妻の介護と相続 6

  妻が旅行先で倒れて入院しました。


2012/1/23 昨夜のオムツ交換は悪夢だった。
通常、5分で終わるのに着けたオムツを外して投げたり
腹を足で数回蹴られた。30分くらい繰り返したろうか。
頭の中でプチンとなにかがキレタ。
気がつくと妻をむちゃくちゃ殴っていた。
腫れ上がった顔等を濡れタオルで冷やしたが翌朝には
顔半面がアザになっていた。もうそろそろ限界かな。

2/4 2時をまわったろうか。部屋の仕切りカーテンが
開いてるのに気がついた。この時期は冷え込むので
妻の寝室とその居間はオイルヒーターで24時間暖房を
してるがカーテンが開いていては意味がない。
妻の額にさわるとちょっと冷たい感じがする。
慌てて電気毛布のあるベッドに移し、エヤコンの温度を
上げた。パンツ型オムツを自分で交換するために起きた
痕跡がある。起こしてくれればいいのに・・・

ケアマネージャと保健師の訪問をうけた。
妻の顔にアザがあり虐待を疑った老健から報告があり
その調査だった。メディアに多くの報道が流れているが
自分が当事者になろうとは・・・。
反省するに心当たりはあった。オムツの交換に抵抗する
妻への憎しみが積もり限界に達したのだろう。
私としてはオムツをしないと寝具が汚れるから、時として
力づくで装着したし彼女も抵抗してはずしてる時もあった。
事故後はパンツ型オムツと尿パッドの組み合わせにしたら
問題は解決した。赤子のようにオムツをあてられるのが
耐えられなかったようだ。ここまで8ヶ月を要した。
入院中の食事時、用意されたナプキンの使用を嫌って
いた。これは衣服を汚さないよう配慮されたものだ。
食事時に病院支給のナプキン着用とかベッドの防水シーツ
の装着とかは嫌がって外したり捨ててしまうので中止したが
これもオムツ同様にプライドが傷つき嫌った結果だと
今になって気がついた。
失語症もあってコミュニケーションがとれてないのが
虐待につながった。配慮が足りなかった(残念)

3/26 早朝、屋内を捜せど姿が見えない。
まさか・・・庭を捜すとうずくまっている妻を発見。
室内に連れ戻して体を調べると顔を3ヶ所と左膝に怪我。
出血してるがマキロンで洗浄消毒し、それぞれ怪我の大きさに
相当するバンドエイドで手当。
一人で外に出ないように注意しても好奇心に勝てないようだ。
また老健やケアマネから虐待と疑われそう・・・

4/13 定時ケアだが大声で奇声を発して拒否するので手に
負えない。日に4回のスケジュールだったが一回にした。
大声なので隣近所に声が届くのは必至だ。顔を合わせる度に
謝るようにしてるが困った。そのうちに虐待で通報されるかな。

8/26 今日は荒れて窓ガラスに牛乳入りコップを叩きつけたので
ガラス破片の掃除に苦労した。幸い厚手の窓ガラスだったので
コップのみの破損ですんだが・・・
事故から一年半になるが精神的な立ち直りが難しいようだ。

9/20 早朝、室内に妻が居ない!
慌てて外を探したら車椅子がドブに突っ込んでた!
5mほど先に座り込んでる妻は額と手のひらを怪我してる。
自走式の車椅子の操作が下手で危険を感じていたが
まさか一人で乗り出すとは思わなかった。
僅かな勾配があるので勢いを止められなかったわけだ。

9/23 室内で転倒。椅子に鼻柱を打ち大量に出血する。
顔、手、被服上下が鮮血にまみれて悲惨な状態になった。
マキロンで消毒して幅広のバンドエイドで措置した。
着替えの際、ズボンのお尻部分が冷たかったので問いただすと
一人で庭に出て尻餅をついたとのこと。黙って出てはいけないと
口五月蝿く注意してるが守ってくれない。
就寝時、ベッドから畳の上に転がり落ちたので
怪我しないように薄手の布団を畳に張り付けた。

9/24 転倒が多いので病院のリハビリ担当者に杖の使い方を
教えてくれるように依頼したが
「本人が頑なに拒否するので無理」だとロビーに待機してる
私に報告に来た。子供の使いじゃあるまいし呆れた。
週3回1年近く通院してるのにリハビリ効果がないと指摘したら
「現状維持が限界です。なんなら転院してください」とか。
今までの通院はなんだったろう。早く言ってほしかった。
拒否するとは未だ精神的なダメージから立ち直れないようだ。
使われない杖が3本も主を待っているんだし
ここは、ひとつ素人療法に挑戦するっきゃないかな。
ICUに拘束(承認)入院中に毎日昼夕、手足の素人リハビリを
したし、病棟に移っても腰以外、自由に動かせたのは効果が
あったのだろう。実はこれ、母がリハビリ療法を受けてた
様子を見学して覚えた(笑)

10/12 妻の背がずいぶん低くなった。
高齢になると身長が縮むとは聞いていたが実感した。
退院後は寡黙になり
あれほど好きだったコーヒーも口にしなくなった。
いいことは体温が上がって死人のように冷たかった足が
暖かくなったことかな。
現在、食事と寝ること、昼間のトイレが自身で出来るのが
救いかな。歩くのは難しいようだ。
このまま人生を終えないでほしい。

11/14 最近、感情失禁が多く大声で子供のように泣き叫ぶ。
発病前の妻が泣くのを見たことがなかったので途方にくれる。
症状からレビー小体型認知症と思われる。
辛かったことでも思い出してるのかな。
養女だったので両親を看取り、結婚後は私の親父を病院に泊まり
こんで介護し、更に引き取ったお袋の介護なんて笑えないことも
あった。4人とも血縁関係なしなのに・・・大変だったね。

11/22 鳥取生協病院入院中の処方薬残りを整理してたら
リスパダールがでてきた。こちらの病院でも処方されたが
本人が嫌がるので数日で中止した。
最近、インターネットで調べたら痴呆症唯一の抑制剤で運動機能を
損なう副作用があるとか。なんてことだ!呆れた。
これを処方すれば患者の介護が楽になるので多用されるという
医療側の都合が透けてみえる。
退院後、1週間ほどで中止して正解だったわけだ。
思い起こせば、その間、幻視、幻聴があった。
机を指差し「×××」と不明な言葉を発したり
食べ物の残りをティッシュペーパーに包んで
「友達に残しておく」と言ったり
冗談だと解釈した自分が嫌になる。深刻な状態だったんだ。
入院中、スタッフから認知度が落ちてると言われたのは
薬の副作用だったと思われる。
普通、患者の家族は Dr. の処方を疑わないだろな。

12/15 夕食後、ベッドに入った筈なのに
隣の部屋からゴソゴソと音がする。
覗くと起きだしてバンドエイドの小箱を握っている。
以前にも2,3回こんなことがあった。
「どうしたの?」と尋ねたが何かを訴えるが意味不明。
紙と鉛筆を渡し書くように指示するも
内容が理解できなかった。




入浴しながらぼんやり考えていて思い当たった。
「タコ焼きを5つペロリと食べて気持ちが悪いので
胃腸薬が必要なんだ」薬箱をさぐっても胃腸薬の
見分けがつかないのか・・・。
説明して胃腸薬を与えたら安心して飲みこんだ。
じゃ今まで数回一人で苦しんでたのか。
コミュニケーション不足を痛感する。







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