KYOの日常日記 

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2009.2.16(月) ごあいさつ

 ブログでも書いたように、私の愛用パソコン(2代目)に、寿命が近付いている。
初代から2代目に替えた時、フロントページエクスプレスが搭載されていなかったように、
多分、3代目にはホームページビルダーが付いていないのではないかな、と予想される。
ホームページ更新に当たってのソフトが替わる、あの困惑が再来するのか。
もう、乗り切る自信はない。

なので、7年続けたこのホームページですが、ここで一区切り付け、
以降は、ブログで更新していこうと思います。
もし、3代目に替わってからもホームページ更新できたなら、
また、ご報告します。

7年間、ご愛読ご来訪くださった皆様、本当にありがとうございました。
よろしければ、以降もブログの方で、おつきあいいただけたら幸いです。


2008.10.17(金)

 「ブログに変えたら?」と、数年前から、よく言われる。
確かに、簡易にコメントの交流ができることは魅力だ。
 ブログとこのホームページと両方やってみようかな、と思い立って、さっき作りかけた。
・・・・・でも、ものすごい違和感がある。
 広告が前面に来るし。
 カテゴリーも最初から規定されているのが、窮屈で。

ホームページの方が、はるかに自由で楽しい。
というか、私って世の中からかなり遅れているんだと今更ながら気付かされて、苦いよ。

半日いじってみたが、少しは体裁整っただろうか。 → こちらです


2008.9.19(金)

 いまだに私は、男子体操に熱中している。  こんなページまで、作ってしまった。

なんで、彼らは4年に1度しか、スポットライトを浴びないのだろう。
もっともっと、私は知りたいのに。
ドキュメント番組とか、ノンフィクション小説とか、いっぱいあっても良いはずなのに。
いやそれ以前に何よりも、彼らの全盛期の、大きな大会での真剣勝負(演技)は、きちんと映像で残しておいてほしいと願う。


2008.9.3(水)

 北京オリンピックが閉幕して、10日ほど経ったのだが、まだ熱が冷めない。
競泳・柔道・体操・レスリング・シンクロ・ソフトボール・野球・陸上など、リアルタイムで手に汗握って観戦したほとんどの競技で、興奮し感動し、熱狂した。

 一番心を掴まれたのは、男子体操である。
 初めのうちは、内村選手が、私の長女と生まれた日が1日違いの同い年であり、なおかつ笑顔が長男に似ているから、という不純な動機で観ていたが、団体決勝や個人総合のあまりに劇的な展開で、目からウロコが落ち、完全に魅了された。

 このチームが、鹿島・冨田・中瀬・沖口・坂本・内村の順に、28才・27才・25才・22才・21才・19才という年齢構成であることも興味深かった。
銀メダルを持って帰国した後のTV番組で、「体操以上に好きなものはない」と明言する冨田と内村が、揃って「強化合宿は本当にキツかった」
けれども、「自分以上に努力したメンバーは、他に居る」と言う。
 日本の体操界というのは、興味深いところだと思った。
・・・・・で、日本体操協会のHPをのぞいたり、アテネオリンピック以降の世界大会の動画を、YouTubeで見たりする毎日である。
(おかげで、夢にまで体操選手が出てきて、鉄棒ぐるぐる回ったり、床運動ピョンピョン跳ねたりするようになった)

 5月に行われた代表選考会も、かなり激戦であったことを知る。
4年に1度のオリンピックに、代表になれなかった選手たちの涙や悔しさは、推して知るべし。

 北京のメンバーも良かったが、最強だったのはやっぱり、全盛期の冨田・鹿島と共に、成熟した米田・塚原を擁したアテネの金メダルメンバーだったかと思う。
 2004年頃の鹿島や冨田は、飛ぶ鳥も落とす勢い。
 この時の2人を凌ぐ選手が、今後、現れるかどうか。


2008.5.29(木)

 SNSというものに、一年間、参加してみた。
             → 参照:キャラメルボックスに関する私見(2007.6.11)
いろいろ、面白かった。
しかし、結局は、『お友達と遊ぶサロン』。
私のように、意見交換を目的にする者にとっては、伝えたいことが伝わらない世界だった。
もちろん、荒らしが全く無いので、他の掲示板などに比べれば、天国のような住み心地だ。
けれども、理解していないのに、さも理解してアドバイスするような、上から見下ろすような書き込みの多さには閉口する。
せめて、適確に読み取ってから、自分の意見として書いてほしい。
そうすれば、私の意見とあなたの意見は、お互い対等で、どちらも尊重されるものになるだろう。

 インターネットにおける交流の理想とは、そういうものだと私は思うのだが。

というか、そういう場はSNSではないのだろう。
そういう場は、一体どこにあるのだ?


