妻の介護と相続 1

  妻が旅行先で倒れて入院しました。


2011年2月17日午前0時5分に突然の電話。
「こんな時間に誰だろ?もしもし○○ですが」
(そちら○○○さんをご存知ですか?)
「妻ですが?」
(鳥取赤十字病院ですが○○○さんが救急車で来院されましたが
検査の結果、当院での措置はできませんので鳥取生協病院に転送
しました。先方の医師からの連絡をお待ちください)
妻はシルバー人材センターの1泊旅行で天の橋立(京都)に行ったが
どうして鳥取なんだろ?私も行ったことない土地である。
1時間ほどして生協病院の医師から連絡があり
(今は安定してますが予断を許さない状態なのでお越しください)
「えっ・・・すぐ行きます」
とりあえず娘に連絡
「車で行こうか?」
(雪で危ないから電車がいいと思う)


2月の鳥取駅北口風景

「じゃ新幹線の壁画の前で会おう」
数十年前にはあった壁画はなく大型置時計が目印になっていた。
だが待てど暮らせど娘は現れない。娘のマンションに電話した。
えっ これから出かける。うっそぉ 小一時間かかるのに。
思わずメラ〜と怒りの炎が灯った。母親が重態なのにこの態度か。
正午近くに鳥取駅へ到着、第一報から12時間が過ぎたわけだ。
HCU(ICU) で今回の旅行引率者から簡単な説明と荷物を受け取った。
妻に会うと血圧が高いせいか顔が赤らみ落ち着きがなく不自然な
動作を繰り返している。総入れ歯を外してあるので老けて見える。
若い頃から総入れ歯であるが外した顔は結婚40有余年で初めて見た。
妻にしたら見られたくなかったんだろな。
医師の説明で小脳出血だが1回目と2回目の CT 画像を比べても
大きさは変わらないので様子をみたいとのことである。
医師や看護師が随分若いのでチョッピリ不安である。
後に不安が的中し、妻も私も泣かされることになったが・・・。
異郷であるし、入れ歯を外して発音が不明瞭であるのが
重なって看護師を呼んでも無視されて妻は落ち込んでしまった。
看護側から見れば「認知症の婆さんが騒いでる」としか見えない。
気丈な妻が「皆が意地悪をする」と泣いたのには困った。
それに入れ歯を外したままの妻の口に食べ物を押し込んでるのを
偶然発見し、驚いた。バカ 歯がなければ噛めないじゃないか。
看護師が若いので入れ歯の重要な事が理解出来ないようだ。
案の定、口中に押し込まれた食べ物を妻が吐き出してる。
当然、食べなければ点滴で栄養補給となる。
妻は抗議して点滴チューブを引き抜くので両手を
拘束されてしまった。不憫だがしょうがない。
私は看護師に抗議し、更に医療ソーシアルワーカーに
入れ歯の重要さを説き、外さないように強く要望した。
要望は電子カルテを見ると直ぐ反映されていた。
入れ歯は装着してもらったが妻の抗議は続き
以後、一ヶ月余り拘束されてしまった。
1週間毎に拘束承諾書にサインを求められるし
妻の頑な心は解けず最悪な展開であった。
看護が信頼できず不測の事態も考えられるので
自宅に帰れずホテルに常駐することになってしまった。
帰る時は、夜自宅着、早朝鳥取向け出発で強行軍である。
帰らないほうが楽であるが郵便物のチェックとか洗濯とか
金魚14匹(留守中に最大の1匹が死亡、餌金から育てて
数年になるが恩返しに妻の身代わりかな?)メダカ7匹の
餌やり、その他、新聞の休刊手配等で4日に一度は帰らざるを得ない。
まぁオンボロ小屋なので30年このかた盗難がないのが幸いだ。
長年連れ添った妻だから1人で逝かせないよう
HCU に毎日出勤?した。昨日、今日と呼べども応答なし。不安だ。
急性水頭症でドレナーゼ手術の承諾書署名を求められた。
急な話でビックリ。CT スキャンの画像を見せられたが
以前の画像との違いが分からない。不安もあったがサインした。
術後に面会したが麻酔が効いているのか眠っている。
頭に穴をあけチューブを通して脳脊髄液を排出してる。
一見、サイホンのようで最終的にビニル袋に液を貯めるらしい。
再度、夜に面会したが高熱で意識が混濁してるようだ。
もう駄目かもしれない。帰りが辛かった。
翌日には高熱であるが意識は回復したようだ。
話かけると僅かに肯く。よかった。だが眼を開かない。
ビーフリードの点滴だけでは栄養不足になるので
経菅栄養を鼻から注入するGFO 療法が始まった。
頭に一本、それに鼻と腕との3本のチューブで繋がれ痛々しい
限りだ。それに両手の拘束・・・どうなっちゃうのかなぁ。
面会時間に妻は震えてるので発作かと思い尋ねると
「寒い」の一言。高熱なので両脇下にアイスノンを抱いてる。
だが胸がはだけたまま、両手拘束じゃ布団もあげられない。
拘束してるなら煩雑に様子をみるべきなのに・・・
