元之神を世に問うなんて大それたことは考えていません。
求めてくる人に、出来るだけわかりやすく伝えること、ただこれだけですから楽といえば楽です。
肩肘張らずに気楽にお話していこうと思います。


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