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| 北方謙三『三国志』ハルキ文庫、一巻〜十三巻、2001年。
「三国志」は3世紀末に西晋の陳寿によって著された。それは、26魏志列伝30巻、蜀志15列伝15巻、呉志20列伝20巻からなる書物である。ちなみに、魏志の中には、邪馬台国に関する記述も見受けられる。その後、元代末、羅貫中によって、歴史小説として三国志演義が著される。『三国志演義』は、24巻からなり、『西遊記』、『水滸伝』、『金瓶梅』と並ぶ四大奇書のうちの一冊である。この『三国志演義』が日本に輸入され、1689年湘南文山の『通俗三国志』50巻が出されて以来、日本人に広く読まれるようになったのだ。 現代においては、少し前までは、吉川英治の『三国志』が世間一般で有名であったように思う。 北方三国志は、これまでの三国志とは違う点がいくつかある。 まず、劉備寄り、蜀寄りではないというところである。 従来の三国志では、三国志演義の影響もあって、劉備が主人公として描かれ、曹操は悪玉として書かれることが多かった。しかし、北方三国志では、劉備寄りの書き方ではない。むしろ、曹操を高く評価した書き方をしている。事実、曹操は三国時代において、最も覇者に近い存在であり、漢詩にも優れ、教養も持ち合わせた文武両道の人物であった。 また、従来、どちらかというと、悪者として描かれていた、呂布と張飛を、漢の中の漢として、非常にうまく描いている。呂布の最期の場面では、読者は思わず、呂布に心を思い入れてしまうことだろう。 さらに、従来の三国志は、諸葛亮孔明を天才的な超人として扱っていた。赤壁の戦いでは、孔明が「七星壇」という台を作らせ、そこに登って風を吹かせ、曹操軍に大打撃を与える、という話がある。どうやらこの話は、全くのフィクションであるらしい。北方三国志では、このような書かれ方はしていない。また、劉備の死後、蜀の孔明と魏の司馬慰仲達との戦いが大きな目玉となる。従来の三国志では、仲達は孔明の策に翻弄される存在として描かれていた。実際は、そのようなことはなく、仲達も孔明と同等の切れ者であった。孔明と仲達の争いは、孔明の病死によって終止符が打たれる。結果的に見ると、両者の争いは、引き分けであったようだ。 今まで述べたような点で、北方三国志は従来の三国志とは一線を隔す名作であると思う。 一冊当たりおよそ300ページ、全13巻からなるので、かなりのページ数に及び、読み進めるのが、つらいと思われるかもしれない。だが、そのような予想は杞憂に終わると断言できる。とにかく面白いので、スイスイ読み進めていくことができると思う。 | |||||||