短 評

資質より性向

資質より性向2

教育は与えられるもの?

<資質より性向2>
 

 ここで、なぜ、イチロー選手を引き合いに出したのかというと、世の中には能力があるのに、その能力相応の努力をしない人が多すぎる気がするからだ。

 私の経験から言うと、頭がいい人ほど、努力をしなくなる。「この人は頭の回転がいいな」と思った人は、ことごとく安易な道に走ってしまう。しかも、本人は、そのことに気づいていないことが多い。彼らは、なまじ頭がいいだけに、困難な道を避けて、安易な道に走ってしまう。それを傍から見ていると、非常に惜しい気持ちになる。ほんの少しでもいいから、彼らが自分の現在の状態を認識して、それを改善していれば…、と思うことが多々ある。もし彼らが、自分がどのような状況に置かれているかに気づいていたのなら、彼らの人生は今とは全く違ったものになっていただろう。

 スマートな道がいつもよいものであるとは限らない。スマートに、楽に進む道よりも、愚直に、一途に進む道のほうが、よい結果に終わることもあるのだ。
 しかし、自分のそのような状況に気づく人は、まれだ。もし、私たちのまわりに、そのことに気づいた人がいるとしたら、その人は非常に幸運な人だ。自分自身で気づくことは難しいと思う。他人による指摘や本を読むことによる触発から、そのことを発見することが多いと思う。ただ、気づくにしても、それは問題意識を持っているから気づくのであって、それなしでは馬の耳に念仏に終わるであろう。

 ところで、自分自身の状況を認識している人は、より高次の能力を獲得していることをも意味している。その高次の能力とは、「メタ認知」という能力のことだ。メタ認知とは、意識的に一段高い場所に立って、自分の頭の中の状態について、客観的に認知し、把握するということだ。いわば、自分自身を天井から見ているもう一人の自分がいるような感覚だ。

 いくら頭がよくても、自分自身がどのような状況にあるのかに気がつかなければ、宝の持ち腐れだ。また、自分の資質を認識していたとしても、それに応じた努力をしなければ、自分を取り巻く状況に大きな変化はないであろう。 (続)





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