2007.5.23(水)

 今度は、名古屋で開催中の『プライスコレクション・伊藤若冲と江戸絵画展』を観に行ってきた。
 こちらは若冲だけでなく、同時代に京都画壇で活躍した、丸山応挙・長沢芦雪・曽我蕭白、江戸の浮世絵や菱川師宣の精細な図帖、鈴木其一を始めとする琳派の洗練された屏風など、大変豪華で充実した内容だった。
 プライス氏は、日本画はもちろん日本語さえ分からず、ただ自分の感性が選ぶがままに、これらの貴重な名画を蒐集されたそうで、芸術というのは、知識や概念ではなく、やはり感性なのだなぁと思った。
 私が一番良いなと感じたのは、琳派・鈴木守一の屏風だったかも知れない。
 どの絵にも皆、感動したので、自分でもよく分からないが。 芦雪も良かったな。

 多くの才能が開花し、日本のルネサンスとも呼べる、18世紀の京都画壇。
いつか、じっくりとドラマ化されたら、素敵だなと思う。


2007.5.18(金)

 16日の水曜日、京都・相国寺で開催されている、『若冲展』に行ってきた。
平日の午後だというのに、かなり混雑していた。
明治維新後に皇室に献納されていた、伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)の名画「動植綵絵」(どうしょくさいえ)30幅が、120年ぶりに里帰りし、「釈迦三尊像」と共に、本来の33幅で並べられ、息を呑むほど壮観だった。

この人の絵はどれも凄いが(初期の若い頃の犬っころが振り返っている絵は、可愛いかった)、なんといっても鶏だな、やっぱり。
30幅の「動植綵絵」も、順番に魚だの小鳥だの花だの孔雀だの鳳凰だのが描かれているが、鶏の番になると、俄然生き生きしてくる。
鶏、最高!
特に、十三羽がひしめく「群鶏図」。
それから、「大鶏雌雄図」。雌鳥の上半身が、すっきり潔くて色香がある。人間で言うなら・・・小雪(女優の)。


2007.5.15(火)

 最近、私が嵌っているのは、演劇集団キャラメルボックスだ。
元を質せば、昨年の大河ドラマ「功名が辻」の総集編だった。
日頃からドラマにも映画にも疎い私は、なんとそこで、初めて上川隆也の演技に出会ったのだ。
「こんなに上手い俳優が、日本にいたのかぁっ!」
雷に打たれたような衝撃だった。(←世間から10年以上遅れています)
以来、「功名が辻」完全版、「大地の子」「白い巨塔」「竜馬がゆく」など、次々と映像を鑑賞。
とうとうスカイパーフェクトTVで、彼の所属する劇団であるキャラメルボックスの舞台まで観てしまった。

・・・ツボ、直撃です。
キャラメルボックスの劇作・演出・製作総指揮・主演女優、いわゆる旗揚げメンバーの皆さんは、私と同学年。
私が小劇場演劇に夢中になったのは、夢の遊眠社や第三舞台までで、それ以降はすっぱり足を洗って、結婚し家事・育児に専念してきたけれど、キャラメルボックスはすぐ次に来た時代の人たちですね。
なんか、もう一つの自分の人生を見ているような感慨を、勝手ながら抱いてしまう。

製作総指揮の加藤昌史の著作を読んだ。(「拍手という花束のために」)
なんか、もう全てにうなずける。
その信念やそれゆえの苦難などが、我がことのように分かる。

キャラメルボックスに関する私見


2007.5.4(金)

 このサイトを長らく放置状態にしていた報いを、今、私は受けている。
 次々と面白そうなものを追いかけていき、大切なものを見失なった結果、投げやり同然の日々に陥った。

本当は、最も精神的に自由な立場で、私はいろいろ見て、書けるはずだった。
たっぷりと時間をもらい、お金も気にすることなく、何にも気兼ねなく、私は何かを生み出せると思っていた。

事実、なにがしかは生み出していた。
退職後のこの3年間というもの、無為に過ごした時間はほとんどない。
毎日、必ず、500字以上は文章を書いてきた。
・・・ただ、発表する場所を、大いに誤まった。(←致命傷)

というか、無責任に書き散らしたバチが当たったのだ!
インターネットの掲示板などには、いくら良い文章を書いたって、どんどん消えてゆく。
削除されてしまえば、もう一度読みたいと思っても、二度と叶わない。
途中でそれに気付いたにも関わらず、安易さに身をゆだね、掲示板中毒のまま、ズルズル来てしまった。

 ブログに替えようかな、とも思った。

 しかし、昨日から久しぶりに自分のサイトを読み返してみたら、愛着が湧いて止まらない。
元々、自分の書いた文章が惜しくて捨てられないという、変な人間である私。
今まで他所の掲示板に書き、消えていった名(迷)文たちが、悔やまれて仕方ない。

インターネット、特に読み書きし易い大手の掲示板は、ゴミ捨て場のように悲惨な状態にある。
言葉とは、もっともっと大切にされなければいけないものだ。
いや、私自身が、大切にしよう。
自分ができる最善を、ここに尽くそう。
それでなければ、何のための自分のサイトだろう。

そういう決意と共に、このサイトの蘇生を図りたいと思う。 


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