<資質より性向> 最近つくづく思うことがある。「人間の能力で重要なのは、資質より性向ではないのか」と。 私はこれまで高校受験、大学受験に関して多くの人たちを見てきた。そこで観察されることは、次のようなものであった。それは、学力の資質が高いけれども、勉強に対する性向が低い人よりも、学力の資質が低くても勉強に対する性向が強い人のほうが、最終的によい結果に終わることが多いということだ。 ここで、「学力の資質」と「勉強に対する性向」について、説明を加えておこう。 学力の資質とは、「頭のよさ、ひらめきのよさ」のことである。一方、勉強に対する性向とは、「勉強に対する姿勢や考え方、その人の性格」のことを指す。
これまでのことを簡単に言うと、高校受験や大学受験においては、必ずしも頭がよい―つまり、能力が高い―とは言えなくても、勉強に対する姿勢が身についていて、なおかつ、それを実行した人が合格するということだ。 この事実は、何も高校受験や大学受験に限られたことではない。他の分野でも、十分に当てはまることだ。それは勉強以外の分野においても言えることだ。 ひとは、メジャー・リーガーのイチロー選手を天才と呼ぶが、私はそうは思わない。語弊を起こさないために言っておくが、私は、イチロー選手の実績を認めていないわけではない。実際、イチロー選手は今まで存在してきた日本人野球選手の中で最も偉大な選手であると、私は心の底から思う。 当然のことだが、彼は、一般の人はおろか、野球に関しての超エリートであるメジャー・リーガーの中でも、特筆すべき能力を持っていると言える。しかし、彼の能力は天賦のものであったのだろうか。 彼が、数々の大偉業を達成できたのは、自分の能力を高めるためになすべきことを認識し、何年もそれを継続してきたことの結果に過ぎない。やるべきことをせずに、結果を残せるはずがない。彼と同等の努力をし続けてきた人が、一体、他に何人いるのだろうか。 彼の努力に目を向けずに、「天才」の一言で済ませてしまう態度はどうかと思う。経過を見ずに結果だけを見て、判断を下してしまうのは、人に対する正しい評価とは言えないと、私は思う。 (続) |