妻の介護と相続 3

  妻が旅行先で倒れて入院しました。


6月1日に1泊で面会の予定を組む。場合によっては2泊になるかも。
恒例の受付への保険証提示であるが認知症の観察も必要だ。
一年間、母を在宅介護して看取った経験があるが
認知症介護だとしたら未知の領域へ挑戦することになる。難しいかな。
鳥取市のタクシー業者から搬送費用の見積もりが届いた。
歩けるようになれば自家用車でもいいが寝た状態での搬送となれば
ストレッチャー付きのジャンボタクシーを使用することになる。
回復リハビリの進行次第である。
市社協センターへケアマネージャーを依頼した。
4年前は妻が母のケアマネを社協センターに依頼した。因縁かな(笑)
5月28日市役所より要介護3認定の通知があった。
早速、医療ソーシアルワーカーにメール&ファックスをする。
社協センターへは2回ファックスするも不達レポートである。
準役所だから土曜日はお休みかな?
月曜日に再度社協センターにFAX したらスンナリできた。
当方の番号間違いでセンターは24時間受信中とのこと(苦笑)
6月1日病院訪問。何回目だろう。
8階のロビーで妻が車椅子徘徊中?いつも車椅子上である。
ベッドの指示書では「通常、車椅子に乗せる」とあるから
平衡感覚を養うためのリハビリなのかな。
今回もハサミを要求されたが点滴していないので
車椅子から落ちないように体を縛ってある紐を切って
自由になりたいらしい。前回は私が感違いしてたようだ。
身体拘束承諾書のサインは求められなかった。今はしてない?
観察では眼振少々あり。妄想あり。栄養失調ぎみってことかな。
食事の好き嫌いが激しく残す物が多いようだ。
点滴と経菅栄養に戻ると困る。眼振も少々ある。
妄想は「一銭も持ってないから帰れない」と言われた。
リハビリを2日間見学したが仕上がりは順調のようだ。
風船ボール投げ。輪投げ。歩行器。お絵描き。平行棒。
杖を使っての歩行は今ひとつ腰が安定しないようだ。
感情の起伏が激しく泣きながら拳で5回ほど殴られた。
内にこもった諸々の怒りが爆発したんだろう。
結婚生活43年で2回目の DV である。心あたりはある。
実妹が母の介護を放棄したとき、一言の不満も言わず
介護に協力してくれたのに口汚く罵しったこともあった。
気持ちとしては「母親介護の恩人」で感謝してるが恥ずかしくて
言葉で表せない・・・言うべくだろな。
医療ソーシアルワーカーと今後の予定を相談した。
中旬に医師と面談、OK なら下旬に退院の工程である。


病室の名札(通常はブラインド)
シンプルな個人情報保護だと思いますが不便ですよね。


5月15日、半月ぶりの生協病院です。
この病院は何時も室温が高く30分もすれば汗ばむ。
外は快適な気温なのに何故暖房するのか理解に苦しむ。
主治医及び担当看護師とのカンファレンスに臨んだ結果
29日午前10時に退院することに合意する。
理学療法士によると「歩けるようになったが介護が必要」とのこと。
まだ半月あるから更なる進歩を期待したい。
リハビリも体を使う場合と頭脳を使う場合があるようだ。
妻がロビーで3桁2段の加算を10問ほど解いてた。
お絵書きもあって病室に作品があった。


