書 評

『逆』読書法

百人一首の謎

豊臣秀長

織田正吉『百人一首の謎』講談社現代新書、1989年。
 

 日本人なら、ほとんどの人が遊んだことがある、古くからの遊びの一つ。それが、百人一首だ。(私は、「かるた」より、「坊主めくり」で遊んだ記憶の方が多いが…)
 ところで、「百人一首」という言葉を見て、違和感を感じる方はいないであろうか。本書『百人一首の謎』では、次のような指摘がなされている。

 100首からなる歌集をなぜ百人「一首」というのか。

 これは、指摘されてみて初めてわかることだ。確かに、100首からなるのであれば、百人「百首」といったほうが正しい。では、なぜ百人「一首」と呼ばれているのだろう。その答えが本書にある。
 「百人一首は、単なる歌集ではない。それは、クロスワードであり、編者である藤原定家のメッセージが隠されている」これが、本書の主張である。
 著者の織田正吉氏は、百人一首には、よく似た言葉を持つ歌が多いことを疑問に思い、その疑問に答える形で、自ら、百人一首には隠されたメッセージがあるという結論に辿り着いた。

 「和歌」に関する話と聞くと、退屈だと感じる人が多いことと思う。私もその一人である。しかし、本書は、とにかく面白い。まるで推理小説を読んでいるかのように読みすすめることができる。私は、和歌を鑑賞する力は非常に乏しいが、そのような私でさえも、本書は、最後まで楽しく読むことができた。百人一首の隠されたメッセージを伝えたい気持ちは、やまやまではあるが、自重させてもらいます。
 手品はタネがわからないから面白い。タネをばらしたら、手品師は失業します。

 また、百人一首に対する織田氏のアプローチも面白い。織田氏は、百人一首に対する取り組み方を次の二つに分類した。それは、「鑑賞」と「観察」である。鑑賞は文系的取り組み方であり、観察は理系的取り組み方である。織田氏は、百人一首の隠された意味の解読には、文系的取り組み方では対処できないことを看破し、純粋な観察によって結論に辿り着く。その方法とは、主観を廃棄し、客観的な事実に目を向け、そこから推論を立て、それを証明するというやり方である。この方法は、まさに自然科学におけるアプローチと同様である。

 最後に私の最も好きな百人一首の中の歌を一つ。

 これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関  蝉丸





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