看護師に強く抗議したが返事もなし。
私の怒り声が大きかったのか妻も驚いていた。
私自身、精神が異常な状態だとは自覚してるけど・・・。
病状はよくない感じであるが入院一ヶ月すぎた頃に看護師から
HCU を出て個室に移動すると言われ嬉しかった。治ったかな?
だが喜んだのは早かったようだ。どうも後がつかえてるから
トコロテン式に移動させられたようだ。
指示に従って荷物を全部病室に運んだが病状が変わってない。
理学療法士が妻の体をチェックした。
リハビリの下調べかな?だがこれは患者追い出しの準備だった。
翌日、主治医からとんでもない話がでた。
「病状がほぼ固定したから転院を考えてほしい」
オイオイ固定したのは妻の体じゃないか。
一ヶ月拘束したら筋肉が固まるだろ。拘束解いて時々は
リハビリしないと寝たっきりになるのは素人でも知ってる。
長期間の拘束されたのをリハビリしようなんて難問題なのに
転院とはなんだよ。まだ食事もできず GFO と点滴してるし。
担当医療は終わっても患者の将来を考えてほしい。
急性期病院なんてそちらの都合だ。患者主体に考えるべきだ。
そこで、食事ができて自力でベッドから車椅子に乗れて
6時間余りの乗車に耐えるまでリハビリして頂きたいと要望した。
同じ要望を医療ソーシアルワーカーにもお願いした。
さすがに相談室は理解が早いようだ。
この急性期病院制度は小泉政権が作ったとか。
まず急性期病人の入院日数を決め、それ以上入院させると経費と
して差し引くとか。つまり入院日数が多いほど病院は稼げない。
だから早急に療養型病院に転院させたいわけだ。
急性期病院に後方病棟といわれる療養病棟を持ってる施設もある。
だが、急救車の患者に病院の選択肢はない。
ましてや自宅から数百キロ離れた土地なら尚更だ。
まぁ患者にとっては無責任医療制度でしかない。
私の知ってる病院も3ヶ月で転院を進めるが
その役は主任看護師で医師の役目じゃない。
医師が転院とか言い出せば患者は受けた治療に疑いを持つと思うよ。
鳥取生協病院と言えば歴史ある260床の、彼の地では大病院だとか。
だが、医師や看護師が若くパソコンの画面ばかり見てるのが
奇異な感じである。あらゆる指示はパソコンを通してくるのかな。
カルテが LAN で共有されてるのは、医師から別々の3部屋で説明
されたとき理解できた。思い過ごしかも知れないがベテラン医師や
看護師がいないのはパソコンを扱えないので淘汰?されたのかも。
どうも1人1台あるようだしタイピングなんか上手で感心する。
だが拘束に紐を使ったり介護方法は前近代的で違和感がある。
例えば腕の拘束はベッドに縛りつけずスプリング等で腕の角度を
調整できる装具を開発すれば寝返りもできる。
義肢製作所に依頼すれば製作は簡単だと思う。
診察の呼び出しは音声と電光板で行われ、目や耳の不自由な人に
とってベターだと思った。それにATM があるのは便利である。
公衆電話とテレビのついたラウンジは各階にあるようだ。
この地は毎日が雪で寒い。雪と寒風除けに傘が手放せない。
3月も中頃なのに信じられない。愛知では桜に蕾がついてる。
姫路からスーパーはくとに乗り1時間半で気候が一変する。
瀬戸内海側から日本海側に到着するわけだ。
野菜は高いが境港や鳥取港で陸揚げされた新鮮な魚が安い。
種類は少なくハタハタ、蟹、あんこう、カレイ、ほうぼう等だ。
ホテルと病院の行き来にスーパー見物するのが息抜きになる。
今日は13日ぶりの面会だが涙もろく怒りやすくなった。
午前6時前はナースコールしても来てくれないと
大粒の涙をポロポロこぼしたり薬を拒否したり感情の起伏が
激しい。久しぶりなので医療費を払ったり、オムツ、尿パッドの
追加をしたり、医療ソーシアルワーカーと連絡をとったりと忙しい。
主任看護師から3日後にリハビリ病棟に移るので運動着の
購入を頼まれた。食事が出来るようになったので自立訓練かな。
回復期リハビリは無理と思ったが病室が空いたようだ。
医療ソーシアルワーカーからメールで介護保険の申請要請が
あり、市役所の社会福祉課を尋ねた。係員に詳細を話し
今後の相談の結果、彼の地で介護認定検査を受ける事になった。
当市で必要な検査を先方の自治体が代行するわけだ。
私が認定検査に立ち会えない場合は担当看護師で代行できる事を
医療ソーシアルワーカーからメールを頂いた。


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関係資料その5
関係資料その6
関係資料その7
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