妻の介護と相続 2

  妻が旅行先で倒れて入院しました。


久しぶりに娘から電話があり妻の様子を聞かれた。
母親に対する情が薄いのか面会も2ヶ月で2回だし病状を
尋ねる電話も数回、親は何時も子供の心配をしてるのに(呆)
今回は生死を分ける病気なのに信じられない。
私の父母が入院した時は毎日のように見舞ったものだ。
まぁ血の繋がりとかを重んじられた時代は過去のものかな。
実際、妹が実母を見捨てたこともあった。
後日談だが、娘受取人で掛け捨ての生命保険が掛けてあった。
妻から聞いていた娘が生死の確認に見舞ったり電話で容態を聞いて
きたわけだ。だが、容態が安定したら見舞いどころか電話もバッタリと
なくなってそれっきりである。なんと現金な・・・(失笑)
言葉の壁があって主治医の説明が分かりずらい。
若いのに山陰方言いっぱいって感じで土地の人間には
親しみやすいでしょう。だが、殆ど旅行もせず故郷に引きこもり
状態の私には標準語で話してほしい。こちらも標準語で応対してるし
カルテを見てれば住居地が遠方だと分かるはずだ。
驚いたのは、妻が入院中知り合ったボーイフレンドと現地語?で
会話してるんだよね。横にいた私には内容が理解できなかった(笑)
女って何処にも順応できるんだな。自宅と病院を行き来してると
皆さん、随分礼儀正しく口調も丁寧で驚いた。
「日本人も変わったなぁ」と思ったが・・・いやまてよ
これは日本人が変わったのではなくて出歩かないうちに私が老いて
普通に年長者の扱いを受けてたわけなんだ(失笑)
JR の電車車掌やキオスク従業員は車両の出入り時に必ず一礼する。
鉄道警備員は無作法でジロジロと警官そのもの。いや警官だったんだね。(笑)


5月の鳥取駅北口風景

5月2日娘と共に交替した主治医に呼ばれナースステーション隣の
小部屋に入る。リハビリで少しだが回復しつつあるのに娘同道とは?
予想では前任の主治医から娘のノーテンキぶりを聞いてたからだと思う。
結果、私の予感的中率95%を100%に押し上げる結果になった。
何とか早期転院させようとバカ娘を同席させたわけだ。
勿論、こちらも娘には因果を含めておいた。だが娘は医師に同調するし
最後には興味深々の医師からプライベートな質問をされてベラベラ話し
だす始末。自分の事より病人の目線で考えなければ駄目だろ・・・ったく。
私は夫であるが所詮他人、血を分けた子供次第で生への希望が
生まれるのに・・・身内に後ろから鉄砲で撃たれたようで不快極まりない。
それにしても私に何かあれば第2保護者の娘が全ての責任を負うわけ
だから必死になって医師に反論するのが普通の神経だと思うんだが・・・
カンファレンスで   「2〜3ヶ月、期限はきらないがリハビリを続けて
改善が見られなかったら転院する」
と曖昧な決着となった。当方の
希望として転院でなく 在宅で通院可能な状態までリハビリを進めて頂きたい
ので介護保険の手続きを進めてるわけで、回復期リハビリに入って半月も
経たないのに転院してリハビリは他の施設でやれとか、
挙句のはてに「リハビリ担当者がこれ以上は無理だ」と言ったとか
の暴言である。名医でもこんな短期間で確定できないだろうと思うぞ。
寝たっきりだと聞いた娘からは以後連絡は途絶えた。まぁ想定内だが・・・
手術したら責任を持つのが当然だと思うが病院の憲章なんて宣伝文句でしか
ないようだ。その後、医療ソーシアルワーカーから介護保険の審査日時が
決定したと知らされた。この人は若いが淡々と職務をこなし信頼できる。
相談室だから難題も多いだろうと思うが有能で対外折衝に向いてる。
5月4日、今日から毎日、妻宛にはがきを出すことにする。退院の準備
段階として薄れた記憶を取り戻させないといけない。
これもリハビリの一種かな。取りあえず年賀状の整理からと捜したら
平成17年酉年からある。一般に残った年賀状の消化は懸賞応募に
使われるんだよね。一日2枚投函する場合は一枚は画像、他は文章にした。
賀状ソフトを使用してるから所要時間は10分もかからない。
5月13日ソーシアルワーカーからメールがあり、13日の金曜日が
現実となった。地元病院の個室に入り大部屋の空くのを待ったらどうかと
暗示される内容であった。主治医からの圧力があったんだろな。
病人を搬送できる状態までリハビリを試行すると合意したばかりなのに・・・


5月15日久しぶりに2泊の予定で病院に向かう。
思ったより元気だが話しの内容がトンチンカンである。

例1--同じ病棟に友人が入院している。
* 数日前に電話で話したばかりで有り得ない。

例2--ハガキ等を沢山だしたが受け取っていない。
* 病室を調べたら10通くらいあった。

例3--介護保険の審査は受けていない。
* ソーシアルワーカーに確認したら終わってた。

からかってるのかボケてるのかは不明。
不審な行動もあった。

* ビーフィリードの点滴中なのに
「終わったから取り外す。ハサミはないか?」
とギョッとするような事を言う。

リハビリに立ち会ったが予想以上の進歩である。
直立、平行棒をパスし歩行器は今ひとつって感じである。
最終日、短時間の面会をした。
「思い残すことはもうない」なんて言われて落ち込んだ。
乗車駅で傘を忘れ、中継駅で本を忘れた。
忘れたり落としたりする事は殆どないのに余程動揺していたのかな・・・
また相談室から地元病院の個室が空くが如何との連絡あり。
それより退院できるよう集中的に回復リハビリをしてほしんだけど・・・
電車にしろ福祉車にしろ7時間以上座ってたらエコノミー症候群で
血種でもできて心臓や脳に飛んだらと思うと怖い。
自家用車で座ったり横になったりしながら時間をかけて搬送する
積もりだ。洋式トイレは購入済みで景色を見ながら何処でも使える(笑)
飲料水、毛布、4つ足杖等の準備は完了して、あと回復待ちですが
内心は6月半ばの面会で退院日時の決定をしたいと思っています。
5月23日医療ソ−シアルワーカーからケアマネージャーを
決定するよう勧めるメールを受け取った。
医療スタッフの話では認知機能も低下してるとか。
さきの面会でからかってると思ったのは妄想と記憶障害なのかな?






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