回復リハビリ病棟は8階にあり、2階のリハビリルームから
理学療法士が迎えに来る。患者は骨折とかの整体じゃなくて
脳障害後遺症の人達ばかりのようだ。


妻を迎える準備に忙しい。
前日にホテル着、翌日早朝に病院駐車場に入り介護車椅子を
8階に移動させ、私物を車に運ぶ。最後に妻と医療スタッフに
挨拶し退院、これが大雑把な工程である。
だが往復 800Km 10時間余りを平成11年式のマイカーに
頑張ってもらうのは正直きつい。タクシーも考えたが時間相手の
商売じゃ途中でなにかあったら無理がきかない。
場合によってはオムツ交換とか車酔いなら長時間の休憩も必要になる。
まぁプロドライバー32年と介護経験でカバーするしかないかな。
6月28日10時、医療スタッフの皆さんにエレベータまで送って
頂いたが、本人は先ほどまで寝ていたせいかボンヤリしている。
帰路、車中で爆睡でしたので睡眠薬でも処方されていたのだろうか。
なんとか連れ帰ったが話の内容に意味不明の部分があって
コミュニケーションがとれない。
とくに困ったのは薬を飲んでくれないことだ。
それと分からないように砕いて牛乳と一緒に飲ませた。
時々、頭を抱えてるから小脳の状態がまだよくないと思われる。
文字を書いてもゆがんでて読めない部分ある。
精神状態が不安定だが落ち着いたらケアプランを作ってもらう
必要がある。病気のせいなのか怒りっぽい。
歩行の練習を始めたが腰がふらつくので介護が必要。
6/30 包括支援センターの手配で週2回通所リハビリが決定する。
7/1 心の揺れが大きくなだめても聞き入れてくれず途方にくれるも
5分ほどで収まる。日に3回ほど波があるが相手になると興奮するの
で無視するのがいいようだ。老人クラブと親友の見舞いあり。
7/2 午前3時、恐ろしい事が起きていた。
介護ベッドに妻がいない!就寝時は最大高約80cmで枠付きである。
その枠を外し転がり落ちた?シャツやズボンそれにオムツを外し
這って自分のベッドに辿りついたが力尽きて小水を漏らしていた。
ベッドに揚がる力もなかったようだ。
介護ベッドと違い膝までの高さなのに・・・
骨折はなかったが足の数箇所をすりむいていた。
今晩からは簡易ベッドを用意して隣で寝ることにする。
殆ど寝ていない筈だが歩行訓練には必死になる。
気持ちも荒れてて牛乳をいれたコップを叩き割った。
思わず声を荒げ叩いてしまった。
病気のなせる業と分かってるのに自己嫌悪・・・
お袋の介護は右半身麻痺の状態だったので簡単だったが
妻は麻痺してる部分がないので爪をたてたり始末に負えない。
退院後4日じゃ環境の変化に順応できないのかな。
夜間の大活躍(笑)のせいか18時には睡けを訴えるので寝かした。
睡眠前のオムツ交換も薬の服用も省略する。
19時15分、口を開けて爆睡中だが明朝まで続くかな。
7/4異変を感じて眼を醒ます。
妻がベッドの上で座っているではないか!
オムツとズボンがベッド下にほってあり下半身裸の状態である。
昨夜から大型の尿パッドに替えたので容量に余裕がある。
横にしてして調べたら肛門からウンチが顔を出してる。
自宅に帰ってから一週間、通じがないので下剤を買ってきたばかりで
まだ使用していない。とりあえず摘便であるが母にて経験あるも
3年のブランクがあるので手こずる。
肛門を少し傷つけ出血させた。
傷の手当、オムツと尿パッドの交換、ズボンも敷きタオルも
交換、ファンを廻して換気で一時間を要した。
もう眠れないのでサイトの更新をする。
ケアマネと施設職員が来宅。
契約と通所リハビリの日程を詰める。親友も来宅。
午後から当地の病院へ診察に行く。
鳥取生協病院病院の紹介状を受付に出し受診票をもらう。
妻は受診票に記入されてる担当医名を一瞥して
「この病院の経営者一族」だと言ったので驚いた。
以前、付添婦としてこの病院で働いていたので記憶にあるようだ。
内科受付で待ってる間「先生、先生」とドアに向かって叫び続けたのは
病気のせいだろう。他の患者が不審顔してた。
注意すると興奮するので黙ってた。内科医と面談して薬の量を
倍にすることにし、血液検査を受け終了。3時間を要した。
遅い夕食を摂り、疲れたのか直ぐ寝てしまった。
私は明日のデイサービスに持たせる種々の書類の記入もあるので
寝るわけにいかない。午前3時頃、汗ビッショリで苦しそうなので
着替えさせた。エヤコンが入ってるから室温は27度で快適の筈だが?
リクエストで介護ベッドから自室のベッドに移した。
今朝は機嫌が悪く「通所リハビリは嫌だ」とごねるので困った。
病気でも初めての通所リハビリにビビるんだと可笑しかった。
施設から帰ってきたが変化は見あたらなかった。
無表情なのが反って気になる。






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